菜園の恵み(188) カリン

P91700022018年9月16日(日) 畑の隅にあるちょっとした林(植えたわけでもないが、ネズミモチ、カリン、シュロ、ノブドウなどが勝手に生えている)で今年はカリンが豊作、何度か台風の大風に見舞われたが、落下することなくたわわに実っている。まだ青いけれど、高枝切りハサミ持参で収穫作業、手が届く範囲のカリン18個・5.4㎏をゲット。例年通り冬に備えて喉の薬、カリン飴を作る予定です。

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ヤマボウシ

P91000092018年9月10日(月) 先日、手賀沼畔のヤマボウシ採集に行ったものの、今年は全く着果しておらず空振り。それではと今日は心当たりの近所の公園へ出かけてみました。そこも手賀沼畔と同じで、実付きは悪く、少雨の酷暑が続いたせいか、殆どが黒く萎んで枝にぶら下がっています。また、黄色いままで紅く熟さずに中が腐り始めています。今年はジャムも果実酒も諦めました。来年に期待しましょう。

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秀山祭九月大歌舞伎

20180907_dsc_01502018年9月7日(金) 今日は家内の奢り(高島屋友の会の積み立ての余禄)で歌舞伎見物へ。14:10のバスで出発。16:30~21:00の間、秀山祭九月大歌舞伎の出し物、幸四郎の「松寿操り三番叟(まつのことぶき・あやつりさんばそう)」、吉右衛門の「平家女護島 俊寛」、玉三郎の「新作歌舞伎舞踏 幽玄」を鑑賞する。先月のウズベキスタン旅行のサマルカンドで鑑賞した「サマルカンドの夕べ」のダンスショーの時もそうだったけれど、「俊寛」以外はこっくり、こっくり気持ちよく居眠り。家内はぷんぷん、久しぶりに都内へ出たため、人当たりしてすっかり疲れました。

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定点観察・手賀の丘公園(柏市)

2018年9月6日(木) ケイヨーD2へタマネギの種を買いに行った序に、ちょっと足を延ばして手賀の丘公園できのこ観察。ウズラタケ、コフキサルノコシカケ、シイサルノコシカケ、ニクハリタケ?の硬質菌に加えて、オニタケ?、クサハツ、シラタマタケ(写真)、ハイイロイタチタケ、モチゲチチタケなど軟質菌が出始めたので、きのこの秋ももう間もなくの予感。
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定点観察・根木内歴史公園(松戸市)

P90400032018年9月4日(火) 雨の止み間に根木内公園へ出撃し、シラカシに発生するコフキサルノコシカケ採り。スダジイの樹幹の根際にヒラフスベ(アイカワタケ)が4か所発生していたので写真に収める。地上生ハラタケ型きのこの発生はまだ1本もなし。

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菜園の恵み(187) 矩形自然薯

P90100012018年9月1日(土) 大根やカブの種を蒔く時期(9月中旬)が迫ってきたので、場所を確保するため、きゅうり&自然薯畝を片付ける。秋夏強健きゅうりの「ななひかり」はトータル49本の収穫であっさり完了、自然薯は秋遅くまでもっと太らせたかったが、やむを得ない。ほとんどが種イモの大きさで、食べられそうなのは350gと160gの2本だけ。支柱を解体し、蔓を処分し、芋を掘り取り、跡地を起こして施肥と大仕事、蒸し暑くて熱中症になりそうでした。

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ウズベキスタン土産(5) 靴下

P830000925日、ヒヴァのイチャン・カラ(内城)観光の途中、クフナ・アルクの中庭で、名物というラクダの毛で出来ている靴下を1足購入。靴下売りの女性が美人だったため、写真を撮りたくて・・、1足10,000スム(160円)也。

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ウズベキスタン土産(4) ミニアチュール

24日、ブハラ市内観光の途次、アルク城の謁見の間の前庭に露店を構えていた作家?から細密画2枚を購入しました。左は、イスラーム神学者のフッジャ・ナスレッディンを描いたもので、ユーモアに富んだ授業で学生に好かれ、今もブハラの人気者とか。ラビハウス池畔にロバにまたがる像が建立してあります。右は、王宮のハーレムがモチーフでしょうか。2枚で60ドルと云うのを、木彫品ならともかくダンボールの台紙に薄紙を張り付けたような代物なので、値切って45ドルで購入しました。その交渉をしている間に皆とはぐれてしまい、「私の行先はどこでしょう?」状態、ウズベク語もロシア語も話せないし、大変な目に遭いました。
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ウズベキスタン土産(3) 肩掛けリュック

P829000623日、シャフリサブス観光の途次、ドルッサオダット建築群のジャハンギール廟のテラスに出ていた露店で肩掛けリュックを2個、1個8ドル(900円)で購入しました。片肩掛けにも両肩掛けにもでき、文様も色合いも良いのですが、チャックが貧弱なのが玉に傷、娘と息子のお嫁さんにあげるつもりですが、ふたりとも気に入るかどうか。

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ウズベキスタン土産(2) 白ワイン

P829000122日、サマルカンド市内観光中のバス車内で、現地スルーガイドのドストンさんがサマルカンド産ワインの注文を取り、赤も白も12ドル(1,300円)というので、お付き合いで白を1本購入しました。銘柄はルカツィテリ(RKASITELI)、サマルカンドにあるワイナリー、Bagizagan Wine Factory社(1994年創業)の製品です。ブドウ品種はグルジア(ジョージア)から導入されたRkatsiteli 100%。日差しが強く、良質のブドウが穫れるサマルカンドでは古くからワイン造りが盛んで、甘口~セミスイートワインが多いとのこと、果たしてどんな味なのか楽しみです。

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ウズベキスタン土産(1) 干しブドウ

22日、サマルカンド市内観光の途次、立ち寄ったシヨブ・バザールにて名物の干しブドウを購入しました。大粒の白い干しブドウは500gが5万スム(800円)、やや小粒の黒い干しブドウは500gが3万5千スム(560円)でした。こんなには食べきれないので三等分し、娘夫婦と息子夫婦にあげるつもりです。
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カラカル・パクスタンのウオッカ

P8260676海外旅行中、ビール以外の酒類はめったに口にしない私ですが・・、8月26日、カラカル・パクスタン共和国のトプラ・カラとアヤズ・カラのふたつの都城跡を見学した後、遊牧民のテント(ユルタ)内の昼食にサービスで付いたのは、カラカル・パクスタン産のウオッカ、カラタウ(QARATAW)でした。アルコール分40%なので、0.5リットル瓶から少しづつ、皆で回し飲みしましたが、灼熱の砂漠の長歩きの末に、涼しいテントの中でいただくウオッカの味はなかなか乙なものでした。ウズベク人は宴会ともなればウオッカを良く飲むそうで、それもショットグラスでストレート、付き合うのは大変そうです。

