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麻賀多神社

2009年12月21日(月) 宗吾旧宅を見物してから近くにある麻賀多(まかた)神社に参拝。麻賀多神社は平安時代に編集された「延喜式」の神名帳に記載されている由緒ある神社であり、Dsc01432 祭神は伊勢外宮豊受大神の親神であるところの稚産霊命(わかむすびのかみ)である。由緒書には、『御祭神 和久産巣日神(わくむすびのかみ) 神代のその昔、日本の国が豊葦原の瑞穂の国と稱された時代がありました。当時の神で、いわば我が国の初めのころの神とも云へましょう天照大神の妹神になります産業を司どる神として生れました。此の地方は二千年の昔、麻の産地で麻縣(あさがた)とも云われた時代がありました。当時麻は織物類の原料として貴重なものでありました。朝廷の身に着ける衣はこの土地から献上されていたとのことです。其のためこの神様の御紋は特別に麻の葉になったと云うことであります。Dsc01437 昭和の今日でも初着には麻の葉の「がら」又婚礼、棟上、地鎮祭等お祝ひにはかならず麻を用いるのは此の神様の象徴で二千年の昔から現在までづっと続いて居ります。今から一千七百年余前(応神天皇)のころ伊都許利命の印旛の国造(地方長官)に任命され、この地方の開発につくされました時に夢の中で洞木の下の地中に玉(勾玉)あり掘り出して和久産巣日神を祭れとのお告げがあり勾玉を掘り出して御鏡と共に霊代(たましろ)として併せて祭り麻賀多の大神として崇め奉りましたこのお社は国幣社で勅使の往来があり印旛湖畔に建つ大鳥居(一の鳥居)は約一千二百年前(桓武天皇)のころ勅使大伴家持の寄進によるものとされて居ります。この地方には古くから人が住み周囲が海であったことから昔この地方は神津(こうつ;神のミナト)といわれておりました。現在の本殿(大宮殿)は元禄九年(1696)の再建にて神楽と共に市文化財になって居ります。 麻賀多神社』とある。本殿の左奥の杉林の中に、ご神木の“公津(こうづ)の大スギ”が聳え立つ。樹齢1200年、目通り周囲9m、高さ40mのお姿は実に立派で有り難い。秋田県の“嫗スギ”や福島県の“杉沢の大スギ”の存在が明らかになった今、東日本一と謳うのはどうかと思うが、全国有数のスギの巨木であることは疑いない。毎年7月31日の例大祭において奉納される無形文化財の神楽舞いを見に又来ようと考えながら神社を後にする。

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