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庭のシソ大豊作

Dsc08090 2008年6月28日(土) 梅雨入りし庭の草が一斉に伸び始める。アレチノギク、オオバコ、シダ類、スベリヒユ、タンポポ、ドクダミ、ハコベ、ハハコグサ、ヒメジョオンなど、抜いても抜いても限が無い。ただしシソだけは大事に残しておくので、やがて庭は一面シソに覆われる。シソの葉は用途が多彩であり、今の時期ならソーメンの薬味として最も活躍する。その他に我が家では天麩羅、スパゲッティ、刺身のつま、漬物などにも利用する。最近の諸物価高騰の折、家計の援軍となっているらしく、今日も大蔵卿の局から指令が出て、悲しきかな二等兵、やぶ蚊に刺されながら30枚ほど採取する。

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あぢさい寺・長谷山本土寺

2008年6月27日(金) あじさい寺といえば鎌倉の明月院が有名であるが、松戸市にある本土寺も近年とみに評判を高め人気を集めている。Dsc08012今がちょうど紫陽花と菖蒲の見頃とのことで家人を誘い見物に行く。歩いても30分とかからないが、混まないうちにと9:10のバスで最寄の北小金駅へ出る。日蓮宗本山である長谷山本土寺は、建治三(1277)年、もと源氏の名門、豪族平賀忠晴の屋敷内に、日蓮上人の弟子日朗を導師として招き開堂したことに始まる。池上の長栄山本門寺、 鎌倉比企ケ谷の長興山妙本寺と共に、朗門の三長三本と呼ばれ、宗門中屈指の大山として寺勢隆盛であったが、度重なる不受不施の法難と明治維新の廃仏棄釈運動のために衰滅し、今は昔の偉容をうかがえない。しかしながら、宗門三聖人と呼ばれる平賀家三兄弟、即ちDsc08028師孝第一と讃えられる日朗聖人、日蓮大聖人に次ぐ偉聖と崇められる日像聖人、そして池上本門寺、比企ケ谷妙本寺の大成者日輪聖人が出世した聖蹟として今なお名高く、又開運、乳出子育、学業増進、所願成就の霊験で知られる名刹である。 本土寺を前回訪れたのは20年前位、その当時はあぢさい寺として売り出し始めの頃で、紫陽花も小さく境内の整備も進んでいなかったが、今はすっかり観光寺院化し、集客効果による収入安定のなせる業か、五重塔、鐘楼、客殿、茶室などが立派に新築、もしくは修築されている。順路沿いの到る所に植栽されている紫陽花も、人の背丈を上回る大株に成長し、菖蒲池や睡Dsc08039蓮池周りは特に見事である。平日の朝一番で空いていたのを幸い、順路に従って境内を二回りし、盛りの花を堪能する。境内には他に、甲斐武田二十四将の一人、秋山伯耆守信友の甥、秋山虎康の墓、秋山虎康の娘で、徳川家康の側室、於都摩の方の墓(秋山夫人は家康の第5子万千代君を生む。万千代君は後に武田信吉を名乗り、天正十八年(1590)に小金城三万石に封じられた。現在の墓石は信吉の甥、徳川光圀が貞享元年(1684)に建立したもの)、東葛地方の俳人の句碑などがある。

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マツオウジの天麩羅

P1070983 2008年6月25日(水) 22日の日に仙台市の南蒲生のクロマツ林で採取してきたマツオウジです。松枯れ病で切り倒されたクロマツが、更に1メートルほどの長さに切り揃えられ積みあげられておりますが、その切断面に沢山発生していました。ほんの一部を採取しただけでレジ袋がずっしり重くなりました。冷蔵して柏に持ち帰り、本日うち2本を4つ割りにし、天麩羅にして食べました。やや松脂臭があり、人により嘔吐や下痢の中毒症状を引き起すとのことで敬遠されがちですが、 天麩羅にするとヤニ臭も苦味も消失してしまい美味しく食べられます。特に柄の部分のコキコキした歯ごたえはエリンギを凌駕するほど、たまりません。まだ沢山残っているので、湯がいて佃煮でも作ってみるつもりです。

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ボケ酒その後

P10709792008年6月24日(火) 昨年庭の木瓜(ボケ)に沢山実が成り、その殆どはジャムにして食べましたが、3個ほどは丸のままホワイトリカーに浸けて果実酒を造りました(2007年10月19日)。8ヶ月を過ぎたところで実を引き上げて試飲すると、酸味と渋みを伴うワイルド風味のリキュールに仕上がっています。カリン酒とも梅酒とも違う、なかなか個性的な果実酒です。歩留まりが悪い(実から水分が殆ど出てこない)ので、意外に少量しか出来ず大事に飲もうと思っています。