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ウズベキスタンで飲んだビール

今回のウズベキスタン旅行中に飲んだビールは6種類、以下銘柄ごとに、原麦汁エキス(OE)、アルコール分(Alc)、評価(☆★)、会社名、所在地を示す。灼熱のカラカラに乾いた土地で飲むビールはどんなものでも美味しいけれど。
価格は、ホテルでもレストランでも、中瓶(500ml)か生を問わず、2万スム(320円)~2.5万スム(400円)でした。
写真上段左はパルサー(Pulsar Silver:OE10%、Alc.3.6%、☆☆★、PULSAR TRADE BREWERY、サマルカンド)、同右はストリチノエ(Ctolichnoyo:OE10.0%、Alc.3.6%、☆☆、Mehnat Group、タシケント)。中段左はブハラの地ビール・Guter Freud(良き友)の生?(☆☆★)、同右はサルヴァスト(SARVAST:OE10.5%、Alc.4.2%、☆☆★、UZCarlsberg LLC、タシケント)。下段左はリジュスコーイエ(Puzhckoe:OE10.5%、Alc.3.8%、☆☆、MEHNAT Group、タシケント)、同右はキブライ(QIBRAY:OE11%、Alc.4%、☆☆★、QK Inter-Rohat、サラール)。
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ウズベキスタンの子供たち

写真は、左上から時計回りに、シャフリサブズの昼食レストランで出逢った親子(23日)、ブハラのタキ・バザール近くの切手売り場の親子(24日)、トイレ休憩に立ち寄ったガソリンスタンドのトイレチップを徴収する男の子(23日)、ブハラのイスマイール・サーマーニ廟の中で母親を手伝いガイドブックを売る女の子(24日)の順。子供でも良く働きます。
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ウズベク美人の未来形と過去形と

左の写真はヒヴァのイチャンカラ(内城)のクフナ・アルク(古い宮殿)のテラスで行われていたイベント(27 AZIZ VA YAGONNAMSAN JONAJON)で踊るため着飾った女の子たち。右の写真は同じくイチャンカラ城内に建つ民家の玄関先で夕涼みするお婆ちゃん。何故か手に持つのは前橋市の医院名のある団扇、多分日本人観光客にもらったのであろう。
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ウズベキスタンの女性たち(2)

写真は、上段左上から時計回りに、ブハラの絨毯工房の女主人(24日)、昼食をとったチャイハナの従業員女性(25日)、ヒヴァ観光の途次、クフナ・アルク(古い宮殿)の玉座の間で出逢った靴下売りの女性(25日)、同じくクフナ・アルクの見張り台入口のショール売りの女性(25日)の順。
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ウズベキスタンの女性たち(1)

現地ガイドのドストンさんの説明によると、ウズベキスタンでは夫婦共稼ぎが普通、女性は働き者らしい。また、ウズベキスタンはシルクロードが貫く東西文化の交差点、紀元前の昔から現在に至るまで数多の人種・民族が混血しているため、女性に美人、男性にイケメンが多い。写真の上段2枚が22日サマルカンドのコニギルメロス紙漉き工房にて撮影した桑の枝の皮を剥く女性、下段2枚が24日ブハラの絨毯工房にて撮影した織子さん。
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ウズベキスタンのトイレ事情

25日はブハラからヒヴァへ約450㎞・7時間半のバス移動、幸いメンバーに緊急事態は発生せず青空トイレは免れたが、そのコース、腹痛や下痢などを抱えたら、長い道中が非常に辛いものになる。朝8時半に出P8250509発し、最初のトイレ休憩は2時間後、砂漠のど真ん中のチャイハナ(食堂)で。トイレへ通じる道に女主人が待ち構え、トイレチップ1000スム(16円)を片端から徴収する。トイレは男女の区別なく2個室のみ、利用した人の話だと、トルコ式で清潔とは言えないが一応水洗とのこと。団体バスが次々と到着するのでたちまち長蛇の列ができ、やむなく男性陣は奥の畑へ行って青空トイレの仕儀に。1000スム支払ったと云うのにトホホ。二箇所目は11時35分、昼食に立ち寄った砂漠の中のチャイハナのトイレ(写真上)。そこは無料で男女別、男性用に洋式(便座なし)1室とトルコ式3室があって、どちらも水洗であるが、水はチョロチョロ、ペーパーはP8250526付いていない、又たとえ置いてあっても便器に流せない(配管が細く、水勢・水流が弱いので直ぐ目詰まりを起こす)。三箇所目は14時15分、道路沿いのレストランに立ち寄りトイレ(写真下)を拝借、有料1000スム。そこも男女別で比較的清潔に維持されている。男性用に洋式1室とトルコ式4室。やはりペーパーの備えはない。結局、ウズベキスタンでは、砂漠の中のトイレですら水洗式であったが、ペーパーは置いていないのが普通、有料の所が多くトイレチップは大体1000スム、そして中国の田舎のように不潔なところ、出るものが出なくなる様なトイレはないが、さりとてピカピカという訳でもなく、まあ我慢できるレベル。更に、ホテルといえど、使用済みペーパーを便器に流せず、傍らのゴミ箱に捨てる方式なので注意が要る。

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ウイキョウ(フェンネル)

P82606532018年8月26日(日) ウイキョウ(茴香)は地中海沿岸が原産とされるセリ科ウイキョウ属の多年草であるが、今日の午前中に訪ねたカラカル・パクスタン共和国のアヤズ・カラ遺跡の周辺にも群生しており、キジルクム砂漠の植物相を代表する植物となっている。ビール造りの教科書に拠ると、ウイキョウは、ホップの使用が主流になる14~15世紀以前には、アニスやニガヨモギなどと共にビールの香味付けに利用されていた事が知られており、初めて本物を見ることが出来大感激。ただ、想像していたよりずっと主幹が太く、草丈も1m以上あって逞しい。極端に雨が少ない灼熱大地の厳しい生育環境のせいでこのような姿になるのであろうか。根は、リュウマチ、腰痛、肺炎、腎臓病、胃炎、皮膚病に効く成分を含むため、今ではロシアや中国の製薬会社が進出してきて栽培に乗り出してきているとのこと。乾ききった砂漠にすっくと立つ姿は奇跡的、神々しくさえ見えました。 

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ウズベキスタン料理(2)

2018年8月26日(日) ユルタ(遊牧民テント)の中で食べた昼食。リンゴとプラム、キュウリとトマト、ナンは始めからテーブルの上に置いてある。大根サラダ、スープ(牛肉、米、人参、ジャガイモ入り)、トマトとナスの煮込、ロールキャベツ風巻物(キャベツとピーマンにプロフを詰めたもの)、スイカとメロン。他におつまみの干しブドウと豆菓子&ウオッカ試飲付き。
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カラカル・パクスタン共和国の都城址巡り

