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佐野厄除け大師

2009年4月10日(金) 宮城村Dsc05462 (現前橋市)の赤城南面千本桜の見物を終え、桜川市磯部へ向う途中で佐野厄除け大師に立ち寄る。 厄年とか風水には全く無関心であったため、これまで何度も側を通りながら参詣する機会を逸し、今回が初めてである。境内に入ると、黒塗りの鐘楼に吊り下げられた黄金色の梵鐘が目に飛び込み度肝を抜かれる。この金銅(きんづくり)大梵鐘は、元三慈恵大師(第十八代天台座主、良源上人(912-985))の一千年遠忌を記念して建立されたもので、製作者は人間国宝の香取正彦氏、直径が1.15m、重量が約2tあり、金の梵鐘としては日本一大きい。佐野厄除け大師は正式の寺号を春日岡山転法輪院惣宗官寺(かすがおかやDsc05471まてんぼうりんいんそうしゅうかんじ)といい、天慶七年(944)藤原秀郷公が佐野春日岡(現在の城山公園)の地に春日明神の社殿とともに一寺を建立し、奈良の僧、宥尊(ゆうそん)上人を招いて開山したのが始まりとされる。平安時代末期の保元・平治の頃には一時衰退したが、正応年間(1288-1292)になって比叡山の僧俊海が信徒を募り、藤原一族および北条一門の有志とはかって、鎌倉幕府九代執権北条貞時を動かし、永仁五年(1297)復興完成した。その時宗派も従来属していた法相宗から天台宗に替わっている。慶長七年(1602)幕命により、秀郷公から数えて30代の佐野信吉公が居城唐沢城を春日岡に移すにあたり、 現在地に移転している。徳川時代には御朱印五十石を拝領し、寺社奉行も置かれ、三代将軍家光公も参拝するなど徳川幕府との縁故が深い。ご本尊は厄除け元三慈恵大師(御本地・如意輪観音)である。本堂にお参りしてから境内を一巡りする。境内には開創一千五十年を記念して建立されたパゴタ供養塔、先駆的社会運動家として有名な田中正造翁の墓、県指定重要文化財の東照宮社殿などがある。パゴタ供養塔は、三界萬霊有Dsc05456縁無縁の霊、戦争災害死者、事故横難死者、水子霊等を供養する功徳莫大な聖衆倶会楽の塔であり、四メートルの方形基壇に六つの相輪と一つの塔身水煙をつけた宝珠からなり高さ八メートルを有する。相輪は六道輪廻を塔身上部は天をあらわし、そこに位置する宝珠は深く佛を信じる魂そのものである。設計製作は二科会会員の田村了一氏、基壇は古代インドのサーンチー遺跡をアレンジ・デザインしている。田中正造翁の墓前には石川啄木の歌碑が建つ。「夕川に葦は枯れたり血にまとう民の叫びのなど悲しきや」、足尾銅山鉱毒被害による渡良瀬川農民の窮状を明治天皇へ直訴した翁の行動に感動し、盛岡中学三年在学時の啄木が詠じた一首である。また、東照宮社殿は、元和三年(1617)三月二十七日、徳川家康公の御霊が静岡県久能山より日光遷座の途中当山に一泊、この仏縁により諸大名の寄進によって造営されたものである。

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