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イラン土産(2) ピスタチオナッツ

Dsc05776 ピスタチオは地中海沿岸原産のウルシ科の植物、新石器時代(BC7000頃)のアナトリア高原の遺跡調査(チャタル・ヒュイク遺跡)によると、各種の麦や豆の栽培とともに、ピスタチオと樫の実採取に基づく農耕社会が形成されていたという。日本ではアメリカのカリフォルニア産が有名であるが、生産量はイランが50%を占め世界一。写真の品は干しイチジクと一緒にエスファハーンの乾物屋で購入したもの、1キログラムで約1,000円、楽天市場の価格は品種により異なるが1,700円~2,000円程度なのでほぼ半値である。イラン土産のお勧めナンバー2。

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イラン土産(1) 干しイチジク

Dsc05773 イチジクは小アジア原産の桑科の植物、そういえばトルコのトロイ遺跡に素晴らしく大きなイチジクの樹があったことを想い出す。イチジクという語源は広辞苑によるとペルシア語から来ているという。即ち、中世ペルシア語のanjirの中国語での音訳語「映日果」(インジークォ)が更に転音したもの。ペルシア商人によりシルクロードを辿って中国にもたらされたものと思われる。日本にも中国を経て寛永年間(1624~44)に入っている。現在のイランでも大規模に栽培され、乾しイチジクに加工され販売されている。写真の品はエスファハーンの乾物屋で購入したもの、1キログラム500円と極めて安く、軟らかくて甘くて非常に美味しい。イラン土産のお勧めナンバーワン。

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イランのビール

Delster_pineapplenab1979年のイラン革命以降、国民にイスラム法の戒律を厳格に守る事が義務付けられ、体に悪いものは摂取しないというイスラムの教えから、酒類(アルコール)の販売や飲用は禁止されている。したがって現在のイラン人は甘党の人が多く、食事の際の飲み物もコーラやスプライト、或いはミネラルウオーターを頼んでいる。ノンアルコールビール(NAB)もあるが、ビールからアルコール分を除いただけの本格的(?)ノンアルコールビールではなく、香料、クエン酸、ビタミンC、砂糖などを加えたフルーツ風味の甘いものが多い。食事の友というよりも、イランは乾燥しているので止渇飲料として飲まれているようである。(写真はIRAN BEHNOUSH Co.製のDELSTER PINEAPPLE) 

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フィーン庭園/帰国

2007年11月25日(日) 6:30起床、今日はエスファハーンからテヘランまでバスで500㎞の長距離を移動する。P1060335途中カーシャーン市郊外にあるフィーン庭園を見物するだけでテヘラン空港へ直行、帰国の途に着くというスケジュール。 SCをドアの外へ出してから朝食へ下りる。目玉焼きとナツメヤシを食べコーヒーを飲む。8:00出発、今日も好天であるがテヘランは20日以来ずっと大雨だったとのこと、ついている。暫くは昨日走ったのと同じ道を北上する。飛ぶ鳥すらいない砂漠地帯、淡褐色の土石と丈の短いブッシュ以外は何も無い。10:35ガソリンスタンド兼ドライブインでトイレ休憩、売店でビスケットを買う。11:20フィーン庭園到着、サファヴィー朝のアッバース1世(在位1587~1629)の命により造られた典型的なペルシャ庭園である。立派な城門をくぐると正面に大きな泉池と離宮P1060338があり、糸杉の並木が両側に立っている。園内は各種の樹木(イチジク、センダンなど)が鬱蒼と茂り、湧水とカーリーズから導水された水とによる疎水が縦横に流れる。日本ならどこの町にもあるちょっとした親水公園であるが、イランのような索漠とした乾燥地帯では最高の贅沢、水と緑が何よりも貴重なことが一週間の滞在でも良く分かる。昔は庶民が立ち入ることなど許されない 王族だけのプライベート空間だったのであろう。離宮内に売店があり、バラ水、バラジャムなどを商っている。カーシャーンはバラの栽培が盛んらしい。敷地内にあるミニ博物館にはこの辺り(アブヤーネやカーシャーン)の民具や民P1060342族衣装が展示されている。12:20いよいよテヘランへ向け出発、イヤホンガイドを添乗員のKさんに返す。再びバスの中でメンバーとセフィー氏の間で質疑応答が始まる。「イランの食糧とエネルギーの自給率はほぼ100%」、「ガソリン価格は200リットル500円(リットル当り2.5円)」、 「家庭燃料はプロパンガス、料理、風呂、暖房に幾ら使っても月300円~400円」などと信じられないような羨ましい話が続く。食料品の価格も概ね日本の5分の一程度であるが、車や家電製品などの耐久消費財は日本の3倍はするとのこと、一長一短である。14:00サービスエP1060343リアのレストラン(MAHTAB FAST FOOD)で昼食、イランに来て初めてラム肉のステーキを食べる。籠に山盛りのナンと皿に山盛りのサフランライスがついてくる。周りのテーブルを見るとイラン人は皆健啖家、ナンもライスもきれいさっぱり平らげている。どうもナンは前菜(副食)でライスが主食のようである。15:00出発、あと100㎞、バスは一路テヘランのメフラーバード国際空港をめざしてひた走る。 やがて右手に広大な塩湖(ナマク湖?)が見えてくる。淡褐色の砂漠の中の雪のように真っ白な湖面が眩しい。工業塩を採取している湖で塩分濃度が高く、死海同様体が浮くらしい。また高い山が視界に現れる。上空には巨大な積乱雲が湧き上がり、いよいよ雨季の到来を告げている。 16:05警察官詰め所にタコメーターの記録紙を提出し、速度違反有無のチェックを受ける。右手にホメイニ廟が現れ、スモッグに霞むテヘラン市街が見えてくる。テヘラン市内に入ると相変わらずの渋滞ではあるが今日は幾分まし、アーザーディータワーの傍らを通過し、日没寸前の16:50空港ターミナル2に到着する。安全運転でここまで無事送り届けてくれたマンスリーさんに挨拶してからターミナルビルP1060368に入り、チェックインカウンターに並ぶ。手続きを済むせ、スルーガイドのセフィーさんにお礼とお別れを言って、出国検査を受けるためパスコンへ。18:00出発ロビーに入る。さあ土産物を買おうと思ったが、免税店のスペースは殆どがもぬけの殻で寂れている。聞けば、2004年に市の南に開港したエマーム・ホメイニー国際空港の方へ店舗が移ってしまったとのこと、それにしてもあんまりである。乗客も我々JTB組にグローバル旅行とユーラシア旅行の2組を合わせた日本人の40名がいるばかり、確かにこれでは商売にならない。 数少ない店のひとつでキャビアの缶詰の値段を見ると、オセトラ(ASETRA)が121米ドル、ベルーガ(BELUGA)が100~112米ドル、セブルーガ(SEVRUGA)は57米ドルとチョウザメの種類によって大分異なる。50グラム(もしかしたら28グラム?)入りでこの価格では年金暮らしの身には手が出ない。19:40搭乗、IR800便の31C席、トイレの横で前席が無いので足元はゆったりしている。隣席のイラン人はエディさん、日本人と結婚し海老名に15年も住んでいるとのこと、今回は里帰りを終えて日本へ戻るところである。機内はガラガラ、ジャンボ機の席が半分も埋まっていない。一人で3席、4席占領することが出来る。21:30一回目の食事が出る。すっかり馴染のNAB、DELSTERの缶を飲む。22:30時計を5時間半進め日本時間(26日4:00)に合わせる。(完)

