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広州市内観光/帰国

2004年6月28日(月) 6:30のMCで目覚めると外は雨、昨日じゃなくて助かったのである。久し振りにまともな朝食を食べる。パンとコーヒー、ジュースにフルーツヨーグルトの取り合わせで、ニンニクからようやく解放される。8:00ロビーに集合、土産物屋と永年礼品坊なるスーパーマーケットに寄り道してから成都空港へ向う。10:10着、搭乗したCZ3404便は満席である。11:20離陸、504 2時間ちょうどで広州白雲空港に着陸する。広州は相変わらずの高温多湿、空気がべとべとする。気温35℃&湿度90%は不快指数にして93、蒸し暑くてたまらない。空港に隣接する白雲国際機場賓館で昼食、もう中華料理に飽きたのか誰も殆ど手をつけない。広州ガイドの楊氏の案内で午後は市内観光に出る。最初に広州一広いという越秀公園(92万8千平方メートル)へ行き、羊城ないしは花城と呼ばれる広州のシンボル、ヤギの石像を見物する。次いで、2年前にメインストリート北京路の工事中に偶然発見されたという「千年古道」を見学する。宋代と明代の石畳の道が北京路の1、2m下層から見つかったものである。北京路が千年前から城市のメインストリートであったことが分る。中国の歴史には厚みがある。506 今は歩行者天国になり、古道部分はガラスケース越しに覗けるよう工夫されている。最後は広州芸術博物院に案内される。博物館かと思ったら、そこは骨董品や玉(ギョク)を日本人観光客に売りつける施設、ひと棚で100万円~200万円もする。主任研究員が出てきて箔付けの説明を行うが、誰も信用せず何も買わず仕舞い、楊氏も研究員も渋い顔になる。楊さんはガイドの外に通訳などのサイドビジネスも手がけているとのこと、通訳料は一日700元、日本車のカムリ(40万元)に乗るやり手である。広州の金持ち連中を連れて日本ツアーにも出かける。都庁、横浜中華街、京都が定番コースであるが、中華街の料理は穏やか過ぎて広州人の受けは良くないとのこと、さもありなん。18:00初日に泊まった中央大酒店に再びチェックイン、19:00ロビーに集まり広州三大酒家の北園へ夕食に行く。北園の料理は伴渓酒家よりましで、何より香辛料が穏やかである。厨房の裏を覗くと美味そうな食材がゴマンとある。丸蟹、ワタリガニ、カジカ、タウナギ、鯰、ハマグリなど。ギリギリツアーはこれらの高級食材とは無縁、「食は広州に在り」を実感できないまま今回の旅も終わる。さあ日本に帰ろう。(完)

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臥龍・都江堰観光を断念

2004年6月27日(日) 4:00のモーニングコールを待たず3:45起床、酸素が薄く熟睡はできないものの、バファリンが効いたのか頭痛は治まる。4:30朝食、お粥だけすする。5:10出発、道は引き続き洗濯板状態、バスは絶え間なく揺れる。岷江左岸に沿って下って行く。沿道に建ち並ぶ民家から朝餉の準備と思われる炊煙が立ち昇る。トンネルや橋は殆どなく、いつ何時落石が起きてもおかしくない物騒な道が延々と続く。402 7:00道路工事にぶつかり停滞を余儀なくされる。幹線道路の真ん中に大穴を開けて悠々と工事をする。待たされるドライバーも慣れたもので、一向焦る気配はない。仕方が無いのでバスを降りて附近の見物に出る。その辺りはリンゴと山椒の産地とのこと、山椒の木は日本のものよりずっと大きく、棘も鋭く猛々しい。リンゴは摘果しないのか小粒な果実が枝一杯についている。民家の門口に立ち丼を抱えて朝食を食べる人が多い。裕福なところを見せつけているものらしい。漸く工事が終わり再びバスは走る。8:10蜂蜜屋で手洗い休憩、3,000mの 高地に咲く高山植物から採蜜したという製品は値段も高い。それに従業員が着ている白衣が薄汚れているのでいかにも不衛生な感じを受ける。結局誰も買わない。また、401傍の露店で種々の乾燥きのこを販売している。覗いてみると、キクラゲ、シイタケ、タモギタケ、ヒメマツタケ(松茸ではなく、松林に生える小型きのこ)など、値段は極めて安い。8:30叠渓上海を見下ろす峠に着く。近年の大地震により岷江が堰き止められて出来た湖である。そこから先は目も眩むような断崖絶壁に刻まれた道を行く。まさに現代の蜀の桟道である。9:30タイヤがパンクし二度目の停滞を余儀なくされる。40分ほどでタイヤ交換を終え再出発、茂県(標高1,600m)の市街地を抜けた所で、これから向う汶川と映秀間の国道が崖崩れのため不通と云う情報が入る。やむなく茂県の城市に引き返し、茂県貴賓酒店なるホテルで早目の昼食をとる。果樹園を備えるなど田舎にしては洒落たホテルである。張さんは携帯電話による情報収集に大忙し、結局崩れた箇所の回復は明日までかかるとのことで、臥龍のパンダ繁殖地見物も都江堰見学も諦め、間道を抜けて成都に帰ることになる。早朝4時起きが水泡に帰し一同の落胆と嘆きは大きい。北川に通じる枝道に入る。普段はトラックしか通らないとのことで、日本の林道より遥かに悪く、バスは揺り篭のように揺れる。時速はせいぜい10㎞、北川まで102㎞もあり今日中に帰れないかもと覚悟を決める。途中ぬかるみでスタックしている車を皆で押したり、車高を上げるため全員バスを降りたりとハプニングの連続、403 それにしても奥地の農民の生活は貧しい。子供の服などいつ洗ったのか分らぬほど垢と埃にまみれている。但しどんな家にもTVのパラボラアンテナがあることに感心する。普通の観光コースでは有り得ない経験である。45㎞の悪路に4時間半かかりやっとまともに走れる道になる。18:30北川県城(標高720m)、ガソリンスタンドのトイレを借りる。妻の話では出るものが出なくなるほど凄まじいトイレらしい。そこで、リヤカー売りのスイカとプラムを張さんに馳走になる。包丁が極めて不衛生であり遠慮したメンバーもいるが、好意を無にするのも申し訳ない。大玉のスイカは20元、喉が渇いていたせいか甘くて美味しい。19:45綿陽市、大きな町である。そこから漸く高速道路に乗る。中国では高速道路はもとより一級、二級国道も有料で、料金所がしょっちゅうある。21:40漸く成都市域に入る。22:40夕食会場の陳麻婆食府に到着、元祖マーボー豆腐の有名店で130年の歴史がある。自慢の麻婆豆腐は真っ黒になるほどサンショウがふりかけてあり、とにかく辛い。ブタの耳、魚の胃袋、キヌガサタケの炒め物とスープ、草魚と鮒の唐揚げと珍味の皿が並ぶがいずれも辛い。17時間を超えるバス旅の疲れで誰も彼も食欲がない。0:15岷山飯店にチェックイン、21階建ての4つ星ホテルである。府江の畔に建ち10車線道路に面している。風呂から上ると1:00、それにしても中国人は逞しい。張さんといい運転手といい今日見せてもらったプロ根性は見事である。(続く)

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避邪獣

_008 四川省の奥地、黄龍観光の拠点、川主寺の西部地礦なる土産物屋で購入したもの。最初は麒麟かと思ったが避邪獣とのこと、魔除けのようである。何でも岷江特産の硬い石を彫って造ったとかで表示価格は何と7,500元(10万5千円)、大分値切ったのでご利益は期待できないかも。

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黄龍(コウリュウ)

2004年6月26日(土)  6:20起床、窓から外を覗くと、チベット族の人々が道路をぞろぞろ九寨溝の方角へ歩いていく。皆貧しく、結構距離があるが徒歩通勤である。相変わらずの朝食、羌族料理は香辛料がきつく口に合わない。朝食を終えて部屋に戻るとカードキーで鍵が開かない。  レセプションの女性は日本語も英語も通じず、ガイドの張さんを呼び出して事なきを得る。 4つ星ホテルでも奥地はまだまだである。8:30バスで出発、黄龍まで130km余、好天である。道端に立ち笑顔で手を振る若い女性はヒッチハイカー、公共交通機関のバスが一301日2本と不便なため、毎朝通勤のために観光バスを捕まえている。我々のバスも羌族の美人姉妹を乗せる。27歳と19歳、二人とも乗車賃代わりにチベット族の歌を聴かせてくれる。9:25海抜3,500mの峠で小休止、その辺りが岷江源流部とのこと、外へ出るとさすがに風が涼しい。道は良いが峠越えの連続で雪峰が次々と現れる。朶米寺という集落で羌族姉妹は降りる。そこの土産物屋の売り子として夕方まで働くと言う。 周囲は畑で青稞麦(チンクウムギ)が密に生えている。チベット族の主食ツァンパの原料である。雄大な景色が続き、中には妙義山のような峨々たる山もある。10:05川西寺に着く。そこの西部地礦なる店でトイレ休憩、岷江特産の二色石を彫り上げた魔除け、避邪獣一体を購入する。 「便宜一点」(Discount please!)と書いた手帳の頁を示し、粘りに粘って大分安くしてもらう。川西寺は昨秋空港が開港して以来急速に発展したらしく、この辺りでは大きな街である。専門店で酸素ボンベ(14リットル、純度99.5%)をひとり2本ずつ購入し、黄龍における高地観光に備える。302一本50元、約10分間は使えるそうである。 いよいよ最高所の峠越え、ぐんぐん登る道の両側斜面にヤクが群れている。長い毛並みが風になびいて美しい。海抜3,500mでも針葉樹がまばらに生えており、橙色の花粉をびっしり付けている。行く道は高原ハイウェー、草津白根道路を何倍か雄大にした感じである。今回の旅の最高点である弓杠岺峠に着く。標高は3,840mで既に富士山の高さを越えている。岷山山脈の主峰、雪宝頂(5,588m)を望む望岳台であるが、残念ながら今日はガスがかかり見えない(写真は2004年8月20日の雪宝頂)。 土産物屋がありトイレ休憩、外へ出ると寒い。12:05黄龍着、先ずホテル黄龍山庄のレストランで腹ごしらえする。豆乳、大根角煮、茹でキャベツに白菜と赤蕪の漬物など野菜中心のメニュー、あっさり味で食べやすい。黄龍は高所 (3,100~3,500m)で体力等個人差が出るため、各自のペースでばらばらに観光することになる。303 13:05出発の17:30ホテルロビー集合と決まる。入場料は110元、 そこでもパスポート提示を求められる。中国の世界遺産見学はまことにやかましい。酸素ボンベを携えながら歩き出す。針葉樹の喬木は紫果雲杉と岷江冷杉、林床にはアツモリソウやサクラソウが群生する。池子と呼ばれる小池が棚田状に並ぶ石灰棚地形は奇勝である。13:22迎賓池、上山桟道を登る。きわめて緩やかな登りであるが 息苦しく時々酸素を吸う。吸った途端に身も心も軽くなるから不思議である。13:30飛瀑流輝、竜頭の滝のようである。13:40洗身洞、酸素ボンベの変わりに空気枕持参の人も多い。13:45金沙舗地、世界最長の石灰化浅流とのことで、黄色の川床をうねうねと流下する様はまさしく「黄龍」である。13:55盆景池、330余の小池の集まりである。306無料で酸素を吸える小屋(酸素バー)は大行列である。14:10明鏡倒映(標高3,300m)、180の小池の集まりで、鏡のような水面に雲が映る。グミの木の花が咲いている。14:15娑夢映彩池、400余の小池より成り躑躅の木が多いとのこと、確かにシャクナゲが満開である。 14:25争艶彩池、チベット族の駕籠かきがお客を乗せて登るスピードはもの凄い。当方が酸素を吸ってもついていけない。14:45黄龍中寺(標高3,400m)、シャクナゲ道が続きリシリオウギやノウゴウイチゴ(近縁種)も咲いている。雲が厚くなりポツリポツリ雨が降り出す。 シオガマやミヤマアズマギク(近縁種)、紫花のヒメツツジが咲き、まるで高山植物の図鑑を開いているかの様、花を鑑賞するなら今がベストシーズンである。15:05黄龍上寺(標高3,500m)、漸く妻に追いつく。15:15最奥の東屋、もう一段高いところにも四阿が見えるが遊歩道はついていない。304眼下に五彩池と黄龍上寺を望むビューポイントである。 証拠写真を撮り下山にかかる。 酸素ボンベを早くも1本使い切って2本目に手をつける。頭がフラフラし意識朦朧となる。酸素を吸い吸い下山桟道を下って、16:50黄龍入口門に戻る。17:00ホテルロビー着、結局一行14名のうち11名が最上部まで登ったとのこと、70歳の長老も元気である。頭痛が始まったので二人でバファリンを飲む。再びバスに乗り県城の松藩へ向う。往路の弓杠岺峠を再び越える。四川省の奥地は山また山、3,000m位では名前すらつけてもらえない。所々に採蜜の巣箱が置かれている。川西寺から岷江右岸を降る2級国道に入る。2級の名の通り、道路は洗濯板のようでバスは大揺れに揺れる。四川の母なる川は土砂で濁っており、その河岸段丘は青稞麦とソラマメの畑、耕して天に昇る風景が延々と続く。18:35松藩の街に入る。海抜は2,800mほど、ここでもホテルの建築ラッシュはすさまじい。空路が開け世界中から観光客が来るのであろう。今宵の宿は3つ星ホテルの黄龍国際大酒店、夕食は鯉の旨煮にもやしとササゲの炒め物、肉じゃがに椎茸と豚肉の炒め物、ありふれているのが有難い。青稞酒(モルトリカーの如し)を飲むとこれが甘ったるい。夜ブレーカーが二度落ちて、ルームメイドがろうそくを持ってくる。手慣れたもので、さすがに中国の奥地である。(続く)

