582. 多宝山・弥彦山(弥彦村)

2016年8月19日(金)、歩程2時間、同行妻   越後国一ノ宮弥彦神社参詣の序に、山頂にある奥宮(御神廟)詣でも兼ねP8190338て、東京スカイツリーの高さと同じ標高634mの弥彦山に登る。8:30ラ・フォーレ白馬をチェックアウト、糸魚川ICから北陸道に乗る。途中、上越市の越後国一ノ宮居多神社と五智国分寺に参詣、春日山城址等を見学。再び北陸道を走り三条燕ICで出て弥彦神社大駐車場に14:20到着。早速参詣を済ませる。御札授与所の巫女さんに尋ねると、弥彦山山頂へはロープウェイも通じているが、車でスカイラインを上る手もある由、今回は後者を選ぶ。弥彦山スカイラインは嘗て有料道路だったと思われるが現在は無料、15:10山頂大駐車場(標高530m)P8190340に着く。駐車場も無料、新潟県のおもてなしは徹底している。駐車場から見渡すと北に姿形の良い山が見える。GPSで確かめると多宝山とあり標高も弥彦山と同じ634m、先ずは多宝山へ登ってみることに。最初は石段が園地まで続く。熱中症で倒れるのではと思う位暑い。妻を途中の園地に待たせ、生茶1本だけ持って前進。ウォーキングシューズなので歩き難い。途中車道を横切り、急坂を駆け上がり、15:40漸く多宝山(旧称十宝山:標高633.7m)山頂に着く。一等三角点が置かれ、新潟地方気象台弥彦山気象レーダー観測所が建つ。国土地理院のHP・基準点成果等閲覧サービスに拠ると基準点名は「弥彦山」、弥彦山山頂は弥彦神社の奥宮が建つ神域なので、此処に三角点を設置したのであろう。往路を下P8190353山し妻と合流、16:05一旦車に戻る。今度はクライミングカー(傾斜式観光エレベーター、定員30名)に乗って弥彦山頂上へ。クライミングカーは片道220円、往復380円、終発の17:05に間に合わない恐れがあるので片道切符を買う。山頂一帯はNHKや新潟FM等の無線中継所が林立する電波塔銀座、その間の緑陰の階段道を上っていく。弥彦観光索道株式会社が奉納した石鳥居をくぐって16:30弥彦山山頂(標高634m)に出る。三角点はなく、山頂部を玉垣で囲み、鳥居を立てて奥宮(御神廟)を祀る。日本海に浮かぶ佐渡島と越後平野が見渡せる。絶景かな、吹き渡る風が涼しい。急いで引き返すとクライミングカーの終発に辛うじて間に合い17:10車に戻る。あとは柏へ直帰、北陸道、関越道、外環道を走り、22:35無事帰宅。

