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トロイ遺跡/帰国

2005年3月1日(火)  トルコ周遊の旅も今日が最終日、4:40起床、5:30朝食。コーヒーとチャイを飲んでから付近を散策。ホテルの後ろにビーチがある。01遠浅の藻場で水は澄んでいる。一帯は高級別荘地、今は閑散としているが、灯りの点いている家もある。外は寒い、5℃くらいか。路傍には紙くずやビニールゴミが散乱していて実に汚い。見ているとトルコ人は平気で路上にゴミを捨てる。この国の公衆道徳はどうなっているのか。 8:00出発、トロイ遺跡の見学に行く。遺跡発掘をしたドイツ人シュリーマンはトルコでは泥棒扱いで評判が悪い。遺跡は9層の都市(第1市:紀元前3000~2600、・・・、第9市:紀元前350~紀元後400)から成るが、シュリーマンの発掘で破壊されたためか、保存修復状態はあまりよくない。見事に枝を広げたイチジクの巨木がある。石垣のみ残る遺跡内を駆け足で周り、最後に“トロイの木馬”に登る。目玉がないので復元したのかもしれないが、遊園地のような代物で世界遺産に似合わない。チャナッカレから出る予定のフェリーが強風のため欠航になったので、LAPSEKIという港へ廻る。白波が飛ぶダーダネルス海峡を進むこと30分、GELIBOULというヨーロッパ側の港に着く。イスタンブールへの道をバスは淡々と走る。途中から吹雪いてきて峠を越えると銀世界に変わる。水田のような耕作地がある。途中の食堂で昼食、テキルダーキョフテ(肉団子)を食べる。さていよいよ空港へ向う。車内でアンケートに記入するうち、バスはアタチュルク国際空港のゲートをくぐる。時刻は15:30、雪が雨に変わる。(完)   

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ぺルガモン遺跡

2005年2月28日(月) 4:45起床、風呂に入り洗髪する。7:00荷物をドアの外に出し朝食に降りる。ヨーグルトが美味しい。001 腹ごなしにエーゲ海の砂浜を散策する。オフシーズンのビーチは侘しい。時雨の中8:00出発、初めて高速道路を走る。この2、3日気温が20度を越えた為か、道端のタンポポ(?)が一斉に開花している。但し今日から天気は下り坂でまた寒くなるという。港湾都市イズミールを通過、トルコ第3の都市であり石油化学プラントや原油タンクが建ち並ぶ。ファイク氏はここに家族4人で住んでいる。一般のサラリーマンの月給は5、6万円が相場であるが、氏は技術者だった頃20万円貰っていたらしい。当時はエリートだった訳である。今は日給月給制で一日70米ドル位らしい。01エーゲ海沿岸の別荘は100~120平方メートルの一戸建てが6~10万米ドルとのこと、意外に安い。 オリーブ畑が次々に別荘地に開発され、土地成金(マガンダと呼ばれる)が続々誕生しているらしい。知識人も金持ちには叶わない。今日はアレクサンダー大王の遺産を受け継いだ栄光の都、 紀元前2世紀には第2のアテネと讃えられたほど繁栄したペルガモン遺跡を見学する。11:00アスクレピオンに到着、ギリシャ神話の医学の神アスクレピウスに捧げられたという古代の総合病院跡である。温泉療法と暗示による精02神療法、投薬とリハビリ、そして観劇によるリラックスを組み合わせて多くの病人達を治したという。現代とさして変わらない。アクロポリス下市へ続く聖なる道、プロピオン(前門建築)、コロネード(回廊)、聖なる泉、劇場、地下道などを見学する。聖なる泉は2000年以上を経た今でもなお涸れずに湧き出ており、しかもラジウムを含有しているとのことである。次に連れて行かれた先はトルコ石屋、どうも土産物屋ツアーの様相を呈してくる。 日本人相手の専門店のせいか値段は吃驚するほど高い。03ニセモノは割ると中が白いので直ぐ分る。大理石の粉を固め表面着色した故である。本物は芯まで青い。次は昼食、ベルガマ市内のYENI MEYDAN RESTAURANTへ行く。名物のカドゥン・ブドゥ・キョフテ(貴婦人の太もも風肉団子)と野菜天麩羅が出る。午後一はアクロポリスの見学、丘の上や斜面に造られたペルガモン王国の王宮や神殿跡である。正直なところ遺跡見学にも飽きてくる。 雨が本降りとなり今回の旅行で初めて傘を使う。紀元前2世紀の城壁、南西斜面に造られた大劇場(数ある古代都市の劇場の中で最も急傾斜)、トラヤヌス神殿などを見学する。ゼウスの祭壇はベルリンのペルガモン博物館に04復元展示されており、神々と巨人族の壮絶な戦いを描く浮き彫りは素晴らしいそうな、一度訪ねて見たいものである。寒いので1時間弱で見学を切り上げチャナッカレへ向う。途中ガソリンスタンド(GS)で休憩、トルコのGSも新旧交代の時、新GSは明るく、売店・カフェを併設している。旧いGSはあちこちで潰れている。売店の缶ビール(500ミリリットル)が1本170円、結構ビールは高い。沿道には見渡す限りのオリーブ畑が続く。18:30漸くチャナッカレにあるイリスホテル(IRIS OTEL)に到着、119号室に入る。ホテルはトラピックス3グループ95名の宿泊客で大混雑している。部屋はビジネスホテルのツインルーム並みの広さ、TVはトルコ語CHだけで衛星放送は入らない。19:00から夕食、珍しくサバの焼き魚が出る。最後のディナーなので皆でお喋りしながらゆっくり食べる。(続く)

