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手児奈霊堂(てこなれいどう)

2009年3月30日(月)  手児奈霊堂は手児奈の墓所と伝えられる地に建てられた御堂である。真間山弘法寺の七世日与上人が文亀元年(1501)、手児奈の霊を祀る霊堂として世に広めたという。 弘法寺の一堂宇であるが、境内から少し離れた門前町の一隅に建つ。手児奈は下総国の国府(現市川市国府台)近くに住んでいたという伝Dsc05148説の美女である。美しいゆえに多くの男性から求婚され、しかも自分のために人びとが争うのを見て、人の心を騒がせてはならぬと、真間の入江に自ら身を沈めたと伝えられる。参道入口に建つ手児奈霊神碑は寛政七年(1795)、澤田嘉右衛門氏の奉納である。今では縁結びと安産の神様としてお参りされているようで、境内に沢山の絵馬が奉納されている。中には「一流のホステスになれますように!」などと、手児奈霊堂には相応しからぬ願い事もあるが・・・。奈良朝前期の万葉歌人、高橋連蟲麿(たかはしのむらじむしまろ)や山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)もこの地を訪れて手児奈を偲ぶ歌を次のように詠んでいる。勝鹿(かづしか)の真間娘子(ままのおとめ)を蟲麿の詠む歌一首、「鶏が鳴く 吾妻の国に 古に ありける事と 今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿の 真間の手児奈が 麻衣に 青衿着け 直さ麻を 裳には織り著て 髪だにも 掻きは梳らず 履をだに 穿かず行けども 錦綾の 中につつめる 斎児も 妹に如かめや 望月の 満れる面わに 花の如 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るが如 水門入に 船漕ぐごとく 行きかぐれ 人のいふ時 Dsc05152いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒ぐ湊の 奥津城に 妹が臥せる 遠き代に ありける事を 昨日しも 見けむが如も 思ほゆるかも」(万葉集巻9-1807)、 反歌 「勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」(巻9-1808)。勝鹿の真間娘子の墓を過ぐる時、赤人の作る歌一首、「古に 在りけむ人の 倭文幡の 帯解きかへて 伏屋立て 妻問しけむ 葛飾の 真間の手児奈が 奥つ城を こことは聞けど 真木の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき言のみも 名のみもわれは 忘らゆましじ」(巻3-431)、反歌 「われも見つ人にも告げむ葛飾のままの手児奈が奥津城處」(巻3-432)、「葛飾の真間の入江にうちなびく玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ」(巻3-433)。一度万葉集をじっくり読まねばなるまい。(この項は、NHKブックス49、木俣修著「万葉集・時代と作品」を参考にしました) 

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コメント

真間の手児名、オペレッタになっていて、中学時代に文化祭で演じたことを思い出しました。衣装も手作りで、奈良のころの服装を調べながら作ったのも懐かしいです。
こんなに立派なお堂が建っているのですね。

投稿: ROSARY | 2009年4月 8日 (水) 00:25

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