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ヤマグワ酒

Dsc079992008年6月24日(火) 22日、仙台市は南蒲生の防潮林にきのこ観察に行った折りに、クロマツ林の縁に立派なヤマグワの木が数本あるのを見つけました。ちょうど実が熟し始めたところで、黒い完熟果と赤い未熟果が半々ぐらいの割合で枝一杯についています。少し小振りですが有り難く頂戴してきました。柏に持ち帰り、早速ホワイトリカーを注ぎいれ果実酒をつくりました。ヤマグワ自体かなり糖度が高いので氷砂糖を加えるのはやめました。たちまちワインレッドの色素が抽出されて美しい酒になりつつあります。お味の方は又後日。

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プラム酒

Dsc08088 2008年6月23日(月) 昨年作ったプラム酒が大のお気に入りの家人、毎晩寝酒に1杯ずつ飲んでおりましたが、とうとう残り僅かになってしまい、さてどうするのかと思っておりましたら、私が仙台に帰省している隙に、昨年の3倍量ものプラムを、新たにホワイトリカーに浸けており、にこにこしておりました。「こんなにプラム酒ばかり作ってどうするの?」、「だって安心でしょう!」、「何が?」、「チョウヤのウメッシュの宣伝知らない?」、「ククク・・」。こんなに飲んだらアル中になるのでは、アルコール脱水素酵素の働きが幾ら達者といっても・・・、まんづ めぐせがら やめでけろ!

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奥の細道三十三霊場 第一番 陸奥国分寺(仙台市)

Dsc07915 2008年6月21日(土) 6:30起床、きょうも深い霧の朝。午前大林寺へ墓参に行き、序に木ノ下の陸奥国分寺跡を見学する。国指定史跡「陸奥国分寺跡」に着き、先ずは入口に立つ説明板を読む。『国分寺は、国分尼寺とともに、天平十三年(741)二月十四日の聖武天皇の詔により、国家鎮護の宗教的機関として各国ごとに建てられた。金光明四天王護国之寺と呼ばれ、法華滅罪之寺と呼ばれた尼寺とあわせて、全国で124ケ寺建てられたと伝えられているが、 仙台に所在するのはそのうちの一つで、古代陸奥国に建てられたものである。 具体的な造Dsc07918営の経過については文献からうかがうことはできないが、創建時の瓦から推定して天平十三年から天平神護三年(767)に至る頃と考えられている。陸奥国はその名が示すように「道の奥の国」で、奈良から東にのびる東山道の終着駅にあたる要地であり、古代東山道は国分寺跡の東方に沿って陸奥国を直轄する国府多賀城へ通じていた。本史跡については昭和30年~34年に本格的な学術調査が行われ、その結果壮大な伽藍の全貌が明らかになっている。すなわち、その伽藍は一辺約240メートル(800天平尺)四方の寺地を区画して南向きに建てられたものと考えられ、寺地の南北中軸線上に南大門、中Dsc07917門、金堂、講堂、僧坊が一直線に並んでいる。また金堂、中門を廻廊で結び、金堂、講堂間の東西に鐘楼、経楼を、金堂の東には七重塔を置き、塔にも廻廊をめぐらしている。塔の廻廊は柱が二列の単廊であるが、金堂、中門を結ぶ廻廊は三列の複廊であった。伽藍配置等をこのように明確に知ることのできる国分寺跡は全国的に見ても珍しく、  大変貴重であるので計画的な保存が図られており、昭和47年度からは、主要堂塔を中心に環境整備が進められている。仙台市教育委員会 』。境内には陸奥国分寺の堂塔の礎石が残るだけであるが、慶Dsc07941長十二年(1607)伊達政宗が再建した薬師堂(重要文化財)、鐘楼、仁王門が建ち、奥の細道三十三霊場の第一番となっている。堂内からは朝のお勤めであろう、読経の声が漏れてくる。そのほか、仙台市指定保存樹木の大イチョウ(樹齢約350年)、大ヒイラギ(樹齢約200年)があり、歴史の重みを感じさせる。道を挟んだ隣地には、仙台三十三札所の第二十五番、準胝観音堂が建つ。その境内には、芭蕉句碑「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」が建てられている。元禄二年(1689)旧暦五月七日、おくのほそ道行脚で仙台滞在の折、薬師堂(国分寺跡)に参詣したという記述があるが、その時の吟詠である。他にも望月宗屋句碑、大淀三千風供養碑(仙台市指定文化財)などがある。又、庚申塔、二十三夜塔、蔵王大権現碑、山神碑、南無阿弥陀仏碑、それに百八地蔵尊霊場第一番の延命地蔵尊像も立つ。それにしても貴重な史跡が自宅の直ぐ近くに存在していたものである。これまでは全く無関心であったが、この歳になるとその有難味が良く判る。