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エフェス都市遺跡

2005年2月27日(日) 5:00起床、6:00朝食。ヨーグルトにチェリーソースをかけると美味。腹ごなしにホテルの周りを散歩する。糸杉の葉を見るとスギではなくヒノキのような感じで、固い毬果と花粉をつけている。日本では伊豆の下田でも雪が降ったらしい。8:00バスに乗りエフェスへ向け出発、220㎞の道程である。早速ファイク氏の講義が始まる。トルコの伸びるアイスクリームの原料はヤギ乳であり、夏場にしか作らないこと。オリーブの実のピクルスの色に3種類あるが、収穫時期が異なるためであり、緑色は11月上旬、黄色は12月上旬、黒色は12月下旬から1月上旬の収穫品、その中で特に黒は塩漬けにされるとのこと。この辺りは暖かいのか麦の芽が青々と伸びている。オリーブの木は常緑で、葉裏は銀色である。01 傘松(地中海マツ)の並木もある。9:50ドライブインで休憩する。地中海性気候で暖かく雨が多いために周囲の山々はマツの緑に覆われる。キノコを採りに山に分け入る村人は多いらしいが、マツタケが採れるかどうかファイク氏は知らないとのこと、これだけマツの木が生えていればきっと出るであろう。今日最初の見学先はセルチュク郊外の「聖母マリアの家」、標高500mほどのブルブル山の上に建てられたレンガ造りの小さな教会である。聖母マリアはイエスの死後に聖ヨハネとともにこの地に移り住み、余生を送ったという。祭壇の聖母マリア像の両側に生花が供えられ、ロウソクの炎が揺れる。キリスト教徒の聖地として厚く信仰されており、訪れる信者は現在も後を絶たない。階段下に“聖なる水”が湧き出していたが、手を濡らすに止める。“SULTAN et LOKANTASI”なるレストランで昼食をとる。02いわゆるロカンタ、簡易食堂である。日本人向けということで羊ではなく牛の串焼きが出る。どうも味付けがピリッとしない。 周囲に広がる果樹園は桃畑である。食後、皮工房へ連れて行かれる。美形モデルのファションショウ付きであるが、スーツやコートの直売品が1着5~10万円もする。Made in Turkeyでは買う人もおるまいと思ったが、ツアーメンバーの男性が何人か根負けして購入する。社長はどこにでも居る。ようやくエフェス都市遺跡へ移動し、 14:50から見学を開始。エフェス都市遺跡の起源は、紀元前11世紀に成立したイオニア04人都市国家にまで遡るが、現在残るのは紀元前2世紀にローマ帝国属領となってから築かれた都市の遺跡である。シルクロードの西端に位置する世界最大の都市遺跡は、これまでトルコとオーストリアの協同チームが110年間発掘を続けてきているが、未だに全体の10分の一しか進捗していないとのこと。オデオン(小音楽堂、2世紀中頃)、 ハドリアヌス神殿(138年頃建立)、公衆トイレ(1世紀)、セルスス図書館(117年完成)、大理石通り、娼館への案内図、商業アゴラ、大劇場(紀元前3世紀)、アルカディアン通りなどを順に見学する。05とても2時間では廻りきれない。17:00とうとう時間切れ、ホテルへ向う。今宵の宿は五つ星のスルメリ・エフェソスホテル・クシャダシ、エーゲ海に臨むリゾートホテルである。307号室に入る。部屋に入るとセミダブルベッドひとつ、石鹸2個置いてあるだけの簡素なシングルルーム、気持ちよいほど何もない。星の数を間違えているのでは?、これはせいぜい三つ星クラスである。窓からエーゲ海が眺められるのが救い、冬のエーゲ海は白波が立ち寒々している。19:00夕食、豆粉をベースに他の具や野菜をくたくたに煮込んだもの、そろそろトルコ料理にも飽きてくる。部屋に戻りTVをつけるとトルコ語放送のCHしかなくちんぷんかんぷん。ベッドに横になるうちにいつしか眠り込む。(続く)

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ヒエラポリスとパムッカレ

2005年2月26日(土) ヒルトン・コンヤは2002年にできたばかりの高級ホテルであるがどうもベッドがしっくりしない。6:00から朝食、アンズ、イチジク、ブドウの乾果にヨーグルト、野菜サラダ、 鰯の酢漬け、パンをとり、コーヒーとチャイも飲む。ギリギリツアーの常としてどこでも朝食が一番美味い(?)。 8:00出発、今日も423㎞、6時間の長距離バスの旅が始まる。朝一恒例となったファイク氏のトルコ事情の講義を拝聴する。「トルココーヒーの豆の産地はイエメンであり、チャイの茶葉の産地は黒海沿岸のリゼ(RIZE)である。云々」。001バスはとらえどころのない茫洋とした平原地帯を行く。 次々と雪嶺が現れる。芽吹きの季節が近いのかポプラの枝先や梢が萌黄色にふくらんでいる。アクシェヒル近くのドライブイン“KIRAZLIBAHCE”(サクランボ畑の意味)で休憩、周辺には文字通りサクランボ畑が一面に広がる。外気温5℃、寒い。トイレには洋式とトルコ式があり、後者はタイで経験済みである。イラクから引くという天然ガスの導管が荒涼たる大地に延々と横たわる。時々驟雨、こんなところにも人間の暮らしがある。ディナール近くのレストランで昼食をとる。01標高1,000m、風が冷たい。デザートに出た名物の固ヨーグルトに蜂蜜をかけたものは、皿を逆さにしても落ちないほど粘りがある。 給仕人のパフォーマンスが楽しく、また味も良い。 綿畑が広がるようになると、世界遺産の「ヒエラポリス」と「パムッカレ」は近い。初めに古代都市遺跡のヒエラポリスを見学する。パムッカレの背後の丘陵地帯に点在するヒエラポリスは、紀元前190年頃ペルガモン王によって築かれ、後にローマの直轄となった都市遺跡である。14世紀の大地震で壊滅的打撃を受けるまで人口10万人を擁し繁栄を謳歌したらしい。“ネクロポリス”(墓地)の近くにはシルクロードの一部という道形が今も残る。まず“北の浴場”を見物、そして“ローマ門”からヒエラポリスの目抜き通り“アルカディア通り”を“ビザンチン門”まで歩く。全長1200m、幅13.5mの堂々たるメインストリートである。この道が西安まで続くと思うと気が遠くなるようである。 パムッカレとはトルコ語で「綿の城」という意味、ヒエラポリスの丘から下方に展開する石灰棚地形である。同じく世界遺産の石灰棚地形「中国・黄龍」よりも色白で純白、遠くから見るとまるで雪を被っているように見える。最上部に源泉があり石灰棚を温泉が流下している。靴を脱ぎ立ち込んでみIMAGE0012ると暖かい。暫し足湯を楽しむ。流れが枯渇して干上がっている箇所もあり、ファイク氏は世界一だと自慢するが、全体の規模、迫力は黄龍に遠く及ばない。16:20バスに乗りホテルへ向かう。今宵の宿は山間にあるリーカス・リバーホテル(四つ星)、“Thermal Hotel”の看板が出ている。無論日本の温泉ホテルとは異なり健全そのものである。16:50 7203号室に入る。温水プールやスパは無料とのことで皆ひと泳ぎに出る。ホテルにはドイツ人観光客も多く、片言のドイツ語で尋ねてみればライプチヒから来たとのこと、今の季節のトルコ旅行は格安である。19:00からビュッフェ方式の夕食、スープも煮物もスパゲティもピリッとしない。デザートのケーキはどれも蜂蜜がべとべと、甘過ぎる。やれやれ食べるものがない。部屋に戻りリンゴとオレンジをかじる。NHKのニュースを観ると東名が降雪結氷により通行止めとのこと、日本は未だ冬の最中にある。(続く)

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トルコの国民酒・ラク

yeni_raki01   アルコール度数が43度と高いので一般的には水割りで飲む。水をくわえるとカルピスのように白く濁るので、「ライオンのミルク」とも呼ばれる。ブドウの搾り粕が主原料で、醗酵・蒸留して得られたアルコールにアニス(せり科の植物)の精油を加えたもの、一種のハーブ酒、薬用酒である。えもいわれぬアニスの芳香と甘味があり、最初はちょっと飲みにくいが、すぐに病みつきになる。写真の700ミリリットル壜が空港売店で一本1,300円(15トルコリラ)、安い!重い!、トルコのお土産の一押し。