2018年8月26日(日) 6:00目覚まし時計で起床。髭を剃り日焼け止めクリームを顔に塗る。今日は灼熱砂漠の城址観光なのでシャツは長袖。昨夜洗った下着は完全に乾いている。恐ろしいほどドライ、こんなに乾燥していては蚊もいないけれど、きのこも全く期P8260616待できない。昨夜ちょろちょろだったお湯が朝は回復、たっぷり出る。持参の電気ポットでMWを沸かして日本茶を喫す。7:00-7:40朝食、目玉焼きと干しブドウを食べ、チェリージュースとコーヒーを飲む。8:30バスに乗り出発、カラカル・パクスタン共和国の都城址巡りへ。アラル海に注ぐアムダリア川下流の東側には古代ホレズム帝国時代、紀元前4世紀~紀元後7世紀に築かれたカラ(都城、城砦)跡が数百㎞にわたって点在し、その数は1000か所以上に上る。アムダリア川が流れを変えるたびに城砦を造り替えねばならなかったとのこと。9:00州都ウルゲンチ通過、ソ連時代に区画整理されて出来上がった町だけに、四角四面の大きなビルが建ち並び、六車線道路が街を貫く。緑が多く街路樹や花壇も整備されていP8260628るが、特にこれといった見どころはないらしくあっさり通過。郊外にかかると舗装道路が切れ、埃っぽいデコボコ道になる。民家の庭に色とりどりのダリアが咲いている。最後の集落を過ぎると砂漠地帯へ突入。灌漑用水路沿いに、もやもやした赤紫の細かい花を付けた灌木が生えている。左奥に広大なダム湖が見えてきて、辺り一帯は綿花畑に変わる。最初の見学先、トプラク・カラの丘が見えてくると、その麓にある天幕式住居(ユルタ)群の無料トイレを借用し休憩(10:05-10:20)。ペーパー付だし、水はちょろちょろながら一応水洗、こんな砂漠の真ん中でどこから給水しているのだP8260642ろう。城址の麓へバス移動して、トプラク・カラへ上る。紀元前1世紀か紀元後5世紀のホレズム帝国のシャー・ウシュ朝が築いたとされる都城で「粘土の宮殿」と呼ばれる。500X350mの長方形の日干しレンガ造りの城壁に囲まれ、北西隅には3つの楼閣を持つ宮殿がある。広場、ゾロアスター教の神殿などが並び、域内の3分の2は住民の居住区だったと云うが、どこがどこやら。一番高い所に上って日干し煉瓦の壁で区画されている城内を眺め、茫漠とした大地と、その果ての低い山並みとを眺める。かつて傍を流れていた筈のアムダリア川は全く見えない。バスに戻り、次は「風の城」と呼ばれるアヤズ・カラへ。又も麓に天幕式住居群がある所P8260661でバスを降りる。どうやら、これらユルタは都城址観光の前線基地となっており、食事もとれるし宿泊も可能な、いわば砂漠のホテルである。暑い!、雨傘をさしながら40℃はありそうな灼熱の砂漠歩き。丘上の城址めがけて傾斜の緩い道を時計回りに進んでいくが、かなり距離があり遠い。辺り一面に枯れた茎を直立させて群生している植物はウイキョウ(フェンネル)とのこと、ホップが使われる以前のビールに使用された薬用植物であるが、まさかこんな厳しい環境に生えているとは・・。2つの丘上遺跡からなるアヤズ・カラは6、7世紀頃の都城址であるが、トプラク・カラよりも保存状態が悪く、崩れP8260675かけた外壁しか残っていない。高い方の城址に上り、低い方の城址と果てしのない乾燥平原とを眺めやる。かつてはこの城址同士が橋で繋がれていたらしい。それから城壁上部の回廊歩きを試みる。途中、崩れていたり天井下に余裕がなかったりで4分の1周くらいしか回れない。遥々と訪ねてきたが、城址マニアでもなければ見どころを見つけるのは難しい。出土品の博物館でもあれば、もっと興味が持てるかもしれないが。12:30バス駐車場に戻り、ユルタの一つに入って昼食をとる。ユルタ内は日陰というだけで涼しく快適。大根サラダ、牛肉入りスープ、トマトとナス炒め、ウズベキスタン風ロールキャベツなどを食べ、干しブドウと豆菓子をつまみながらウオッカを試飲する。デザートは定番のスイカとメロン。ビールはサルバストの中瓶だったのでパス。13:30バスに戻りヒヴァへ帰る。15:30ホテル到着、15:50のロビー再集合まで部屋で大休止。(続く)

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アジア・ヒヴァ(ASIA KHIVA)

2018年8月25日(土) イチャンカラの南門を出て徒歩5分、アジア・ヒヴァの4ブロックにある113号室に入る。時刻は18:05、台湾・華凌製のエアコンが良く効いている。設定温度は23℃。ゆったりした部屋にシングルP8250591ベッド2台、書き物机と椅子、TV(ORTEL製)、冷蔵庫(空)があり、浴室には浴槽もある。他にドライヤー、シャンプー、バスジェルも備えてあるし、紙のように薄いぺなぺなのスリッパも2枚置いてある。但し、電気ポット、ティッシュボックス、セーフティーボックスはなし、まぁ砂漠のど真ん中の町の四つ星ホテルとあってはこんなものか、これでもヒヴァNO.1とのこと。室内装飾の色遣いは全体に若向き、ドア、クローゼット、机、テレビ台、ベッド台はローズウッド?の木製で、ピンク色のシーツと枕カバーに年寄りは落ち着かない。トイレの水勢・水流・水量は弱々しく、とてもじゃないが使用済みペーP8250593パーは流せない。直ぐに詰まってしまうぞ。今日、明日とこのホテルに連泊。19:00-20:00別棟のレストランでビュッフェ方式の夕食。ボルシチ、サムサ(パイ料理)2種類、マンティ(肉饅頭)、キムチ、キュウリとトマト、フルーツはメロンとリンゴを食べ、コーヒーで締める。無論ビールも忘れず、サルバスト(SARBAST)の中瓶を飲む。一旦部屋に戻って、酔い覚ましに、Kさん、Mさんと3人でイチャンカラ散策へ。南門から入城し西門までそぞろ歩き。電力事情の関係か、イチャンカラ内のライトアップは思いのほか暗い。その御蔭で、高いP8260608ミナレットの上に満月が昇り何とも風情がある。帰りは土産物屋を何か所か巡っているうちに道迷い、東門?の方から外へ出てしまい、自転車の少年2人に案内されて城壁の外周を4分の1周、月明かりしかない真っ暗な凹凸道を不安を抱えながら歩く。漸くホテルの明かりが見えた時にはほっと一安心、21:45部屋に無事戻る。浴槽に湯を張ってゆっくり浸かろうと思ったが、湯がちょろちょろしか出ず、足首が隠れるほどしか溜らない。シャワーに切り替えても、湯量不足でシャンプーを洗い流すにも時間がかかる。下着の洗濯を済ませると22時半、MWを沸かして日本茶を飲み、御煎餅と柿の種を食べる。(続く)

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世界遺産「ヒヴァのイチャンカラ」(1)