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アブヤーネ村散策

2007年11月24日(土) 同じホテルに3連泊なので体が楽、6:45朝食に降りる。昨日と全く同じ料理が並び、結局目玉焼きと野菜サラダを取る。デザートはグレープフルーツにコーヒーと紅茶。8:30バスで出発、エスファハーンの北120㎞、キャルキャス山の麓にあるアブヤーネ村をめざす。アブヤーネ村は嘗てはゾロアスター教徒の集落だったところで、今でも昔ながらの風習が色濃く残っているらしい。云わばペルシアの原風景ともいうべき山村である。これは期待が持てる。同行者の話では、松本清張の著作「火の路」はゾロアスター教に題材を取ったものらしく、帰国したら是非読んでみようと思う。スモッグのせいかもしれないが天候は薄曇、エスファハーンの街路樹もプラタナス並木が続く。今日は週始めであるが(休日は木と金曜日)、P1060324 渋滞は少ない。9:30テヘランまで続くという高速道路(有料)の入口にすんなり辿り着く。制限速度120㎞/hの3車線の道は荒涼たる砂漠の中を貫いてどこまでも北へ延びる。やがて天空に聳える峨々たる山並が現れる。走行している道路の海抜が2,000mくらいなので、標高3,000~4,000mのスカイラインと思われる。ポツンポツンと現れる山麓の集落はみなオアシスらしい。山頂部に雪を戴く高山が見えてくる。恐らくこの辺りの山塊の最高峰、キャルキャス山(3,899m)と思われる。高速道路を下りてアブヤーネ村に通じる枝道に入る。 一応舗装されて入るがガタガタ、羊の群れを追う遊牧民の姿を見かけるようになり、マツやザクロなどの樹木も多くなる。渓谷沿いに道は登っていく。 アブヤーネ村は果物と野菜の産地で、アンズ、ザクロ、リンゴ、クP1060282ルミなどが沢山穫れるとのこと、事実今は柿がたわわに実っている。村民の懐は豊かで、子弟の大学進学率が高く、アメリカに移住して成功している人も多いらしい。11:15アブヤーネ村到着、山峡を吹きぬける風が冷たい。村唯一のホテル(アブヤーネ・ホテル)にバスを横付けしお手洗いを借りる。 谷の斜面に赤土壁の四角い家が階段状に建ち並ぶ。家が密集しており日本の山村風景とは趣が異なる。早速村内の散策を開始する。老人と子供しか見当たらない。若い人は近くの大きな町(カーシャーンやエスファハーン)へ出払っているらしく、年寄りが手持ち無沙汰に門口や路傍にぼんやり座り込んでいる。確かに服装は異色で、女性はカラフルな花柄のスカーフを被りミディ丈のスカート姿、男性は裾の広いズボンをはいている。土産物屋が2、3軒あるだけで 他には何も無い村であるが、P1060298ぶらぶら歩くうちにくつろいでのんびりした気分になる。シーラーズから観光に来たという女学生の一団に取り囲まれ、東洋人(日本人)が珍しいというので一緒の記念撮影をせがまれる。イランの一般の人々には親米政策をとる日本に対する変なわだかまりはなさそうである。むしろ日本で働いた経験がある人も多く、親日的でホスピタリティーに溢れている。治安も良く街中を一人で歩いていても不安を感じない。現政権の強硬ぶりに胸のうちでは困惑している知識人も多い。それでもアメリカとイスラエルだけは許せないのである。 12:40村内見学を終えてアブヤーネ・ホテルのレストランで昼食を取る。ナスP1060316の煮込み料理とカスピ海沿岸産という2㎝もある超長粒米のライスが出る。米はパサパサで全く粘り気がない。日本人にはちょっと馴染めない。DELSTERブランドのパイナップルとイチゴ風味の2種類のNABを飲む。14:00エスファハーンへの帰途に着く。バスの中でのセフィー氏の話、「学校は高校まで男女完全別学の上、公共交通機関の座席も男女別である」「結婚の申し込みは必ず男性側からプロポーズ、女性側がYES/NOの決定権を持つ」「殆どの男女が結婚するまで童貞と処女である」「体に悪いもの、たとえば酒(アルコール)は飲めない、タバコは吸えない」「砂袋を持たない鳥(カラスなどの肉食鳥)と鱗のない魚は食べない(理由は?)」「女性は外出時チャードルを着用し、他人に肌や髪を見せてはいけない」「男性も外出時半袖シャツや半ズボンは禁止」などなど。1979年の革命後イスラムの戒律を厳格に守るようになったイランの現在は実にストイックな社会である。P1060320 一見息苦しいようにも思えるが、何でもありの昨今の日本社会の乱れ様からみれば、親族殺人や自殺など信じられないというイランの方がまともに見える。15:00ナターズムの町に寄り、そこのジャーメ・モスク(金曜寺院)を拝観する。13~14世紀建立の寺院で、傍らのプラタナスの巨樹は樹齢2,000年とか。この辺りでは有名な寺院らしく参拝者が多い。17:00暮れなずむエスファハーンの街に入った途端、又も大渋滞に巻き込まれる。イランの大都市に共通する名物は交通渋滞である。17:40ホテルに帰着、お腹が痛いのを我慢してきたがぎりぎりセーフ、急いで部屋のトイレに駆け込む。夕食前に有志4人で絨緞を見に行く。マルチェさんとセフィーさんに案内されたのは神学校裏手にある怪しげな店、店内に入るや直ぐに従業員が表戸を閉めてしまう。缶詰状態にされて、政府保証とかいう高級じゅうたんを次々に広げて見せられる。1平方㎝当り140ノット(結び目)とかで、光沢、風合い、紋様とも申し分ないが如何せん高過ぎる。 玄関マットの大きさで1,600ドルもする。とても手が出ない。同行のご夫婦が2,400ドルもする品物を購入してくれたお陰で漸く解放される。マルチェ氏はほくほく顔、セフィー氏もにこにこ、どうらや2人にしてやられた感じ。ホテルに戻って皆で夕食にスイー・オ・セ橋(33橋の意味)近くのレストラン“33”へ行く。並んだ料理は鱒の唐揚げとおこげご飯、どちらも味はいまいち。夕食後33橋のライトアップを見物、若い人にはロマンチックかもしれないが、年寄りには冷たい風が応えるばかり、イランの秋も駆け足で去く。その後セフィーさんに乾物屋に連れて行ってもらい、お土産に乾しイチジクとピスタチオナッツを買う。前者が40,000RIs/㎏(480円)、後者が90,000RIs/㎏(1,080円)、確かに安い。21:30ホテルに戻る。早くも明日は帰国、風呂に入り、寝る前にSCの荷造りを行う。(続く)

