446.九鬼山

2009年11月7日(土)、歩程4時間、単独    7:30家人に南柏駅へ車で送ってもらう。ホリデーパスをDsc00757購入し7:42の電車に乗る。 新秋津駅で8:44発のホリデー快速河口湖行きに乗り換える。昔の特急型電車で懐かしい。幸運にも座ることが出来楽々、10:08富士急行線禾生(かせい)駅に着く。トイレを借りてすっきりしてから出発、愛宕神社コースを登る。相変わらず松くい虫の被害を受けたアカマツの倒木がごろごろ横たわる。11:05池の山コース合流点(標高690m)、そこからきつい急坂を登り天狗岩分岐(840m)に出る。天狗岩からの眺めは捨てがたいが、今日はパスして先を急ぐ。その先も急坂は続くが、尾根を渡る涼しい風に助けられる。11:40登りきって富士見平(960m)に出る。残念ながら富士山はDsc00759霞の中に隠れ、三つ峠山などごく近くの山しか見えない。山仕事5人衆がお昼を食べており、言葉を交わすと道普請とのこと、有り難く頭が下がる。11:45九鬼山頂上(970m)に着く。 三度目の山頂であるが九鬼山に特に思い入れがある訳でもなく、秀麗富嶽十二景(大月市選定)の山頂から富士山を眺めたい訳でもない。単にアカモミタケを採りに来ただけであるが、例年だと10月末が盛期、京都に出かけているうちに一週間も過ぎてしまい、遅かりし由良の助かも。パンとチョコを食べ一服する。二等三角点に触れてから下山開始。下りは一気呵成、12:20池のDsc00777山コース分岐に着く。そこから田野倉駅へ続く池の山コースに入る。モミ林が続くが、紛らわしい色の落葉が 深く積りアカモミタケは全く見つからない。四等三角点の池の山(638m)から少し下ったところで漸く2本見つける。その後もモミの木の周りを覗き覗き下りぽつりぽつりと採取する。やはり盛りは過ぎたのかと思いきや、きのこ採りのご婦人が2人先行しているではないか。2人とも寸分隙のない身のこなし、既に重そうな袋を肩に掛けている。やれやれお目こぼしとは・・・、地元の名人には到底叶わない。それでも何とか近所にお裾分けできるくらいの本数を確保する。14:20田野倉駅(410m)着、大月行きの電車にぴたりと間に合う。17:40帰宅。

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445.高山

2009年10月17日(土)、歩程3時間、同行妻   9:00日光レークサイドホテルをチェックアウト、竜頭の滝駐車場に行くと早くも満車で車が行列を成している。Dsc09743竜頭ノ滝の滝上無料駐車場(標高1,355m)に何とかスペースを見つけて車を入れる。今日は1年ぶりに山に登る妻を同行するので軽めのコース、中禅寺湖と戦場ヶ原の間に聳える高山に登る。山頂との標高差は310m、何とかなるであろう。道標に従い山頂まで2.4㎞の道に入る。最初はカラマツの林を緩く登って行く。初めて歩くが静かなコースである。殆どのハイカーは戦場ヶ原・湯ノ湖コースへ向かい、こちらには誰も登って来ない。同じ奥日光とは思えないほどひっそりしている。高度が上るに従い紅葉が鮮やかになる。木立の間から右に草紅葉の戦場ヶ原、Dsc09728左に青い湖面の中禅寺湖が望める。上部はブナ、ミズナラ林でシャクナゲも多い。ナナカマドの実が真紅に色付き、シラヤマギクが散り始めた山中には早くも晩秋の気配が漂う。太いミズナラの立ち枯れにヤマブシタケが4個出ている。高い所で手は届かない。山頂近くになるとダケカンバが多くなる。 標高1,630m附近から眺める戦場ヶ原の景色は、背景の中央に太郎山、左右に山王帽子山と大真名子山・小真名子山を配し実に素晴らしい。10:40山頂(1,668m)に着く。三等三角点があり、正規の(?)の山名板の他に、「栃木の山紀行」と「栃木の百名山37座」を含む3枚の個人山名板が立木にくくりつけてある。 山名標識のない藪山ならともかく、Dsc09765_2開けた山では少しうるさい。男性2人組が先着しており、 これから中禅寺湖畔(熊窪)に下って湖岸を歩き、竜頭ノ滝臨時駐車場に戻るとのこと、なるほど山頂ピストンより魅力的である。なだらかな山頂はカラマツ、ダケカンバ、ミズナラ、ミネカエデなどの樹木がまばらに生え、紅葉黄葉が美しい。一服してから下山、途中で登ってくるハイカー6人とすれ違う。12:10滝上駐車場に戻る。リュックを車に置いて竜頭ノ滝園地を散歩、竜頭之茶屋でみたらし団子を食べる。滝の周りの紅葉はいまいち、今年は褐色が勝りやや鮮やかさに欠ける。13:00車に戻り、光徳牧場へ。名物のソフトクリームを食べ牛乳を飲む。チーズケーキを買って出発、帰路は金精峠を越えて沼田へ出る。途中、丸沼湖畔に寄り道したり、国道120号線沿いの露店でムキタケを購入したりする。関越道はさしたる渋滞がなかったが、三郷の江戸川を渡る橋が大渋滞、1時間もロスして20:00ようやく帰宅。

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444.筑波山(筑波高原キャンプ場コース)

2009年10月13日(火)、歩程2時間半、単独   9:30足慣しときのこ観察を兼ねて筑波山へ出発。牛久市内に入り以前から気になっていた小川芋銭(おがわうせん)・河童の碑を見学するため寄り道する。Dsc0957710:30牛久沼の畔に到着、芋銭を顕彰する「河童の碑」と最晩年の居宅兼画室の「雲魚亭」を見学する。小川芋銭(1868-1938)は高名な日本画家、牛久市の誇る郷土の偉人である。再び筑波山へ向かう。 今日は筑波高原キャンプ場から女体山頂をピストンするつもりなので、筑波ユースホステル跡へ登る林道の途中から左折する。12:20筑波高原キャンプ場(裏筑波野営場)の第一駐車場到着。既に標高500m、旧真壁町(現桜川市)が整備したキャンプ場であり、山頂へ向かう登山道の両側に可愛いバンガローが建ち並ぶ。今日は管理棟にもバンガローにも人の姿はなくひっそりしているが、Dsc09580昨日までの3連休中はさぞかし賑わったことであろう。山頂まで1.6㎞、50分の道標が現れ、「レクリエーションの森遊歩道」と名付けられている。薄暗いヒノキの植林地を緩く登っていく。林床にはミヤマシキミが多く、実が紅く色付き始めている。きのこの姿は殆ど見当たらず、キホコリタケの幼菌とクリゲノチャヒラタケを辛うじて見つける。 標高700mを越えるとブナ、ミズナラ、シナノキ交じりの広葉樹林帯に変り林床も笹になる。腐朽した切株周りにハゴロモイタチタケ(?)を、倒木にニガクリタケの大群生を見る。13:20たちまち女体山頂上(876m)に到着する。登山者や観光客が入れ替わり立ち代り登ってくる。Dsc09605平日といえども筑波山は人が多く、御幸ヶ原までケーブルを利用すると徒歩15分で山頂とあれば仕方がない。岩陰で一服する。今日は一ヶ月前に来た時よりもガスが濃く、遠方はおろか霞ヶ浦もはっき りしない。13:40下山開始、帰りは筑波ユースホステル跡へ下る。帰りも所々で林内に入りきのこを探すが全く見当たらない。14:15ユースホステル跡広場に着く。広い駐車場に車は1台のみ、裏側から登る人は少ないようである。そこから舗装林道を下る。裏筑波野営場入口にさしかかると漸くカラカサタケの幼菌を3本発見、初見の種類との嬉しい出逢いである。試食用に採取する。14:50車に戻り、酒寄ミカン園経由で県道に下る。朝と同じ道を使い17:15帰宅。

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443.大東岳

2009年10月5日(月)、歩程7時間半、単独   超大型台風18号が接近しつつあり天気は下り坂、Dsc09206 今日はまだ曇りの予報なので近場の山へ。7:25出発、8:25仙台市秋保ビジターセンター(標高380m)着、駐車場に車を駐めさせてもらう。仙台の岳人は山が近くて幸せである。表コースと裏コースが分岐する登山口広場に先着車が4台、3台は宮城ナンバーであるが1台はなんと土浦ナンバーである。「クマがいます」の看板を見て熊避けの鈴を付ける。山頂まで5.3㎞の表コースに入り、きのこ観察をしながらゆるゆる登っていく。一番目立つのは純白のスギエダタケ、今が盛りで沢山出ている。アイバカラハツモドキ、アシナガタケ、キサマツモドキ?、ヒイロガサも見つける。9:05小滑沢を渡渉、アカチシオタケ、ニガクリタケ、Dsc09259ハイイロイタチタケをチェックしながら前進する。9:30二合目(530m)、 切株にナラタケが群生しているが老菌で手遅れ。ブナの立枯れには終わりかけのツキヨタケと手遅れのナラタケが群生している。傍らのブナの倒木にブナハリタケとムキタケが出ているのを発見。時期尚早で殆どが幼菌、きのこ汁用になるべく大きめのムキタケを選んで採取する。9:54立石沢を渡る。標高620m、山頂まで3㎞地点である。その直ぐ上が三合目、漸く傾斜が増し高度を稼ぐようになる。10:20四合目(815m)、附近はカラマツ林となりシロヌメリイグチを1本見つける。Dsc09277_2 ハナイグチを探してみたものの全然見つからない。10:30五合目(880m)、船形連峰展望所の案内があるが、カラマツが育って見晴らしは余り良くない。それにしても合目石は何を基準にしているのか、 標高ではなさそうだし、どうもよく分からない。そこから尾根道になり、イタチナミハタケ、スギヒラタケ、モエギビョウタケを見る。野尻分岐を右に分け10:46六合目(985m)、10:51図標点(1,019m)、その先でクリタケを見つけ喜んで採取する。風が出てきて涼しくなる。11:07七合目(1,100m)こぶし平、漸く山頂が見えてくる。11:15東清水分岐(水場まで100m)、登山道にブナの実が散らばっておりウスキブナノミタケとホオベニタケを見つける。11:30八合目(1,180m)、Dsc09318_2 そこから「鼻こすり」と名付けられた最大難所の胸突き八丁が続く。 11:45登り切って九合目(1,245m)に着くとへとへと。紅葉は未だ五分くらいか、山頂近くに来ても鮮やかとは言えない。下山してくる女性2人組と言葉を交わし、きのこ談義で盛り上がる。オツネンタケモドキとクヌギタケも見つける。12:10大東岳山頂(1,366m)に着く。11年振り(前回は1998年10月3日)四度目の登頂である。一等三角点や石祠・石碑は昔のままであるが、新たに四角い方位盤が設置されている。生憎遠方の山は霞んでおり船形山が漸く確認できる程度、朝日連峰や月山、鳥海山はおろか栗駒山も覚束ない。近くの北面白山だけは良く分る。 山頂を独り占めしラスクを食べて一服する。12:25下山開始、Dsc09354 裏コースは8.4㎞の長丁場である。南側に緩く傾斜した台地状の広い山頂を下っていくと、南面白山、小東岳、仙台神室、山形神室など県境の山々が現れる。山頂を振り返ると一応紅葉が進んでいる。12:45第二の難所である「弥吉ころばし」の急坂にかかる。標高差にして100m余を急降下、齢を取るとこういう場所で時間がかかる。沢の中の倒木に大型のナラタケが群生しているのを見つけ、新鮮なものだけ採取する。がくり沢を渡渉(855m)し、13:55樋の沢避難小屋(735m)に着く。2階建て床張りの立派な小屋で、優に30~50人は泊まれそうな感じ。そこから大行沢に沿う水平道を歩くようになり楽になる。14:15北石橋分岐(680m)、Dsc09232 クリタケとムキタケを見つけ追加採取する。一々立ち枯れや倒木に目を当てて行くので行路がなかなか捗らない。14:50ケヤキ沢渡渉(655m)、15:00京淵沢渡渉、15:05梯子滝展望所(595m)、そこから対岸に裏磐司の大岩壁が連続する。木立が邪魔しよく見えないが紅葉には少し早い。15:15雨滝を過ぎると道は更に歩きやすくなり、高度をぐんぐん下げて沢に近づく。秋の日は短く薄暗くなってくる。15:30白滝入口(450m)、その先で幅広の林道(遊歩道?)に変る。15:56ようやく登山口に出ると車はもはや1台もない。又もオーラス、16:00ビジターセンターの駐車場に戻る。時間が遅いので二口温泉磐司山荘の日帰り入浴を諦め、秋保大滝不動尊参拝もパスして直帰する。17:10帰宅、シャワーを浴びてさっぱりしてから、生協榴岡店へきのこ汁の材料(里芋、ネギ、豆腐、味噌、ダシの素)を買いに出る。

