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三姓穴(サムソンヒョル)

P1110391 4世紀頃成立したとされる耽羅国の建国神話ゆかりの地。ここの地中の三つの穴から高乙那(こうるら)、梁乙那(やんうるら)、夫乙那(ぷうるら)の三神人が現れ、海の彼方碧波国(日本とする学者が多い)から遣わされた三王女と結婚し、三王女が持参した五穀と家畜を元手に農牧を始め、子孫を増やしたと伝えられている。恐らく三世紀当時、朝鮮半島南西部の馬韓に並立していた50余の小国家群の興亡のうちに、済州島に逃れてきた三系統の王族があったのであろう。日本で一番近い長崎県の五島列島まで180キロメートル、日本人の血が 混じっていても不思議は無い。済州島には今でも三神人と同じ高、梁、夫の名字を持つ人P1110392が多いとのこと、これら末裔の人々により、毎年4月10日と10月10日には春と秋の大祭が、又、12月10日には乾始大祭(道民祭)が現在も盛大に行われている。三姓穴は柵に囲まれており近づくことが出来ず、覗けない。敷地内には李氏朝鮮朝の粛宗二十四年(1698)に建立され、三乙那の位牌を安置する霊廟の三聖殿をはじめ、年三回の例大祭に関わる典祀庁、学舎の崇報堂、あずまやの慕聖閣などが建つ。尚、三姓穴は国家指定文化財史跡第134号に指定されている。

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 済州島の耽羅神話(三姓神話)


『高麗史』地理志 巻五七

耽羅縣、在全羅道南海中、
其古記云、
大初無人物、
三神人從地聳出 〔其主山北麓、有穴曰毛興、是其地也〕、
長曰良乙那、次曰高乙那、三曰夫乙那、
三人遊獵荒僻、皮衣肉食、
一日見紫泥封藏木函、浮至于東海濱、就而開之、函内又有石函、
有一紅帶紫衣使者隨來、
開石函、出現青衣處女三、及諸駒犢五穀種、
乃曰、
我是日本國使也、
吾王生此三女、云西海中嶽降神子三人、將欲開國、而無配匹、
於是命臣、侍三女以來、
爾宜作配以成大業、
使者忽乘雲而去、
三人以年次分娶之、就泉甘土肥處、射矢卜地、
良乙那所居曰第一都、高乙那所居曰第二都、夫乙那所居曰第三都、
始播五穀、且牧駒犢、日就富庶、
至十五代孫高厚高清昆弟三人、造舟渡海至于耽津、
蓋新羅盛時也、・・・

◆【高麗史日本伝 上 /朝鮮正史日本伝 2】
武田幸男/編訳 岩波文庫
P.340~P.341 志訳文〔志〇一二〕
P.381 志原文〔志〇一二〕

●高麗史(李氏朝鮮編纂の官撰史)
耽羅神話(三姓神話)「我是日本國使也」
http://image.blog.livedoor.jp/hash0153/imgs/c/c/cc68f147.jpg

●瀛洲誌 えいしゅうし(作者不明・年代不明)
耽羅神話(三姓神話)「我東海上碧浪國使也」
http://image.blog.livedoor.jp/hash0153/imgs/d/d/dd520d9d.jpg

投稿: 四・三事件 | 2010年7月19日 (月) 21:43

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