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九寨溝(キュウサイコウ)

2004年6月25日(金)  6:30起床、早朝から遠慮会釈のないクラクション音がうるさい。窓から外を見ると、道路の向う側は急傾斜の山の斜面、その麓と中腹にチベット族の家が建ち並び、経文を印字した201五彩の旗が林立する。羌(チャン)族の集落である。 朝食のメニューは水粥に胡瓜炒め、茹で卵に南瓜。ニンニクや香辛料の使い過ぎ、箸が進まない。早々に切り上げ部屋で持参のコーヒーを飲む。8:00バスで出発、高曇りである。長江水系のひとつ、嘉陵江源流部の渓谷沿いにチベット族の村が9つあることから、この地域は「九寨溝」と呼ばれる。1982年に開放されて、1992年に世界自然遺産に登録され、更に1997年には国際植物保護区に指定されたとのこと、道路沿いにホテルがずらりと建ち並ぶ。5つ星が一軒、4つ星が4軒、3つ星になると70軒ものホテルがあり今尚発展途上、 急速に俗化しつつある。15分ほどで九寨溝の入口に着く。駐車場は既に観光バスで満車である。ここで指定の専用バスに乗り換えねばならぬ。入場料は一人145元、204入口ゲートでパスポートの提示を求められる。 民族衣装を着けた若いチベット族女性がガイドに加わり、指定マイクロバスは一路谷奥を目指して進む。途中下車して諾日朗瀑布の見物、幅320mの大瀑布である。海抜は2,300mほど、そこから森の中を諾日朗三叉路まで散策する。アカカンバ、ダイオウグミ、タラノキ、コナラ、フキなど、目につく植物は日本とさほど変わらない。 空気が清浄で涼しくて気持がよい。三叉路から再びバスに乗り、 一気に左谷(則査窪溝)最奥の長海まで上る。海抜3,100mの長海は、周囲の山々に囲まれ幽玄な雰囲気を醸しだす。その水はあくまで澄明である。今日は奥山が雲に隠れて見えないのが惜しまれる。空気が薄く階段の登り降りは息切れする。長海から少し下って、九寨溝で最も美しいといわれる五彩池へ。205_2エメラルドグリーンの湖水は底石の一つ一つがはっきり見えるほど 透明度が高く、神々しいほど美しい。但し小池なのが玉に瑕。それにしても人が多い。殆どが中国人の団体旅行客である。俄かに富裕になったためか傍若無人の振る舞いが目立ち行儀が悪い。 アカカンバ(ダケカンバより樹皮がはるかに赤い)やシャクナゲ、タカネバラを見る。 その後諾日朗旅遊服務中心(ビジターセンター)の2階レストランで昼食をとる。食後、1階の売店でチベット族の民芸品である連珠やネックレス、ヤクの骨で出来ている箸などを購入する。余りに値段が安いので気の毒になるほど。午後は右谷(日則溝)の奥に入り、海抜2,930mの最上部、原生始林に上がる。そこではシオガマやヤマオダマキの群落に出合う。緯度が低いせいか、海抜3,000mの高地でもなお森林帯である。往路を戻り、要所要所の景勝地でバスを降りて見物する。 箭竹海、熊猫海、五花海では湖畔を散策、 水の中には雷魚(日本でいう雷魚ではなく裸鯉の一種)が沢山泳いでおり、時々ライジングしては羽虫を捕らえる。中では 五花海の水色が素晴らしく、北海道のオンネトーや上高地の明神池を遥かに凌駕する。珍珠灘は巨大な滑滝、手が切れるように冷たい水が流れ、水中に樹木が林立する。 207けだし奇勝である。その後も鏡海、老虎海、樹正瀑布、九寨溝民族文化村、盆景灘などを次々と見物する。実に懇切丁寧な案内である。 現地ガイドの張氏は職務に忠実で真面目である。柳の綿毛が飛びヤマハギが咲く谷を後にして指定バスで入口に戻る。入口近くの巨大な一枚岩は宝鏡岩、最後の最後まで見所が繰り出される。集合場所への途中、露店で桃を買うと10元で20個もくる。中国奥地の物価は呆れるほど安い。迎えのバスでホテルに戻ると17:10、部屋で日本茶を飲み梅干を食べて胃腸を整える。18:00からのホテル夕食は相変わらずの不味、中国の奥地の料理とあればこれも止むを得ない(続く)                                                                                 

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成都市内観光

2004年6月24日(木) 5:30起床、夜中蚊の襲来を受け良くは眠れず。雨の朝を迎える。広州は今が雨季、朝食後バスで空港へ行く。7:15白雲空港着、朝から人が多い。8:15漸く搭乗、成都行きCZ3403便は満席である。101 機内は人いきれで蒸し暑いほど、約2時間のフライトで三国志の舞台である成都の双龍国際空港に着陸する。標高は600m程、広州に較べれば爽やかである。市街地に向う高速道路にETC専用の出入り口があることに感心する。中国の近代化は内陸部の都市でも著しい。成都はBC316年建都、市内人口340万人、域内人口1,000万人、悠久の歴史を秘めた大都会である。どんな縁か甲府市と姉妹都市とのこと。先ず「杜甫草堂」を見学する。安史の乱(755-763年)の際の759年、杜甫(712-770年)は成都に避難し、4年余りを暮らしたという。その住居が杜甫草堂であるが、時代が下るにつれ次第に拡張されて、現在では杜甫記念博物館の様相を呈している。街中にもかかわらず樹木の緑が豊かで静かな所である。陳列室には杜甫の像、詩文石碑などが数多く展示されており、杜甫研究に有用な資料も多数収蔵されているらしい。昼食は人気レストラン「食品軒」の四川料理、13皿の料理は皆ぴりから。それでも一皿ごとに個性があり、乾し豆腐の紐、もち米コロッケ、104 成都ダック、豚足、生ピーナッツ、ちまき、甘酒等は結構いける。午後は「武侯祠」見学、三国志で有名な蜀の丞相諸葛孔明の祠堂である。大門を入って直ぐの左右に諸葛孔明の事跡を顕彰する唐碑(809年建立)と明碑(1547年建立)が建つ。碑の土台の亀のような像は、亀ではなく竜の子供の贔屓(ひいき)と云うものらしい。又ひとつ勉強する。劉備殿には劉備玄徳像を中心にして、左側に関羽、厖統など14名の軍師像が、右側には張飛、趙雲など14人の将軍像が並ぶ。「誠貫金石」の扁額が掲げられ、「前出師表」と「後出師表」も全文掲示されている。三国志ファンには堪えられない演出である。三義廟と劉備玄徳の陵墓「漢昭烈陵」002 を見学してから併設の土産物屋でティーブレーク、一息入れる。17:00再び双流空港に戻り、九寨溝行きCA4485便に乗る。搭乗手続きの合間に売店で人参果なる見慣れない果実を買う。白いマンゴーのような外見で値段はドラゴンフルーツと同じく1kg36元、食べてみると甘味のない洋梨といったところで不味。18:20搭乗、見渡す限り山また山の中を飛び、19:17九寨・黄龍空港に着陸。外気温9度、雨、海抜3,400mの空港は切り崩した山中にあり、辺りの景色は荒涼としている。迎えのマイクロバスに乗り込み、ホテルまで2時間の山下り、うとうとするうち今宵の宿、中旅大酒店に着く。腕時計の高度計を見ると標高は2,100mほど、この高さなら高山病の心配はない。既に21:00を回り、レストランへ直行して夕食をとる。香辛料がきつくどの皿も大量に料理が残る。雑きのこの煮物以外はどれも不味。22:00やっと部屋に入る。(続く)

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九寨溝と黄龍・臥龍・成都7日間

2004年6月23日(水) 自宅を10:00に出発、常磐線と成田線を乗り継いで11:40成田空港第2ターミナルビルに到着。早速旅行会社(日本旅行)の受付を済ませ搭乗券を受け取る。搭乗手続きをしてスーツケース(SC)を預け、直ぐに手荷物検査、出国検査を受ける。搭乗口はC88、添乗員が付かない方が何かとスムースである。搭乗機は中国南方航空CZ386便、5月に桂林へ行った時と同じである。今年4回目の海外旅行とあって妻も大分旅慣れた様子、中国は「ちょっとそこまで」感覚らしい。13:50搭乗、14:30離陸、空席が目立ち3人掛けの座席を二人で使えるのが有り難い。18:35(現地時間17:35)約4時間のフライトで広州白雲空港に到着、外は気温32℃、湿度90%と相変わらず超不快な蒸し暑さ。入国審査を済ませSCを受け取ってロビーへ出ると、現地ガイド2人の出迎えを受ける。今回の旅に参加したのは水戸市の男性6人組と夫婦4組の計14名である。スルーガイドは四川西蔵明珠国際旅行社の張さん、広州ガイドは楊さんで、二人とも日本語が達者なので安心する。18:15迎えのバスに乗り込み夕食会場へ直行する。何と又も「泮渓酒家」である。今回は名物の仔豚の丸焼きもなく野菜中心の8皿、魚はスズキ(水槽で観るとイシモチの如し)が出るが前回の草魚よりましと云う程度、美味には程遠い。料理の値段は1皿300円前後で日本の五分の一程度。ホテルは4つ星の中央大酒店、手続きは全て張氏と楊氏がやってくれる。明日は5:40のモーニングコール、早起きせねば。(続く)

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帰国(広州→成田)

2004年5月31日(月) 5:10のMCで起床、昨夜遅かったために眠い。ドアの外にSCを出し朝食へ下りる。食欲なくヨーグルトにコーヒーのみとする。他のメンバーをみると朝から大皿にてんこ盛り、皆タフである。6:20ロビーに集合し空港へ向け出発、帰国の途に着く。市街地の街路樹をみるとマンゴーが鈴なり、贅沢なものである。6:45広州国際空港着、8:12 CZ385便に搭乗する。空席が目立ちゆったり座れる。早速時計を1時間進める。アンケートに記入するうち機内食が出る。青島ビールを飲みながら、久し振りの邦字新聞と島崎藤村の「夜明け前」を読む。フェーン現象で南風が強く、九州上空にさしかかる頃から揺れがひどくなる(この日、千葉や東京では風速30mを記録)。13:26成田空港に安着、16:15帰宅。今日の東京の最高気温は31℃、日本も暑くさして広州と変わらない。(完)

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昆明・龍門石窟

2004年5月30日(日) 朝起きると妻が風邪気味で体調が悪いと訴える。喉が痛み鼻水が出るというのでかぜ薬を飲ませる。501 今日が実質的には観光の最終日、7:00ドアの外にSCを出し朝食に下りる。中華料理には手が伸びず、パンとコーヒーとフルーツにする。8:10バスで出発、西山森林公園の「龍門石窟」へ向う。司馬遼太郎の作品、「街道をゆく・蜀と雲南の道」にも出てくる名所である。昆明湖(滇池)は中国で6番目に大きい淡水湖であるが、富栄養化が進み青緑色をしている。その湖畔から立ち上がる西山の断崖に刻み込まれた寺院と桟道が龍門石窟である。登りはペアリフト、広大な昆明湖を眺めながら15分ほどで標高2,225mのリフト終点に上る。途中の斜面にはワラビもどきのシダ植物が沢山生えており、葉身の長いマ502 ツの木(大王松?)が多い。リフト終点から山頂に通じる道があるが、今回は登らず、そこから拝観料20元を支払い龍霊雲崖なる桟道に入る。72年間の歳月をかけて断崖に築かれた岩の道を進む。コース中の最高地点、標高2,280mの遥騁亭から昆明湖の眺めを楽しみ、天台から隧道内の急な石段を下る。道幅が狭く下から歩いて登ってくる中国人観光客とすれ違うのに一苦労、因みに徒歩の拝観料は2元である。9:50龍門につく。龍門に埋め込まれた玉に触ると子孫繁栄の幸運を呼ぶとのこと、人が多くて触るのも順番待ちの有様。503 普陀勝境という所を過ぎて10:10真武殿に出る。そこに亀に蛇が巻き付いている石像があり、触れれば長寿が得られるとのこと、皆素直に触っていく。10:22羅漢崖、そこには財神像(三国志の関羽像)が祀られている。触れば裕福になると云うのでやはり順番待ち。かくして無事滞りなく3種の神器に触れた後、参道入口の翠波楼に下山する。そこから電気自動車に乗りバスに戻る。次は大観公園へ、やはり昆明湖畔にある。三層の楼閣である大観楼まで歩きフリータイム、大観楼入口の左右に掲げられている聯には漢詩が書かれている。有名な詩らしいが、 門外漢には作者(孫髯翁先生)504も内容も良く分らない。友誼商場に立ち寄ってから昆明中玉酒店で昼食をとる。青島ビールと紹興酒をすごしてしまい酔う。14:10昆明空港着、広州行きCZ3410便に乗る。16:25離陸、18:50広州空港着陸。機内食を配る乗務員の手袋は汚れた軍手、衛生観念はまだまだ低い。SCを受け取り迎えのバスに乗って夕食会場へ直行する。広州は蒸し暑いが午前中雨が降ったとかで、入国した時よりは幾分涼しい。今は雨季である。広州三大酒家のひとつという泮渓酒家が夕食会場、広東名物の料理が次々出てくる。但し香辛料がきつく、仔豚の丸焼きも草魚の蒸し煮も不味、珍しいだけである。宿泊先の華厦大酒店(4つ星)にチェックインし、32階10号室に入る。部屋で日記の記帳、出国カード・健康カードの記入、SCの整理を行う。ホテルは珠江河畔に建ち広州市街の夜景が美しい。0:30就寝。(続く)