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榴岡天満宮

2008年6月19日(木) 自宅のあるマンションの西隣は榴岡天満宮、11階のベランダからお参りしている人が見える。Dsc07910神様を高い処から見下ろすとは罰当たりなことであるが、仙台に帰ってきた時は毎朝お参りに行くので許してもらえるであろう。元禄二年(1689)五月七日に松尾芭蕉が榴岡天満宮を訪れており、「おくのほそ道」の「宮城野」の項に『名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて、四、五日逗留す。爰(ここ)に画工加衛門と云うものあり。聊(いささか)心ある者と聞て、知る人になる。この者、年比(としごろ)さだかならぬ名どころを考置侍ればとて、一日案内す。宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思いやらるゝ。 玉田・よこ野、つゝじが岡はあせび咲ころ也。日影ももらぬ松の林に入て、爰をDsc07904木の下と云とぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社など拝みて、其日はくれぬ。猶、松島・塩がまの所々画に書て送る。且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。さればこそ、風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。「あやめ草足に結ん草鞋の緒」』と書かれている。近年境内の傾斜地を整地し、数10台も入る月極め駐車場を経営するようになったが、ために収入が安定的に増加したと見え、 境内の整備が大々的に進められている。社務所が新しくなり、随身門は塗りなおされ、句碑の解説板は新調され、車の交通安全祈願所が新設され・・・、まDsc07901あ何よりも神官や巫女さん達の表情が明るい。昔のように氏子や崇敬者の奇特を頼むばかりでは神社商売も成り立たない。副業結構、あと数年も経てば見違えるほど立派なお社になるであろう。拝殿の傍らには、仙台市の名木・古木88選に選ばれている樹齢340年の梅の老樹がある。他には、学問・詩歌・文筆に秀でていた菅原道真公に因む筆塚六、歌碑二 、芭蕉翁に因む句碑十九が建てられている。其の中で、寛保三癸亥歳(1743)二月七日建立の「芭蕉五十回忌蓮二(支考)十三回忌追善碑」(◇あかあかと日はつれなくも秋の風、◇十三夜の月見やそらにかえり花)は、仙台市の有形文化財に指定されている。

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榴岡公園

2008年6月18日(水) 自宅のあDsc07898るマンションの東隣は榴岡公園、11階から眺めると、東部市街地を越えて仙台平野と仙台港、太平洋までも見渡せる。東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地クリネックススタジアム宮城も指呼の間、試合がある日は声援が賑やかに昇ってくる。榴岡公園は明治35年開園の仙台市内有数の公園であり、面積は11.2ヘクタール、平成2年には「日本の都市公園100選」にも選ばれている。仙台藩第四代藩主伊達綱村が京都から取り寄せたシダレザクラ1,000本を植えて以来、市内有数のサクラの名所としてつとに名高い。現在、歴史民俗資料館として利用されている旧第四連隊兵舎は、宮城県内に現存する洋風建築では最古のもの、Dsc07896昭和53年6月16日、仙台市の有形文化財に指定されている。瓦葺寄棟造り木造2階建で、漆喰塗りの大壁、建物角隅にはコーナーストーン、ガラス入り上下窓、出入り口のポーチには洋風円柱、雲形を有する階段等の特徴を持つ。これらは明治6年完成の名古屋第六連隊兵舎と似ていることから、当時の兵舎建築の基準に則ったものと考えられる。終戦まで60年間に亘り旧陸軍の兵舎として使用された後、終戦から昭和31年までは米軍が駐留、その後、昭和50年まで東北管区警察学校等に使用された 。内部はその都度改造されているが、 昭和53年文化財に指定された後、明治37年の状態Dsc07889に復元された。なお、同様の兵舎が7棟残されていたが、これ以外の兵舎や本部等の建物は、榴岡公園整備のため昭和52年2月に取り壊された。公園入口に建つのは民間ユネスコ運動発祥記念の「ブーツの娘」像、作者は仙台出身の彫刻家、佐藤忠良氏である。園内には子供の時分から馴染の樹木も多く、散策すると昔の記憶が懐かしく甦る。仙台は四季のバランスが良く暮らしやすい(県庁所在地の中では真夏日と真冬日の合計日数が最も少ないらしい)。何よりも山と海に近い。そろそろ関東の暮らしを切り上げて故郷に帰る時期やもしれぬ。

