527. 武甲山・小持山・大持山

2014年6月4日(水)、歩程5時間半、単独   5:30起床。梅雨入り前に知知夫国総鎮守の秩父神社にお参りがてら、武甲山、小持山、大持山へ登りDsc00156に行く。タラコお握り3個を作ってもらい6:45出発。三郷西ICから外環道に乗り、関越道三芳SAで休憩、花園ICで出て国道140号線を走る。9:40道の駅ちちぶ到着、駐車場に車を置いて辰巳参道を歩き秩父神社へ。お参りと見学に1時間近く費やし10:30車に戻る。横瀬町の生川(うぶかわ)に移動、11:25一の鳥居をくぐった処にある大駐車場(標高540m)着。駐車スペースは30台分位あるが、既に20数台先着しており略満車状態、平日というのに人気がある山である。マダニとヤマビル避けにスパッツを着け、念入りに虫除けスプレーを噴霧する。また、熊よけの鈴もリュックに下げる。GPS(オレゴン450)のスイッチを入れるがメニュー画面が表示されない。碌に使ってもいないのにもう故障?、出鼻挫Dsc00092かれる。一の鳥居の傍らに武甲山御嶽神社表参道一丁目の丁目石があり、「壱丁目 尾田蒔村大字蒔田 町田芳治 風間(?)次郎」と刻まれている。尾田蒔村は明治22年(1889)に成立し、昭和29年(1954)に秩父市に編入するまで存続したので、その時代に奉納されたものと分る。歩き出して間もなくの生川集落に人の気配はなく、武甲茶屋も鱒釣り場も閉まっている。その先の空き地に「売地」の看板が立つが、このご時世に売れるとは思えない。11:43「十丁目」(標高630m)。11:48持山寺跡入口(標高680m)、「安政二卯(1855)三月 (?)佛 持山入口 西賢」と読める石碑が建つ。寺跡コースとてシラジクボへ抜ける道である。丁目石は永の風雪に打たれ、欠けたりDsc00098失われたりして、新たに補われたものも多い。林床にはフタリシズカが群生し、ガクウツギの飾り花の白さが際立つ。小滝のかかる水場は「十八丁目 秩父町 村田為吉」、祠に不動明王が祀られている。12:11「二十丁目」(標高795m)。参道は杉林の中をくねくね登っていくが、傾斜が緩くなかなか高度を稼げない。12:38「三十丁目 秩父郡秩父町 浅賀嘉市 大里郡熊谷町 材木商 原和吉」(標高965m)。12:47大杉の広場(標高1000m)。13:05「四十丁目 大野宗治 山口金三郎」(標高1105m)、お握りを食べてエネルギーを補給する。道端を良く見ると、クワガタソウやヤマムグラなど小さな山草が花を開いている。以前通った急階段道は崩壊Dsc00125の為通行禁止、13:34「五十丁目 秩父町 柿原小三郎 東京神田 山田光五郎」(標高1260m)。13:40ようやく御嶽神社に到着、社殿の石段手前に「五十二丁目」の丁目石が置かれている。狛犬は山犬(狼)像、傍らの文化十三年(1816)銘の石灯籠は倒壊しているが、東日本大震災の影響であろうか。お参りしてから裏手に回り展望所へ。山名標柱(標高1304m)と「1336-41+9 武甲山」なる標石がある。7年半ぶり二度目(前回は2006年11月19日)の山頂は、霞がかかり遠望はきかず、下界の秩父盆地、秩父市街地がぼんやり見える程度。神社下の東屋で2個目のおにぎりを食べる。辺り一帯はバイケイソウの大群落。14:00大持山へ縦走するコースに入り、シラジクボまで高低差200mを急降下、ウツギ、モリイバラ、ヤマDsc00137ツツジの花を見る。右カラマツ、左ヒノキの植林地を分ける尾根道を心地良い風に吹かれて進み、14:20シラジクボ(標高1088m)。四辻の峠で、右に降れば長者屋敷の頭経由で秩父鉄道浦山口駅へ。左に降れば持山寺跡経由生川へ。そこから再び高低差200mの上り返し、急坂で結構きつい。妻坂峠から逆コースで歩いてくる男性ハイカー2名とすれ違う。武甲山山頂までは下山してくるハイカー36名(男性24名、女性12名)とすれ違ったが、縦走コースを歩く人は少ない。標高1200m付近で露岩帯を越えると、15:02小持山山頂(標高1269m)に着く。山名板と道標が立つだけで三角点等はなし。東北面が開け、武甲山と二子山が視認できる。一旦60mほど下って登り返すと、Dsc0015015:45大持山山頂(1294m)に出る。ここも7年半ぶり二度目(前回は2006年12月8日)、三等三角点に熊野修験者が納めた御札(「奉修行武蔵国大持山入峯天下泰平如意祈攸 平成二十五年六月吉祥日 熊野修験 那智青岸渡寺」)が立て掛けてある。吹きっ曝しの山頂で1年間も良く持ち堪えたものである。そこから妻坂峠への下りは最初の内こそ穏やかだが後半は激下り、転げ落ちるような急坂の連続。来る6月8日(日)にNPO法人スポーツエイド・ジャパンの主催でこの登山道(浦山口~武甲山~小持山~大持山~生川)でランニング大会が開催されるようだが、こんな急坂をトレランで下ったら大怪我するのでは?。16:30妻坂峠(標高839m)に降り着く。ここも四辻で真っ直ぐ進めば武川岳山頂、右に降れば名栗村名郷。3個目のお握りを食べる。峠に立つ地蔵菩薩は7年前より風化が進み、「秩父郡上名栗邑山中 施主? 延享四歳(1747)」の刻銘も薄れている。17:10車に戻る。もう車は3台しか残っていない。帰りは国道299号線を走り、飯能、入間、所沢、さいたま経由、21:05帰宅。走行距離247㎞。 