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442.筑波山(薬王院コース)

2009年9月14日(月)、歩程3時間半、単独Dsc08774   10:15筑波山へ向け出発。12:20椎尾山薬王院の先にある登山者用駐車場に車を駐める。 先着はバイク2台のみ。登山口(標高190m)の看板に筑波山山頂まで2,960mとある。数ある筑波山登山道の中では最長かもしれぬ。一人若い人が駆け足で降りてくる。登山道は良く整備されているが歩く人は少ないようである。空ではミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き較べ、地ではヤブランとミズヒキの花の競演、きのこ観察をしながらゆるゆる登っていくと先ずシラタマタケを見つける。12:40筑波山・椎尾山分岐(標高250m)を右筑波山へ。笹藪の中にチチタケ属のきのこの群生を見る。Dsc08799 アカマツの倒木にはヒメカバイロタケが大発生し、ツガサルノコシカケの白く厚みのある幼菌も生えている。次第に道の傾斜が増す。姿形の良いナカグロモリノカサが1本立っている。関東の低山はまだまだ蒸し暑い。13:08車道を横切る。標高420m、山頂まで1,622m地点である。標高500m位から丸太の急階段になりそれが延々続く。きつい!(帰りに数えてみると約800段、標高差にして200m)。お陰で高度をぐんぐん稼げる。 途中で後続の男性に抜かれる。漸く急階段が終わり、山腹を巻くように登ると男体山山頂が見えてくる。附近はシラヤマギクの花盛り、Dsc08820アラゲコベニチャワンタケとニガクリタケを見る。13:52標高720mで自然研究路に合流する。山頂まで480m、薬王院から2,580m地点である。風が通り漸く涼しくなる。14:00御幸ヶ原(775m)、いつの間にか真新しい公衆トイレが出来ている。入ってみるとホテル並みの高級感、山には不似合いな立派な施設である。 加波山や関東平野を眺めた後ベンチに坐り一服、栗ご飯のお握りを食べる。今日は日光などの遠くの山々や太平洋は霞んでいて見えないものの、爽やかな好天が実に心地好い。14:30女体山山頂(876m)に着く。山頂に建つ女体山神社の玉垣や神橋まで真新しい。昨年9月にDsc08835改修したものらしく、あれもこれも筑波エクスプレス効果と見える。山頂に、「平成二十一年熊野修験 奉修行常陸国筑波山 入峯天下泰平如意祈攸 七月吉祥日 那智山青岸渡寺」と書かれた御札が納めてある。今年も熊野の修験者が関東一円の山を経巡っているものとみえる。今日は珍しく霞ヶ浦が良く見える。水田と思しき平野のあちこちから煙が立ち昇っているのは稲藁焼きでもやっているのであろうか。15:00御幸ヶ原に戻る。今日は遅いので男体山頂をパスし一気に下山する。16:00駐車場着、結局今日薬王院コース上で出会ったハイカーは僅かに3人、数ある筑波山登山道の中で最もハードと思われ、歩く人が少ない訳である。往路と同じ道を走り18:00帰宅。

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441.白神岳・蟶山(まてやま)

2009年9月2日・3日(水・木)、歩程9時間、単独   (2日)6:00の列車で仙台を発ち、17:34白神岳登山口駅(旧陸奥黒崎駅)着。Dsc08453 そこから歩いて登山口にある休憩舎(標高200m)に着いたのは夕闇迫る18:20、休憩舎は深浦市所有の施設で真新しい。内部は板張りの床部分とコンクリートの土間部分から成り、水洗トイレや洗面所まで付いた立派な小屋である。床スペースだけで30人は楽に泊まれるが、休憩施設なので宿泊しないようにとの注意書きが何枚も掲示されている。傍らの駐車場も広く30~50台は優に駐められる。今日は先着2台が明日に備えて車中泊の体制。携帯電話は圏外のため自宅に連絡を入れることはできず、パンをかじって19:00頃板の間の端に横になる。リュックを枕のごろ寝である。外は満月の月明かりでいつまでも明るく、星も瞬く。明日は上天気のようである。

(3日)0:00頃冷えてきたので雨具を着る。床にごろ寝なので直に体が痛くなり、あちこち向きをかえねばならず殆ど眠れない。 やはりマットとシュラフくらいは持参すべきである。3:00頃起き出しアンパンをかじるもまだ暗い。4:30薄明るくなってきたので出発準備、不要な着替え等をレジ袋に入れ小屋の片隅にデポジット。5:00出発、熊避けの鈴を鳴らしながら行く。直ぐに林道終点の旧登山口広場、入山者名簿を備えた小舎がある。名簿を見ると平日でも10人位は登っている。記帳を済ませて山道に入る。Dsc08600道は緩いアップダウンを繰り返し次第に高度を上げていく。低山とはいえ1,250mの標高差を登り下りせねばならず先は長い。きのこ観察をしながらゆるゆる進む。5:43二股分岐(標高400m)、その先二股コースと蟶(マテ)山コースに登山道は分れる。二股コースは昔からの登拝道であるが急傾斜の健脚者向き、もはや健脚には程遠い身となって、ここは地元推奨のマテ山コースに入る。マテ山コースは昭和58年(1983)に新しく開かれた登山道で頂上の避難小屋もその頃建てられたもの、又、平成5年(1993)に白神山地が世界遺産に登録されてから入山者が増加したのに対応し山頂にトイレも設置されている。5:52最初の水場、水場は小さな流れも含めると何箇所もある。ブナとネズコの森の中の道は山腹を巻くように緩く登っていく。6:32最後の水場(590m)、そこを過ぎると傾斜が増し、張ってあるロープを頼りに前進する。7:17マテ山分岐(810m)、マテ山は帰りに余力があったら登ることにし先を急ぐ。じめじめした平坦な尾根道になり、要所要所に木道が敷設してある。きのこの種類が急に豊富になり、初見のヌメリササタケやヒメベニテングタケに出逢う。Dsc08543  薄雲の中に太陽が覗く天気は暑くなくて助かる。ゆるゆる尾根を登っていくのでなかなか高度を稼げない。標高1,050m附近で突然左側が開け、眼下に日本海と日本海に突き出た黄金崎を見る。素晴らしい眺めである。その先で山頂と避難小屋(実はトイレ)が見えてくる。最後の急坂はリンドウの大群落に慰められる。9:00漸く十二湖コース(大峰分岐)が分岐する稜線地点(標高1,200m)に上る。十二湖コースは崩山附近の登山道の崩壊が進んでいるらしく立ち入り禁止のテープが張られている。山頂まで700m、谷を挟んで白神山地の盟主向白神岳が聳え、間を世界一広大なブナの樹海が埋める。白神岳は長い頂稜を持つ山体、Dsc08564北から南へ辿っていくと、先ず白神大権現を祀る石祠二基と石碑が左側に現れる。早速無事の登頂に感謝してお参りする。その先右手に建つのはトイレで避難小屋より立派に見える。そしてトイレの先に避難小屋が建ち、更に少し先の小高い処が山頂である。9:30とうとう白神岳山頂(1,235m)に着く。一等三角点がありベンチも置かれている。世界遺産白神山地の主峰にして一等三角点峰にしては山名標識が冴えないが・・・。それはともかく山頂は360度の眺望、全く素晴らしい。近くは白神山地の山々とその核心部、西津軽の海岸線と日本海。遠くは、今日は生憎ガスがかかり岩木山の裾野しか拝めないが、条件が良ければ八甲田山や鳥海山、岩手山も見えるのであろう。Dsc08561 ブナ林の眺めは船形山のそれとさして違わない感じを受けるが、紅葉の時期にでもくれば際立つのかも。羽蟻が物凄いので早々に山頂を降り、避難小屋前のベンチで一服する。昨夜山頂小屋に泊まった人が2人、言葉を交わすと、ひとりは水戸市在住の人で自転車ツーリングをしながら東北の山に登っている猛者、もう一人は入間市在住で、秋田市の実家に帰省中の大学生である。避難小屋の内部は3層構造で床にマットまで敷いてある。ネズミが2匹棲みついているらしいが、清潔で居心地良さそう、ここに泊まるのが正解である。別棟のトイレも山中にあるものとしては異例の清潔さ、蝿も虫もいない。9:45下山開始、途中後発組と次々すれ違う。Dsc08586結局、休憩舎に下山するまで12人とすれ違ったが、その中に大学生が4人もいる。皆、頭陀袋にスニーカーの軽装、夏休みを利用して白神岳に登るのが今時の学生のブームとみえる。 11:10マテ山分岐、そこから5分ほど登ると三等三角点が置かれた山頂(841m)に出る。そこで持参してきた水物1リットルが空になる。再び下って行くと、笹の中に見事なタケリタケを5本と、ブナの立ち枯れの根際に巨大なトンビマイタケの重ね傘を見つける。後者の若いうちは可食で美味しいらしいが残念ながら老菌、それでも初見であり嬉しい発見である。11:51最後の水場、旨い!冷たい!生き返る!。ヘビキノコモドキを見たのがきのこ観察のフィナーレで、12:22二股分岐、12:50入山者名簿保管小舎Dsc08605、無事の下山をノートに記す。13:00休憩舎に到着、 寄託品を回収し濡れシャツを着替える。白神岳登山口駅まで下りると次の東能代行きは14:17、無理をすれば今日中に仙台に帰れるが誰も待つ人はなし、近くの民宿に泊まりのんびりする方を選ぶ。岩崎南小学校(廃校)隣の商店で、民宿汐ヶ島(代表山元光治氏、℡:0173-77-2174、青森県西津軽郡深浦町大字森山字松浦71-2)を紹介してもらう。一泊二食付き7,500円(税抜き)は山小屋よりも安い。迎えに来てもらい14:50汐ヶ島着、場所は十二湖近くの森山地区、海岸に奇岩怪石がたち並ぶ景勝地である。早速風呂をもらう。温泉ではないがDsc08616 浴槽に溢れるほどのしんき湯、汗を流してさっぱりする。序に図々しくも洗濯機を借りて汚れ物を全部洗う。何もかもさっぱりしたので森山海岸の散策に出る。日本で二番目に短いという五能線のトンネル、夫婦岩、象岩などの奇岩名勝の数々、茶右衛門館跡、賽の河原、ガンガラ穴などの史跡もある。森山漁港の防波堤上で釣りをしていたお母さんの魚籠を覗くと立派なアイナメが3尾、一帯は藻の生えた磯浜で水はどこまでも澄んでいる。岩にはシッタカがびっしり、豊かな海である。18:00から夕食、お膳には山海の珍味がずらりと並ぶ。ハタハタの熟れ寿司、サザエノ刺身、同壷焼き、各種刺身盛り合わせ、イソモン2種(シッタカとユキノカサ科の一種?)、魚の照焼き、マグロの胃袋、魚卵煮付け2種、海草の蕎麦?、ツワブキの漬物、ナラタケの佃煮など。ご馳走を腹いっぱい食べビール大瓶を空けて、19:00頃布団に入りダウン。

