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ハリギリの若芽

Dsc06400 2008年3月28日(金) 増尾城址公園へきのこ観察に行った序に、近くの山林でハリギリの新芽を採る。ウコギ科の植物の新芽は何でも食べられるが、えぐみが一番強烈なハリギリが旨さも又最高である。コシアブラ、タラノキ、ヤマウドなどウコギ科の中でも人気がある山菜は、山でも公園でも競争率が高く、その新芽は悉く折り取られていることが多いが(タラノキなどは新芽が伸びる前に枝ごと切り取られている始末)、ハリギリは不人気なのか或いはまだ知られていないのか、有り難いことにそっくり残っている。20mにもなる高木なので大木の新芽は採取しにくいが、その周辺には採り易い高さの若木が沢山生えている。塩ひとつまみ加えた熱湯で5分ほど茹で、冷水にとって10分ほどさらしてから、おひたし、和え物、煮物にする。また、生のまま天麩羅にする(個人的にはこれが一番)。

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土筆(つくし)摘み

Dsc06392 2008年3月27日(木) 今日は近所にある流山市の向小金ふるさとの森でツクシを摘みました。胞子穂がまだ開いていない摘み頃のものが沢山出ています。嬉しくなってついつい愛唱歌の「つくしんぼ」を口ずさみます。「破れ傘でもふたりでさして 肩をすぼめて歩く街 つくしんぼつくしんぼ 人生一行はみでたような あなたの夢につきあって つくしんぼつくしんぼ わたしあなたにつくしんぼ」(市川昭介作曲、水木かおる作詞、都はるみ唄)。土筆のツクシンボと歌のつくしんぼは全く関係ありませんが、ひょっとしたら深層心理のなせる業かもしれません。ともかくもツクシを沢山採ることができました。持ち帰って早速柄のハカマを外す前処理を行います。アク抜きする必要は無く、おひたし、きんぴら、和え物、煮物、酢の物、汁の実、卵とじ、煮浸し、天麩羅、菜めし、炒め物など何にでも合います。ツクシンボを食べた家人が翌日からつくしんぼに変身する・・・なんて旨い話があると良いのですが。 「ふたりだけしか見えない橋が 架かっているのねこの道に つくしんぼつくしんぼ 人生横丁うしろにまわり 糸くずそっととりながら つくしんぼつくしんぼ 春を呼ぶ呼ぶつくしんぼ」、まあ現実には夢のまた夢。

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竹寺(たけでら)

Dsc063622008年3月23日(日) 武蔵野32番札所の子の権現にお参りした足で、同33番札所の竹寺にもお参りしてきました。 竹寺というのは通称で、正しくは医王山薬寿院八王寺といいます。竹寺の略縁起には、『天安元年丑年(857年)、慈覚大師東国巡修の折、疫病流行し患者の多きを憐れみて、当山を道場として大護摩の秘法を修し、一切の障難を除き、疫病を降伏し病患を除かししめんことを誓い、一刀三礼して尊像を造り、世の人を救い後世に遺し給えり。以来東国霊場として、山岳信仰の道場として、千年余りの歴史を有している。本尊牛頭天王を祀り、本地仏に薬師如来を配し、神仏習合の姿を今に残す東日本唯一の遺構であり、疫難消除、除災招福、出世開運の「天王さま」と呼ばれ親しまれている。 また、境内の観音堂には、聖観世音が祀られており、武蔵野観音の三十三番結願寺ともなっている。』とあります。ご本尊の牛頭天王は、インド祇園精舎の守護神といわれ、中国に入り、密教、道教、陰陽思想の習合があり、日本に伝わったとされています。更に陰陽道との関わりを深め、また蘇民将来伝説とも結びつき、素戔鳴尊(スサノオノミコト)と同体とされています。境内に建つ牛頭明王ブロンズ像は、平成4年、中国人民有志により寄贈されたものとのこと、他にも牛頭天王社鳥居に設けられた茅の輪(くぐると心身が清められる)、豪壮な茅葺き屋根の本坊、飯能市天然記念物に指定されている樹齢400年のコウヤマキ、珍しい亀甲竹、緑の竹林、各種花木、句碑など見所が沢山あります。 そのうち名物の精進料理を戴きにもう一度訪ねる積りです。 

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子の権現(ねのごんげん)

