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キチジ・アカジ・キンキン

Dsc02537 2010年4月28日(水) カサゴ科の深海魚、脂っこくて左程美味とは思えぬが、近年漁獲量がめっきり減ったらしく超高級魚の仲間入り、拙宅のような庶民の膳から遠ざかって久しい。それでも吉永小百合がTVのCM(確か八戸市の食堂篇)で「これキンキン?」と尋ねるのを観ると、サユリストの私としてはどうしても吉次が食べたくなる。かねてから家人にリクエストしていたが、今日やっと塩焼きで登場する。「それにしても小さいね・・、どういう風の吹き回し?」と尋ねてみれば、高島屋友の会のカードを提示するだけでは駐車場を無料で使えなくなり、小額でも何か買わなければいけなくなったとのこと。まあ、そんな処でしょう。 

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九十九里浜の春アミタケ狩り

Dsc02560_22010年4月27日(火) 例年なら4月中旬が最盛期の春アミタケを一旬遅れで採りに行く。アイスランドの火山噴火が九十九里浜のアミタケ狩りにまで影響を及ぼしている事など誰も知るまい。蓮沼海浜公園と横芝海浜の森のクロマツ林を順に覗くと、既に大部分のアミタケは巨大化し老菌と化している。幾ら寒い春とはいえ、やはり手遅れ感は否めない。なるべく若い菌を選び20本ほど採取する。序に、アマドコロの若芽とナワシログミの実も採集する。帰路、道の駅オライはすぬまに立ち寄り、海水ネギやおろぬきキュウリなど格安の地場産野菜をどっさり購入する。

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定点観察・手賀の丘公園(柏市)

Dsc025302010年4月26日(月) 午後、手賀の丘公園の桜樹の下へアミガサタケを採りに行く。その序の定点観察のせいか、きのこ目に熱が籠らず、さっぱり見つからない。おまけに本命のアミガサタケも蹴飛ばされて倒れているものが多く、収穫は僅かに7本のみ。先週なら30本は固かったと思われる。
《観察種》 ①アシナガイタチタケ、②アシブトアミガサタケ、③アミガサタケ、④ウスベニイタチタケ、⑤ナヨタケ?、⑥フウセンタケ科(写真は④)

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アケビの若芽を食べる

Dsc024862010年4月25日(日) 今日は庭でアケビ(5小葉からなる掌状複葉)の若芽摘み、誰に気兼ねすることも無いのが良い。数年前に近所の公園で幼木を採取し庭に移植したもの、今では主幹の太さが親指くらいになり、盛んに若芽を伸ばしている。花も沢山付けてはいるが、ミツバアケビ(3小葉よりなる掌状複葉)より実りにくいらしく、これまで果実を収穫したことは無い。若芽は強めの塩で茹でてお浸しにするのが一番、ほろ苦いけれども鮮やかな緑色と歯ざわりが楽しめる。お供のビールも苦味のしっかりした本格的なものが合う。うう、忙しい。ああ、美味い。

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アミガサタケ採り

Dsc024842010年4月24日(土) 春は季節の遷ろいが早く、趣味が山菜やきのこ採りだと只でさえ忙しい。それなのに帰国が一週間も遅れたためにやる事が目白押し。アマドコロの若芽採りをした序に近所の学園に移動し、桜樹の下の植え込みをチェックする。毎年アミガサタケが出る場所に今年も17本、ありがたく持ち帰る。早速下茹でしてから醤油、酒、砂糖、トウガラシを用いて佃煮を作る。ああ、忙しい。

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ふるさとの森(流山市向小金)のアマドコロ

Dsc024752010年4月24日(土) アイスランドの火山爆発の影響で帰国便に乗る予定の18日から空港閉鎖、ウィーンで足止めされ延泊すること実に6日、這這の体で今朝漸く帰国する。最早手遅れかと思いながらも、近所の森へ行きアマドコロ群落をチェック。このところの凍える春のお陰で若芽の伸びが鈍ったらしく、何とか摘み頃に間に合う。20本ほど若芽を採取し、とりあえず冷蔵庫に保管する。旅行前に採取したハリギリの新芽もあるので、近く一緒に天麩羅にして春を味わうつもり。