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455.南天山

2010年5月9日(日)、歩程4時間、単独   5:00起床、今日は北秩父は中津川の奥に鎮座する南天山(1483m)を登る。Dsc02611 6:10出発、カーナビの目的地に秩父市中津川を設定。165㎞・2H50Mの道程。外環道、関越道、R140を走り、9:25登山口の鎌倉橋畔(標高845m)に到着、林道の路肩が広い部分に駐車する。駐車スペースは4、5台程度、川越ナンバーの先着車が1台ある。山頂まで3.2㎞の道を鎌倉沢沿いに遡行開始、埼玉県の“彩の国ふれあいの森”として遊歩道が整備されている。最初のうちは下に鎌倉沢を見ながら右岸を登っていくが、山側から落石がありそうな嫌な道が続く。まあ、道が付いているだけでも贅沢、文句は言えぬ。一旦沢床に降りて丸木橋で左岸に渡る。ウワバミソウはようやく芽吹いたばかり、木々の緑も浅く、Dsc02626 谷を走る水のきらめきが美しい。10:05法印の滝(同950m)に出る。落差は20mほどか、岩盤を末広がりの水がさらさらと優しく流れ落ちる。優美な滝であり見応えがある。道は左へ斜上し滝上へ出る。カタクリも若葉が出たばかり、ハシリドコロだけが逸早く花をつけている。沢床に下りたり、高巻いたり、丸木橋を渡ったりを繰り返す。要所には桟道や鎖が設置してある。10:25二俣(同1030m)出合、頂上へ1.8㎞の標識がある。道標に従い左側の沢に入る。10:37沢コース・尾根コース分岐点(1100m)に出る。帰りに沢コースを下ることにして、往きは距離が短かそうな右の尾根コースを選ぶ。ヒノキ植林地の斜面をジグザグに突き上げる。ぐんぐん高度を稼げるのは良いが久し振りの山歩きなのできつい。途中、下山してくる男性とすれ違い、又、追いついてきた男性に抜かれる。山頂付近はカラマツの植林地に変わり、瑞々しい早緑に覆われる。11:15漸く稜線(1415m)に上がる。左は遊歩道終点・沢コースへと続き、山頂は右へ150m。11:25南天山頂上(1483m)に上がる。  山頂は狭いが見晴らしは一級品、360度の展望が得られる。Dsc02656先ほど追い抜いていった男性と挨拶を交わし(東京からバイクで来たとのこと)、二人で四囲の山々の同定を行う。北面の右から両神山、赤岩尾根、赤岩岳、大ナゲシ、大山、天丸山、帳付山など。いつの間にか群馬県側の野栗沢と埼玉県側の大滝を結ぶ林道が開通したらしく、新しいトンネルと車道が見える。反対側に目を転ずると、目の前に秩父槍ケ岳、その後は白泰山に突き上げる稜線、その後が和名倉山、更に後ろが雲取山らしい。白泰山の後ろは奥秩父の稜線が連なり、顕著なピークは唐松尾山や笠取山か、登ったことが無いのではっきりとは分らない。Dsc02660 バナナを食べてエネルギーを補給し一服する。山頂に三角点や古い宗教痕はないが、熊野修験者が最近奉納した御札が山名標柱に打ち付けてあり、それには「平成二十一年熊野修験 奉修業武蔵国南天山入峯天下泰平如意祈攸 一月吉祥日 那智山青岸渡寺」とある。平成十八年の御札を破風山や天狗山でも見かけたが、未だに回峰行を続けているのであろうか。そうだとしたら奇特な事である。山頂にはアカヤシオの木が数本あり、上品な花をつけている。12:00下山開始、帰りは稜線を直進し「この先行き止り」の標識の所から左の鎌倉橋方面に下る。やはりヒノキ植林地をじぐざぐに急降下し、12:45沢に下りつく。そこから5分ほどで朝の尾根コース分岐に出る。法印の滝を経由し13:35車に戻る。今日山中で出逢ったのは単独行の男性ばかり3人、五月晴れの日曜日の登山者が僅か4名とは、静かな山である。帰りはR299などの一般道を使い19:00帰宅。