2018年8月25日(土) ブハラから450㎞をバス移動し、16:00漸くヒヴァに到着。休む間もなく観光スタート。ヒヴァは、首都タシケントの西1000㎞、ホレズム州にあり、州都ウルゲンチP8250538から南西に35㎞離れたアムダリア川下流のオアシス都市、古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入り口として繁栄した。ホレズムとは「太陽の国」の意味で、年間300日以上一滴の雨も降らない過酷な土地。16世紀、この地にトルコ系遊牧騎馬民族ウズベク人がヒヴァ・ハーン国を建国し、シルクロードの中継点に過ぎなかったヒヴァに都を置いた。以来、ヒヴァはホレズム地方の中心地となり、「中央アジアの真珠」と称えられる。町は外敵の侵入を防ぐために外壁と内壁の二重の城壁で護られ、内壁に囲まれた内城イチャンカラには20のモスクと20のメドレセ、6基のミナレットP8250555など多くの遺跡や古い住居が残る。イチャンカラ内に居住している住民は約3000人、殆どが観光業に従事している。西門(オタ・ダルヴァザ)をくぐってイチャンカラ内に入城する。目の前に未完成の大ミナレット、カルタ・ミノルが聳える。右手に連なるムハンマド・アミン・ハン・メドレセ付属のミナレットであり、1852年に着工したが、高さ26mで工事は中断されたまま現在に至っている。基礎部の直径は14.2mあるので、完成していれば70~80mの高さになったものと推測される。青の彩釉タイルが夕陽に映えて美しい。内部、頂上は非公開。ムハンマド・アミン・ハン・メドレセは1852年完成、中央アジアでP8250571最大規模の神学校で、中庭を取り巻く2階建ての建物には125の部屋があり、1977年からホテルとして利用されている。東門へ続くメインストリートにはラクダや羊の毛の帽子、木彫りの書見台、木彫りの俎板など、名物の土産物が露店に並ぶ。カルタ・ミノルの先で左折し、クフナ・アルク(古い宮殿)の見学へ。17世紀に建てられたもので、1838年建造のタシュ・ハウリ宮殿が出来てから区別するためにこう呼ばれている。入口手前にある小さな監獄博物館を見学してから、宮殿門をくぐり、七宝タイルで覆われた玉座の間、当時の様子を再現した人形が展示されている造幣所、ハーレム、謁見の間の順で見学する。謁P8250577見の間がある中庭では、伝統刺繍のスザニをまとう靴下売りの女性が美人だったので、1足買い求め、序に写真を撮らせてもらう。更に、暗くて狭い急な階段を上ってアクシェイフ・ババの見張り台へ出る。屋上の見張り台は360度の好展望、イチャンカラのパノラマ、ヒヴァの全景を楽しむ。右手間近にカルタ・ミノル、中央に高さ46mのイスラーム・ホジャ・メドレセのミナレット、その左に高さ42mのジュマ・モスクのミナレット、この3本が断然目立つ。今日の見学はここまで、イチャンカラ内をどう歩いたか、南門(タシュ・ダルヴァザ)から出て直ぐの所に建つ今宵の宿アジア・ヒヴァへ。(続く)

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ブハラからヒヴァへ(移動日)

2018年8月25日(土) 6:00起床。MWを沸かして日本茶を飲みながらSCのパッキング。今日はブハラからヒヴァまで450㎞のロングドライブ、6~7時間はかかるらしい。髭を剃り顔にも腕にも日焼け止めクリームを塗る。今日もシャツは半袖。7時ドアの外へSCを出しP8250499てから食堂へ。目玉焼き、クッキー2枚、ソーセージ、スイカとメロンを食べ、アップルジュースとコーヒーを飲む。既にお腹を壊した人が2、3名居る様子で、念のため歯磨きはMWで仕上げすすぎ。TVのユーロニュースで、ドイツが今夏の熱波による農作物被害を受けた耕作者に34億ユーロ(4400億円)の援助を行う事を知る。どこもかしこも異常気象である。時間があるのでホテルの館内案内ファイルを眺めていたら、中に部屋の備品と単価の一覧表があり、利用客がそれらを毀損した場合、弁済してもらう旨が明示してある。中国人の旅行客じゃあるまいし、ウズベキスタンは気象条件P8250501同様ドライでシビア。8:30バスに乗りヒヴァへ向け出発。街中の公園や歩道には蛍光オレンジのジャケットを着た女性たちが繰り出し清掃に従事している。ブハラは世界遺産を売り物にした観光産業がメインの町だけに美化には力を入れている。ドストンさんによると今日からは撮影料がかからないとのこと。道の両側に見渡す限り緑の綿花畑が広がり、時々灌漑用の溜池も見える。ウズベキスタンの綿花生産量は年産約100万トン、世界第6位、その70から80%が輸出される。綿花畑の他にはヒマワリ、トウモロコシ、カボチャの畑が認められる。牛が首を伸ばして木の葉を食べている。幹がP8250502白く葉裏が銀色の樹木が目立つがポプラの仲間であろう。ここも道路には中央線がなく凹凸が激しい、メモが取りにくい。砂塵が舞い上がり埃っぽいのでマスク装着。景色はやがて綿花畑から低灌木が疎らに生えるだけの砂漠地帯に変わる。バスは西へ。まさしく見渡す限りの不毛地帯、こんなところにもスズメ大の、砂色に同化した地味な小鳥がいる。上空には鷹の姿も。青空トイレを覚悟した人もいたようだけれど、漸く砂漠のど真ん中にぽつんと一軒だけ建つチャイハナ(食堂)に到着しトイレ休憩(10:30-10-45)。食堂の裏手に別棟でトイレが建ち、そこへ通じる関所で女将に各P8250504人が1000スム(16円)支払う。男女の別のない2個室だけなので、女性優先とし、男性は奥の畑で青空トイレ、やれやれ。店の看板にコイの絵が描かれているので魚料理も出すらしい。こんな砂漠の中でと思うが、灌漑用の溜池かダム湖で養殖しているものと考えられる。再びバスに乗り西へ。次第にカラクム砂漠(キジルクム砂漠?)へ近づく。『砂漠と云っても色々な植物が生えており、中にはウイキョウ(フェンネル)など薬用植物も多い。最近では中国やロシアの製薬会社が進出して来て、砂漠で薬用植物を栽培している。また、飛砂防止のため、政府がヘリコプターで定期的にラクダが好む草のサクP8250518サウール(ラクダ草)の種を蒔いている。夏は50℃、冬は-20℃の厳しい環境だが、タヌキ、イノシシ、ヘビなどが棲息している』と、ドストン氏の説明。道路はいつの間にか広い中央分離帯がある2車線に変わり、バスは飛ばしに飛ばす。対向車は偶に来る位、ウズベキスタンの西部は人口も希薄でインフラ投資のコスパは甚だよろしくない。砂漠の中の単調なドライブが続き、11:35大型観光バスが屯しているチャイハナに着いて昼食(~12:45)。牛肉とジャガイモとニンジン入りスープ、ナン、串焼き牛肉(シャシリク)を食べ、タシケントのビール、リジュスコーイエの中瓶を飲む。透明瓶P8250519に入っているのに日光臭は殆ど感じない。水素添加したホップエキスを使っているのかも。緑陰の、日除けタープの下の食卓は、風が通り抜け涼しい。この店はシャシリクが名物らしく、焼き方の男性従業員は忙しいそう、美味しい訳である、何と炭火焼き!。今日になって腹痛や下痢を抱えている人が4、5名出来し、何も食べないし、食べられない様子、全く気の毒。12:45再出発、満腹にビールの酔いも手伝い気持ち良く居眠り。14:15-14:30、レストランのトイレを借用し休憩、有料1000スム。男女別で、男性用に小便器はなく、洋式1、トルコ式4の個室、これまで一番清潔なトイレだが、使用済みペーパーはやはり流せない。出P8250529発。雨が全く降らないカンカン照りの広い広い砂漠があっても、太陽光発電基地や風力発電基地を全く見かけない。『ウズベキスタンの電力生産比率は火力>水力>>太陽光の順で、原発はなし。発電所は電力需要の多い東部に偏っており、ロシア、中国、韓国、トルコの会社が発電事業に進出している。走っている車はゼネラルモーターズ(GM)のシボレーが断トツ、日本車は殆ど見かけない。関税100%の為、日本で400万円のランクルがここでは800万円もする。GMはアンディシャン州アサカにGMウズベキスタンと云う現地生産工場があり、P82505332008年からシボレーブランド車を生産している。シボレーの最安車は6000~7000ドル(66~77万円)。観光客はロシア人>欧米人>日本人の順、中国人や韓国人は仕事では来るが観光には来ない』、以上もドストン氏の話。15:20大河アムダリア川を渡る。天山山脈の雪解け水であるが水量は今一。再び綿花畑、トウモロコシ畑が現れ、運河で釣りをしている太公望の姿も。15:35街路灯が立ち並ぶ州都ウルゲンチの街に入る。近代的ビルが建ち並ぶ大きな町で6車線幅の立派な道路が街を貫く。ロバに引かせた荷車も走る。辺りはメロンの大産地とのこと。16:00漸くヒヴァに到着、休む間もなくイチャンカラ(内城)観光へ。(続く)