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多賀城碑(壷の碑)

2007年6月17日(火) 多賀城碑は平成十年六月三十日指定の重要文化財である。長い間真贋論争があったためか指定日は意外に新しい。Dsc07883多賀城政庁跡にほど近い台地の中腹に立ち、覆い堂に護られている。傍らに説明板があり、『多賀城碑は、砂岩を加工して碑面をつくり文字を彫り込んだもので、高さ約二メートル、幅約一メートル、厚さ約七〇センチメートルで、碑面は西を向いて立てられています。多賀城 京去一千五百里 蝦夷国界去一百二十里 常陸国界去四百十二里 下野国界去二百七十四里 靺鞨国界去三千里 此城神亀元年歳次甲子按察使兼鎮守将軍従四位上勲四等大野朝臣東人之所置也 天平寶字六年歳次壬寅参議東海東山節度使従四位上仁武省卿兼按察使鎮守将軍藤原恵美朝臣朝獦修造也 天平寳字六年十二月一日。碑面には、上部に大きく「西」の字があり、その下の長方形の枠線の中に十一行一四〇字が刻まれています。碑文の内容は大きく分けて二つの部分から成ります。前半は、多賀城の位置を京や国の境からの距離で示しています。後半は、多賀城が神亀元年(724)に大野朝臣東人(おおのあそんあずまびと)によって設置されたこと、 天平宝字六年(762)藤原恵美朝臣朝獦(ふじわらえみあそんDsc07852あさかり)によって修造されたことが記され、最後に碑が建てられた年月日が刻まれています。碑文の内容から藤原恵美朝臣朝獦の業績を顕彰するために建てられた多賀城の修造記念碑とみることができます。また、碑は、歌枕として有名な「壷碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれており、元禄二年(1689)には松尾芭蕉もこの碑を訪れ、深く感動し、涙を流した様子を「おくのほそ道」の中に書き残しています。多賀城碑は、群馬県吉井町の多胡碑(たごひ)、栃木県湯津上村の那須国造碑(なすこくぞうひ)とともに日本三古碑のひとつです。平成十一年三月 多賀城市教育委員会』とある。以前見た時に比べ 碑面の文字が薄れて読みにくくなったような気がする。芭蕉のDsc07858「おくのほそ道」の「壷の碑」の項には、『かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十符の菅有。今も年々十符の菅菰を調て国守に献ずと云り。壷の碑 市川村多賀城に有。つぼの石ぶみは、高六尺余、横三尺計歟。苔を穿て文字幽也。四維国界之数里をしるす。「此城、神亀元年、按察使鎮守符将軍大野朝臣東人之所里也。天平宝字六年、参議東海東山節度使、同将軍恵美朝臣獏修造而。十二月朔日」と有。聖武皇帝の御時に当れり。むかしよりよみ置る歌枕、おほく語伝ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り、代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の労をわすれて、泪も落るばかり也』と記されている。同行の曾良の日記によれば元禄二年(1689)五月八日のことである。 入口に立つ道標銘は享保十四年五月己酉(1729)、芭蕉が訪れてから40年後に建てられたものである。日本三古碑のうち、吉井町の多胡碑は高崎に住んでいた頃何回か訪ねているので、残るは那須国造碑、そのうち見学に行ってみよう。