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コンヤ市内観光

2005年2月25日(金) 6:45ドアの外へSCを出し朝食にレストランへ下りる。昨日の残り物のような食事、それでもヨーグルトにかけるソースやジャムは色々ある。アンズやイチジク、サクランボ、ブドウなどの蜂蜜漬けもある。 小さなオレンジは甘く美味しい。紅茶とコーヒーを飲む。018:00出発、途中じゅうたん工房に寄る。トルコ絨緞は世界でも最高の品質を誇る。二重結びを特長とし極めて耐久性に優れ、200から300年は優に持つと云う。マルマラ海南岸のブルサ地方は養蚕が盛んであり、絨緞の原料となる良質の絹糸を産出する。絨緞の価格は、絹の質・染料(サフランかタンポポか)・織子の腕・サイズで決まるとかで、中でも“HEREKE(ヘレケ)”が最高級ブランド、トプカプ宮殿に敷かれており、一畳が145万円もするらしい。カッパドキアでは、お嫁さんは絨緞織りの腕が良いこと、 お婿さんは水甕が上手く焼けることが条件である。02ラクダの谷を抜けてコンヤへ向う。コンヤまで220㎞、3.5時間のバスの旅、冬というのに陽の光が強烈である。大地は乾燥しており川は干上がっている。小麦畑のみ薄青く見える。バスは荒蕪地を一直線にどこまでも走る。11:10アクサライの町を通過、日本人はこんな所には住めそうもない。11:35スルタンハニに到着、 隊商宿を見学する。石造りの城壁に囲まれた要塞のような建物である。中央にモスクが建つ中庭を囲むように城壁に沿って大部屋小部屋があり、当時の道具が並べられている。板に溝を穿ち石片を埋め込んだものは、ラクダが体をこする03道具である。隣に青空市場があり、覗いてみると食料品が驚くほど安い。2TLで大きなレジ袋一杯のオレンジが買える。野菜は、ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、ネギ、葉物、各種豆類、クルミ、ヒマワリの種など、果物は大小さまざまなオレンジが多い。市場を覗くのは異国の旅の一番の楽しみ、鯉まで並んでいる。コンヤ市内に入り先ず昼食、会場は隊商宿を改造したというレストランである。 豆スープもトルコ風ミートピザ(ピデ)も味がいまいち。食後、独特の旋回舞踏で有名なメヴラーナ教団の総本山だったメヴラーナ博物館を見学する。青タイルの尖がり屋根が印象的な建物である。04イスラム教の開祖ムハンマドの顎鬚が納められているという小箱がある。メヴラーナ(「我が師」という意味で、教団創始者ジェラルディン・ルーミーを指す)はじめ教団の発展に尽くした名僧達の霊廟、旋回舞踏の際の衣装、儀式用道具、コーランなど宗教関連の品々が並び、門外漢に面白い処ではない。次のカラタイ神学校は、現在ではモザイクタイルの博物館であるが、内部を見学することなく門の写真を撮るだけ、 やれやれ丸一日走った挙句見学時間がたったの1時間では救われない。16:30今宵の宿ヒルトン・コンヤにチェックインし1209号室に入る。052002年に出来たばかりの五つ星ホテルで、27階建てはコンヤ一高い。但し周辺は大学設置で開発された所で言わば新開地、原野の中にカラフルな高層マンション群が建つ。夕食の前に隣接の百貨店兼スーパーにお土産を買いに行く。スーパーの陳列棚に並ぶ食料品も驚くほど安い。例えば乾しブドウ500グラムが100円、紙パックのジュースが25円、ロクム(トルコ風ゆべし)が1箱240円という具合、物価はざっとみて日本の5分の1位である。つい感激してロクム6箱、ハーブティー6箱、乾しブドウ2袋も購入してしまう。19:00から夕食、メニューはスープと鶏肉の煮込みとピラフ、これがヒルトンの出す料理かと首を傾げるような皿ばかり、どうもトルコ料理は味がぼけていてピリッとしない。食後もう一度MASERA百貨店へ出かけてみる。靴、洋服、生活雑貨ともセンスが良くない。値段は日本の8掛け位、食料品に較べると大分高い。部屋に戻り風呂に入ってからデジカメの電池を充電する。22:00過ぎ就寝。(続く)

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ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群

2005年2月24日(木) 5:00起床。せんべいとヌガーを食べジュースを飲む。アンカラエクスプレスのトイレは割合清潔である。6:30夜明け、列車は樹木一本見当たらぬ平原を走っている。牧草地か小麦畑か見渡す限りの平原が広がり、遠くの山は赤土でなだらかである。北海道のセブンスターの丘を何倍にも広げたような景色である。  7:00車掌が起こしにくる。05川は洗剤の白い泡に覆われ、ごみがたくさん浮いている。昔の多摩川を見るようで、これではうっかり水道水は飲めやしない。8:00アンカラ駅到着、ホームからいきなり駅の食堂へ連れて行かれる。朝食は、チーズ、オリーブピクルス、パンにコーヒーの簡素なもの。迎えのバスに乗りカッパドキアへ向け出発、274kmを4時間半かけて走る。トルコは広く移動距離が長い。 走り始めてすぐにエンジントラブル発生、1988年製三菱自動車のバスでは仕方がない。幸い30分ほどで直る。現地ガイドのファイク氏の本職はプラントエンジニアで、10数年前に3回に亘り来日して茨城県鹿嶋の石油化学工場でプラント建設を学んだとのことである。 01然るに、トルコの政治体制が変わり、国有企業が民営化されて失職し、6年前からやむなく旅行ガイドに身をやつしているらしい。氏の現政治体制に対する不信と怨みは深い。20年前は1TLが1円、それがデノミ直前は13,000TLが1円になる超インフレ、その結果大学進学率は5、6%に下がり、文盲率は35%に上昇したとのこと、中級生活者の殆どが貧困階級に身を落としたらしい。時々天気雨が降る。 11:00トルコ第2の湖”塩湖”の畔で休憩、この湖でトルコの塩の95%を生産しているとのことである。風光明媚という所ではなく、渺茫として捉えどころがない。今は5m位の水深があるが、乾季の8、9月には50㎝ほどになり湖岸に塩が析出する。001  湖畔の土産物屋で1袋100円の塩や魔除けのナザル・ボンジューを購入する。その先は小麦畑が延々と広がる単調な風景が続く。トルコの典型的住居は二階の方が一階より一回り大きい頭でっかちな造り、漆喰壁と屋根瓦がカラフルである。雪を被るハサン山(標高3,500m)が見えてくる。その奥にも高峰が連なる。アワノス(AVANOS)の街の洞窟レストランで昼食をとる。鱒の塩焼きは美味、卵とジャガイモとチーズのミックスパイはいまいち。今日最初の見学先は“カイマクルの地下都市”、地下25mもある地下5階が最深部、ひと一人がやっと通れる地底の迷宮である。キリスト教徒がアラブ人の迫害から逃れるために掘ったもので、02日本なら大谷石の採掘場跡を思わせる所、教会を始めワイナリー、食糧倉庫など生活に必要な設備機能を全て備えている。  次いで“ウチヒサール”を遠望する。尖った城という意味であり、尖頭型の岩山に数多くの住居が穿たれている。崩壊が激しく、今では住人も下の街に移住し、現在住居跡は倉庫として利用されている。かっては山頂まで登ることもできたが、仏人ツアー客に怪我人が出てから団体登頂は禁止になったとのこと。同じ台地上から“鳩の谷”を眺める。イスラム教徒は鳩を聖なるものとして大切にしており、エジプトで鳩料理を食べる人間は全てキリスト教徒らしい。それにしても手袋も帽子もマフラーもいらないほど暖かい。更に、展望台からギョレメ谷を見下ろす。CIMG0128三角錐の岩と岩の間に集落が点在する。山峡に佇む西上州や奥久慈の集落のようでもあるが、ずっと鋭く乾いた景色である。最後に日没と競争しつつ、キノコ岩が林立するゼルベパシャバー(キノコの谷)へ移動する。まさにキノコのような奇妙な岩が林立する。黒い傘の部分は硬い溶岩(玄武岩)であり、白い柄の部分は軟らかい火山灰(砂岩)とのこと、堆積した火山灰の上を溶岩が覆い、その後の何万年にも亘る風雨の浸蝕により形成された奇観である。ちょうど日暮れ、ホテルへ向かうバスの車窓から眺めるローズバレーの夕景が美しい。18:00ウルギュップ(URGUP)にあるペリシアホテルにチェックイン、4304号室に入る。一応四つ星ホテルであるが部屋も浴室も狭い。夕食は貧弱、ビュッフェ方式であるがメインディッシュ(肉、魚など)が見当たらず腹にたまるものがない。オプションのベリーダンスを見送りデジカメの充電にとりかかる。変圧器が大活躍、海外の旅には欠かせない。風呂から上がり、梅干を食べ生茶を飲んでお腹を落ち着かせる。21:00頃就寝。(続く)