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世界遺産「エスファハーンのエマーム広場」

2007年11月23日(金) 7:20起床、8:00朝食。目玉焼きと羊肉ハムを食べジュースを飲む。これまでのホテルの中で一番美味しい。キャッシャーで10ドルを両替してもらうと90,000リアル、空港よりレートが良い。風邪気味のメンバーに薬をあげようと部屋に戻ってSCを開けようとしたら開錠できない。先ほど閉めたばかりの錠前式の単純な鍵なのにいったいどうしたことか。夕方戻ってきたら対処することにして9:00市内観光に出発。なんとバスは昨日と同じ、運転手のマンスリーさんがシーラーズから8時間をかけ不眠不休でやってきたもの、イラン人は結構タフP1060189である。現地ガイドはマルチェさん、本業は英語教師とのことである。エスファハーンはイラン第4の都市(テヘラン>マシュハド>タブリーズ>エスファハーン)、1597年サファヴィー朝のアッバース大帝(1世)が都を置いたところで、イランの真珠とも称えられる国内屈指の観光地である。 奈良市と姉妹都市であり、先日サッカーアジアクラブチャンピオンの座を浦和レッズと争ったセパハンの本拠地でもある。最初の見学箇所は「チェヘル・ソトゥーン(40本の柱)宮殿」、1647年アッバース2世によって建造された宮殿で、前面の20本の柱が池の水面に映り40本に見えることからそのように呼ばれている。残念ながら池の水は抜かれており、逆さ宮殿は見られない。柱の材質は糸杉で、建築当時 は柱の全面にヴェネチア産の鏡が張られていたらしい。宮殿内は博物館になっており、 壁に描かれたトルコ・オスマン朝及びインドとの戦争図3枚と、宮廷内祝宴図3枚は見ごたえがある。また、千夜一夜物語を思わせる美貌の女人を描いた細密画もあり、当時の宮廷生活の華やかさが偲ばれる。インドのタージ・マハル建築に携わったのはエスファハーンから出向いた職人とのこと、美的センスが優れている訳である。二箇所目は「ジャーメ・モスク(金曜寺院)」、金曜日の礼拝にだけ使われるその町で最も格式の高い寺院である。 創建は8世紀にまで遡るエスファハーン最古のモスク、その後増改築を繰り返して現在に至っているため、様々な時代の建築様式、タイルワーク、アラベスク紋様なP1060212どが随所に見られ、イラン寺院建築の集大成とされている。タイルがまだ無かった時代に造られた日干しレンガの素朴なドーム、漆喰塗りの繊細なレリーフで飾られた芸術品ともいえるメフラーブ、秘密の地下礼拝堂などを順に拝観する。三箇所目は「ヴァーンク教会」、北の国境のジョルファから連れて来られたアルメニア人の居住区(ジョルファ地区)に建つ教会で1664年に完成したもの、 日干しレンガで出来ておりモスク様ドームを持つが、その先端に小さな十字架が立っておりキリスト教会だと分る。聖堂内の壁一面に旧約聖書の諸場面が描かれており、近年の修復により輪郭も色彩も鮮やかである。併設する博物館に入ると、ドイツで印刷された世界一小さい聖書(14頁、重さ0.7グラム)をはじめ、アルメニア人の故郷の聖山アララト山を描いた絵画、聖具類、民族衣装などが展示されている。 当時のサファヴィー朝の国教はイスラム教シーア派であるが、他の宗教に対しても寛容だったことが分る。市内のレストランで昼食、ザクロの果汁とクルミ粉を砂糖と一緒に煮詰めて作ったペースト状のものをライスやナンにつけて食べる。クルミの香ばしさとザクロの酸味がきいていてなかなかいける。また、ニンニクを丸ごとワインビネガーに漬けたピクルスも美味しい。考えてみればクルミ(胡桃)も柘榴もニンニク(葫)もイランが原産地、P1060247美味い筈である。ISTAKブランドの桃とレモンの香りをつけたNABを各1本飲む。昼食後、ザーヤンデ川に架かるハージュ橋を見物する。イラン高原最大の河川だけあって水量が豊かで、水色も意外に美しい。 イランの大都市は下水処理がきちんと行われていると見える。街中にもエジプトやトルコのようにゴミが散乱していることもないし、イランは清潔である。いよいよ今回の旅のハイライト、世界文化遺産の「エマーム広場」の見学に向う。嘗ては“世界の半分”と称えられた世界一美しい広場である。1598年アッバース1世が建設に着手し、完成まで数十年を要したという広場は縦510m、横163mの長方形をなし、その広場を囲むように東にシェイフ・ロトゥフォッラー・モスク、 西にアーリー・ガープ宮殿、南にエマーム・モスク(王の寺院)、北にバザールを配す。それらをつなぐ2層P1060240の回廊部分には200以上の店が軒を連ねている。壮大、壮麗、豪華、絢爛、イスラム美術の極致であり見る者を圧倒する。先ずイラン最初の高層建築、5階建てのアーリー・ガープ宮殿から見学を始める。生憎修復工事が入っていて3階から上へは行けなったが、2階屋上のバルコニーからエマーム広場の全体とエスファハーン市街地、その後背の山並みを眺める。宮殿内壁を飾る細密画(ミニアチュール) は40本の柱宮殿以上に素晴らしい。次いでシェイフ・ロトゥフォッラー・モスクへ。外壁も内壁も全てブルータイルで美しく飾られるこのモスクは、王族のプライベートモスクであるため、ミナレット(尖塔)や中庭は無くこじんまりしている。それでもアラベスク紋様のタイルワークは実に精緻で息を呑むほど美しい。最後はエマーム・モスクに入る。1612年から建設を開始して1638年の完成まで26年を要した巨大なモスクで、広場に面したエイヴァーンは圧巻である。銀製の重々しい大扉から中に入り、短い回廊を抜けて中庭に出ると、 45度斜め奥にメッカの方向を向いたエイヴァーンと中央礼拝堂の大ドームが目に飛び込んでくる。くの字型に折れ曲がる大胆な構造にまずびっくり。その上中央礼拝P1060257堂のドームは二重構造になっており、内部で発した音が何重にも反響するように設計されている。試しに手拍子を打てば少なくとも7回は木霊する。現地ガイドのマルチェさんがコーランの祈りの一節を唱えてくれる。まるで音楽のように堂内にろうろうと響き渡る。仏教の声明にそっくりである。エマーム広場のライトアップの時間までフリータイムになったので、回廊部分にある土産物店を一回りしてみる。 ラクダの骨の薄片に描いた細密画は50ドルから170ドルもする。アラベスク紋様のテーブルクロスは30ドル前後、ミーナー・カーリー(銅製の皿や壷にエナメルで彩色した製品)は50ドル前後、じゅうたんは玄関マットの大きさで20万円から30万円、いずれも高価で手が出ない。そのほか、金銀製品、菓子、絵葉書、乾物などを商う店や喫茶店、銀行などがある。シーズオフのせいか閉まっている店も多い。陽が落ちると木枯らしが吹き始め寒くなる。ライトアップされたエマーム広場を写真に収めてから、ホテルへ引き揚げる。17:50ホテル着、早速SCの鍵開けにとりかかる。スルーガイドのセフィーさんがどこかで調達してきたプライアーでは結局歯が立たず、レセプションに電話して金鋸を持ってきてもらう。ホテルの従業員に鍵を切断してもらい一件落着、1階の売店で購入した予備の鍵を取り付ける。18:45皆に一足遅れて地階のイタリアレストランへ夕食に行く。イランに来てイタリア料理というのも変だが、今晩のスパゲッティーが今までで一番美味しい。部屋に戻ってコーヒーを沸かし、ガイドブックを読み返して今日のおさらいをする。(続く)