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456.金城山・坂戸山

2010年5月16日(日)、歩程6時間、単独   山菜採りを兼ね久し振りに新潟の山へ。高さも手頃な三国山脈の一峰、Dsc02744 金城山(1369m)に登ることとし6:00出発、カーナビの目的地に六日町の代表地点をセットすると235㎞・3時間の道程。外環道と関越道を走り下牧PAで休憩、六日町ICを出て道を尋ねること三回、9:40漸く五十沢温泉奥の大倉登山口に到着。 車5台分程の駐車スペースがあり先着車は3台、標高は約300m、山頂までの比高差が1,000m以上もある。先着の車は山菜採りにきた地元の人達、皆太いゼンマイを沢山取って戻ってくる。金城山の上部は未だ残雪があり、アイゼンも持たずにどこまで行けるか分らぬがとりあえずスパッツを着けて山に入る。入口の案内図看板は倒れていてコースが登山口で二分していることに気付かず、Dsc02757_2 左の尾根コース(水無尾根コース)に進んでしまう(右の滝入コースの方が正解)。雪渓が消えて間もない道沿いはカタクリの大群落に加え、キクザキイチゲ、コゴミ、サンカヨウ、ショウジョウバカマ、ショウマ類、ゼンマイが多い。沢を渡ると短い鎖場があり、そこからは急坂に変わる。10:25炭釜と云う二合目(450m)到着、登山口から520m、山頂まで2,666mとある。そこから稜線を進むようになる。登山道沿いは(コ)イワカガミの群落、花は終わりかけている。後を振り返ると眼下に五十沢方面の集落と水田地帯が見え、前衛の高倉山の奥に、Dsc02753八海山、駒ケ岳、中の岳の越後三山が望まれる。一旦弛んだものの長いロープ場から先は又も急登、きつい。 コシアブラの木が多くなる。ロープか鎖が欲しくなる急なガレ場を木の枝に掴まりながらクリア、ナイフリッジのような痩せ尾根も数箇所ある。これが一般向きのコース?、鎖もロープも古びているし、道標もよれよれ。ブヨがいないのが救い。ムラサキヤシオやタムシバの花が現れると漸く四合目(700m)、時刻は既に11:15を回る。どうも今日は調子が出ない。イワウチワやオオカメノキの花に慰められつつ800m附近に達すると、広い稜線に雪がどっさり残っておりDsc02778登山道が分らなくなる。傾斜は急だし、雪上に足跡はなく誰も登っていない様なので潔く撤退を決める。 帰りは山菜を採りながらぶらぶら下山、ウルイ、コゴミ、コシアブラ、ゼンマイ、トリアシショウマ、ワラビなどを摘む。雪深い土地の山菜は太くて大きくて立派である。13:00車に戻る。まだ早いので隣の坂戸山(634m)に転進する。裏登山口もあったが表側に回り、13:30坂戸城跡入口駐車場(標高180m)に車を駐める。坂戸山には大規模で堅固な山城遺構が残っており、国の文化財に指定されている。六日町教育委員会作成の案内板には、「国指定史跡 坂戸城跡 昭和五十四年三月十二日指定 坂戸城のはじまりは定かではないが、南北朝時代(十四世紀)、Dsc02835越後守護上杉氏の家臣長尾氏の一族がここ上田荘に入り、領国支配を始めたと伝えられている。以後、上田長尾氏は守護代長尾氏と並んで越後の国に重きをなし、坂戸城は越後と関東を結ぶ交通路の抑えとして重要な位置を占めるに至った。 上杉謙信の父守護代長尾為景と守護上杉氏が争った永正の争乱期(十六世紀初頭)、長尾房長によって山頂部から山麓部にかけ本格的な山城が造られた。その後も上田長尾氏は守護代長尾氏と強調しつつも独自性を保っていたが、1551年(天文二十年)、房長の子政景(謙信の義兄)は謙信と盟約を結び、臣従するに至った。Dsc02836 謙信の養子となって春日山にいた政景の子景勝は、謙信の死後、御館(おたて)の乱(1578-79年)で景虎(北条氏からの養子)を破って越後国主となり、坂戸城は有力な支城としてその役割を果たした。御館の乱の際、坂戸城は景勝によって大改修が行われている。1598年(慶長三年)、豊臣秀吉による景勝の会津への国替えに伴い、堀直奇(なおより)が入城したが、1610年(慶長十五年)信濃国飯山に移り、坂戸城は廃城となった。山頂部一帯の郭を実城(みじょう)と呼び、山頂から派生する尾根には主水郭(もんどくるわ)・大城・小城・寺が鼻郭、実城から北へ下ったDsc02845桃之木平には広大な郭がある。山麓には石垣を持つ居館跡の御館(おたて)・家臣屋敷跡、御館の南方、薬師尾根の北側中腹には御居間屋敷(おんまやしき)と呼ばれる屋敷跡がある。家臣屋敷跡と魚野川の間には内堀跡があり、埋田と呼ばれている。御館などの石垣は堀氏時代に築かれたといわれている。」とある。城坂コースを登る。一帯はカタクリの群生地、花は終わりかけている。御館跡や家臣屋敷跡の傍らには上杉景勝・直江兼続生誕碑や顕彰碑などが建つ。13:50薬師尾根遊歩道を右に見送り、急坂をじぐざぐに登っていく。コゴミの群生地は摘み頃を過ぎているが今Dsc02842 はワラビやヤマウドの最盛期、山菜採りの人も随分山に入っている。山中ではウワミズザクラの白い花穂やイカリソウの桃色の花が目立つ。 14:45桃の木平、そこもカタクリの大群落。15:05漸く山頂に出る。山頂には木の花咲耶姫を祭神とする富士権現社が祀られており、社殿の傍らに二等三角点がある。展望は素晴らしく、南東に金城山とその奥の巻機山(牛ケ岳)、南に谷川連峰と苗場山、東は丹後山から中の岳へ続く利根川水源の山々、北東に駒ケ岳と八海山、その左の魚沼盆地の奥に浅草岳と守門岳の雪嶺が望まれる。まさに、オーパ!。続続地元の人が登ってくる。聞けば、チャレンジ坂戸山登山に挑戦している人々で、殆ど毎日のように坂戸山に登るらしい。社殿の中に登頂記録簿が置かれ、千回、二千回、三千回登頂記念の絵馬等が奉納されている。因みに三千回を達成したのは六日町の桑原澄さん、平成15年11月のことである。15:40下山、16:35車に戻る。帰路、日本一の庵寺という雲洞庵に立ち寄るも受付時間が終了しており拝観できず、塩沢・石打ICより関越道に乗る。赤城高原SAでおおぎやラーメンを食べ、25㎞の渋滞をくぐりぬける。21:10無事帰宅。

