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古代都市シーギリアと古都ポロンナルワ

2009年4月25日(土) 5:45起床、エアコンは静穏だったが今度は蚊がうるさい。コンセントが一個しかなく、デジカメ充電に当てたため電気蚊取り線香が使えない。夜中3匹撃墜、2箇所刺される。やれやれ。6:30から朝食、目玉焼きとバナナを食べ紅茶を飲む。7:30出発、いよいよ旅のハイライト、世界遺産「古代都市シーギリア」観光へ向う。早朝なので野生動物が見られるかもと、バスはジャングルの中の間道を進む。スリランカには、アジア象、イノシシ、サンバー(大鹿)、ヒョウなど大型の動物が棲息し、国立公園や自然保護区ではサファリも行われている。P1090293 そこまでは行かないが、雉、孔雀、ジャッカル、マングースなどを見ることが出来、ミニサファリを味わう。世界広しと雖も、スリランカほど人間と動物が蜜月状態で暮らしている国はなく、まさに野生の王国である。最後のアクセス道路は藪の小道、突然の大型バスの進入に驚いて黒い蜂がぶんぶん襲いかかる。8:40シーギリア到着、都城を囲む堀を渡り参道に入る。左右は水の広場と呼ばれる庭園で、沐浴場や噴水設備跡も見られる。前方に切り立った赤褐色の岩山、シーギリアロック(獅子の山)が現れる。ちょっと登れそうもないほど威圧感がある。この山上に王宮が築かれたのは5世紀後半、狂気の王カッサバ1世の時代である。短命政権であったため僅か11年で廃都と なったシーギリアが、今ではスリランカを代表する観光資源となっている。蓋し歴史の皮肉である。山頂までは1,200段の階段があるという。この暑さの中、山寺(1,000段余)以上の階段登りかと思うとうんざりするが、天女達(シーギリア・レディ)に逢わずには帰れない。たちまちヘルパーと称する地元の人々が「アシスタント!、アシスタント!」と言いながら寄って来る。階段で手を引いたりお尻を押したりしてくれるそうであるが、中には悪質な者もいるというので用心して誰も頼まない。ピンク大理石製の石段を延々と昇って行く。プラバート氏も心得たもの、見晴らしの良いP1090297 箇所で、都度休憩を入れてくれる。途中の石窟の天井に天女の絵が2体かすかに残るが、劣化が進んでおり、顔や持物はわからない。中腹のミラー・ウォール(鏡の回廊)に辿り着くと、そこからは岩壁を垂直に登る螺旋階段が待ち受ける。周囲を金網で囲っているので危険はないが、下界の見晴らしが良すぎるため高所恐怖症の人は堪らない。螺旋階段の最上部にオーバーハングした岩壁があり、天女像はそこに描かれている。見学用の足場が岩壁に沿って横に延びる。一応遮光用の布がかけてあるので恐怖感はないが、布の隙間から見える足下の高度感は 妙義山の丁須岩をも凌ぐ。足場板に乗る人の人数制限もしていない様子、ひやひやする。嘗ては500体ほど描かれていたという天女のフレスコ画も、1,500年の風雨に晒されるうちに殆どが失われ、現在残っているのは僅かに22体(18体、23体とする資料もある)である。いずれも妖艶な美女が散華している様子を描いたものであるが、完成当初は極楽浄土もかくやの華やかさであったろう。最初の6体を撮影していると、監視人(?)が手招いてくれ、仕切りの奥にある7体の写真も撮るよう勧められる。後で1ドルのチップを請求されたが一体あの人は何者、遺跡の管理はどうなっているのだろう。それはともかく、お陰で13体もの天女像に出逢え大満足、P1090302確かにスリランカ美術の白眉といえる。螺旋階段を下り、ミラー・ウォールを通り抜けて、 中腹にある広場、ライオンの入口に辿り着く。ミラー・ウオールには7~11世紀頃シンハラ文字で彫られた叙事詩が残されている。ライオンの入口は、今でこそ頭胸部が崩れ落ち、前足の爪の部分しか残っていないが、往時の威容が十分窺える。そこから山頂まで岸壁に沿う急な鉄製階段が延びている。そこで21人中10人がリタイア、木陰で待機することに。10:10山頂着、風が涼しい。石積みの基壇と貯水池が残るだけの王宮跡から360度の展望を楽しむ。