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499. 高塚山

2013年2月3日(日)、歩程1時間半、単独   今日は房総半島の南端に位置している山の中で最も標高が高い、といっても216mにすぎないが、南房総Dsc08272市の高塚山を登りに行く。9:40出発、カーナビの目的地に登山口の大聖院(七浦小学校)をセットすると高速道経由で136㎞・2時間20分の道程。千葉北ICから高速道に乗り館山道を終点の富浦ICまで走る。12:40大聖院着、門前に路駐(標高25m)。境内の本堂前にも5、6台の駐車スペースはあるが、今日は節分会で地元の人が陸続とお参りに来るので満杯。先ずは大聖院本堂にお参りし、その裏手の急な石段の上に建つ高塚不動堂にもお参りする。堂内では護摩祈祷が行われており、不動明王の御真言が熱心に読誦されている。御本尊の大聖不動明王は秘仏で普段は厨子内に納められているが、今日は節分会で特別御開帳とのこと、有難い。奥ノ院がある山頂へは大聖院の門の手前から右へ参道が延びており距離880mとある。殆どが階段であり約650段、下部はコンクリート、中部は土止め、上部は苔むした自然石。道は直ぐにマテバシイ主体の照葉樹林の中を進むようになり唯一ヶ所の切り開きを除き見晴らしはない。途中の一画に、富士浅間神社を祀る石碑と富士講碑2基が建つ。中央の富士浅間神社碑は早川権右衛門を先達とした山大という浅間講社19名が明治二十年(1887)に建立したもの、右側は大先達桑行Dsc08291仙山富士御中道三十三度大願成就記念碑で明治十七年(1884)に建立されたもの、明治三十八年(1905)の鈴木善三郎翁御中道十三度諸願成就と昭和九年(1934)の大先達清行眞山(早川鉄五郎翁、80歳)の登山五回御中道大願成就も後刻されている。左側は大先達清行眞山他同行者8名による富士登山記念碑で昭和四年(1929)に建立されたものである。御中道(おちゅうどう)とは富士山中腹を一周する御中道巡りのことで、富士登山3回以上の経験者に許される修行だったらしく、明治から大正・昭和初期にかけて此の辺りでも富士講が盛んだったことを物語る。更に進むと、寛政十一己羊年(1799)十二月吉日に若者中が寄進した石造りの鳥居が現れる。鳥居の手前には大正十年(1921)二月十六日銘の伊勢琴平参拝記念碑も建つ。13:25奥ノ院が建つ山頂(216m)に着く。入り口に山門があり、右に風神像、左に雷神像が祀ってある。どちらも石造りでユーモラスな表情をしている。傍らの案内板には、「石仏彫刻並寄進者 長狭郡平塚村(現鴨川市)の百姓三木甚右ヱ門・谷伊兵衛他四名 台座及び基礎工事は旧七浦地区4ヶDsc08298村並川口忽戸の信者 造立年月日文政13庚寅年3月吉日(1830) 石仏の材質は嶺岡山系の蛇紋岩を使用」とある。山門をくぐると、宝暦五乙亥年(1755)五月吉日奉納の石灯籠があり、施主は江戸日本橋本船町とある。昔は遠く江戸からも参詣者を迎えるほど篤く信仰されたお不動様とは。日本橋本船町といえば魚河岸で賑わった所、此の地で獲れる魚介類を引き取り大いに商売繁盛したのであろう。その先の狛犬は珍しい子連れ獅子で明治十二年(1879)に奉納されたもの、作者は安房の彫工三名人のひとり、北朝夷村(現千倉町)の初代後藤利兵衛橘義光、六十四歳の作であり、円熟の技が冴える見事なものである。台座には他に、当山第十七世住職小熊隆寶、宇山庄作氏はじめDsc08300世話掛六名、補助石工平館村住加藤佐兵衛の名も見える。その先にある左右一対の天水桶は、やはり東京大川(隅田川)の宇山松次郎・安田寅吉・吉田亀太郎の三氏により大正十三年(1924)九月に奉納されたもの。奥ノ院の不動尊にお参りしてから、後背の最高所に上がると空っぽの御堂(元秋葉権現)と石宮があるだけで三角点はない。境内の東面切り開きから千倉の街並と太平洋の眺めが良い。ベンチで一服してから往路を下山、14:05車に戻る。大聖院本堂の欄間に掛かる市指定有形文化財、波の伊八の「龍と麒麟の彫り物」を見せてもらい、もう一度不動堂にお参りしてから帰路に着く。国道128号線を北上、途中、道の駅ローズマリー公園で名物のくじらのたれと枇杷ゼリーを買う。安房小湊の誕生寺にも寄り道してから、一宮、茂原、千葉を経由し19:50帰宅。  

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