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396.平ケ岳

2007年8月20日(月)、歩程13時間30分、単独   前日の12:00柏を出発、一般道を走り塩原温泉、 桧枝岐村経由で平ケ岳登山口の鷹ノ巣(標高880m)に18:20到着、登山者用駐車場に車を入れる。土浦号と神戸号の2台が先着しており明日の登山に備えて早くも車中泊態勢を敷いている。道路向側の広場には水洗式トイレもあり快適な泊地である。アイの後席を倒してフラットスペースを作り横になる。RVRより楽な姿勢がとれる。19:00頃暗くなる。夜中にトイレに起きると満天の星と天の川、ホタルもあちこちの草陰に光る。明け方近くになると冷え込んできて毛布なしでは寒いほど、3:00頃起き出して準備にかかる。空が断続的に明るくなるのは遠くで雷が光っているらしい。登山届を投函し3:55出発、ヘッドランプを点灯して林道を緩く登っていく。「山頂まで10.5㎞」道標に従い右折、山道に入る。4:30薄明るくなる。雷が大分近づいてきた様子で雷鳴が聞こえてくる。4:45頃突然雨が降りだし慌てて雨具を着る。直ぐにたたきつけるような豪雨になり、目の前で雷光が走り生きた心地もしない。 P1040823痩せ尾根上で隠れる場所もないので岩陰に伏せてひたすら雷雲が通り過ぎるのを待つ。30分ほど経つとどうにか小降りになる。5:20前坂(1,180m)、キタゴヨウマツが生える痩せ尾根の急登が続く。アカモノを口に含みながら黙々と登るうち、やがて傾斜が緩み下台倉山(1,604m/鷹ノ巣3.3㎞、平ケ岳7.2㎞)に着く。時刻は6:45、雨は降ったり止んだり、アンパンを食べ小休止。そこから台倉山まではクロベとオオシラビソの林の中の稜線歩き、文字通り台形の山稜で緩いアップダウンを繰り返して行くが、この横歩きが実に長い。フサクギタケとベニハナイグチを見つける。 8:00台倉山(1,695m)頂上に着く。三等三角点があるだけで山名標柱もない。下台倉山も台倉山もピークというよりは肩かコブといった所、周りの山は雲に隠れて見えない。P1040834そこから先はオオシラビソの樹林帯に入り所々の湿地やぬかるみには木道が敷設してある。登山道の整備が行き届いており有り難い。8:20台倉清水(鷹ノ巣5.6㎞、平ケ岳4.9㎞)の標柱が建つ鞍部に着く。1、2分下ったところにオホコ沢源頭部があり、か細い流れであるが水は得られる。そこで恋ノ岐川を遡行してきたという男性と出逢う。全身黒尽くめの上に単独なの で熊が出たかと思い吃驚、爽やかな笑顔を残し夏道を降って去る。樹林帯の中の登山道脇でオオキツネタケ、クサハツ、クロハツモドキ、ハナガサタケ、ヒナアンズタケ、ムラサキカスリタケなどのキノコを次々に見る。今日は先が長いのでじっくり観察したり写真を撮ったりする余裕がない。9:18白沢清水(鷹ノ巣7.3㎞、平ケ岳3.2㎞)、湧水池らしいが溜まり水様で緑藻に覆われ飲む気がしない。P1040866標高はやっと1,740m、下台倉山から2時間以上歩いているが僅かに150mしか高度を稼いでいない。オオシラビソ林の中の木道歩きが更に続き展望は全く得られない。やがて樹林帯を抜け出ると前方に池ノ岳が大きく立ち塞がるように聳え、その左に待望の平ケ岳が姿を現す。 ネマガリタケの中の抉れた登山道を池ノ岳めざしてじりじり登る。疲れた体にはきつい登りで途中度々休憩し、オオバスノキの実をかじる。エゾシオガマやミヤマコゴメグサが咲く草むらにマムシを3匹も見つけてしまい、うっかり腰も下ろせない。10:52漸く池ノ岳(2,080m)に登りつく。矮小なオオシラビソとハイマツの中を100mほど進むと突然視界が開け姫池に出る。池塘が点在する湿原の向こうに平ケ岳がたおやかな姿を見せ、P1040892これまでの疲れも吹き飛ぶ思い。湿原に咲く花はイワショウブ、キンコウカ、タテヤマリンドウなどで、 ニッコウキスゲやチングルマは花期が終わっている。池塘の水が流れるツガ廊下を進むと、10人の団体が2組下山してくる。福井県から来たという深田百名山ツアーの一行で、宮様林道(中ノ岐林道)から入山して3時間で山頂に立てたとのこと、複雑な思いである。平ケ岳の山頂部にも池塘と湿原が広がり木道歩き。11:30とうとう平ケ岳の頂上(2,141m)に着く。いやはや遠い。ネマガリタケを刈り払いした乾地に二等三角点と山名標柱がある。もう誰もいない。P1040883 利根川と阿賀野川源流部の奥山は深い静寂に包まれる。天気は良くなってきたが周りに重畳する山は依然雲の中である。携帯電話が使えるので山頂に着いた事を自宅に連絡し12:00まで休憩する。12:00山頂を辞し12:20姫池に戻る。 奇岩玉子石を見に行く元気は無く真っ直ぐ往路を戻ることにする。新たに3人組が鷹ノ巣から登ってくるのに出逢う。天候はすっかり回復、陽射しが暑くなる。13:14白沢清水、14:09台倉清水、ペットボトルに沢水を補給する。14:30台倉山、漸く雲がとれ会津駒ケ岳、燧ケ岳、日光白根山がくっきり見渡せるようになる。15:30ようやく下台倉山、ゆべしを食べアクエリアスを飲んで小休止する。そこからの痩せ尾根は途中3回ほど小休止を取りながら慎重に降る。17:10林道に下りつき一安心、沢水が道路を冠水して横切っているところで顔を洗い生き返る。林道の土手にツチカブリが群生している。17:30登山口、無事に下山届を提出する。17:55着替えを済ませ出発、遅くなったので小出へ出て関越道を使って帰る。20:40赤城高原SA、一休みしていつものように赤城ラーメンを食べる。関越トンネルを抜けると群馬県側は猛烈な雷雨で50㎞の速度規制、これでは飛ばせない。23:30往復560㎞を走って無事帰宅。

