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535. 梅ヶ瀬渓谷と大福山

2014年11月20日(木)、歩程3時間半、同行妻   8:55出発、養老渓谷に隣接する梅ヶ瀬渓谷の紅葉見物へ。天気はくもり、予報では午後から小雨。千葉北ICから高速道に乗り、途Dsc04876中市原SAで休憩、木更津東ICで降りるべきところ、圏央道をひとつ先まで走り、市原南ICで出ると料金は1,740円也。11:50梅ヶ瀬渓谷入口駐車場にハスラーを駐める。駐車料金は1日1回500円とあるが係員がいない。料金箱もないし、紅葉祭りもやっていない。六年前(2008年11月26日と12月28日)に来た時より大分寂れている。広い駐車場に先着車が僅かに2台、これでは商売にならない。歩き出す前に、ヤマヒル対策として登山靴や靴下、ズボンの裾にたっぷり防虫スプレーを噴霧する(結局、ヤマヒル現れず)。沢床を奥へ進むが紅葉はいまいち、一週間から10日ほど早いかも。梅ヶ瀬Dsc04895川により浸食された梅ヶ瀬層と呼ばれる垂直断崖を眺めつつ、右に左に渡渉を繰り返す。雨が落ちてくる。今年2月の大雪の影響と思われるスギの倒木が目立ち、渓谷遊歩道も荒びが感じられる。すれ違ったハイカーは20~30人、小湊鉄道を利用し養老渓谷駅を起終点にハイキングしている人が多い。12:55大福山展望台分岐、13:05日高邸跡。日高邸跡に生える3本のイロハモミジの大木は健在、緑、黄、紅の葉が交じりグラデーションが美しい。雨が本降りになってきたので引き返し、帰りは大福山展望台へ向かう尾根に上る。13:55林道女ヶ倉線出合、そこに建つ四阿に入りお握りを食べる。傍らに日高誠實(ひだかのぶざね)顕彰碑が建つ。碑面には、「養老渓谷の奥深く、紅葉の名所として知Dsc04921られる秘境に梅ヶ瀬渓谷がある。この地は往年、日高誠實先生が官職を辞した後、文雅の道を楽しみつつ新居を構え、産業を興し、子弟の教育に後半生を捧げ尽くした地である。先生は天保七年(1836)、宮崎県美々津に日高謙三・蔦子の長男として生まれ、長じて高鍋藩明倫堂の教授となる。その間江戸に留学して研鑽をつみ、明治五年三月、陸軍省勤務を命ぜられ陸軍大尉となるも、明治十七年願に寄り陸軍省出仕を辞するや、翌十八年千葉県より官有地百八十八町四反を無料で借り受け、この地を梅ヶ瀬と名づけて理想郷をつくることを夢みて移住する。山林に梅、果樹、花木、杉等を植林し、養魚場をつくり産業を興す。また書塾梅ヶ瀬書堂を開き、寄宿舎には一時は八十名にも及ぶ子弟を収容し、市原、君津、夷隅、長生、山武郡下の青少年の育成に努め、産業の開発と文化の向上に尽くされた。先生はまた、詩文、和歌、俳句、書画などにも通じ、多趣味で悠々自適な生活を送られた。大正四年(1915)八月廿四日、八十才の長寿を保ち、山紫水明の地、鷹取山山頂に眠る。没後八十有余年の歳月が流れ、その屋敷跡には小Dsc04927さな石碑を残すのみで当時を偲ぶよすがはない。茲に有志相計り、顕彰碑を建立し、先生の遺徳を顕彰すべくその実現をみた次第である。 平成十一年十一月吉日 象閣 中村哲二撰文竝書」とある。ここで云う鷹取山とは御殿山の隣にある鷹取山のことであろうか。房総の山々に霧が流れて墨絵の世界が現れる。市原市の最高地点、大福山山頂(292m)にある白鳥神社にお参りしてから、林道女ヶ倉線を下る。杉林や竹林の中にある椎茸栽培場も荒れている。福一原発事故の影響であろうか、全く気の毒である。土砂降りを傘で躱しながら、15:15駐車地に到着。帰りは一般道を走り、19:00無事帰宅。走行距離202㎞。 

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