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ウズベキスタン料理(1)

2018年8月24日(金) ブハラのナディール・ディヴァンベギ・メドレセで開催された民族ショーの夕べに提供された食事。上段写真左がビーツのサラダ、同右がタマネギのサラダ、この他にトマトとキュウリと肉を和えたサラダが2種類、下段左はサムサ(カボチャ&タマネギ餡のパイ)、同右は牛肉、人参、ジャガイモ、トマト入り壺焼き。壺焼きは塩辛いが美味。サラダやデザートのカットフルーツ(スイカ&メロン)はさっぱりして美味しいけれど、食べ過ぎると後が怖い!。
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世界遺産「ブハラの歴史地区」(2)

2018年8月24日(金) 12:30-13:40レストラン・ドロンで昼食。前菜(サラダ:トマト、ナス、ニンジP8240432ンの和え物)、米と豆とニンジン入りスープ(マスタヴァ)、ジャガイモ餡入りパイ(サムサ)、焼きうどん(ラグマン)、クッキーの5皿を食べ、ブハラの地ビールGuter Freudの生を飲む。ガイドブック「地球の歩き方」にも載っている有名レストランで、凝った料理であるけれど、サムサ以外は味が今一。店内に現地ガイドのドストンさんのお父さん、アリシェール・ナジロフ氏が焼いた陶器の大皿がうやうやしく飾ってある。氏はウズベキスタンでも指折りの匠(たくみ)で、フェルガナ盆地南端の町リシタンで陶器工房を開いており、日本語学校も併設しているとのこと、「地球の歩き方」に載っている。食後の手始めは刃物P8240443工房見学、切れ味抜群のコウノトリの鋏がブハラ一番の土産品らしい。各コンクールで数々の受賞歴があるサイフッロー・イクラモフ氏の工房兼直営店に立ち寄る。ご本人が居て製作の実演をしてくれる。コウノトリの鋏は1本20米ドルないしは25$、購入者の名前をその場で鋏に刻印してくれる。誰かのお土産で確か仙台の自宅に在る様な気がしたので買わず終い、仲間の何人かは購入したようである。次はアブドゥールアジス・ハン・メドレセに入場、17世紀の建立で、装飾にはインドやオスマントルコの影響がみられる。内装は創建当初のP8240451ままで一度も修復されていないが、今でも豊かな色彩が残っている。それも青一色ではなく、黄、緑、茶色など。広場を挟んで向かい側には、ウルグベクが建てた中央アジア最古の神学校、ウルグベク・メドレセ(1418年創設)が建つ。外観のみで中には入らず。そろそろ霊廟とモスクとメドレセの見学に飽きてくる。やや食傷気味、まずアーチ門を持つ建物の外観が五十歩百歩で皆似ている。又、入場しても何があるわけでもなく、せいぜいが霊廟なら石棺、モスクならミフラーブ、メドレセなら中庭くらい。外も内も見どころは平面的なアラベスク紋様の装飾ばかりで、幾何学模様の氾濫に眼P8240448が眩み、違いを理解しようとすると脳が疲れてしまう。熱心に説明してくれるドストンさんには申し訳ない。また、技術の粋を尽くし意匠を凝らして建造したであろう建築家にも相済まないけれど・・、どうも今になって午前中の徘徊の疲れが出たものらしい。交差点バザールのタキでフリータイム(14:35-15:00)。タキとは大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールで、三か所あるタキのうち、帽子市場のタキ・テルパクフルシャンを見学する。我々が通りかかると、民族楽器屋の主人が日本の曲を掻き鳴らしてくれる。帽子だけでなく、衣料品や雑貨、絨毯を扱う店も。もはや買いたいものもなく疲れましたP8240460_2、休みたい。それからブハラの中心にある池、ラビハウズに移動し、ロバに跨ったイスラム神学者のフッジャ・ナスラッディン像を眺め、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセのアーチ門を見学する。1622年、大臣であったナディール・ディヴァンベギが建てた神学校であるが、アーチ上部に人の顔が太陽の真ん中に描かれ、更に太陽に向かって飛翔する2羽の鳳凰が描かれている。サマルカンドのシェルドル・メドレセと同じで、イスラムの教義も御法度も権力者の前には膝を屈したものらしい。今宵はそのメドレセの中で民族舞踏ショーを観ながら夕食を食べることになっているので今は素通りし、池畔に建ち並ぶチャイハナ(喫茶店)の一軒に入りティーブレーク(15:45-16:00)。砂糖P8240468菓子を齧り温かいお茶を飲む。16:05バスに戻りホテルへ。16:15から18時半のロビー再集合まで各自ホテルの部屋で大休止。5,000スム(80円)の枕銭が効いたのか、部屋は綺麗に片付けられているが、今日はインスタントコーヒーもティーバッグもMWのサービスもなくなる。初日だけとは何とも世知辛い。MWを沸かしてコーヒーを飲みながら今日の復習。再びバスでナディール・ディヴァンベギ・メドレセへ行き、中庭で繰り広げられる民族ショーを鑑賞しながらの夕食(19:00-20:00)。日本人も外国人の団体もそれぞれが指定された席に座り、踊りとファッションP8240477ショーと食事を楽しむ。踊りはやはり胡旋舞が主体で、民族衣装のファッションショーの方は地元洋裁学校の学生が自作の衣装を次々に披露してくれる。つまり、学生モデルだが、皆スタイルが良く小顔の八頭身美人、独特のカスリ模様のスザニを粋に着こなしている。食事は、サラダ4種類(ビーツ、タマネギ、トマトとキュウリ)、サムサ、ナン、牛肉と人参とトマトとジャガイモが入った壺焼き、それにフルーツ(スイカとメロン)が付く。中ジョッキ(500ミリリットル)の生ビールを飲む。多分ブハラの地ビールGuter Freud。20:30ホテルに戻り、長い一日が漸く終わる。(続く)

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世界遺産「ブハラの歴史地区」(1)

