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ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群

2005年2月24日(木) 5:00起床。せんべいとヌガーを食べジュースを飲む。アンカラエクスプレスのトイレは割合清潔である。6:30夜明け、列車は樹木一本見当たらぬ平原を走っている。牧草地か小麦畑か見渡す限りの平原が広がり、遠くの山は赤土でなだらかである。北海道のセブンスターの丘を何倍にも広げたような景色である。  7:00車掌が起こしにくる。05川は洗剤の白い泡に覆われ、ごみがたくさん浮いている。昔の多摩川を見るようで、これではうっかり水道水は飲めやしない。8:00アンカラ駅到着、ホームからいきなり駅の食堂へ連れて行かれる。朝食は、チーズ、オリーブピクルス、パンにコーヒーの簡素なもの。迎えのバスに乗りカッパドキアへ向け出発、274kmを4時間半かけて走る。トルコは広く移動距離が長い。 走り始めてすぐにエンジントラブル発生、1988年製三菱自動車のバスでは仕方がない。幸い30分ほどで直る。現地ガイドのファイク氏の本職はプラントエンジニアで、10数年前に3回に亘り来日して茨城県鹿嶋の石油化学工場でプラント建設を学んだとのことである。 01然るに、トルコの政治体制が変わり、国有企業が民営化されて失職し、6年前からやむなく旅行ガイドに身をやつしているらしい。氏の現政治体制に対する不信と怨みは深い。20年前は1TLが1円、それがデノミ直前は13,000TLが1円になる超インフレ、その結果大学進学率は5、6%に下がり、文盲率は35%に上昇したとのこと、中級生活者の殆どが貧困階級に身を落としたらしい。時々天気雨が降る。 11:00トルコ第2の湖”塩湖”の畔で休憩、この湖でトルコの塩の95%を生産しているとのことである。風光明媚という所ではなく、渺茫として捉えどころがない。今は5m位の水深があるが、乾季の8、9月には50㎝ほどになり湖岸に塩が析出する。001  湖畔の土産物屋で1袋100円の塩や魔除けのナザル・ボンジューを購入する。その先は小麦畑が延々と広がる単調な風景が続く。トルコの典型的住居は二階の方が一階より一回り大きい頭でっかちな造り、漆喰壁と屋根瓦がカラフルである。雪を被るハサン山(標高3,500m)が見えてくる。その奥にも高峰が連なる。アワノス(AVANOS)の街の洞窟レストランで昼食をとる。鱒の塩焼きは美味、卵とジャガイモとチーズのミックスパイはいまいち。今日最初の見学先は“カイマクルの地下都市”、地下25mもある地下5階が最深部、ひと一人がやっと通れる地底の迷宮である。キリスト教徒がアラブ人の迫害から逃れるために掘ったもので、02日本なら大谷石の採掘場跡を思わせる所、教会を始めワイナリー、食糧倉庫など生活に必要な設備機能を全て備えている。  次いで“ウチヒサール”を遠望する。尖った城という意味であり、尖頭型の岩山に数多くの住居が穿たれている。崩壊が激しく、今では住人も下の街に移住し、現在住居跡は倉庫として利用されている。かっては山頂まで登ることもできたが、仏人ツアー客に怪我人が出てから団体登頂は禁止になったとのこと。同じ台地上から“鳩の谷”を眺める。イスラム教徒は鳩を聖なるものとして大切にしており、エジプトで鳩料理を食べる人間は全てキリスト教徒らしい。それにしても手袋も帽子もマフラーもいらないほど暖かい。更に、展望台からギョレメ谷を見下ろす。CIMG0128三角錐の岩と岩の間に集落が点在する。山峡に佇む西上州や奥久慈の集落のようでもあるが、ずっと鋭く乾いた景色である。最後に日没と競争しつつ、キノコ岩が林立するゼルベパシャバー(キノコの谷)へ移動する。まさにキノコのような奇妙な岩が林立する。黒い傘の部分は硬い溶岩(玄武岩)であり、白い柄の部分は軟らかい火山灰(砂岩)とのこと、堆積した火山灰の上を溶岩が覆い、その後の何万年にも亘る風雨の浸蝕により形成された奇観である。ちょうど日暮れ、ホテルへ向かうバスの車窓から眺めるローズバレーの夕景が美しい。18:00ウルギュップ(URGUP)にあるペリシアホテルにチェックイン、4304号室に入る。一応四つ星ホテルであるが部屋も浴室も狭い。夕食は貧弱、ビュッフェ方式であるがメインディッシュ(肉、魚など)が見当たらず腹にたまるものがない。オプションのベリーダンスを見送りデジカメの充電にとりかかる。変圧器が大活躍、海外の旅には欠かせない。風呂から上がり、梅干を食べ生茶を飲んでお腹を落ち着かせる。21:00頃就寝。(続く)

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