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433.武生山・熊の山

2009年2月8日(日)、歩程2時間30分、単独   奥久慈の低山歩きに9:15出発。昨年12月の 矢祭山登山の帰りに購入したひたちなか産干し芋を食べてしまったので、その調達序の山行である。P1080212 好天であるが風が強い。R6、R348、県道を走り、水府村(現常陸太田市)畑中で左折して武生林道を上る。12:45武生(たきゅう、たきゆう、たきう)神社二の鳥居前のスペースに車を駐める。行ける所までと、二の鳥居右側の急坂道を登りつめたが突然の行き止り、転回もできず引き返すのに四苦八苦。長い石段を昇り武生神社本殿にお参りする。鄙には不似合いなほど立派な神社である。祭神は大戸道命(おおとのじのみこと)で、由緒書きには、「神武天皇の頃、大戸道命がこの山上に降臨され、大宝元年(701)役小角が神霊をこの地に遷祀した。 大同元年(806)坂上田村麿が蝦夷征伐の際、武運長久を祈願して本殿を修築し、P1080273_2流鏑馬(やぶさめ)の神事を奉奏したという。この儀式は最近まで伝えられていた。元は修験道の道場であったが、鎌倉時代に東金砂山東清寺の末寺となり、僧侶が奉仕した。江戸時代には、徳川光圀の命により、修験職の旧に復し、武生山飯縄権現と称した。そして大王院が別当職となり、明治初年の神仏分離の太政官布告による実施まで続いた。故に両部神道の遺物が多く、仁王像、鐘等はその最たるものである。本殿は天明六年(1786)の再建、仁王像は正徳四年(1714)四月に完成したと判断され、大仏師雲恵の作であると伝えている」とある。なるほど古い歴史を秘めた由緒ある社である。社殿の裏手に進むと、水府村の天然記念物「太郎杉」が聳えている。推定樹齢800年、高さ35m、周囲約5mの堂々たる巨杉である。更にその先へ進むと、武生林道を挟む対面に最高点らしきピークがある。そこへ行ってみる。13:03着、笹が繁り杉木立に囲まれた小平地には、ある筈の四等三角点がない。林道の拡幅工事の際に三角点頂(459m)を削り取ってしまったのであろうかP1080286。13:20車に戻る。これでは山歩きとは言えず、又足慣しにもならないので、山方町の熊の山(熊野山)へ転進する。14:10登山起点となる水郡線下小川駅に着く。 今日は日曜日とあって駅構内の駐車場はがらがら、有り難い。沈下橋と思われる平山橋で久慈川を渡り、R118を横断してリンゴ園の方へ登っていく。梅の香が床しく漂う。南斜面に果樹園や茶畑が広がる。民家が点在し長閑な景色が展開する。峯古道入口の標柱から路幅が狭くなり最奥の民家を過ぎると山道に変わる。緩やかで広く歩きやす い。14:47四等三角点があるピーク(261m)に出る。見晴台であり、久慈川の対岸に聳える盛金富士の眺めが良い。P1080313それにしても風が強い。第2と第3のピークを越えて、下小川橋経由下小川駅へ続く登山道との分岐に出る。山頂は右の高井釣集落へ通じる道を数分進み、道標に従って左に登る。鳥居をくぐると石段上り口の左右に、天保五甲午歳(1834)初秋吉日銘の石塔(文字摩滅)と天保七丙申歳(1836)十一月銘の切石寄進碑が建つ。また、昭和五年(1930)旧三月二十一日高居釣青年一同銘の手水石もある。216段ある急な石段を登る。山頂直下にある小屋は参籠所か。15:10熊の山(標高300m)に着く。山頂は小広場になっており、熊野神社が鎮座する。石祠が3基あり、P1080304中央の石祠はブロック造りの鞘堂に納められている。 石燈篭は寛政四壬子歳(1792)の奉納であり、200年の風雪に耐えて立ち続けている。今尚、山麓の人々の篤い信仰を集めるお社であることが分る。山頂からの展望は360度、今日は大気が澄んでおり、奥久慈男体山、八溝山、筑波連山、水戸市街地などの景色を楽しめる。猛烈な風のため残念ながら長居は叶わず5分ほどで下山、帰りは下小川橋経由の登山道を下る。こちらが参詣道らしい。16:20下小川駅に戻る。R118を走り、JAひたちなか瓜連直売所に立ち寄る。干し芋3キログラム箱、切干大根、乾燥ズイキ、コンニャクなど土地の名産品を買い込む。R6を走り19:45無事帰宅。

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