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梅ヶ瀬渓谷

2008年11月26日(水) 今日は家人を伴い養老渓谷の紅葉見物。9:30出発、R16、館山道、Dsc03888R297を走る。途中、道の駅「あずの里いちはら」で休憩、煮いちじくとむかごを購入する。 12:10小湊鉄道養老渓谷駅到着、駅近くの路上スペースに駐車する。初めは中瀬遊歩道を軽く歩き、清澄寺にお参りに行く積りであったが、案内図に「梅ヶ瀬渓谷」という名前を見つけ急遽予定を変更、一日ハイキングに切り替える。梅ヶ瀬渓谷最奥にある「日高邸跡」は千葉県有数の紅葉の名所らしい。駅から梅ヶ瀬渓谷入口まで車道を2㎞歩き、渓谷入口から日高邸跡まで谷底を3㎞歩く。渓谷は梅ヶ瀬川の浸蝕作用により形成されたものであるが、谷の両側に断層が30mもの高さで聳え立つ。整備された遊歩道などはなくて山道であり、浅い水の流れを踏み石で何回も徒渉し、両岸を登ったり下ったり高巻きしたりへつったりする。Dsc03913ハイカーの殆どはリュックに登山靴の本格的装備、当方はウォーキングシューズのため難儀する。谷筋の紅葉はいまいち、紅葉まつりも23日に始まったばかりである。倒木が多く湿っぽいのでナラタケが出ている。きのこ採りをしながら進むと14:00ようやく日高邸跡に着く。そこは小広い台地で3本の大モミジの木が生えている。枝先を彩る紅葉も申し分なく美しいが、一面に散り敷いた紅葉が大地を紅に染める様がなんといっても素晴らしい。なるほど見事な景色である。それにしてもこんな谷の奥に屋敷跡とはと不思議に思い、傍らに立つ千葉県環境部自然保護課作成の説明板を読む。日高邸跡とは日高誠実(のぶざね)という篤志家の屋敷があった所であり、そのプロフィールは「天保七年(1836)日向国高鍋藩士の家に生まれる。元治元年(1864)江戸に再度遊学し、帰藩後藩校明倫堂の教授となる。 明治5年(1872)陸軍省に出仕、勝海舟、山県有朋、伊藤博文らと親しく接する。明治18年(1885)市原市大久保に188町4反の官有地の払い下げを受ける。明治19年(1886)陸軍を辞し、人生の後半を理想郷の建設にかけるべく、市原市大久保の地に居を移した。そこは標高296mの大福山山麓の仙境であり、誠実の夢Dsc03925はここに大和国月ヶ瀬に匹敵する東海の名勝地を作ることであった(梅ヶ瀬という地名も月ヶ瀬をもじったもの)。 誠実はウメ、ダイダイのほか1600本余を植樹した。誠実が梅ヶ瀬で計画した事業は、梅林の造成、林業、牧畜、養魚などであった。明治21年(1888)誠実は居宅の裏に梅ヶ瀬書堂を建て、講師を招いて近隣の子弟に国漢、英数、書道、剣道を教えた。書堂の全盛時には、市原、君津、長生、山武、夷隅の5郡に及ぶ師弟が学び、多くの地方人材を輩出した。塾生は延べ千人にも及んだと言われる。大正4年(1915)享年80歳で生涯を終える。」とある。当地に日高翁の顕彰碑が幾つも建てられており、今尚地元の人々に尊敬されている御仁である。邸跡のベンチに坐り稲荷寿司を食べる。房総半島最深部の紅葉を心ゆくまで味わってから往路を引き返す。車に戻ったのは15:45、日本三大虚空蔵尊の千光山清澄寺お参りは又の機会にして家路に着く。

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