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シーラーズ市内観光及びビシャプール遺跡

2007年11月22日(木) 6:00起床、まだ外は薄暗い。6:45食堂へ朝食に降りる。8:30市内観光に出発、外は結構冷える。最初の見学箇所は「アリー・エブネ・ハムゼ聖廟」、ドームのブルータイルが朝日に輝き美しい。一般に聖廟はモスクと違い、原則としてイスラム教徒以外は入れないとのことであるが、中には拝観を許している所もある。P1060125_3 入口で女性にチャードルを貸してくれる。内部は天井と壁の全てが鏡張りで眩いほど、中央にアリー・エブネ・ハムゼの棺が安置されている。二箇所目は「キャリーム・ハーン城塞」、ザンド朝(18世紀)時代にキャリーム・ハーンの居城として使われていた城塞で、市の中心にあるショハダー広場に面している。装飾を施された四隅の円塔と淡黄褐色の高い壁が印象的である。内部には入らず外から眺めただけで次の目的地へ移る。三箇所目は「コーランゲート」、エスファハーン方面からシーラーズに入る場合の入場門であるが、現在は幹線道路の傍らに平行して置かれている。P1060136_2 門の上部にある小部屋には古いコーランが置かれていて、旅人の安全を見守っているとのことである。四箇所目は「エラム庭園」、春には250種類のバラが咲き乱れるという楽園も、乾季の今は秋バラがぽつりぽつり咲いている程度である。庭園の真ん中に、ガージャル朝時代(1779~1925)の代表的建築物であるエラム宮殿が建ち、園内には樹齢300年の糸杉並木をはじめ、ザクロ、イチジク、ミカン、ビワなどの果樹も沢山植えられている。市民憩いの植物園で、カップルや家族連れ、それに写生に興じる女学生で賑わっている。散策にはもってこいの気候、フリータイムに園内をぶらぶら歩くと実に気持ちが良い。10:30エラム庭園見物を終えて、シーラーズの西方120㎞に位置するビシャプール(BISHAPOOR)遺跡へと向う。P1060140 通常の観光ルートでは案内しないサーサーン朝ペルシアの王都、しかも千夜一夜物語と関係有りということなので皆の期待大いに高まる。11:35途中の町にある唯一のレストラン(CHESHMEH RESTAURANT)で早目の昼食、有り体に言えばドライブインである。鶏の串焼き、サラダ、ヨーグルト、ライスのメニューは田舎臭い味付けで塩辛い。本格的NABのKHOSH GOVARを1本飲む。それにしても大都会の高級レストランでも、こんな片田舎の食堂でも、請求される金額はNAB一本につき10,000RIs、どうもおかしい。 それと、イランに来て以来毎日野菜サラダをどんぶり一杯食べているがお腹の調子はなんとも無い。カットフルーツも酸っぱいヨーグルトも問題なし。乾燥気候のお陰かもしれないが案外衛生状態は良い。12:30昼食を終え先へ進む。海抜2,000m級の峠越えにさしかかると、グランドキャニオンを思わせる渓谷と、妙義山を巨大にしたような岩山が現れる。地層が積み重なり褶曲しているのが見て取れる。P1060157_2 木も疎らに生えているものの、樹種は単調で広葉樹が一種類だけ、荒涼としたセピア色の世界が続く。イランの国土は懐が深く、どこまで走っても風景はなかなか変らない。14:25ようやくビシャプール遺跡に着く。サーサーン朝のシャープール1世(在位AC241~271)時代の都の跡であるが、ガイドブック「地球の歩き方」にも出ていないスポット、ここまで来る観光客は(特に外国人は)殆どいないようである。 それが証拠に説明版の文字がペルシア語だけで皆目判らない。山峡の河谷の左岸台地上に、崩れたままの廃墟があるだけで、まだまだ観光客を呼べるレベルに至っていない。 本格的な修復はこれからで、壷などの発掘品は管理棟傍らのテントに雑然と収納されている。それでも遺跡入口にミニ博物館を建設中であり、将来は観光スポットとして脚光を浴びるようになるかもしれぬ。礼拝所、謁見の間、ワレリアンの牢獄などを一巡りするが、2時間半もかけて来る価値があるとはやはり思えない。旅行会社のパンフP1060173レットにはお勧めポイントの第一に掲げられているが、誇大広告ではないのかとメンバーも騒ぎ出す始末。大体、千夜一夜物語に出てくる実在の王名はアッバース朝(AC749~1038)のもので、よく調べてみれば時代がずれている。 こんな索漠とした廃墟に艶めかしさを期待してくる方もどうかしているが・・・。同じ河谷の右岸の崖に彫りこまれたレリーフも見学する。サーサーン朝第4代ワフラーム1世(在位273~276)の戴冠式の様子や、ローマ帝国やアラブとの交戦の様子が描かれ、保存状態が良い。これらのレリーフを観て長時間のドライブにようやく納得する。河の水は底石がくまなく見えるほど美しく、魚影も沢山認められる。16:00シーラーズへ向け往路を戻る。早くも空に満月がかかる。19:00コーランゲートに着きトイレ休憩、19:35シーラーズ国際空港に到着、SCをチェックインカウンターに預けてから空港ビル内レストランで夕食をとる。蒸しチキンにどっさりのサフランライス、誰も食欲がない。香辛料は穏やかであるが、イラン料理はどうも口に合わない。21:15エスファハーン経由テヘラン行きIR328便に乗り込む。機体はロシア製か、珍しく新しい。スチュワーデスも皆飛び切りの美人、これなら良い。直ぐに飛び立ち1時間弱でエスファハーン空港に着く。迎えのバスに乗り、アリカプホテル(ALIQUPA HOTEL)に23:30チェックイン、201号室に入る。ISO9001の認証を受けている街中の4つ星ホテル、設備は旧いがツインベッドがあり、浴槽も広くて深い。アメニティーも何でも揃っている。先ず風呂に入ってさっぱりしてから、カップラーメン(エースコックのわかめ)を食べる。やれやれ、カップラーメンが一番美味いとは・・・、1:00頃ダウン。(続く)