2018年8月24日(金) 5:50起床、髭を剃り顔と腕に日焼け止めクリームをぬる。MWを沸かし緑茶を飲む。部屋が広すぎてエアコンの効きが今一。7:00-7:30朝食。クッキー2枚、目玉焼き、ハム、ソーセージを食べオレンジジュースとコーヒーを飲む。それとデザートにスイカとメロン。8:30出発、今日はブハラ市内終日観光、予想最高気温34℃。朝はまだ爽やかだが太陽がぎらぎらと輝き暑くなりそう。今日も日傘代わりの雨傘が手離せない。撮影料はP8240346今日一日分合計でひとり2万スム(320円)也。ブハラは、パミール高原の雪解け水を集めたザラフシャーン川流域に発達したオアシス都市、交通の要衛に位置し、7~8世紀にはシルクロードを通じた東西交易で繁栄した。黄金期は9~10世紀のイラン系サーマーン朝の時代、しかしその繁栄も1220年のチンギス・ハーンの来襲で灰燼に帰してしまう。16世紀のシャイバニ朝時代になって再び甦り、多くのモスクやメドレセが建造された。見学の初めはイスマイール・サーマーニ廟(9:00-9:25)。892年から943年にかけて造られた中央アジアに現存する最古のイスラーム建築で、サーP8240348マーン朝のイスマイール・サーマーニが父親のために建てた霊廟だが、のちになって彼も、彼の孫も葬られて、サーマーン朝王族の霊廟となった。モンゴル来襲で街が破壊されたとき、殆どが土中に埋もれており、又周りが墓地だったために気づかれなかったらしい。1925年に発掘された。大きさは9m四方、壁の厚さ1.8m、日干し煉瓦を積み上げた半球ドーム型の屋根の単純な構造だが、垂直ではなく内転び(鉛直方向に対して内側に傾いた造り)を持つ外壁など、その意匠には注目すべき要素が多い。また、レンガの積み方を工夫することによって精緻な模様と陰影を生み出しており、当時の建築家の技術と美意識は見事。廟の周りを反時計回りに3度回ると願いが叶うと云うP8240369ので皆一所懸命。観光の二か所目はチャシュマ・アイユブ(9:30-9:45)。ヨブの泉の意味で、人々が水不足で苦しんでいた時、預言者ヨブがそこを杖で叩いたら、泉が湧き出たという伝説による。泉は建物の中にあり、建物は水の博物館となっている。泉の水は眼病に効くと云われ、今も汲みに来る人が多いと見えて、泉の前に蛇口が3か所設けられている。備え付けの茶碗もあり、4人組の女性の一人が口にしていたが、大丈夫?。工事中の道悪を10分ほど歩き、三ヵ所目のアルク城へ向かう途中、ボラハウズ・モスクの中庭でトイレ休憩。ボラハウズ・モスクは、前面に彫刻が美しいP824037220本のクルミの柱が並び、軒の正面や天井はカラフルに塗り上げられている。アイヴァンという建築様式らしく、1712年に建立されたブハラ・ハン専用のモスクである。皆がトイレに行っている隙に中へ入ってみる(9:55-10:10)。現在も礼拝に使われている様で、ミフラーブの前に座り祈りをささげる男性が一人、内部は青色と菫色に荘厳されていてブルーラグーン状態、臙脂色の絨毯とのコントラストが美しい。皆と合流してアルク城へ。城の前の広大なスペースはレギスタン広場、10:20分厚くて高い城壁に囲まれたアルク城に石畳のスロープを上って入城する。この城がいつ築かれたかP8240396は定かでないが、ブハラ発祥の地がその辺り、2000年以上前に遡るといわれる。城門をくぐると、左側に獄舎が並ぶ。前面に木の柱が並ぶジャーミー・モスク内を見学してから玉座が据えてある謁見の間へ。そこのテラスに露店を出していた細密画(ミニアチュール)の作家と値引き交渉をしているうちに、ツアーメンバーの皆とはぐれてしまう。はてさて、どこへ行ったものやら、仕方がないので、10:45城門を出てレギスタン広場まで下りてみたがやはり見当たらない(後で聞くと、一番上の博物館見学へ行っていたとのこと)。いやはや困りました。スマホは持っていないので添乗員のEさんに連絡はできないし、広場に屯する現地の人に尋ねても自分の流暢な?英語がさっぱり通じない。緑の制服の警察官もやはり駄P8240401目。さりとてウズベク語やロシア語は話せないし、いやはや弱りました。今朝、ドストンさんが今日一日の予定を話してくれた時のメモには、アルク城の次はカラーン・ミナレットと書いてある。それではと、ガイドブックの地図を見ながら広場を反時計周りに回り込み、フッジャ・ヌラバット通りを東へ歩いてカラーン・ミナレットを目指す。カラーン・ミナレットは高さ46m、町のどこからでも見えるブハラのシンボルである。11:00カラーン・ミナレットとカラーン・モスク、それとミル・アラブ・メドレセに囲まれた広場に着いたが、そこにも仲間は居ない。けれども運良く、同じ阪急社の別のグループと遭遇し、添乗員のTさんに我がグループと連絡を取ってもらう。地獄に仏とはこのこと、ミル・アラブ・メドレセの入口階段に座って仲間がやってくるのをじっと待つことに。Tさん、有難う。待つこと30分、やっと仲間に合流、自分が居ないことに誰も気が付かなかったと聞いてショック、誰一人心配していなかったと分かりダブルショック!。やれやれ。ドストンさんの案内で先ずカラーン・ミナレットを見学、1127年の建立でP8240408内部には105段の螺旋階段があり、以前は上ることが出来たが現在は不可。次いでカラーン・モスクを見学、現在の建物は1514年の建造、ブハラ最大のモスクで中庭は1万人収容でき、金曜礼拝に使われている。回廊やモスク内のミフラーブとミンバル(説教壇)を見てから退場し、次は絨毯工房のブハラ・シルク・カーペット(12:00-12:20)へ。ラクダの毛で織った50㎝X50㎝が最も安く100米ドル、シルクの足ふきマットサイズで10万円~60万円とピンキリ。結局、お茶をご馳走になっただけで誰も購入せず。昼食をとるため、有名レストランのドロン(Doron)へ向かう。(続く)

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ザルガロン・プラザ(ブハラ)

2018年8月23日(木) 18:00ブハラでは最高級ホテルのひとつとされる4つ星のザルガロン・プラザ(ZARGANON PLAZA P8230313HOTEL)到着、309号室に入る。防犯対策なのか、それとも余程治安が悪いのか、部屋の窓は小さくベランダがない。ウズベキスタンのホテルは閉所恐怖症の人には堪えるかも。同じ四つ星でも昨日までのホテルよりずっと高級、ゆったりした部屋にセミダブルベッド2台、書き物机と椅子、丸テーブルに椅子2脚、TV(SAMSUNG)、冷蔵庫(ミニバー)、セーフティーボックス、電気ポット、ネスカフェのインスタントコーヒー、紅茶と緑茶のバッグ、500ミリリットルのMWが1本、更にティッシュボックスとスリッパ迄ある。浴室には浴槽と洋式便器の他にビデがあり、ドライヤー、シャンプー、バスジェル、石鹸がP8240328備えてある。トイレの水勢は弱く水量も少ないのでペーパーは流せないけれど。今日、明日とこのホテルに2連泊。ロビーに集合しレストランで夕食(19:00-20:00)をとる。前菜(牛肉、トマト、キュウリ、香菜の和え物)、ポタージュスープ、牛肉のサイコロステーキ、ケーキ&アイスクリームを食べ、サルバスト(SARVAST)の中瓶を飲む。食後、近くのスーパーKORZINKAへ見学と腹ごなしを兼ねた散歩へ行く。夜の街でも治安は良さそう、不安は感じない。品揃えはまずまずだが、アルコール類や干しブドウなどは置いていない。ソーP8240330セージの種類は非常に豊富。食用油の棚にはヒマワリ油(1リットル300円)がずらり、綿花油は見当たらない。と云うことは、ホテルやレストランで料理に使っている食用油はヒマワリ油?、日本人は綿花油が合わなくてお腹を壊すと言われているけれど?。アイスバーを買うと1本が約35円、物価は総じて日本の5分の1位の模様。21:00ホテルに戻る。MWを沸かして日清のシーフードヌードルを食べてから風呂に入る。今回はシャワーだけにしたが、熱いお湯がたっぷり出る。さすがは最高級ホテル、よしよし。(続く)