視界を遮るものは何もなく、シーギリアの中原は緑濃い。 下りにかかると突然蜂の大群が現れる。真っ黒な小型の蜂でスズメバチではなさそうであるが、黒雲の湧く勢いで恐ろしい。刺されて病院行きになった団体もあるとのこと、事実、ライオンの入口広場には避難小屋もある。良く見るとP1090304断崖のあちこちに蜂の巣がぶら下がる。蜂を刺激しないようにそおっと静かに下りる。ミラ・ウォールを通り抜けると一安心、そこから下り専用の階段を下りる。玉座のある会議堂跡、礼拝堂、コブラ岩などを見物しながらバスに戻る。それにしても他に外国人観光客の姿は殆どない。クラ・ツーの団体パック旅行も今回が再開2回目、やはり内戦が影を落としている。シギリ貯水池越しのシーギリアロックを眺めた後、近くのホテル、シーギリア・ヴィレッジで中食をとる。野菜カリーとパパダンとフルーツサラダを食べ、コーラを飲む。食後プールサイドの長椅子でまどろめば、もう何も言うことなし。 12:30出発、世界遺産の「古都ポロンナルワ」観光のために引き返す。スリランカの人々はフレンドリー、大人も子供も観光バスに笑顔で手を振る。ポロンナルワは米作地帯、水源となるパークラマ・サムドラはスリランカで3番目に大きい貯水池とのこと、貯水池といっても広大で周囲30キロメートル、とても人口湖とは思えない。全国に大小10万箇所の貯水池があるらしく、シンハラ王朝は紀元前後の早くから灌漑用貯水池を建設するなど、高度な土木技術を有していたのである。因みP1090306に米の値段が1キログラム65円、月給は平均2万円(都市労働者?)というから、物価は日本の10分の1程度と思われる。農業国で貧しいけれども、イモ類などを豊富に産し、喰うには困らない。 人々の表情が穏やかな理由であろう。14:00からポロンナルワの遺跡地区見学、ポロンナルワは、10~12世紀にシンハラ王朝第二の都(アヌラーダプラから遷都)があった所で、中世スリランカ美術が花開き、南アジア屈指の仏教都市として繁栄した歴史を持つ。一箇所目は「石立像」、最盛期の王、パラークラマ1世の像とされる。貝葉(ばいよう)と呼ばれる仏典を両手に持つ姿は、王が敬虔な仏教徒であったことを示している。それにしてもこの時間帯は暑さがピーク、くらくらする。二箇所目は「ポトグル・ヴィハーラ」、図書館跡とのことである。三箇所目は「ポロンナルワ博物館」、館内は冷房なしのサウナ状態、遺跡修復前後の写真や復元模型などが展示されている。四箇所目は「宮殿跡」、現在は3階部分までしか残っていないが、かつては7階建ての壮麗な建造物で、部屋は50室 (一説には1,000室)もあったらしい。鰐口の水樋がある沐浴場、獅子像が印象的な閣議場も見学する。バスに乗ったり降りたりして短時間移動の繰り返し、ひどく疲れる。五箇所目は遺跡群の中心「クワドラングル」(ダラダーマルワ寺院)、円形仏堂ワタダーゲに登壇し、真言を唱えながら中心仏塔を時計回りに一周する。その外、蓮の茎を模った石柱が並ぶラター・マンダパヤ、孤高の立像(弥勒菩薩像とも)、7階層の塔サットマハル・プラサーダ、ヤシの葉の本の形をした大石碑ガル・ポタなどを見学する。六箇所目は「ランカ・ティラカ仏堂」、一番奥に高さ13メートル、P1090316 頭部の欠けた巨大なレンガ製仏立像が祀られている。その前でも真言。最後は「ガル・ヴィハーラ寺院」、自然石に彫り出された14メートルの涅槃像、7メートルの立像、4.6メートルの坐像が左から右に並んでいる。衣の二重線はポロンナルワ独特の様式とか、いずれの仏像も穏やかな良いお顔をしている。お賽銭をあげて般若心経を唱える。夕方になり漸く涼しくなる。17:00バスに戻りホテルへ向う。部屋に入るとエアコンが効いておりほっとする。お湯を沸かしカップ・ヌードルを食べる。旅先ではこれが一番美味い。19:30からの夕食は前日と全く同じ料理が並ぶ。早くもスリランカ料理に食傷気味、ゴールドブルー・ラガーを1本飲む。部屋に戻り「秘密」の続きを読むうち、ポロンナルワの夜が耽る。(続く)

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