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世界遺産「パサルガダエ」と「ペルセポリス」

2007年11月21日(水) 6:30MCで起きる。ホテル朝食をパスし、SCのスペースを空けるためカップラーメンを食べる。部屋の窓から外を眺めるとシーラーズの街並と後背の禿山が眺められる。今日も好天である。7:30コーヒーを飲みに食堂へ下りる。コーヒーを頼むとインスタントのネスカフェの袋を持ってくる。ナツメヤシが軟らかくて甘くて美味しい。8:00バスに乗り出発、運転手は今日から最終日まで担当するマンスリーさん、現地ガイドは妙齢の美人ヘイダリーさん、ヘイダリーさんは日本語が話せないのでセフィーさんが通訳する。ファールス州の人口は約550万人、州都シーラーズ市の人口は180万人でイラン第5の都市である。ザーグロス山脈P1050980の山麓、海抜1,530mの高原に位置し、穏やかな気候はブドウの生産に適している。革命前はワインの銘醸地であったらしい。ペルシア帝国発祥の地で、イランではエスファハーンに次ぐ屈指の観光地、今日は近郊にある世界文化遺産、「パサルガダエ」や「ペルセポリス」などの遺跡を巡る。市街地を抜けたバスは北東130㎞にあるパサルガダエめざして幹線道路を淡々と走る。周りの景色は変化に乏しく、淡褐色の乾いた大地がどこまでも広がる。山は草木とて無い岩土の禿山、平原には枯れ色のブッシュが点々と生い茂る。時々僅かに松や糸杉が緑を添える。また耕作地らしき所は地下水による灌漑農業が行われており、米と麦(或いはトウモロコシ)の二毛作、場合によってはヒマワリや野菜も作るらしく案外地味は肥えている。道路はインドや中国に比べれば快適、但し枝道は殆どが未舗装である。要所要所に検問所があり、観光バスP1060004やトラックはタコメーターの記録を警察官に提出し、スピード違反の有無をチェックされる。GPSの積載義務もあるとのことで完全な監視社会である。沿道には立派な石油精製施設もある。 村に入ると民家は日干しレンガ造り、失業率が高いのか昼日中からぶらぶらしている人が目立つ。10:00パサルガダエ遺跡に着く。キュロス大王(2世、在位BC559~530)のもとでBC546年頃に建設が始められたアケメネス朝ペルシア(BC550~BC333)の最初の都の跡である。2500年の時が経ち、古形を保つのはキュロス大王の墓とされる石積みのピラミッドだけ、2つの宮殿とゾロアスター教の神殿は殆ど崩れており、保存状態も修復状態も良くない。経済的に余裕が出来たら本格的修復に着手するとのことであるが、今のままではわざわざ来てみても見所少なく、壮麗なペルシアの都を想像することは難しい。遺跡に明るい秋の陽射しが降り注ぎ、乾いた風P1060088が流れる。まさに兵どもが夢の跡である。 11:15再びバスに乗り、来た道をシーラーズ方面へ戻る。12:15二箇所目の見学箇所ナグシェ・ロスタムに到着。道路近くの岩山の断崖にアケメネス朝時代の王墓が4箇所、ギリシャ十字形に彫り込まれている。向って左から、アルタクセルクセス1世、クセルクセス1世、ダレイオス1世(在位BC522~486)、ダレイオス2世の墓とされている。墓の下部にはササーン朝ペルシア時代(AC226~651)に描かれたレリーフも残り、中でもシャールプール1世と捕虜となった東ローマ皇帝ヴァレリアヌスを描いた「騎馬戦勝図」と、アルデシール1世を描いた「騎馬叙任式図」は見事である。傍らには先ほどパサルガダエで観たゾロアスター教の神殿がほぼ完全な形で残っている。 昼食はその辺りで唯一のレストラン、“ラーネイエ・ターヴース(LANEH TAVOOS)”、噴水プールの傍らでナスの煮込み料理を食べる。P106008314:20今回のイラン旅行のハイライト、世界遺産のペルセポリスに着く。大型観光バスが100台以上も入る広大な駐車場にバスは僅かに2台だけ、これでは観光業者はあがったりで、入口のショッピングセンターもシャッターを下ろしている店が多い。何時の世も苦しむのは一般市民である。ペルセポリスはBC512年頃ダレイオス1世によって建設が開始され、 その子クセルクセス1世によって完成された宗教都市といわれている。111段の左側の大階段(右側は工事中)を登ってクセルクセス門から見学を開始する。儀仗兵の通路、未完成の門、百柱の間、東階段のレリーフ、ダレイオス1世の宮殿“タチャル”、博物館の順に巡る。ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡とともに「中東の3P」と呼ばれるだけあってさすがに壮大、修復もかなり進んでいる。見所は多いが圧巻は謁見の間へ通じる東階段のレリーフ、王への貢物を手にした23の属国の使者の姿が見事に描き分けられている。P1060091 23国は、メディア、エラム、パルティア、ソグド、エジプト、バクトリア、ドランギアナ、アルメニア、バビロニア、キリキア、スキタイ、イオニア、サマルカンド、フェニキア、カッパドキア、リディア、アランコシア、インド、マケドニア、アラビア、アッシリア、リビア、エチオピアとされ、西はトルコから東はインドまでの強大な世界帝国であったことが良く分る。フリータイムになったので後背のラフマト山中腹の崖に彫りこまれたアルタクセルクセス2世の墓まで登ってみる。様式はナグシェ・ロスタムと同じで、中央石室には巨大な石棺が安置されている。ラフマト山の上空に半月が昇る。廃墟と化した嘗ての栄光の都を、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズタ(“翼ある日輪”として表現される)が今も静かに見守っている。16:10バスに戻りシーラーズへ向けて出発。スルーガイドのセフィー氏によると、今のイランでは観光ガイドだけでは食べられず、皆別の仕事も持っているとのこと、2000年頃までは日本人もドイツ人も大勢来て大忙しだったが最近はさっぱり、むしろアラブ諸国からイスラム教関係者の来訪が増えている。韓国人、中国人も増えつつあるというが全く姿を見かけない。シーラーズ市内に入り、ハーフェズ廟に寄る。ハーフェズ(1325-1389)はイランで最も愛されている抒情詩人、その詩集はコーラン同様家庭に必ず1冊はあるという。ライトアップされた廟の境内はカップルや家族連れで賑わう。18:20ホテルに戻る。夕食はホテル1階のレストラン、ペルシア湾産という白身魚のフライが美味しい。(続く)