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世界遺産「シャフリサブス歴史地区」

2018年8月23日(木) 5時トイレに起き、まだ眠いけれどそのまま起きてしまう。鶏鳴を久しぶりに聞く。昨夜はぬるく、ちょろちょろしか出なかった湯が、今朝は熱く、しかも勢いよく出る。P82302196:40スーツケースをドアの外へ出し、地階レストランへ。6:45-7:15朝食。クッキー2枚、目玉焼き、焼きソーセージ、ナス炒め、スイカ、桃、梨を食べ、オレンジジュースとコーヒーを飲む。クッキーは旨い。食後に痛み止めを一服、帰国したら又整形外科へ通わねば。8:00出発、朝は本当に爽やかで蒸し暑い日本へは帰りたくなくなる。暫くうとうとしたが、ガタガタ道で目が覚める。窓外を見ると土漠の様な乾燥地帯、樹木は1本も生えておらず、黄色いボサのような低灌木が目立つ。オアシスに近づくと人家と樹木が現れる。山羊、鶏など家畜の姿やロバに乗って牛を追う少年の姿も。一応舗装道路だが中央分離線もないような凹凸道、振動と騒音が激しくメモもとれない。車内も埃っぽく喉がイガイガする。たまらず持参のマスクを装着。インフラ整備はまだまだ、ウズベキスタンの西半分は砂漠P8230228地帯で人口密度も低い。道沿いにホテルやレストランはなく、ガソリンスタンドすら見当たらない。これでは青空トイレもやむなし。河が現れ一気に緑が濃くなる。集落には学校らしき建物も。また、切妻屋根を持つ民家も点在。川の土手はコンクリートで固めてあるが、水が浸み込むのを防ぐためか。9:40町に入り、初めて信号ストップ。ガソリンスタンド(GS)のトイレを借りて休憩(9:45-10:00)、有料1000スム(16円)也。給油スタンドには長蛇の列、外の日差しは強烈、汗が出ないので余計暑い。GSの緑地にオシロイバナ、ダリア、バラ、ヒルガオが咲き、橙色のミニトマトが実っているが、植物はなべて元気がない。シャフリサブスまであと25㎞。今回のツアーメンバー18名の内訳は、男性5名、女性18名。男性は自分も含め5名すべてが一人参加で最長老P8230233は85歳。女性は一人参加が3名、母娘が2組、友人の2人組と4人組の構成。いつもだと辺境旅行は、棺桶に片足を突っ込んでいるような年寄りの寄せ集めでさっぱり意気が上がらないが、今回は珍しく若い女性が3人、若い男性が1人居る上に、毎日お召替えして現れるので華やかで活気がある。有難い。今日の観光には3か所でカメラ撮影料が必要とのことで、ドストンさんが一人1万スム(160円)づつ集金する。10:35シャフリサブス到着、シャフリサブスはティムールの生まれ故郷として有名で、また、「緑の街」と呼ばれるほど緑豊かなオアシス都市して知られている。午前中一杯徒P8230243歩観光となるので、生茶のペットボトルを持ち、日傘代わりに使う折り畳みの雨傘を持つ。先ずはアク・サライ宮殿跡へ。日差しは強烈、最低でもサングラスとつば広帽子は必要である。ティムールは帝国を築くと、シャフリサブスをサマルカンドに次ぐ第2の都市として多くのモスクやメドレセを建造したが、アク・サライ(白い宮殿の意味)は彼が残した最も壮大な建造物、但し現在は入口アーチの残骸だけが残る。現存のアーチの高さは38mだが、崩壊前は50m以上の高さがあったと云う。アーチを通り抜けて、次のドルッティロヴァット建築群へ向かP8230255う。アク・サライ宮殿跡は大公園に整備されており、中央に巨大なティムールの青銅製立像が建つ。4年前に民家を立ち退かせて造成したとのこと、公園の外縁に瀟洒な住宅が建ち並ぶ。途中、若いカップルから一緒に写真に入ってくれるよう頼まれる。南インドでも経験したことだが、ウズベキスタンでも日本人はもてもて、まあ悪い気はしない。イパク・イリューリ通りを南下すること10分、ドルッティロヴァット建築群は、「瞑想の家」と呼ばれるティムールゆかりの建造物、中庭に入るとウルグベグが建てた青いドームのコク・グンバス・モスクに向き合って二つの廟が並んでいる。右側のP8230265_2グンバズイ・サィーダン廟(1437年建立)はウルグベクが子孫のために建設したもの、左側のシャムスッデン・クラル廟(1374年建立)はティムールが建造したもので、彼の父とその指導者シャムスッデン・クラルが葬られている。コク・グンバス・モスクに入って天井ドームのアラベスク紋様を眺めた後、シャムスッデン・クラル廟にも入場。後者の内部は足場を組んで修復中で、3人の職人が奮闘中。三ヵ所目はドルッサオダット(大いなる力の座の意味)建築群、ドルッティロヴァット建築群から徒歩5分。22歳で夭折した長男のためにティムールが建てたジャハンギール廟などの建築群である。樹齢650年のプラタナスの巨樹が三本屹立するハズラティ・イマーム・モスクの中庭を抜けると日干しレンガ造りのP8230278ジャハンギール廟が見えてくる。廟内には入らず、脇のテラスを通り抜けて、ティムール廟跡の墓室へ直行。ティムールが自分のために用意したものであるが、彼はサマルカンドに葬られたため、使われないままに石棺だけが地下6mの墓室にひっそりと安置されている。12:30ようやくバスに戻る。車内は冷房が良く効いて極楽、極楽。ホテルDILMUROD BOBOに着いて昼食(12:40-13:45)、日本人団体ツアー客御用達の店らしく何かと行き届いている。前菜(トマト、キュウリ、牛肉の和え物)、お粥、牛肉とカボチャの煮物、丸ごとのトマトとキュウリ、フルーツ(桃、プラム、ブドウ、スイカ、メロン)が出たが、料理は日本人向けの優しい味付け、特にお粥にはほっとする。ストリチノエの中瓶を飲む。やや軽いが冷えていて美味い。女将は日P8230290本語ぺらぺら、普段は教師で、夏休み期間中だけホテルと食堂を切り盛りするそうな。13:50バスに戻りブハラへ。うとうとして目覚めると15時過ぎ、エアコンが効きすぎて半袖シャツでは寒い。道路は幹線高速道、右へ分かれる道に入ると景色は一変し乾燥平原へ突入、車窓に映る景色が途端に単調になる。建売住宅のような全く同じ作りの建物は政府が用意した公務員住宅とのこと。GSでトイレ休憩(15:55-16:10)、有料1000スム。乾燥し過ぎと埃で手がざらざらする。ドストンさんの話では、天然ガスの80%はブハラ州で生産され、ロシア、カザフスタン、中国へ輸出されている由。メタンガスの方がガソリンより安い(メタン1リットル77円)ので、ガソリン車より改造メタン車の方が多く走っているそうな。そう言われれば、ガソリンスタンドには2種類あり、「BENZIN」と「METAN」の看板を掲げている。天然ガス、石油関係の工場が時々視界に現れる。そうこうするうちに、18:00今宵の宿ZARGARON PLAZA着。(続く)