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427.川越山・伊豆ケ岳

2008年11月23日(日)、歩程4時間45分、単独   3回連続奥武蔵の里山歩き、家人に車で南柏駅まで送ってもらい7:59の電車に乗る。10:15西武秩父線正丸駅下車、好天。駅からR299を歩き旧正丸峠の道標を見て左に折れる。八坂神社と地蔵堂の前を通り、谷川沿いに細い車道を登っていく。Dsc03811やがて民家が切れ杉林の中の山道を行くようになる。山中に転落したのか違法廃棄したのか車が横転している。 11:00車道に出て少し先で再び右手の登山道に入る。杉林がずうっと続き全く展望がない。11:20旧正丸峠に登りつく。四辻になっておりそのまま直進して峠を下れば初花・芦ヶ久保方面、稜線右は先週歩いた虚空蔵峠・刈場坂峠、稜線左は正丸峠・正丸駅へ続く。左へ入り丸太階段の急坂をひと踏ん張りする。11:35三等三角点がある川越山(766m)に着く。展望は良くないが、木立を透かして先週登った丸山が見える。次のピークは正丸山(780m)、やはり木立に囲まれ展望は良くない。樹間から二子山から焼山、武川岳に続く稜線とその奥の武甲山、大持山などが眺められる。Dsc03831 そこまでは静かで良いコースであったが、正丸山には正丸峠から観光客が続々登ってくる。急坂を下り東屋で一服、お握りを食べる。12:07正丸峠に下りつく。奥村茶屋があり、結構繁盛している。昭和天皇陛下行幸記念碑、明仁親王殿下・美智子妃殿下行啓記念碑も建つ。伊豆ケ岳への道は茶屋の右脇を入る。ハイカーが続々降りてくる。小高山(720m)、五輪山と名前が付いたコブを乗り越えて行くと、いよいよ伊豆ケ岳山頂直下の岩場に差し掛かる。岩場を鎖で越えていくコース(男坂)は落石の危険があるらしく自己責任で登るようにとの看板が立つ。Dsc03836 推奨コースはより安全な女坂である。表妙義ほどではないが結構長く手強い鎖場である。登りきって岩頭に出ると眺めは最高で、二子山と焼山の間に懐かしい御荷鉾山と雪を被った浅間山とが見える。13:05伊豆ケ岳頂上(851m)に着く。三等三角点がある山頂は沢山のハイカーで賑わい、小学生と思しき団体までいる。今日はくっきりすっきり、奥武蔵や秩父の山々の眺めが良く、都心のビル群までも見える。伊豆ケ岳に登るのは15年ぶり2度目(初回は1993年4月18日)、前回は子の権現から吾野駅へ下ったが、今日は花桐集落から西吾野駅へ降る。Dsc03845 道標はないが、山頂から少し戻り、女坂合流点の先で右に下って行く急坂を辿る。暫らく杉林の急坂をジグザグに下ると、やがて谷川(花桐川上流)沿いの紅葉黄葉の美しい道となる。伐採されたスギの倒木が道を塞ぎ、落葉が厚く積もっていて道が判りにくい箇所もあるが、谷川に沿い右岸左岸と歩きやすい所を拾いながら下って行く。13:55漸く堰堤が現れる。その傍らに浅見家代々の墓所がある。その先で林道終点広場に出ると花桐集落最奥の民家が現れる。集落中心にある諏訪神社には灯が明々と点り、例祭日でもあるのか太鼓の音が聞えてくる。傾斜地の茶畑ではちょうど茶の木の花盛りである。R299へ出て国道沿いに暫らく歩くと西吾野駅に着く。時刻は14:58、直ぐに15:01の電車が入って来る。

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426.丸山

2008年11月15日(日)、歩程5時間、単独   10:05前回に続き西武秩父線芦ヶ久保駅で下りる。道標に従い県民の森・丸山方向へ進む。暫らくは林道生ノ谷線(車道)歩き、なかなかの急坂である。横瀬町農村公園入口を通過、芦ヶ久保の谷を挟んで対面に武甲山と前回登った二子山が見えてくる。今日は曇天で少しガスがかかっている。Dsc03683奥武蔵の山里の景色は今でもなお長閑である。 路傍には地元特産の果物や野菜を商う無人販売コーナーが何箇所も設けられている。10:50ようやく車道歩きが終わり、“味処竹の子”の先で山道に入る。直ぐに獣害防止用ネットの扉をくぐる。林の中にきのこ採りの人がいたので、目を凝らしながら進むと、切り株に乾燥して萎んだナラタケが出ている。幅広に開かれた防火帯の尾根を緩く登っていくと、道端に二体の石仏が立っている。一つは大日如来碑で弘化二乙巳(1845)年三月吉日、Dsc03686もう一つは観音菩薩像で安永八己亥(1779)年七月吉日の銘がある。 昔の峠道の名残であろうか。お参りして先へ進む。新しい登山靴も前回位から漸く足に馴染み違和感が薄れる。マウンドを3つ4つ越えていくと、突然車道が現れる。車道を横切り更に尾根道を進んでいくと、東屋が建つコブに出る。前方に電波塔が建つ丸山の頂が見えてくる。山頂直下まで車道が延びており、駐車場まで完備してある。これでは駅から歩く人がいなくなる訳である。 12:05三等三角点がある丸山頂上(960m)に着く。丸山は奥武蔵高原の最高峰、Dsc03689以前は正丸(小丸)に対する大丸と呼ばれていたこともあるらしい。山頂では団体など50名を超えるハイカーが思い思いの場所で昼食の最中である。広場には日本宝くじ協会寄贈のコンクリート製展望台も建つが、およそ山頂には似つかわしくない無粋な代物、もっとデザインに工夫が欲しい。雲行きが怪しくなってきたのでお握りを食べて直ぐ出発する。白石峠・大野峠分岐から関東ふれあいの道を大野峠方面へ下る。 直ぐにパラグライダーの飛出場があるが、今日の天気のせいで誰も飛んでいない。Dsc0369312:40大野峠、そこから苅場坂峠方面へ進むと車道と山道を交互に歩くようになる。13:00カバ岳、正丸駅9㎞、白石6.6㎞地点である。とうとう雨がぱらつき始める。カバ岳の先で痩せた岩稜を通過。ずっと稜線通しであるが左下に車道が見え隠れする。山中から犬の鳴き声が聞えてきたかと思うと、猟銃を担いだハンターとすれ違う。関東ふれあいの道で土日に狩猟とは非常識な所業である。なんといってもこの辺り休猟区ではあるまいか。 13:25牛立久保、そして13:40虚空蔵峠。石宮の中に祀られている古い石仏が虚空蔵菩薩と思われる。傍らに建つ東屋で2個目のお握りを食べる。Dsc03707そこから予定通り旧正丸峠を越えて正丸駅へ出るには2時間以上もかかる。途中で暗くなる恐れがあり天気もさえないので、林道刈場坂線(車道)を辿って正丸駅へ直行することに決める。紅葉見物をしながら車道をテクテク下って行く。14:03高麗川源流の碑、ポリタンクに水を汲む人がいる。その辺りの刈場坂では、平成13年の台風15号の大雨で山崩れが起きたらしく、平成15~16年に大規模な治山復旧工事が行われたようである。14:30みどり茶屋、閉鎖されて久しいようである。子の神戸でR299に出て、国道沿いに正丸駅へ向う。正丸橋のたもとで高木に巨大なヒラタケが発生しているを見つけるが、高過ぎて手が届かない。15:10ようやく正丸駅着、今日は車道歩きが長かったせいか最後はヨロヨロ、いよいよ年齢のせいかも。