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イスタンブールの歴史地区

2005年2月23日(水) 空港やホテルで見かけるトルコ人の顔形は、写楽の描く市川えび蔵そっくり、頭の形がトガリアミガサタケを思わせる。眼光鋭くオスマントルコ帝国の末裔は誇り高い。浅い眠りで2:00と4:00に目が覚める。4:45起床、機内食しか食べていないので腹ペコである。クッキーと生茶で一息つく。CIMG0024NHKニュースが、今日23日関東と北陸で春一番が吹いたと告げている。 いよいよ花粉症にはつらい季節の到来である。十五夜なのかイスタンブールの月も丸く美しい。ヒルトンホテルの朝食はセルフサービスながら高級、格安ツアーにここまでサービスして大丈夫であるか心配になる。ボスポラス海峡の対岸から朝日が昇る。9:00出発、イスタンブール市内観光に向かう。雲は多いが青空のぞき暖かい。金角湾にかかるガラタ橋を渡り旧市街に入る。 先ずブルーモスクの見学、トルコを代表するモスクで青いイズニックタイルが内壁すべてに張られている荘厳なもの、床にもトルコ絨毯を敷き詰めてある。 キリスト教の大聖堂と異なり内部装飾はいたって簡素である。イスラム教は偶像崇拝を禁じており、壁面はすべて植物をモチーフにした紋様で飾られているにすぎない。01_2階段様の説教台(ミンバル)と龕状のミフラーブ(メッカの方向を示す)が目立つ程度である。 直径5mの4本の大円柱でドームを支えている。堂内の半ばに仕切りがあり、異教徒(見学者)はミフラーブには近づけない。外へ出てトプカプ宮殿の見学に向かう。街路樹にはスズカケノキの大木が並ぶ。 アヤソフィアの脇を進み、城壁のメインゲート「皇帝の門」を潜る。そこは第一庭園でアヤ・イリニ教会が建つ。尖り屋根の左右の塔を備える「表敬の門」はいかにもイスラム的城壁の雰囲気を醸し出している。そこをくぐって第二庭園に入る。議事堂、武器展示庫を見る。02_2 1460年スルタン手植えの樹齢540年のプラタナスの巨木がある。 当時の台所には銀器、青磁、白磁がところ狭しと並べられている。ここはシルクロードの西の端、中国文物の終着点でもある。衣装展示室には歴代スルタンが着用した上着(カフタン)が並ぶ。模様はチューリップ、ザクロ、唐草、シダなどで金糸、銀糸、絹で織られた贅沢なもの、写真撮影は禁止である。宝物館にも10TL(850円)払って入ってみる。4室に分かれており、各室に10~15個の宝物が展示してある。 ここも撮影禁止、歴代スルタン愛用の玉座、剣、食器、宝石箱、フラスコなどであるが、すべて金、銀、宝石(ダイヤ、エメラルド、ルビー、サファイヤ、トルコ石、etc.)をびっしりとはめ込んだキラキラしいもの、スルタンは中国皇帝より派手好みである。中には世界で7番目に大きい86カラットの「スプーン職人のダイアモンド」や、世界最大級のエメラルド3個をはめ込んだ「トプカプの短刀」があり、女性陣は皆溜息ばかり。第四庭園のテラスに出て金角湾を眺め、ボスポラス海峡を眺める。05芝生には白いタンポポが咲きピラカンサが赤い実をつけている。百日紅も紫陽花もある。12:30尖塔(ミナレット)から祈りの声、アザーンが響く。アーアーアーアーオーオーオーオーと節を付けて朗々と響く。市内のレストランで昼食、ドネルケバブは塩茹での羊肉をパンの上に散らしたもので不味、デザートのカステラ団子は蜜が垂れるほどの代物で甘過ぎる。グラスビールが8TL、トルココーヒーが5TLと飲み物は高い。午後一はアヤ・ソフィアの見学、537年完成のビザンチン建築の最高峰である。今から1500年も前の建造物であり、当初教会だったものがモスクに改修され、現在は博物館になっている。03ちょうど大ドーム天井の修復中で、鉄パイプで高い足場が組まれている。 中二階の回廊に上り、有名な「ディーシズ(請願)」などのモザイク画を観る。長い間漆喰に塗りこめられて隠れていたビザンチン芸術の傑作である。二箇所目は地下貯水施設である「地下宮殿」の見学。今は50㎝程度の深さしかないが、「涙目の円柱」など336本の円柱が立ち並ぶ幻想的空間である。柱の礎石に、「逆さメドゥーサ」や「横向きのメドゥーサ」の石頭が据え付けられており、ちょっと不気味な感じもする。最後にグランド・バザールの見物に行く。貴金属や皮革製品、絨緞など同じような商品を並べた店が所狭しと並ぶ。呼び込みが相当しつこい。観光客相手の土産物屋であり、コピー商品(ルイ・ヴィトン、フェンディ、ブルガリ、etc.)が氾濫している。中国や韓国以上に取り締まりは緩いようで、皆堂々と陳列している。途中で辟易しカフェでトルココーヒーを飲みながら集合時間を待つ。夕食は市内レストランの炭火焼き鳥とトルコ風ピザ、味はいまいち。その後バスでハイダルパシャ駅へ向う。途中の道は大渋滞、一寸刻みでしか動かない。20:50漸くハイダルパシャ駅着、アンカラエキスプレスの発車予定時刻は22:30、吹き抜けの寒い駅舎で所在無く時間をやり過ごす。ボスポラス海峡を挟んだ対岸にライトアップされたブルーモスクやアヤ・ソフィアが眺められる。気温15℃と比較的暖かいので助かるが、又咳がひどくなる。22:00乗車、2人用のコンパートメントを独り占めする。洗面台、冷蔵庫、2段ベッドなどの設備があり、クッキー、ヌガー、ジュースも置いてある。22:30車掌がベッドメーキングに来る。着の身着のまま早速ベッドにもぐりこむ。アンカラまで9時間半の夜汽車の旅である。列車は随分揺れる。ヨタヨタ、モタモタ、ブルブルと走る。それでも飛行機に較べれば身体を伸ばせるだけ天国、長い一日がやっと終わる。(続く)