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帰国(ウィーン→成田)

2010年4月23日(金) 5:50起床、P1120993帰国準備の最終荷造りを済ませる。6:50朝食、8時頃までゆっくり食べる。 9:35迎えのバスに乗り空港へ。これでやっと帰れる。阪急交通社から延泊分の請求予定書がきており、アナナスホテルは一室一泊150ユーロ、ゼナトールホテルは同70ユーロ、6泊合計で580ユーロ、1€125円として72,500円也である。もっと長引くかと思い冷や冷やしていたが、まあ、これ位に収まるならば散々遊んだことでもあるし仕方が無い。ホテル手配、ホテル変更時のバスの送迎費用は旅行会社が負担してくれるとのことで有り難い。10:20空港着、搭乗手続きの際のSCの重量は19㎏と18㎏、規定の20㎏以下を無事クリアする。TAX REFUNDDsc02503で25ユーロ取り戻し、免税店で土産物を買い足す。果実のリキュール4本(Marillienlik 2本、Freih.sel.Williams 1本、Bailoni B.R.1本)とチョコレート2箱でしめて65ユーロ、これでユーロも使い果す。手荷物検査を受け出発ロビーに入ると12:50、酒瓶が重い。出発ロビーカウンターでマイレージ加算をしてもらう。13:30搭乗、32F・G席は幸い通路側、大荷物を抱えた人が多く上部の荷物棚から溢れるほど。14:15離陸、成田まで9,163㎞・10時間20分の空の旅である。早速、腕時計の針をを7時間進める。14:50飲み物サービス、往きと同じDsc02501くオーストリアのビール、オタックリンガー(Ottakringer)を飲む。少し苦い。15:20 一回目の食事、OSの食事は機内食としては上等の部類、チョコレートムースは美味。16:15モスクワ北辺の上空にさしかかる。揺れも少なく極めて順調な飛行である。飛ぶ前は火山灰の雲の濃い箇所を避けるため、高度を下げたりコースを変更するような話であったが、そんな事もなさそうである。17:00(東京24:00)、東京へ4,166マイル、あと7時間40分。

4月24日(土) 日本時間0:45、ウラル山脈越え、あと7時間。「黒龍江への旅」読み進める。3:00バイカル湖北辺にさしかかる。あと4時間30分。4:40シベリアの大地上空で日の出を迎える。5:25ハバロフスク上空、もうちょい。6:00二度目の食事はハムとチーズの軽食。7:35成田空港安着、2週間ぶりにようやく日本に帰る。8:30税関をクリアし、自宅とPARK500に電話をする。成田は薄曇り、やや肌寒い。桜はとっくに散り葉桜、季節が大分進んでいる。延着の追加料金3,000円を駐車場に支払い車を受け取る。10:30無事帰宅、早速SCを開け洗濯物の大山崩しにかかる。(完)

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ウィーンの森で出逢ったきのこ

P1120709ウイーンの森に4月18日と22日の2回出掛けて出逢ったきのこはたったの2種類、コフキサルノコシカケ?とアミヒラタケである。森が広がるカーレンベルク山上は春まだ浅く、アミガサタケ採りの市民で賑わうのはもう少し先、それでもからっと開けた広葉樹の森なので秋には色々なきのこが豊富に出そうである。(写真はコフキサルノコシカケ?)