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昆明・石林

2004年5月29日(土) 6:45モーニングコールで目覚める。何たる硬いベッドであるか、畳か床の上に直に寝たような感じである。402妻の話では空港やホテルのトイレで扉を開けたまま用を足している女性を何人も見かけるとのこと、また扉のない箇所さえ有るとのこと、中国人の感覚は大陸的というか日本人とはまるで異なる。7:10朝食、ドラゴンフルーツが出る。 8:30バスで出発、今日のハイライトは「石林」観光である。石林は中国4大自然風景区の第二とのこと(第一は桂林、第三は三峡、第四はXX)、昆明から南東へ90㎞の距離にある。道の両側は山頂まで耕された段々畑で、主にタバコが栽培されている。10:20石林着、秋吉台と同じカルスト地形である。 スケールはこちらの方が大きいが、云わば妙義山の石門巡りの趣き、大石林から見物を始め、剣峰池、望峰亭を巡る。屹立する岩峰の底に迷路のような道がつけられており、グループからはぐれでもしたら大変である。中国人観光客が多く、その賑やかさに圧倒される。山頂に東屋のある望峰亭は押し合い圧し合いで、写真を撮るのも容易でない。キンシバイ、ブーゲンビリア、マリーゴールドなどが咲き乱れる小石林を観てから、レストランで昼食をとる。 現地白族(ペーゾク)の料理とのことで、ヤク肉がスペアリブ風と焼き豚風で出る。401高地で働く役牛は赤血球が多いのか肉が真っ黒である。牛肉に似ているが独特の臭みがあり何とか食べられるというレベル、お世辞にも美味とはいえない。寧ろ付合せのカボチャとジャガイモが旨い。油が少なくさっぱりしている。ここでもビーフンヌードルと炒飯は味付けが薄く、どうも口に合わない。帰路の昆石高速道を走る一時間の車内は皆疲れて昼寝、14:10春城に戻る。市内見物の手始めは「昆明博物館」、2000~2800年前の王墓から出土した青銅器、貝器(昔の貨幣・ タカラガイを入れる貯金箱)、銅鼓、矛、剣、滇王金印(日本で発見された倭国王印と同種のもの)、恐竜化石などが展示されている。案内の女性の日本語が見事なのに感心していると、学芸員から突然玉(ギョク)販売員に変身する。403何でも博物館は半官半民になり、国からの補助は運営費の半分しか出ないとのこと、残りは自前で稼がねばならないらしい。雲南省産の黄玉、白玉、古玉を材料に麒麟像や杯を彫り出した9品プラス紫檀製棚で98万円也、昨日来た日本人ツアーの一人が購入したとのことでご丁寧にも売約済の札まで掛けてある。すべて演技とヤラセであろう、中国人はしたたかである。次に生花市場見学に行く。生花と造花の大規模専用市場である。 バラの花一本が5円と安い。これなら百万本は無理としても一万本くらいならプレゼントできる。その市場の出口にある露店で、全氏が薦める「観音王」なる鉄観音茶を購入する。とんだ無印粗悪品で、ガイドと業者が裏で手を組んでいる。404最後は自由市場の見学、現地の人相手の市場は驚くほど安い。果物の女王マンゴスチンなど1キログラム(16個)で10元(140円)である。 日本なら1個200円もする。その他、ドラゴンフルーツ、ナシ、ブドウ、プラム、マンゴー、ヤマモモ、リンゴ、レイシなど何でもある。野菜も豊富、ゴーヤもある。 キノコはキクラゲが多く、ほかにシイタケ、シメジ、タモギタケを見かける。鯉、蛙、イナゴまで売られている。やはり庶民相手の市場は面白い。ホテルで暫く休憩した後、外のレストラン(XX宴会庁)へ夕食に行く。 雲南の名物料理に少数民族タイ族の踊り付きである。踊り子は皆スリムで背の高い美形揃い、名物料理も赤米とパイナップルの蒸し物、過橋米線(ビーフンヌードル?)、キヌガサタケのスープなど珍味が出て、すっかり満足する。ホテルに帰ってから周辺の散歩に出る。高級スーパーマーケットに行くと、果汁30%ジュースが4元、キリンの生茶(現地生産品)が3.5元、ミネラルウォーターが1元と格安、これでも中~上級市民相手の相場である。観光地のミネラルウオーター5元は高すぎる。ホテルの冷蔵庫で冷やしておいたマンゴスチンは美味、うますぎる。(続く)

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桂林市内観光

2004年5月28日(金) 6:30部屋の外へSCを出す。7:00ビュッフェ式朝食、昨日と全く同じ料理が並ぶ。ビーフンヌードルを食べる。301今日は市内観光であるが桂林は盆地なので暑くなりそう、年寄りには応える。 最初は50元紙幣の裏図案に採用されている「象鼻山」へ行く。山頂に仏舎利塔が建つ岩山は、海蝕洞窟を鼻と口に見立てると、確かに象に見えなくもない。写真を撮っただけで直ぐに次の目的地「畳彩山」へ移動する。畳彩山は桂林市の見晴台である。375段もある急な石段を大汗かいて登ると、山頂は中国人旅行者で大混雑。中国人は誰もが負けじと高声を発し、とにかく喧しい。360度の展望台から桂林市街と離江の流れを眺めれば一幅の絵のようである。それにしてもこの地では日本人添乗員は何の力もない。中国の旅行会社が全権を握り、全て現地ガイドにお任せ、員数チェックくらいしか仕事がない。畳彩山の上り下りで皆へとへと、山頂へ登るのを見合わせた人も5人いる。次いでお茶屋(土産物店)へ行く。そこの社長は大分県出身の日本人、桂林に17年間暮らしているとのこと、苦茶、甘茶、ウーロン茶などいろいろ試飲させてくれる。仕方なく烏梅(黒梅)を2箱購入する。最後に「七星公園」へ302行き駱駝峰を見物する。公園には 動物園があり、珍獣のキンシコウやパンダが飼育されている。25元支払えばトラに跨って記念撮影ができる。中国では何でもお金、少数民族の衣装をつけた女性とのツウショットも、景色の良い場所での撮影も全てお金を要求される。景勝地は人工の手が加わり俗化はなはだしいし、物売りだらけでそのしつこさに閉口する。12:00から昼食、又も中華料理で通算6回目、早や食傷気味である。13:40桂林空港に着き、昆明行きCZ8947便に乗り込む。15:10離陸、気流が悪くひどく揺れる。16:25昆明空港安着、外気温25度は爽やかである。303 昆明は雲南省の省都で人口300万人、ベトナム、ミャンマー、ラオスと国境を接する山国である。海抜1,890mの高原都市で「春城」とも呼ばれる。現地ガイドは全氏、日本語は上手とはいえないが意味は通じる。1999年に花博覧会を開催してから5つ星ホテルが建ち、急激な発展を遂げたらしい。17:30今宵の宿、4つ星ホテルの昆明飯店にチェックイン。723号室はコンパクトなツインルーム、NHKの衛星放送が映る。18:30ロビーに集合し、100年の歴史を誇るレストラン、雲秀楼へ夕食に行く。昆明名物のマツタケ料理がスープと炒め物とで供される。文句なく美味しい。そのほか、キクラゲ、シメジ等きのこをふんだんに使った料理が並ぶ。20:00黄昏の中をホテルに戻る。風呂から上がり直ぐに晩安(おやすみなさい)。(続く)

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桂林・灕江下り

2004年5月27日(木) 6:00起床、脂っこい食事を真夜中に食べたせいで胃もたれがひどい。7:00ビュッフェ式の朝食、205お粥に果物にコーヒーと軽目にする。果物はスイカ、プラム、ミカンにパイナップルと出るがいずれも二級品、甘味がうすい。8:00バスで出発、通り雨が来る。 今日は今回の旅のハイライト、灕江下りである。8:40竹江から乗船する。63名で二船貸切、船室内はエアコンが効いている。テーブル席に展望デッキがあり、安心トイレも付いていて立派な観光船である。船内でお茶を一服飲むや否や、写真集、バッグ、扇子、根付にキンモクセイ飴の売込みが始まり、これが実にしつこい。売子は全て船内スタッフ、船の中では逃れようも無く全く始末が悪い。昼の特別料理とて、灕江産川エビの蒸し物1,500円、ボラの蒸し物3,000円、スッポン料理幾千円など薦めにくるが、日本で食べるよりも遥かに高い。203 缶ビールも1本20元と全て観光地料金、割高である。何も買わないのが正解であるが、とうとう根負けしてキンモクセイ飴(桂花穌)を4箱を購入する。灕江の水は思ったより澄んでいる。9:30冠岩鍾乳洞に接岸し、一旦上陸して見物する。巨大な鍾乳洞で内部は25℃くらいか、外に比べると大分涼しい。台湾資本が開発し40年の借地権を取られているとの事、手の加え過ぎであり、赤青緑紫の照明で鍾乳石や石筍をライトアップしているかと思えば、トロッコ電車が洞窟内を走り、地底湖には舟まで浮かぶ。又窟内に土産物屋や酒屋もある。幸いオフシーズンでゆったり廻れるが、201 5月の連休中はヒトヒトヒトで身動きもままならぬらしい。別料金で不動大滝も見物する。水勢もの凄く、洞内にごうごうと落水流水の音が響きわたる。外へ出ると猛烈に蒸し暑く、日本の真夏以上である。11:30船に戻り灕江下りを再開、奇峰が両岸に次々と現れる。 石灰岩の硬い部分が残った地形であるが流石に世界の奇勝、自然の造詣の妙に息を呑む。物売りは激しいが、観音岩、林檎岩、五指峰などの名所の説明は何もない。「友達!これ欲しいですか?」、これが売子の客に話しかける言葉であるか、カンボジアの物売りの子供だってもう少しましな事を言う。12:00バイキング式の船内昼食、テールスープとスイカは美味、あとはありふれた中華料理である。206 川風はそれでも涼しくどこを見ても絵になる。時々竹筏の船とすれ違う。岸辺の水牛とともに風情がある。20元紙幣の裏図案になっている「興平」の船着場を過ぎ、14:20陽朔に着く。そこが灕江下りの終着点、立ち並ぶ土産物屋の売り込みをかわして、電気自動車に乗り込み、漸くバスに辿り着く。桂林への帰路、「桃花源」に寄る。陶淵明の詩で有名なそうな。湖を舟で一周するが、水郷巡りの趣である。地上にはハナモモが咲き、水上ではコウホネやホテイアオイが黄と紫の花をつける。また水中には水草や藻が繁茂しており、 日本の湖沼から失われて久しい風景がある。一帯は少数民族の居住地域であり、荘(ちわん)族などが民族衣装で踊りながら歓迎してくれる。204沿道はキョウチクトウの花盛り、桂林の町に戻り、土産物店に寄ってから連泊の桂山大酒店に帰る。18:30再集合して街中の別のホテル、桂林賓館(ホリディイン系列)へ夕食に行く。桂林の名物料理とのことで10皿ほどの中華料理が並ぶが、どれもこれもとにかく油っこい。コップ1杯のビールがサービスに付く。ビール大壜1本が15~20元は良心的値段であるが、 アルコール含量が3.3%と薄い(O.E.10%)。夕食の後オプショナルツアーとして中国でも有名な雑技団のショーを観に行く。参加者は63名中21名、一人3,500円である。「夢的灕江」(Dreamlike Lijiang)という劇場で21:00から1時間半、内容はバレエと曲芸である。父子或いは母子相伝で2、3歳から訓練するとのこと、10脚も積み上げた椅子上のバランスや3段輪潜りなど見事な技で一見の価値はある。サントリーのアミノ式の宣伝の技も出る。ホテルに戻ってシャワーを浴びると23:00、初日の日記を認めると早や24:00。(続く)