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魅惑のトルコ周遊9日間

2005年2月22日(火) 妻に南柏駅まで車で送ってもらい10:07の電車に乗る。天気は良いが北風が強く寒い日である。我孫子と成田で乗り換えて11:50成田空港第2ターミナルビルに着く。お握りを食べながら12:25の受付が始まるのを待つ。料金が格安のせいか参加者は95名もおり、赤色組、桃色組、灰色組の3組に分けられる。自分は赤組32名のメンバーに入る。01 卒業旅行と思しき女子大生のペアが5組、新婚さんが1組いる。添乗員のT氏は30~35歳位の男性で、H交通社の契約社員とのこと。出国審査を済ませ、搭乗口のD95へ行く。14:25発トルコ航空(TK)51便はJALとの共同運航である。イスタンブールまでの約10,000㎞を12.5時間かけて飛ぶ。14:50離陸、機内サービスでトルコ産ビールのEFES PILSNERを飲みながら、開高健の「オーパオーパ モンゴル・中国篇、スリランカ篇」を読み長旅の退屈を紛らわせる。23日2:40(現地時間22日19:40)、イスタンブールのアタチュルク国際空港安着、時計を7時間遅らせる。外気温は11℃と割合暖かい。早速空港の両替所で米ドルをトルコリラ(TL)に換える。50US$が61.5TLになったので、1TLは約85円である。02 今年の1月1日にデノミを実施し6桁切り下げたとのこと、今は新旧2種類の紙幣が混在しており紛らわしい。20:30迎えのバスに乗り込みホテルへ向う。咳が止まらず体調が悪い。これでは前途が思いやられる。現地ガイドはファイクさん、バスの運転手はラマザン氏である。車中におけるファイク氏の説明によると、イスタンブールの人口は公称1,000万人であるが、その他にホームレスが200万人いるので欧州一らしい。21:30ヒルトン・イスタンブールにチェックインし304号室に入る。さすがは五つ星の高級ホテル、ミニバーのBUDWEISERの小瓶が1本21TL(1,800円)もする。電気ポットやバスローブ、スリッパなどが見当たらないのは、格安ツアーゆえ取り外されているのであろう。それでもツインのゆったりした部屋、浴室も広く贅沢は言えぬ。風呂に入ってから風邪薬(カコナール)を飲む。一日の疲れと薬の効き目とでNHKを観る間もなく眠くなる。(続く) 

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苦瓜ビール

kuguabeer01中国の西安のレストランで飲んだゴーヤ入りビール。日本なら発泡酒に分類される代物であるが、苦味はホップの方がずっと上品である。健康酒なのかも。

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始皇帝陵と兵馬俑坑

2005年1月22日(土) 5:30騒々しいモーニングコールで目覚める。荷物を自分で下ろし、朝食代わりの弁当を受け取ってバスに乗り込む 。6:30出発、曇天で未だ暗い。7:05空港着、旧正月が近いせいか国内線は故郷に帰る人々でごったがえす。 スルーガイドのKさんの話では_050空港利用税は航空券料金に含まれるようになったとのこと、中国は変わり身が速い。8:35中国東方航空2106便に乗り込む。10:15西安咸陽国際空港に無事着陸、外はマイナス3℃、ぼんやり霞んでいる。西安ガイドは女性のSさん、小柄だがハキハキしていて説明も要領がよい。大学を卒業してから11年間この仕事をしているとかで、日本語も達者である。西安の11~2月は霧の季節、飛行機は遅れることが多いらしく今日の定時着陸は幸運らしい。西安は隋・唐時代の都の長安であり、北京に首都が移ってから西方安定を意味する西安に名前を変えたという。陝西省は小麦とトウモロコシの2毛作が可能でザクロも沢山採れるとのこと、そういえば西安市の市花はザクロである。地元の人はザクロを種ごと食べるらしい。そのほか柿、林檎、梨などの果物が豊かに実る土地である。 また、餃子の故郷でもある。先ず華清池見学、御湯遺址博物館はじめ建物は1990年代に再建されたもので皆新しい。楊貴妃の海棠湯、玄宗皇帝の蓮華湯、皇太子用の太子湯、貴官用の星辰湯など巡る。いずれも殺風景な石畳の浴槽で情趣に欠ける。背後の驪山は最近降った雪が残っていて真っ白である。華清池に建つ楊貴妃像の前で、男性は玄宗皇帝、女性は楊貴妃になったつもりで記念写真に収まる。 バスで秦俑博物館へ移動、途中車窓から眺める秦始皇帝陵は高さ75mの人口の山、_06870万人を38年間動員して築いたという途方もない代物である。 見学は昼食を挟み12:50~15:15、最初に銅車馬展覧館、次いで一号坑を観る。2220年前の世界が眼前に甦る。敷地内にあるレストラン友誼餐庁で昼食、麻婆豆腐などの四川料理で2種類のスープヌードルも出る。手打ちウドンと手打ち蕎麦の実演は中国らしく派手派手。その後三号坑(司令部)と二号坑(多彩な俑)を観る。再びバスで移動し、唐代の建物で唯一今に残る大雁塔を見物する。大雁塔は大慈恩寺にあり、玄奘がインドから持ち帰った経典や仏像を保管するため652年に建立されたもの。七層、高さ64mの均整のとれた堂塔は、姿形が美しい。山門を潜ると左右に鼓楼と鐘楼が配され、朝な夕なに時を告げる。本堂の大雄宝殿には釈迦三尊像が安置されており、左の像には過去(ご先祖)の、中央の像には現在の、右の像には未来(子孫)の願い事をするらしい。20元を払って大雁塔に登ってみる。 内部は248段の木の階段が旋廻して続く。各階の四方には開口窓がついているが内部は意外に殺風景、最上階からの 西安市街の眺めも靄でぼやけている。帰り道、翡翠専門店の土産物屋に寄る。_083 白菜を模った翡翠の置物は56万8千元(740万円)もする。白菜に百歳と百財をかけた目出度い物らしい。夕食は餃子の有名店の解放路龍海餃子館、西安名物の苦瓜ビールを飲んでみたがまずい。食後に唐代舞楽ショーを観に行く。場所は唐楽宮という所で20:30~21:40の上演、昨年東京国立博物館で中国国宝展を開いた時も訪日して披露したという出し物である。 当時の衣装と楽器を忠実に復元し、玄宗皇帝と楊貴妃の物語を繰り広げる舞台は、玄妙にして華やかである。薄物を纏った踊り子はみな柳腰のスリム美人、持参の双眼鏡が大いに役立ち、目の保養となる。22:00古都新世界大酒店にチェックインする。NHKが5CHで入り、四つ星ホテルでも快適である。

1月23日(日) 6:30起床、もう帰国する日になる。スーツケースをドアの外に出し朝食に行く。お粥に野菜、果物と軽めにする。_089洋食もあるので大助かり、毎食そして朝から中華料理では胃腸が草臥れる。今回の旅の食事は北京ダック、飲茶、餃子に四川料理、上海料理とヴァラエティに富んでおりまずまず 。8:00バスに乗り込み出発。曇天で薄暗い。先ず、シルクロードの出発点である西安城の西門(安定門)を見学に行く。唯一残る明代の城壁が旧市街をぐるりと取り囲む。 全長13km、幅12~14m、土台部分の幅15~18mもある。城壁上の通路はまるで高速道路のような眺めである。今はシーズンオフなので城楼の修復工事をやっている。西域へ旅立つ人の別れの宴を開いたという西楼へ登ってみる。内部は絨毯を売る土産物屋になっており、「記念玄奘三蔵法師天竺取経返唐一千三百六十周年」の幕が掲げてある。西楼はEmbrasure Watch Tower(外敵を見張る塔)、東楼はGate Towerで、中庭をはさんで対峙する二楼はその役割が異なる。111 西楼の最上階から西の方、シルクロードを望む。今は大路の舗装道路が真っ直ぐ西に延びている。再びバスに乗り、ツアー最後の見学先、陝西省歴史博物館へ行く。 アジア最大の博物館で37万点の文物を収蔵するとか、昨年の中国国宝展に出品されていた物も多い。115万年前の南京原人の時代から、周、漢、隋、唐、秦と時代別に展示された文物を要領よく案内してもらう。ガイドのSさんは聡明で博識である。その後お茶屋で一服、5種類の茶の試飲をする。すなわち白毛猿、一葉茶、球状ジャスミン茶、人参烏龍茶、陝西紫陽毛茶である。昼食は西安賓館の上海料理で小籠包も出る。紹興酒の酔いと連日の睡眠不足のため、空港までのバス車内ではぐっすり眠る。13:30空港着、出国審査を済ませ出発ロビーに入る。搭乗まで時間があるので傍らの喫茶室でコーヒーを飲むと何と一杯が68元(約1,000円)、帝国ホテル並みの法外な値段である。中国は来るたびにいろいろ勉強になる。15:00搭乗開始、日差しが出てくる。B767型、JL600便はシーズンオフで空席が目立つ。早速時計を1時間進める。16:40離陸、20:10成田空港着陸。成田は小雨、外気温4℃である。迎えのマイクロバスに乗ってRVRを回収し、23:00無事帰宅。やれやれである。(完)

