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目白不動尊(神霊山金乗院)

Dsc02344 2010年3月22日(月) 目白不動尊の所在地は豊島区高田2-12-39、山門前に豊島区教育委員会が平成十九年三月に作成した案内板が掲示してある。それには、「金乗院(こんじょういん)は真言宗豊山派の寺院で、開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創とされています。永順の没年は文禄三年(1594)六月であることから、それより以前、天正年間(1573-92)の創建と考えられます。当初は蓮華山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となりました。江戸時代には近辺の此花咲耶姫社(このはなさくやひめしゃ)などの別当でしたが、昭和二十年四月の戦災で本堂等の建物や、水戸光圀の手になるという此花咲耶姫の額などの宝物は焼失しました。現在の本堂は昭和四十六年に再建され、平成十五年に全面改修されました。目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は、元和四年(1618)大和長谷寺第四世小池坊秀算が中興し、関口駒井町(文京区)にありましたが、昭和二十年五月の戦災により焼失したため、金乗院Dsc02360に合併し、本尊の目白不動明王像を移しました。 目白不動明王は、江戸守護の五色不動(青・黄・赤・白・黒)の随一として名高く、目白の号は寛永年間(1624-44)に三代将軍徳川家光の命によるといわれています。墓地には、槍術の達人丸橋忠弥、青柳文庫を創設した青柳文蔵などの墓があり、境内には寛文六年(1666)造立の倶利伽羅不動庚申塔(くりからふどうこうしんとう)をはじめ、寛政十二年(1800)造立の鍔塚(つばづか)など多くの石造物があります」とある。同じく山門前にある目白銘の石造不動明王坐像は享保六年(1721)の奉納、関東三十六不動霊場の一にして、江戸三十三観音霊場の第十四番札所でもある。

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