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桂林・石林・昆明・広州 6日間

2004年5月26日(水) 中新宿9:30のバスで南柏駅へ出る。我孫子と成田で乗り継ぎ、11:35成田空港第2ターミナルビルに到着。12:20集合なので大分早い。スーツケース(SC)を預けて搭乗券を受け取り、折り詰め寿司を買って腹ごしらえする。12:50添乗員のH氏から説明があり、今回の旅は63名のツアーとのこと、添乗員はH氏のほかにS氏も付く2名体制である。14:00中国南方航空CZ386便に搭乗する。スチュワーデスは若く美形であるが笑顔がないのが惜しい。14:30離陸、B777型機であるが座席スペースが狭く4時間半のフライトでも辛い。妻と二人分の入国カード、健康調査カードに記入するうち昼食になる。それにしても愛嬌のないスチュワーデス揃いで機内の楽しみも半減、ついつい青島ビールと赤ワインを飲み過ぎる。17:42(日本時間18:42)広州国際空港に着陸、101 タラップを降りるとそこは亜熱帯、生暖かい風が吹き蒸し暑い。空港内は大混雑でさすがに中国は人が多い。隣のビルの国内線搭乗口へ移動する途中、売店で大玉のライチ(茘枝王、因みに日本でお目にかかる小粒のものは小核茘枝)を500グラム28元で購入する。少し渋いが冷やすと美味。とにかく63名のツアーは人数が多すぎて何をするにも時間がかかる。国内線搭乗口は人、人、人で騒然としており、人いきれのせいでエアコンも効かない。国内線空港使用料は1回50元とのこと、3回分と最終日の国際線空港使用料90元を合せ、2人分の480元をH氏に支払う。20:50ようやく離陸、お茶を一杯飲むと間もなくの21:40、たちまち桂林空港に着陸する。4年前に完成したばかりの新しい空港は桂林市内まで30㎞余の高速道路で結ばれている。ここもまた蒸し暑い。今日は34度まで最高気温が上昇したとのこと、SCを受け取り涼しいバスに乗り込む。現地ガイドは陳氏、氏の説明によると、桂林の「桂」は日本で言うところのカツラではなくキンモクセイとのこと、確かに桂林市内の街路樹はみなキンモクセイである。市内全域で10万本もあるらしい。桂林は広西チワン族始め少数民族の町である。22:50宿泊先の4つ星ホテル、桂山大酒店に入る。レストランに直行し夕食をとる。油でべとべとの中華料理が出てくる。ようやく部屋(3348号室)に入った時はすでに御前様、風呂から上ると1:00になる。モーニングコール(MC)は6:00、パック旅行は初手から強行軍である。それでも中国の良いところは日本と同じくルームメイドにもポーターにもチップが要らぬこと、これは気楽である。(続く)

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帰国(オークランド→成田)

2004年4月20日(火) 5:30部屋の外へSCを出す。パック旅行も進化して便利になったものである。6:00バスで空港へ。出国検査と手荷物検査を終えて、DFSの購入品をカウンターで受け取る。免税店でNZ産チーズを購入し予定の買い物を全て完了する。8:05搭乗開始、NZ099便は日本人で殆ど満席、しかも皆中高年者ばかりである。日本が如何に高齢者天国であるかが分かる。時計を3時間遅らせ日本時刻に合せる。9:50(日本時間6:50)朝食が出る。焼きうどんを注文し、Stein Lagerの缶ビールを飲む。旅のアンケート用紙に記入するうち、機は多島海上空にさしかかる。ソロモン諸島であれば間もなく赤道を通過する。映画「DUPLEX」を観る。アイスクリームのサービスに続きティーサービスがある。ニュージーランド航空は何かとサービスが良い。生憎今日は気流が悪く何度も大きく揺れる。窓の外を眺めると遥か下に虹が懸かっている。現在日本時間14:00、あと2時間ほどで成田に着陸である。(完)

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ワイトモ鍾乳洞の土ボタル

2004年4月19日(月) 6:00モーニングコールで起床、今日が観光の最終日である。7:00朝食、テーブルが狭く早々に席を立つ。501 食後の腹ごなしにロトルア湖畔を散策すると、あちこちから水蒸気が上がり岸辺は泥湯の様相を呈しているる。8:00バスでワイトモへ向う。旅も終盤にさしかかり皆さすがにお疲れモード、車中ぐっすり眠る人が多い。10:00ワイトモ鍾乳洞到着、入洞料は大人25NZドル。土ボタルの幼虫は、洞窟天井からゼラチン質のひも状粘液を何本も吊り下げる。それで成虫を絡め捕り共食いするという。船に乗って地底湖を進むと、洞窟の天井一面に天の川のように土ボタルが光る。ホタルのように明滅する明かりではなく光りっぱなし、それでも実に幻想的であり、世界七不思議のひとつとされるのも肯ける。明るさはヒカリゴケの比ではない。蛍と同じくルシフェリン・ルシフェラーゼ反応によって発光しているらしい。ワイトモ鍾乳洞見物を終え、そこから程近い牧場のレストラン(Roselannd Restaurant)で昼食をとる。メニューは、牛肉ステーキ、白身魚のホイル包み焼き、手造りクッキー、洋ナシ、キウイフルーツなど、全てが美味でつい食べ過ぎる。日本から移入したというサクラの樹が枝を広げ緑陰を作る。ヤマボウシの実は鈴なり、503 アジサイ、コスモス、テッセンなども咲いており、まるで箱根辺りのレストランにでもいるような錯覚を催す。12:30いよいよオークランドへ向け出発、途中2箇所で休憩する。ワイカト河畔にNZでは珍しい火力発電所が建っている。附近がコークスの産地らしい。それにしても今日だけで385㎞のロングドライブ、この旅行中の総走行距離は2,100㎞にものぼる。オークランドの街に入ると初めて渋滞に出遭う。16:20 Mt.Edenに登る。360度の展望所からは、13年前に出張で来た際に登ったOne Tree Hillも見える。どちらも死火山の火口丘である。504 オークランドの街が2つの入り江に沿って広がる。スカイタワーが聳える中心部の高層ビル群やタスマン海などを心ゆくまで眺める。その後、DFS、大橋巨泉のOKギフトショップ、AOTEAの土産物屋3箇所を巡る。翡翠製キウイの置物、キウイフルーツジャム、バターなどを購入し、NZドルを使い切る。夕食は大黒屋の海鮮鉄板焼き、メニューは太刀魚、イカ、ムール貝の焼き物、それにご飯と味噌汁と冷奴とお新香が付く。やはり日本食はヘルシーで美味い。19:45スカイタワー隣のスカイ・シティホテルに入る。眺めは良くないが高級である。風呂に入ってさっぱりしてから二人分の出国カードを書く。明朝は5:00起き、再び11時間かけて日本へ帰る。(続く) 

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クライストチャーチ市内散策・ロトルア観光

2004年4月18日(日) 6:20モーニングコールで目覚める。部屋の外へ荷物を出してロビーに集合、トラム(路面電車)で市内を3周しながら車内で朝食をとる。401 現在は観光客相手の電車であるが、1905年から54年までは市民の足として営業運転していたとのこと、その後一旦休止していたが、1995年から再開したものである。トラムから降りてエイボン川の河畔を自由散策、市街地を流れる川とは思えない清らかな流れに、鴨やカモメが遊ぶ。プラタナス、マロニエ、枝垂れ柳の大樹が緑陰を作り散策するにはもってこいの場所である。広島・長崎原爆慰霊の記念樹やイチョウ、カシワ、サクラなど馴染みの樹木もある。カエデのような掌葉で青リンゴを思わせる小粒の実を多量につけている木がある。何の木か、 日本と同緯度といっても南半球の樹種はかなり402異なる。聞けばNZ原産の落葉樹は12種あり、そのうちのひとつのミルシャは樹皮が赤褐色で花が赤紫、日本にも輸出されており鉢植えで人気があるらしい。「追憶の橋」、「キャプテン・スコット像」、「ビクトリア広場」、「大聖堂」などの名所を巡り写真に収める。9:45ホテルからバスで空港へ向う。10:05空港着、11:25 NZ636便に乗り込む。B737型機、300人乗りの機内は殆ど日本人で満席、飛行中の視界は良好でウェリントンの街並や北島の山並が良く見える。上空から眺めるNZの景色は、島国の山国で日本とそっくりである。12:42ロトルア空港着陸、 北島は暖かく陽の光が一段と強い。迎えのバスに乗り込み、ロトルア在住の日本人女性(現地ガイド)の案内で405昼食会場へ向う。ロトルアは温泉が縁で大分市と姉妹都市、マオリの血を引く人が住民の90%を超える。それでも白人との混血が進み、もはや純粋のマオリ人はいないとのことである。ノンコタハ(ひょうたん)山へゴンドラで上がり、レストラン・スカイラインで昼食をとる。好天の日曜日とあって地元の家族連れに日本人、韓国人、中国人の観光客が入り乱れ大混雑。メニューは豪州産コシヒカリのご飯に味噌汁、豚カツに白身魚のフライ、キャベツとキュウリの浅漬けなど、結構味が良い。展望台からロトルアの 町並とロトルア湖を眺める。NZの景色はどこもかしこも絵になり写真になる。その後、ファカレワレア地熱地帯を601見物に行く。30mもの高さに噴きあがる間欠泉ポフツ・ガイザーや熱泥地獄(Mud Pools)を見物し、マオリ美術工芸学校を見学する。辺り一面に硫黄の匂いが立ち込め鼻をつく。次いでレインボー・ファームに移動し、羊の毛刈り実演と牧羊犬のショーを見物する。羊の値段は一頭3,000円から10,000円だそうで意外に安い。毛刈りの労賃も一頭1NZドルと低賃金、実際の牧場では一日300頭もこなさなければならないらしく実に重労働である。 最後に、隣接するレインボー・スプリングスへ行く。そこは鱒類の養殖場とのことであったが、内実はNZ産の鳥類園である。エミュー、カカ、キーア、キウイ、タケオ、406白頭鴨などが飼育展示されている。今日はあちこち引っ張りまわされ熟年組にはハード、少しずつメンバーから不満が洩れ始める。17:40ようやく今宵の宿レーク・プラザホテルに入る。ロトルア温泉ポリネシア・スパの直ぐ近くとあって硫黄臭がぷんぷんする。ポリネシア・スパの入湯料金は30NZドルとやや高め、水着を4ドルで貸してくれる。施設は日本の岩風呂風にこしらえてあるとのこと、楽しみにしてきたメンバーも多い。夕食はマオリの伝統料理「ハンギ」、カボチャ、ジャガイモ、ラム肉、鶏肉などが蒸し焼きで供される。どれもベタベタして食感・風味ともいまいち、中で一番美味しかったのは鹿肉ステーキで、これはしっかり味付けがしてある。マオリダンスを賑やかに見学して21:00ようやくお開きになる。(続く)

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再びクライストチャーチへ(移動日)

2004年4月17日(土) 6:00起床、パークロイヤルホテルは隣室の話し声が筒抜け、安普請である。7:00部屋の外へ荷物を出し朝食へ行く。301 昨日の朝と全く同じ料理が並ぶ。8:00バスに乗り込み出発、今日も大移動である。8:25嘗てゴールドラッシュに湧いた町、アロータウンに着く。150年前の町並が保存されていることにも感心するが、それよりも周辺の山の黄葉が素晴らしい。晩秋の冷涼な大気が充ち、東北の秋に似る。9:00バンジージャンプ発祥の地というカワラウ(KAWARAU)橋の袂に着き、若いカップルが43mのダイブに挑戦するのを見物する。ひとり125NZドルも払って勇敢なものである。10:00クロムウェル、往きと同じ果物屋でトイレ休憩、ドラゴンフルーツは当地ではKIWANOと呼ばれている。バスは更に走る。河畔林を形成し302 ているのは柳であるが、その黄葉もまた美しい。羊が放牧されている山は全山草山であり、羊が食べない棘の木と谷地坊主のようなボサが点々と残る。一見穏やかな風景であるが、樹木が多い日本の山に比べれば貧弱で荒涼としている。針葉樹はニュージーランド松にトウヒの一種、それにカラマツである。時々平坦な造林地が現れる。山植えの日本からみると天国、楽ちんでコストも安い。オマラマの町から3㎞ほど離れたチェイン・ヒルにある牧場で昼食をとる。125エーカー(約15万坪)の広大な牧場であるが、牧畜専業では経営が苦しいとのことで、今では観光牧場の方がメインである。牧羊犬に羊を追わせるショーがあり、土産品まで売っている。牧舎の居間を食堂に改造し、夫婦と息子夫婦の4人でバスツアーの客に食事を提供する。焙り牛肉、ジャガバタ、ソーセージ、サラダ、アイスクリーム(有名なポーキーポーキー製)にコーヒーのフルコース、味はまずまず、満腹になる。庭先にハハコグサとマツムシソウが咲いている。 日本人ツアー客向けの演出かもしれぬ。14:30ティカポに着くまでぐっすり眠304る。16:00ジェラルディンでもトイレ休憩、公衆トイレも含めてトイレが清潔なので気持ちが良い。街中にもごみひとつ見当たらず、これには感心する。それでも日本と同じく壁へのスプレーペイントによるいたずら書きはある。今日はクライストチャーチへ移動するだけなので観光は中だるみ、これといった目玉がない。18:20市中心部の大聖堂広場近くに建つリッジスホテルに到着、909号室に入る。クライストチャーチは地価が高いのか、部屋は狭くベッドも子供用かと思うほど小さい。ホテルのレストランでオーガニック・ディナーと謳う夕食をとる。確かに野菜は新鮮で美味しいが、鶏肉はパサパサ、他の料理も余り感心しない。食後家人とDFSへ買い物に行く。幸運を呼ぶというマオリのペンダント(Green Stone製)やチョコレートなどを土産に買う。0:00就寝、連日の午前さまである。(続く)

