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ホルス神殿とコム・オンボ神殿

2007年2月1日(木) 4:30起床、髭を剃り日焼け止めクリームを塗る。 5:30朝食、生のナツメヤシを初めて食べる。 褐色で小さなプルーンほどの大きさ、見た目は冴えないが干し柿のような味で美味しい。6:30バスに乗り出発、ターミナルに一旦観光バスが集合し、コンボイ形式でアスワンまで南下するとのこと、前後に警察車両の護衛がつく。治安の悪い地域なのであろうが、エジプト政府が観光産業をいかに大事にしているかが分る。それというのもGDPに占める観光産業の比率は最大で、石油産業や農業より重きを成しているとのこと、特殊言語(日本語、Cimg5418中国語、韓国語、・・・)を話せるガイドのステータス(収入)は医者や弁護士、 教師などより高いらしい。それにしてはマハムード氏が36歳にもなって独身であることがどうにも解せないが・・・。7:00ターミナルに大型バスやマイクロバスが10台ほど勢揃いし出発する。軍団はナイル川沿いの道路を南下し110㎞先のエドフを目指す。緑地帯はナイル河岸から僅かに数百メートル幅しかない。樹木は殆どがナツメヤシで単調、それも埃を被って瑞々しさがない。エドフの町が近づくとバナナ畑が広がるようになり、道沿いにバナナを売る露店が建ち並ぶ。その辺りまで来ると運河にゴミが少なくなり水色も良くなる。 8:00路肩にずらりとバスを停めてトイレ休憩、チップは1LE要る。エジプトは何でもお金であるが、トイレチップは特に煩わしい。レストランでも博物館でも空港でもトイレには必ず番人がいる。お手拭用の紙をちぎってくれるのはよいが、二言目には「バクシーシ!」と言って手を伸ばしてくる。常に小銭を準備しておかねばならず、これでは出るものも出なくなる。安心してできるのはホテルの部屋と飛行機の中だけ、これでは膀胱Cimg5448炎や便秘になりかねない。再び出発、バスの中ではマハムード氏がTシャツとポロシャツの注文を取るのに忙しい。カルトーシュ(遺跡等に残る王名を記した楕円形)に注文者の名前を入れて刺繍したTシャツが15ドルでポロシャツなら20ドルとのこと、何でも日本人経営の縫製工場で加工するらしい。現地旅行会社もあれやこれやと抜け目がない。マハムード氏の語るところではエジプトの物価は安く、鶏1羽10LE(220円)、牛肉1㎏20LE(440円)、ガソリン1ℓ18円、アパートの家賃3,000円、 平均的給料が3万円とのこと、ざっと日本の10分の1から20分の1位である。とすると売らんとするTシャツ1枚が2万円にも3万円にも相当することになり、どうりで力が入る訳である。8:50エドフにあるホルス神殿に到着する。ホルス神殿はプトレマイオス朝時代(BC305~30年)に136年かけて建造されたもので未だ世界遺産に登録されてはいない。これは屋久島で樹齢1000年以下のスギを小杉と呼ぶのと同じようなもので、他の国にあれば真っ先に世界遺産に登録されてもおかしくない。エドフの町の守護神ハヤブサの神(ホルス神)に捧げられた神殿で、Cimg5437 保存状態も非常に良い。見所は高さ36mの巨大な塔門、入口上部には太陽神・蛇神・ホルス神の3神を表すレリーフが飾られている。列柱室の柱頭の装飾はヤシやパピルスをモチーフにし、エジプト様式とヘレニズム様式とが混在する。柱のカルトーシュの中に王名が記載されていないのは、プトレマイオス朝の諸王政権が短命であったことを示唆するらしい。後世コプト教徒(原始キリスト教信者)が神殿内に棲みつき、暖をとったり食事を作ったりしたために、柱上部や天井には真っ黒な煤が認められる。