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377.荒沢岳

2006年9月3日(日)、歩程9時間30分、単独   前日のうちに銀山平に入り遊覧船乗り場前の駐車場で車中泊。5:00漸く明るくなる。銀山茶屋前の広場に車を移動し握り飯を食べる。5:35出発、5:45登山口、登山カードを投函する。前山へはブナとミズナラの林の中を急登、ヤマナメクジにかじられたチチタケを何本か見る。朝から結構蒸し暑い。P1020048_16:34三等三角点がある前山(1,091m)に着く。 道は刈り払いされている。ツエタケがぽつりぽつりと出ている。7:48前嵒基部(1,315m)に出る。「ここから岩場、注意!」の看板が掛けてある。数連の鎖と4箇所の梯子を伝って中間点(といっても岩場全体の3分の1位のところ)のテラスに上がる。前方に立ち塞がる鋸歯状の岩峰はロープを伝い左側へトラバースして巻く。その付近はハク サンシャジン 、オヤマリンドウ、タテヤマウツボグサ、ジョウシュウオニアザミの花畑になっているが、P1020019ゆっくり鑑賞するだけの気持ちの余裕は無い。下りきった地点から左へ岩場を斜上する。六十肩を抱える身にはハードな鎖場が延々と続く。ガスが出てきて何も見えなくなる。8:51漸く前嵒の山頂(1,536m)に着く。荒沢岳1.8㎞、伝之助小屋3.5㎞地点である。荒沢岳は手持ちのガイドブックによると「一般向けB」であるがずっと手強く感じる。昨夜の寝不足、六十肩、蒸し暑さの三重苦で今日は調子が上がらず、 次々と後発の登山者に追い抜かれる。登山者は殆どが単独行の男性、しかも30~40歳くらい の若い人が多い。P1020029 今日出会った登山者16名のうち、女性は夫婦と思しき2人組の1名のみ、珍しく女性が少ない山である。前嵒から山頂までの比高430mの登りも又きつい。早くもバテ気味、雪渓から吹き上げてくる涼風が心地好い。稜線はミヤマママコナやミヤマアキノキリンソウの花盛り、山上は秋の気配が濃い。11:03標準コースタイム4時間半を大幅に超過して漸く荒沢岳頂上(1,967m)に到達する。中には3時間半で登って来たと言う人もおり、皆健脚である。三角点は磨耗しており何等か(おそらく三等)分からないが、P1020038_1  奥只見山岳会の立派な山名石碑が建ててある。兎岳と平ケ岳の山頂には雲がまとわりついて離れない。越後駒ケ岳も中ノ岳も完全に雲の中である。1時間もの大休止をとってから下山を開始、途中からガスが晴れ銀山湖と未丈ケ岳が見渡せるようになる。生茶500ミリリットルを飲みきり、水500ミリリットルも残り僅か、未だ先が長く大ピンチ。13:27ようやく前嵒に戻る。バテバテで皆に抜かれとうとう最後尾になる。14:21前嵒中間テラス、14:42前嵒基部、六十肩も六十脚も完全にパンク状態、明日もう一山(平ケP1020041_1岳か未丈ケ岳)登るのは無理と諦める。ムヒを鼻の下に塗って気付け薬にする。脱水症状も加わりますますペースダウン、15:55ふらふらになって前山に着く。16:38よろよろになって登山口水場に出る。駆けつけ三杯、手が切れるような冷たい水を飲んで生き返る。16:55銀山茶屋前の車に戻る。結局降りは3時間のコースタイムのところに4時間半もかかる。もう若くは無い。公衆電話から自宅に電話を入れ、無事下山したこととこれから直帰することを伝える。帰りも関越道、外環道を使って22:00帰宅。2日間の走行距離575㎞。

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317.平標山(平標新道)