2008年3月23日(日) 足腰守護の神様で有名な飯能市の子の権現にお参りしてきました。子の権現というのは通称で、Dsc06329正しくは大鱗山雲洞院天龍寺と云い、天台宗の別格本山になっています。 本尊としては、日本一体の子の聖大権現(ねのひじりだいごんげん)を祀り、諸尊としては、武蔵野三十三観音札所中の第三十二番十一面観音と、関東百八地蔵尊札所中の第十番厄除延命地蔵尊を祀っています。由緒に、『当山は、延喜十一年(911)に子の聖が天龍寺を創建されたことに始まります。子の聖は、天長9年(832)、子の年子の月子の日子の刻に紀伊の国でお生まれになりました。幼い頃より聡明にして仏教に通じ、僧となっては諸国をまわり修業を積まれました。特に出羽三山において修業をかさね、ある日、月山の頂上に登り、 年来読誦する般若心経を取り出し、「南Dsc06334無三世仏母般若妙典、願わくば、われ、永く跡を垂るべき地を示し給え。」と空高く投げました。すると、そのお経は南へ飛んで、当山の奥の院(経ケ峰)に降り立ち光を発しました。この光を目当てに当山山麓まで来られ、山を開こうとした聖は、悪鬼どもに襲われ火を放たれました。しかし、十一面観音が天龍の姿となって現れ、大雨を降らしその火を消してくれました。その後、当山で修業教化に励まれた聖は、長和元年(1012)「我、すでに化縁つきぬれば、寂光土に帰る。 然れども、この山に跡を垂れて、永く衆生を守らん。我、魔火のために腰より下に傷を負い悩めることあり、よって、腰より下に病ある者、誠の心で我を念ずれば、必ず霊Dsc06339験を授けん。能除一切苦。」という御請願を遺し、齢百八十一才で化寂されました。それ以後、子の聖の尊像をお祀りして、足腰守護の神様として広く信仰されることとなりました。尚、「子」には、物事の始まり、全てのものを生み出し育む大本の意味があります。』と記されています。 山歩きをする者にとっては大変有り難い神様なので、私めも「もう暫くは足腰が弱りませんように」、「千山登拝の目標が達成できますように」とお祈りし、本坊で500円を納めて足腰御守を授かってまいりました。入口に聳える埼玉県指定天然記念物の二本杉(推定樹齢800年)、参道の赤い仁王像、本堂の傍らに奉納されている重さ2トンもある鉄の大草鞋(かねのおおわらじ)、巨大な夫婦下駄、経ケ峰の釈迦堂と鐘撞堂などたくさんの見所があります。因みに、鉄の大草鞋は、昭和38年4月に小荷田徳次氏により奉納されており、その屋根は、昭和55年7月に小荷田和久氏によって奉納されています。親子2代にわたる積善と思われます。めおと下駄の方は比較的新しく、平成八年丙子の大開帳記念に東京都世田谷区の浅見ご夫妻が奉納されたものです。

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手賀の丘公園の庚申塚(柏市)

Dsc06255 2008年3月21日(金) きのこ観察は振るわなかったので、公園内の一角にある庚申塚の調査に切り替える。この庚申塚には17基もの庚申塔が建ち、一番古いものは延宝三(1675)年に、一番新しいものは昭和55年に建立されたものである。銘文を読むと、全てが手賀の丘公園に隣接する片山地区の庚申講中により奉安されたものと判る。それにしても江戸時代に盛んであった庚申講が、平成の今に到るまで連綿と受け継がれていることに驚嘆する。山間僻地の平家の落人集落とでも云うのなら 分らない事も無いが、この辺りは今や宅地開発が進み東京通勤圏の住宅地である。Dsc06256因みに17基の庚申塔を建立された時代別に区分すると、江戸時代13基、明治時代2基、昭和1基、碑面が摩滅して時代不明のもの1基である。時代による造塔様式の変遷を一箇所で確かめることが出来る点で、歴史的にも民俗学的にも貴重な庚申塚と思われる。個別の造塔年と碑文は以下の通りである。(○は不明文字、写真下は⑥)

①延宝三乙卯天八月日 「奉造立庚申待供養」 相馬郡南相馬○片山村同行廿人(1675年)、②元禄二己巳天「奉造立庚申待為二世安○也」九月廿九日敬白(1689年)、③寛延元戊辰天「奉待庚申」十月吉日(1748年)、④宝暦八戊寅天十一月吉日「奉供養青面金剛尊」片山村(1758年)、⑤明和九壬辰十一月吉日「庚申供養塔」講中二十三人(1772年)、⑥安永七戊戌星○月吉日「青面金剛像」(1778年)、⑦寛政六寅天「青面金剛王」十一月吉日(1794年)、⑧寛政十二年「青面金剛王」庚申十月吉日 講中二十六人(1800年)、⑨文化十癸酉十一月吉日「青面金剛」 講中四十六人(1813年)、⑩文政九丙戌十一月吉日「庚申塔」(1826年)、⑪天保八丁酉年十一月吉日「庚申塔」(1837年)、⑫弘化四丁未十月吉日「庚申塔」(1847年)、⑬安政四丁巳十月吉日「庚申塔」(1857年)、⑭明治七戊年「庚申塔」(1874年)、⑮明治十五午年十一月「庚申塔」(1882年)、⑯世界平和「庚申塔」交通安全 昭和55年12月13日建 片山庚申講々員一同(1980年)、⑰不明