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アウガルテン庭園と中央墓地

2010年4月22日(木) 6:30起床、朝一、長逗留で伸びた爪切り。今日が事実上の観光最終日、ウィーンの休日のフィナーレにP1130278楽聖たちの墓にお参りに行かねばなるまい。7:10朝食、毎日判で押したような同じメニューが並ぶ。 8:30出発、今日もウイーンの空は抜けるように青い。いつの間にか街路樹の若葉がすっかり青葉に変わる。近所のタバコ屋で市内交通24時間フリーチケットを買い、再びウィーンの森散策へ向かう。何度も出入りするのでタバコ屋の女将ともすっかり顔馴染みになる。市電、地下鉄U6とU4線、市バスに乗り継ぎ、カーレンベルクに着いたのは9:50、前回4月18日は日曜日で賑わっていた山頂の展望カフェも閑散としている。今日は風もなく穏やか、視界もクリア、やっと双眼鏡の出番がきて何とか旧市街のシュテファン寺院を確認する。山頂広場の傍らに建つカーレンベルク教会は1629年建立(1683年破壊されその後再建)、第179番が付与されておりウィーンの歴史的建造物のひとつである。内部をちょいと覗かせてもらう。電波塔と展望台(シュテファニーの見晴台、Stefanie Warte、1887年建造、5月~10月の土曜日12-18時、日曜日10-18時オープン)が建つカーレンベル クの山頂に登ると、道端には今が盛りとスミレやタンポポ、それにオドリコソウ(?)が咲く。山頂に人の姿はなく、密やかに爽やかな風が吹き渡る。一旦、バスで中腹のコベンツル(Cobenzl)まで下り、そこから麓のグリンツィング(Grinzing)めざして歩き出す。コベンツルのバス停脇には清潔な無料トイレがあり有り難い。ブドウ畑の間の小道を下って行くと、左手に先ほどのカーレンベルク山頂部の電波塔と教会が見える。地元の人の散歩コースらしく、ステッキを持つ老人が登って来るのとすれ違う。道の両側はマロニエ並木、若葉がお辞儀するようで愛らしい。掘割の近くで切株に アミヒラタケを見つける。これで2種類目、まだ春浅くきのこの発生は少ないが、秋にはきのこ狩りの市民で賑わうのであろう。グリンツィングの街に降り着き、歴史的建造物第189番のTrummelhof(ローマP1130288人居住地跡?)の写真を撮っていると、ツアー仲間の女性2人組に出会い、ベートーベンの遺書の家まで案内を頼まれる。お安い御用、傍らの聖ミヒャエル教会の鐘が正午を告げる。アルムブルスターガッセ(Armbrustergasse)のバス停からハイリゲンシュタット駅に戻る。次はアウガルテン庭園と陶磁器工房、地下鉄でショッテンリンクへ行き、市電に乗り換えてアウガルテン通り下車、 正門から入る。陶磁器工房本館(Porzellanmanufactur Augarten)は元々アウガルテン宮殿(Augartenpalais)という王家の狩りの館、17世紀末の完成でウィーンの歴史的建造物第124番に指定されている。1782年には、モーツァルトがこの宮殿で催される「モーニング・コンサート」の指揮者に任P1130286命されており、1803年5月24日には、この宮殿で「ヴァイオリンのためのクロイツェルソナタ(作品47)」がベートーベンのピアノで初演されている。1775年から市民に開放されたと云う広大な庭園に入り、菩提樹の木陰のベンチに坐り昼食、すっかりこのスタイルが板に付く。 庭園には散策やジョギングを楽しむ市民の姿が多く、ちびっこ広場で遊ぶ子供や両親の姿も多い。庭園の一角に建つ円筒形の建物は、ナチス時代の高射砲台と防空避難所の名残りとか、負の遺産として残しているのであろう。1718年創業とマイセンに次ぐ古い歴史を持つウィーン磁器工房が、ウイーン第9区の磁器小路(Porzellangasse)からこの宮殿に移ったのは1924年のこと、以来、ウイーン磁器工房アウガルテンと名称を改め今日に至る。現在、磁器工房は大規模改装中で見学は不可、倉庫の片隅のミニショップしか開いていない。いよいよウィーンのP1130293休日の締めくくり、楽聖たちが眠る中央墓地へ向かう。リンクのシュヴァルツェンベルクプラッツ(Schwarzenbergplatz)へ出て71番市電に乗る。 もうウィーン市内は自由自在。15:15中央墓地第二門(Zentral Friedhof 2.Tor)下車、広々とした公園墓地の中央通りをカール・ルエガー教会へ向かって真っ直ぐ歩いて行く。中央通りに並ぶ墓は非常に個性的で立派なものが多い。貴族かお金持ちか有名人のものであろうが、ウイーンではお墓まで芸術的である。楽聖たちの墓は教会手前、中央通りに面する第32A地区に集中している。ベートーベン(1770-1827)、 ヨハン・シュトラウス子(1825-1899)、ブラームス(1833-1897)、W.A.モーツァルト(1756-1791)、フランツ・シューベP1130303ルト(1797-1828)、ヨハン・シュトラウス父(1804-1849)、ヨーゼフ・ランナー(1801-1843)、フーゴ・ヴォルフ(1860-1903)、ヨーゼフ・シュトラウス(1827-1870)、グルック(1714-1787)などを確かめる。ウイーンっ子にも墓マイラーは多く、次々とお参りに来る。墓マイラーにはたまらない場所である。ウイーンの休日を楽聖達のお墓参りで締めくくるとは、深田百名山踏破の最後に至仏山を登るようなもの。16:45ホテルに戻る。ドイツビールのFinkbraeu Shankbierの500ミリリットル缶を水道水で冷やしてひとり乾杯、18:30からホテルのロビーとカフェを借用しメンバー全員で最後の晩餐懇親会を開く。添乗員のM氏が知り合いの店から配達してもらった寿司と味噌汁、それに春巻き、餃子、サラダの料理は一人5€、何とも良心的で嬉しい。席上、M氏から明日の航空券の束を見せてもらい大安心、一段と話も弾む。部屋に戻り風呂から上がると21:45、最後の缶ビールGrafenwalder Pils(LIDL社製、ドイツ・ネッカーズルム)を飲んでからSCの荷造りにかかる。(続く)