2003年10月19日(日)、歩程9時間10分、単独   5:10起床、二日連続の山歩きは殆ど病気である。7:45平標山登山口駐車場着、上空に雲多く路面は濡れている。風が冷たいのでAIGLEのフリースを着て冬帽子と手袋も着ける。平元新道に登山者の姿は少ない。8:50登山口、山頂まで続く階段道は味気ないが、カラマツ林にキヌメリガサが出始めていて気が紛れる。紅葉は盛りを過ぎ、ナナカマドの梢に赤い実が目立つ。10:00平標山の家、青空が広がってくる。平標山、仙ノ倉山、三国山へ延びる稜線の眺めが良い。11:00平標山(1,984m)、三度目の山頂である。直ぐに平標新道に下る。誰もいない。小湿原は草紅葉美しく別天地の趣き、独り占めが勿体無い。刈り払い不完全なぬかるむ道を慎重に降る。西ゼンの滑滝の眺めは雄大である。12:15矢場ノ頭(1,480m)に着く。その辺り檜(クロベ)の巨根が露出していて眞に歩きにくい。粘土質の道に落ち葉が積りずるずる滑る。13:20漸く仙ノ倉谷渡渉点(950m)に降り立つ。そこまで標高差にして1,000m強の下り、膝がガクガクする。傍らに昭和36年6月18日西ゼンで遭難した小黒信次氏の鎮魂碑(㈱根上製作所が一周忌に建立したもの)がある。道は紅葉に染まる樹林帯を行く。14:15魚野川水系毛渡沢出合(710m)、吊橋を渡ると林道終点の広場に出て駐車スペースがある。50mほど奥へ入った所に建つ群大仙ノ倉山荘を訪ねてみると閉鎖中である。毛渡沢沿いの林道をゆっくり歩く。14:45一般車立入り禁止ゲート、15:10電気通信大WVの仙渓寮、付近の杉林にキノコ採りの夫婦がいる。林の中に入ってみるとスギエダタケやスギヒラタケが沢山出ている。15:50漸く土樽駅に着く。タクシーを呼ぼうとしたら、何とこの前まであった公衆電話機が外されている。愕然!呆然!唖然!誰もが携帯電話を持っているとは限らないのに何たる仕打か。仕方なく隣の越後中里駅まで歩く。気落ちしているせいか、これが又遠い。17:00やっと越後中里駅に着く。駅前は賑やかで公衆電話BOXもある。早速魚沼タクシーを呼び、序に自宅に電話を入れる。17:20越後湯沢駅に出る。17:45の浅貝行きバスを待つ間に駅舎内でかき揚げうどんを食べる。温かくて旨い。外は真っ暗、南越後交通バスの乗客は僅か数人である。18:22平標山登山口でバスを下りると、広い駐車場に自分の車だけが残っている。20:00無事帰宅。

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311.丹後山・兎岳・中ノ岳

2003年8月23日(土)24日(日)、歩程14時間15分、単独   23日;4:40起床、蒸し暑く寝苦しい夜が明ける。水、生茶、ジュースを各1リットルずつ計3リットルをリュックに入れ5:45出発。関越道とR17を使い、十字峡小屋の傍にある登山者用駐車場に8:30到着。UVカットを塗り手拭と帽子を被って日焼け防止の完全武装を行う。夏空が広がり、歩き出す頃にはもう蒸し暑くなる。丹後山登山口目指して三国川(さぐりがわ)沿いの林道を行くと、至る所に滝が懸かり沢が流れこむ。涼やかな緑陰の道で気分が爽快になる。二俣の先で栃木橋を渡り9:15登山口着。  登山カードを投函し、握り飯で腹を拵える。道標に「標高530m、Tangoyamaryousen01 丹後山へ4.6km」とある。いきなり樹林の中の急登が始まる。9:50一合目・鉄砲平、越後マタギが活躍した当時の名残の地名と思われる。チダケをはじめ色々なキノコが出ている。スズメバチも多い。10:35二合目、この先山頂までずっと合目石が置いてある。利根川水源の山々の稜線が見えてくる。キタゴヨウマツの大木が並ぶ尾根を行き11:05三合目・大松、もたれかかって一息入れる。道沿いのブナの幹に「S36.8.20 梶山丹治 55才」と刻まれた鉈目がある。11:55四合目、日向山から小天上、中ノ岳へ突き上げる尾根が見渡せる。暑さと荷の重さでバテ気味になりピッチが落ちてくる。12:45五合目、13:00六合目、13:30七合目、いつの間にか樹林帯を抜け出る。Tangoyama02 やっと涼風も吹いてくる。右手に越後沢山、下津川山から巻機山へ続くスカイラインが見えてくる。14:00八合目、稜線に上る。14:20九合目、巻機山分岐の道標があるが、行く手はネマガリタケの猛烈なヤブで踏み跡すらない。直進水場の案内もあり、雪渓の先端で雪融け水が得られる。蝶の採集に来たという学者風の二人組が、越後沢山の手前まで薮こぎして引き返してくる。残雪期でなければ巻機山方面に進むのは無理である。 14:30ようやく丹後山頂上(1,809m)に着く。二等三角点と山名標柱・標石がある山頂はだだっ広く、はっきりしたピークではない。十字峡からちょうど6時間、コースタイム通りである。Tanngoyamahinangoya01 山頂から少し戻って鉄骨2階建ての避難小屋に入る。腰壁はベニヤ張り、寝るところは高床で清潔である。備蓄のゴザと毛布を借りて寝床を作る。シャツを着替え、濡れ物をロープに吊るす。昨年の野宿に比べると天国であり、避難小屋の有難味が身に沁みる。小屋脇に天水を貯める大型ポリタンクも設置してあり、煮沸すれば飲用にも料理にも十分使える。同宿は先ほどの学者先生2名と、駒ケ岳、中ノ岳を縦走してきたという男性の計3人、皆ストーブとコッヘルでてきぱき夕食を作り、さっさと食べてシュラーフにもぐりこむ。手慣れたものである。当方はパンとジュースの行動食で我慢する。夏とはいえ2,000m近い山頂の夜はさすがに冷え込む。雨具も着込んで毛布をかける。夜中の1:00頃トイレに起きて空を見上げると満天の星が瞬く。