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425.二子山・武川岳

2008年11月5日(水)、歩程5時間、単独   5:40起床、真っ暗。妻にお握りを2個作ってもらい南柏駅迄送ってもらう。6:50の電車に乗る。新松戸で武蔵野線に乗り換え新秋津駅下車、西武秩父線の秋津駅まで歩く。小手指、飯能で乗り継ぎ、9:35漸く二子山登山口の芦ヶ久保駅に着く。柏は本当に山が遠い。一旦道の駅に下りて西武秩父線のガードをくぐり山道に入る。Dsc03373「熊出没注意」の張り紙を見てリュックに鈴を付ける。空気が冷んやりしており手が冷たい。沢沿いにスギ林を緩く登っていく。林内にテンナンショウの赤い粒粒の実が目立つ。欅の大木も多い。涸れ沢に沿った急坂を登るようになると辺りはアカマツやカラマツの林に変わる。静かなコースで誰にも会わない。 最後は胸突き八丁の長い急坂であるがロープが張ってあるので助かる。11:00登りきると二子山雌岳頂上に出る。木立の中の狭い山頂で展望はない。雄岳への道標に従い、一旦鞍部に下り登り返す。11:18雄岳頂上(882.7m)、Dsc03379三等三角点が置かれているがそこも薄暗い木立の中で展望は良くない。少し先に行くと北西面が開けており、 目の前に痛々しい姿の武甲山と、眼下に秩父市街地、その向こうに両神山と二子山など上武国境の山々が見渡せる。山頂から急降下してアップダウンがある稜線を行く。武甲山の方向から石灰石を採掘する重機の音が響いてくる。二コブ目で左から林道が登ってくる。麓の二子山入口バス停に続く林道である。四コブ目の焼山頂上への登りは急坂、どうもこのコース急坂が多い。11:55焼山(850m)、Dsc03389展望の良い山頂から先ほど登った二子山を始め辿ってきた稜線が見渡せる。5人組と8人組の2グループが弁当を広げて賑やかに談笑中、当方も大休止とし鮭お握りを食べる。山頂から下って武川岳へ向う稜線もアップダウンがある。 登山道の左下を林道が平行して走っているがそこを辿るほうが楽、12:25林道終点、武川岳のどっしりした山体が近づいてくる。山々の紅葉はいまいち、スギやヒノキの植林に広く覆われ広葉樹が少なすぎる。緩く長い坂を登り上げると13:00武川岳山頂(1051.7m)に着く。3年半ぶり二度目の山頂であるがDsc03396今回も誰も居ない。実に静かな山である。 ミカンを食べただけで直ぐ下山にかかる。一旦下って緩く登り返すと13:20前武川岳(1003m)、ピークらしさは感じられず、木立の中で展望もない。そこから山伏峠と天狗岩コースに分れるが、迷わず上級者向け表示がある天狗岩コースに入る。しばらく鹿避けネット柵に沿いヒノキ林を急降下する。それにしてもスギやヒノキの植林地が続く。下生えは鹿が食べないアセビばかり、キノコは全く見当たらず楽しみの少ない山である。13:48天狗岩頂上、そこから累々と積み重なる大岩の基部に沿ってヒノキ林を急降下、ロープや鎖が欲しくなるほどの急坂である。天狗岩の下部に出ると今下ってきた道は女坂と判る。男坂は天狗岩の上を乗り越えて行く道らしく、なるほどあれが女坂なら岩場越えの男坂が上級者向けと言うのも素直に頷ける。14:26別荘地の車道に出る。今の時期、黄色の柚子の実が鮮やかに山里を彩る。14:38名郷バス停に着く。次のバスは14:43(その次は15:43)、just on timeである。バスの中で2個目のお握りを食べる。15:42飯能駅北口着、帰りは南柏駅から歩いて17:50帰宅。