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アイゼンシュタット(Eisenstadt)

2010年4月21日(水) 6:30起床。7:10朝食、相変わらずたっぷりと昼の分も食べる。コールセンターが開くのを待つ間に、スーパーマーケットで缶ビールと食糧を仕込む。9:45コールセンターへ行き柏の自宅へ電話する。 インターネット電話で1分間10セントと格安、23日の飛行機で帰国予定であることを伝える。市電と地下鉄でウィーンマイドリング(Wien Meidling)駅へ出て、国鉄(OBB)のチケットセンターでハイドンゆかりの地、アイゼンシュタット(Eisenstadt)行きの切符P1130261を買う。パスポートを提示し28€支払いEinfach-Raus-Ticketを受け取る。昨日の学習効果を活かした積りであったが、ウィーンマイドリングとアイゼンシュタット間の正規料金は8€弱、余りメリットはない。 そこでも列車と番線、乗換駅と時刻が記入してあるA4用紙を貰う。8番線から11:38発のREX2821に乗車、時間が来ると何の前触れもなく静かに発車する。列車はウィーンの南東方向、ハンガリーの国境近くへ向かうが、郊外に出た途端にブドウ畑が延々と広がる。ブドウ畑の畝間はタンポポで黄色に埋まり、一面緑の小麦畑の海に菜の花畑の黄色い島がぽかりぽかりと浮ぶ。長い歳月、隅々まで手入れされてきた耕地であり、日本のような耕作放棄地や原野のような荒蕪地は見あたらない。豊饒で長閑な風景が車窓を流れていく。12:28ヴルカプロダースドルフ(Wulkaprodersdorf)駅に着き乗り換え、4分しか余裕が無いので慌しい。 12:38アイゼンシュタット着、P1130265ベンガラ色の駅舎を出ると陽射しが強く眩しい。駅は町の南の外れにあり、北へ真っ直ぐ延びるバーンシュトラーセ(Bahnstr.)をドーム広場めざして歩いて行く。道沿いは新市街でカラフルな集合住宅が建ち並ぶ。城壁跡を過ぎると旧市街に入る。ドーム教会を右手に眺め、ドーム広場を経てペスト塔が建つハウプト通り(Hauptstr.)に出る。ブルゲンラント州の州都の目抜き通りは、観光客の姿も見当たらず地元の人の姿もまばら、白昼夢のようにひっそり閑としている。先ず、1筋 北のハイドン通りにあるハイドン博物館から見学する。アイゼンシュタットはハイドン(1732-1809)ゆかりの地であり、マリア・テレジアの治世(1740-1780)下、ハプスブルク家を支持して富と権力を築き上げたハンガリー最大の名門貴族エステルハージ家に楽長として雇われ、1761年P1130269から30年間に亘って仕えている。ハイドン博物館は、1766年から12年間彼の住居であった建物である。すみれ色の外壁のこじんまりした建物で、看板が小さくて分りにくい。見学者も我々二人だけで、係の女性は暇を持て余していたようである。日本人かと聞かれ、イエスと答えると日本語のパンフレットをくれる。展示室である二階は、控え室、応接間、居間、台所、寝室、ピアノ室に分かれており、居間には18世紀の古い家具と絵の無い50点の額縁、ハイドンの胸像が、 ピアノ室には1771年と72年にこの家で作曲されたと伝わる弦楽四重奏曲17番と20番の自筆楽譜が展示されている。ハイドンファンやクラシック好きにはたまらない空間であり展示品と思われるが、悲しいかな、門外漢にはその素晴らしさが分らない。 ハイドンが鬘(かつら)を着用していた事実を認識したにとどまる。次は、「ハンガリーの小ヴェルサイユ」と呼ばれたエステルハージ公爵家の館、エステルハージ城(Schloss Esterhazy)の見学へ。