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ホワイトデー

Dsc06245 2008年3月14日(金) 先月の14日、「要らない、要らない、もうお気遣いご無用、お気持ちだけで結構です」と宣言しておいた甲斐も無く、無理やり家人と娘から押し付けられたチョコレート、仕方なく今日柏駅前の高島屋に行きお返しを買ってきました。ふたりとも甘いものが大好きなので、鎌倉源吉兆庵の和菓子、「干柿粋甘粛」、「御行つれづれ」、「琥珀羹梅」、それと「柚寿乃実」の4種類にしました。昔、現役の頃には倍返し、5倍返し、10倍返しを強要され泣く泣く応じたこともありましたが、最近は年金生活の身の上なので無理が効きません。分相応に等価返しを心がけております。

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ウルビーノのヴィーナス展(2008.03.12)

01_2 アレッサンドロ・アッローリ

《ヴィーナスとキューピッド》

油彩/板 29×38.5㎝

フィレンツェ、ウフィツィ美術館

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ウルビーノのヴィーナス展

02 2008年3月12日(水) 御徒町で野暮用を済ませた後、上野の国立西洋美術館へ行き、「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」展を鑑賞してきました。目玉は勿論、ウフィツィ美術館の至宝というティツィアーノ作《ウルビーノのヴィーナス》ですが、他にも紀元前4世紀から17世紀にかけて制作された皿や壷の絵柄、彫像、カメオ、書籍の挿絵、絵画などに表現された様々なヴィーナスが75点出展されていました。2004年のイタリア旅行時は美術館巡りが全く出来ず心残りでしたが、本展を観ることで宿題の一部を片付けた気分になりました。但し、ルーブル美術館で《ミロのヴィーナス》を観てきたばかりなのと、個人的にはボッティチェッリの《ヴィーナスの誕生》の方が好ましく思うことが重なり、額縁の豪華さは別としてさほどの感銘は受けませんでした。官能性を追求したヴィーナス図像としては傑作中の傑作という折り紙つきなので、きっと当方に観る眼が無いのでしょう。《ウルビーノのヴィーナス》は、ウルビーノ公家最後の継承者のヴィットーリア・デッラ・ローヴェレが 1634年にトスカーナ公フェルディナンド2世と結婚したことにより、アペニン山脈を越えてフィレンツェに持ち込まれたとのこと、メディチ家コレクションが誇るラファエッロやティツィアーノの傑作の殆どがヴィットーリアの嫁入りの持参品だったとは全く知りませんでした。他にも「パリスの審判」や「ヴィーナスとアドニス」など神話に題材を取った絵の意味も学ぶなど、収穫の多い美術展でした。

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土佐文旦

Dsc06228 2008年3月10日(月) 息子のお嫁さんの実家から戴いたもの、4Lサイズの立派な文旦が15個も入っています。生産者は高知県宿毛市の大串農園さん(℡:0120-505-631)、同園の「文旦通信 Vol.20」によると今年は大豊作だそうです。早速1個試食しました。甘味と酸味がほどよく調和しており、実に上品な味がします。姿形といい味わいといい、柑橘類の女王といっても過言ではありません。我が家では滅多に口にできない高級品、恐れ多くも勿体無いので、残りは新聞紙にくるんで冷蔵庫に保管しました。こうすると味がぼけるのを防ぐことができ長持ちするとのこと、1日1個を限度に食べるとして3月一杯は楽しめそうです。S様ありがとうございました。

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行念寺の十九夜塔(柏市)

Dsc061632008年3月1日(土)  先日紹介した庚申塚の道路を挟んだ向側に、行念寺という浄土宗のお寺がある。正式には金龍山行念寺不退院と称し、創建は室町後期の明応二年(1493年)、小金・東漸寺開山の經誉愚底上人の開基で、集落全十四戸を祖徒とする小さなお寺さんである。その境内に各種の石塔が並んでいる。そのうちの一つに、「明和四丁亥年(1767年) 十九夜女中講中 十月吉日 中新宿村」銘の“十九夜塔”がある。文字の上部には、十九夜講の守り本尊である如意輪観音像も浮き彫りされている。庚申塔の片方の建立年(1762年)とほぼ同時代のものである。江戸時代には、子宝や安産を祈願するため、陰暦十九日の夜に若妻たちが集り、供物を供え念仏を唱えながら月の出を待つと云う行事(十九夜講)が盛んに行われていたとのこと、240年前に此処中新宿に暮らしていた女性達が建てた供養塔である。庚申塔といい十九夜塔といい、昔は事ある毎に集落で寄り合いを持ち、運命共同体としての結束を図っていたことが良く分る。陰暦十三日、十七日、二十三日、二十六日の夜にも無病息災や豊作を祈願する同じような月待ちの行事があったらしいが、それらの石塔は境内には見当たらない。そういえば二十六夜塔をどこかで見たような覚えもあるが・・・、さてどこだったか、最近は記憶力がめっきり衰えてしまい、昔のことを想い出すのは容易なことではない。 

