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ブルーベリー酒

03_452007年2月27日(火)  昨年の8月21日に仕込んだブルーベリー酒が半年経って漸く飲めるようになりました。味はともかく色が素晴らしく綺麗です。ワインレッド或いはパープルレッドと云うのでしょうか、光沢があって透明感もあります。写真では実際の色をお伝えできないのが残念です。

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伊能忠敬記念館(香取市)

Dsc002002007年2月25日(日) 伊能忠敬記念館を見学するため香取市(旧佐原市)までドライブ。記念館が建つ小野川河畔一帯の街並は、平成8年に関東で初めての「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。今でも呉服屋、荒物屋、乾物屋など旧い商家が建ち並び、「江戸優り」とまで謳われた往時の佐原の繁栄を彷彿とさせる。伊能忠敬(1745-1818年)は、50歳を過ぎてから暦学・測量術を学び、日本全国の海岸線を踏破・測量して「大日本沿海輿地全図」を作成したが、非常に正確なものであり、明治時代の内務省・陸軍省・海軍省も活用したとされている。 井上ひさし著「四千万歩の男」を読んでみたくなる。記念館を出た後旧宅を見学、忠敬茶屋で忠敬弁当(1,000円)を食べる。更に伊能家17代当主が営む喫茶店“珈琲遅歩庵いのう”でブレンドコーヒー(450円)を飲む。今日の千葉市の最低気温は今冬初めての氷点下(-0.2度)、利根川を渡る風が冷たい。

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ヒメキクラゲ

P10401242007年2月24日(土) 柏市手賀の丘公園。ヒメキクラゲ科ヒメキクラゲ属のキノコ。ぶよぶよしていて見た目は非常に悪いが一応食菌である。さっと湯がいてコーヒーゼリーに入れると美味しいらしいが、そんなリクエストをしても家人に却下されるのが落ち。それにしてもナマコといいヒメキクラゲといい、最初に食べた人を心から尊敬せずにはいられない。

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ハゼの甘露煮

02_103 2007年2月20日(火) 松島湾産のジャンボ焼きハゼを購入したため、お正月の雑煮に出番がなかった自家製焼きハゼを甘露煮にする。さっと水洗いし鍋にいれて、出涸らしの緑茶をひたひたになる程度に注ぐ。そして弱火でじっくり煮詰める。緑茶を注いでは煮詰める工程を更に2回繰り返す。最後に砂糖と醤油を加えて飴色になるまで煮詰めれば出来上がり。丸ごと骨まで全部食べられる。自己責任、自己責任、自分ひとりでも御飯のおかずにして毎晩食べればいずれは無くなる。無事食べ終われば・・・今年も又ハゼ釣りが出来る。

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お化けフキノトウ

P1040101_12007年2月17日(土) 新柏駅前の東武ストアで購入したもの。愛知県産、3個入り1パックが198円也、長さは10㎝もある。余りの大きさに苞をバラして天婦羅にする。まるでオクラかピーマンを揚げたようなお姿、恐る恐る口に入れると・・・、むむむ、・・・美味い。栽培品の故なのか品種の特性なのかは判らないが、アクも苦味も香りも穏やか、しかも柔らかくパサつかない。見直しました、ジャンボサイズのフキノトウ様、お陰さまで今年も春を味わうことができました。

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メヒカリの唐揚げ

P10401042007年2月15日(木) 新柏駅前の東武ストアで購入、唐揚げにして食べる。身は柔らかいが淡白な白身で香ばしく美味しい。二度揚げすると骨は全く気にならない。丸ごと食べられる。

メヒカリは俗称、正式和名は アオメエソ、漁獲高が多い福島県では重要魚種、いわき市が「市の魚」に選定している。 

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エジプトのビール

Sakara_1 今回のエジプト旅行で飲んだビールは、AL AHRAM BEVERAGES CO.製のステラ(ALC.4.5%、個人的嗜好評価:☆☆)、サッカーラ(ALC.4.0%、☆☆)、マイスター(ALC.5.2%、☆☆☆)、ハイネケン(ライセンス生産品、ALC.5.0%、☆☆☆)と、EGYPTIAN INTERNATIONAL BEVERAGE CO.製のルクソール(ALC.4.5%、☆★)、ルクソール・クラシック(ALC.5.0%、☆☆★)の6種類、エジプトはさすがにメソポタミアと並ぶビール発祥の地だけあって現在のビールも王道を行くものが多い。 ステラとサッカーラは若干ジアセチル臭があり、ルクソールは苦味が粗い。最も50℃を超える01_263真夏のエジプトで飲めば評価は全部☆☆☆☆☆になったかも。レストランで飲むと500ミリリットル壜が25~30L.E.(550~660円)、日本で飲むのと変わらない。禁酒国なので値段を高く設定していることもあろうが、ツーリスト料金によるところが大きい。とにかく飲み物がやたらに高い。50ドルくらいは酒代で直ぐ飛んで行く。

