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アブヤーネ村散策

2007年11月24日(土) 同じホテルに3連泊なので体が楽、6:45朝食に降りる。昨日と全く同じ料理が並び、結局目玉焼きと野菜サラダを取る。デザートはグレープフルーツにコーヒーと紅茶。8:30バスで出発、エスファハーンの北120㎞、キャルキャス山の麓にあるアブヤーネ村をめざす。アブヤーネ村は嘗てはゾロアスター教徒の集落だったところで、今でも昔ながらの風習が色濃く残っているらしい。云わばペルシアの原風景ともいうべき山村である。これは期待が持てる。同行者の話では、松本清張の著作「火の路」はゾロアスター教に題材を取ったものらしく、帰国したら是非読んでみようと思う。スモッグのせいかもしれないが天候は薄曇、エスファハーンの街路樹もプラタナス並木が続く。今日は週始めであるが(休日は木と金曜日)、P1060324 渋滞は少ない。9:30テヘランまで続くという高速道路(有料)の入口にすんなり辿り着く。制限速度120㎞/hの3車線の道は荒涼たる砂漠の中を貫いてどこまでも北へ延びる。やがて天空に聳える峨々たる山並が現れる。走行している道路の海抜が2,000mくらいなので、標高3,000~4,000mのスカイラインと思われる。ポツンポツンと現れる山麓の集落はみなオアシスらしい。山頂部に雪を戴く高山が見えてくる。恐らくこの辺りの山塊の最高峰、キャルキャス山(3,899m)と思われる。高速道路を下りてアブヤーネ村に通じる枝道に入る。 一応舗装されて入るがガタガタ、羊の群れを追う遊牧民の姿を見かけるようになり、マツやザクロなどの樹木も多くなる。渓谷沿いに道は登っていく。 アブヤーネ村は果物と野菜の産地で、アンズ、ザクロ、リンゴ、クP1060282ルミなどが沢山穫れるとのこと、事実今は柿がたわわに実っている。村民の懐は豊かで、子弟の大学進学率が高く、アメリカに移住して成功している人も多いらしい。11:15アブヤーネ村到着、山峡を吹きぬける風が冷たい。村唯一のホテル(アブヤーネ・ホテル)にバスを横付けしお手洗いを借りる。 谷の斜面に赤土壁の四角い家が階段状に建ち並ぶ。家が密集しており日本の山村風景とは趣が異なる。早速村内の散策を開始する。老人と子供しか見当たらない。若い人は近くの大きな町(カーシャーンやエスファハーン)へ出払っているらしく、年寄りが手持ち無沙汰に門口や路傍にぼんやり座り込んでいる。確かに服装は異色で、女性はカラフルな花柄のスカーフを被りミディ丈のスカート姿、男性は裾の広いズボンをはいている。土産物屋が2、3軒あるだけで 他には何も無い村であるが、P1060298ぶらぶら歩くうちにくつろいでのんびりした気分になる。シーラーズから観光に来たという女学生の一団に取り囲まれ、東洋人(日本人)が珍しいというので一緒の記念撮影をせがまれる。イランの一般の人々には親米政策をとる日本に対する変なわだかまりはなさそうである。むしろ日本で働いた経験がある人も多く、親日的でホスピタリティーに溢れている。治安も良く街中を一人で歩いていても不安を感じない。現政権の強硬ぶりに胸のうちでは困惑している知識人も多い。それでもアメリカとイスラエルだけは許せないのである。 12:40村内見学を終えてアブヤーネ・ホテルのレストランで昼食を取る。ナスP1060316の煮込み料理とカスピ海沿岸産という2㎝もある超長粒米のライスが出る。米はパサパサで全く粘り気がない。日本人にはちょっと馴染めない。DELSTERブランドのパイナップルとイチゴ風味の2種類のNABを飲む。14:00エスファハーンへの帰途に着く。バスの中でのセフィー氏の話、「学校は高校まで男女完全別学の上、公共交通機関の座席も男女別である」「結婚の申し込みは必ず男性側からプロポーズ、女性側がYES/NOの決定権を持つ」「殆どの男女が結婚するまで童貞と処女である」「体に悪いもの、たとえば酒(アルコール)は飲めない、タバコは吸えない」「砂袋を持たない鳥(カラスなどの肉食鳥)と鱗のない魚は食べない(理由は?)」「女性は外出時チャードルを着用し、他人に肌や髪を見せてはいけない」「男性も外出時半袖シャツや半ズボンは禁止」などなど。1979年の革命後イスラムの戒律を厳格に守るようになったイランの現在は実にストイックな社会である。P1060320 一見息苦しいようにも思えるが、何でもありの昨今の日本社会の乱れ様からみれば、親族殺人や自殺など信じられないというイランの方がまともに見える。15:00ナターズムの町に寄り、そこのジャーメ・モスク(金曜寺院)を拝観する。13~14世紀建立の寺院で、傍らのプラタナスの巨樹は樹齢2,000年とか。この辺りでは有名な寺院らしく参拝者が多い。17:00暮れなずむエスファハーンの街に入った途端、又も大渋滞に巻き込まれる。イランの大都市に共通する名物は交通渋滞である。17:40ホテルに帰着、お腹が痛いのを我慢してきたがぎりぎりセーフ、急いで部屋のトイレに駆け込む。夕食前に有志4人で絨緞を見に行く。マルチェさんとセフィーさんに案内されたのは神学校裏手にある怪しげな店、店内に入るや直ぐに従業員が表戸を閉めてしまう。缶詰状態にされて、政府保証とかいう高級じゅうたんを次々に広げて見せられる。1平方㎝当り140ノット(結び目)とかで、光沢、風合い、紋様とも申し分ないが如何せん高過ぎる。 玄関マットの大きさで1,600ドルもする。とても手が出ない。同行のご夫婦が2,400ドルもする品物を購入してくれたお陰で漸く解放される。マルチェ氏はほくほく顔、セフィー氏もにこにこ、どうらや2人にしてやられた感じ。ホテルに戻って皆で夕食にスイー・オ・セ橋(33橋の意味)近くのレストラン“33”へ行く。並んだ料理は鱒の唐揚げとおこげご飯、どちらも味はいまいち。夕食後33橋のライトアップを見物、若い人にはロマンチックかもしれないが、年寄りには冷たい風が応えるばかり、イランの秋も駆け足で去く。その後セフィーさんに乾物屋に連れて行ってもらい、お土産に乾しイチジクとピスタチオナッツを買う。前者が40,000RIs/㎏(480円)、後者が90,000RIs/㎏(1,080円)、確かに安い。21:30ホテルに戻る。早くも明日は帰国、風呂に入り、寝る前にSCの荷造りを行う。(続く)

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