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加波山神社

2010年2月9日(火) 本日、加波山に4度目の登頂を果たし、参詣する(自惚山人ノオト「450.燕山・加波山」参照)。 加波山神社といっても一社ではなく、Dsc01856加波山神社、加波山三枝祇(さえなずみ)神社本宮(以下本宮)、加波山三枝祇神社親宮(以下親宮)の三社からなり、山頂一帯に三社の社殿が建ち並ぶ。先ず石の鳥居をくぐり境内に入ると、禅定道入口の両側に拝殿が建つ。左側が加波山神社の拝殿と社務所、右側が親宮の拝殿である。奇岩怪石が累々と重なる禅定道を山頂めがけて登っていくと次に親宮本殿が現れる。三社とも拝殿と本殿は分離されており、本殿は拝殿より高い場所、即ちより山頂に近い所に建てられている。 次いでたばこ神社本殿がある。玉垣に日本たばこ産業株式会社(JT)と茨城県たばこ耕作組合の名が見える。JTには親しい友人がいるのでそこは念入りにお参りする。Dsc01864更に登ると加波山神社本殿(加波山天中宮)が建ち、「昭和六年夏 京濱大日講社 小池登美」銘の扁額が掲げてある。その先には本宮本殿が建ち、「正一位本宮 加波山大神社」の扁額が懸かっている。その辺りが最も高く山頂(709m)のようであり、傍らに加波山事件70年記念に船橋市の講中が奉納した「自由の魁」の石碑が建つ。少し下った最奥に建つのが本宮拝殿と参籠所である。結局山頂部には七箇所も社殿があり、こんな山も珍しい。加波山神社作成のホームページによると、祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)の三柱で、他に山中に737神を祀るとのこと、又、普明神社御祭神(日本最後の仙人、国安普明命)とたばこ神社御祭神(草野姫命、八雷神、大己貴名)も合祀している。由緒はと云うと、「約二千年前の日本武尊の東征に際し加波山に登り、三神(天御中主神、日の神、月の神)を祀り、 社を建て加波山天中宮を創建したと伝う。弘仁五年(809)に第五十二代嵯峨天皇により奉納された御宸筆の掛軸が今も残る。その後、和歌山県の熊野山Dsc01866の御祭神が山頂に祀られ、新宮・本宮の二社が新たに創建された。鎌倉・室町時代には、山内に仏教寺院が建ち、神仏混交の形になるとともに、七百余の神々を奉る霊場が整えられた。江戸時代に入ると、加波山大権現と称し、山伏、修験者の真言密教加波山三光流の道場として栄えた。明治元年の神仏分離令により寺院は廃止される。明治六年(1873)、加波山天中宮は郷社に列せられ、社名を加波山神社に改めた。又、新宮・本宮は村社に列せられ、社名を三枝祇神社親宮・本宮と改め、戦後、加波山神社の許可を得て加波山の文字を付け加えた」とある。なるほどこれなら良く判る。加波山神社の本家本元は天中宮であり、親宮と本宮は、恐らく庶民の熊野詣でが盛行した鎌倉時代以降になって熊野速玉大社と熊野本宮大社から分神を勧請したのであろう。なお、加波山事件とは、明治十七年(1884)自由党急進派が政府打倒を企図して加波山で蜂起した事件。警察署などを襲撃したが数日で鎮圧されている。 

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