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408.スルギ・子の権現・竹寺

2008年3月23日(日)、歩程5時間40分、単独   8:30家人に南柏駅まで送ってもらう。前回と同じく新松戸、新秋津、飯能乗り換えで10:58吾野駅下車、彼岸の日曜日とあって駅隣の法光寺に墓参する人も沢山降りる。Dsc06299 今日はスギ花粉の飛散が非常に多いとのことなので、歩き出す前に花粉カットマスクを装着する。前回降りてきた道を前坂めがけてゆっくり登っていく。11:35前坂着、四辻の峠になっており、直進して下ると中藤・竹寺方面、左は前回の大高山・天覚山へ続く稜線である。今日は右の稜線伝いにスルギ・子の山へ向う。昭文社の山と高原地図「奥武蔵・秩父」(1992年版)では迷い易い難路と表記されているが、今ではハイキングコースとして整備され歩き易い道が付いている。ピークを2つ巻いて一旦大下りすると山中に一軒の農家が現れ、その先で車道に降りる。地図にある稜線通しの道は西武建材㈱吾野鉱業所の採石場にかかり、発破作業がある為立ち入り禁止である。5分ほどで山道に戻ると、高麗川の谷を挟んだ対面に高山不動尊などの山並が見えてくる。Dsc06302そして、道端に古いお地蔵様が祀られている。明和三丙戌年(1766年)十月二十四日奉造立の銘が刻まれているので250年も前のもの、昔から子の権現へお参りする道だったのかもしれない。先へ進むと、今度は旧い墓石が15基ほど建ち並ぶ墓地が現れる。建立年を読むと江戸から明治にかけてのもの、下から上ってくる道も付いている。お彼岸でお参りする人があったらしく綺麗に掃き清められている。無縁墓が増える一方のご時勢に、良い子孫に恵まれた幸せなご先祖様達である。山中は今ダンコウバイ(?)の花盛り、枝先を飾る鮮黄色の小花が美しい。12:27三等三角点峰(522m)に着く。ブリキ標識に拠ると、「四本松」、或いは「栃屋の頭」という山名らしい。アセビやコナラに囲まれた狭い山頂で、吾野方面だけが開けている。20名ほどの団体が逆コースで登ってくる。このコースでこんなに大勢の登山者に会うとは思いもよらなかっただけに吃驚。12:50往復1分のタカソリ山(532m)に寄り道する。北面に高ソーリヤツなる沢が入っているのでその頭という意味か、漢字で“高反山”と書くなら群馬県の上野村にある山の名前と同じである。 ヒノキの樹林に囲まれ全く展望は無く、山頂の先は行き止まり。Dsc06320子の権現で鳴らす鐘の音が間近に聞こえる。 急坂を乗り切ると「六ツ石の頭(540m)」と書かれた小さな木札が下がるピークに出る。時刻は13:05、そこで昆布お握りを食べる。13:28久久戸分岐、そこからスルギ山頂を往復する。13:38スルギ(538m)山頂、三角点はおろか山名板も無ければ祠もない。立ち枯れの幹に巻いたビニルテープにマジックで山名が書かかれているのみ、ヒノキとヤブツバキの木立に囲まれ見晴らしも悪い。14:07子の権現参拝者駐車場の直ぐ下の道路に飛び出す。登山口にはスルギ方面を示す道標はなく、これでは逆コースを辿るのは難しい。15年ぶりに子の権現(通称;寺号は大鱗山雲洞院天龍寺)の本堂にお参りし、もう暫くは足腰が弱りませんようにとお願いする。Dsc06341 その後山頂(640m)まで登ってみる。山頂には釈迦堂と鐘撞堂があり、石彫十一面観音像や宝篋印塔などが建ち並ぶ。家内安全を祈願してひとつ鐘を撞く。本坊に500円を納め足腰お守りを受けてから関東ふれあいの道を竹寺へと向う。15:07豆口峠に着く。薄暗いヒノキ林の中に簡素な小屋と“神送り場”の説明板がある。曰く、「峠は隣の村との連絡路であるとともに、そこはふつう村境であることが多い。峠の近くには神送り場というところがあった。むかし悪い流行病などがはやると、村人たちは、夜中大ぜいで鐘や太鼓をたたいてここに駆け登り、頂上で疫病神を追い払うという習わしがあった」と。先へ進むと竹寺へ行く道が二手に分かれる箇所に出る。上道は鐘撞堂経由、下道は直接下るようである。Dsc06363 迷わず 上道に入る。テレビ埼玉名栗テレビジョン放送局のアンテナ塔の傍を通り15:30鐘撞堂に着く。「天王山八王寺平和之鐘 奉納牛頭天王宝前名栗村」銘の立派な鐘が吊ってある。そこでも鐘をひとつ撞き願い事をする。鐘撞堂が建つ山頂から10分ほど下り竹寺(通称;寺号は医王山薬寿院八王寺)の本殿にお参りする。牛頭天王を祀る本殿は平成11年に不審火で焼失し、平成15年に再建されたばかりのため真新しい。周りの杉の樹幹は今尚焦げており、当時の火災の激しさを物語る。境内を一回りする。寺名の通り竹林が美しく、亀甲竹は珍しい。また、白梅、紅梅、カンザクラ、サンシュユ、スイセン、ヒイラギナンテン、マンサク、ミツマタ、モクレン、ヤブツバキなどが花盛り、花の寺でもある。ゆっくりしたかったがバスの時間が気懸かりなので、名栗村の小殿めざして下山する。16:40小殿バス停着、国際興業のバスが1時間に2便の割合で走っている。次は16:57なのでちょうど良く、東屋の傍らのトイレの水道で洗顔し、花粉と埃と汗を流してさっぱりする。17:45飯能駅前着、20:00帰宅。