24日;行動食で腹ごしらえし4:50出発。Arasawadake03 夜明け間近の東の空に、平ケ岳、至仏山、笠ケ岳、武尊山などが墨絵のように浮かび上がる。 下界には六日町の灯も見える。最初のピークに「利根川水源の碑」(1988年8月建立、揮毫は群馬県知事清水一郎氏)が建つ。「日本の山1000」(山と渓谷社)ではここを大水上山としているが、山頂は南北に長く山名標柱は北端に置かれている。5:25大水上山頂上(1,840m)、平ケ岳の左に燧ケ岳、中ノ岳の左には八海山の岩峰が見渡せる。6:05兎岳山頂(1,925m)、朝は涼しくて捗るので助かる。 北ノ又川に落込む斜面には大雪渓が懸かり、所々に雪田も残る。両翼を張った荒沢岳がことさら立派に見える。6:35子兎岳(1,858m)、Nakanodakesantyou02 山頂はオオシラビソの樹林に覆われる。ミヤマコゴメグサ、ミヤマクルマバナなど雨飾山と同じ植物が稜線を飾る。 岩峰の小ピークを幾つか越えて行く。中ノ岳への最後の登りはきつい。8:30池ノ段、これで昨年と合せ十字峡からの周回完成である。クロウスゴの実を気付薬にして最後のひと踏ん張り、8:45一年ぶり二度目の中ノ岳山頂(2,085m)に立つ。携帯電話で自宅に山頂到達を報告する。人気薄の山なのか前回も今回も登山者は他にひとりもいない。9:00下山開始。10:45五合目・日向山、暑くなってきて汗を搾られる。日向沢を登ってきたという4人衆に出会う。13:20十字峡小屋に無事下山、着替えを済ませてから小屋の食堂で天麩羅ソバを食べる。14:00出発、赤城高原SAで休憩し赤城ラーメンも食べる。18:00無事帰宅。

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310.雨飾山

2003年8月15日(金)~17日(日)、歩程8時間、同行妻   15日;再び妻を伴い山と温泉の旅、R18を長野まで走りR406で鬼無里へ出る。いろは堂でコーヒーブレーク、白馬経由で15:30小谷温泉山田旅館に着く。小谷温泉は430年の歴史を誇り、明治時代には日本4大温泉(他は登別、草津、別府)のひとつとして、ドイツ温泉博覧会に出展したこともある。また信玄の隠し湯と云われる。泉温47度の重曹泉で毎分の湧出量は117ℓである。標高850m、深田久弥も投宿した山の出湯は素朴そのもの、部屋は6畳と狭いが夕食に日本海の海の幸も出る。「氷壁」を読むうち眠くなり、19:00布団にもぐりこむ。