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天壇・故宮・万里長城

2005年1月20日(木)  3度目の中国旅行は北京・西安の旅、RVRにスーツケースを積んで13:10出発。 14:25成田空港手前の駐車場へ車を預ける。4日間で2,415円也、これが一番楽で安上がりかもしれぬ。空港ターミナルまでマイクロバスで送ってもらう。チェックインは16:00、スーツケースを預けて搭乗券を受け取る。出国審査を済ませ、免税店で娘に頼まれた化粧品を買う。マイレージサービスを登録するうち搭乗開始時間になる。JL789便、偶然にも機内でY氏夫妻に会う。お嬢さんが北京に留学しており訪ねていくところ、全く奇遇である。 18:40やっと離陸、ずいぶん揺れる。001 それにしてもJALは座席が窮屈、個人端末で「隠し剣、鬼の爪」(松たか子主演)を観る。21:10北京新首都国際空港へ着陸、気温マイナス2℃、晴れている。滑走路がとてつもなく長い巨大空港である。中国人は何でも大きいのが好きとみえる。入国審査をパスしてロビーへ出ると現地ガイド3名が待ち受けている。グループは全部で39名、青組19名と赤組20名の2グループに分かれる。22:20迎えのバスに乗り込む。底冷えする寒さであるが今年はこれでも暖冬とのこと、先ず夜食を食べに東海明珠なるレストランへ行く。ラーメンと言っていたようなので軽食かと思いきや、10皿も副食付き、麺が粉っぽい。早速テーブルに係員が廻ってきて木魚石なる石の茶器の売り込み、中国が初めての人はこの洗礼にびっくりする。売り子の日本語が達者なことに又びっくり。今宵の宿は五つ星ホテルの京広新世界飯店、814号室、55階建てで北京でも有数の高層ホテルであるが設備は古い。風呂に入ると既に1:00、日本では午前2:00である。

1月21日(金)  部屋は暖房が効き過ぎ、調節できないので暑くてよく眠れない。14階のシングルの部屋は逆に暖房が効かず、011 オーバーコートを着て寝ても寒かったとのこと。6:00ジリンジリンとやかましいモーニングコールで目が覚める。どうも中国は全てに品が悪い。朝食を済ませ、7:30完全防寒スタイルでホテルを出発、漸く明るくなる。北京の朝の通勤風景は車も多いが自転車も多い。道路は8~10車線もある。先ず天壇公園見学、道端や植え込みに残る雪はガチガチに固い。7:45日の出、東から赤い太陽が昇る。公園では付近の住民が太極拳やダンス、トランプに興じている。 代表的建築物の祈年殿は三層構造の円堂、 中国最大の祭祀建造物で三層の基壇の上に建つ。大屋根を支える柱は上層から4本、12本、12本で合計の数字28にも意味があると019いう(二十八宿?)。深い瑠璃色の瓦が美しい。寒さのためにデジカメの電池消耗が異常に早い。 続いて天安門広場の見物、40万㎡の面積を持つ世界一の広場で50万枚の石畳から成る。北には天安門、西側には人民大会堂が建ち、中国最大のオベリスクである人民英雄記念碑も立っている。今日はカナダの要人が来ているとかでカナダ国旗がはためいている。10車線の道路を地下道で渡り、紫禁城見学に行く。紫禁城は北京オリンピック前の2007年まで毎年1億元をかけて大修復するとのこと、場内のあちこちに 槌音が響く。天安門、端門、午門を潜る。 午門から先が紫禁城内である。建物の用材はすべて楠とのこと、040巨木になり又香木であるゆえか。太和門から太和殿、 中和殿、保和殿と進み、殿内と玉座を見物する。それにしても紫禁城は圧倒的なスケール、清朝皇帝の富と権力はローマ法王をも上回る。サンピエトロ寺院も真っ青である。 後宮入口の乾清門に至った後VIP用貴賓館という清韻堂に案内されて休憩する。クリントン前米国大統領や細川首相の来堂写真が飾られているが、何のことはない書画の展示即売館である。 ○鶴先生という書道家がおり、「心清事達」「福寿康寧」「一生感動」などと書いてもらうと一幅10,000円、軸にすると50,000円である。余り感動しない書体でなんとも怪しげであるが、5万円や30万円の軸物や水墨画を平気で購入する社長さんが多いのにびっくり。珍宝館には金、銀、宝石、宝玉の細工物がこれでもかといわんばかりに並んでいる。何でも故宮博物館には90万点の国宝があり、これらはそのほんの一部らしい。神武門を抜けて紫禁城を出る。12:10再びバスに乗り、清河料金所から高速道に入り万里長城へ向かう。 途中北京金殿友誼商城の2階レストランで飲茶料理の昼食、アルコール分56%の白酒を嘗めただけで酔いに酔う。食後1階土産物店で費消する時間がやたらに長く勿体無い。04214:50から万里長城の八達嶺の見物、荒涼とした冬枯れの峰から峰へ、稜線を伝う城壁が延々と見渡す限り続いている。総延長6,350キロメートルは空前絶後の建造物である。降雪時には見学させないとのことで、今日は幸運である。右のなだらかな方は女坂、左の急な方は男坂である。迷わず男坂を登る。女坂の方は蟻の行列であるが、こちらは登る人が少ない。床は石畳で階段やスロープになっており、壁は墨色のレンガで出来ている。結構傾斜がきつい。15:15男坂の最高点にある城楼に到達、駐車場からの標高差200mほどである。15:30下山、再びバスで北京市内に戻る。夕食は北京ダックの有名店の全聚徳へ。北京ダックは油が強くいまいちであるが、他の料理はあっさり味で食べやすい。ホテルへ帰る前に屋台街の王府井を見学する。コオロギ、サソリ、タガメ、芋虫、蝉、雀、蛇などのげてものが串に刺して並べてある。ひと串5~8元と安く、注文すれば焼いてくれるが、なかなか勇気が出ない。20:15連泊の京広新世界飯店に戻る。(続く)