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テヘラン市内観光

2007年11月20日(火) 6:40起床、もう日本は正午である。ひげを剃り日焼け止めクリームを塗ってから階下へ朝食に降りる。厚めのナン(バルバリー)と固ヨーグルトとメロンは美味、スイカとコーヒーは不味い。食後外へ出てみると暑くも寒くもなしといった快適な気候、但し空はスモッグでどんよりしており、建物も道往く人の服装も空と同じく地味でくすんでいる。街路樹はプラタナスの大樹、道路の両端に側溝が設けられ、その中を綺麗な水が流れている。アルボルズ山P1050875脈の雪融け水とのことで灌漑用水らしい。空気が乾燥しているためドアノブの静電気がすごい。9:30バスに乗り市内観光へ出発、市内の道路という道路は大渋滞、我先に割り込んできては数㎝のところで衝突を回避する神技のような運転にひやひやの連続。街角には軍人や警察官の姿が目立つ。 3年くらい前までは旧式車が多く大気汚染は遥かにひどかったらしい。今はKIAなどの韓国車が多く、ベンツやトヨタも混じる。10:00最初の見物箇所の「サアダーバード宮殿博物館」の入口に着く。イラン最後の王朝パフラヴィー王家(1925~1979年)の夏の離宮である。シャトルバスに乗り換え、110ヘクタールと広大な敷地の最上部まで上がって「緑宮殿」を見学する。緑色大理石で造られた瀟洒な建物の内部にはお宝がぎっしり詰まっている。フランス製や英国製の家具及び調度品、金糸と銀糸で編んだカーテン、黄金の燭台、黄金の体重計、バカラ製P1050918ガラス食器などなど、ごてごてした成金趣味の代物が室内を飾る。王家だけが富(オイルマネー)を独占して贅の限りを尽くしていたことが良く分る。ここにはイラクのフセイン大統領も3泊したというが、どうしてこんな建物を博物館として公開しているのか意図が判らない。革命後の現政府からみれば悪の巣窟のような所であるが、反面教師としているのであろうか。それはともかく敷地内には樹木が多い。プラタナスの葉がはらはらと散りテヘランの秋も今がたけなわ、美しい景色である。それにしても外国人の観光客が殆ど見当たらない。 これも経済制裁の影響と思われる。バスに乗って市内へ戻る。二箇所目の見学箇所は「ガラス&陶器博物館」(アーブギーネ博物館)、着いた時はちょうど12:00、祈りの時間を知らせるアザーンの声が街中に響き渡る。01二階建てのこじんまりした建物の中に、紀元前400年から現在に至る様々な陶磁器やガラス製品が年代順、用途別に並べられている。正倉院の宝物そっくりのカットガラス椀が2個もある。窓から射し込む光を受けて刻々表情を変える水差しや涙壷の優美な曲線は素晴らしい。昼食は市内のレストランで伝統的煮込み料理を食べる。円筒型の石鍋で牛肉と豆とトマトをじっくり煮込んだもの、エジプトで食べたヌビア料理に似ている。 ビールは無いのでノンアルコールビール(NAB)を飲む。DELSTERという銘柄で、香料を使いレモン風味をつけたもの、飲みやすいが食事の友には合わない。値段は10,000RIs(120円)。三箇所目の見物箇所は「宝石博物館」、なんとイラン中央銀行の地下金庫の中である。警戒は厳重を極め、セキュリティーチェックとボディーチェックは空港より厳しい。内部にはバッグを始めカメラなども一切持ち込めない。やはりパフラヴィー王家が所有していた宝石コレクションが所狭しと並べられ、その豪華絢爛ぶりはトプカプ宮殿の宝物館をも凌駕する。3,000個以上のダイアモンドを埋め込んだ“パフラヴィークラウン”、26,000個の宝石を散りばめた“孔雀の玉座”、51,366個の宝石が埋め込まれた“宝石の地球儀”、世界最大182カラットのピンクダイアモンド“光の海”、他にもイエローダイアモンド、ブルーダイアモンド、エメラルP1050937ド、ルビー、これでもかこれでもかと云わんばかりで感心するよりも富と権力への執着に呆れてしまう。 何もかもがキンキラしていてげんなり、地上へ出るとほっとする。最後の見学箇所は「イラン考古学博物館」、こちらの方がずっと落ち着く。イラン全土から収集されたBC5000年から19世紀に至る発掘品や美術品が年代順に並べられている。1時間ではじっくり鑑賞することは出来ず、ペルセポリスから移設した「ダレイオス1世の謁見図」「牡牛の柱頭」「階段のレリーフ」などの主なものだけ駆け足で観て回る。見学を終えて外へ出ると珍しく雨、植物も人間もほっとする季節(雨季)到来である。 何せテヘランの年間降水量はたったの250mm、街行く人は誰も傘をささず濡れるのを楽しんでいるかP1050945の様。16:30外はすっかり暗くなる。相変わらずの渋滞の中をレストランへ。夕食はウズラの串焼きと野菜スープとサラダのメニュー、ビールがないので仕方なくNABを飲む。19:00空港へ向う。やはり大渋滞、日本なら普通の雨だがイランでは大雨らしく、少し雨脚が強まる。途中路線バス専用ラインを走って違反キップを切られるハプニングもあり、空港到着は遅れに遅れる。ぎりぎりセーフでチェックインし、21:45発シーラーズ行きB9(イランエアツアーズ)940便に乗り込む。これまたオンボロ飛行機である。23:00シーラーズ空港に無事着陸、迎えのバスに乗る。23:55今宵の宿アリョ・バザンホテル(ARYO BARZAN HOTEL)にチェックイン、501号室に入る。やはり4つ星ホテルでアメニティーは何でも揃っているものの、いやに浴槽が小さい。深浅2段式で半身浴も無理、これではまるで足湯である。いったいどのように使うのか?。シャワーを浴びると1:15、連日の御前さま。(続く)

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栄光のペルシャ 千夜一夜物語8日間

2007年11月19日(月) 今秋一番の冷え込み、日本海側は北海道、青森から新潟まで雪、湯沢や水上も雪である。10:30家人に送ってもらい南柏駅へ。今日から8日間のイラン旅行の始まり。成田駅で空港行き電車を待つ間に、鮭お握りと缶コーヒーで昼食を済ませる。12:45成田空港第2ターミP1050853ナル着、スカイポーターのカウンターで昨日運んでもらったスーツケース(SC)を受け取る。AIUカウンターで海外旅行保険に加入してからJTB旅物語の受付カウンターへ行く。 添乗員はKさんという小柄で目がくりっとした30歳台と思しき女性である。同行のメンバーは自分も入れて12名、内訳はご夫婦3組、女性の2人組、一人参加4名である。両替所で3万円を米ドルに替える。13:50 IRAN AIRのカウンターでチェックイン、SCを預けてから安全検査、出国検査を済ませゲート71へ向う。IR801便テヘラン行きはソウル経由、15:00搭乗すると機内はがらがら、100席以上空いているとのことで中央の4席を独占する。機種はB747spであるが、耐用年数をとっくに過ぎたと思わP1050855れる極め付きの旧式、機体はガタガタでこれでテヘランまで無事飛べるのかと心配になる。 米欧の経済制裁により新型機を買えないらしい。16:10漸く離陸、車輪格納時キーキー、ゴトゴトすごい音がする。16:40一回目の食事が出る。宗教上の理由からアルコール類は一切禁止とのことで飲み物はコカコーラ、これで長時間のフライトに耐えるかと思うと辛い。個人用端末は勿論なし、その上映画や音楽のサービスも無い。スクリーンには現在の飛行位置が映るばかりで単調そのもの、おまけに飛行速度も660㎞と遅い。18:30仁川国際空港に着陸、一旦機外へ出る。搭乗券半券と引き換えにTransit Passenger Cardをもらい、再び手荷物検査を受ける。19:30再搭乗、新たな乗客が加わり8割方座席が埋まる。P1050858ソウルからテヘランまでの距離6,528㎞、飛行時間9時間15分、ここからが長い。順番待ちなのかなかなか飛び立たない。21:00雷雨の中を漸く離陸、時間つぶしに浅田次郎の「珍妃の井戸」を読む。21:40再び食事が出る。飲み物は又もコカコーラ、やれやれ。北京上空からゴビ砂漠上空へ、スピードも750㎞にアップ。23:00時計を5時間半遅らせて現地時間(17:30)に合わせる。機はチベット高原の北辺をかすめて飛んでいく。19:45タリム盆地の北、ウルムチ辺りの上空、あと3,500㎞、5時間。21:50タシケント上空、あと1,950㎞、3時間。23:10もうすぐカスピ海という所で機内照明が点る。すかさず軽食とお茶が出る。 イラン航空は食事面のサービスは良い。P10508700:26メフラバード国際空港に安着、外気温13℃、自宅を出てから既に20時間が経つ。それにしても薄暗く地味な空港である。 入国審査にえらく時間がかかる。係官同士がおしゃべりしていてパスポートチェックが捗らない。ようやく入国を許され、両替所で10ドルをイラン・リアル(RIs)に替えると85,000RIs、イランもインフレである。現地ガイドはセフィーさん、40歳くらいのスリムな男性である。来日経験3度、日本語はぺらぺら、早稲田で製本業に従事していたらしい。1:35迎えのバスに乗り込み深夜のテヘラン市街を走る。1:55テヘラン・エンゲラーブホテル(ENGHELAB HOTEL)着、4ツ星の高級ホテルであるがいかにも旧式、440号室に入る。ガウン、スリッパなどさすがにアメニティーは何でも揃っている。とりあえず風呂に入りさっぱりすると3:10、明日のモーニングコール(MC)は8:00、もう5時間もない。(続く)