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407.多峯主山・天覚山・大高山

2008年3月15日(土)、歩程5時間30分、単独   ぽかぽか陽気の行楽日和、出足は悪いが山歩きに出かける。9:50出発、歩いて南柏駅へ。厚手のシャツでは汗ばむほどの陽気である。南柏発10:14の電車に乗り、新松戸、新秋津(→秋津)で乗り換え、11:55飯能駅に着く。初めて降りる駅、初めて歩く街である。本町、仲町と商店街を抜け、天覧山登山口のある能仁寺東参道入口に出る。P1070068 先ずは名刹の能仁寺にお参りする。「武陽山能仁寺は曹洞宗の寺院で、文亀年間(1501~1503)飯能の代表的武人、中山家勝が曹洞宗通幻派の名僧斧屋文達師を招いて開いた禅道場がはじまりといわれ、また中山家勝の子家範が本格的な寺院として創立したものといわれている。家範の子照守、信吉の兄弟は徳川氏に仕え大いに繁栄し、家康は当寺に香華料を寄進して保護を加えた。其の後、数代を経て中山直張の子直邦が黒田氏をつぎ五代将軍綱吉公に仕えて信任を得、以来当寺は厚く待遇され、元禄十年(1697)八月二十五日、前天台座主一品公辨親王の額字を賜った。現在本堂に掲げてある「武陽山」の額がそれである。宝永二年(1705)十二月二十七日、綱吉公より五十石の朱印状を賜り、当時は丹治一族の菩提寺として栄え、末寺も二十か寺を数えたという。慶応四年五月二十三日の飯能戦争のときに振武軍の本陣となったために焼失し、現本堂は昭和十一年能仁寺二十九世萩野活道師が再建した。」と寺暦に書かれている。P1070073 道標に従い奥武蔵自然歩道を登る。飯能市民は山が近くて幸せである。中段のテラスに立派なトイレと東屋がある。綱吉の生母桂昌院が寄進したという十六羅漢像が並ぶ岩の下を通り、ひと登りで天覧山頂上(195m)の展望所に着く。時刻は12:50、山頂には山名の由来となった明治十六年の明治天皇行幸記念碑が建ち、閉鎖になって久しいと思われる茶屋が建つ。南西面が開けており飯能市街地を一望できる。富士山や丹沢山は霞んでいて見えないが、奥多摩の山々が何とか見分けられる。一旦谷津まで下る。常盤御前伝説の見返り峠から先はスギとヒノキの植林地が続き花粉の飛散が激しい。喉がいがらっぽく鼻の芯が痛くなる。雨乞いの池の所から石段を登ると、飯能市指定史跡の黒田直邦候墓が建つ。P1070077 傍らの説明板に曰く、「この墓は、江戸時代に飯能地方を領していた黒田氏の祖、直邦候を葬るものである。候は丹党武人中山氏の出であるが、外祖父黒田直相に養われてその姓を名乗り黒田を称した。墓銘に「丹治直人」と丹党の姓が記されている。候は若い頃、五代将軍綱吉に出仕して三十人扶持を拝した。これが官に仕えた始めで、以後八代将軍吉宗に至るまで、実に四代五十四年も歴任し、信任厚く、進級に進級を重ねて、ついに侍従となり老職となり、いでては上州沼田城主三万余石の大名となった。候が飯能地方を領したのは宝永四年(1707)以降である。そして享保二十年(1735)七十歳でなくなったが、世嗣直純は、祖先ゆかりの地飯能に墓所を求め、霊場多峯主を選んで懇ろに葬り、永く一族領内の鎮めとしたものである。P1070087 なお黒田氏は二代直純のとき、上総久留里城主に転じ、飯能地方の領主に変わりなく明治維新に及んだ。黒田氏歴世の墓は能仁寺墓地にある。昭和50年7月、飯能市教育委員会」。今日は飯能地方の歴史に少し詳しくなる。そこからひと登りで多峯主山(とうのすやま)頂上(271m)に着く。時刻は13:30、三等三角点と経塚がある。山名の通りこの辺りの山ではひときわ高いので眺めは天覧山より数段上、360度の展望が得られる。奥武蔵、奥多摩の山々の眺めが良い。ベンチに座って一服、行動食でエネルギーを補給する。山頂から高麗駅めざして下る。武蔵台団地を抜けてどんどん降り、14:15高麗駅に着く。物足りないのでもう一山、天覚山を登りにいく。P107010014:41の電車に乗り東吾野駅へ。沿線は梅の花が満開である。14:52東吾野駅、踏切を渡り道標に従って進むと直ぐに杉林の山道に入る。林床はフユイチゴの群落、15:02沢コースと尾根コースの分岐点に出る。そこから尾根コースを辿ると結構な急登の連続、しかもずっと杉林の中で鼻の奥がツンツンする。 傾斜が緩むと間もなく小広いテラスに出る。そこは両峯神社跡である。今は瓦礫が残るのみで侘しい。両峯の意味するところは天覚山と大高山のことであろうか。左から回り込むように登ると天覚山頂上(445m)に着く。時刻は15:37、小広い山頂には三等三角点と6脚のベンチが置かれている。眺望はいまいち、時間は遅いが更にもう一山と稜線通しの大高山へ向う。P1070103稜線上もスギとヒノキの植林帯で眺めは良くないが、道はしっかり踏まれている。無名ピークというかコブを五つ、六つ越えて行く。途中から前方に立派な姿の大高山が見えてくる。 最後は急登、小石祠が現れ傾斜が緩むと間もなく大高山頂上(493m)に着く。檜の大木に山名板が2枚打ち付けてある。三角点などは無く、檜の木立に囲まれ展望も良くない。一服した後下山、車道を横切り17:15前坂、そこから吾野駅へ下る。法光寺墓地へ出て花立て用の水道水で顔を洗う。汗と花粉のざらざらを落としさっぱり。吾野駅は目の前、ガードをくぐって17:41駅に着く。

