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仙台東照宮

2008年8月15日(金) 「人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し。急ぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし。Dsc09661心に望おこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。いかりは敵とおもへ。 勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」、東照君こと徳川家康公の御遺訓であり、今日の日本人が最も良く噛みしめねばならぬ言葉のひとつであろう。そんな思いもあって午後は仙台東照宮へ参拝、日光や久能山など全国に21箇所ある東照宮のひとつである。由緒書きによると、「仙台藩二代藩主伊達忠宗公は、徳川幕府への尊崇・感謝の標として、 慶安二年(1649)五月二十八日、三代将軍徳川家光公に東照大権現の仙台勧請を願い出て許しを受け、同年八月十七日普請始(着工式)を行った。この地は玉手崎とよばれ、天正十九年(1591)十月、徳川家康公が葛西大崎一揆Dsc09667の視察を終えて江戸へ戻る途中、藩祖伊達政宗公と宿陣された所で、祭神縁りの場所として社地に選ばれたという。尚、この地にあった天神社は東隣に移され、寛文七年榴岡に移された(現在の榴岡天満宮)。社殿が完成したのは、着工以来五年後の承応三年(1654)である。同年三月十六、 十七日に、造営落成御遷座の儀式が荘厳に行われた。造営に当った人足五十八万三千六百七十五人、大工十二万九千九百六十七人、材木二万四千七百三十本、総工費小判二万二千四百九十六両を要した。諸国に材を求め、一流の工匠が工事に携わる等、仙台藩総力をあげての大事業であり、伊達文化の粋を結集したものであった。以後、伊達家の守護神として尊崇され、明暦元年(1655)より毎年九月十七日を祭典日と定め、藩主在国の年には城下Dsc09674十八ケ町に命じ、神輿渡御の先駆として山鉾を出さしめ、 藩内最大の祭礼であった。この祭りを仙台祭と称し、江戸時代末期まで盛大に行われた。昭和十年(1935)八月六日早朝、失火により幣拝殿が焼失し、貴重な文化財が烏有に帰したが、昭和三十九年(1964)十一月十七日、氏子崇敬者の協力により原形に復興された。本殿、唐門、透塀(すきべい)、随身門、石燈篭、石鳥居は国指定重要文化財に、手水舎(てみずや)は県指定有形文化財に、それぞれ指定されている。昭和五十三年(1978)六月、唐門、透塀の大修理が竣工、昭和五十五年(1980)六月には本殿の修復工事が完了して、創建時の荘厳華麗な姿に復元された。」とある。日光の東照宮には及ぶべくもないが、それでも伊達文化の粋を結集したというだけあって、いずれも重厚で格調高い建造物、見応えがある。

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