ハイドン通りを西へ進むと、1672年完成のバロック様式の堂々たる城館が現れる。正面入口を入ると左が見学受付、間もなく14:00のガイドツアーが始まるとのことでタイミングは絶妙。但し、ドイツ語の案内のみで、P1130270日本語のオーディオガイドなどは無し。日本人観光客は少ないとみえ、日本語の図録やパンフレットも置いていない。入館料は、エステルハージ城のガイドツアーのみだと6€であるが、併設のハイドン博物館とワイン博物館の見学を含めると9.9€、せっかくなのでセット券を購入する。 ドイツ人らしい他の観光客7人と中庭で待つこと暫し、若くてイケメンの学芸員が登場し城内を非常に熱心に案内してくれる。マリア・テレジアやハプスブルク家とエステルハージ家との関係を説明してくれたようであるが、ドイツ語では固有名詞と年号くらいしか聞き取れず、ちんぷんかんぷん。妻は「aber,」しか聞き取れなかったらしい。又、P1130273各室のフレスコ画や装飾品も小ヴェルサイユと謳うにはやや粗雑であり、十分な修復がなされていないせいか色彩も褪せている。まあ、シェーンブルン 宮殿やホフブルク王宮を見た直後の目であれば、見劣りするのも致し方ないところ。それでも、青と薄緑のパステルカラーを基調に細かい装飾が施された中国の間は美しく、往時の面影が偲ばれる。また、最後に案内されたハイドンザール(Haydon-Saal)と呼ばれる大広間は出色、天井は全てフレスコ画で彩られ、規則的に凹凸をつけた壁面には歴代領主の肖像画をはじめ、優美な装飾が施されている。毎年、ハイドン音楽祭や国際ハイドン週間がこの広間を中心に開催されるとのこと、そこだけは一見の価値がある。他のメンバーは城内見学だけで帰ってしまい、我々だけが中庭の正面一階に設けられたハイドン館(Haydon Explosiv)を見学する。3人も係員がいるが、気の毒なほど暇そうである。最初に見学したハイドン博物館との違いが良く判らないが、館内にはハイドンの曲が流れ、照明も展示室ごとに色分けされて、新しい設備だけに洗練されている。受付に戻り、中国系の女性係員に城館地階に設けられたワイン博物館を案内してもらう。岩を刳り抜いて造られた迷宮の ような所で、昔もワインや食糧の貯蔵庫に使われていたのであろう。旧いワイン製造器具やP1130266樽などとともに、何と250年前の超ビンテージワインが数本保管されている。マリア・テレジアやハイドンが生きていた時代に造られたワインに出逢うとは感激もの。他にも、1988年、89年産など20年前くらいのワインは山積みになっており、ワイン愛好家には垂涎の的と思われる。また、城の歴史を証明する古い時代のブロンズ製の紋章や騎士像を並べている箇所もあり、なかなか興味深い。疲れたのでハイドンの墓所があるベルク教会はパスしハウプト広場に戻る。そこのカフェでソフトクリームをなめながら一服する。その後、アイゼンシュタットの駅に戻り、16:20の列車に乗る。往きと同じくWulkaprodersdorfで乗り換え、16:32発のウィーンマイドリング行き列車に乗る。17:25同駅着、18:10ホテルに戻る。近くの惣菜店で購入してきたイカのリング揚げとサラダを肴にビールを飲む。Grafenwalder Hefe Weisbierという酵母入り小麦ビールであるが実に美味い。疲れたのと酔ったのとで一眠り、目が覚めると22:40、今日もOSは無事飛んだとのこと、又、明日は欧州各国の空港が100%機能するとのこと、いよいよ23日帰国が現実味を帯びる。ウイーンの休日にもそろそろ飽きて早く日本に帰りたい気持ちが募る。(続く)