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406.破風山・大前山・天狗山

2008年2月29日(金)、歩程3時間30分、単独   9:30出発、外環道、関越道、R140を使い破風山登山口の皆野町下日野沢へ向う。途中嵐山PAで休憩、12:05秩父札所34番の水潜寺駐車場に着く。登山者は駐車しないようにとの看板が出ているが、Dsc06183 巡礼シーズンオフの平日とあってお遍路さんの姿もなし、ままよと駐めさせてもらう。水潜寺本堂前の石段を降り、沢沿いの巡礼道を登っていく。北面なので所々に残雪があり固く凍結している。一面鬱蒼とした杉林であるが花粉の飛散は感じない。12:45札立峠に登りつく。峠には小さい観音様が祀られており、その傍らに「平成十八年熊野修験 奉修行武蔵国札立峠入峯天下泰平如意祈修 八月吉祥日 那智山青岸渡寺」と記された御札が納められている。又、大正十年(1921年)一月に頼母澤青年団が建てた石標もあり、「(東)櫻谷ヘテ國神村ニ至ル、(西)上日野沢方面行、(南)頼母澤ヘテ久長ニ至ル、(北)札所三十四番ニ至ル」と刻まれているDsc06187。いずれの地名も今尚山麓の集落名に残っている。 又、峠の直ぐ下に建つ廃屋は昔の茶屋か巡礼宿の名残だそうで、30年位前までは尾沢国一さんという方が暮らしていたとのこと、今や車を使って観音霊場巡りをする人が多くなり、昔巡礼の人々で賑わった峠道も寂れる一方である。山頂は左へ0.5㎞、傾斜がきつくなりアセビの木が多くなると破風山頂上(627m)に着く。時刻は13:05、狭い山頂には三等三角点と陶製の祠が置かれている。埼玉県が建てた山名看板によると、破風山は「はっぷざん」と読むようである。秩父八景に選ばれるだけあって眺めは良く、秩父盆地、比企三山、奥武蔵と奥秩父の山々が一望に見渡せる。今日は風も無くぽかぽか陽気、絶好のハイキング日和である。地元のご夫婦が登ってくる。Dsc0619513:25札立峠に戻る。このまま下るのは物足りないので峠から右へ続く尾根道に進んでみる。 道標には如金峰とあるが、昭文社の山と高原地図によると“奇岩ノッキンボウ”の表示があり、如金峰はノッキンボウと読むようである。“富士浅間大神”と刻まれた大きな石碑(明治二十六年正月十七日奉安)が建つピークを過ぎると、“如金(によっきん)さま”と名付けられた大岩の根本に出る。成る程それらしい有り難いお姿をしている。傍らに説明板があり、「如金は金精大明神で生々化育の神とされています。この地では霊験ある疣神様(いぼがみさま)としてあがめられ、Dsc06197願掛けの人と筒酒を持って御礼にくる人でにぎわいました」と記されている。どうも水潜寺の裏山一帯は昔から日野沢地区で暮らす人々の信仰の山のようである。 13:40鞍掛山(629m)、プラスチック板の山名プレートが立ててあるが凡そピークらしからぬ所である。尾根が痩せてきて鎖場も現れるが難しい箇所はない。13:50大前山頂上(653m)、山頂直下に神官像(頭部なし)が祀られている。山頂を挟んだ両側の登山道には注連縄も張られており、今でもお参りする人がいることを示している。所沢から来たという男性が休んでいたので少し言葉を交わしてから、目の前に見える三角峰の天狗山へ向う。一旦鞍部に降り、急坂を登り返して14:10山頂に出る。Dsc06202 標高表示は無いが大前山と同じ位の高さか、トタン屋根の祠が祀られ、祠の中に札立峠で見かけたのと同じ熊野修験の御札(奉修行武蔵国天狗山入峯天下泰平如意祈修)が納めてある。2年前の夏に熊野修験者がわざわざ出張ってきて、秩父の山々を経巡ったのであろうか。狭い山頂はアカマツに囲まれ展望はいまいち、干し芋を食べてエネルギーを補給する。山頂の少し先から右へ下って行くと山間の小集落大前地区に出る。10軒ほどの集落は静かで人影も見当たらない。「バス停へ」の道標に従い杉林の中の山道に入る。歩く人が少ないのか道は荒れ気味で横たわる間伐材を跨いだり潜ったりして越える。15:05秩父華厳の滝の少し下流で日野沢を渡り県道に出る。せっかくの機会なので滝見に行く。入口の看板に全国第10位の滝に選ばれたと大書してあるが、第1位は青森県鯵ヶ沢町のくろくまの滝(日本百名瀑)、誰がどういう基準で選んだものか、さっぱり分らない。今はオフシーズンで茶店も休業中、落差20mの滝は水量も乏しく、この程度の滝なら全国に山ほどあるのではと思われる。15:40車に戻る。もう一度水潜寺へお参に行く。15:55出発、帰りは一般道を使う。R140、R17、R16、岩槻からは高速道の側道を走り19:50無事帰宅。