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手造り干し芋

Dsc05770 2007年11月18日(日) 寒気も和らぎ暖かい日、松本市の「マンションで田舎暮らし」を実践するMさんの真似をして乾燥芋を作ってみることにしました。Mさんのホームページにある「手作り食品・干し芋」のレシピを参考にして、近くのスーパーで購入してきた紅吾妻を、20分ほど蒸してから皮をむき、5㎜~1㎝の厚さに切り、笊の上に広げて2階のベランダに干しました。一週間ほどで出来上がるそうですが今から楽しみです。本場茨城県ひたちなか市周辺で採れるさつまいも(玉豊種)から作る干しいもと同じぐらい美味しくなると良いのですが・・・。

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セイゴ(セッパ)の唐揚げ

Photo 2007年11月16日(金) 魚ときのこ用の専用冷凍庫がいよいよ満杯になってきましたので、備蓄してきたセイゴの一部を取り出し唐揚げを作ってもらいました。もともと淡白な白身魚なのでどんな料理にも合うのですが、唐揚げにすると油の旨味と香ばしさが加わり一段と美味、ビールの肴として申し分の無い一品になりました。

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花桃酒その後

Dsc057442007年11月14日(水) 浸漬から3ケ月経って飴色(液層が厚い場合)の美しい酒に仕上がりました。試飲してみると梅酒に近い味わいですが、やや淡白で僅かに苦味が感じられます。グラスに入れると蜜柑色というか黄金色というか美しいリキュールで、果実酒としては上等の部類に入ると思います。これ以上苦味が出てくるといけないのでそろそろ実を引上げるタイミングかもしれません。

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鶴ケ鳥屋山で出逢ったキノコ

P10508212007年11月13日(火) 中央線初狩駅の西に大きく尾根を広げる鶴ケ鳥屋山に登り、晩秋の静かな山歩きを楽しんできました。11月の中旬ともなるとキノコもめっきり少なくなり、アシグロタケ、イタチタケ、ウバノカサ?、オトメノカサ、キヌメリイグチ、サルノコシカケ科の一種、ツリガネタケ、ドクベニタケ、ニガクリタケ、ホコリタケの10種類を見つけただけにとどまりました。山中にはブナやミズナラが多いのでヒラタケやムキタケが採れるのではと期待して出かけましたが空振りに終わりました。(写真はアシグロタケ)  

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東京モーターショー2007

P10507542007年11月8日(木)11:30~16:00 今日はぐっと趣向を変えて東京モーターショーの見物、ずいぶん久し振りに幕張メッセに行ってきました。残る会期もあと4日、平日なので割合空いていましたが、主催者発表によると本日の入場者数は60,500人(累計1,119,400人)とのこと、若者の自動車離れが進み一時は200万人を越えたこともあるモーターショー人気も下降気味です。1,300円の当日券を買い北ホール(商用車・二輪車展示)、中央ホール、東ホール、西ホール (3ホールとも乗用車展示)の順に観て回りましたが、人気車種や美人コンパニオンの前は黒山の人だかり、写真撮影も順番待ちの状態でした。見学者の中には、コンパニオンや未来カーには目もくれず、ひたすらボンネットやドアを開けてはガスケットやネジ等の撮影に専念している人もおりました。おそらく部品メーカーの人だと思いますが、華やかなショーの影で厳しい企業間競争が繰り広げられているようです。デジカメの電池が切れたので引き揚げてきましたが、眼福の一日でした。

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シロカノシタのバター炒め

Photo11月6日(火) 昨日鍋料理にして不評だったシロカノシタを今日はバター炒めにしてみました。万全を期すため、予め茹でこぼし甘ったるい匂いを除いてからバターで炒めました。幾分の改善はありましたが美味とまでは言いかねます。食べられるという程度、苦労して持ち帰ったのに残念です。

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ムンク展(国立西洋美術館)

101 2007年11月6日(火) 芸術の秋を楽しむべく家人を連れて久し振りに上野の国立西洋美術館へ。開催中のムンク展を鑑賞する。出展作品108点のうち3点を除き所蔵先は全てオスロ市立ムンク美術館、1990年の北欧旅行でオスロに行った時のコースに組み込まれていたのはヴァイキング船博物館とコンティキ号博物館とフログネル公園のみ、ムンク美術館には立ち寄れず心残りになっていた案件がこれで幾分解消できる。展示内容は装飾画家としてのムンクに光を当てたもの、会場は「第1章〈生命のフリーズ〉:装飾への道」「第2章〈人魚〉:アクセル・ハイベルク邸の装飾」「第3章〈リンデ・フリーズ〉:マックス・リンデ邸の装飾」「第4章〈ラインハルト・フリーズ〉:ベルリン小劇場の装飾」「第5章〈オーラ〉:オスロ大学講堂の壁画」「第6章〈フレイア・フリーズ〉:チョコレート工場の装飾」「第7章〈労働者フリーズ〉:オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト」の7区画に分けられ、装飾画家としての軌跡を辿れるものとなっている。ただムンクが遺言でオスロ市に寄贈した作品数は、油絵が1,100点、スケッチが4,500点、版画が18,000点にも及ぶ膨大なもの、それだけあれば今後も色々な切り口で展覧会が出来る。出展作品の中のお気に入りは「声/夏の夜」と「マドンナ」の2点、後者は大原美術館でも観ている。カタログを購入し、常設展をさっと観てから国立西洋美術館を後にする。丁度12時を回ったところなので、上野駅構内のパスタ専門店BRAVOに入りお昼を食べる。

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シロカノシタの鍋料理

Photo2007年11月5日(月) 神楽山で採取してきたシロカノシタを、豚肉や野菜と一緒に煮込み料理にして食べてみました。やや老菌だったせいか(もしかすると採取地に由来する問題かも知れませんが・・)バタースコッチのような甘ったるい香りが強く美味とは言いかねます。これまでお吸い物などにして結構美味しく食べてきましたが、今回で小宅に於けるシロカノシタの評判はすっかり下落しました(「私のキノコ図鑑(Ⅰ)」の評価も☆☆★から☆☆に下げました)。  