下の写真はカイロのエジプト考古学博物館にある“Woman brewing beer”像、石灰石・彩色、BC2563-2423頃。

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食用ホオズキ

Cimg56742007年2月4日(日) エジプト国カイロ市セミラミス・インターコンチネンタルホテルの朝食に供されたもの。実は黄色、甘酸っぱく美味しい。ミニトマトのような食感で、ホオズキらしい苦味と渋味も微かにある。珍果、生まれてはじめて食べる。

ネットで調べてみると食用ホオズキはヨーロッパ原産でフランスやイタリアでは盛んに栽培されているとのこと。日本でも新潟県巻町等で栽培され、楽天市場で果実、苗とも販売されている。興味と関心のある方はお試しあれ。

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カイロ市内観光 / 帰国

2007年2月4日(日) 6:15起床、いよいよ最終日。旅行期間中野菜もカットフルーツもバリバリ食べたがお腹は快調、ツアーメンバーも全員元気、やはり気候が良いことが大きい。結局半袖シャツの出番なし、 Cimg5688今の時期なら長袖シャツにチョッキ、場合により上着があると良い。SCをまとめてから朝食に降りる。アップルパイとヨーグルトと果物を食べコーヒーを飲む。エジプトの果物は日射量が多く雨が少ない気候のせいか、糖度が高く皆美味しい。イチゴ、オレンジ、ナシ、バナナ、ブドウ、メロン、リンゴと種類も豊富、今朝は珍しい食用ホオズキまである。実は黄色、かすかに苦味・渋味があるが観賞用の赤ホオズキに較べれば遥かに弱く、甘酸っぱくて美味しい。8:40ホテルをチェックアウトしバスに乗り込む。カイロ市内観光の手始めはムハンマド・アリ・モスク、クフ王のピラミッドの石切り場の側を通り、高台へと登って行く。イスタンブールにあるブルーモスクそっくりの巨大なCimg5695モスクが丘上に現れる。それもその筈、聞けばブルーモスクを真似て1857年に完成したもの、納得である。 エジプトは国民の90%がイスラム教徒(スンニ派)である。教徒の義務は、毎日5回の礼拝(4:30、12:10、15:45、日没時、18:50)、年1回のラマダン月の断食(日中は飲食禁止)、一生に1回のメッカ巡礼である。又、日々の暮らしの中で聖なる言葉を数多く唱えること、そして貧しい人に喜捨すること(例えば給料の1.5%)も加わる。なかなか信徒も大変である。ムハンマド・アリ・モスクのドーム天井の装飾は天目茶碗の紋様を思わせる。ブルーモスクより華やかで美しい。 中庭に回ると八角聖水堂の向うにフランス政府から贈られた時計台が建っている。ルクソーCimg5702ル神殿の例のオベリスクのお返しという曰くつきのものであり、最早動かない。テラスからオールド・カイロの街並と、ギザの3大ピラミッドが見渡せる。もっとも大気汚染のせいかはたまた砂塵のせいか、くっきりすっきりとは見えず霞んでいる。次いでエジプト考古学博物館へ移動する。10:30着、ベンガラ色の建物が青い空に良く映える。 内部の写真撮影は当然のことながら禁止、館内は各国からの観光客が入り乱れて大混雑である。ロゼッタストーンのレプリカから見学開始、石棺、ミイラ作成台、アレキサンダー大王像などを観てから2階へ上る。2階にはハイライトとなるツタンカー01_268メン王墓の厖大な副葬品や秘宝の数々が展示してある。黄金の棺、黄金のマスク、宝飾品(ネックレス、ブレスレット、イヤリング、ベルト、etc.)、・・・。3500年前に造られた品とはとても思えない。どれもこれも芸術的なデザイン、精巧精緻玄妙な造り、見学者からは感嘆の溜め息が洩れる。 2時間の持ち時間ではとても足りない。仕方がないので展示物のカタログを買おうとMuseum Shopへ行く。ところが日本語版は抜粋抄録の薄い冊子しかない。諦めて博物館を出て道路の向い側にある書店を覗くと、英語・仏語・独語の総合図譜が100LE(2,200円)の手頃な値段で売られている。1冊購入してやっと一安心。昼食はナイル川岸に固定してある船上レストランへ行く。名物のコフタ料理は日本で言えばツクネの如きもの、まずまず美味しい。エジプト観光の最後はハーン・ハリーリ市場の見物、観光客相手のお土産品市場らしく、生鮮食料品などの興味深い物産品は見られない。ラクダの形をした香水壜、ナツメヤシなどをお土産に買う。16:15カイロ国際空港着、旅行中お世話になった現地ガイドのマハムード氏ともお別れである。出国検査を受け出発ロビーに入る。免税店で機内で飲む缶ビール(STELLA)を買うと6LE(約130円)、序にナツメヤシを追加購入する。18:10搭乗、MS964便、41D・E席、機内はほぼ満席である。帰りの飛行時間は12時間と、来る時よりも2時間短い。18:45離陸、早速時計を7時間進ませる(→2月5日1:50)。機内はコンコン、ゴホンゴホンの大合唱、Cimg5720皆薄着でやって来て風邪を引いたらしい。マスク姿が随分多い。 エジプト航空の機内映画はつまらないし、音楽もぱっとしない。お酒も出ないし退屈極まる。柿の種を出してビールを飲みながら、「真田太平記(十一)大阪夏の陣」の続きを読む。産経新聞と日経を読み終えてもまだまだ。8:20タリム盆地の北辺を過ぎゴビ砂漠へ近づく。あと5時間余、フルーツケーキとジュースがサービスされる。少しうとうとし気がつくと10:40、北京上空を通過する。まもなく朝食が出るが食欲は全くない。ソウル上空を飛び越え、日本海から中国地方上空へ入る。もう少し、もう間も無く、やはり長い。13:30成田空港に無事着陸。外へ出ると日本はすっかり春、気温15℃は4月並み、これでは太陽の国エジプトより暖かい。異常気象である。(完)