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フィヨルドランド国立公園

2004年4月16日(金) 5:30のモーニングコールで起きる。睡眠時間3時間は辛い。それと昨日虫に刺された箇所が腫れ上がり痒い。2056:00朝食、ミルフォード・サウンド観光に出るグループが一斉に食堂に押しかけ、大行列が出来る。7:00バスで出発、小雨が降っており未だ薄暗い。 クィーンズタウンはスキーリゾートとして世界的に有名で、シーズンは6月から10月上旬とのこと。市内の戸建て住宅は1,500~6,000万円ほどで買えるが、対岸の北斜面にある高級住宅地の別荘は数億円もするらしい。バスはリマーカブル山脈を左に見て、ワカティプ湖畔を延々と南に進む。ワカティプ湖はNZで三番目に大きい湖、やはり氷河湖であり、長さ80㎞、幅5㎞、平均水深は300mとのことである。8:30モスバーンの町に入る。人口500人ほどの小さな町で、鹿の解体を生業にしているらしい。近年、羊の飼養頭数は激減しており、10年前の9,000万頭が今では4,500万頭(西暦2000年時点)にすぎない。原因は、イギリスがEUに加盟してスペインから羊毛を輸入するようになり、NZからの輸出が減少したためである。やむなく鹿の飼養に切り替えて、現在200~300万頭まで増えつつあるとのこと、鹿角は漢方薬の原料として中国や韓国に高値で売れるし、肉はドイツを始め欧州各国へ結構な値段で売れる。203 皮も皮革製品に利用できるとあって、あと10年も経てばNZのイメージは嘗ての羊の国から 鹿の国になるやもしれぬ。それはともかく、モスバーンは今回の旅では最南端の地、南島の先端にも近い。そこから94号線に入ると道は北上する。ティアナウで休憩、2002年12月に皇太子殿下ご夫妻がNZを訪れた時は、この町のホテルに宿泊されている。因みにティアナウ湖は二番目に大きい湖である。更に北上するとフィヨルドランド国立公園に入る。NZ固有の常緑樹、南極ブナ(BEECH TREE)の大原生林が一面に広がる。葉の形は日本のブナに似ているがずっと小さい。樹皮は苔に覆われ、老木の幹はヒノキかマツのように赤茶ける。日本のブナのような新緑、黄葉の204 情趣はなさそうである。NZにある14のフィヨルドのうち、車で行けるのはミルフォードサウンドのみとのこと。10:15エグリントン平原で写真タイム、大平原が一面草紅葉に染まる様は圧巻である。10:30ミラー湖、対岸の山を湖面に映す小湖である。フィヨルドランドの年間降水量は7,500~8,000mm、一週間のうち少なくとも5日間は雨が降り、南半球で一番雨が多い地域だそうである。どうりで南極ブナの森が苔でびっしりと覆われ、巨大な木性シダが繁茂している訳である。山肌に懸かる条痕は木雪崩(Tree Avalanches)の痕というが、土石流の名残でもあろうか。11:10デバイド 峠にさしかかる。標高534mは、サザンアルプスを越え207る峠の中で一番低い。峠の断崖絶壁には、雨が降ると出現するカスケード(Cascade)と呼ばれる滝が幾本も懸かる。その眺めは、谷川連峰・仙ノ倉山北面の西ゼン・東ゼンの景色のようでもある。11:25モンキークリーク、ガイドさんの指示を受け皆で沢の水を飲みに行く。実に素直なものである。ホーマートンネルを抜けると道は一気に下る。12:05 CHASMの滝に寄る。いわゆる甌穴(Pot Fall)である。12:45ようやくミルフォード・サウンドビジターセンターに到着、和食弁当をもらって早速乗船する。船内で味噌汁 と緑茶が出て、お昼を食べながらの観光になる。はるばるとやって来たが、上空には厚く雲が垂れ込め、山の頂も稜線も見えない。迫力もなければ感動208もいまいち、その上船内にはサンドフライなるブヨまがいの毒虫が多く、それがしつこくまとわりつく。往復16㎞、所要1時間40分のクルーズに出航するや直ぐに、右手にボウエン滝が現れる。落差160mは那智や華厳の滝をも凌ぐ。もちろんミルフォード・サウンド随一である。左右の絶壁に滝が次々に現れる。これでもかこれでもかと現れ、やや食傷気味となる頃、船はタズマン海に出てUターンする。雲が切れて山々が姿を現す。オーパ!、さすがに雄大な景観である。14:50ビジターセンターに戻り、再びバスに乗って帰路に着く。16:35ティアナウの町で再び休憩、天候が回復し空に豪勢な虹が2本もかかる。19:20クィーンズタウンに帰着、そのまま湖景皇宮飲楼(レイクサイドパレス)なる中華料理店に直行し、夕食をとる。ホテルに戻って風呂に入ると0:00、直ぐにベッドにもぐりこむ。(続く)

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マウント・クック国立公園

2004年4月15日(木)  6:35起床、10時間以上眠る。朝のマウント・クックを拝み、ハイキングの支度をしてからゆっくり朝食をとる。日本人が多いため、納豆、味噌汁まである。窓の外を見ると、山を越えて雲が来る。24 天気は下り坂である。それにしても、この辺りの降水量は屋久島(4,000mm)を上回る6,000mmとのこと、70%は雨天というのに昨日、今日と誠に天候に恵まれる。8:30廊下へスーツケースを出し、ホッカー谷(HOOKER VALLEY)ハイキングに向う。ハイキング組は34名中23名、ホテルで準備した弁当をもらって迎えのバスに乗る。ガイドは日本人女性(来NZ5年目)と、エベレストにも登頂したことがある山岳プロガイドのフリンジ氏(ネパール人男性、来NZ4年目)の二人、8:50キャンプ場でバスを降り、二班に別れ片道2.5キロメートルのU字谷を遡る。砂礫の幅広い遊歩道が谷奥へ続いている。道の両側には棘の木(マタドーリ;Wild Irishmen)、NZのシンボルであるシダ、棘の葉(Wild Espania)、赤い実をつけたオンコそっくりの木、ラージマウンテンデージー、101 ツワブキのようなマウントクックリリー、ウスユキソウなどが現れる。いずれも花の時期は終わっている。全般に葉が細かくて肉厚の植物が多い。砂利と岩の土手であるモレーンの間を進み、10:25第二吊橋でフッカー川を渡った所で小休止、マウント・クックが正面に良く見える。マウント・クック登頂に挑む者は年間150名位、成功するのはそのうちの70名ほどらしく、素人では登れぬ山である。休んでいるうちに毒虫(サンドフライ?、ショウジョウバエのように小さい)に左右の腕の一箇所づつ刺される。ムヒを塗ったが相当痛痒い。一休みした後、そこから引き返す。これでは家族ハイキングのグレード、わざわざガイドを頼むまでもない。ちょうど上高地散策の趣きで、吊橋からマウント・クック(3,754m)やマウント・セフトン(Mt.Sefton:3,151m)を眺めるのは、201 河童橋から穂高連峰を眺める感じに似る。 ホッカー河は梓川に対比できる。但しサザンアルプスは河谷から2,000~3,000mの高さで一気に立ち上がっており、又氷河を何本も掛け下げている様は遥かに雄大である。河水も粘土や砂で乳濁しており、梓川より荒々しい。全体に荒涼とした風景である。11:40キャンプ場に戻り、休憩舎で昼食をとる。弁当の中味は、ハムサンド、マフィン、フルーツサラダにナッツバー、青リンゴ、ミネラルウォーターといったところ、ガイドさんが沸かすホットコーヒーが有り難い。5月中旬でこのハイキングも終り、シーズンオフに入るとのこと。ホテルへ戻って13:00出発、ロングドライブの再開である。窓外に見える山肌は裸で、棘の木の藪が点々と散らばる。草紅葉が始まり晩秋の風情、冬が駆け足でやってくる。時雨れてきてバスのフロントガラスに雨滴が当たる。268号線に入り Twizel の街を通過、14:00オマラマの街で休憩、リンギー峠(標高970m)を抜けてクロムウエルの街で再び休憩をとる。 そこは果物の産地で、Jones's Fruit Stallなる青果店は果物がめちゃくちゃ安い。箱売りや大袋売りで5~10NZドル位、但し林檎、梨、プラム、キウイなどいずれも小粒で硬そうである。野菜やドライフルーツ、ハチミツに松ぼっくり迄売る観光客相手の店である。その辺りの路傍はポプラ並木が続き、その黄葉はうっとりするほど美しい。ブドウ畑やワイナリーも点在する。16:40ワカティプ湖畔の町クィーンズタウンに入る。スイスのルツェルンに似た雰囲気の町である。湖の畔にある今宵の宿、パークロイヤルホテルにチェックインする。25529号室に荷物を置いて迎えのバスで夕食会場へ向う。場所は山頂レストラン、往復のゴンドラ代とディナー料金セットで59NZドルは安い。18:10から19:30までビュッフェ形式のディナー、地ビールのSpeight's Gold Medal Ale を飲む。NZのように穏やかな味である 。皿にてんこ盛りをしているのは皆日本人である。海産物が豊富で、小さな生牡蠣、ワタリガニ、鮭、ムール貝(グリーンマッスル)などが美味、 フェイジョーアなるNZ特産の青蜜柑色の果物は青梨と青林檎をミックスしたような味で珍しい(が、さほど美味しくはない)。アイスクリームとコーヒーで締めくくって満腹である。展望台からの夜景は街の灯りが足りず1万ドル位の価値か、小さな町である。20:10ホテルへ戻り、そのまま買物に出る。ラノリン入りスキンクリームなどを土産に買う。風呂に入ってさっぱりし、2日分の日記をつけると1:50の御前様、明朝(今朝)のモーニングコールは5:30、なかなかハードである。(続く)

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良き羊飼いの教会

2004年4月14日(水) 現地時間の8:13(日本時間5:13)クライストチャーチ国際空港に着陸、外気温は8℃だが好天で陽射しが強い。紫外線量は日本の7倍とか、これでは白色人種はたまらない。 迎えに来たのはVOLVOの大型バス、01国道1号線を淡々と走りカンタベリー平野を南下する。道路は勿論、平行して走る鉄道線路も何処までも真っ直ぐである。殆ど信号はなく制限速度は時速100㎞、まるで高速道路である。右手遠くにサザンアルプスの雪嶺が壁のように聳えている。車窓から見る樹木はポプラ、マツ、ユーカリなどである。松毬(まつかさ)の大きいものは子供の頭ほどもある。アッシュバートンの街で休憩をとり、ジェラルディンの町で昼食になる。ベーカリー・カフェに入り、スコーンとフライドポテト、それに黒スグリのジュースを注文すると10.5NZドル(1NZドル78円)也、物価は日本とほぼ同等である。その辺りから車窓に牧場が連続して現われる。今では羊だけでなく、牛、馬、鹿、ダチョウまで飼われている。なだらかな丘陵地帯に見渡す限り牧草地が広がり、長閑で単調で眠くなる。13:30氷河湖のひとつ、テカポ湖に到着、湖畔に建つ1953年建立の「良き羊飼いの教会」に立ち寄る。石造りの小さな教会で何の変哲もないが、 室内祭壇の窓から眺めるテカポ湖は、まるで額縁に入っている絵の如く見える。湖畔亭の売店を覗く。オポッサム(小型有袋類)の毛100%のセーターが売られており、380NZドルもする。毛玉ができることは絶対にないという高品質が売りである。03 沿道に紅い実をびっしりつけたナナカマドの木が多くなる。再び氷河湖のひとつ、プカキ湖にさしかかる。湖面の奥にマウント・クックの雄姿を望める。16:00ハーミテージホテル着、235号室に入る。部屋の窓から眺めるマウント・クックの景色が素晴らしい。上高地の大正池ホテルに泊まって穂高岳を眺める気分に近いものがある。早速写真撮影のため外へ出る。附近の標高は760mとさほど高くはないが、緯度が低いためか、陽が翳ると同時に冷え込んでくる。18:30からビュッフェ方式の夕食、特に珍しいものはないが、あばら骨付き羊肉や鮭のムニエルは美味。ハーミテージホテルの宿泊客の6割は日本人とのこと、NZの観光産業に貢献すること大であるが、オーバーユースが気に懸かる。徹夜明けの強行軍で疲れたので20:00頃ベッドにもぐりこむ。因みにHERMITAGEとは「隠居」の意味、なるほど納得である。(続く)