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世界文化遺産「ヴァッハウ渓谷」

2010年4月20日(火) 6:00起床、7:15-8:00朝食。パン、ハム、野菜、ヨーグルト、ドライフルーツなどをたっぷり食べる。成田からウィーンへ直行するOS便が飛び立ったとのことで一安心。8:15家人とヴァッハウ渓谷へ出発、今日はガイド兼ポーター役を引き受ける。先ず近くのオーストリア銀行支店へ行き 1万円をユーロに両替する。1€127円のレートはともかくP1130259手数料が4.85€と高く、73.92€(135円/€)にしかならない。ローゼンシュタインガッセから市電に乗り3駅目のアルザーシュトラーセ(Alser Strasse)で地下鉄U6線に乗り換えウィーン西駅に出る。西駅構内は大混雑、ドイツやスイス方面への長距離列車が出るので飛行機を諦めた旅客が殺到し、中には寝袋持参で駅舎やホームに泊り込んで出発を待つ人も多い。割安のヴァッハウ・コンビチケット(ウィーン西駅~メルク~クレムス~ウィーン・フランツ・ヨーゼフ駅の周遊切符にメルク修道院の入場券が付いて46.6€)を買おうと切符販売窓口に行くと、そこは長距離列車の切符を求める人々で長蛇の列、諦めてOBBの係員に手伝ってもらいデュルンシュタイン(Duernstein)行きの片道切符(13.7€)を2枚購入する。  自販機でもクレジットカードが使えるので助かる。デュルンシュタインは無人の小駅らしく直通列車はなく、途中で2回乗換えが必要との事、係員は親切でインフォメーション窓口に同行してくれ、乗換駅と到着時刻、乗り換え列車と発車時刻を記入したA4の用紙を貰ってくれる。ドイツ語表記であるが読む分には差し支えない。9番線のインスブルック行き鈍行列車に乗り込むと車内はガラガラ、席には小テーブルも付いておP1130231り快適である。9:44発車、直ぐに検札がやって来る。ウィーン郊外は新緑の森がどこまでも広がり美しい。美瑛町のパッチワークの丘を思わせる景色も現れる。10:30ザンクト・ペルテン(St.Poelten)駅到着、降りると隣のホームに乗り換え列車が入線している。その列車も又がらがら。座席の坐り心地もなかなか良く、トイレもバリアフリーで広々と清潔、オーストリアのローカル列車の旅はくつろげる。クレムス(Krems/Donau)に近づくとブドウ畑が多くなる。ドナウ川を渡ると間もなくクレムス到着、二箇所目の乗換駅である。 乗り換え列車の発車時刻12:00まで45分間待ち時間があるのでクレムスの町歩きに駅舎を出る。改札がないので途中下車も自由自在、駅前から延びるディンスツル通りを北上し、目抜き通りの上ラントシュトラーゼ(Ober Landstrasse)を町のシンボルであるシュタイナー門(Steinertor)まで歩く。そこで折り返し、ワイン博物館に寄り道しただけで駅に引き返す。 今日は気温が高く、急いだことで汗だく。12:00 2bホームからシュピッツ(Donau/Spitz)行き列車に乗る。P1130235列車は広大なブドウ畑の中をドナウ川に沿って走る。12:10ヴァッハウ渓谷に点在する古都の中でも最もロマンティックな町と云われるデュルンシュタイン到着、早速町の中心へ向かう。国道下のガードをくぐりハウプト通りを歩いて行き、城門をくぐって旧市街に入る。石畳の敷かれた目抜き通りは意外に狭く土産物店やレストランも小粒、小さな可愛らしい町である。市庁舎の前を過ぎるとシュロスホテルの土塀が続き、その先でドナウ川を見下ろす高台の駐車場に突き当たる。そこはお誂え向きの見晴台、水量豊かなドナウ川と両岸から緩やかに立ち上がる山々を眺めることが出来る。渓谷という呼名から急流と両岸に迫る断崖絶壁をイメージして 来たが全くの別物、広闊な展望である。ちょうどドナウ・クルーズ船が入ってくる。傍らに建つ古城ホテル(Schlosshotel Duernstein)は5つ星の高級ホテル、1630年に建てられたバロック様式の城をホテルに改装したものである。