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405.高山不動尊・関八州見晴台

2008年2月16日(土)、歩程5時間、単独   一ヶ月ぶりの山歩き、妻に南柏駅まで送ってもらう。好天ではあるが風が冷たい。南柏発9:09の電車に乗る。新松戸、新秋津、飯能で乗り換え、11:30ようやく西吾野駅に着く。風が収まりぽかぽか陽気になる。西吾野橋を渡って直ぐ右折し、高麗川支流に沿って車道を歩く。Dsc06096 1㎞ほど行くと高山不動尊の道標があり、それに従って川を渡り返すと登山口に出る。所々に雪が残るつづら折れの林道を登って行くと子の権現遥拝所に出る。高麗川の谷を挟み対面する山がそれらしいがよく分からない。 付近にはタラノキと寒イチゴが多い。やがて林道と別れ尾根を直登するようになる。傾斜が緩むと吾野駅から登ってくる道に合流し、間もなく萩の平と高山不動尊との三叉路に出る。その辺りから凍結した積雪路が続くようになり安全のためアイゼンを着ける。13:10高山不動尊の境内に着く。目の前に埼玉県指定天然記念物の大イチョウが聳える。推定樹齢800年、樹高37m、幹回り10mの巨樹は、露出した根に気根を垂らしている。ベンチに座ってアイゼンを外し一息入れる。エネルギーを補給した後、不動堂へ続く急な石段を上る。千葉県の成田山新勝寺、日野市の高幡不動尊金剛寺とともに関東の三不動といわれるだけあって、不動堂は桁行五間、梁間五間の堂々たる建物である。Dsc06104_2 文政13(1830)年の大火で高山一山が焼失した後に幕末にかけて再建された不動堂は、平成4年に埼玉県指定有形文化財に登録されている。早速お参りして家内安全を祈る。残念なことに正面扉は固く閉ざされ、国指定重要文化財の「木造軍荼利明王立像」や県指定有形文化財の「絹本着色不動明王画像」などは拝めない。不動堂前から右へ進み、高山地区の急な車道を登っていくと、休業中の茶店が2件並ぶ鳥居跡という三叉路に出る。茶店の裏手から関八州見晴台へ関東ふれあいの道が登っていく。Dsc06113 14:10関八州見晴台と名付けられた山頂(771.1m)に着く。もともとは高貴山常楽院の旧本堂があった所で、小広い山頂に今は高山不動尊の奥ノ院と東屋が建っている。奥ノ院は昭和54年の再建で、内部に五大明王像を刻んだ石碑が祀られてある。山頂からの展望は申し分なく、関八州(相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野)の見晴台という呼称もあながち大袈裟ではない。西北面には奥武蔵、奥多摩、奥秩父の山々が連なる。武甲山、両神山、二子山、蕎麦粒山、大岳山は山容が特長的なのですぐ判る。南東面も広く開け、関東平野に東京の高層ビル群が林立する様がよく見える。山座同定をしているうちに寒くなってきたので14:40下山開始、鳥居跡から先は車道を吾野駅めざして歩く。途中、三ノ輪神社と常楽院本坊に立ち寄る。真言宗のお寺さんである。この車道が表参道らしく、要所要所に大きな石灯籠が建つ。16:03瀬尾地区を通過、16:35漸く吾野駅に着く。

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388.熊倉山

2007年3月4日(日)、歩程5時間30分、単独Dsc00287   カーナビに白久駅を設定し9:00出発、薄曇だが暖かい。西の地方は最高気温20℃を越える予報、バカ陽気である。 外環、関越道を走り、花園ICを出てR140で秩父に入る。白久駅から登山口へ向う途中、第30番札所の法雲寺があったので参拝し、朱印帳に納経印を戴く。12:05白久(谷津川林道)コース登山口着、少し上の路肩スペース(車2台分)にRVRを駐める。標高は420mほど。谷津川に沿い左岸のスギ植林地を登って行く。花粉症なら敬遠したくなる箇所である。暑くて直ぐにセーターを脱ぐ。急登に次ぐ急登、Dsc00292_1一気に高度を稼ぐ。林道コースと云うが所謂イメージするところの林道ではなく、植林用の作業道で普通の登山道である。12:50トタン屋根の造林小屋(755m)に着く。知人に贈ってもらったコカコーラ社の新商品、ミニッツメイド朝の健康果実を飲みリフレッシュする 。そこからは山腹を巻いて行く水平道を暫く進む。 谷側へ傾斜が付いていて転落要注意、決して歩き易くはない。巻き道が終ると沢を一本渡り、ホオノキが多い尾根を急登する。13:25荒川村営林署小屋跡(865m)に出る。壊れかけているが、Dsc00294 屋根があり床板の一部も残っている。緊急避難時には充分使える。そこからヒノキの植林地を登る。 これまたきつい登りである。林道標柱NO.15(1,150m)の所で一服、ミニッツメイドをもう一本飲む。漸く沢筋に残雪が認められるようになり、 登山道も所々に凍結箇所が現れる。14:25高根(1,290m)なる稜線に上る。薄暗い植林地帯の急登が終り、明るい雑木林を緩く登るようになる。但し道は稜線ちょい下の北側に付けられている為、凍結していてツルツル、狭く谷側に転落する危険がある。やむなくアイゼンを装着する。Dsc00301_1狭い場所で不安定な姿勢でアイゼンを着けていたら右脚が攣る大ピンチ、やれやれ歳は取りたくない。15:00三門(みつかど)の広場(1,360m)と名付けられた山頂直下にある小広場に出る。落葉樹がまばらに生え、昼寝でもしたくなる感じが良い場所であるが、時間が遅いので先を急ぐ。そこからひと登りで漸く山頂(1,427m)に着く。 時刻は15:15、標高差1,000mの登りはさすがにきつい。山頂には、錆びた山名板と三等三角点があり、少し先に石祠も奉納されている。意外なことに信仰の御山である。Dsc00298山頂は木立に囲まれて展望は良くない。石祠の所は開けており、大血川の谷を挟んで対面する三峰山の姿が大きい。誰もいない山頂でチーズパンを食べる。15:30下山開始、帰りは最短コースの大肌尾根(城山コース)を下る。15:54武州日野分岐(1,230m)、アイゼンを脱ぐ。コブを3つ越えてから稲妻状のジグザグ道を急降下、 上部は落葉樹、下部はスギの植林地である。17:15城山コース登山口のある車道(600m)に出る。車道の向かい側に20~30台入る駐車広場があり、その一隅に熊倉城址入口を示す標柱が建つ。そこまで車で入って城山コースをピストンで登るのが正解と思われる。車道を下り、薄暗くなった17:40車に戻る。R299、R463、R298を使い21:20帰宅、一日の走行距離263㎞。

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