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タスコの歴史地区

2005年11月19日(土) 3:40に続き5:00にも目が覚める。やむなく5:40に起き出し、ひげを剃って日焼け止めクリームを塗り、臨戦態勢を整える。電気ポットで湯を沸かし、コーヒーを飲む。CIMG1728日本茶をペットボトルに詰める。7:00朝食、オーストリアからやって来た団体で食堂は大混雑、ドイツ語が飛び交う。8:30バスでホテルを出発、以下は車中における現地ガイドY氏の話である。「メキシコの物価は日本の 三分の一ほど、例えば牛肉1キログラムが45ペソ、鶏卵2個で3ペソ、牛乳1リットルが8ペソ、トウモロコシ粉1㎏が5ペソである」、「教育制度は日本と同じく6-3-3-4制、中学まで義務教育だが低所得層は就学が困難である」、「男子は18歳から1年間兵役義務がある」「大卒会社員の月給は8,000~9,000ペソ、高卒会社員の月給は3,500ペソ、農業従事者など大部分の人は最低賃金の一日8時間労働で45ペソである」など。バスは3200mの峠を越えて、メキシコ市の南75㎞にあるクエルナバカ市目指して走る。 峠付近は松林が続き、国営の大麦・菜種畑が広がる。 メキシコは緑が多く、日本の山岳道路を走っているような錯覚を覚える。 1時間余りでクエルナバカ市到着、海抜1500~1600mの典型的コロニアル都市は、年間を通じて最高気温が21~23℃と穏やかで、春の都と呼ばれている。1609年メキシコへ帰る途中のスペイン領フィリピン総督ドン・ロドリゴ一行が暴風雨に遭い御宿海岸で座礁難破したが、そのとき大多喜藩の人々に助けてもらった縁で、CIMG1737大多喜町と姉妹都市提携を結んでいる(そういえば御宿町の高台にメキシコ記念塔がある)。先ずカテドラルの見学、境内の火炎木の橙色の花が青空に映える。女性達は、近づいて来る売子の持つアマテ(イチジクの樹皮を溶かして梳いた先住民の紙に、極彩色で描かれた素朴な絵)や自然石ネックレスの品定めに夢中である。教会の内壁には、「EMPERADOR.TAICOSAMA.・・・」の文字と ともに豊臣秀吉によって長崎で処刑された26聖人の殉教壁画が描かれている(メキシコ人神父が含まれていた為)。 反日感情が気懸かりになったが、メキシコ人は総じて親日派とのこと、韓国や中国の指導者とは異なり、素朴で陽気でおおらかで気持が良い。 次いで、アステカの征服者エルナン・コルテスが建てたコルテス宮殿を見学する。今は博物館で、CIMG176216世紀当時の文物が展示されている。巨匠ディエゴ・リベラが描いた、二階バルコニーにある壁画は見事である。再びバスに乗り、更に100㎞南下して、今年世界遺産に登録されたばかりのタスコへ向う。タスコ到着後、丘の上のレストランで昼食、テラスから眺める家々の甍はオレンジ色で、白壁とのコントラストが何とも美しい。昼食後、ソカロ(中央広場)までそぞろ歩きして街を見物する。16世紀から銀山の町として発展してきたタスコは、コロニアル様式の美しい街並みと石畳の道が当時のまま保存され、どこを切り取っても絵になり写真になる。メキシコらしいデザインの銀製品を求めて有名店に入ってみたが、いまひとつぴんとくるものがない。石畳の狭い道を登り詰めてソカロに出る。町の中心広場は大勢の人で賑わう。CIMG1761広場の東側にあるサンタプリスカ教区教会を見学してから、その下の丘に広がる庶民市場を見物する。生鮮食品や日用雑貨を売る店が所狭しと並び、中にはクミルという虫まで売っている。カメムシを二回り大きくして沢山の脚をつけたような姿、潰してスープの隠し味にしたり、炒って酒の肴にするらしい。もしかしたら 知らないうちに食べてしまったかも。帰りは乗り合いタクシーでバスの所まで戻る。17:10バスに乗り込み、ホテルへ直帰する。峠越えの頃から雨が降り出し、メキシコ市内では大渋滞に遭遇、予定より1時間遅れて20:30漸くプラザ・フロレンシアに戻る。夕食は白身魚のフライ、ニンニクが効いていて今日は美味しい。コロナビールは少し日向臭がある。明日のモーニングコールは4:00、風呂に入って早く眠らねば。(続く)

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