« 榴岡天満宮 | トップページ | プラム酒 »

奥の細道三十三霊場 第一番 陸奥国分寺(仙台市)

Dsc07915 2008年6月21日(土) 6:30起床、きょうも深い霧の朝。午前大林寺へ墓参に行き、序に木ノ下の陸奥国分寺跡を見学する。国指定史跡「陸奥国分寺跡」に着き、先ずは入口に立つ説明板を読む。『国分寺は、国分尼寺とともに、天平十三年(741)二月十四日の聖武天皇の詔により、国家鎮護の宗教的機関として各国ごとに建てられた。金光明四天王護国之寺と呼ばれ、法華滅罪之寺と呼ばれた尼寺とあわせて、全国で124ケ寺建てられたと伝えられているが、 仙台に所在するのはそのうちの一つで、古代陸奥国に建てられたものである。 具体的な造Dsc07918営の経過については文献からうかがうことはできないが、創建時の瓦から推定して天平十三年から天平神護三年(767)に至る頃と考えられている。陸奥国はその名が示すように「道の奥の国」で、奈良から東にのびる東山道の終着駅にあたる要地であり、古代東山道は国分寺跡の東方に沿って陸奥国を直轄する国府多賀城へ通じていた。本史跡については昭和30年~34年に本格的な学術調査が行われ、その結果壮大な伽藍の全貌が明らかになっている。すなわち、その伽藍は一辺約240メートル(800天平尺)四方の寺地を区画して南向きに建てられたものと考えられ、寺地の南北中軸線上に南大門、中Dsc07917門、金堂、講堂、僧坊が一直線に並んでいる。また金堂、中門を廻廊で結び、金堂、講堂間の東西に鐘楼、経楼を、金堂の東には七重塔を置き、塔にも廻廊をめぐらしている。塔の廻廊は柱が二列の単廊であるが、金堂、中門を結ぶ廻廊は三列の複廊であった。伽藍配置等をこのように明確に知ることのできる国分寺跡は全国的に見ても珍しく、  大変貴重であるので計画的な保存が図られており、昭和47年度からは、主要堂塔を中心に環境整備が進められている。仙台市教育委員会 』。境内には陸奥国分寺の堂塔の礎石が残るだけであるが、慶Dsc07941長十二年(1607)伊達政宗が再建した薬師堂(重要文化財)、鐘楼、仁王門が建ち、奥の細道三十三霊場の第一番となっている。堂内からは朝のお勤めであろう、読経の声が漏れてくる。そのほか、仙台市指定保存樹木の大イチョウ(樹齢約350年)、大ヒイラギ(樹齢約200年)があり、歴史の重みを感じさせる。道を挟んだ隣地には、仙台三十三札所の第二十五番、準胝観音堂が建つ。その境内には、芭蕉句碑「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」が建てられている。元禄二年(1689)旧暦五月七日、おくのほそ道行脚で仙台滞在の折、薬師堂(国分寺跡)に参詣したという記述があるが、その時の吟詠である。他にも望月宗屋句碑、大淀三千風供養碑(仙台市指定文化財)などがある。又、庚申塔、二十三夜塔、蔵王大権現碑、山神碑、南無阿弥陀仏碑、それに百八地蔵尊霊場第一番の延命地蔵尊像も立つ。それにしても貴重な史跡が自宅の直ぐ近くに存在していたものである。これまでは全く無関心であったが、この歳になるとその有難味が良く判る。

|

« 榴岡天満宮 | トップページ | プラム酒 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 榴岡天満宮 | トップページ | プラム酒 »