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440.富士山吉田口登山道(富士吉田駅~スバルライン五合目)

2009年8月15日(土)、歩程7時間30分、単独   ほぼ3箇月ぶりの山歩き、今夏初めて天気が安定したので、きのこ観察を兼ねて富士吉田駅からスバルライン五合目までを歩きに行く。4:30起床、家人にお握り5個を作ってもらい南柏駅まで送ってもらう。ホリデーパスを買い5:58の電車に乗る。いつものように新松戸、西国分寺、高尾で乗り換え、9:30富士吉田駅着。Dsc07918 お盆期間とあって電車は空いている。晴れの予報であったが富士山麓は曇っている。富士吉田駅の海抜は850m、五合目(標高2,300m)までとはいえ1,450mの標高差を登らねばならず、結構なアルバイトである。国道139号線を富士山へ向かって真っ直ぐ登っていく。道の両側には信仰登山華やかなりし頃の宿坊が並ぶ。東京豊松講社指定の小佐野家住宅(文久元年建築)のように、今では国重要文化財に指定されている宿坊もある。富士スバルラインが開通して以来、富士吉田から登拝する諸講も廃れた筈、今に残る宿坊はどうやって生計を立てているのであろう。そんな事を考えながら歩くうち、10:00富士浅間神社に着く。富士山の北口本宮だけあってさすがに立派な神社である。社殿の左右に富士太郎杉と富士夫婦檜が天を突いて聳え立つ。神社の由緒から推察すると、どちらも樹齢は800年ほどか。御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天津彦々火瓊々杵命(あまつひこひこほのににぎのみこと)、大山祇命(おほやまつみのみこと)の三柱である。お参りしてから拝殿横の石段に坐りお握りを2個食べる。そして社殿右手後の登拝道に入る。日本武尊が富士山を遥拝した蹟とされる大塚丘の先で右折、吉田口遊歩道に入る。Dsc07956吉田口遊歩道は平成18年、諏訪の森を通る1.4㎞が通行可能となり馬返し迄遊歩道が繋がったもの、富士山の今後の世界遺産登録を意識して「富士山再発見の道」と名付けられている。 アカマツ交じりの雑木林はしっとりと湿っている。きのこ発生には最適の環境と思われるが、アセタケ属、オオホウライタケ、コウジタケ、ハチノスタケ、モリノカレバタケくらいしか見つからない。その代わりミヤマイチゴ(バライチゴ)が群生しており、その紅い実を食べて喉を潤しながら前進する。多くはないがクロイチゴもある。11:40中の茶屋(標高1,100m)、名物の蕎麦を食べることなく先を急ぐ。茶屋の傍らに「きのこの碑」なる石碑が建ててある。きのこ供養の為にきのこ愛好家有志が建てたものであろうか。中の茶屋を過ぎると漸くきのこの種類も多くなる。Dsc08019 クサハツ、モリノカレバタケ、ザラエノハラタケ、フクロツルタケ、キサマツモドキ、タマゴテングタケモドキ、ドクツルタケ、オキナクサハツ、トキイロヒラタケ、アワタケ、ワタカラカサタケ、キアシグロタケ、シロケシメジモドキなどが現れる。13:20漸く馬返し(標高1,450m)に着く。そこから先は「歴史の道百選」に選ばれている富士山吉田口登山道が始まる。登拝者は昭和の初めまでは馬で、1929~1964年の間はバスで馬返しまでやって来たという。左右に猿像が立つ石造鳥居をくぐると禊所跡に出る。人々がお祓いを受け身を清めた場所である。13:35幅広の登山道を緩く登って一合目(1,520m)の鈴原天照大神社に着く。そこにもお参りして先へ進むと、バライロウラベニイロガワリ、アカヤマドリ、テングタケ、ヒメカバイロタケ、クロハリタケ等が現れる。14:15二合目(1,700m)の富士御室浅間神社に着く。崩れかけた参籠所があるだけで、本殿は麓の勝山村に下ろされているが、富士山中で最初に建設された由緒ある神社とのこと。江戸時代、女性は此処止まりでこの先は女人禁制であったと云う。久し振りなので全くピッチが上らず、後続の登山者に次々追い抜かれる。立ち話をすると、富士吉田駅から五合目までを歩く人もあれば馬返しから山頂をピストンする人もいる。 Dsc08069下山してくる人は結構多く、殆どが馬返しから山頂を往復する豪の者、皆若い。ウラグロニガイグチ、フジウスタケ、クリカワヤシャイグチ、ミドリニガイグチ、カバイロツルタケなどの写真を撮っては一息入れるの繰り返し。14:50三合目(1,840m)の中食堂(三軒茶屋跡)に着く。江戸時代から茶屋(山小屋)があり見晴らしの良い所だったらしい。早朝に麓の上吉田を発ち、ここで昼食をとることが多かったので中食堂と呼ばれたもの、今はシラビソが大きく育ったため見晴らしは無く、茶屋も廃屋である。標高が上って大分涼しくはなったがバテバテのヘトヘト、小さな段差も脚が上らない。15:25やっと四合目(1,960m)の大黒天に出る。以前そこには一軒の茶屋があり、屋内に古くから大黒天像を祀っていたことから大黒屋或いは大黒小屋と呼ばれていたとのこと、Dsc08092又、江戸時代には三合五勺といわれた所である。辺りはシラビソやコメツガ林、その林床は苔に覆われ、きのこには絶好の環境である。ベニテングタケ(黄色型)、クロハツモドキ、クロハリタケを見ながら進むと四合五勺(2,040m)の御座石に着く。時刻は既に15:50、休憩宿泊所(休業中)の左手に御座石と呼ばれる大岩が聳える。江戸時代以前は女性はここまで登ることが許されており、「女性禅定の追立」の場とされていた所である。ヤマイグチ、ハリガネオチバタケ、カラマツベニハナイグチ、フサクギタケなどを観察しながら前進を続けると、16:13五合目(2,120m)の中宮に着く。そこで見事な色合いのミヤマベニイグチを見つけたのがきのこ観察のフィナーレ。江戸時代には四軒の連続する山小屋があり、総称して中宮役場と呼Dsc08123ばれていたとのこと、それぞれの小屋で登山者から山役銭(入山料)を徴収していたらしい。 中宮役場の先には江戸時代まで中宮社があり、浅間・大日・稲荷を祀っていたとのこと、今は申し訳程度の小社が建てて ある。16:30漸く車道(細野尾林道)に出て一服しお握りを食べる。車道を右に歩くと五合目の標柱(2,305m)が現れ、脇の石段を昇ると佐藤小屋の前に出る。居合わせた小屋の御主人に記念写真を撮ってもらう。17:10富士スバルライン五合目着、これで富士山吉田口を麓から山頂まで歩いたことになる。広場はこれから登る人、下山してきた人、五合目止まりの観光客が入り混じり大混雑、次の河口湖駅行きバスを確かめると17:55である。バス停にリュックを置き、無料休憩所へ行ってシャツを着替える。麓の駐車場行きのシャトルバスは沢山来るのに河口湖駅行きは1時間に1本のみ、お陰でバスは超満員である。それにしても往復2,000円、片道1,500円の料金設定には釈然としない。この路線が富士急山梨バスのドル箱であることは分るが・・・。河口湖駅の売店でお土産にふくじゅ芋を買い、19:14大月行きの電車に乗る。

