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エフェス都市遺跡

2005年2月27日(日) 5:00起床、6:00朝食。ヨーグルトにチェリーソースをかけると美味。腹ごなしにホテルの周りを散歩する。糸杉の葉を見るとスギではなくヒノキのような感じで、固い毬果と花粉をつけている。日本では伊豆の下田でも雪が降ったらしい。8:00バスに乗りエフェスへ向け出発、220㎞の道程である。早速ファイク氏の講義が始まる。トルコの伸びるアイスクリームの原料はヤギ乳であり、夏場にしか作らないこと。オリーブの実のピクルスの色に3種類あるが、収穫時期が異なるためであり、緑色は11月上旬、黄色は12月上旬、黒色は12月下旬から1月上旬の収穫品、その中で特に黒は塩漬けにされるとのこと。この辺りは暖かいのか麦の芽が青々と伸びている。オリーブの木は常緑で、葉裏は銀色である。01 傘松(地中海マツ)の並木もある。9:50ドライブインで休憩する。地中海性気候で暖かく雨が多いために周囲の山々はマツの緑に覆われる。キノコを採りに山に分け入る村人は多いらしいが、マツタケが採れるかどうかファイク氏は知らないとのこと、これだけマツの木が生えていればきっと出るであろう。今日最初の見学先はセルチュク郊外の「聖母マリアの家」、標高500mほどのブルブル山の上に建てられたレンガ造りの小さな教会である。聖母マリアはイエスの死後に聖ヨハネとともにこの地に移り住み、余生を送ったという。祭壇の聖母マリア像の両側に生花が供えられ、ロウソクの炎が揺れる。キリスト教徒の聖地として厚く信仰されており、訪れる信者は現在も後を絶たない。階段下に“聖なる水”が湧き出していたが、手を濡らすに止める。“SULTAN et LOKANTASI”なるレストランで昼食をとる。02いわゆるロカンタ、簡易食堂である。日本人向けということで羊ではなく牛の串焼きが出る。どうも味付けがピリッとしない。 周囲に広がる果樹園は桃畑である。食後、皮工房へ連れて行かれる。美形モデルのファションショウ付きであるが、スーツやコートの直売品が1着5~10万円もする。Made in Turkeyでは買う人もおるまいと思ったが、ツアーメンバーの男性が何人か根負けして購入する。社長はどこにでも居る。ようやくエフェス都市遺跡へ移動し、 14:50から見学を開始。エフェス都市遺跡の起源は、紀元前11世紀に成立したイオニア04人都市国家にまで遡るが、現在残るのは紀元前2世紀にローマ帝国属領となってから築かれた都市の遺跡である。シルクロードの西端に位置する世界最大の都市遺跡は、これまでトルコとオーストリアの協同チームが110年間発掘を続けてきているが、未だに全体の10分の一しか進捗していないとのこと。オデオン(小音楽堂、2世紀中頃)、 ハドリアヌス神殿(138年頃建立)、公衆トイレ(1世紀)、セルスス図書館(117年完成)、大理石通り、娼館への案内図、商業アゴラ、大劇場(紀元前3世紀)、アルカディアン通りなどを順に見学する。05とても2時間では廻りきれない。17:00とうとう時間切れ、ホテルへ向う。今宵の宿は五つ星のスルメリ・エフェソスホテル・クシャダシ、エーゲ海に臨むリゾートホテルである。307号室に入る。部屋に入るとセミダブルベッドひとつ、石鹸2個置いてあるだけの簡素なシングルルーム、気持ちよいほど何もない。星の数を間違えているのでは?、これはせいぜい三つ星クラスである。窓からエーゲ海が眺められるのが救い、冬のエーゲ海は白波が立ち寒々している。19:00夕食、豆粉をベースに他の具や野菜をくたくたに煮込んだもの、そろそろトルコ料理にも飽きてくる。部屋に戻りTVをつけるとトルコ語放送のCHしかなくちんぷんかんぷん。ベッドに横になるうちにいつしか眠り込む。(続く)

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