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塔のへつり・大内宿

2008年11月10日(月) 芦ノ牧温泉不動館小谷の湯に前日から宿泊、熱い温泉が効いたのか久し振りにぐっすり眠る。Dsc035177:30朝食、2階の大広間に下りる。アジの開き、ゼンマイの煮付け、カニ汁など出るがいまいち。8:45支払いを済ませホテルを出発、“塔の岪(へつり)”へ向う。 湯野上温泉を通り抜け9:10塔の岪入口の大駐車場に着く。昭和18年8月24日国の天然記念物に指定された塔の岪は天下の景勝地であり、阿賀川(大川)が百万年もの長い歳月をかけて浸蝕した渓谷に奇岩怪石が塔のようにそそり立つ。特に今の時期は錦秋をまとって見事な景観を見せている。10本の岩塔は右岸に集中しており、上流側から鷲塔岩、鷹塔岩、獅子塔岩、屋形塔岩、櫓塔岩、九輪塔岩、尾形塔岩、象塔岩、護摩塔岩、烏帽子塔岩と名付けられている。木々に隠れているのか、7、8塔しか数えられない。各塔岩の下部に流水の浸蝕により形成された回廊があり、昔はそこをへつって歩けたようである(現在は立入り禁止)。吊り橋で対岸(右岸)に渡り、護摩塔岩の基部の岩窟に祀られている虚空蔵尊にお参りする。虚空蔵尊縁起の掲示板には、「抑 当所 虚空蔵菩薩は運慶一刀三礼の御作にて霊現験かなる大満薩埋と拝ませ給ふに曰く能満処弁 大非虚空蔵と名付く故 信心の輩は諸難の拂ひ知Dsc03543慧福徳をしたしめ 後世は罪を滅し浄土の宝殿に導かせ給へり 御手に剣 如意 宝珠を持たせ給う 現世二世の尊像なり」とある。まあ何にしても有り難い。露店で原木栽培ナメコを購入して車に戻り、次の観光地“大内宿”へ向う。 10:00大内宿入口にある大駐車場着、外気温は6℃しかない。会津の山間部に雪が降るのも間もなくであろう。「重要伝統的建造物群保存地区下郷町大内宿」と題する高札には、「国選定 昭和56年4月18日 大内宿は会津若松と日光・今市を結ぶ南山通り(会津西街道)の宿駅の一つである。この南山通りは会津藩が江戸時代初期に会津と江戸を結ぶ幹線道路の一つとして整備したもので、廻米などの物資のDsc03548輸送で栄え、会津藩主も参勤交代の際にこの道を利用するなど重要な街道であった。大内宿が宿駅として整えられたのは十七世紀中頃と推定され、 本陣・脇本陣がおかれた。保存地区は旧街道に沿った旧宿場を中心とする南北約500メートル、東西約100メートルの範囲にある。本地区の町並の特長は寄棟造りの建物が道路と直角に整然と並べられていることである。主屋は道路から空地を設けて敷地の北側に後退して建ち、南は余地をおいて奥の土間入口への通路となっており、倉や納屋は主屋の奥に建つ。主屋の多くは江戸時代後期から明治にかけて建築されたもので、道路側に半間幅の縁をつけ、その奥の二室を座敷としている。道路Dsc03552の中央には広い溝が設けられ宿場の用水路として利用されたが、明治十九年になって埋め立てられ道路の両側に側溝が掘られ洗い場を設けるなど変遷があった。 この町並は、会津及びその周辺地域にみられたこの地方の宿場形態の典型的なもので、その多くが失われた今日もなお往時の姿をよく残している。また周囲の社寺や自然環境とも一体となって優れた歴史的景観を今に伝えている。文部省・福島県・下郷町」とある。藁葺き屋根の建物が未舗装路の両側に並ぶ佇まいは昔の宿場町のままであるが、殆ど全ての家が今や通りに面した縁と座敷とを改造し、土産物や食べ物を商っている。じゅうねん味噌の焼き団子、栃の実モチ、みしらず柿など珍しいが、Dsc03566中でも 民宿大和屋の名物、長ネギ1本で食べるネギ蕎麦に行列ができている。大型観光バスから観光客が続々と下りて来て狭い通りに人が溢れる。町並の突き当りから浄土宗正法寺の高みに登り、大内宿の全貌を目に収める。そこから急な石段を下った三佛堂の辺りは観光客の姿も少なく、軒下には干し柿やトウガラシの束が吊り下がり、晩秋の山里の情趣が深い。11:00駐車場に戻り帰路に着く。今年の9月下旬に開通したばかりのR289を通り、真新しい甲子トンネルを抜けて白河へ向う。途中から眺める二岐山の山頂部は霧氷で真っ白である。西郷村の阿武隈川渓谷展望台から眺める大白森山の頂も又白い。R4、新国道4号線、R16と一般道のみを走り16:40帰宅。2日間の走行距離は632キロメートル。(完)  

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