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アレキサンドリア市内観光

2007年2月3日(土) 4:45ドアをノックし車掌が起こしにくる。ベッドを手早くたたんだかと思うと朝食を持って来る。Cimg5566 4種類のパンにチーズ、バター、ジャム、オリーブのピクルスそれにコーヒーが付く。朝からこんなにパンばかり食べる訳がない。トイレは一応洋式、軌道上に垂れ流す方式らしく駅で停車中は使えない。まずまず清潔であるが水の出がチョロチョロで流すのに一苦労する。5:50ギザ駅到着、次のカイロ駅で降りるものとばかり思っていた一同は大慌て。何とか無事全員下車、外は未だ薄暗く結構寒い。警察官が何人も駅構内を巡回警備しており、ものものしい雰囲気漂う。6:05迎えのバスに乗り込みアレキサンドリアへ向けて出発。警察官が一人護衛のために終日バスに同乗するとのこと、いかに観光産業がエジプトの命綱であるかが判る。街は目覚めたばかり、行き交う人もまばらである。ギザの3大ピラミッドの上に満月がかかる。4,000年前から変わらないであろう幻想的光景である。6:35THE OASIS HOTELに寄りお手洗いを借りる。ギザICから高速道路に入り、砂漠の真っ只中を走る。セピア色の乾いた大地がどこまでも拡がる。バスは思い切り飛ばして行く。時々現れる樹木が立ち並ぶ区画は大金持ちの別荘とのこと、砂漠の中に農場まである。沢山穴が開いたタワーはハト小屋らしい。途中から黒雲が空を覆い土砂降りになる。Cimg5606雷鳴轟き稲妻が奔る。エジプトにも雨は降る。道路は水捌けが悪くたちまち川となり、車があちこちで立ち往生する。通勤者と思われるヒッチハイカーがやたらに多い。 アレキサンドリアは人口700万人、カイロ(人口1,300万人)に次いでエジプト第2の都会である。紀元前4世紀、アレキサンダー大王によって建設された街は、典型的な地中海性気候で雨が多い。そのため遺跡は傷みやすく、又、海中に沈んでいるものも多いらしい。9:00アレキサンドリア博物館に着く。三階建ての博物館は、エジプト革命後に外国人所有の別荘を没収して改装したもの、一階は王朝時代、二階はグレコローマン時代、三階はコプトとイスラム時代の遺物を展示している。今日はイタリア人観光客の予約が5,000人も入っているとかで、早朝から館内は大混雑、1時間の持ちタイムでは満足な見学は望むべくも無い。幸い写真撮影はOKなので、展示物を次々にデジカメに収める。午前中にもう2箇所、“ポンペイの柱”と“カタコンベ”を見学する。 前者は、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝(在位AC284-305年)が建てた図書館の柱の1本らしく、高さ28mの巨大なものである。材質は赤色花崗岩でCimg5616、昨日見学した切りかけのオベリスクがあるアスワンの石切り場から切り出されたもの、命名の由来については聞き漏らす。後者はローマ帝国支配時代の3世紀頃に造営された貴族階級の地下墓である。井戸のような円筒状の穴を螺旋階段を伝って降りて行く。地下には3階に亘って石棺様の窪みが沢山壁に穿たれている。後世拡張されて一般市民の墓にも使われたらしい。陰気臭くてあまり気持の良い所ではない。昼食に地中海の見えるレストランへ移動する頃雨も上る。排水溝が不備なのか街中が水浸し、洗濯物は雨に濡れるのも厭わず外干しである。 随分オンボロの市電が走っている。エジプト人は顔の造作が大きく、眼はグリグリ、はっとする美人は見当たらない。11:40~12:30のCimg5627間昼食、窓から眺める地中海は強風に白波が立つ。今日は荒れ模様の天気である。シーフード料理が出たがボラとイカ、エジプトへ来てまで何も鯔を食べなくても・・・案の定小骨が多くて不味。マイスタービールを飲むと麦芽100%であるのにすっきりして非常に美味い。エジプトのベストビールである。午後は総床面積が東京ドームの1.8個分というアレキサンドリア図書館を外から眺める。そして同じ道を再び2時間半かけてカイロへ戻る。同乗の警察官は手持ち無沙汰で寝てばかりいる。15:00カイロ市内ギザ地区に戻る。カイロも車の渋滞は半端でない。日本車の中では三菱のLANCERが目立つ。15:30今度は金製品の店(AQUA MARINE BAZAAR)へ案内される。自分の名前を彫り込んでもらうカルトーシュ型ペンダントやネフェルトアリ王妃を模ったペンダントが人気の的、女性の購買意欲は幾つになっても凄まじい。材質は18金といCimg5653うが?、持った感じはいやに軽い。添乗員氏と現地ガイド氏は早速カウンターの中に入り込み営業員に変身する。売れると何か余禄があるものと見える。16:50ナイル川畔に建つ正真正銘の5つ星ホテル、セミラミス(SEMIRAMIS INTERCONTINENTAL)にチェックイン、1139号室に入る。今回の旅行中最高のホテル、 部屋もベッドもゆったりしており、調度類の品も良い。 しかもベランダからナイル川とエジプト考古博物館が見える。NHKも入る。 久し振りに日本のニュースを視聴する。 ディナークルーズまで時間があるので、2日ぶりに風呂に入りさっぱりする。ベランダから見えるカイロの夜景は1万ドルクラス(?)、電力事情がよろしくないのか意外に暗い。19:10ロビー集合、ホテルから歩いて直ぐの乗船場へ行く。19:40出船、クルーズ船はナイル川をゆっくり流していく。バイキング式 の料理は代わり映えしないが、生バンドの演奏と歌姫がつき、ベリーダンスショーもある。踊り子はやや年増、お腹に肉がつき過ぎている。後から出てきた男性ダンサーの回転踊りの方は見ごたえ充分、三段スカートを翻し、ひたすら時計周りにくるくる回る。良く目が回らないもの、素晴らしい。ハイネケンビールを飲むと、AL AHRAM BEVERAGES CO.という地元の会社のライセンス生産品、良く出来ている。歌と踊りでエジプト最後の夜が更ける。21:30下船、風はやはり冷たく東京の冬と変らない。もう明日は帰国、早いものである。(続く)