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秩父華厳の滝

Dsc06209 2008年2月29日(金) 秩父八景の破風山(はっぶざん)に登った帰りに、やはり秩父八景に選ばれている秩父華厳の滝を見物に行きました。入口に立つ看板には「全国10位に選ばれました 秩父華厳の滝 云々」と大書されており、1位から17位までの滝や渓谷名が表示されています。「1位.くろくまの滝(青森県鯵ヶ沢町)、2位.ぬさがけの滝(岩手県矢巾町)、3位.秋保大滝(仙台市)、4位.安の滝(秋田県阿仁町)、5位.面白山紅葉川渓谷(山形市)、6位.幕滝(福島市)、7位.袋田の滝(茨城県大子町)、8位.湯滝(栃木県日光市)、9位.吹割の滝(群馬県利根町)、10位.秩父華厳の滝(埼玉県皆野町)、11位.栗又の滝(千葉県大多喜町)、12位.ほっさわの滝(東京都桧原村)、13位.しゃすいの滝(神奈川県山北町)、14位.苗名滝(新潟県妙高高原町)、15位.七ツ釜五段の滝(山梨県三富町)、16位.唐沢の滝(長野県真田町)、  17位.黄金の大滝(静岡県引佐町)」。全国といっても東日本に偏っているようだし、何よりも日本3名瀑の日光華厳の滝や那智の滝が選ばれていないのが腑に落ちません。誰がどういう基準で選んだものかさっぱり分りませんが、まあ目くじらを立てるほどのこともなしと奥に進んで実物を見物しました。落差はせいぜい10数メートル位、水量もさほど多くはなく、可愛らしい華厳の滝です。この程度の滝なら全国にゴマンとあるのではと、第10位の意味がますます分らなくなりました。滝上に鎮座する不動明王像にお参りに行くと、憤怒の表情ではなく、とぼけた感じの優しいお顔をしております。どちらもユーモアなのかもしれないなと思い、地元の皆さんのおもてなしに納得いたしました。

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日本百観音結願所・日沢山水潜寺

Dsc06215 2008年2月29日(金) 「万世の願ひを爰に納めをく 苔の下より出づる水かな」 日沢山水潜寺(曹洞宗)は、秩父三十四霊場の結願寺であるとともに、日本百観音霊場の結願寺でもある。お参りするのは昨年の4月以来二度目、水潜寺の裏山である破風山に登ってから本堂に詣でて般若心経を三回唱え、“みずくぐり”の岩屋から湧き出す長命水を飲んできました。以下は境内に立つ掲示板の内容。「秩父札所第三十四番 日沢山水潜寺 この札所は、秩父三十四霊場、日本百観音霊場(西国、坂東、秩父)の結願寺として、巡礼者が打留めの札と笈摺を納めた寺です。観音堂は、大きな流れ向拝をつけた六間四面方形造りで、文政十一年(1828年)の建築であります。内陣は壁で囲まれ、外陣は桟唐戸をたて周囲に縁を廻し、内陣外陣の境には格子戸を以って仕切り、その上部に飛天像その他の極彩色彫刻を入れ、組物は出組で挌天井をうけ、 境板には円形の輪郭をとり、花鳥の様々が画かれています。本尊は、一木造り室町時代の作と伝えられる千手観音、西国をかたどる西方浄土の阿弥陀如来、坂東をかたP1040301どる東方瑠璃光世界の薬師如来がまつられ、日本百観音結願寺の特殊性を出しています。堂内には大日如来の胎内仏で初期鋳造の阿弥陀如来、享保十八年諸国信者の寄進による鋳造子育観音など、境内には百観音結願堂、仏足堂をはじめ、七観音、三十三観音、六地蔵などがまつられています。観音堂前には、百観音宝前のお砂を納めたお砂踏みがあり、この上で三体の御本尊を拝むことにより、百観音巡礼の功徳が得られると信じられています。また、観音堂の傍の崖下に清浄長命水を湧出する寺名のおこりの水くぐりの岩屋があり、札所巡礼を終えた人々は、ここで再生儀礼の胎内くぐりをし、長命水をいただき、笈摺を納め心身共に清浄になって俗世の生活に帰ったと言われています。 皆野町教育委員会」  

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