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宗吾霊堂(鳴鐘山東勝寺)

2009年12月21日(月) 今日は成田市にある宗吾霊堂にお参りに行く。宗吾霊堂は鳴鐘山東勝寺(真言宗豊山派)の佛殿で、Dsc01421 江戸時代初期の代表的義民、佐倉惣五郎(本名は木内惣五郎)を祀る御堂である。江戸時代後期に書かれた「地蔵堂通夜物語」や、それを脚色した歌舞伎「東山桜荘子」では、承応二年(1653)、下総佐倉領主堀田正信の時、不当な重税に苦しむ領内三百八十九ヶ村農民を代表して、上野寛永寺に参拝する途中の四代将軍家綱に直訴し、ために領民は救われたが、惣五郎は磔、4人の子供も死罪に処せられたことになっている。現在東勝寺が建つ場所は、まさに惣五郎親子が処刑され埋葬された公津ヶ原刑場跡とのこと、近くの下方地区にあった堂宇が火災で焼失したのを機に、大正十年(1921)Dsc01414寺地を現在地に移転したようである。おそらく、歌舞伎等で全国的に有名になった惣五郎人 気にあやかるべく、親子の墓地を境内に取り込み、その霊を祀る御堂を建立したものであろう。当時の御住職は東勝寺にとって中興の祖、そのお陰で今日でも年間240万人の参拝客があり、宗吾霊堂(本堂)、薬師堂、大本坊、聖天堂、奥ノ院、霊宝館、御一代記館、鐘楼、仁王門など七堂伽藍を備える大寺となっている。因みに宗吾霊堂の「宗吾」は、宝暦二年(1752)の百年忌に、佐倉藩主堀田正亮より諡号された法号「宗吾道閑居士」に由来する。惣五郎親子の墓と本堂にお参りしてから、霊宝殿前の下総式板碑の板石塔婆二基を見学する。康永元年(1342)と明徳二年(1391)の建立で、成田市文化財にも指定されている珍しいものである。天気は良いが北風が吹き荒れる寒い日、そそくさと東勝寺を後にし、印旛沼の渡しまで延びる義民ロードを辿り、宗吾旧宅へと向かう。

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