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ヌビアの遺跡群(アブ・シンベル神殿)

2007年2月2日(金) 5:00起床、モスクの尖塔からコーランの祈りの声が響く。6:00朝食、ゆで卵、野菜サラダにオレンジジュースと軽めにする。SCはホテルに預け必要最小限の手荷物だけ持ってアスワン空港へ向う。エジプトの道路はインドに比べれば快適、両側のグリーンベルトには夾竹桃、鳳凰木、ブーゲンビリアなどの花木が植えられている。8:00空港着、安全検査は非常に厳しく出発ロビーに入るまで2回もある。ベルト、時計、メガネ、小銭など金属は何でも引Cimg5524っかかる。9:00搭乗、MS247便はほぼ満席、アブ・シンベルまで280㎞、僅か30分のフライトである。9:30離陸、直ぐに眼下にヌビア砂漠が広がる。 どこまでも淡褐色一色の単調で荒涼たる景色、その中に道路が一本真っ直ぐに走っている。9:56アブ・シンベル空港に着陸、10:20発のシャトルバス(乗り合いバス)に乗る。15分ほどで神殿近くのバスターミナルに到着、ナセル湖畔に建つ神殿に向って道は下って行く。日差しは強烈、サングラス無しでは眼が痛くなる。それでもさほど暑くないのが助かる。約3300年前にラムセス2世によって建立されたアブ・シンベル大神殿・小神殿はアスワンハイダムの建設による水没の運命にさらされたが、1964~68年ユネスコの協力によりナセル湖の水位が届かない60m上の台地に移転されたもの、 両神殿は今は少し離れているが、元来はもっと寄り添って建てられていたらしい。先ず大神殿の方から見物する。Cimg5526移築の際神殿をブロックに切り分けたため、組立の際後背部をコンクリートドームで補強してあるというが外から見る限り全く判らない。正面4体のラムセス2世坐像は像高20m、日本ならさしずめ相馬の百尺観音である。正面左から2体目が崩れているのはBC27年の大地震の為らしく、移転の際に修復することなく、元のままに頭部や胴体を転がしている。内部は当然ながら撮影禁止、奥行き60mの神殿内部 は大列柱室、前室、至聖所から成る。大列柱室の見所は、オシリス神の姿をした8体のラムセス2世像の柱、ヒッタイトとの壮大な戦闘場面を描いた浮彫(左右全く同じ図案、左の方が保存状態は良い)などである。前室は王妃ネフェルトアリのレリーフが美しい。至聖所には右からラー・ホルアクティ神(太陽神)、神格化したラムセス2世、アムン・ラー神(王の守護神)、プタハ神(万物の創造神)の4体の坐像が並んでいる。春分の日と秋分の日(ラムセス2世の誕生日と即位の日と説明するガイドもいる)である2月21日と10月21日に、太陽の光が至聖所の内部まで射し込み、ラムセス2世と神々Cimg5539 の像が光り輝くように設計されていたものらしい。移築に際し充分に配慮はなされたものの、今では1日後にずれてしまっているとのこと(→22日)、本当かどうかは自分の目で確かめていないので判らない。正妃ネフェルトアリのために造られた小神殿(ハトホル神殿)は、大神殿に比べれば一回り小さいというだけで、これまた堂々たる規模である。正面にはラムセス2世立像4体とネフェルトアリ立像2体が並ぶ。