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439.小柴山

2009年5月26日(火)、歩程3時間30分、単独   2日連続の山歩きに10:00出発、行き先は宮城山形県境の小柴山とし、Dsc06374 鬼首温泉をカーナビの目的地に設定する。 目的地まで86km、一般道で2時間ちょい、仙台は山が近い。大衡からR457に入り、色麻町、岩出山町(現大崎市)を通る。11:45道の駅池月で休憩。県道最上鬼首線を登り、12:50登山口の花立峠(海抜796m)に着く。県境の花立峠には既に10台ほど先着車が駐めてあるが、殆どが禿岳登山者のもの、ちょうど一人下山してくる。古川市から来たという老師で、日本百名山と都道府県最高峰完登を目指しているとのこと、尋ねられるままに千葉県の最高峰愛宕山の情報を提供する。それにしても、県内にも隣県にも素晴らしい山がDsc06376 沢山あるのに、どうしてわざわざ遠出をするのであろうか。 入口の道標に「花立遊歩道入口・小柴山山頂まで3.5㎞」とある。念のため熊避け鈴とスパッツを着ける。始めはひたすらの尾根登り、ヤマツツジは未だ蕾であるが、オオカメノキ、サンカヨウ、ユキザサなどが咲いている。ネマガリタケも出てはいるが随分細い。残雪が現れ、上下の斜面にはカタクリとキクザキイチゲが大群落を作る。足の踏み場もないとはこの事、カタクリの葉と花を試食用に摘み取る。雪解け水の溜りででも発生するのか、ブユが物凄く多い。行く先々でしつこく付き纏う。虫除けスプレーを顔や手など露出部に入念に噴霧するも、長袖シャツの袖口から侵入し、Dsc06398腕を何箇所も刺される。 13:32第一無名ピーク(994m)に着く。腐朽木にヌメリツバタケモドキが出ている。そこから少し下ると、平坦な道が暫らく続く。遊歩道と云うだけあって歩き易い。周囲は一面のブナ林で新緑が美しい。また左手(北東面)には鬼首の環状盆地と、その外輪山越しに雪の残る栗駒山の姿が望める。崖側斜面にコシアブラの木が多くなる。若芽は葉が展開し始めたばかりの最高の状態、暫し摘み取り作業に従事する。14:00「小柴山2.1㎞・花立峠1.4㎞」道標地点、道は良く手入れされているが歩く人は少なそうである。 14:05第二無名ピーク(980m)、そこから標高差で100m近い大下り、Dsc06400鞍部から登り返す。14:20「小柴山1.4㎞・花立峠2.1㎞」道標地点。目の前に小柴山らしいピークが現れる。14:45第三無名ピーク(1,000m)、そこから最後の急登をひと踏ん張りすると、三等三角点と壊れたベンチ2台がある第四ピーク(1,055m)に出る。時刻は14:54、山名板はないがどうやら小柴山の山頂と思われる。眺めは北東面のみ開けており、鬼首環状盆地と外輪山と栗駒山が拝める。道は更に先へ続いており、それを詰めてみると綺麗に刈り払いされた広場(1,040m)に出る。スキーリフトがそこまで登ってきている。おそらくリゾートパーク鬼首スキー場の最上部リフトと思われるが(後日調べたところでは、小柴ペアリフト頂上駅)、乗り場の板張りに傷みが目立つ。もはや使われていないのであろうか。Dsc06423その先は谷へ向って大きく落ち込み大柴山方面に続く道は見当たらない。次のピーク(大柴山?)は遥かに遠いので、先ほどの三角点峰が小柴山に違いないと確信する。小柴山は東西に横長の山体のようである。広場でお握りを食べてから往路を戻る。すると、広場の入口に、宮城県古川営林署作成の「小柴山山頂 標高1,055m 花立峠(→)3.5㎞」の偽木標柱が倒れている。やれやれ、三角点の傍に置いてほしいものである。15:15再び三角点峰、帰りはネマガリタケのタケノコを採りながら下る。それでも下りは早く、16:35花立峠に戻る。もはや駐車場に他の車は1台もない。帰路はR47で古川に出て、R4で仙台に戻る。19:40無事帰宅。ブヨに刺された箇所は右腕2箇所、左腕9箇所、何れも腫れてきて痛痒い。東北の山の勲章と思って我慢する。

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438.翁倉山・硯上山

2009年5月25日(月)、歩程4時間30分、単独   北上町(現石巻市)十三浜の白浜にあるビール神社にお参りした後、翁倉山の登山口がある同町女川に向かい、12:00飯田(はんだ)屋敷跡に車を駐める。飯田屋敷跡というのは、江戸時代、四百五十石取りの領主、伊達家一族の飯田能登道親の屋敷があった所である。 傍らに立つ説明板によると、「女川(飯田)口説(くどき)の由来」とあって、 「宝暦二年(1752)春、仙台藩士飯田能登道親の妻お節と、Dsc06294家臣日塔喜右衛門との恋、そして主君(飯田能登道親)の殺害、出奔は、仙台藩に大きな衝撃を与え、話題を呼んだ。飯田口説は後年、お節、喜右衛門との悲恋を綴った物語で、一つの芸能として語り継がれている。なお、被害者飯田能登道親の墓は女川部落の江林寺内にあるとともに、お節、喜右衛門が処刑された七北田刑場跡(現仙台市泉区)には供養のため寄進されたお節地蔵が現存している。口説第一段の一部 『ハアー色は思案の外とは云えど 昔故実を尋ねてみれば 鳥の教えし妹背の道よ 内裏上寵も御公家も武家も 恋は誠の道とは定め 仁義五常も恋より起る 色で丸めしDsc06319世の中なれば 色と恋とは是非なきものよ 高き賤しい上下はなきよ 故を如何にと尋ねて聞けば 国は奥州仙台桃生の郡 村を申せば北女川よ 四十五貫の御知行取りで 飯田能登とて名高き人よ (後略)』 平成二年三月 むらのくらし活性化推進事業 事業主体 北上町」とある。250年も前に、こんな田舎にも伊達家を揺るがすような艶な事件があった事を知る。気を取り直して翁倉山へ向う。渓の右岸林道を緩く登っていく。道端にはアイコ、ウルイ、フキ、ミズなどの山菜が群生する。東北の山はしっとりしている。12:20林道終点広場、ここまで車で進入可能であり、10台分位の駐車スペースがある。そDsc06307れにしても道標の類は一切ない。翁倉山一帯は、「翁倉山のイヌワシ繁殖地」として国の天然記念物に指定されており、一般登山者の入山を歓迎しないのであろう。大きな堰堤の手前から左の山道に入る。尾根への取り付き口にやっと小さな道標がある。そこからじぐざぐに急登し、12:30尾根上の四辻に出る。尾根を右へ辿る。松喰い虫の被害を受けた アカマツの風倒木が多く、くぐったり跨いだりして進む。海抜200m位の平坦な道が続く。アカマツ交じりの雑木林は青葉が美しく林間逍遥の趣、心地好い。アカマツの純林のような箇所もあり、秋には高価なマツタケが出る模様、登山道脇に「翁倉山一帯のまつたけ採取を厳禁する。 女川共用林組合松茸採取下部組織」なる看板が立ててある。コシアブラ、タラノキ、ゼンマイ、ワラビもあるがもう採るには遅い。13:15主稜線に上る。そこから急登に変り、ロープを頼りに登っていく。山頂に近づくとヤマツツジの見頃、林床はマイヅルソウの花盛り。前衛ピークからちょっと下って登り返すと翁倉山の山頂(標高532.4m)に着く。時刻は13:40、低山にしては山が深い。Dsc06315小広い山頂には、翁倉岳神社石祠の外に、石祠1基、石碑1基と二等三角点がある。翁倉岳神社の祠の内部にお賽銭がうず高く積み上げてある。山開きの名残なのか、標柱に日章旗が翩翻と翻る。眺望はさほどでもないと案内書にあったが、山頂一帯の樹木を伐採したらしく、今はかなりの景色である。北北東には深く湾入する志津川湾が望めるし、南には追波川(北上川)の流れと周辺の青い水田平野が眺められる。山頂を独り占めし、昼食代わりのバナナを食べる。東北には平日に山歩きするような酔狂な御仁はいないようである。往路を忠実に戻り、15:15飯田屋敷跡に着く。少し物足りないので、雄勝町と石巻市の境にある硯上山にも登ることDsc06355に決め、登山口の雄勝峠へ向う。16:00雄勝峠の登山口大駐車場に車を入れる。 看板の案内図を見ると、昭和59年に整備されたふるさと緑の道が山頂まで延びているようである。雑木林の中に幅広の立派な林道が続く。ここも林間プロムナードの趣、今頃の山が一番清々しい。ふるさと緑の道は、宮城県制百年記念事業の一環として整備され、石巻市から唐桑町まで100㎞も続くとのこと、規格も立派で東海自然歩道や関東ふれあいの道を凌ぐほど。フジやヤマツツジの花を愛でながらゆるゆる登っていく。山登りの感じは全くしない。16:20水場、直ぐ上にある休憩舎は 手入れが悪く荒れている。Dsc0636116:40あっけなく硯上山の頂上(520m)に着く。広い山頂は公園風に整備され、東屋と電波塔が建つ。三角点は二等である。眺望は広闊雄大で、平凡な登路を補って余りある。まず東面には雄勝の街並と雄勝湾が、その北には北上川河口と追波湾が見える。リアス式の南三陸海岸が見事に実感できる。そして南東には紫のシルエットで海上に浮ぶ金華山の神々しい姿が、南には大六天山など牡鹿半島の山並が望める。また南西には石巻湾と弧を描く野蒜・洲崎浜の海岸線、更に大高森が眺められ、西には近くの上品山と、その奥遥かに霞む奥羽山脈も見える。なんとも贅沢な眺めである。十分に景色を堪能してから下山にかかり、17:20車に戻る。矢本町で給油し19:20には榴ヶ岡のマンションに帰宅、仙台は海も山も近くて良い。   