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史都・多賀城の史跡めぐり

2008年6月17日(火) 10:00新しい自転車で多賀城の史跡めぐりサイクリングに出発、多賀城まで10㎞以上あるが、爽やかな好天の中、風を切って走るのが心地好い。途中上州屋に寄って岸壁チョイ投げ用の釣り道具を購入し、多賀城ジャスコ近くの幸楽苑でラーメンを食べる。 息子達のアパートへ釣り道具を預けて身軽になり、いよいよ史跡巡りにかかる。Dsc07838多賀城には是まで数え切れないほど来ているが、史跡をじっくり見学するのは初めてである。先ずは「多賀城廃寺跡」へ。多賀城廃寺は、奈良時代に陸奥国府と鎮守府のおかれた多賀城の附属寺院として建立されたもので、国家の安定と、東北地方の順調な経営を願ったといわれている。建物の配置は、東に三重塔、西に金堂が互いに向い合い、中央部南には門があり、中央部北には講堂がある。また南の門の左右から築地がつくられ、塔金堂を囲んで北の講堂の左右に取り付いている。このような伽藍配置は、福岡県太宰府の観世音寺とよく似ている。昭和41年4月、多賀城跡とともに国の特別史跡に指定されている。 現在は基壇と礎石があるばかり、初夏の陽光が遺跡に燦燦と降り注ぎ、辺りに静かな虚無感が漂う。道路1本挟んだ隣地に「多賀神社」が鎮座する。Dsc07846由緒には「此の地は、かって陸奥国多賀郷の中心地で陸奥国府鎮護寺の境内にあり、当時任務に赴いた国司、開拓移民が崇敬していた江州多賀神社(現滋賀県多賀大社)を遷祀したとされている。奈良時代の風土記に当時の神事が記載されており、平安時代には桓武天皇より西暦七九六年に従五位下の位を受けるなど、朝廷や民衆より崇敬を受けていた古社である。しかし、朝廷が陸奥征服を果たし、軍事拠点であった多賀城の繁栄も途絶えるのに伴い、当社の所在も不明になるほど一時衰退した。明治に入り村社を決める際、所在さえ定かでなかった為いろいろ論議されたが、明治五年九月に「延喜式内社」として村社格に加列される。昭和四十年当社境内地を含めた一円が、国の特別史跡に指定され、史跡公園の施工に伴い、多賀城廃寺跡東塔基壇上に鎮座した神殿、Dsc07868その他の施設を移転し、現在の地に神霊を安鎮した。平成十三年、氏子崇敬者協力のもと、社殿を改築し現在に至る。多賀神社總代」とある。 三箇所目は「壷の碑(つぼのいしぶみ)」、日本三古碑のひとつであり、元禄二年(1689)五月八日に松尾芭蕉も此の地を訪れ、「おくのほそ道」の中にその感懐を記している(壷の碑については別途投稿予定)。四箇所目が「多賀城政庁跡」、いつの間にか大駐車場が設けられ、付近は大々的に整備されつつある。いよいよ多賀城市も「多賀城跡」を核に、東北の鎌倉と謳う史都を前面に押し出し、観光立市を図ろうとするらしい。多賀城の造営は大きく4期に分けられる。即ち、第Ⅰ期Dsc07881 :神亀元(724)年、大野東人により多賀城が創建される。最初に造営された政庁の建物は全て掘立式であり、主要建物は瓦葺であったと考えられている。第Ⅱ期:天平宝字六(762)年、藤原朝獦により多賀城の大改修が行われる。建物はすべて礎石式、瓦葺に建て替えられる。伊治公砦麻呂の乱で消失。第Ⅲ期:宝亀十一(780)年、伊治公砦麻呂による焼き討ち後再建、869年の大地震で被害を受ける。第Ⅳ期:貞観十一(869)年、陸奥国大地震被害後の復興。災害復興は主に瓦の葺き替えが行われた。その後、新たに北方建物が造られた。最高所の政庁正殿跡に登り、多賀城跡の全景を眺め、1200年余の昔に思いを馳せる。後村上天皇(在位1339-1368)や明治天皇(同1868-1912)も巡幸されたのか、傍らに「後村上天皇御座之處」と「明治天皇御霊跡」の石碑が建つ。いきなりの長距離サイクリングですっかり腰が痛くなったので、史跡巡りを切り上げ真っ直ぐ仙台へ帰る。15:30漸く帰宅。

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新しい登山靴

Dsc08205 2008年6月16日(月) 第228回の日光白根山から第414回の鹿留山まで6年半、187回の山行に使用したライケル(Raichle)社製の登山靴が大分くたびれて来たので、仙台駅近くにあるICI石井スポーツ仙台店(仙台市宮城野区榴岡4-1-8)に行き、新しい登山靴を購入する。いろいろ迷ったものの、結局AKUのCONCORDIA IMD GTXに決める。定価35,800円のところ、特別会員割引が10%あって32,220円、たいした山へ行く訳でもないので贅沢な気がしないでもないが、足固めが一番大事、大きな出費もやむをえない。足に馴染むまでは軽い山歩きを心掛ける。さて手始めにどこの山に行ったものか。