入口の前で記念撮影してから河畔に降りてみる。河畔に沿う遊歩道を歩くと、砂地の河岸に沢山の鴨が羽を休めている。河岸から遊歩道へのかけ上がりと遊歩道からブドウ畑への斜面はタンポポの黄色い絨緞に彩られる。段丘の上にはデュルンシュタインの家々がこじP1130238んまりと建ち並び、後背に聳える山上にはケーリンガー城址(Ruine Kuenringerburg)が見渡せる。成る程、のんびり散策するには良い所である。一軒の家の壁に過去のドナウ川の高水位が示してあり、過去最高は1862年(3~4m位か)、次は1899年、1897年、1954年、1920年、1923年の順、最近は治水対策が進んだのか幸い大規模出水は無いようである。対岸のメルクへ渡る船はないかと聖堂参事会修道院教会の真下にあるドナウ川遊覧船(DDSG)の船着場へ行ってみたが、今の時期午前の一便しかなくてアウト、仕方が無いので列車で大回りして向かうことにする。案内に従い 駅近くのツーリスト・インフォメーションがある建物で切符を買おうと思ったが係員がいない。首を傾げながら駅に戻る。時刻表を見るとメルク(Melk)への乗換駅であるクレムスへ戻る列車は1時間に1本の割合、13:46発の列車が間もなくやってくる。何のことは無い、車内に切符の自販機が設置してありクレムスまで2.4€、釣銭もちゃんと出る。14:00再びクレムス駅。構内のインフォメーションでメルクへ行ってからウイーンへ戻る切符を買おうと相談すると、28€出せば大人二人が乗り降り自由の24時間フリーパス”Einfach-Raus-Ticket”なるものがあると云う。今朝の西駅でこのチケットを入手すれば今日の交通費は半分で済んだものを。後の祭りであるが、薦めに従いERTを購入する(後日調べでは、ERTは最も安上がりの得々切符であり、1枚で同時に2~5人が利用できる。平日は9:00a.m.~翌日3:00a.m.、土日祝日は0:00~翌日3:00P1130244a.m.の間、特急を除くOBBの中近距離列車や近郊電車(S-Bahn)が乗り放題とのこと、グループや家族旅行に最適である)。14:35の列車に乗り、再びのザンクト・ペルテン駅でアムシュテッテン(Amstetten)行きに乗り換える。隣席に小顔の女子高生が坐り話をするとメルクに住んでいるとのこと、今回の旅で初めて美人らしい美人に出会う。15:50漸くメルク着、跨線橋を越えて真っ直ぐ丘の上のメルク修道院へ向かう。メルク川を眼下に望む岩山の上に立てられたメルク修道院は、修道院というよりは城郭か宮殿を思わせる。 11世紀、バーベンベルク家のレオポルト1世がベネディクト派修道院をここに建立、18世紀に改築され、オーストリアバロックの至宝とまで謳われるほど華麗な建物である。長い石段を上り修復中の正門をくぐり入館受付に辿り着いた時は16:05、入場は16:00迄とのことで頑として入れてくれない。仕方が無いので逆コースで出口から侵入し、附属教会の脇のドアから内部に入り、ドームのフレスコ画(1P1130247716-17年、J.M.ロットマイヤ作)やコロマン祭壇、主祭壇など絢爛たる荘厳を拝ませてもらう。南面二階の皇帝の部屋に通じる皇帝の階段も見学できたが、ハイライトであるメルク の十字架、図書室、1770年、ルイ16世のもとへ嫁ぐ途中のマリーアントワネットが宿泊した部屋、メルク川を見下ろすバルコニーなどを見学できなかった事は残念至極、入場料代りにミュージアムショップで図録(6.9€)を購入する。トイレの窓から眺めるメルクの町の景色はなかなかのもの、市庁舎前広場に下りカフェでソフトクリームを食べながら一服する。メルク発17:26の列車でウィーンへ戻る。試しにメルクからウィーン西駅までの料金を調べると15.4€、これではERT効果も限定的。19:15無事ホテルに戻る。早速ビールを飲み、スーパーマーケットで仕込んだ食料品で夕食を済ませる。近年は添乗員や現地ガイド付きのパック旅行に馴れてしまっていたため今日は思いのほか疲れたが、時間の制約なしで行きたい所へ自由に行ける旅本来の面白さを再認識した日。(続く)

