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高山不動尊

2008年2月16日(土) 奥武蔵の関八州見晴台に登る途中、日野の高幡不動、千葉の成田不動とともに関東の三大不動といわれる高山不動にお参りしました。掲げられている国宝高山Dsc06095不動尊縁起略記を見ると、「当山は今から千三百二十有余年前人皇三十六代孝徳天皇の御代蘇我氏が横暴をきわめてより大職官鎌足公は中大兄皇子と力を合わせ蘇我氏を討たせらる。然るにその末統が関東に落ち延びともすれば叛旗を翻さんとし東国の地安定せざるにより、白雉五年鎌足公の第二子長覚坊上人、大和国三輪神社の別当宝勝坊上人、藤原の臣岩田三兄弟の五人を関東視察に差し遣せらる。此の五 人が常に不動明王を信仰し長覚坊上人が不動尊荷負い来たり関東諸方巡錫の後、当高山に登りたる処関八州を一眸の内に収め東国平定の根本道場たるの山相を感得したるにより、Dsc06109 国家安穏東国平定鎮護のために一宇建立して不動尊を安置し此の趣を鎌足公に上申したる処鎌足公より三十八代清明天皇に上奉同帝より勅願所として長覚寺不動明王の寺号と三萬六千余坪の御除地を賜る。(現在の見晴台、奥の院の所に建立す) 其の後四十四代元正天皇の御代行基菩薩は詔を奉じて登山参籠せられし際、 一人の老翁現われ、我は当嶺に鎮座す国造三輪明神也、今我が像を刻して当嶺に留め東国の守護神として鎮座すべしと御宣託在って当翁は五大尊不動明王の御尊像と化さる。行基菩薩は宝玉を感得したれば直に一根五木の大木を切って、五大尊明王の御尊像を彫刻して宝殿に安置したる。(現在文化財に指定されている軍荼利明王像は行基作五大尊の内一体なり) 皇室の帰依は勿論民衆の信仰深くその為に一山三十六坊相立って盛況をみる。宗祖弘法大師は秩父霊場巡錫の砌り、当山に登り三七日二十一座八千枚の護摩供の秘法を修して眞言両部の秘法を伝える。人皇七十四代鳥羽法王の御代に到り、当院住職覚監法印Dsc06114、醍醐山に登り三宝院勝賢僧正より法流を受け醍醐派となるとともに眞言両部神道の大道場となるも明治維新後神仏分離により知山派となる。三宝院勝賢僧正当山不動明王の霊験奇瑞なるを鳥羽法王に推挙せし処御感銘あらせられ不動明王の大幅を御納めあり今に秘蔵の七夕不動の大幅なり。建久三年源頼朝公より武運長久の祈願の為め御除地を賜る。又足利義政公より祈願料として御除地を賜り長禄元年銀製太刀一振奉納あり。徳川家康公より御除地を賜り尚、天正十九年吾野郷の内二石領を不動領として御寄進あり。其の後代々徳川家より御朱印地を賜る。代々将軍を初め一般民衆の信仰厚く、しかるに文政十三年十二月十四日民家の失火により御本堂初め仁王門、神楽殿、本坊、御師等一山焼失す。其の後現在の御本堂は飯能地方の棟梁により再建におよぶ。」とあり、現在はやや寂れていますが由緒ある古寺名刹であることが分ります。

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