神殿内部は各国の観光客で大混雑、 ホルス神像と至聖所の前は写真を撮ることもままならない。10:10コム・オンボの町へ向け出発、エドフから更に60㎞南である。今度は一面にサトウキビ畑広がる。 ちょうど収穫時期で、馬車やトラックや貨車に刈り取ったサトウキビを満載し精糖工Cimg5457場へ運搬する姿を見ることができる。 サトウキビには夏キビ(紫色、糖度は並)と冬キビ(黄色、糖度が高い)があり、今の時期は後者である。11:20コム・オンボ神殿到着。コムとは小さな山、オンボは黄金を意味し、昔は金を産出した土地とのこと。コム・オンボ神殿は土地の守護神ホルス神(ハヤブサの神)とナイル河の神ソベク神(ワニの神)に捧げられたもので、BC93年頃のプトレマイオス7~10世の時代の建立である。2つの神に捧げられたために塔門の入口、通路、至聖所の全てが2組存在し、特異な二重神殿構造を持つ。列柱の浮き彫り には2,000年前の彩色が鮮やかに残っており感激する。湿潤な東南アジアや日本と違い、極度に乾燥した気候が遺跡の保存に一役買っているのであろう。植物の侵入がないだけでも随分違う。通路の壁画、至聖所の黒花崗岩製供物台、 ナイル川の水位を測る井戸、鰐のミイラなどを見学する。 13:15アスワン市内に入り、今宵の宿バスマホテル(BASMA HOTEL)のレストランで昼食を摂る。又もケバブが出る。ステラビールを飲むとDA臭があり不味、デザートの生ナツメヤシのみ美味しい。14:10一旦割り当ての部屋(546号室)に入り一休み、最高級の5つ星ホテルというが絨毯はじめ設備が旧い。勿論スリッパ、歯ブラシなどのアメニティーは一切無し、それでもMW1本がサービスされる。14:30再びロビーに集まり午後の観光へ出発。アスワンとは市場という意味で、昔から隊商の交易都市として栄えた所、今はCimg5484アスワン州の州都で近代的ビルが建ち並ぶ。 イギリス支配時代の1902年に完成したアスワンダムの堰堤上を通り、アギルキア島に建つ世界遺産のイシス神殿を遠望する。15:00アスワンハイダム着、1970年ドイツとソ連の協力により完成した巨大なダムは琵琶湖の面積の7.5倍という広大なナセル湖を出現させている。ナセル湖は全長500㎞に及ぶ途方もないスケールの人造湖であるが、堰堤は意外に低く、こんな落差で十分発電できるのか疑問になる。上流も下流も荒涼とした岩山と砂漠、 全く緑が見当たらない。日本のダム湖のイメージとは180度異なる。帰りにヌビア砂漠の赤い砂を少しサンプリングする。 アスワン市内に戻りナイル河畔からファルーカ(帆掛け舟)に乗る。風任せの舟遊び、アガサ・クリスティーが滞在Cimg5499_1し「ナイルに死す」(映画のタイトルは「ナイル川殺人事件」)を執筆したという最高級ホテル“OLD CATARACT”も見える。ナイル川もこの辺りでは清澄そのもの、川面を渡る風が涼しい。ヌビア人船頭の舟歌まで飛び出しゆったりと長閑な気分になる。いやにサービスが良いと思っていたら案の定、川の中ほどで船を停めるや石やラクダ骨や貝製のネックレス、腕輪などを並べ始める。買わないうちは船をぐるぐる廻して岸に着けてくれない。やれやれ、 とうとう皆何かは買わされる。17:00ホテルに戻る。日本人観光客は多い筈なのにどこのホテルでもNHKが入らない。電気ポットで湯を沸かし日本茶を淹れる。序にデジカメの充電も行う。19:00夕食、名物のターメイヤ(ソラマメのコロッケ)もいまいち、部屋に戻って又もカップ麺(マルちゃんの坦坦麺)を食べる。(続く)

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