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437.坪山

2009年5月10日(日)、歩程4時間、単独   妻に送ってもらい、南柏駅7:42の電車に乗る。武蔵野線回りで9:45上野原駅着、Dsc05967飯尾行きバスを待つ。他に登山者の姿はなく、 坪山名物ヒカゲツツジの花期は終わったのかもしれぬ。ヤマヒル対策として、スパッツを巻き虫除けスプレーを噴霧する。10:25やっとバスが来る。乗客は僅かに4人、これでは採算が採れる筈もない。県道18号、上野原丹波山線は曲りくねった山道で狭い。谷筋はミズキの花盛り。11:20坪山登山口の御岳神社前で降りる。熊出没注意の看板を見て、リュックに鈴を付ける。渓流にかかるコンクリート橋を渡り、山麓の集落を眼下に眺めながら登山道を辿る。東西両ルートの分岐点に出て西ルートに入り、渓の右岸を進む。枝沢の左岸に移り、対岸の黄銅鉱の採掘跡を見ながら登っていく。元は畑と思われる開けた所に出るとワラビが沢山生えている。暫しワラビ採りを楽しむ。ひたすらの尾根登りであるが、ずっと緑陰なので助かる。下部は杉林、中腹は檜林、上部は雑木林に覆われる。林を吹き抜ける風が爽やかで心地好い。標高800m附近にイワウチワ群生地の看板が立つが花は完全に終わっている。その先はDsc05983ヒカゲツツジの大群落があるが、やはり花はひとつもない。例年なら5月上旬まで見頃の筈だが、今年は来るのが遅かったようである。西上州の立岩でもヒカゲツツジの花を見たが、ここは比べ物にならぬほどの大群落、 盛期にはさぞかし見事であろう。男性2人組が下ってくるのとすれ違う。標高950m附近からイワカガミの群落が現れ、花は終わりかけながらも残っている。ミツバツツジの咲き残りもちらほら。まともな山歩きは半年ぶり、そのせいか今日は調子が上らない。13:00漸く坪山の山頂(1,102.7m)に着く。先着していた男女3人組は、入れ違いにびりゅう館・阿寺沢方Dsc05989面へ去る。三等三角点があり、山名標識が立つ。北面の眺めが良く、三頭山(?)の姿が大きい。カンカン照りで日影もないので即下山する。山頂直下でびりゅう館・阿寺沢と佐野峠・松姫鉱泉への下山道が左右に分れる。 右の松姫鉱泉へ下る道に入る。最初は急下降、次いで痩せ尾根に変るが良く踏まれている。道の真ん中に、熊のものと思われる太い糞が黒々と大量に横たわる。かなり新しい。やれやれ、この道を通る人は少ないと見える。急遽クマ避け鈴をジャラジャラと鳴らしながら歩く。やがて尾根通しの道と右に松姫鉱泉回り道が分れる箇所に出る。疲れたので右の巻き道に入る。沢の源頭部を西へ巻きながら山腹を辿る道は標高1,000m余、谷側へ転げ落ちそうで危うい箇所もある。13:45峠を思わせる開けたDsc06012ところに出る。道標があり、左は佐野峠・松姫鉱泉であるが、右は枕ん地蔵・県道へ20分とある。 右はどこへ出るのであろう。地図を見てもはっきりしないので結局左へ進む。モミジガサの群落に出あい、暫し若芽を採取する。14:08巻き道が終わり、尾根通しの道と合流する。やがて左下に林道が現れ、間もなく登山道が吸収される。造林用の作業道で一般車通行禁止の看板が立つが、タラの芽採りの2人組が四躯で上って来ている。新しく伐開された林道らしく、谷側の法面にタラノキが沢山生えている。14:25西原峠(標高1,030m)、そこから再び右の山道に入り、松姫鉱泉へ向う。 ヒノキとアカマツDsc06022の林の中をジグザグに下る。15:10ようやく一軒の民家の裏手に下り着く。飼い犬にしてみれば怪しげな闖入者、盛んに吠えられる。表に回りこむと直ぐに葛野川に突き当たる。渓谷にかかる中風呂橋の上はマイナスイオンが一杯で実に涼しい。橋を渡ってひと登りすると国道139号線に出る。15:25バス停のある松姫鉱泉に到着、次のバスは15:56、タイミングも良い。帰りのバスも乗客は自分ひとりで貸切状態、途中のバス停から権現山の登山者が3人加わる。16:28猿橋駅着、今日はイワウチワもヒカゲツツジも拝めなかったが、コシアブラ、シドケ、タラの芽、ワラビが採れたことで良しとする。16:53の電車に乗り、20:00帰宅。

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436.富谷山・吾国山

2009年4月3日(金)、歩程3時間、単独   茨城の低山徘徊に10:00出発。目指すは桜川市の富谷山、カーナビの目的地にJR水戸線岩瀬駅を設定し、R6・R294をのんびり走る。12:10富谷ふれあいの森駐車場着、 先ずは右手奥にある富谷観音Dsc05259にお参りに行く。富谷観音は寺号を施無畏山宝樹院小山寺と称し、天平七年(735)、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が創建したと伝えられる天台宗の古刹である。国指定重要文化財の三重塔を始め、県指定文化財である本堂、仁王門、鐘楼、木造十一面観音菩薩坐像、木造毘沙門天立像、木造不動明王立像、そして桜川市指定文化財の木造釈迦涅槃像、小山寺の大杉など数多くの文化財を擁している。仁王門をくぐり、倶利伽羅竜王が側に立つ延命水で身を清め、鐘楼に登って鐘をひとつ撞く。三重塔は寛正六年(1465)の造営、 関東Dsc05301以北有数の古塔であり、内部の仏壇が稀に見る傑作とのこと、残念ながら扉がぴったり閉ざされている。天を突いて聳える樹齢700年の大杉を仰ぎ見てから、四柱造り朱塗りの本堂にお参りする。御本尊の十一面観音菩薩坐像は拝観できないが、有り難くお参りしてから山頂へ向う。山頂への案内標識はなく、とりあえず一段高処にある展望公園に上る。そこに建つ円形展望台に登ると、眼下に早緑の岩瀬盆地が広がり、筑波山、加波山、雨引山が春霞に浮ぶ。附近の桜はまだ一分咲き、お花見には早い。展望台の右奥へ登っていく山道を辿ると、途中から倒木や笹藪が行く手Dsc05303を阻む。歩く人が少ないのか道が不明瞭になると、藪の中に発破注意の看板が現れる。 隣の山を崩して採石しているらしく、看板には「発破掲示 砕石工場構内 につき下記表示の通り危険です。ご協力下さい。発破時信号方法 発破5分前:ウー 発破:ウーウーウー 発破終了:ウー 桜井産業㈱岩瀬砕石工場」とある。その上に「富谷山歩道」の標識がかかっているので、元来の登山道であることに間違いなさそうである。倒木を跨ぎ藪潜りして先へ進むうちにまた登山道らしくなり、少し先で簡易舗装道に合流する。マウンテンバイク用にでも整備したものDsc05248であろうか。無残な山肌をさらす隣山を眺めながら舗装道を登り詰めると、間もなく富谷山の山頂(326m)に着く。丸く刈払いされた山頂には、大日如来碑と山神碑、それに2基の小祠が祀られている。新しい注連が飾ってあるところを見るとお参りする人があるらしい。三角点は見当たらないが、ヒノキの幹に「H18.6.4 千葉県野田市 陽一郎」と書かれた山名標識が懸かり、発破の飛石を避けるためのコンクリ製避難所も設けてある。長居する所でもないので直ぐに下山、帰りは藪こぎを敬遠して舗装道を下ってみる。山中はキブシの花盛り、淡黄色の房花が青空に良く映える。結局舗装道は採石場に下りてしまう。引き返して再び藪くぐりと倒木跨ぎ、その先で昔の登山道らしき古い道を見つける。その道をぐんぐん下ると、途中から再び道が不明瞭になり、不快極まる茨の藪を漕ぐようになる。やがて作Dsc05279業小屋の屋根が見えるようになり、小屋脇から砕石場構内の道路に下りる。発破の看板とは社名が異なる五月女鉱業(有)の構内を歩かせてもらい、出口にある事務所に挨拶して外に出る。やれやれ、 低山は手強い。山裾を時計回りに4分の1周して富谷観音参道の石段下に着く。そこから正式参拝のやり直し、480段の長い石段を昇り仁王門前に出て、14:20駐車場の車に戻る。車内でパンをかじり一服、それから吾国山へ登るべく道祖神峠へ向う。15:00洗心館駐車場着。県立の青少年研修施設であった洗心館は、今年の3月31日付けで既に閉鎖されている。洗心館の理念「狭き門より入れ。そのDsc05285 道は細く険しくとも、そこに真理が開かれる」のシンボル「狭き門」は健在であるが、時は容赦なく遷る。庭園を抜けて防火帯を直登する。一旦切り通しの車道を横切り、更に直登して吾国山の山頂(518m)に着く。1997年3月以来12年ぶり2度目の山頂である。一等三角点と吾国山神社が鎮座する山頂からは、難台山と八郷盆地の眺めが良い。帰りは福原駅方面に下り、山頂直下のブナ林に広がるカタクリ群生地を見物する。緩斜面一帯に今が盛りとカタクリの花が咲き、鑑賞用の遊歩道も縦横に延びている。栃木県の三毳山や群馬県の王城山の群生地も見事であったが、ここも又素晴らしい。切り通しの峠部分に下り、車道を歩いて車に戻る。16:00出発、帰りは石岡へ出てR6を走る。19:00帰宅。

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435.陰陽山・盛金富士・鷲子山

2009年3月15日(日)、歩程2時間30分、単独   一ヶ月ぶりの山行に8:45出発、茨城県の低山徘徊なので春うららの国道6号線をのんびり走る。Dsc04883水戸からR118に入り、今回もJAひたちなか瓜連直売所に寄り、大好物の干し芋を4袋購入する。山方宿駅の先、岩井橋から左折し県道29号線を走ると間もなく、陰陽山登山口の南皆沢公園駐車場に着く。時刻は12:15、自宅から120㎞に3時間半かかる。 一帯は森林公園として整備され、東屋が建ち遊歩道が延びている。陰陽神社の参道を登り一の鳥居、二の鳥居をくぐる。二の鳥居の前には神仏混淆の名残と思われる地蔵菩薩像や不動明王像(文政十亥年三月銘)が祀られている。急な石段を登りきったところに立派な幣殿が建ち、更に反時計周りに山道を登っていくと陰陽神社本殿の前に出る。狛犬の姿形が珍しい。本殿にお参りしてから裏手に廻ると、Dsc04904御神体の陰陽石(夫婦石)がそそり立っている。向って右が陰石、左が陽石とある。せっかくなので両岩に触れて夫婦円満を祈る。巨岩の直ぐ後が山頂(216m)で展望台が設けてある。南面の眺めが良く、眼下のゴルフ場(久慈川CC)は興醒めであるものの、水戸市街や筑波連山など広闊な展望が得られる。 本殿前に戻り、来た時とは反対側の石段を下る。お中道を半周して下山、13:05車に戻る。続いて盛金富士に登るべく登山口の水郡線下小川駅へ向う。13:25下小川駅着、ガラガラの駐車場に車を駐める。前回(2月8日)よりも周囲の景色が大分明るい。道標に従い車道を歩き、Dsc04920富士神社と書かれた鳥居をくぐって峯古道に入る。要所に道標が建つなど登山道は山方町により良く整備されており、丸太の階段も緩やかで歩き易い。植生は、 下部が広葉樹にアカマツやモミが混じる雑木林、中腹がヒノキにスギ混じりの植林帯、上部が再び雑木林である。きのこは時期尚早で、タマキクラゲとヒメキクラゲ以外は見当たらない。頂上まで20分の標識がある箇所で休憩、お握りとオレンジを食べる。誰にも出会わず静かな山である。14:20あっけなく山頂(341m)に着く。三等三角点があり、宝暦三癸年(1753)・盛金氏子Dsc04927と銘が刻まれた石祠(富士神社)が祀られている。山名標識は後の立木に3枚、またテーブルとベンチも設置されている。 山頂の展望は広闊で、南は久慈川の清流を眼下にして遠く東海村から太平洋までも望め、北は男体山、長福山、八溝山が、東は竜神峡を囲む山々(明山など)がくっきり見える。一服してから下山開始、帰りは周回コースを取り西側に下る。そちらは裏道で初めのうちは急降下、傾斜が緩むと砕石工場(第一砕石株式会社)の脇に下りる。平山踏切の近くで車道に飛び出し、15:00下小川駅に戻る。三山駆けの最後は鷲子山(とりのこさん)、県道29号線を馬頭町方面へ向う。途中道の駅美和(北斗星)に寄り、美和産肉厚生しいたけや福島産干し柿などを購入する。Dsc0496716:10山頂直下にある鷲子山上神社駐車場に着く。本殿が建つ山頂ま で96段の石段を残すのみ、八溝山と同じく車で登る山である。鷲子山上神社の創建は古く大同二年(807)、天日鷲命(あめのひわしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る。デジカメのみ持ってお参りに行く。先ず中峰に建つ本宮に参詣する。社殿の前に金運不苦労御柱が建ち、その周りを四神の御柱が囲み、四神の御柱の上に日本一の大フクロウが祀られている。次いで本殿へ向う。本殿の建つ境内中央を県境が通っており、随身門も本殿も茨城県と栃木県双方の文化財に指定されている。なんとも摩訶不思議な神社である。山頂(460m)に建つ本殿の傍らには、栃木の名木百選に選ばれている「鷲子山の千年杉」(樹齢千年、周囲7m、直径2m20㎝)が天を突いて聳える。本殿にお参りした後、最奥の奥山稲荷にもお参りし山頂を後にする。車に戻ると16:40、帰路はR294を使い、茂木、益子、真岡、下館、下妻の順に通り抜ける。20:15無事帰宅。

