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真間山弘法寺(ままさん・ぐほうじ)

2009年3月30日(月) 天気が良いので家族3人でお花見に出かける。行き先は市川市真間の弘法寺、境内にある伏姫桜(ふせひめざくら)が満開なDsc05163そうな。 自宅から17㎞、弘法寺は住宅地に囲まれた高台に建つが、アクセス道路が狭く辿り着くのに四苦八苦。20台位の駐車スペースは当然満車であったが、帰る車があって辛うじて後釜に納まる。お目当ての伏姫桜は樹齢400年を越すシダレザクラの古木、樹勢今なお盛んで枝張りも見事である。カメラを手にした見物客が引きもきらず、平日とは思えぬ人出、それを目当てに沢山の露店も並ぶ。市川市教育委員会の説明板には、「弘法寺は、奈良時代、行基菩薩が真間の手児奈の霊を供養するために建立した求法寺がはじまりであり、その後平安時代、弘法大師が七堂を構えて真間山弘法寺とし、さらにその後天台宗に転じたとされDsc05170る。鎌倉時代、この地に及んだ日蓮の布教を受けて、建治元年(1275)、 時の住持了性(りょうしょう)が日蓮の弟子で中山法華経寺の開祖日常(にちじょう)との問答の末やぶれ、日蓮宗に転じ、日常の子で六老僧の一人日頂(にっちょう)を初代の貫首としたと伝える。鎌倉末期の元亨三年(1323)には千葉胤貞により寺領の寄進を受け、延文三年(1358)の日樹置文(にちじゅ・おきぶみ)によれば葛飾郡一帯や千田庄(多古町)に多くの寺領や信徒を擁していたことが知られる。また室町・戦国時代には山下に真間宿または市川両宿といわれる門前町が発展し、賑わいをみせていた。天正十九年(1591)、徳川家康より朱印地30石を与えられ、元禄八年(1695)には水戸光圀も来訪したと言われる。明治二十一年(1888)の火災のため諸堂は焼失してしまったが、明治二十三年(1890)に再建され、現在に至っている。境内には、日蓮の真刻と伝える大黒天をまつる太刀大黒尊天堂、 水戸光圀が賞賛して名づけたといわれる遍覧亭、袴腰の鐘楼、仁王門、伏姫桜とよばれる枝垂桜があり、小林一茶、水原秋桜子、富安風生などの句碑がある」とある。伏姫桜を堪能してから境内を一巡し、太刀大黒尊天堂や里見龍神堂に参詣する。更に、伝説の美女、真間の手児奈(てこな)を祀る山麓の手児奈霊堂にもお参りして引き揚げる。帰路、イオン柏ショッピングセンターに寄り、インド料理専門店のガネーシャ・ガルでカリーランチの昼食。

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