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サマルカンド観光(2) レギスタン広場他

2018年8月22日(水) 14:10昼食を終えてバスに戻り、午後の最初の見学先はウルグベク天文台跡(14:30-15:00)。チュパン・アタという丘の上にあり、1908年にロシア人の考古学者ヴィヤトキンによって土に埋もれた遺P8220148構が発掘され、その存在が明らかになった。丘上の広場に、巻物を持った大きなウルクベクの座像が建ち、その前で新婚の花婿・花嫁と親族が写真撮影をしている。天文台跡は丸い基礎部分と六分儀の地下部分だけが残っており、六分儀の地下部分は筒状の建物で覆われ保護されている。入口から入って見学すると巨大な設備である。六分儀の弧長だけでも63m、天文台の建物の高さは11mの地下部分を合わせると40mの高さがあったと推定されており、現在の天文台に勝るとも劣らぬ巨大な観測施設が造られていたらしい。そこでP8220152の観測をもとに、ウルグベクは恒星時1年間を365日6時間10分8秒と推測したが、今日の精密機械で測られたそれは365日6時間9分9.6秒で、誤差は1分にも満たない。多分、ペルシャなどから招聘された著名な学者達が観測や計算に従事したのであろうが、望遠鏡もない時代に、あのガリレオの100年も前に、どうやって正確な数値を割り出したのか、天文学や星に全く疎い身には不思議と思う外はない。ティムールの孫ウルグベク(1394-1449)は為政者と云うよりは学者、偉大な天文学者&数学者であったようだ。天文台跡の向かい側に建つ博物館にも入場する。内部は2区画に分かれており、一方にティムール帝国の歴史とウルグベクの功績に関する資料が、他P8220165方に天文台の復元図など関係資料が展示されている。次はコニギルメロス紙漉き工房(15:10-15:50)、サマルカンド郊外にある広い敷地内には動力用水車(木の皮の繊維を搗いて砕く工程に利用)を回すために2本の水路が引き込まれ、白い幹のポプラの葉が風に揺れて涼やか。751年タラスの戦いで捕虜となった唐兵のなかに居た紙漉き職人から製紙法が伝えられ、8~9世紀のサマルカンドは中近東一の大規模な紙の生産地となった。サマルカンドペーパーは桑の木の皮を原料にしていたことと、仕上がった紙が絹のような光沢を持つことからシルクペーパーと呼ばれ、その高い品質から王の紙(スルP8220167タン・ペーパー)とも呼ばれていたが、19世紀半ばまでに西洋紙に押され生産は廃れてしまった。コニギルメロス紙漉き工房はサマルカンドペーパー再興のために1998年に建てられたもの、昔ながらの製紙工程が見学できる。①乾燥させた桑の枝を釜茹で、②茹で上がった枝の皮剥ぎ、③表皮繊維を柔らかくなるまで臼で搗いて団子状態に、④団子を水に溶かして紙に漉く、⑤剥がして風乾、⑥仕上げは石や角で紙の表面を擦って毛羽を取り除きつるっつるに。それにしても、表皮剥きしている女性は2人ともとびっきりの美人、看板娘?。温かい緑茶と飴の接待もあり、緑陰のテラスに幾台も置かれたテーブルに座ってのんびりする。トイレが無料なのも有難い。15:50バスに戻り、サマルカンドの中心、レギスタン広場へ移動。途中、広大なトウモロコシ畑が広がる。街中にはキリル文字P8220186の看板は殆ど見かけない。どんどん撤去されているそうで、二年前に親ロシア派の独裁者、カリモフ大統領が死去して以来、ロシア離れが進んでいる。16:05レギスタン広場到着、3つのメドレセ(神学校)がコの字型に建ち、とにかく広い。中央は1660年建立のティラカリ・メドレセ、左は1420年建立のウルグベク・メドレセ、右は1636年完成のシェルドル・メドレセである。中央広場で各メドレセの由緒をドストンさんから聴く。ウルグベク・メドレセは学者でもあったウルグベクの建造、自ら教壇にも立ったといわれている。入り口アーチにP8220206は、青い星をモチーフにした紋様が描かれている。シェルドル・メドレセは「ライオンが描かれた」メドレセの意味、イスラムのタブーを破って、入口アーチに小鹿を追うライオン(虎?)が人面を帯びた日輪を背に描かれている。最初にティラカリ・メドレセに入場、中庭に入り左側の青のドームの礼拝所に入ると、内部は黄金をふんだんに使って豪華に荘厳されている。まさしくティラカリ(金箔されたの意味)の名にふさわしい。カリモフ大統領の葬儀もここで行われた由。次いでウルグベク・メドレセの中庭に入る。1階は全て土産物屋、その中の一軒、レギスタン・タイル工房に入り、店主にマヨルカ方式とモザイク方式のタイル装飾技術を教えてもらう。最後に、シェルドル・メドレセの中庭に入り、ウズベキスタン観光協P8220215会歓迎プログラム「サマルカンドの夕べ・第一部」を楽しむ。観客は日本人のみで100~120人位か、チャーター便に乗り合わせてきた団体ツアー客である。音楽とダンスのショーで、民族楽器(ドイラ、カルナイ、スルナイ、スィピズガ、チャング、ギジャック、ルポブなど)の演奏と、民族衣装をまとった男性や女性のダンサーによる各地方地方の特色ある踊りが次々と披露される。総じて旋回舞踏が多い。竹馬踊りもある。デジカメの電池が切れてしまい、予備を持ってこなかったのは大失敗。18:45バスに戻り夕食へ。ニューアルバットレストラン(New-arbat Reestaurant)で夕食(19:10-P822021720:25)。米が入った辛いスープ(マスタヴァ?)、ミンチ・シャシリク(牛、鶏、羊肉)、リンゴパイを食べお茶と水を飲む。20:30バスに戻り再びレギスタン広場へ。21:00-21:30、歓迎プログラムの続きの「第二部・青と光のショー」を楽しむ。広場正面のティラカリ・メドレセの壁面を利用し、プロジェクションマッピング手法で人類の歴史&ウズベキスタンの歴史を映し出す。我々日本人団体客のみ特別待遇で最前列椅子席、欧米の観光客を含む一般の人はずっと後ろの柵の外で立ち見、申し訳ない。ショー自体は華やかだが騒々しいだけで何てことはない。但し、ライトアップされたレギスタン広場の美しい景色を写真に撮り損ねたのは誠に残念。21:45ホテルに戻る。(続く)

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