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434.椎尾山

2009年2月15日(日)、歩程4時間、単独   出足が悪く出発は10:45。今日も低山歩きで、筑波山西麓の男体山から派生する尾根上の隆起、椎尾山へ向う。12:40真壁町椎尾のつくし湖畔駐車場着、Dsc04648 ちょうど梅の花盛りで湖畔一帯にゆかしい香りが漂う。何を釣るのか太公望の姿もある。道路の向側のふるさとの森入口から、中腹の薬王院をめざす。登って直ぐに北限と云われるみかん園が現れる。みかん園はネット柵でがっちり護られており、立入禁止の看板が至る所に立つ。感じは良くないが、果物泥棒が横行する世相とあればやむを得ない。みかん園の上部は常緑広葉樹と孟宗竹の混交林、小沢の傍に北谷不動尊が祀られている。黄色に塗られているので五色不動のひとつ黄不動と思われる。然しながら、古代中国の五行説に倣うものならば北(=水)は黒色に塗らねばならないDsc04683 筈、どうも良く分らない。側に大山之神碑もあり、やや荒れてはいるが昔からの参道の様である。車道(つくし湖畔から登ってくる車用の参道)に飛び出すと参拝者用の広い駐車場がある。参詣順路の案内板に導かれて椎尾山薬王院の境内に進む。山門前に立つ環境庁&茨城県作成の説明板を見ると、「椎尾山薬王院は延暦元年(782)最仙上人の開基による天台宗の寺院であり、本尊の薬師瑠璃光如来像は鎌倉時代の作、県内三塔の一つに数えられている三重塔とともに、県の文化財に指定されている貴重な遺産である。また、樹齢500年と推定されている椎(スダジイ)の大木は寺のシンボルとなっている」とある。山門には仁王像とともに風神、雷神像も祀られている。本堂に上り、薬師如来の真言「ヲンコロコロセンダリ マトゥギ ソワカ」を唱えてお参りする。堂内に置かれた巨大眼鏡のレンズ穴くぐりも行い、最近めっきり衰えてきた我が眼の延命もお願いする。その後裏山の椎尾山山頂に登るべく、弁天池の右側から、「つるぎの山入口・三十五日忌登道」と刻まれた石門に入る。5分ほど登っていくと、五萬日回向塔が建つ小広場で山道は行き止り、Dsc04692 その先に道は見当たらない。ままよとアオキや笹の藪をくぐって山頂をめざす。山頂近くまで上ったものの、笹薮がひどくなりギブアップ、落胆して引き返す。一旦山門前の車道まで下り、車道を筑波山へ向って歩く。少し先にある筑波山遊歩道案内板の所から薬王院~筑波山コースに入る。椎尾山の山腹東面を巻くように登っていくと、標高250mを示す標柱が立つ三叉路に出る。右へ行けば筑波山山頂へ2,560m、下は薬王院へ500m、左方向の案内は何もない。迷わず左へ進む。直ぐに最高地点と思しき所に到達する。その辺りが椎尾山山頂(標高256m)の筈であるが、東面のヒノキ林と西面の雑木林が分れる山頂には何も印がない。Dsc04698 大きなヤマザクラの幹に白いビニルテープが巻きつけてあるだけである。道はそこから北へ緩やかに下って行く。作業道が何本か交錯し紛らわしい。途中でニワトコの新芽採り、この2、3日の馬鹿陽気で急に伸びた様子である。下界を眺めると風が吹くたびに杉林の上に黄雲が舞い上がる。花粉症の人には気の毒な季節である。漸く墓地の裏手に出て山道が終わる。そこから眺める筑波嶺が美しい。少し先に紫尾小学校、校舎の時計を見ると15:10、まだ時間があるので最勝王寺まで足を延ばす。県道41号線に出て、加波山、丸山、足尾山を正面に眺めるようになると最勝王寺を示す道標が現れる。それに従い右折、直ぐに最勝王寺の山門が現れる。境内に入ると立派な本堂の前に、「当山開創一千百五十年」の大きな石碑が建つ。ここも又古刹である。県指定文化財の「宗版一切経」5,195巻を収納する鉄筋コンクリート製の経蔵もある。最上部の釈迦堂にお参りしてから引き返す。再び紫尾小学校の前を通り、つくし亭の前を通って、16:25車に戻る。帰路も同じコース、つくば市内を抜け国道6号線を走って18:30帰宅。

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433.武生山・熊の山

2009年2月8日(日)、歩程2時間30分、単独   奥久慈の低山歩きに9:15出発。昨年12月の 矢祭山登山の帰りに購入したひたちなか産干し芋を食べてしまったので、その調達序の山行である。P1080212 好天であるが風が強い。R6、R348、県道を走り、水府村(現常陸太田市)畑中で左折して武生林道を上る。12:45武生(たきゅう、たきゆう、たきう)神社二の鳥居前のスペースに車を駐める。行ける所までと、二の鳥居右側の急坂道を登りつめたが突然の行き止り、転回もできず引き返すのに四苦八苦。長い石段を昇り武生神社本殿にお参りする。鄙には不似合いなほど立派な神社である。祭神は大戸道命(おおとのじのみこと)で、由緒書きには、「神武天皇の頃、大戸道命がこの山上に降臨され、大宝元年(701)役小角が神霊をこの地に遷祀した。 大同元年(806)坂上田村麿が蝦夷征伐の際、武運長久を祈願して本殿を修築し、P1080273_2流鏑馬(やぶさめ)の神事を奉奏したという。この儀式は最近まで伝えられていた。元は修験道の道場であったが、鎌倉時代に東金砂山東清寺の末寺となり、僧侶が奉仕した。江戸時代には、徳川光圀の命により、修験職の旧に復し、武生山飯縄権現と称した。そして大王院が別当職となり、明治初年の神仏分離の太政官布告による実施まで続いた。故に両部神道の遺物が多く、仁王像、鐘等はその最たるものである。本殿は天明六年(1786)の再建、仁王像は正徳四年(1714)四月に完成したと判断され、大仏師雲恵の作であると伝えている」とある。なるほど古い歴史を秘めた由緒ある社である。社殿の裏手に進むと、水府村の天然記念物「太郎杉」が聳えている。推定樹齢800年、高さ35m、周囲約5mの堂々たる巨杉である。更にその先へ進むと、武生林道を挟む対面に最高点らしきピークがある。そこへ行ってみる。13:03着、笹が繁り杉木立に囲まれた小平地には、ある筈の四等三角点がない。林道の拡幅工事の際に三角点頂(459m)を削り取ってしまったのであろうかP1080286。13:20車に戻る。これでは山歩きとは言えず、又足慣しにもならないので、山方町の熊の山(熊野山)へ転進する。14:10登山起点となる水郡線下小川駅に着く。 今日は日曜日とあって駅構内の駐車場はがらがら、有り難い。沈下橋と思われる平山橋で久慈川を渡り、R118を横断してリンゴ園の方へ登っていく。梅の香が床しく漂う。南斜面に果樹園や茶畑が広がる。民家が点在し長閑な景色が展開する。峯古道入口の標柱から路幅が狭くなり最奥の民家を過ぎると山道に変わる。緩やかで広く歩きやす い。14:47四等三角点があるピーク(261m)に出る。見晴台であり、久慈川の対岸に聳える盛金富士の眺めが良い。P1080313それにしても風が強い。第2と第3のピークを越えて、下小川橋経由下小川駅へ続く登山道との分岐に出る。山頂は右の高井釣集落へ通じる道を数分進み、道標に従って左に登る。鳥居をくぐると石段上り口の左右に、天保五甲午歳(1834)初秋吉日銘の石塔(文字摩滅)と天保七丙申歳(1836)十一月銘の切石寄進碑が建つ。また、昭和五年(1930)旧三月二十一日高居釣青年一同銘の手水石もある。216段ある急な石段を登る。山頂直下にある小屋は参籠所か。15:10熊の山(標高300m)に着く。山頂は小広場になっており、熊野神社が鎮座する。石祠が3基あり、P1080304中央の石祠はブロック造りの鞘堂に納められている。 石燈篭は寛政四壬子歳(1792)の奉納であり、200年の風雪に耐えて立ち続けている。今尚、山麓の人々の篤い信仰を集めるお社であることが分る。山頂からの展望は360度、今日は大気が澄んでおり、奥久慈男体山、八溝山、筑波連山、水戸市街地などの景色を楽しめる。猛烈な風のため残念ながら長居は叶わず5分ほどで下山、帰りは下小川橋経由の登山道を下る。こちらが参詣道らしい。16:20下小川駅に戻る。R118を走り、JAひたちなか瓜連直売所に立ち寄る。干し芋3キログラム箱、切干大根、乾燥ズイキ、コンニャクなど土地の名産品を買い込む。R6を走り19:45無事帰宅。

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432.大土山(おおどやま)

