« テヘラン市内観光 | トップページ | シーラーズ市内観光及びビシャプール遺跡 »

世界遺産「パサルガダエ」と「ペルセポリス」

2007年11月21日(水) 6:30MCで起きる。ホテル朝食をパスし、SCのスペースを空けるためカップラーメンを食べる。部屋の窓から外を眺めるとシーラーズの街並と後背の禿山が眺められる。今日も好天である。7:30コーヒーを飲みに食堂へ下りる。コーヒーを頼むとインスタントのネスカフェの袋を持ってくる。ナツメヤシが軟らかくて甘くて美味しい。8:00バスに乗り出発、運転手は今日から最終日まで担当するマンスリーさん、現地ガイドは妙齢の美人ヘイダリーさん、ヘイダリーさんは日本語が話せないのでセフィーさんが通訳する。ファールス州の人口は約550万人、州都シーラーズ市の人口は180万人でイラン第5の都市である。ザーグロス山脈P1050980の山麓、海抜1,530mの高原に位置し、穏やかな気候はブドウの生産に適している。革命前はワインの銘醸地であったらしい。ペルシア帝国発祥の地で、イランではエスファハーンに次ぐ屈指の観光地、今日は近郊にある世界文化遺産、「パサルガダエ」や「ペルセポリス」などの遺跡を巡る。市街地を抜けたバスは北東130㎞にあるパサルガダエめざして幹線道路を淡々と走る。周りの景色は変化に乏しく、淡褐色の乾いた大地がどこまでも広がる。山は草木とて無い岩土の禿山、平原には枯れ色のブッシュが点々と生い茂る。時々僅かに松や糸杉が緑を添える。また耕作地らしき所は地下水による灌漑農業が行われており、米と麦(或いはトウモロコシ)の二毛作、場合によってはヒマワリや野菜も作るらしく案外地味は肥えている。道路はインドや中国に比べれば快適、但し枝道は殆どが未舗装である。要所要所に検問所があり、観光バスP1060004やトラックはタコメーターの記録を警察官に提出し、スピード違反の有無をチェックされる。GPSの積載義務もあるとのことで完全な監視社会である。沿道には立派な石油精製施設もある。 村に入ると民家は日干しレンガ造り、失業率が高いのか昼日中からぶらぶらしている人が目立つ。10:00パサルガダエ遺跡に着く。キュロス大王(2世、在位BC559~530)のもとでBC546年頃に建設が始められたアケメネス朝ペルシア(BC550~BC333)の最初の都の跡である。2500年の時が経ち、古形を保つのはキュロス大王の墓とされる石積みのピラミッドだけ、2つの宮殿とゾロアスター教の神殿は殆ど崩れており、保存状態も修復状態も良くない。経済的に余裕が出来たら本格的修復に着手するとのことであるが、今のままではわざわざ来てみても見所少なく、壮麗なペルシアの都を想像することは難しい。遺跡に明るい秋の陽射しが降り注ぎ、乾いた風P1060088が流れる。まさに兵どもが夢の跡である。 11:15再びバスに乗り、来た道をシーラーズ方面へ戻る。12:15二箇所目の見学箇所ナグシェ・ロスタムに到着。道路近くの岩山の断崖にアケメネス朝時代の王墓が4箇所、ギリシャ十字形に彫り込まれている。向って左から、アルタクセルクセス1世、クセルクセス1世、ダレイオス1世(在位BC522~486)、ダレイオス2世の墓とされている。墓の下部にはササーン朝ペルシア時代(AC226~651)に描かれたレリーフも残り、中でもシャールプール1世と捕虜となった東ローマ皇帝ヴァレリアヌスを描いた「騎馬戦勝図」と、アルデシール1世を描いた「騎馬叙任式図」は見事である。傍らには先ほどパサルガダエで観たゾロアスター教の神殿がほぼ完全な形で残っている。 昼食はその辺りで唯一のレストラン、“ラーネイエ・ターヴース(LANEH TAVOOS)”、噴水プールの傍らでナスの煮込み料理を食べる。P106008314:20今回のイラン旅行のハイライト、世界遺産のペルセポリスに着く。大型観光バスが100台以上も入る広大な駐車場にバスは僅かに2台だけ、これでは観光業者はあがったりで、入口のショッピングセンターもシャッターを下ろしている店が多い。何時の世も苦しむのは一般市民である。ペルセポリスはBC512年頃ダレイオス1世によって建設が開始され、 その子クセルクセス1世によって完成された宗教都市といわれている。111段の左側の大階段(右側は工事中)を登ってクセルクセス門から見学を開始する。儀仗兵の通路、未完成の門、百柱の間、東階段のレリーフ、ダレイオス1世の宮殿“タチャル”、博物館の順に巡る。ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡とともに「中東の3P」と呼ばれるだけあってさすがに壮大、修復もかなり進んでいる。見所は多いが圧巻は謁見の間へ通じる東階段のレリーフ、王への貢物を手にした23の属国の使者の姿が見事に描き分けられている。P1060091 23国は、メディア、エラム、パルティア、ソグド、エジプト、バクトリア、ドランギアナ、アルメニア、バビロニア、キリキア、スキタイ、イオニア、サマルカンド、フェニキア、カッパドキア、リディア、アランコシア、インド、マケドニア、アラビア、アッシリア、リビア、エチオピアとされ、西はトルコから東はインドまでの強大な世界帝国であったことが良く分る。フリータイムになったので後背のラフマト山中腹の崖に彫りこまれたアルタクセルクセス2世の墓まで登ってみる。様式はナグシェ・ロスタムと同じで、中央石室には巨大な石棺が安置されている。ラフマト山の上空に半月が昇る。廃墟と化した嘗ての栄光の都を、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズタ(“翼ある日輪”として表現される)が今も静かに見守っている。16:10バスに戻りシーラーズへ向けて出発。スルーガイドのセフィー氏によると、今のイランでは観光ガイドだけでは食べられず、皆別の仕事も持っているとのこと、2000年頃までは日本人もドイツ人も大勢来て大忙しだったが最近はさっぱり、むしろアラブ諸国からイスラム教関係者の来訪が増えている。韓国人、中国人も増えつつあるというが全く姿を見かけない。シーラーズ市内に入り、ハーフェズ廟に寄る。ハーフェズ(1325-1389)はイランで最も愛されている抒情詩人、その詩集はコーラン同様家庭に必ず1冊はあるという。ライトアップされた廟の境内はカップルや家族連れで賑わう。18:20ホテルに戻る。夕食はホテル1階のレストラン、ペルシア湾産という白身魚のフライが美味しい。(続く)

|

« テヘラン市内観光 | トップページ | シーラーズ市内観光及びビシャプール遺跡 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« テヘラン市内観光 | トップページ | シーラーズ市内観光及びビシャプール遺跡 »