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森と湖の国 ニュージーランド漫遊8日間

2004年4月13日(火) 6:00起床、曇天。気温は平年並みに戻り昨日より8~10℃も下がるとのこと、今日から8日間のニュージーランド旅行に出る。13:20のバスで南柏駅へ行き、常磐線、成田線経由、15:45成田空港第2ターミナルビルに着く。ABCのカウンターでスーツケース(SC)を受け取り、ニュージーランド航空のカウンターに預ける。今回の旅行の参加者は34名、定員一杯である。メンバーはと見ると、超熟年揃いであり、しかも夫婦よりも女性グループの方が多い。日本の女性は皆元気である。添乗員のK嬢は年のころ30歳位か、ルックスはともかく博識で話術は巧みである。18:00搭乗開始、NZ090便は満席である。クライストチャーチまで9,387キロメートル、11時間のロングフライトが始まる。19:40早速夕食が出る。メインディッシュの牛肉は分厚く硬い。週刊誌を2冊読み、映画「Time Line」を観る。ワインとビールを飲んだのに一向に眠くならない。狭い座席で体の位置を色々に変えながら悶々と時間が過ぎるのを待つ。3:44(現地時間6:44)日の出とともに朝食が出る。(続く)

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法隆寺地域の仏教建造物群

2004年3月9日(火)  飛火07野荘の朝食もマズマズ、コーヒーのフリーサービスが嬉しい。8:00出発、近鉄奈良駅から電車に乗り西大寺と橿原神宮前で2回乗り換える。9:40飛鳥駅に降り立つ。 今日は一転して暖かい好天、気持ちよく12kmのウォーキングに踏み出す。 レンタル自転車で廻るのが一般的らしく、全コース歩く人は稀である。10:00高松塚壁画館、高松塚古墳を見学する。遊歩道・道標・WCなどコースは良く整備されている。10:45鬼の雪隠、鬼の俎岩、10:50天武・持統天皇檜隈大内陵、11:05亀石。露店で買った明日香ミカンを食べながらゆるゆる歩く。飛鳥路はとても長閑である。11:25橘寺、聖徳太子誕生の地で08ある。寺内の休憩所で昼食。12:20石舞台古墳、剥き出しになった石室は韓国の支石墓より遥かにスケールが大きい。13:05岡寺(西国七番霊場)、厄除開運の寺で本尊の如意 輪観音は日本最大の塑像である。 境内の最上部まで登ってみると洞窟内にも観音像が安置されている。13:55酒船石、14:10明日香民族資料館。14:30飛鳥寺、本堂に日本最古の釈迦如来像がある。15:00入鹿の首塚、15:20甘樫丘、丘の上に登ると飛鳥の里が一望できる。天の香具山・耳成山・畝傍山の三山も指呼の間である。16:10漸くコース終点の橿原神宮前駅に着く。6時間半、良く歩いたものである。17:20飛火野荘に帰る。他の宿泊客はお水取りに出掛けたのか食堂も風呂場も閑散としている。お陰でゆっくりくつろげる。

3月10日(水)   8:15チェックアウト、近鉄奈良駅のコインロッカーに荷を預けバスで法隆寺に行く。午前中法隆寺を見学、南大門・中門・五重塔・金堂・大講堂・聖霊院・大宝蔵院・夢殿と案内書の通りに廻る。 国宝、重文目白押しであるが、やはり百済観音像や玉虫厨司(大宝蔵院収蔵)が印象深い。 中宮寺にも入り、ご本尊の如意輪観音を拝む。バスで西ノ京へ移動、近鉄郡山駅前で昼食用に買った寿司を車内で食べる。こうなると旅の達人である。西ノ京では最初に薬師寺を拝11観する。平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」(玄奘三蔵院伽藍収蔵)を観たかったが今日は公開していないとのこと、金堂・大講堂・西塔・東塔など見物する。東塔を除き再建された伽藍3棟は余りにキラキラしく、世界遺産の趣に欠ける。それでも宮大工西岡常一氏が樹齢2000年の台湾檜を用いて 造営した伽藍は荘厳である。最後に唐招提寺を見る。金堂は大修理中であり、国宝の鑑真和上像も拝めない。仕方が無いので庭を一巡りする。唐招提寺東口からバスに乗り近鉄奈良駅に戻る。16:00発京都行き近鉄線特急と16:56発東京行き新幹線のぞみを乗り継いで帰京、20:30には無事帰宅、大和古寺巡礼の終りである。  

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古都奈良の文化財

2004年3月7日(日)  東京駅発8:36のひかりに乗り込む。名古屋から先は各駅停車、のぞみの増発で昔のこだま並みの扱いである。 富士山は良く見えたものの米原付近は吹雪、11:25京都着、雪が舞い底冷えする。駅のコインロッカーに荷物を預け市バスで大覚寺へ向う。02 大覚寺を拝観、宸殿にある狩野派の襖絵など観る。山門前の蕎麦屋「しぐれ茶屋」で昼食、名物の鰊そばで腹ごしらえした後、寂庵経由で化野念仏寺へ行く。 八千体を超える石仏・石塔が西院河原に整然と並ぶ。想っていたより小さな寺である。更に平家物語ゆかりの祇王寺も訪ねる。苔生す庭が美しい。雪は本降りとなるが二尊院も拝観、藤原定家が小倉百人一首を選定した時雨亭跡や坂東妻三郎の墓がある。 嵯峨野散策もそこまで、急いで京都駅に戻る。荷物を回収しタクシーで今宵の宿の会社厚生寮に向う。17:50にチェックイン、辛うじて夕食に間に合う。自分は初めて利用するが鴨川畔の風雅な建物、妻は10年ぶり二度目である。他に利用客はなく貸切り状態、部屋は鴨川を望む「貴船」、8畳間なのでゆったりできる。夕食も美味しく、冷えた体を風呂で温める。

3月8日(月)  9:00厚生寮をチェックアウト、東福寺駅で京阪電車からJR奈良線に乗り換える。10:35奈良駅着、今日も真冬のような風が吹く。05  先ず宿泊先の厚生年金施設「ウエル飛火野荘」に行き、荷物を預けて身軽になる。歩いて興福寺へ行き見学を開始、五重塔・三重塔・北円堂・南圓堂(西国三十三観音第九番霊場)・東金堂・国宝館など巡る。国宝館の阿修羅像が素晴らしい。うっかりして厚生寮の部屋の鍵を持ってきたため、奈良東向郵便局からゆうパックで送り返す。 ひと仕事を済ませ、冷えた身体を奈良国立博物館の食堂に入って温める。 午後は華厳宗大本山東大寺の見学に向う。まるで修学旅行である。南大門・大仏殿・正倉院・二月堂・三月堂・四月堂など拝観する。若草山を眺め春日大社経由で一旦飛火野荘に戻る。18:00まで休憩し、再度東大寺の二月堂に行く。3月1日から14日の間行われている春告げの行事「お水取り」の見物である。大松明10本が上り、堂上から火の粉が降り注ぐ勇壮な行事は見応え充分である。満足して近鉄奈良駅前に夕食に行く。  

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宗廟/昌徳宮/帰国

2004年1月18日(日) 7:20になるが未だ夜が明けない。7:50ロビー集合、韓国はまもなく旧暦で祝う正月である。市内の小さな食堂に朝食に行き、ソルロンタン(牛骨、牛尾のスープ)にご飯と大根キムチを入れて食べる。15専門店とのことで味はまずまず、体が温まる。近くの青瓦台傍の公園でトイレ休憩、小雪舞うも風はない。9:30~10:40ロッテデパート10階の免税店で買物、青磁の香炉や鰻皮の財布などを土産に買う。霙が降り出し寒くなる。10:50~11:50世界遺産の宗廟見学、中に李朝歴世の王と王妃の位牌を祀る。がっしりした横長の建物の彩色は地味な臙脂色である。12:30~14:00昌徳宮見学、雪が本降りに変わり風情や趣きを愛でるどころではなくなる。夜のフライトが心配になる。遅い昼食を食べに街中のレストラン”青沙草龍”に行く。鳥料理の専門店はガラガラ、今韓国で流行している鳥インフルエンザの影響の為である。料理はサムゲタン、一羽丸ごとの鶏の腹中に餅米、ナツメ、ニンニク、栗、17 朝鮮人参などを詰めて水炊きにしてある。加熱すればウイルスは死滅すると頭で判っていても抵抗がある。皆あまり食欲は進まない。その後キムチ屋に寄る。世界遺産を見学する時間よりも土産物店で過ごす時間の方がずっと長い。うっかりキムチの試食をしてしまい、とうとう2箱買わされる。やれやれである。16:40仁川国際空港着、開港して3年目の巨大なハブ空港である。これでは成田は敵わない。17:00チェックイン、出国の手荷物検査は厳しく全員靴まで脱がされる。18:40発のKE705便は翼に積もった雪を溶かすため出発が大幅に遅れ、19:45やっと離陸する。成田着陸は21:30、急いで入国審査と税関検査を抜け、22:17の東京行快速電車に辛うじて間に合う。成田と我孫子で乗り換えたのも全てが最終電車、南柏駅に着きタクシーで帰館が午前様の0:10。(完)

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水原の華城/江華の支石墓群

2004年1月17日(土)  6:15起床、ホテルレストランの朝食はパンとコーヒーと果物、朝はこれが良い。東大邱駅までバスで送ってもらい、9:36発セマウル号に乗る。11 韓国の新幹線というが、車内は薄汚れており、時速は100km、日本の新幹線とは全く別物である。北に進むにつれて雪景色となる。車内で支給された駅弁を早々と昼前に食べる。白菜キムチ、塩辛キムチなどのおかずが全て塩辛い。キムチは体が温まって良いが、血圧も上がりそうである。12:36水原(スウォン)駅着、一面銀世界である。迎えのバスに乗り込み世界文化遺産の”水原華城”へ向う。13:00着、水原華城(スウォンファソン)は李氏朝鮮第22代正祖王が遷都を目的に造営した都城である。1796年城壁のみ完成したところで正祖王が亡くなり、ために遷都は中止されている。 全長5.7kmあ12るという城壁の最高地点”西将台”まで雪の坂道を登る。晴れていれば都城全域を見渡せるとのことであるが、今日は雪に煙って何も見えない。それでも目を凝らすと僅かに水原の街が見える。雪化粧した水原華城は趣きがあり、風情がある。こんな日の見学も又一興かもしれぬ。幸運を呼ぶという”孝園の鐘”を撞く(有料)。再びバスに乗り紅華島へ向う。道は渋滞気味で車は東京より多い。約2時間かかって15:45支石墓公園に着く。50屯の天井石が一対の支石の上に乗っている巨石遺構がある。青銅器時代(BC1000年~BC100年)に造られた豪族首長の墓とされているが、飛鳥の石舞台古墳にも似ている。 付近一面に広がる朝鮮人参の畑は深い14雪に埋もれている。朝鮮人参は収穫するまで6年もかかるとのこと、値段が高いのも肯ける。16:10三度バスに乗りソウルへ戻る。それにしてもこのツアー、旅行社専属カメラマンがガイドとともに全工程同行するのが何とも煩わしい。他人の写真をパチパチ写して半強制的に売りつける。17:50ソウル市内に入り、民芸品店”裕昌民芸”に寄る。珍しいものにウナギの皮製品(小銭入れ)があるが、色使いがいまいちである。夕食に市内のレストラン”韓食名家景福宮”に行き、シャブシャブを食べる。サービスが悪い店ではあるが、昔の義理でOBビールを飲む(1本5,000ウォン)。南大門市場見物或いは韓国エステOPツアーに参加するメンバーと別れて、カメラマン氏の案内でジャンボタクシーに乗り、20:00今宵の宿エル・ルイホテルに入る。そこは特2級ホテルで、昨日のインターブルゴほど高級ではないが、一応5つ花である。1階のラウンジでコーヒーを飲むと一杯6,500ウォン(税込み800円)、なるほど確かに高級ホテルである。(続く)

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石窟庵と仏国寺/「八萬大蔵経」版木所蔵の海印寺

2004年1月15日(木) 9:30のバスに乗り南柏駅に出る。退職後最初の海外旅行はK社が主催する「韓国世界遺産紀行4日間」である。11:40成田空港第一ターミナル着、荷物を預けマクドナルドでコーヒーを飲む。平日のせいか出発ロビーは閑散としている。14:00発釜山行きKE714便のスタッフは全て韓国人、空席が目立つ。16:15釜山金海国際空港着、好天でさほど寒くはない。バスに乗り慶州へ向う。現地ガイドはFさんという中年女性、漢南(ハンナン)旅行社の社員である。01バスの中(?)で両替すると1万円が109,000ウォン、円高が有り難い。18:20古都慶州のKOLONホテル到着、ロビーに荷物を置いたままいきなりレストランに案内される。 華やかな五色のチマチョゴリを着た妙齢の美女4人が舞う韓国古典舞踊を観ながら、海鮮寄せ鍋の夕食をとる。鍋の材料はタラ、ワタリガニ、ツブ貝、ホタテ、アサリ、大根、人参、蒟蒻、春菊、うどんと日本人好み、良いダシが出て美味い。部屋は647号室、仏国寺に近い高級ホテルとのことであるが「ふーむ、うーむ」のレベルである。韓国では歯ブラシセットやシャンプー、リンスは有料で浴室の外に置いてある。因みにシャンプーとリンスで3,000ウォン、缶ビールと同じ値段である。温泉大浴場もあるが、疲れたので部屋のお風呂に入る。