2009年1月17日(土)、歩程1時間30分、単独Dsc04502   仙台に帰省した序に、日本三大虚空蔵尊のひとつと称する津山町の柳津虚空蔵尊へお参りに行く。 仙台の自宅から松島、石巻経由で75㎞ほどある。10:10出発、国道45号線を走り、12:20柳津虚空蔵尊着。北上川に沿う45号線から右折、大鳥居をくぐった先の大土山の山懐に柳津山宝性院はひっそりと建つ。同寺の略縁起によると、神亀三(726)年行基菩薩この地に来たり、自ら一尺二寸の虚空蔵菩薩像を刻み、黄土山の峰に一宇を創立してこれを安置、一村の守護仏として尊崇したとある。また宝亀二(771)年大伴家持が多賀城にありし時登山しDsc04525てこの虚空蔵尊を拝し、福島の会津柳津、山口の柳津に安置せる仏像も同じく行基の作で日本三所の秘仏であると言った事から、 日本三所の一、福智満虚空蔵尊を名乗るようになったようである。万葉歌人・大伴家持が陸奥按察使持節征東将軍として多賀城に着任したのは延暦元(782)年のこととされており、寺伝とは10年ほどずれている。まあこれもご愛嬌、なんにしても一千年の昔から地域の人々の尊崇を集めてきた有り難い虚空蔵様であることに変わりはない。本堂にお参りしてから背後の山(大土山)の中腹に建つ奥の院まで足を延ばす。本堂の左手からスギ林 の中を登り1Dsc045302:50奥の院に着く。参道はそこで行き止りであるが、道のない尾根を更に登って山頂を目指す。暫らくはスギ林で、その上部は雑木林である。 藪は薄く、昔は登山道が付いていたものと思われる。それにしてもひたすらの登り、かなりの急傾斜であり、昨日の雪と厚く積もった落葉とで足元が滑る。ウォーキングシューズで来たため歩きにくく、その上中までぐしょ濡れになる。13:20漸く大土山(黄土山)の頂上(318m)に到着、三等三角点があるだけで山名標識や祠などは一切ない。山頂はスギ木立に囲まれ展望はないが、この辺りでは一番高そうである。今では登山道はどこからも通じていない。Dsc04526三角点に触って直ぐに下山、往路を忠実に戻る。忠実に引き返した積りであったが、雑木林からスギ林にかかる辺りで尾根を1本左に下ってしまったらしく、奥の院が現れない。ままよと降るうちに杉林の傾斜はますます増して、やむなく谷に下りる。吹き溜まる雪に難渋しながら暫らく谷筋を下ると堰堤で行き止まる。そこから右の尾根を乗り越すとやっと下方に庫裡の裏手の倉庫が現れる。やれやれと山際の竹やぶを潜り抜けて境内の一隅に降り立つ。靴もズボンも泥だらけで全く様にならない。不審者と怪しまれかねない情けない姿である。低山と侮ったのが失敗の元、深く反省し、もう一度本堂にお参りする。そして津山町のもう一箇所の名所、横山不動尊へ向う。

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431.峰寺山

2009年1月8日(木)、歩程1時間、単独   今年初めての山歩きは筑波山の支峰である峰寺山、標高379mの里山である。Dsc04412 自宅(柏市)から最短距離の山であるが、それでも80㎞ほどある。出足が悪く、早昼を食べた後の11:40出発、一般道を走り14:05登山口の西光院駐車場につく。峰寺山の中腹に建つ西光院は、断崖に柱を組んだ舞台懸け造りの本堂を持ち、スケールこそ小さいが関東の清水寺と呼ばれる古刹である。山門脇の略縁起には、「峰寺として広く知られる西光院は、平安時代初期の大同二年(807)有名な徳一大師の開山と伝えられ、はじめ法相宗であったが、鎌倉時代に一時真言宗となり、のち天台宗に改宗した。本堂は本県では類例のない懸造りで、県の文化財(建造物)に指定されており、回廊からの眺めDsc04395は素晴らしく関東の清水寺の名に恥じない。 この寺の約六米もある立木観音菩薩像は、 桧材寄木造の巨像である。なお、境内西方にある球状花崗岩(俗称小判石)は県指定天然記念物である。八郷町」とある。山頂に登る前にお参りすることとし、社務所前を通り、観音堂に入る。内部には巨大な立木観音像(十一面観世音菩薩立像)と常陸七福神の毘沙門尊天像とが祀られている。本堂の回廊に上り、懸け造りの舞台から箱庭のような八郷盆地を眺める。先日登った浅間山と雪入山が正面にみえる。なるほど茨木百景に選ばれるだけあって素晴らしい景色である。堂内の御本尊は自然石の馬頭観音菩薩らしいが、格子扉から透かし見ても厨子の扉は閉じられており、前立の馬頭観音像しか見えない。本堂にお参りを済ませて駐車場に戻る。さて、峰寺山の山頂一帯は現在、「東筑波ユートピア」なる自然動物公園に取り込まれており、入園料1,000円を払わないと登れない。売店で尋ねると、冬季は15:00以降入園料が半額になるとのこと、Dsc04392 それまでの時間潰しに西方250mの所にある県天然記念物の「球状花崗岩(小判石)」を見物に行く。小判石の痕跡があばた状に窪んで見える大岩がそれらしく思われるが、 肝心の小判石が見当たらない。珍しいので持ち去られたものと見える。更に、上曾峠の上にある電波塔が建つ山にも登ってから東筑波ユートピアに戻ると15:15、入園料500円を支払い山頂に続く遊歩道を登る。園内はサル山を中心にした小動物公園であるが、施設の手入れが悪くあちこちに荒みが目立つ。また、マウンテンバイク、4WDの走行コースに加えてパラグライダーの離陸場までありコンDsc04408セプトが滅茶苦茶、お金になりさえすれば何でも有りといった様子で、これでは霊山が台無しである。山頂に着いてみると、マウンテンバイクのコースが通るマウンドになっており、何の風情もない。傍らの岩が積み重なる小高い所が最高点であるが、山名標識もなければ三角点もない。奥の院の痕跡でもないかと附近を探しまわったところ、北側のヒノキ林の中に古い石碑がひっそりと立っており、注連縄も張られている。碑面の文字は摩滅し読めないが、漸く少しほっとする。以前は北面にも登山路があったようであるが、危険立入禁止の看板が立てられており、それからも大分時間が経ったらしく、今では廃道化している。パラグライダーの離陸場から八郷盆地を眺めてから下山、16:00車に戻る。再び一般道を走り18:00帰宅。

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430.大福山

2008年12月28日(日)、歩程3時間15分、単独   前回(11月26日)登り損ねた大福山に登るべく9:45出発。Dsc04345 国道16号線、同297号線、県道81号線を走り、12:25梅ヶ瀬渓谷入口の駐車場に着く。紅葉まつりも終わり、広い駐車場に先着している車は1台のみ、もはや駐車料金もかからない。登山靴に履き替え早速梅ヶ瀬渓谷に分け入る。頭上を見上げれば、断崖から湧き出る滴が凍りつき、早くも30~50㎝の氷柱が出来ている。厳冬期には2メートルもの長さになるという梅ヶ瀬渓谷の名物である。道端にはフユイチゴの深紅の実や、ヒメヤブランのルリ色の実が光り、紅葉の時期を過ぎた今でも観察するものには事欠かない。 13:17大福山分岐を右に見送り、Dsc04315 先ず日高邸跡に向う。13:27日高邸跡、今日は誰もいない。屋敷跡に立つ3本のモミジ(イロハカエデ?)の大木もすっかり葉を落としている。ここまで4人のハイカーとすれ違っただけで紅葉シーズンの賑わいが嘘のようである。ベンチに腰を下ろしお握りを食べる。大福山分岐に戻り、山頂まで1.2㎞の尾根道に入る。丸木橋で谷を渡ると、すさまじいまでに倒竹散乱する荒れた竹林が現れる。竹の子を取るために人工的に植えられたものか、大福山の山域にはあちらこちらに竹林が広がる。 山腹を巻く様に登っていくとDsc04338やがて稜線に出る。冬とは思えぬほど緑が濃いのは、常緑広葉樹に覆われているせいである。森林の階層構造も良く発達しており、高木層にはアカガシ、スダジイ、タブノキなど、亜高木層にはウラジロガシ、モチノキ、ヤブツバキなど、低木層にはアオキ、アセビ、カクレミノ、ヒサカキなど、小低木・草本層にはツルアリドオシ、テイカカズラ、ベニシダ、ヤブコウジなど、コケ層にはアカイチイゴケなどが認められる。低山ながら尾根が複雑に入り組んでおり、谷も深く、転落危険箇所は随所に潜む。14:15山頂近くを通る女倉林道(車道)に飛び出すと、Dsc04331そこに東屋と日高誠実顕彰碑が建つ。東屋からは梅ヶ瀬の谷と房総の山々を眺めることが出来る。但し、特長のない低い山が重畳するだけで、さほど感激する眺めではない。林道を左に150mほど進み、スロープと石段を登って大福山の山頂(290m)に着く。時刻は14:30、市原市の最高地点である。山頂には日本武尊を祀る白鳥神社が鎮座する。石段途中の古い玉垣には宝暦九己卯歳(1759)の年号が刻まれ、社殿前の常夜塔には天保十一庚子年(1840)の年号が刻まれている。由緒ある古社であり、今でも地域の人々の崇敬を集め、大切に護られている様子が窺える。階段を登りきったところにある狛犬の台座に刻まれた銘文から、親子四代に亘って吉川氏が氏子総代を務め、平成三年十一月に石段を改修したことが判る。社殿やご神木のスギの巨樹には真新しい注連縄が張り渡され、境内は清清しく掃き清められている。お正月の初詣の人々を迎える準備であろう。帰りは女倉林道を下る。途中、大福山展望台にも登ってみたが景色はやはりぱっとしない。千葉県立君津青葉高等学校の梅ヶ瀬演習林があり、その先で1匹の野生のサルに出あう。林道沿いの山中には、何を生業に暮らしているものやら民家が点在する。仙境の暮らしのようで羨ましくもある。15:40車に戻る。帰りも往路と全く同じ道を走り、18:20無事帰宅。