アフリカの澄み切った青い空にセピア色の神殿が良く映える。中に入ると列柱室の壁に彫られた図案は左右微妙に異なる。至聖所の天井や壁は例の如くコプト人の焚き火の煤で真っ黒である。それにしても機械も動力も無い古代によくも手彫りでこれだけの建造物を完成させたもの、ファラオの絶大な権力と技術集団の汗と涙に脱帽する。12:15シャトルバスに戻る。空港に着くと又も厳しい検査、ベルトを外したり靴を脱いだりの大騒ぎになる。13:05MS250便に搭乗し13:52アスワン空港に着陸する。バスでアスワン市内に戻り、エンジンボートでナイル川に浮かぶ島のレストラン(Aswan-Egypt)へ行く。Cimg5556 昼食はヌビア料理の羊肉シチュー(カバブ・ルーラ)、なかなかいける。宗教上の理由で酒類は出さないとのこと、ビールを飲み損なう。午後は古代の石切り場へ“切りかけのオベリスク”を見物に行く。赤花崗岩の石切り場に切り出し途中で放置されたオベリスクが横たわる。BC1500年頃のもので完成していればエジプト最大とされる大きさである。最後は香水(壜)屋に案内される。ガラス細工師がガラス管をバーナーで炙り、ラクダ形やランプ形の香水壜を作ってみせる。中に入れる香水は、クレオパトラやエジプトの女王、蓮の花などと名付けられ、どれでも35gが25ドル、植物から抽出した100%精油なので驚くほど安い。けれども最近の日本人は余り香水をつけないし、それにツアー女性の年齢が年齢、 あの齢で濃厚な香りをぷんぷん撒き散らされても困惑するばかり、迷惑だし、気の弱い男性なら卒倒しかねない。もっとメンバーを良く観て連れて来なくては、、、結局誰も買わない。17:00アスワン駅着、列車の発車まで時間があるので駅前のスーク(市場)を見学する。各種香辛料が山のように積まれている。中でもハイビスカスの花の乾燥品が目立つ。 よくホテルのWelcome drinkに出てくるが、色はともかく埃っぽくて美味しいものではない。ナイルエクスプレスに乗る外国人観光客が大型バスで続々集まってくる。17:50ナイルCimg5563エクスプレスに乗り込む。緑と淡いベージュの2色に塗り分けられた車体は、埃まみれで余り綺麗とはいえない。一等寝台車は2人一室のコンパートメント、広さは一畳半といったところ、SC2個を入れると一杯になる。それでも背もたれクッション付きの3人掛け椅子、洋服掛け、水道付き洗面台、食事テーブル、ダストボックス、大鏡、それに石鹸とタオルまで揃っている。コンパクトながら良く出来ている。トルコ、インド、ベトナムなどの寝台列車に較べれば最上等の天国、内鍵も掛けられる。18:17発車、カイロまで12時間の長旅が始まる。30分ほど経つと担当車掌が飲み物販売に来る。缶ビール1本(LUXOR CLASSIC)とマンゴージュース2本を買う。19:00夕食も運んでくる。肉の煮込み料理とパンのセット、筋肉で歯ごたえがあり過ぎる。噛み切れず飲み込むのに骨が折れる。何の肉なのか、ラクダ?まさか。20:00夕食の膳を片付けた車掌が今度はベッドを作りにくる。もっとも椅子を倒すだけで、毛布やシーツは既に敷いてある。枕を置いて出来上がり、チップに一人1ドル計2ドルを渡す。2段ベッドは幅がありフカフカ、歯磨きしてもぐりこむと適度な揺れも手伝い直ぐに眠くなる。(続く)