16日;宿から朝食代わりのお握りをもらって5:15出発、5:30鎌池林道キャンプ場の駐車場に着く。関西や中国地方のナンバーを付けた車が多い。登山口にはヤナギランやヤマアジサイ、ヨツバヒヨドリが咲き、高原の夏を彩る。山頂迄400m毎に道標が立ててある。目安にはなるが多過ぎる。湿原の木道を進みブナ林を急登して尾根を一本乗り越える。今日は太平洋岸に秋雨前線が停滞し、静岡、神奈川、東京、千葉は大雨とのことであるが、幸いここは好天である。7:25荒菅沢に降りる。大雪渓の上を渡って、山頂に続く右の尾根に取り付く。雨飾山南面の布団菱と呼ばれる大岩壁が見えてくる。そこからは急登の連続、稜線まで続く登山道が見渡せる。豆粒のような登山者の群れが上へ上へと進んでいく。妻は割合元気で今日は快調である。タテヤマウツボグサ、トリカブト、ハクサンフウロ、シモツケソウ、アザミなどの花々を愛でながら登るうち8:55稜線に出る。山頂一帯は笹に覆われ、前記の花に加えて、ヒメシャジン、ウメバチソウ、タカネナデシコ、ギボウシなども見られる。金山・鋸岳分岐、梶山新湯分岐を過ぎ、9:25山頂(1,963m)に着く。谷川岳と同じ高さである。双耳峰の一方には祠と石仏4体、もう一方には二等三角点と山頂標識がある。40人ほどの登山者で大賑わい、さすがに深田百名山である。ガスが時々切れて北アルプスと日本海、それと糸魚川市街地が現れる。その都度登山者から大歓声が上る。確かに雄大な景色、カメラを忘れたのは失敗である。9:55下山を開始、往路を戻る。登りには気づかなかったが、シオガマ、ミヤマクルマバナ、ミヤマコゴメグサも多い。焼山、火打山(頭のみ)、金山、天狗原山、海谷山塊など全て見渡せる。ツルニンジンの花(ホオズキとホタルブクロを足して2で割ったような感じ)を初めて見る。11:40荒菅沢、雪代で濁った冷たい沢水で手ぬぐいを絞って首筋に当てる。ヤマブドウも青い実を沢山つけている。日本海側の山は高山植物も山菜も豊富である。13:25登山口、雨飾高原キャンプ場で一休みしてから山田旅館に戻る。部屋に入ると、気が利くことに冷えたスイカが出てくる。温泉で汗を流しさっぱりした後、旅館併設の歴史資料館など見学する。夕食は昨日と似たり寄ったり、旅館2泊の大名登山の夜が更ける。

17日;朝起きると激しい雨、昨日宿に入り今日登る積りの人達は残念そうである。朝湯に入り雨の湯宿の風情を楽しむ。秋雨前線が停滞し全国的に雨、8:00勘定を済ませて出立、長野白馬道を抜けてR18で直帰する。13:00社宅着。

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263.平標山・大源太山・三国山

2002年9月1日(日)、歩程8時間、単独    6:20出発、前橋ICから月夜野ICまで関越道を利用し、7:45平標山登山口駐車場に到着、既にほぼ満車である。早速松手山へ向って登る。広葉樹林帯を急登し、どんどん高度を稼ぐ。8:55大鉄塔、マツムシソウが咲いている。9:25松手山、稜線上は台風15号に向って吹き込む北風が非常に強い。体ごと持っていかれそうな強風である。オヤマノリンドウ、ミヤマアキノキリンソウ、ウメバチソウ、ハクサンフウロ、ミヤマアズマギクが咲いている。10:45平標山(1,984m)、二度目の山頂である。さすがに今日は仙ノ倉山へ向う登山者はいない。平標山の家に向け階段木道を降る。11:10平標山の家、大勢の登山者が休んでいる。そこから三国山へ向う県界尾根に入ると急に静かになる。12:00大源太山・川古分岐、12:15大源太山(1,764m)、三等三角点がありゴミひとつ無い清潔な頂である。一服してから分岐まで戻り、再び三国山へ向う。快適な稜線歩きで12:40三角山、そこから浅貝へ降る道は地図上では廃道になっているが、「浅貝1時間45分」の道標があり、刈り払いされている様である。14:00漸く三国山(1,636m)に着く。ひょろ長い山頂で三等三角点がある。山頂から急勾配の木の階段を下って14:40三国峠に出る。避難小屋を兼ねた三国大権現神社が建つ。谷川岳肩ノ小屋から18.2km、平標山の家から5.4km地点である。15:10三国隧道の新潟側入口に降り立ち、R17をてくてく歩く。夏の終りの別荘地はひっそりしている。15:50浅貝バス停着、幸運にも直ぐバスが来る。16:00平標山登山口に戻る。

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258.中ノ岳

2002年8月4日(土)・5日(日)、歩程11時間40分、単独   4日;目覚まし時計を5時にかけたが寝過ごしてしまい、高妻山行きを諦める。行き先を越後三山の中ノ岳に決め10:30出発、なんとも出足が悪い。関越道を六日町ICで降り、五十沢(いかさわ)温泉、三国川(さぐりがわ)ダムを経て、十字峡小屋に12:43到着、小屋脇の駐車場に車を駐める。標高は520mほど、 そこから山頂まで標高差1,500mの登りである。登山カードを投函し、「中ノ岳6.9km」と表示されている道標の所から入山する。いきなりブナ林の急登、蒸し暑く汗を搾られる。朝4:00から登ったという男性がもう下りてくる。チチタケが点々と生えているが採取は帰りまでお預け、先を急ぐ。14:20水場、沢の冷たい水で2リットル水筒を満タンにする。14:50二合目、道沿いにキタゴヨウマツがずらりと並び、千本松原と称する所である。15:25三合目、山仕事を終えた8人衆が下りてくる。ぶら下げていた壜の中に入っていたのはマムシ、高く売れるらしくホクホク顔である。16:00四合目、16:50五合目の日向山(1,560m)、三等三角点と無線中継所がある。ポツポツ雨が落ち始める。池塘が点在する生姜畑を過ぎ、17:35七合目の小天上(1,780m)に着く。そこから先は今まで以上に急な登りになる様子である。まだ明るいが山頂の避難小屋まで辿り着く元気はなく、そこで野宿を決める。濡れた下着やシャツを取り替え、上に雨衣を着る。虫除けスプレーを顔や腕に噴霧する。小天上から少し先に進むと、登山道にミヤマナラと笹が被さる箇所があり、そこを今夜のねぐらと決める。時刻は18:00、座り込むと直ぐに雷鳴と雷光を伴う豪雨となる。やれやれ、知らない人が見たら遭難者である。携帯電話のアンテナが1本立つので柏の自宅を呼び出し、妻や娘と話をして退屈を紛らせる。20:30ようやく雨が小止みとなる。六日町の花火大会か、遠い下界に花火が上る。山上から見る花火もなかなか乙なものである。23:00完全に雨が上る。空は満天の星、天の川が流れる。奥山でひとり眠る夜は長い。01 お握りやアンパンを食べ、チョコレートを齧る。寒さは感じない。虫除けが余り効かず、蚊やブヨがうるさい。立ったり座ったり殆ど眠れず、長い夜がゆっくり過ぎていく。