1月16日(金) 5:30のモーニングコールで起床、パック旅行はこれが辛い。5つ花(ムクゲ)の高級ホテルであるがスチーム暖房で部屋が暑すぎる。設備は時代遅れである。チェックアウトしてロビーに集まり、地下食堂で鮑(アワビ)粥の朝食をとる。02 7:10バスで観光に出発、最初に吐含山の中腹から日の出を眺める予定であったが雪降りでそれどころではない。うっすら雪が積もる山中の参道を歩いて、世界遺産の石窟庵へ行く。751年建立の新羅時代を代表する大仏は立派であるが、ガラス越しにしか眺められず又写真撮影も禁止である。山中の樹木はアカマツ、ナラ、シデ、ヤシャブシなどで日本と変わらない。バスに戻って山を下り、仏国寺に参拝する。池や渓川が凍っている。天王門(四天王像有り)、紫霞門、大雄殿など全て五色(赤、青、黄、碧、黒)に彩色されている。 境内にはケヤキ、モクレン、サルスベリの木が多い。次は”三国陶芸”なる韓国青磁の窯元見学、04何とかお金を使ってもらおうと現地ガイドのF女史も一所懸命である 。3泊4日で5万5千円のツアーでは土産物店巡りが多くなるのもやむを得ない。仏国寺参道の露店で買った焼き栗は素朴な味が美味しい。続いて新羅王室別宮の”鮑石亭”を見物する。曲水の宴を催した遺構(曲水渠)が残っている。新羅で一番美しい離宮というが、どこもかしこも乾いて埃っぽく潤いに欠ける。日本の三分の一しか雨が降らないせいかもしれぬ。再び土産物のアメジスト店に寄る。昼食は東洋会館で石焼ビビンバを食べる。別料金の韓国風お好み焼き”ちぢみ”も食べる。イカ、ニラ、卵をたっぷり使ったお好み焼きである。昼食後に一人1,000円のオプショナルツアーに参加、新羅王族の古墳23基がある”大陵苑天馬塚”を見学する。苑内は芝が植えられ05良く整備されている。13:00出発、バスで伽倻山海印寺へ向う。 華厳宗の名刹で、高麗大蔵経の版木81,258枚(1251年完成)を所蔵し、世界遺産に登録されている。版木を保管する八萬蔵経堂は山頂にあり、参道を延々山登りする。参道の両側には大きな干し柿を売る露店が並ぶ(10個で6,000ウォンと安いが、渋味がある)。版木は外気に曝される状態で保管されている。日本ならさしずめ鉄筋コンクリート製の宝物館に納め、大切に保管する文物であるが、、、他人事ながらやや心配になる。再びバスに乗り大邱へ移動する。レストランで夕食、1.5人前の骨付きカルビが出る。焼いたカルビにタレや味噌をつけ、焼きニンニクの切片とともにサンチュ(サニーレタスの如し)や大葉(シソの葉ではない)にくるんで食べる。味はいまいち、朝鮮飯店や安楽亭やはなまさの方が旨い。韓国伝統ワインという”百歳酒”も飲んでみたが、アルコール13%の薬草酒である。雑穀の匂いが強く、飲みにくい。19:00大邱第一という高級ホテル INTER-BURGOにチェックイン、5139号室に入る。さすがにエアコンが効き快適、正真正銘の5つ花ホテルである。(続く)

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アンコール・トム/タ・プローム/帰国

2003年9月19日(金) 6:30起床、ホテルから会社へ電話しようと3回チャレンジしたが、カッカッカッという機械音が聞えるのみ、一向に呼び出し音が鳴らず諦める。7:30朝食、ベトナムキシメンとドラゴンフルーツを食べる。今日まで日本から持参した生茶(500ml)3本、アルカリイオンの水(2ℓ)2本を消費したが、ホテルではペットボトル入りミネラルウォーターのサービスがあるし、バス車内でもお絞りとミネラルウォーターが出るので要らないかもしれない。408:30チェックアウト、国際電話は繋がってもいないのに11分80ドルの料金を請求されひと悶着、午後またホテルに戻るのでその時迄に通話記録を準備してもらい清算することにする。トラブルが発生すると添乗員無しのツアーは大変である。9:15都城遺跡アンコール・トム着、 今日も好天で蒸し暑い。都城への入口、南大門の通路には右側に27体の阿修羅像、左側に27体の神々の像が並び蛇神ナーガの胴体を引き合う。都城中央にある仏教寺院バイヨンの第一回廊には、クメール軍とチャンパ軍(ベトナム中央部にあった国家)との戦闘風景が延延と描かれる。中央祠堂と尖塔の頂部にはその4面に観世音菩薩の尊顔が彫り込まれ、寺院のどの位置にいても、慈愛に満ちた菩薩の眼差しを41感じる。中には京マチ子そっくりの観音様もいて、日本人も心安らぐ空間である。象のテラス、ライ王のテラスなどを見学後、 11:00から早めの昼食を摂る。朝食もまだ消化しきれていないので、果物とアイスクリームだけ食べる。12:00アンコール遺跡群の最終ツアーに出発、スラ・スラン、バンテアイ・クディ、タ・プローム、タ・ケウの4箇所を巡る。スラ・スランは一見すると貯水池に見えるが王の沐浴場とのこと、世界一大きなお風呂である。水は粘土を溶かして薄く濁っており、触ってみると生温い。今は子供達のプールであり、水草や藻が繁茂している。バンテアイ・クディは“僧房の砦”という意味であるが、ヒンドゥー教寺院を仏教寺院に改造したもの、 入口に上智大アンコール遺跡国際調査団42の看板が掲示されている。タ・プローム寺院は1186年の建立、熱帯植物が遺跡を破壊する有様を見せるため、発見当時の姿のままで保存されている。それにしても巨大な榕樹(スポアン)にからみつかれ、のしかかられて、近い将来完全に崩壊してしまうのではと心配になる。中に鳴き堂があり、四隅で胸を叩くと、ポンポンと共鳴音が聞こえて来る。それにしても風がなく蒸し暑い。最後にタ・ケウを訪れる。11世紀初頭に建築された5層基壇を持つピラミッド型寺院は、壁面に彫刻が全く施されていない。王の死去により建設途中で放棄されたものらしい。最上階の神殿まで登ってお参りし、遺跡めぐりのフィナーレにする。15:00ホテルへ戻り、預けていたスーツケースを受け取り、電話代を清算する。日本語スタッフという苦情処理係のやり手女史が出て来る。色々とやり取りしたが埒が明かず、結局最初の8分間の56ドルを支払うことで手を打つ。現地ガイドの松本嬢もほっとした様子、それにしてもホテル側言い分だと、電話事情が悪く中々繋がらないので他国へ出国してから掛けるように薦めているとか、8分間も呼び出し音を待つのは理解できないとか、とんでもない事を言い出す。カンボジアでは一流ホテルと雖も日本の常識が通用しない。せめてもとシャワーサービスを利用し、喫茶室でアフターヌーンティーをもらう。ホテル前で松本さん、スッキーさん、運転手さんと記念撮影をする。17:00空港へ向け出発、いよいよ日本への帰途に着く。空港でお世話になった3人に寸志を渡し、一人15ドルの出国税を支払い、厳しい出国検査を抜ける。19:35発のPG943便にはドイツ高官も搭乗するとかで、出発ロビーで長時間待たされ、20:10漸く搭乗。21:30雨のバンコク国際空港に着陸、トランジットカウンターに再チェックインする。免税店でチョコレートやタバコなどのお土産を買ってバーツを全部使い切る。ANA916便の搭乗口は一番奥の56番ゲート、0:00漸く搭乗する。時計を2時間進めてうとうとするうちいつの間にか離陸。(完)

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アンコール・ワット/バンテアイ・スレイ

2003年9月18日(木) 4:00起床、5:00出発、払暁のアンコールワットを見物に行く。各遺跡群に入るには顔写真を貼り付けた38参観チケットが必要で、 1日券は20ドル、3日券は40ドル、7日券は60ドルもする。これらの遺跡群はカンボジアが外貨を獲得できる貴重な宝、それだけに遺跡に通じる道路に設けられたゲートと遺跡入口での警察官によるチケットのチェックは厳重を極める。5:15着、懐中電灯を持った観光客が三々五々集まってくる。その数100人ほど。遺跡の左手から鶏鳴と読経の音が流れてくる。皆西塔門付近に屯し、中央祠堂と尖塔の背後から昇る朝日を待つ。空が次第に明るさを増し夜が明ける。生憎雲が厚く、ポツポツ雨も降りだし、朝焼けを背景にしたアンコール・ワットのシルエットは拝めない。ホテルへ戻って朝食にする。カンボジアラーメンとイチジクなどのドライフルーツを食べる。30 サボテンの実というドラゴンフルーツも食べる。外皮はホヤのような感じで朱色、果肉は地味で淡いグレーにキウイのような細かい黒い種が入る。ほんのり甘く酸味は無い。淡白で上品な味である。9:00再出発、東洋のモナリザと呼ばれる女神(デバター)像があるバンテアイ・スレイへ向う。女の砦という意味らしい。バンテアイ・スレイはラテライトと紅色砂岩で築造されたこじんまりした遺跡、紅色砂岩は硬いのか彫刻の保存状態が良い。遺跡保護の為、中央祠堂周辺はロープが張られ、女神像を近くで見ることは叶わない。クメール人女官をモデル にしたと思われる女神像は5頭身から6頭身、あくまでも人間臭く、31親近感は持てるが神々しさはいまいち。見学を終えてシェムリアップの街へ戻る途中、民家の庭に立ち入り写真を撮らせてもらう。子供が多い大家族、モデル料に1ドル渡すと大喜び。何をするでもなく戸口や床にぼんやり座り込んでいる人も多い。田植えをしている人もおり、見ると苗ではなく、かなり長桿に育ったものを植えている。飲用水は井戸である。11:20から小1時間オールドマーケットの見学、女組は買物にいそしむ。シルクのスカーフ、仏像の置物、銀製品など、ちょっと交渉すれば何でも言い値の半分にまけてくれる。ホテルのショップで買う値段の3分の1から5分の1位にはなる。食品市場は干し魚や獣肉などのすさまじい臭気が漂う。呼吸をするのも憚られるほどである。地雷で片足を失くした人や子供達の物乞いにいつまでも付きまとわれ、落ち着けない。 12:15から1時間、日本人オーナーのレストランで昼食、鍋料理とバナナの天麩羅が出る。35鍋はタレの味がいまいち、ココナツミルク味には馴染めない。13:30一旦ホテルに戻って休憩、15:00再びアンコール・ワットへ行く。好天も好天、これ以上望めぬほどであるが、何しろ日差しが強烈で猛烈に蒸し暑い。これでも4月、5月に較べればましな方らしい。四囲を環濠に囲まれたアンコール・ワットに朝と同じく西参道から入る。明るい日中に見る参道は幅も高さもある堂々たるもの、先ず第一回廊の壁面レリーフ群を見学する。 西面にはインド古代叙事詩「マハーバラタ」と「ラーマーヤナ」の戦闘場面、南面には「スールヤヴァルマン2世の行軍」と、死後の世界を現す「天国と地獄」が描かれる。更に、東面はヒンドゥー教の天地創生神話で知られる「乳海攪拌」の説話が50mに亘って描かれ、北面は東側半分は彫刻が雑であるが、西側には「不死の妙薬アムリタをめぐる神々と阿修羅の戦い」が描かれている。説明されても意味が分らずピンとこないが、見事な彫刻群である。第二回廊、第三回廊へ昇る階段はもの凄い急勾配、踏み代も10~15㎝と狭く極めて危険 な代物である。第二回廊、第三回廊の壁面には素晴らしい女神像が並ぶ。苦労して登り詰めた中央祠堂にはヴィシュヌ神やシヴァ神ではなく、仏像が祭られている。2時間ほどの駆け足の見学を終え、最後はバケン山(60m)へ登る。39アンコール・ワットの夕景を眺め、大平原に沈む夕陽を眺める趣向であるが、たちまち雷鳴が響き黒雲立ち込める。雨季とあって天気は急変する。せっかく登ったものの、急いで象の道を下る。因みに乗象料金は登り15ドル、下りは10ドルである。バスに乗り込むと直ぐに雨となる。18:00ホテルに戻り、シャワーを浴びてさっぱりする。毎日汗だくでTシャツの替えが無くなったので、風呂場で洗濯する。19:00~21:00夕食、メニューは昨日と同じで前菜、主菜、デザートを各々5種類の中から選ぶ。トレンサップ湖で取れるという白身魚を選んだが、そろそろ日本食が恋しい。食事の間に舞台でアプサラダンス(天女の舞い)を見せてくれる。踊り子はうら若いクメールの乙女5~8名、6人の楽団に2人の囃子も付く。 さすがに身のこなし、手足の動き、指の反りとも優雅なもの、アンコール王朝の貴族になったような気分がする。(続く)

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ロリュオス遺跡群(アンコール遺跡群の一)