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森城山大林寺

2008年6月16日(月) 仙台市宮城野区新寺小路にある曹洞宗の寺で、小家の菩提寺である。Dsc07819自宅から徒歩10分、境内には、仙台三十三観音巡礼第十四番札所の千手観世音菩薩を祀る観音堂、土井晩翠・八枝夫妻の墓を含む土井家代々墓所、土井晩翠の歌碑(「おほいなる真ひるの夢を見よかしと生先長き子らに望まん」)、仙台市指定保存樹木の大カヤ(樹齢300年)などがある。大林寺の沿革史には「曹洞宗森城山と号し、本尊釈迦牟尼仏、寛文十三年の作(1672、壱寸八分之釈迦像篭置、弘法大師の実作と云う)脇立には大聖文殊大行普賢両菩薩を安置する。天文元年(1532)三月、伊達家十四世稙宗の開基で始め、羽洲置賜郡 米沢鮎見村にあり、弘治二年(1556)輪王寺五世勅特賜仏頂真光源庵守眞Dsc07811和尚を以って開山となし稙宗夫人泰心院殿怡稠悦公大姉(永禄十年二月十日寂)並びに、稙宗の弟大林寺殿光巖威公大居士(景宗、天文十二年五月十六日寂)両位牌を同寺に安置し、大林寺殿を以って当寺の開基と定められた。其の後政宗に随って岩出山に移り、 更に仙台に移るに及んで此の地を賜り、忠宗のとき十九石余の寺領を附し着座格に○せられた。維新の変革に際して藩の外護を失い、明治三十二年(1899)新寺小路西福寺を富山県射水郡新滝町字於津に移すに当り、事実上之を大林寺に合併する事となり、鐘楼、梵鐘等をも同時に移管されたが、昭和十九年(1944)第二次Dsc07812大戦末期、政府の命により梵鐘等供出せられた。現本堂 当山十六世興宗正禅和尚代 寛政六年(1794)建築 棟梁・平茂右衛門義富、位牌堂 当山廿六世禅峰信能和尚代 昭和十一年(1936)建築 棟梁・国友傳兵衛、庫裡 昭和四十三年(1968)建築、なお本堂は昭和四十四年(1969)大改修を施せるもの也。昭和四十七年五月吉日 当山廿七世禅徹信孝誌焉」とある。遠方に住んでいるとなかなか墓参もままならず、精々春秋のお彼岸、8月の旧盆と年三回お参りする位、ご先祖様には誠に申し訳ないことである。なお総本家の先祖代々墓は鎌倉の円覚寺にあるらしく、一度お参りに行かねばなるまい。

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松島四大観・扇谷

Dsc07796 2008年6月15日(日) 松島四大観の一、扇谷(標高60m)に登り、山頂に建つ東屋から眺めると、脚下の渓谷が海辺で扇を広げた形に開け、松島湾と外洋に浮かぶ島々が見渡せる。四大観(他は大高森、富山、多聞山)はいずれも甲乙つけ難い松島の展望台であるが、「幽観」とされる扇谷の眺めが一番好ましいように思われる。四大観の中では最も瑞巌寺や五大堂に近く、せっかく松島までやって来ながら扇谷を訪れないでは勿体無い。山頂近くに「金翅塔(こんじとう)」なる岩窟があり、中に 瑞巌寺第101世鵬雲東搏禅師と第114世丹源文叔、第116世牧舟禅慧の墓がある。また、山頂には「金翅堂(達磨堂)」が建つ。もともとはこの山谷の静寂を愛した瑞巌寺第99世雲古希膺(うんごきよう)が寛永14(1637)年に座禅堂を構えて以来、明治期に至るまで寺院があった所である。Dsc07793夫々説明板があり、金翅塔は『金翅は毒龍を餌とする火の鳥・加楼羅(かるら)の事で、塔は瑞巌寺第101世鵬雲東搏禅師(ほううんとうばくぜんじ)(1612?~1703)の墓所である。鵬雲は尾張総見寺北禅禅秀(妙心寺第200世) の下で僧となり、長じて松島に行脚、瑞巌寺第100世洞水東初(1605~1671)に参じ嗣法した。寛文元年(1661)瑞巌寺第101世に、同6年本山妙心寺に第207世として登山した。松島に千仏閣・三聖堂・天童庵・一華庵、大沢(扇谷)に海無量寺を開創、黒川郡宮床に慶雲寺(現称覚照寺)を、志田郡鹿島台に慈明寺を開創した。瑞巌寺には39年間住職、大領義猷(だいりょうぎゆう)(当山102世)、夢庵如幻(同104世)など13名の法嗣を育成し遷化の翌年、東山天皇から妙道虚玄禅師の勅諡号を賜っている。中央が鵬雲、右が丹源文叔(たんげんぶんしゅく)、左がDsc07799牧舟禅慧(ぼくしゅうぜんね)の墓。平成13年整備事業を行った。平成14年10月20日鵬雲300年遠諱記念 瑞巌寺建立』、金翅堂は『松島という地名発祥の伝承に、達磨大師が来て聖徳太子の成長を待ったとあり、「待島」が「松島」になったと伝える。幕末に著された「奥州名所図会」に拠れば、元禄8(1695)年瑞巌寺第101世鵬雲東搏禅師が堂を造営し、中央に聖徳太子、左に緋衣の達磨像を、右に鵬雲像を安置したと記す。達磨像は鵬雲が本山妙心寺住持として上洛の折、男山八幡宮麓に安置の達磨像に感動、仏工に摸刻せしめたものと伝えるが現存しない。平成13年、鵬雲の没後300年を記念し、堂の基壇・屋根等を修理して環境を整え、中国河南省熊耳山麓・空廂寺(達磨大師の塔所)から将来した魏元象元年住職寿庵建立・宗還修復銘の達磨像を摸刻して、14年10月20日再落慶法要を厳修した。平成14年10月20日瑞巌寺建立』とある。両所にお参りし、扇谷の景色をもう一度眺めてから山を降りる。