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アカモミタケのお澄まし

Photo_22007年11月5日(月) 夕食にアカモミタケのお澄ましを作ってもらい早速試食しました。ハツタケと同じくキノコ自体はボソボソした食感で美味とは言いかねますが、汁の方に非常に良いダシが出ています。ハツタケに匹敵する美味な出汁きのこであることが分りました。モミの木の周囲に無造作に生えていて簡単に見つけることが出来るし、なによりハツタケより大型なので収量も期待できます。来年からは競争相手も苦労も多い 海岸のハツタケ採りをやめて、低山でアカモミタケを探すことに決めました。

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九鬼山塊で採取した食用菌

P1050540 2007年11月4日(日) 富士急行線の禾生(かせい)駅から九鬼山に登り、馬立山、御前山、神楽山と縦走して中央線の猿橋駅へ下山しましたが(姉妹編ブログ「自惚山人ノオト」の「401.九鬼山から神楽山」の項に詳述してあります)、その時にアカモミタケ、シロカノシタ、ナラタケの3種類の食用菌を採取してきました。付着する汚れや落葉を丁寧に洗い落とし、塩水に浸けて一晩虫出しした後、アカモミタケはお吸い物、シロカノシタはバター炒めと鍋物、ナラタケは天麩羅にするつもりです。 アカモミタケは初めて食べるキノコなのでとても楽しみです。 

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九鬼山から神楽山への縦走で出逢ったキノコ

P10504402007年11月4日(日) 近所の公園では見ることが出来ないキノコを求めて、再び山梨県の山を歩いてきました。標高が1,000mに満たない山を選んだのが功を奏し、今回は30種類余のキノコに出逢うことができました。最大の収穫は念願のアカモミタケを見つけた事ですが、他は馴染の薄いキノコが多く図鑑を調べても簡単には同定できません。多くの種名の後に?が付いているのはそのためです。顕微鏡や染色液を揃えればもう少し自信を持って同定できると思いますが、そうなると在職中の仕事の延長になりかねず、又、まだまだ観光旅行にも釣りにも行きたいし、百観音霊場や四国八十八箇所霊場巡りも残ってい01るしで、悩んでいます。
《見つけたきのこ》 1.アカモミタケ、2.イタチナミハタケ、3.ウラベニホテイシメジ、4.ウラムラサキ?、5.オトメノカサ、6.キアブラシメジ?、7.キシメジ科の不明種、8.クヌギタケ、9.サルノコシカケ科、10.シロカノシタ、11.チシオヒメノカサ?、12.チャナメツムタケ?、13.ツガサルノコシカケ、14.ドウシンタケ?、15.ドクベニタケ、16.ナラタケ、17.ヌメリガサ科(ハダイロガサ?)、18.ハイイロシメジ?、19.ヒメワカフサタケ?、20.ヒョウモンクロシメジ?、21~22.フウセンタケ科の不明種2種、23.フサヒメホウキタケ、24.ベニタケ科、25.ホウキタケ科、26.マメホコリ(変形菌)、27.ミヤマオチバタケ?、28.ムツノウラベニタケ、29.ムレオオフウセンタケ?、30.モエギタケ科、31.モリノカレバタケ、32.ワサビタケ(写真は上がアカモミタケ、下はムツノウラベニタケ)             

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ナラタケの雑炊

0912007年11月3日(土)  昨日ふるさとの森で採取してきたナラタケを使い、味噌味のきのこ雑炊を昼に作ってもらいました。ナラタケ幼菌特有のしゃきしゃきした歯ざわりとほんのり甘い風味が感じられ、秋寒の日にはぴったりの体も心も温まる一品でした。

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九十九里浜きのこ狩り

2007年10月30日(火) 今日は家人と一緒にきのこ狩り、9:00自宅を出発し先週ハツタケ10本を採った横芝海浜の森へ行きました。Dsc05443途中道の駅おらい蓮沼で休憩し、11:30に栗山川漁港に着きました。車を岸壁に駐車し松林へ繰り出しましたが、あの後大勢の人が入ったのか積もった松葉が隈なく掘り返されています。きのこ採りの人も数人いましたがせいぜいハツタケ数本程度の収穫、先週のバケツ一杯の勢いはありません。あちこち歩き回り掘り返して、二人がかりでやっと見つけたハツタケ5本もカビに侵されたものや老菌ばかり、もう時期が遅いようです。やむなく蓮沼海浜公園へ移動し定点観察コースを一回りしました。14:00まで目を皿のようにして探した結果、ようやくハツタケ1本とアミタケ1本を見つけることが出来ました。どちらの松林も大勢の人が毎日のように入り込んでおり、よほど朝早く来なければ成果を上げるのは難しそうです。他に林内に発生していたキノコは、キチチタケ(大発生)、コテングタケ(そろそろ終盤)、ドクベニタケ(大発生)、ニセマツカサシメジ(出始め)などで、2週間前に大発生していたチチアワタケは殆ど姿を消しておりました。帰路、芝山はにわ街道沿いの露店で野菜(親芋、里芋、ネギ、シシトウなど)をどっさり買い、それを土産に帰宅しました。

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シナノスイート

Dsc05447 2007年10月29日(月) 信州の秋リンゴ、ふじとつがるの交配種で以前は“あじぴか” という名前だったそうです。高級リンゴで、特秀品の大玉は1個600円から800円もするとのこと、写真の中玉品は娘が浦和のクイーンズ伊勢丹で250円で購入してきたものです。早速ご馳走になりました。小宅にとっては1個250円でも超のつく高級品、おそるおそる一口かじりました。美味い!、美味しい!、絶品!。香りが良く、甘味酸味のバランスが良く、硬過ぎず軟らか過ぎずで食感も良く、百点満点のリンゴです。こんな美味しいリンゴは生まれて初めてです。(その後南柏駅前のマミーマートで2個300円で売られているのを見かけました。お店により大分売値に幅があるようです)

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いつでもキノコ

0212007年10月28日(日) 岳温泉。大学の同期会のため前日から宿泊していた福島県岳温泉のホテル光雲閣の裏山に続く遊歩道(木洩れ日散歩道)を朝食前に歩きました。もちろんキノコ観察のためです。前日の台風20号の雨で林内はしっとりと濡れ、①オツネンタケモドキ、②クヌギタケ、③センボンクズタケ、④ワサビタケの4種類を観察することが出来ました。このうちクヌギタケとワサビタケは初めての出逢い、写真差し替えのオツネンタケモドキとともに「私のキノコ図鑑(Ⅰ)」に登録しました。(写真上はオツネンタケモドキ)

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ホテイシメジ(キシメジ科カヤタケ属)

01 2007年10月24日(水) 同じく滝子山。カラマツ林のあちこちで発生していました。食菌ですが、アルコールと一緒に摂取すると中毒して悪酔い状態になるので有毒としている図鑑もあり、注意が必要です。原因は体内のアルコール分解酵素を阻害する成分(コプリン)を含むためで、摂食後3日から一週間は禁酒の必要があるそうです。という訳で試食用の味噌汁はとっくに出来あがっていますが、どうしようかと思案中です。ホテイダマシといって見かけはそっくりで中毒しないタイプもあるらしいので、清水の舞台から飛び降りるつもりで、思い切って食べてみようかと、今晩あたり・・・風味については又後ほど。(→11月2日試食。食感が良くきのこ自体に旨味を感じます。天然きのこの中ではかなり美味しい部類に入ります。評価は☆☆☆★)

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