« トルコの国民酒・ラク | トップページ | エフェス都市遺跡 »

ヒエラポリスとパムッカレ

2005年2月26日(土) ヒルトン・コンヤは2002年にできたばかりの高級ホテルであるがどうもベッドがしっくりしない。6:00から朝食、アンズ、イチジク、ブドウの乾果にヨーグルト、野菜サラダ、 鰯の酢漬け、パンをとり、コーヒーとチャイも飲む。ギリギリツアーの常としてどこでも朝食が一番美味い(?)。 8:00出発、今日も423㎞、6時間の長距離バスの旅が始まる。朝一恒例となったファイク氏のトルコ事情の講義を拝聴する。「トルココーヒーの豆の産地はイエメンであり、チャイの茶葉の産地は黒海沿岸のリゼ(RIZE)である。云々」。001バスはとらえどころのない茫洋とした平原地帯を行く。 次々と雪嶺が現れる。芽吹きの季節が近いのかポプラの枝先や梢が萌黄色にふくらんでいる。アクシェヒル近くのドライブイン“KIRAZLIBAHCE”(サクランボ畑の意味)で休憩、周辺には文字通りサクランボ畑が一面に広がる。外気温5℃、寒い。トイレには洋式とトルコ式があり、後者はタイで経験済みである。イラクから引くという天然ガスの導管が荒涼たる大地に延々と横たわる。時々驟雨、こんなところにも人間の暮らしがある。ディナール近くのレストランで昼食をとる。01標高1,000m、風が冷たい。デザートに出た名物の固ヨーグルトに蜂蜜をかけたものは、皿を逆さにしても落ちないほど粘りがある。 給仕人のパフォーマンスが楽しく、また味も良い。 綿畑が広がるようになると、世界遺産の「ヒエラポリス」と「パムッカレ」は近い。初めに古代都市遺跡のヒエラポリスを見学する。パムッカレの背後の丘陵地帯に点在するヒエラポリスは、紀元前190年頃ペルガモン王によって築かれ、後にローマの直轄となった都市遺跡である。14世紀の大地震で壊滅的打撃を受けるまで人口10万人を擁し繁栄を謳歌したらしい。“ネクロポリス”(墓地)の近くにはシルクロードの一部という道形が今も残る。まず“北の浴場”を見物、そして“ローマ門”からヒエラポリスの目抜き通り“アルカディア通り”を“ビザンチン門”まで歩く。全長1200m、幅13.5mの堂々たるメインストリートである。この道が西安まで続くと思うと気が遠くなるようである。 パムッカレとはトルコ語で「綿の城」という意味、ヒエラポリスの丘から下方に展開する石灰棚地形である。同じく世界遺産の石灰棚地形「中国・黄龍」よりも色白で純白、遠くから見るとまるで雪を被っているように見える。最上部に源泉があり石灰棚を温泉が流下している。靴を脱ぎ立ち込んでみIMAGE0012ると暖かい。暫し足湯を楽しむ。流れが枯渇して干上がっている箇所もあり、ファイク氏は世界一だと自慢するが、全体の規模、迫力は黄龍に遠く及ばない。16:20バスに乗りホテルへ向かう。今宵の宿は山間にあるリーカス・リバーホテル(四つ星)、“Thermal Hotel”の看板が出ている。無論日本の温泉ホテルとは異なり健全そのものである。16:50 7203号室に入る。温水プールやスパは無料とのことで皆ひと泳ぎに出る。ホテルにはドイツ人観光客も多く、片言のドイツ語で尋ねてみればライプチヒから来たとのこと、今の季節のトルコ旅行は格安である。19:00からビュッフェ方式の夕食、スープも煮物もスパゲティもピリッとしない。デザートのケーキはどれも蜂蜜がべとべと、甘過ぎる。やれやれ食べるものがない。部屋に戻りリンゴとオレンジをかじる。NHKのニュースを観ると東名が降雪結氷により通行止めとのこと、日本は未だ冬の最中にある。(続く)

|

« トルコの国民酒・ラク | トップページ | エフェス都市遺跡 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ヒエラポリスとパムッカレ:

« トルコの国民酒・ラク | トップページ | エフェス都市遺跡 »