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ホルス神殿とコム・オンボ神殿

2007年2月1日(木) 4:30起床、髭を剃り日焼け止めクリームを塗る。 5:30朝食、生のナツメヤシを初めて食べる。 褐色で小さなプルーンほどの大きさ、見た目は冴えないが干し柿のような味で美味しい。6:30バスに乗り出発、ターミナルに一旦観光バスが集合し、コンボイ形式でアスワンまで南下するとのこと、前後に警察車両の護衛がつく。治安の悪い地域なのであろうが、エジプト政府が観光産業をいかに大事にしているかが分る。それというのもGDPに占める観光産業の比率は最大で、石油産業や農業より重きを成しているとのこと、特殊言語(日本語、Cimg5418中国語、韓国語、・・・)を話せるガイドのステータス(収入)は医者や弁護士、 教師などより高いらしい。それにしてはマハムード氏が36歳にもなって独身であることがどうにも解せないが・・・。7:00ターミナルに大型バスやマイクロバスが10台ほど勢揃いし出発する。軍団はナイル川沿いの道路を南下し110㎞先のエドフを目指す。緑地帯はナイル河岸から僅かに数百メートル幅しかない。樹木は殆どがナツメヤシで単調、それも埃を被って瑞々しさがない。エドフの町が近づくとバナナ畑が広がるようになり、道沿いにバナナを売る露店が建ち並ぶ。その辺りまで来ると運河にゴミが少なくなり水色も良くなる。 8:00路肩にずらりとバスを停めてトイレ休憩、チップは1LE要る。エジプトは何でもお金であるが、トイレチップは特に煩わしい。レストランでも博物館でも空港でもトイレには必ず番人がいる。お手拭用の紙をちぎってくれるのはよいが、二言目には「バクシーシ!」と言って手を伸ばしてくる。常に小銭を準備しておかねばならず、これでは出るものも出なくなる。安心してできるのはホテルの部屋と飛行機の中だけ、これでは膀胱Cimg5448炎や便秘になりかねない。再び出発、バスの中ではマハムード氏がTシャツとポロシャツの注文を取るのに忙しい。カルトーシュ(遺跡等に残る王名を記した楕円形)に注文者の名前を入れて刺繍したTシャツが15ドルでポロシャツなら20ドルとのこと、何でも日本人経営の縫製工場で加工するらしい。現地旅行会社もあれやこれやと抜け目がない。マハムード氏の語るところではエジプトの物価は安く、鶏1羽10LE(220円)、牛肉1㎏20LE(440円)、ガソリン1ℓ18円、アパートの家賃3,000円、 平均的給料が3万円とのこと、ざっと日本の10分の1から20分の1位である。とすると売らんとするTシャツ1枚が2万円にも3万円にも相当することになり、どうりで力が入る訳である。8:50エドフにあるホルス神殿に到着する。ホルス神殿はプトレマイオス朝時代(BC305~30年)に136年かけて建造されたもので未だ世界遺産に登録されてはいない。これは屋久島で樹齢1000年以下のスギを小杉と呼ぶのと同じようなもので、他の国にあれば真っ先に世界遺産に登録されてもおかしくない。エドフの町の守護神ハヤブサの神(ホルス神)に捧げられた神殿で、Cimg5437 保存状態も非常に良い。見所は高さ36mの巨大な塔門、入口上部には太陽神・蛇神・ホルス神の3神を表すレリーフが飾られている。列柱室の柱頭の装飾はヤシやパピルスをモチーフにし、エジプト様式とヘレニズム様式とが混在する。柱のカルトーシュの中に王名が記載されていないのは、プトレマイオス朝の諸王政権が短命であったことを示唆するらしい。