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椎尾山薬王院

2009年2月15日(日) 筑波山の西麓、男体山から派生する尾根上の隆起、椎尾山に登る序に、中腹に建つ天台宗の古刹、椎尾山薬王院にお参りする。「西の富士、東の筑波」と並称される筑波山は、Dsc04657 古くから人々の信仰を集めた霊山だけに、その山中・山麓には筑波山神社や大御堂を始め数多くの古社・名刹が建立されている。椎尾山薬王院もその一つであり、延暦元年(782)最仙上人の開基、桓武天皇の勅願寺と称する古刹である。「三重塔」、「金銅造 薬師瑠璃光如来坐像」、「椎尾山スダジイ樹叢」は茨城県指定文化財であり、「本堂」、「仁王門」、「木造 因陀羅大将立像」、「小金銅仏立像(四躯)」、「算額(二面)」は桜川市指定文化財と見所が多い。参詣順路に従い仁王門をくぐる。仁王門は元禄元年(1688)の完成、仁王像とともに風神像、雷神像も祀られている。Dsc04656 本堂は数度の火災を経て現在のものは延宝八年(1680)の完成、堂々たる建造物である。本堂に上り、薬師如来の真言「ヲンコロコロセンダリ マトゥギ ソワカ」を唱えてお参りする。堂内には、巨大眼鏡が置かれてあり、蔓の輪をくぐると眼病が癒ると云う。最近めっきり老眼が進み飛蚊症気味の我が眼を、今しばらく長持ちさせるためにと喜んで輪を潜る。堂内に開山堂もあり最仙上人像が祀られている。像の前に手書きの「開山最仙上人縁起」が掲げられており、それには、「最仙上人は今から一千二百年前、今の茨城県関城町茶花氏の長子として生れた。上人は幼い時から学問等に優れた才能を発揮し、神童と呼ばれるほどであったという。後に佛門に入り初めは法相宗に属していた。上人は当院の南谷にある椎の洞に篭り、朝に法華三昧の境に入り、夕に念佛観心をこらし、定慧兼備の名僧として世の中に徳を施していた。椎尾山略縁起を見ると次の一説がみられる。『偶々、上人の在す洞より紫雲棚引きて、光燦然として禁闕に及べり。桓武帝之を奇とし給ひ、 勅して侍臣を遣わし光源を尋ねしDsc04666め給ふ。勅使即ち光を便りて、当山南谷椎の洞に至り、上人に遇ひ修法の恵を問ふ。上人答へて曰く、吾は唯天下泰平国土安穏を祈るの外に他意なしと』。このことによって当院は桓武天皇の勅願寺として建立され、最仙上人の霊験あらたかな功徳は桓武帝、そして一般大衆に至るまで及んだという。そして上人は伝教大師最澄の高弟となり、宗派も天台宗に改められ、以来法灯一千二百年の歴史を今もきざみ続けている」と書かれてある。本堂の右側に建つ三重塔は茨城県内三塔のひとつに数えられ、38世学頭本孝(がくとうほんこう)、 39世尊孝(そんこう)が、大工棟梁桜井瀬左衛門安信の手によDsc04720り宝永元年(1704)に完成させたもの、桜井安信はその8年後に成田山新勝寺三重塔も完成させており、当代きっての宮大工であったろう。建築様式が奈良法隆寺の五重塔に似ていると云われるだけあって重厚な建造物である。すっかりお参りと見学を済ませてから、薬王院の裏山、スダジイの巨木に覆われた椎尾山へ登りに行く。因みに、県天然記念物(平成6年1月26日指定)の椎尾山スダジイ樹叢は、境内と裏山斜面一帯2.6ヘクタールの範囲にあり、樹齢300年から500年と推定されるスダジイの古木が10数本生育している。他にクスノキ、ケヤキ等の大木もあり、加えて108科395種の植物相、37科111種の動物相が確認されている。自然環境保全上貴重な樹叢である。

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