2003年9月17日(水) 6:20起床、7:20朝食、今日はカンボジアへ入る。シャイさんとウィーさんと一緒に車の前で記念撮影し、8:30バンコク国際空港へ出発。9:15空港着、この3日間ガイドと運転手を務めてくれた二人に寸志を渡す。出国税支払い窓口までシャイさんに付き合ってもらい、無事出国審査を終えて出発ロビーに入場、10:00国際電話で会社に電話をかける。これが又ひと仕事、23コインは使えず先ず300バーツのテレフォンカード(タイ・カード)を買う。窓口案内嬢に説明を受けながら四苦八苦、漸く何とか繋がる。10:43バンコクエアーウェイの72人乗り中型ジェット機PG932便、シェムリアップ行きに搭乗する。半分位しか席は埋まっておらず日本人はちらほら、夏休みも終わり今は観光のオフシーズンである。 55分間の短い飛行時間であるにもかかわらず、律儀なことに昼食が出る。入出国カードと税関申告カードを妻の分も記入、添乗員兼ポーターはいつでも忙しい。雨季の大雨が続いたのかカンボジアの大地は水浸し、浸水林のような景観の所もある。11:51雨の中無事着陸、ローカル飛行場で入国審査も税関検査も簡素、通り抜けると現地ガイドの松本さんとアシスタントのスッキーさん(両名とも女性)の出迎えを受ける。20_3外へ出ると雨も上がる。車は40人乗りの大型バスで、やはり我々親子3人だけの専用車、花飾り(レイ)の歓迎まで有り面食らう。いやはや大名旅行である。先ずレストランへ行き昼食、冷房が効いた高級レストランであるが蝿や蚊がいる。たちまち蚊に2箇所刺される。春巻き、野菜炒め、白身魚のクリーム煮、海草スープなどはタイ料理に較べると温和な味つけで食べ易い。 昼食を済ませてホテルへチェックイン、ソフィテル・ロイヤル・アンコール(Hotel Sofitel Royal Angkor)は最高級、池庭のある広い庭園を回廊で巡って宿泊棟へ入る。418号室は4号棟18号室の意味、ガウンも寝巻きもあり、コーヒー、紅茶、緑茶をはじめアメニティーは何でも揃っている。15:00ロリュオス遺跡群の見学に出発、車窓から見るカンボジアはタイより一段と貧しい。車は少なく、21_1バイクと自転車が移動手段の主力である。住居は高床式で板張りならマシな方、竹や稲藁材料の家が多い。国道6号線は舗装されているが、交差する枝道は  全て未舗装、埃っぽいかドロドロである。何でもシェムリアップの街には信号機が2台しかないらしい。バイクは免許不用でナンバープレートも無い。水田耕作の動力は今も水牛のみ、電気は自家発電、夜はロウソクの家が多いとのこと、50年以上前の日本の農村の姿である。今春のSARS騒動で旅行者が激減し、最近やっと回復してきたとのこと。アンコールの前の王都、9世紀末のロリュオス遺跡群3ケ所を見学する。ロレイ(893年)、プリア・コー(879年)、バコン(881年)の各遺跡は、熱帯の強烈な陽光と風22_1雨に長年月晒された結果、石積みは崩れ朽ちている。中では、フランス極東学院が修復したバコン遺跡が5層のピラミッド型基壇を持ち立派、娘は写真撮影に忙しい。いずれの遺跡も入口付近には物売り、物乞いがたむろし、外国人観光客にまとわりつく。生きるために皆必死で、幼い子供達も逞しい。雷鳴が轟き雨も降ってきたので、見学を切り上げホテルに戻る。プノン・バケン山から眺めるアンコール・ワット夕景は明日に延期する。夕食まで時間があるというので、妻と娘は2時間65$コースのカンボジア・エステを試しに行く。リラクゼーション・マッサージとラグジュリアス・アロマティック・フェイシャルとか、かぶれなければ良いが・・・。ハイネケンとバドワイザーを飲みながら20:00~22:00の間夕食、前菜、メインディッシュ、デザートでお腹一杯になる。(続く)

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パノム・ルン遺跡/ムアン・タム遺跡/アユタヤ遺跡

2003年9月16日(火) 6:00起床、曇天、朝晩は意外に涼しい。7:00朝食、今日から生野菜も果物もぱくぱく、11_4周りの日本人も皆食べている。香辛料の効いたタイ料理のせいか、旅に出ると便秘勝ちの妻もお腹の調子が良いらしい。コラートのタイ族女性は愁い顔の美人が多く、皆スリムである。8:30ロビーに降り、今日も又ウィー氏の運転とシャイ氏の案内で遺跡巡り、トヨタハイエースで長距離ドライブに行く。街中の緑地帯には水鉢が並び、青い睡蓮が咲いている。朝市もある。一般道なのに車の速度は100~110㎞/H、真っ直ぐで信号が無いとは言え次々と追い越しをかけヒヤヒヤする。 道路沿いには植木鉢や甕、壺など焼物の店が並ぶ。タピオカ(姿はコンニャクに似ている)やトウモロコシの畑が続く。10:05GSで休憩、トイレは自分で流す水洗式、便器の脇に水槽と手桶があり、なるほどと納得する。10:30~11:30パノム・ルン遺跡公園見学、標高380m余の山上にあり、四囲は緑の農地が広がる。カンボジア国境の山々(ドンラック山脈)が青く霞む。蛇神ナーガが守る遺跡は、中央神殿へ続く参道と階段の構成が美しい。ラテライトの赤い四角石の石畳と白い砂岩の神殿のコントラストも又美しい。13_1アンコール・ワットとほぼ同時期の12世紀頃に建立された神殿遺跡で、当時はこの辺りもクメール王国の版図である。ここから100㎞ほどでカンボジア国境であるが、今もタイとカンボジアは関係は よろしくないらしい(貧しいカンボジアから豊かなタイへ越境する不法入国者が後を絶たないとのこと)。ひらひら舞っているのはチョウトンボ、茶色の羽紋は複雑を極める。それにしても蒸し暑い。山から下りて、5㎞ほど走るとムアン・タム遺跡につく。10~11世紀建立のヒンドゥー寺院である。名も知らぬ花木が多い。昨夜ホテルでISAN踊りを見た日本人観光客12名と出会う。30分ほどで見学を切り上げ郊外レストランへ昼食に行く。メニューは、チャーハン、肉団子スープ、オムレツ、野菜炒め、野菜煮物、果物、コーヒーと盛りだくさん、ホテルの食事より美味い。食後、アユタヤへ向う。 車窓から眺めるタイの田舎は、牛も鶏も犬も全て放し飼い。路傍にはハチミツやキノコ(カヤタケ、ハラタケ、アンズタケの類)、果物の露店が建ち並ぶ。バスを停めてもらい、釈迦頭(ノーイナー)2kgを買う。大8個で60B(180円)と申し訳ないほど安い。西瓜は大1個が10B(30円)、14_1ガソリンは13B、15B、17B(軽油、レギュラー、ハイオクの順?、40円から50円)、ざっとみて物価は日本の10分の1といったところである。シャカトウは傷みが早いのか日本では見かけない珍果、種は大きいがとろける柔らかさと濃厚な甘味が特徴である。強いて例えればアケビかヤマボウシのような味、クリーミーで非常に美味い。長いドライブの途中、車窓から人々の暮らしが見える。バイクは3人乗りは当たり前、4人乗りもある。ピックアップトラックも荷台に人を満載、合法だそうである。スリット入り壁か、 もしくは柱だけの民家が多く、涼しく住む工夫を凝らしている。川は護岸などの無粋な人工物は無く、のびのびとCimg5088自然に流れるにまかせ、河相が実に良い。18:05アユタヤのクルンシー・リバー・ホテル(Krungsri River Hotel)着、811号室に入る。ここもアユタヤ一の高級ホテルであるが、スリッパや歯ブラシは置いてない。アジア旅行では必携品である。窓からバラック河をひっきりなしに観光船が上下するのが見える。夕食は中華料理、タイ料理に較べれば香辛料が穏やかで胃に優しい。20:00から30分ほど、ライトアップされたアユタヤ遺跡を観に出かける。夜間は遺跡内には入場できず、遠くから眺めるだけでは感激もない。さて、明日はいよいよカンボジア入りである。(続く)

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聖なるクメール遺跡とアンコールワット7日間

2003年9月14日(日) 今日も暑い。妻と娘と3人で今日から一週間のカンボジア・タイ旅行。大荷物を抱えて12:54の南柏行きバスに乗る。千代田線、成田線経由で成田空港第2ターミナルに14:15到着。15:15ANAカウンターにチェックイン、搭乗券を受け取り、荷物を預けて身軽になる。甘味処に入り白玉ぜんざいと抹茶でブレーク、その後出国審査を終え、17:45全日空915便に搭乗する。18:45離陸、狭い座席で6時間半の我慢である。機内食を食べるとすることもなく、「街道をゆく(25)」を読んだり、吉永小百合主演の日活映画「大空に乾杯」を観たりして時間を潰す。15日の0:15(現地は14日の22:15)、バンコク国際空港着陸、空港で待っていたのは現地ガイドのシャイ氏、ツアーメンバーは我々を含め6人である。他のメンバーに聞くと、ホテルも別、行く先もまちまちで、このツアー一体どうなっているのか、全くもってミステリアス。迎えのマイクロバスに乗って24:00ザ・インペリアル・クイーンズパークホテルに到着、2637号室に入る。スリッパも歯ブラシも無く、名前ほど高級ではない。風呂に入って1:45頃就寝。バンコクは大都会ではあるが、大通りの両側には屋台がずらりと並び雑然、いかにもアジアである。

9月15日(月) 6:00起床、NHKが入る。7:00バイキング式の朝食、このホテル名前はインペリアルだが一流半といったところ、日本人旅行客やビジネスマンが多い。お粥、ベーコンとも香辛料がきつく馴染めない味である。果物(スイカ、パイナップル、マンゴー、メロン)は美味しそうであるが用心して手を出さず、妻と娘はパクパク食べる。8:00チェックアウト、シャイ氏が昨日のバスで迎えに来る。何と我々親子3人だけの専属バス、そして専任ガイドである。外気温29℃、バスは高速道を飛ばして310㎞離れたピマーイへ向う。バンコク市内は朝の通勤ラッシュで、車とバイクの数がすごい。9:30スーパーマーケットと市場を併設したガソリンスタンド(日本でいえばSA)でトイレ休憩、市場を覗くと果物が安い。ランブータン1㎏が15バーツ(45円)、信じられない値段である。4時間のドライブ中、車窓から色々なものを見る。黄花樹(便秘薬になるらしい)とブーゲンビリアの花街道、果物、トウモロコシ、アヒルのあぶり焼き、卵の串焼き、ステーキなどを売る露店、カールスバーグのビール工場もある。日本企業の看板も目立つが、撤退して中国へ移転した企業も多く、タイは今不景気と言う。沿線には牧場も多く、白いヒトコブ牛と黒い水牛が仲良く草を食む。11:50ピマーイの町に到着、直ぐに街中のレストランで昼食を摂る。トムヤンクン(酸味と辛味がある小エビスープ、香辛料、香草が効いている)と肉野菜スープ3皿、揚げ物(ベビートウモロコシ、インゲン、エビ)01_177に果物大盛り(バナナ、パイナップル、ランブーチン)でお腹一杯になる。 午後はピマーイ国立博物館(12:45~13:45)とピマーイ遺跡公園(13:50~14:30)を見学する。ピマーイはタイのアンコール・ワットともいわれる代表的クメール様式の神殿遺跡で、11世紀アンコール朝のスリヤバルマン1世の治世に建てられたものである。日本人観光客は誰もいない。とにかく蒸し暑く、一所懸命説明してくれるシャイ氏も汗びっしょり、聴く方も汗びっしょりである。見学を終えて、西南60㎞にあるナコーン・ラーチャシーマー(通称コラート)へ向う。雨季特有のシャワーのような降雨に遭う。15:30今宵の宿シーマー・ターニーホテル(Sima Thani Hotel)へチェックイン、元シェラトン系列で、街一番の高級ホテルである。303号室、冷房の効いた部屋に入りほっとする。シャワーを浴びてさっぱりし夕食まで一休み。タイ第2の大都市とのことであるが、ホテル内も街もがらんとしている。19:00~20:00夕食、ホテルの中庭にある野外音楽堂でイサーン(Isan:タイ東北部)の音楽と踊りを楽しむ。演奏者9人がそれぞれ異なる楽器をかき鳴らし、3、4人の踊り子が柔らかい身のこなしで舞う。まるでタイの十二楽章とウィンクである。郷土料理のメニューは、ふかしたもち米、焼き豚、あぶり焼きアヒル、肉団子、トムヤンクン(豚肉スープ)など、サラダのインゲンは生で青臭い。ジャワフトモモ(淡白、やや渋味)やグァバ(リンゴと梨の中間の味、淡白、渋味)など珍果も出て満腹する。腹ごなしにシャイ氏の案内でナイトバザールへ繰り出す。旧市街のメイン通りには食べ物の屋台や衣類、靴などを売る店がびっしり並び、アメ横のような賑わい。夜になると気温が下がり過ごし易くなるためか、若いカップルを始め老若男女が集い活気に溢れている。サソリ、バッタ、コオロギ、タガメ、カエル、芋虫などのから揚げを売る屋台もあり、タイでは昆虫も貴重な蛋白源である。40分ほど散策して21:00ホテルへ戻る。(続く)

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