後世コプト教徒(原始キリスト教信者)が神殿内に棲みつき、暖をとったり食事を作ったりしたために、柱上部や天井には真っ黒な煤が認められる。神殿内部は各国の観光客で大混雑、 ホルス神像と至聖所の前は写真を撮ることもままならない。10:10コム・オンボの町へ向け出発、エドフから更に60㎞南である。今度は一面にサトウキビ畑広がる。 ちょうど収穫時期で、馬車やトラックや貨車に刈り取ったサトウキビを満載し精糖工Cimg5457場へ運搬する姿を見ることができる。 サトウキビには夏キビ(紫色、糖度は並)と冬キビ(黄色、糖度が高い)があり、今の時期は後者である。11:20コム・オンボ神殿到着。コムとは小さな山、オンボは黄金を意味し、昔は金を産出した土地とのこと。コム・オンボ神殿は土地の守護神ホルス神(ハヤブサの神)とナイル河の神ソベク神(ワニの神)に捧げられたもので、BC93年頃のプトレマイオス7~10世の時代の建立である。2つの神に捧げられたために塔門の入口、通路、至聖所の全てが2組存在し、特異な二重神殿構造を持つ。列柱の浮き彫り には2,000年前の彩色が鮮やかに残っており感激する。湿潤な東南アジアや日本と違い、極度に乾燥した気候が遺跡の保存に一役買っているのであろう。植物の侵入がないだけでも随分違う。通路の壁画、至聖所の黒花崗岩製供物台、 ナイル川の水位を測る井戸、鰐のミイラなどを見学する。 13:15アスワン市内に入り、今宵の宿バスマホテル(BASMA HOTEL)のレストランで昼食を摂る。又もケバブが出る。ステラビールを飲むとDA臭があり不味、デザートの生ナツメヤシのみ美味しい。14:10一旦割り当ての部屋(546号室)に入り一休み、最高級の5つ星ホテルというが絨毯はじめ設備が旧い。勿論スリッパ、歯ブラシなどのアメニティーは一切無し、それでもMW1本がサービスされる。14:30再びロビーに集まり午後の観光へ出発。アスワンとは市場という意味で、昔から隊商の交易都市として栄えた所、今はCimg5484アスワン州の州都で近代的ビルが建ち並ぶ。 イギリス支配時代の1902年に完成したアスワンダムの堰堤上を通り、アギルキア島に建つ世界遺産のイシス神殿を遠望する。15:00アスワンハイダム着、1970年ドイツとソ連の協力により完成した巨大なダムは琵琶湖の面積の7.5倍という広大なナセル湖を出現させている。ナセル湖は全長500㎞に及ぶ途方もないスケールの人造湖であるが、堰堤は意外に低く、こんな落差で十分発電できるのか疑問になる。上流も下流も荒涼とした岩山と砂漠、 全く緑が見当たらない。日本のダム湖のイメージとは180度異なる。帰りにヌビア砂漠の赤い砂を少しサンプリングする。 アスワン市内に戻りナイル河畔からファルーカ(帆掛け舟)に乗る。風任せの舟遊び、アガサ・クリスティーが滞在Cimg5499_1し「ナイルに死す」(映画のタイトルは「ナイル川殺人事件」)を執筆したという最高級ホテル“OLD CATARACT”も見える。ナイル川もこの辺りでは清澄そのもの、川面を渡る風が涼しい。ヌビア人船頭の舟歌まで飛び出しゆったりと長閑な気分になる。いやにサービスが良いと思っていたら案の定、川の中ほどで船を停めるや石やラクダ骨や貝製のネックレス、腕輪などを並べ始める。買わないうちは船をぐるぐる廻して岸に着けてくれない。やれやれ、 とうとう皆何かは買わされる。17:00ホテルに戻る。日本人観光客は多い筈なのにどこのホテルでもNHKが入らない。電気ポットで湯を沸かし日本茶を淹れる。序にデジカメの充電も行う。19:00夕食、名物のターメイヤ(ソラマメのコロッケ)もいまいち、部屋に戻って又もカップ麺(マルちゃんの坦坦麺)を食べる。(続く)