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429.雪入山(剣ヶ峰)・浅間山

2008年12月25日(木)、歩程3時間15分、単独   前回(2008年10月18日)登り損ねた筑波山塊の雪入山に登るべく9:45出発、Dsc04239国道6号線を走り、11:45雪入ふれあいの里公園駐車場着。 広い駐車場に先着している車は僅かに2台、師走も押し詰まる今、こんな平凡な里山に登る物好きは少ない。駐車場の奥から中央青年の家へ向う山道に入る。直ぐに桜沢源流に出あう。桜沢、雪入沢、天の川、恋瀬川と流下し霞ヶ浦に注ぐようである。道端のフユイチゴがルビーのような深紅の実をたくさんつけている。摘み取って口に含むと甘酸っぱい。冬の里山歩きの楽しみのひとつである。林道雪入沢線を緩く上って行くと、日向には早くもスミレが咲いている。Dsc0425112:25剣ヶ峰直登ルート入口、土浦ナンバーの車がとめてある。12:34県立中央青年の家、水戸藩の伝統を継承してか、茨城県には青少年向けの立派な研修施設が多い。 そこから未舗装の林道に変わると、両側に立派なソメイヨシノの桜並木が続く。春にはさぞかし美しい所であろう。どこからともなくカメムシの匂いが風に乗って流れてくる。12:45いやしの里・ふじがみ旅館が建つ峠に着く。新治村やつくば市方面の関東平野が一望できる場所であるが、生憎今日は霞んでいる。そこから右手の稜線上に延びるパラボラ山直登コースに入る。Dsc04265 笹とアオキの藪中の道を急登すると、朝日峠から上って来る車道に出合い、間もなく電波塔の立つ山頂の一端に着く。独立行政法人森林総合研究所のロボット雨量計も設置されている。山頂は馬の背のように南北に長くしまりがない。防火帯と思われる幅広く切られた稜線道を北へ辿る。パラボラアンテナ塔が2基左右に建つ箇所を通過、どうやらその辺りが雪入山の最高点(391m)のようである。左のパラボラアンテナ塔には、「第三管区海上保安本部筑波中継所」の表札が掛る。ヒノキ林と雑木林を左右に振り分ける稜線道を緩く下って行くと、ヤマザクラの立ち枯れにヒラタケが出ているのを見つける。高い処であったが、登山ステッキを最大限まで伸ばして何とか採取する。13:25広場に出るとそこが剣ヶ峰(360m)、山頂部の北の肩であり名前に似つかわしくない所である。山名標識や三角点はなく、「いばらぎ森林浴の道百選№80」の標識が立つ。 木立の中で展望もよろしくない。Dsc04273一段下のテラスは東面が開けており、大気が澄んでいれば霞ヶ浦、鹿島灘などが一望できるようである。倒木に腰を下ろし休憩、お握りを食べる。それにしても誰にも逢わない静かな山である。さらに稜線を辿るとパラグライダー離陸場を経て、13:55あきば(青木葉)峠に下り着く。八郷町弓弦方面は通行止になっている。峠から眺める筑波山の双子峰が美しい。そこから雪入ふれあいの里公園へ車道経由で下ることも可能であるが、せっかくなので浅間山(せんげんやま)にも登りに行く。14:10三度目の浅間山頂上(345m)に着く。Dsc04278 中央の宝篋印塔を7基の石祠が取り囲む。浅間神社であり、今でも山麓の人々がお参りに登って来る。標高はともかく、姿の美しさ、信仰の対象としての存在感からいって、浅間山こそ雪入山の主峰であろう。石祠群の後に三等三角点があり、その後の木立の中に弓弦集落へ下るのか細い踏み跡が続いている。前回は気付かなかったが、茨城県庁山岳部の山名標識(2008年4月13日)も立木に掛っている。一服してから下山、山道を三石森林公園方面へと下る。途中、大岩を抱くように根を張る“石噛み桜”の前を通過、間もなく林道に出て舗装路をテクテク歩く。15:00雪入ふれあいの里公園に戻る。帰路、閑居山麓の森林総合研究所の研究林へ立ち寄り、伐採地の切り株でエノキタケ採りをする。15:30改めて出発、再び国道6号線を走り17:40帰宅。

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428.矢祭山

2008年12月11日(木)、歩程2時間20分、単独   奥久慈の矢祭山に登るため9:30出発。柏ICから那珂ICまで常磐道を使い、R118に下りて大子町を抜ける。12:10矢祭山公園入口の駐車場に到着、登山靴に履き替える。Dsc04162 R118を大子町の方へ戻り、矢祭山駅の前を通り、急な石段を登って先ず矢祭神社にお参りする。矢祭神社は永承六(1051)年、源頼義・義家父子が奥州征伐凱旋の途次に岩窟に弓矢を納め、戦勝の祭りの宴を催したところと伝えられている。ちょうど前九年の役が起った年であり、そう云われて見ると何の変哲もない神社も由緒あるものに思えてくる。社殿の裏から山頂に延びている筈の登山道が見つからない(後日、ネットで調べると社殿の左側に登山道があるとのこと)。やむなく神社の横手から矢祭山公園域へ入り、遊歩道を山腹に沿って歩く。一帯は4月下旬から5月上旬にかけDsc04168てつつじ祭りで賑わう所であるが、初冬の今は歩く人とてない。暫らく行くと、左に斜上する踏跡程度の細い登山道を見つけ、それを登ってみる。 アカマツの林に入ると小鳥の巣箱がたくさん掛っている。一帯のアカマツは樹勢が盛んで、松喰い虫の被害とは無縁のようである。眼下に蛇行する久慈川の流れと山峡に佇む集落が見える。まさに一幅の絵を眺めるような美景である。「見ぬ人になにを語らんみちのくの矢祭山の秋の夕暮れ」(徳川光圀)、「心ある人に見せばや陸奥(みちのく)の矢祭山の秋の景色を」(西行法師)、昔から名所だったようである。対岸に檜山が競り上がって来る。Dsc04177 12:50稜線に上る。稜線上は藪っぽく歩く人は少ないと見える。境界杭に導かれて、左右に雑木林と檜林を分ける稜線を進む。13:15急坂を登りきり山頂の一端、西の肩に出る。少し先でコナラの倒木にシイタケの老菌を2本見つける。13:25矢祭山頂上と思しきピーク(西峰:402m)に着く。三角点や山名標識などはないが、小広い山頂の真ん中にサクラ(?)の大木が聳え、根元に3基の石仏が安置してある。1基は相当古いものらしく、表面が摩滅していて読み取れない。もう1基には「雷神社、明治十八酉(1885)年旧四月吉日」の銘があり、Dsc04184 別の1基には「天○○」と刻まれている。恐らく矢祭神社の奥宮なのであろう。北面が開け八溝山はじめ奥久慈の山並と茗荷辺りか集落が眺められる。勿論誰もいない、静かな山である。周回コースを取るべく東へ進むともう一つ顕著なピーク(東峰:383m)がある。そこには国土地理院の四等三角点が埋設してあり、山名板も掲げてある。西峰よりは狭く、木立に囲まれ展望もない。麓からは分らなかったが矢祭山はツインピークのようである。山頂から少し東に進むと、右に下る尾根にテープが巻いてある。落葉でずるずる滑り尻セードをしたくなるほどの急傾斜、少し先にVHFブースターのアンテナが建つ。アンテナ線に導かれて尾根を下って行くと崖にぶつかり行き止り、Dsc04154 どこか降り口があるのかもしれないが厚く積もる落葉のせいで判らない。諦めて稜線へ引き返す。稜線を東に辿ると藪っぽく廃道に近い。東の肩から杉林の中を急降下、再び崖にぶつかり行き詰まる。矢祭山は中腹に青緑色の奇岩が林立しトリッキーな山である。道路が下に見えてきたので、左に回りこみ谷筋に下りてみる。雑木林の急斜面に一部道形らしきものが残っている。地図に破線で示されている昔の周回コースの名残かもしれぬ。下りきると谷川の橋の畔で車道に出る。やれやれ、三角点峰から往路を戻るのが正解である。車道を右に歩いていくと、R118の新夢想橋の畔に出る。14:35車に戻る。帰りは一般道を使い、途中の道の駅奥久慈大子で玉こんにゃくを買い、JAひたちなか瓜連直売所で干し芋を買う。20:00無事帰宅。

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427.川越山・伊豆ケ岳

2008年11月23日(日)、歩程4時間45分、単独   3回連続奥武蔵の里山歩き、家人に車で南柏駅まで送ってもらい7:59の電車に乗る。10:15西武秩父線正丸駅下車、好天。駅からR299を歩き旧正丸峠の道標を見て左に折れる。八坂神社と地蔵堂の前を通り、谷川沿いに細い車道を登っていく。Dsc03811やがて民家が切れ杉林の中の山道を行くようになる。山中に転落したのか違法廃棄したのか車が横転している。 11:00車道に出て少し先で再び右手の登山道に入る。杉林がずうっと続き全く展望がない。11:20旧正丸峠に登りつく。四辻になっておりそのまま直進して峠を下れば初花・芦ヶ久保方面、稜線右は先週歩いた虚空蔵峠・刈場坂峠、稜線左は正丸峠・正丸駅へ続く。左へ入り丸太階段の急坂をひと踏ん張りする。11:35三等三角点がある川越山(766m)に着く。展望は良くないが、木立を透かして先週登った丸山が見える。次のピークは正丸山(780m)、やはり木立に囲まれ展望は良くない。樹間から二子山から焼山、武川岳に続く稜線とその奥の武甲山、大持山などが眺められる。Dsc03831 そこまでは静かで良いコースであったが、正丸山には正丸峠から観光客が続々登ってくる。急坂を下り東屋で一服、お握りを食べる。12:07正丸峠に下りつく。奥村茶屋があり、結構繁盛している。昭和天皇陛下行幸記念碑、明仁親王殿下・美智子妃殿下行啓記念碑も建つ。伊豆ケ岳への道は茶屋の右脇を入る。ハイカーが続々降りてくる。小高山(720m)、五輪山と名前が付いたコブを乗り越えて行くと、いよいよ伊豆ケ岳山頂直下の岩場に差し掛かる。岩場を鎖で越えていくコース(男坂)は落石の危険があるらしく自己責任で登るようにとの看板が立つ。Dsc03836 推奨コースはより安全な女坂である。表妙義ほどではないが結構長く手強い鎖場である。登りきって岩頭に出ると眺めは最高で、二子山と焼山の間に懐かしい御荷鉾山と雪を被った浅間山とが見える。13:05伊豆ケ岳頂上(851m)に着く。三等三角点がある山頂は沢山のハイカーで賑わい、小学生と思しき団体までいる。今日はくっきりすっきり、奥武蔵や秩父の山々の眺めが良く、都心のビル群までも見える。伊豆ケ岳に登るのは15年ぶり2度目(初回は1993年4月18日)、前回は子の権現から吾野駅へ下ったが、今日は花桐集落から西吾野駅へ降る。Dsc03845 道標はないが、山頂から少し戻り、女坂合流点の先で右に下って行く急坂を辿る。暫らく杉林の急坂をジグザグに下ると、やがて谷川(花桐川上流)沿いの紅葉黄葉の美しい道となる。伐採されたスギの倒木が道を塞ぎ、落葉が厚く積もっていて道が判りにくい箇所もあるが、谷川に沿い右岸左岸と歩きやすい所を拾いながら下って行く。13:55漸く堰堤が現れる。その傍らに浅見家代々の墓所がある。その先で林道終点広場に出ると花桐集落最奥の民家が現れる。集落中心にある諏訪神社には灯が明々と点り、例祭日でもあるのか太鼓の音が聞えてくる。傾斜地の茶畑ではちょうど茶の木の花盛りである。R299へ出て国道沿いに暫らく歩くと西吾野駅に着く。時刻は14:58、直ぐに15:01の電車が入って来る。

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