5日;2:40行動開始、真っ暗であるが懐中電灯の灯りを頼りに前進する。涼しいと急登も捗る。4:10九合目池ノ段(1,965m)、道標に「山頂0.3km、兎岳3.2km」とある。少し薄明るくなる。4:35中ノ岳山頂(2,085m)に着く。小祠と二等三角点がある。漸く明るくなるが、ガスのため御来光は拝めない。避難小屋は三山縦走路側にあるのか見当たらない。昨日無理して登らず正解である。一休みして5:00下山開始、山頂付近はニッコウキスゲ、コバイケイソウ、マツムシソウのお花畑である。5:20池ノ段、そこから兎岳へ周るには水不足、断念して往路を戻る。6:55五合目、中ノ岳を振り返ると越後三山の盟主にふさわしいヴォリュームである。8:45水場、水筒は既にスッカラカン、冷たい沢水を飲んで生き返る。9:55やっと十字峡の駐車場所に生還する。帰路は谷川SA、赤城SAで仮眠、13:30無事帰宅。鏡を見ると、額、後頭部、腕など50箇所ほど蚊に刺されボコボコ、こんな顔で会社に行けるかどうか、やれやれ名誉の負傷である。

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220.越後駒ケ岳

2001年8月5日(日)、歩程7時間30分、単独   5:00出発、今日は「ホワイトアウト」の舞台、未丈ケ岳を目指す。関越道を小出ICで降り、シルバーラインのトンネル切れ目にあるという未丈ケ岳登山口を探す。2往復しても見つからず、やむなく越後駒ケ岳登山に変更し枝折峠へ登る。01 7:15枝折峠(1,065m)登山口着、20台ほど入る駐車場は各県ナンバーの車で既に満杯、辛うじてスペースを見つけて駐車する。UVカットを塗りスパッツを着けて、標高差にして1,000mの登りを開始する。7:45慰霊碑と観音像が祀られている高みに出る。昭和46年に遭難した会津若松市の青年の霊を弔うため、御両親が建てたものである。つい最近の7月13日にも、単独行の60歳女性が行方不明になっている。三山駆けの行者道は今も厳しく難しい。明神峠に出ると銀山平と銀山湖が見渡せる。碧空に両翼をのびのびと張った未丈ケ岳の姿が美しい。後楽、後楽、また登る日がきっと来る。道は小さなアップダウンを繰り返す。刈り払いされてはいるが左側は北ノ又川の深い谷、うっかり転落すればもう這い上がれない。行方不明者が出る訳である。銀山平の右手に見える荒沢岳が立派である。02 8:42道行山、行く手に小倉山と、駒ケ岳に突き上げる尾根が見える。大きな雪渓も2本見えてくる。9:20小倉山、既に枝折峠から5km歩いている。結構長い。9:55百草ノ池、池塘がある小さな湿原である。そこからいよいよ急登に変わる。雪渓から吹上げて来る風が心地よい。雪渓から流れ出る水音も涼しい。鎖場を越えて11:10駒ノ小屋に着く。シーズン中は管理人がおり、素泊まり2,000円とのことである。そこから山頂までは花の山、特にイワイチョウ、ハクサンコザクラが大群落を成している。中ノ岳分岐を過ぎると直ぐ越後駒ケ岳(2,003m)に着く。時刻は11:30、登山口から丁度4時間である。一等三角点がある山頂は意外に狭く、10人ほどの登山者が座ると一杯になる。残念ながらガスがかかり展望はない。11:45山頂を辞し往路を戻る。下りは速い。アカモノ(イワハゼ)の実を食べてリフレッシュしつつ、15:10には枝折峠の車に下り着く。明日登るという人々が何組も駐車場で仮眠態勢に入っている。さすがに百名山である。濡れ物を着替えさっぱりして15:25出発、駒の湯入浴を見送り、関越道に乗って帰宅が18:45。

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