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アイナメの唐揚げ

Dsc07786_2 2008年6月15日(日) 奥松島は大高森観光ホテルの名物料理、アイナメの唐揚げ定食です。ホテル前の船着場で釣りをする場合、駐車場に車を置かせてもらうので、その御礼の積りで、いつもお昼をホテル食堂で食べるようにしています。今日は久し振りにアイナメが入荷したとのこと、しかも型が良いので定食の時価1,050円とのことでした。フノリの味噌汁、ヒジキの煮物、それに沢庵漬けまで付いているので良心的な値段です。アイナメは2度揚げしているために、香ばしく、頭も尻尾も食べられます。但し、歯(と胃腸)の丈夫な若い人という条件付、魚が大好物の息子は全部綺麗に平らげましたが、私めは上品に食べるよう心がけました。

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松島四大観・大高森

Dsc07783 2008年6月15日(日) 釣りの合間に松島四大観の一、大高森(106m)に登る。湾奥遠くに聳える蔵王連峰を背景に、鏡のように穏やかな青い海面に浮かぶ数多の緑島の大観は、何度来て何回眺めても秀逸である。山頂には二等三角点と方位盤が置かれ、東屋や雷神塔が建つ。いつの間にか土井晩翠の詩碑も建立されている。「壮観」と云われる大高森に晩翠も登り、その時の感懐を詠じたものである。晩翠碑、「仙府むかしのあこがれを 傳へてこゝに二千年 東海のうえ扶桑の端 竝びて呼びあふ八百の島。あすは萬里の外の旅 故国なごりの姿をと 誘ふは有情のDsc07771波の声、起ちて、落つる日雲染めて 海黄金を溶かす時 大高森の頂に。頂高く今も見る 真なるもの美なるもの おほいなるもの常に新、左太平洋の波 散るは奔馬の狂か、右や一湾松島の 沈静さながら夢に似て。あゝ色ありておほいなる 生ける詩何をかたどるや 彼人生の活動を、是心境の平和を。」(平成四年元旦建立)。前回訪れたのは10年も前になるか、山頂直下にあった茶屋は既になくなり、時の流れはここでも容赦がない。

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青梅シロップ

P10709742008年6月13日(金) 家人の友人Iさんから今年も又大粒の梅の実をどっさり戴く(写真、約3㎏)。自宅の庭の加賀白梅も今年は大豊作、苗木を植えてから二十年近く経つが、初めて2キログラムの実を収穫する。本来なら梅酒を作るところであるが、梅酒は10年ものの古酒を筆頭に、5年もの、3年もの、2年もの、1年ものと目白押し、商売できるほどすでに在庫がある。そこで今年は全部を梅シロップ作りに振り向ける。作り方は至って簡単、梅の実と同重量の氷砂糖を広口瓶に入れるだけ、 万が一の腐敗防止に焼酎一匙か酢一匙を加えておけば申し分ない。2週間ほどで梅の実から水分とエキスが出てきて飲み頃になる。お玉で浸出液を掬い取り、2~3倍に水で薄めて氷を浮かべて飲用に供する。甘酸っぱくて爽やかで、疲労回復に効果抜群、まさしく夏向きの清涼飲料である。しなびてしまうけれども、梅の実も食べられる。但し、腐敗防止にアルコールを入れた場合には、念のため、飲用直後の車の運転を控えることをお勧めする。          

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ウルイのおひたし

Dsc07635 2008年6月10日(火) 一昨昨日山梨県の杓子山の登山道で採取してきたギボウシの若芽(葉)を、昨日茹でて一晩水にさらしておき、今日おひたしにしました。ギボウシ類は種類が多いので採取してきたものがどれか分りませんが、オオバギボウシ、コバギボウシ、スジギボウシ、トウギボウシ、オモトギボウシなどどれも食べられます。仙台(東北地方)ではウルイの名で親しまれ、アイコ(ミヤマイラクサ)、シドケ(モミジガサ)、 ジダケ(ネマガリタケ)と並ぶ山菜四天王のひとつです。若芽・若葉だけでなく、展開した葉の葉柄部分や花も食べられ、利用価値の高い山菜です。和え物、天麩羅、煮物にしても美味ですが、なんと言ってもおひたしが一番、しゃりしゃりした歯切れとぬめりのある食感は天下一品です。