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ポンペイの考古地区 / 帰国

2004年12月10日(金)  5:15起床、実質的には今日が最終日である。7:00朝食、フルーツサラダやホットチョコレートが嬉しい。_141 7:30バスでポンペイ遺跡観光に出発、一人15,000円のオプショナルツアーであるが、参加者は34名中22名、皆買物は済んだようである。ポンペイまでは南へ230㎞、片道3時間の行程である。 高速道路の制限速度はバスが100km、乗用車は130kmであるが、まるでミズスマシのように走行レーンを右に左に変更する車が多い。我々のバスまで同様でカーレースさながら、冷や冷やドキドキの連続である。カッシーノ山(標高2,400m)を左に見ながら、太陽高速道1号線を南下する。途中有名なアッピア街道に出合うが、両側が傘松並木の幅1mほどの細い道である。ヴェスビオス火山(1,281m)が見えてくる。主峰は浅間山によく似ている。_130 最後の噴火は1944年であるが、およそ50年毎に噴火を繰り返しているとのこと、そろそろかもしれずきょうは命懸けの観光になる。山麓から中腹にかけて沢山の民家が建っている。 何を好んであんな危うい所に住むのか知らないが、マフィアに関係する人々とのこと、避難のための道路が盛んに建設されている。 10:30ポンペイ着、2,000年前の古代都市が昔のまま地中から掘り出されて眼前にある。毎年200万人訪れる観光客のうち30万人が日本人とのこと、一日平均1,000人?である。神殿、貴族館、商店街、遊郭、浴場、居酒屋、円形劇場、井戸、石臼、 踏み石、馬繋ぎ石、馬車の轍の跡など、1古代の人々の暮らしが良く判る。 12:00遺跡近くのレストランで昼食、貝スパゲッティ、シーフードフリッター、パンに小粒オレンジのメニューで今回一番の美味、イタリア料理を少し見直す。帰路、エルコラーノの街のカメオ専門店ドナディオに寄る。 カメオの材料はチョコレート色とオレンジ色の2種類の法螺貝で、前者の方が高級である。イタリア旅行の記念に740ユーロの品を一個購入する。妻は嬉しそうであるが、たかが貝細工が10万円もするかと思うと騙されたようで釈然としない。ナポリは車窓から観光しただけ、沖合にカプリ島が見える。雨の高速道を走り、18:00アルドブランデスキホテルに戻る。

12月11日(土)・12日(日)  5:15起床、荷造りし帰る準備である。スーツケースをドアの外に出し7:00から朝食、157 白パンやクロワッサンを食べジュース、チョコレートミルク、コーヒーを飲む。 イタリアは夕食より朝食の方が美味しい(?)。8:30出発、9:00にはレオナルド・ダビンチ空港に到着する。FINN AIRのカウンターでチェックインし、スーツケースを預ける。免税品はパスポート、搭乗券、TR(Tax Refund)書類と4点セットでTRカウンターへ持って行き検品、検印してもらう。それにしてもTR書類は青、黄、白と何種類もあり、ポストにその場で投函するもの、成田まで持参するものに分れる。素人はお手上げである。わざと複雑にして税金を返さぬ積りではとついつい勘ぐりたくなる。AY782便に乗り込み、時計の針を1時間進める。12:34離陸、機はアペニン山脈を越え、雪嶺がずらりと並ぶヨーロッパアルプスを越える。15:40ヘルシンキ空港着陸、既に薄暮が迫る。成田行きへの乗り換え時間を利用して空港内で最後の買物をする。トナカイのサラミソーセージ、スモークサーモンにスモークトラウト、コケモモのジャムなど買ってユーロを使い切る。17:00 AY73便に乗り込む。あと9時間の辛抱である。(完)          

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ローマの歴史地区・ヴァチカン市国

2004年12月9日(木) 4:30起床、昨夜はお湯が出ずそのまま寝てしまったので、先ず朝風呂に入る。ここは日本のH旅行会社御用達のホテルとみえて、我々以外にも色違いのツアーバッジを下げた団体客が何組もいる。_1039:00ローマに向け出発、道中糸杉や傘松、オリーブ林やブドウ畑が車窓を流れる。10:30雑貨店で休憩、トリュフ入りチョコレート、カラスミ、ハム・ソーセージ、ワインなど土産用食糧品を売っている。皆の買い物意欲は衰えず、次々と買い漁る。 カラスミを試食、日本製品に較べるとコクがない。ローマのシンボルツリーは傘松(地中海性松)とのこと、樹冠が丸くこんもりと繁り、葉針が長い。松喰い虫の被害が無いのか、樹勢盛んである。ローマ市街を囲む3世紀の城壁を眺めながら、昼食会場のピザ屋へ向う。陽光燦燦と降り注ぎ、汗ばむような陽気になる。 昼食メニューはピザ(カプリチョーサ)丸ごと一枚に生ハム、そして白ワインとジェラートである。_105ピザにはペペロンチーノ(オリーブ油に刻み唐辛子を浸したもの)をかけて食べたが、タバスコよりずっと辛い。ローマの白ワインの味もいまいち、更に口直しにエスプレッソを飲むとこれが苦い。ローマ市内見物は先ずコロッセオからスタート、2,000年前に建造された円形闘技場である。 傍らにはコンスタンティヌスの凱旋門が建つ。サンタ・マリア・マッジョーレ教会、統一記念堂、ローマ市庁舎、フォロ・ローマなどは車窓からの見物である。テヴェレ川を渡ってヴァチカン市国に入る。 サン・ピエトロ広場は140人の聖人像に囲まれ厳かな雰囲気である。スイスの衛兵が守るサン・ピエトロ大聖堂に入る。カトリック教の大本山、イタリア一の規模を誇る大聖堂である。ハイライトは、ミケランジェロ23歳時の傑作、ピエタ像であるが、_112 他にも金銀をふんだんに使用したモザイク画や大理石の彫刻などで天井、壁、床が埋め尽くされている。贅の限りを尽くした建物である。全世界に6億人の信徒を持つ宗教力にすっかり圧倒されてバスに戻り、トレビノ泉とスペイン広場の見物に行く。どちらも人、人、人で大混雑、けれどもヘップバーンのような美人はどこにもいない。「ローマの休日」は1953年の映画、時間が経ち過ぎている。夕食はレストランBAIA、メニューはパスタ(ペンネ・アラビアータ)、子牛ローストにフルーツポンチ、どうも味はいまひとつである。だんだんイタリア料理不信の気持が募る。21:10今宵の宿アルドブランデスキホテルに到着、214号室は内装が明るく清潔で今回の旅のベストホテルである。ただし周囲は真っ暗で何も無いところ、それでも部屋代を見ると206ユーロもする。(続く)

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フィレンツェの歴史地区・ピサのドゥオーモ広場

2004年12月8日(水) 5:30起床、モーニングコールは7:00であるが目が覚めてしまう。未だ外は暗い。034 クロワッサンとコーヒーの簡素な朝食を済ませ9:00出発。フィレンツェ市内に入る道路にはゲートが設けてあり、 観光バスはそこで一台当り2~3万円の観光料金を払わねばならない。 先ずフィレンツェ市内を一望するミケランジェロの丘に上る。オレンジ色の甍が連なる町並みと中心のドゥオーモが見える。TVや雑誌でお馴染の光景である。バスは街中に入れず、随分手前の駐車場で降ろされる。シニョーリア広場、ウフィツィ美術館、ヴェッキオ橋、ドゥオーモなど市内を歩いて見物する。皮製品の工房と販売の店がずらりと並び、大道芸人や絵描きが沢山いる。サン・ジョバンニ洗礼堂の扉、天国の門(ギベルディ作)の前で記念写真を撮り、午後オプションのピサ観光に出掛ける組はレストランで早い昼食をとる。_101味はやはりサイゼリアの勝ち。13:30北西80kmのピサ観光にバスで出発する。我々のグループ34名中の12名に、同じ旅行会社の別グループから20名ほどが加わった混成団である。天気は下り坂、次第に雲が厚くなる。車窓からアペニン山脈の形の良い山々を眺める。 14:40ピサ到着、バスは市街地手前の駐車場止まり、パーク&ライド方式である。シャトルバスに乗り換えてピサの広場へ行き、洗礼堂、ドゥオーモ、斜塔を見物する。斜塔の傾斜は5度とのことであるが、もっと傾いているように見える。内部見学には15日前の予約が必要との事であるが、結構塔上に登っている人が多い。大聖堂や洗礼堂の外壁は他国との戦争で勝利した時の戦利品らしく、よく見ると文字が残ったままの大理石を寄木のように組み合わせてある。観光地にはジプシーが多く、スリや置き引きの被害が絶えないとのこと、皆胸の前に自分のバッグをしっかり抱きしめる。18:00フィレンツェの街に戻り、ドゥオーモ広場で一旦解散になる。再集合まで街を散策し、本場のジェラートを食べる。夕食は香港大酒楼なる店、未だイタリア料理の真髄を味わっていないというのに何故か中華料理である。食事を済ませて外へ出ると雨、今回の旅で初めての本格的な降雨である。再びバスに乗り、連泊のパレスホテルに戻る。21:00着。(続く)