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古代都市テーベと墓地遺跡

2007年1月31日(水) 6:00起床、快便、お腹の調子は悪くない。生野菜やカットフルーツを食べてもどうやら大丈夫な様である。7:00バイキング方式の朝食、さすがはシェラトン、パン、果物、野菜サラダ、ジャム、ドライフルーツ、コーヒーなど皆美味しい。レストランはナイル川に面し眺めも良い。Cimg5283_28:00ロビーに集合して出発、今日も長袖にチョッキ姿、空気はひんやりしているが陽光は早くも強烈である。今日はルクソール市のナイル川東岸・西岸に分布する世界遺産を終日観光する。 太陽が昇る東岸には生者の世界としての神殿群が、そして太陽が沈む西岸には死者の世界としての墓地遺跡群がある。先ずは西岸観光へ向う。バスの車窓から眺める西岸上空には観光用気球が何個も浮かんでいる。何でも上空から王家の谷を眺める趣向らしい。最初はメムノンの巨像、新王国絶頂期の王アメンホテプ3世(在位BC1402~1364年)の坐像であるが、一枚岩から削りだしたものではなく組み石方式で造られている。そのためローマ支配時代に起きた地震で崩れたらしく顔面など欠落部分が多く傷み激しい。 坐像の後にあったという葬祭殿は今は跡形もない。続いて王家の谷へ移動する。新王国時代(BC1565~1070年)の王墓62基が発見さCimg5308れている王家の谷は、リビア砂漠の外れ、一木一草もない荒涼とした岩山の奥深く、まさに隠れるように存在する。谷奥にはピラミッド型のテーベの峰が聳え、確かに死者の世界を思わせる。70LEの入場券で見学できるのは公開されている王墓のうちの3箇所まで、今回はマハムード氏の引率でラムセス4世、7世、9世の王墓を見学する。中ではラムセス4世の墓室が見事で、 壁面を埋めるヒエログリフ(神聖文字)テキスト、ホルス神に供物を捧げる王の浮彫、太陽の船のレリーフ、石棺の装飾などが美しい。墓室内の写真撮影は禁止、監視人が厳重に見張っている。NO.62のツタンカーメンの墓は別料金(80LE)、副葬品は最終日のエジプト考古学博物館で見学できるので入場を見送る。陽光が眩しくサングラス無しでは眼が痛くなる。それでも爽やかな気候で観光には今がベストシーズンであろう。10:45王家の谷近くに建ち並ぶ大理石店のひとつ(PIRAMIDS FACTORY FOR ALABASTER)に行きトイレ休憩。Cimg5328今でこそ大理石を加工販売して地道に暮らしているが、 昔は王墓の盗掘を生業(?)にしていた集落とのこと、とんでもない大金持ち揃いらしい。昨日のピラミッド内の登り降りのせいで腿の筋肉が痛む。西岸観光の最後はハトシェプスト女王葬祭殿、1997年11月11日のテロ事件で観光客60人が犠牲になった所である。葬祭殿はテーベ山の切り立った断崖を背にして建つ壮大な建造物で、ハトシェプスト女王(在位BC1490~1468年頃)の威勢を今に伝えているが、女王像や壁画などは次王トトメス3世によって破壊されたり削り取られたりしており見所は少ない。日差しが強烈になり大分気温が上がってくる。 これでは盛夏の観光はたまらない。昼食に東岸へ戻る。ルクソール市内のレストラン(GREEN LACE RESTAURANT)にて昼食。前菜にゴマペースト、サワークリーム、キャベツのマヨネーズ和え、茄子ペーストの皿が出て、それにアエーシ(円盤型のふにゃふにゃしたパン)を浸けて食べるのがエジプト流であるが、どれも味がぼけていて美味しくない。メインディッシュはケバブで、角切り肉(牛か羊?)とピCimg5373ーマン、タマネギ、トマトの煮込み料理、それに例の如く炒飯が付く。“食べられる”という程度の代物、ビールはサッカーラ(SAKARA)を飲むが味わいが薄く、DA臭と酸味があっていただけない。 午後の東岸観光の手始めはカルナック神殿、新王国の歴代諸王(トトメス1世、ハトシェプスト女王、トトメス3世、セティ1世、ラムセス2世、・・・)により新たな建造物が次々に寄進されたという巨大な複合神殿である。その中核をなすのはアメン大神殿、古代都市テーベの守護神アメンに捧げられたものである。羊頭のスフィンクス参道、ラムセス2世像、ラムセス2世が建てた大列柱室、トトメス1世が寄進したオベリスク(柱塔:22m)、ハトシェプスト女王が寄進したオベリスク(30m)などが見所、とにかく大きい。 オベリスクの先端から上部にかけて黄色っぽいのは黄金箔のキャップの名残とか、今から3000年以上も前に造られたことを思うと、全てが途方もないスケールと精緻極まる芸術性を備えている。設計者、施工者、監督者、職人などの優れた技術者・技能者の集団が存在したのである。聖なる池の傍らにあるスカラCimg5387ベの像を反時計周りに5回廻る。願い事が叶うらしい。その後ナイル川畔に建つルクソール神殿に移動する。ルクソール神殿はアメン大神殿の副神殿として、アメンヘテプ3世とラムセス2世により建立されたものであるが、規模は本神殿に勝るとも劣らない。 第一塔門前に建つオベリスクの1本は、19世紀中頃にフランスに寄贈されて今はコンコルド広場前に立っているとのこと、歴史の偶然がなせる業である。神殿は、塔門、中庭、列柱廊、至聖所から構成されており、至聖所の壁には後世のコプト教徒(原始キリスト教)が礼拝堂として利用した名残のフレスコ画が見られる。また、第一塔門に続く左側建物はイスラム時代にモスク(ガーマ・アブー・イルハッガーグ)として利用され、それが現在も活きている。巨大神殿の 見物の梯子は流石にくたびれる。16:30ホテルに戻り一服。18:25再びロビーに集合し、少し離れたホテルのレストランへ中華料理の夕食に行く。スープは美味であったが、エジプト風中華料理はいまいち、野菜ばかりで肉や魚が殆ど出ない。ホテルに戻って風呂に入る。風呂上りに両膝の上にサロンパスを貼る。昨日のピラミッド内昇降が予想外に応える。山登りで鍛えている積りであったが・・・使う筋肉が別とみえる。21:00頃ダウン。(続く)

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