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山蕗の煮物

Dsc077002008年6月9日(月) 一昨日、山梨県の鹿留山から忍野村内野地区へ下る途中の山道でヤマブキを採取してきました。昨日軽く茹でて皮を剥き、今日コンニャク、竹輪、油揚げと一緒に煮物にしました。フキは収量が多いし、味覚に当たり外れがないしで、山菜の優等生です。

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私本「自惚山人ノオト(弐)」

Dsc077062008年6月8日(日) 去る5月16日、アット・ニフティのブログサービスコンテンツであるココログブックスに、姉妹編ブログ「自惚山人ノオト(弐)」の印刷・製本を依頼する。第201回山行記の「榛名天狗山」から第400回の「筑波山(裏登山道コース)」までの200回分を、カラー印刷・目次あり・文字横組み・改ページなし・1記事あたり画像5枚・上製本の仕様で注文すると、四六版変形252頁本の料金は送料込みで13,991円也である。数日前に発送の連絡があり、 昨日になって漸く届く。次は第401回から第600回までを「自惚山人ノオト(参)」として製本するつもりであるが、現在のところまだ第414回、果たして実現できるかどうか。

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忍野八海

Dsc07687 2008年6月7日(土) 富士急行線下吉田駅から杓子山、鹿留山に登り、忍野村内野地区に下山した後、国指定天然記念物(昭和9年5月1日指定)の忍野八海を見学に行く。忍野八海とは、富士山伏流水が地表に湧出する8つの泉池、即ち出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池の総称である。忍野村最大の観光資源であることは分るが、中央に大きな人工池を掘り、その周りに土産物屋や食堂が密集するなど自然破壊が進行している。 自然が売り物の筈であるが主役の忍野八海は建物群の中に埋没してしまっている。本来であれば忍野八海地区Dsc07697を囲い込み、自然のままに保全した上で、そこに通じる(有料の)出入り口を設け、外側に物販店や食堂を配置すべきだったのでは。既得権益がからんでいたのかもしれないが、乱開発と営利第一主義の手本を見るようで余り感心しない。日本名水百選に選ばれている“忍野八海神の水”を一杯ご馳走になり、湧池、濁池、銚子池、御釜池の4箇所を見学しただけで引き揚げる。

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杓子山・鹿留山で出逢ったキノコ

Dsc076712008年6月7日(土) 富士急行線下吉田駅から杓子山と鹿留山に登り、忍野村内野地区に下山するコースで道志の山を歩いてきました。紅色のヤブウツギの花の盛りで、ウルイやフキなどの山菜にも恵まれましたが、きのこは殆ど見当たらず、終盤の内野地区に下る林道でキシメジ科クヌギタケ属の小型菌1、2種に出逢っただけでした。

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今年もお出まし、キサケツバタケ

Dsc075512008年6月2日(月)  廣池学園。光が丘の市立図書館に松本清張の小説「熱い絹」を借りに行く途中、件のフェンス際の草地を覗いたら、4本のキサケツバタケが出ていました。毎年今頃と秋の2回、律儀に発生します。帰りに採取して持ち帰り、ハムとピーマンと一緒に炒めてもらいました。味がよく美味しいきのこです。

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アップルマンゴー

Dsc07487 2008年5月31日(土) 茂木びわと同じく柏駅前の高島屋で購入してきたメキシコ産のマリアッチ・マンゴー、1個600円でした。同じ高島屋の中に出店している銀座千疋屋では、宮崎県産完熟マンゴー“太陽のたまご”が桐箱入りで1個15,000円で売られています。幾ら安全安心な国産品といっても高過ぎるのでは?、恐らく値段ほどの味の違いはないと思います。先日マレーシアで食べたアップルマンゴーの完熟品は1kgの大玉が僅か6RM(200円)程度、懐の心配をすることなく心ゆくまで味わうことができました。以来すっかりマンゴーファン、さてメキシコ産のお味は如何。

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茂木びわ

Dsc07376 2008年5月31日(土) 房州びわと並び称される長崎県産の茂木びわ、午前中柏駅前の高島屋へ行った序に購入してきました。5個入りパックが578円、清水の舞台から飛び降りるような決断でしたが、この歳になると明日がどうなるか分らないし、今日が大事と財布のひもをゆるめました。さすがは茂木びわ、さすがに高島屋、実に結構な旬の味でした。

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