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ヴェネツィア観光

2004年12月7日(火) 5:00起床。_069M氏から今日のスケジュール届く。毎朝手書きのA4一枚、ドアの下に入れてある。 実にまめな添乗員である。7:30から朝食、クロワッサンにハム、ヨーグルト、ジュース、コーヒーが付き夕食より美味い。8:30出発、冬のイタリアは雨が多い筈であるが今日も好天、幸運である。 映画祭で有名なリド島行きフェリー発着場があるトロンケットなる船着場へ向う。海の中道のような長大橋道路を走り、水上バス(ヴァポレット)に乗り換える。ウミウやカモメの遊ぶアドリア海を進むこと20分、12年ぶりにヴェネツィア本島に上陸する。早速ゴンドラ乗り、6人乗りで62ユーロが相場である。船頭は時々049美声を聴かせながら、迷路のような細い水路を静かに流していく。家々の汚水が垂れ流しなのか、残念ながら水色は美しくない。 下船してサン・マルコ広場見物、1966年の高潮では潮位が1m32㎝も上昇し広場は完全に水没したとのこと、そのときの水位が建物に刻まれている。観光が生命線のヴェネツィアにとって地球温暖化は脅威である。サン・マルコ寺院に入ると、内部は黄金4屯とヴェネツィアガラスを使ったモザイクで埋め尽くされている。色大理石もふんだんに使われており、まさに豪華絢爛である。「嘆きの橋」で記念撮影に収まると、後は2時間余の自由時間となる。「リアルト橋」を_057目指して名品店街を行く。ヴェネツィアグラスや仮面を売る店が多い。 値段はピンキリで中国製の偽物も多いとか、12年前に皮鞄を購入した店も健在である。 リアルト橋は大運河に最初に架けられた橋であるが、山型の形状が美しい。街中で見つけたKING BURGERで昼食、ビーフのクレープ包みを食べる。家人も場慣れしてきてティラミスやフルーツサラダを買ってくる。サン・マルコ寺院に再び入って、二階のバルコニー(ロッジア)を見物してから集合場所に行く。同じツアーの女性達は、EENDI、GUCCI、PRADAなどブランド品の大袋を抱えて、_059 皆満足そうに戻ってくる。午後2時、サン・マルコ広場に大鐘楼の鐘の音が鳴り響く。再び水上バスに乗り、朝のバスに戻る。フィレンツェ郊外のプラトという町にあるホテル・パレスにチェックインしたのは18:30、すっかり日が暮れる。今日は夕食が付かないので、皆で近くのスーパーへ食料の買出しに行く。ギリギリツアーの面目躍如というか、本領発揮である。果物や野菜は量り売り、自分で好きなだけ袋に入れ、秤にかけて商品ボタンを押すと、値段がプリントされたラベルが出てくる。それを袋に貼り付けて、レジに持参しお金を払えばよい。全般に食料品は日本より安い。柿やプルーン、それにBACIのチョコレートも購入してホテルに戻る。(続く)

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イタリア周遊8日間 / ミラノ&ヴェローナ市内観光

2004年12月5日(日) 低気圧が台風並みに発達し夜半から大嵐となる。7:32のバスで南柏駅へ行く。風雨は収まったが、_159架線に倒木あるとのことで常磐線も成田線も不通、やむなく成田空港までタクシーを飛ばす。 いきなり出鼻をくじかれるが、何とか9:50の集合時刻に間に合う。添乗員はM氏で34名のツアーである。11:55発AY074便に乗り込む。ヘルシンキまで7,837km、9時間のフライトである。 時計を7時間遅らせる。12:30漸く離陸、長い道中を日経、朝日、読売3紙と司馬良太郎の「燃えよ剣」を読んでやり過ごす。 機内食は14:00と20:30の2回出るが、その後のトイレ争いが激しい。21:40(現地時間14:40)定刻通りヘルシンキ国際空港に着陸、サンタの服を着た可愛い子供達が出迎えてくれる。ミラノ行きAY795便に乗り継ぐ。外は既に薄暗い(外気温6度)。16:15離陸、さらに時計を1時間遅らせる。南西方向に飛ぶので太陽が沈むのに追いつき、夕焼けが見えてくる。 3度目の機内食はハンバーグ、やはり味はいまいちである。ミラノは大都会、010 上空から100万ユーロの夜景を眺める。18:00着陸(日本時間2:00)、自宅を出発してから僅か19時間でミラノに居る。地球は狭くなったものである。欧州は7年振りであるがEUになって入国手続きも簡単、空港からバスで50分のリパモンテホテルに20:00チェックインする。

12月6日(月) 4:45起床、夜中に何回も目が覚める。このホテルには我々を含め日本人団体3組が泊まっており日本人ツアー客専用宿である。7:00バッグを廊下へ出して朝食に行く。 オートミール、パン、牛乳にコーヒーの簡素なもの、_019イタリア人の朝食は実に質素なものらしい。イタリア第二の都市ミラノの人口は150万人、日本企業の進出が盛んで日本人も2,000人住んでいる。 先ずスフォルツェスコ城見物 、ミラノ最大のルネサンス建造物とのことで堂々たる城である。市内の壁はイタズラ書きが目立ち、街は汚い。ソフィアローレン主演の「ひまわり」に出てくるミラノ中央駅を車窓から眺めて、ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)ヘ向かう。イタリアのゴシック建築を代表する最高傑作で、1386年の着工から完成まで500年を要したという壮大な建物である。 そこで2時間の自由行動となり、ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世(十字型アーケード)を抜けてスカラ座見物に行く。プラダ店で娘と嫁に財布_033を買うと400ユーロが消える。ドゥオーモの屋上に階段で登る。石段の狭い通路で、白衣観音の胎内巡りに比べると殺風景で何の味付けもない。体が冷えてきたので向い側の百貨店に入りトイレを捜す。トイレは4階と7階の2箇所にしかなく長蛇の列、イタリアは公衆トイレが少なく不便きわまる。 イタリア人はBARに入ってカプチーノを頼みトイレを済ませるとのこと、もちろんその方がスマートに決まっている。13:10バスに戻ってヴェローナへ向う。高速道の両側にはブドウ畑が広がる。 15:00ドライブイン(AUTOGRILL)でトイレ休憩、有料で50セントである。ピザを買うと半径30㎝もあり、4分の1枚が3ユーロである。先ず035レジでお金を払い、レシートを持ってカウンターに行くと焼いてくれる。マルゲリータの具は少なく、やたらに歯応えがある。 ヴェローナ市内はロミオとジュリエットの舞台、15:55~17:15の間散策する。ロミオの家、スカラ家の廟、シニョーリ広場、エルベ広場、ジュリエットの家、アレーナなどを見物する。ジュリエット像は、その胸に触ると幸運に恵まれるとかで、ふくらみがピカピカである。19:00今宵の宿アレキサンダーホテルに入る。夕食はラザニア、サーモンステーキ、サラダにアイスクリーム、飲み物はワインを頼んだが、お世辞にも美味とはいえない。サイゼリアやらんぷりーるの方がまだ美味い。(続く)

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