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ハプスブルク家王宮とカフェ・モーツァルト

2010年4月19日(月) 7:00起床、TVのチャンネルをCNNに回す。今日まで63,000フライトがキャンセルになり、680万人の乗客が影響を受けたとのこと、航空会社の損失は日々2億ドルにも上るらしい。 P1130219アイスランドの火山噴火の影響は誠に甚大である。但し、希望的観測として、EU各国の空港の50%が今日再開見込みであり、BAが40,000ftのテスト飛行を行った結果エンジンにダメージは無かったなど、前途に明かりが灯り始める。7:30朝食、昨日同様たっぷり食べて昼の食糧も確保する。9:00ロビーでM氏より最新情報を聞く。今朝5時起きして空港へ行ってきたとのこと、仕事とはいえ斯かる事態になると添乗員も大変である。その結果、23日の成田行きOS51便の座席を34名分無事確保できたとの事、突然の思いがけない吉報に皆から歓声があがる。それから、ここのホテルは高いので午後からもっと料金の安いホテルへ移り、そこで4泊して帰国便を待つとの事、12:00までに各自チェックアウトを済ませ15:00ロビーに再集合する様指示される。勿論誰にも異論などあろう筈が無い。午後の再集合までの時間を有効に使うべく、直ぐにチェックアウトしてSCをホテルに預け市内見物に出る。地下鉄で市中心部のカールスプラッツに出てぶらぶら街歩き、先ずアルベルティーナ宮殿と新王宮を眺めてから 王宮庭園(ブルク公園)のベンチに坐り緑陰で一服する。P1130217その後、蔵書220万冊を誇る国立図書館(1726完成)や、入口に大きな4体の女神像が立つパラヴィチーニ宮(1784年建立)等を眺めながらハプスブルク家の王宮へ。王宮の入館料は日本語のオーディオガイド付きで9.9€、残念ながらシニア割引はない。順路の初めは宮廷銀器・食卓調度保管室(銀器コレクション)、王宮で実際に用いられていた銀器、金器(鍍金)、磁器の豪華な品々が陳列棚に並ぶ。ハイライトは 全長30mに及ぶセンターピースやハプスブルク・セットと呼ばれる磁器セット、又、アウガルテン、ヘレンド、セーブル、ミントンなどの磁器セット、更に、ウィーン宮廷の銀器シリーズ、伊万里コレクション、グラン・フェルメイユ、ウィーン会議に用いられたセットなど。眩いばかりの膨大な豪華コレクションであるが、元々は縁戚を結んだスペイン王家P1130224が新大陸から略奪してきた金銀財宝が元手であろうことを思うと、素直に感心する訳にもいかない。銀器コレクションが終わり、ミュージアムショップを抜けて皇帝の階段を昇ると、次にシシィ博物館と称する部屋が6室続く。皇妃エリーザベトが日常生活で愛用した品々、婚礼前夜に着用したドレスのレプリカ、肖像画、サロン列車の実物大レプリカ、1898年、ジュネーブで暗殺された時の凶器やデスマスクなどが展示されている。男性(自分だけかもしれないが)にとってはやや退屈な空間、オーディオガイドの説明が一々くどすぎる。ハプスブルク王朝最後の皇帝として内憂外患に翻弄される夫の力になることもなく、因習的な宮廷生活に馴染めないからとひたすら自己逃避の旅を続け、帝国の瓦解を早める遠因ともなったエリーザベト皇妃を美化し過ぎ、観光客を呼び込むためとはいえ皇妃失格の女性を崇め過ぎているように思われる。シシィ博物館を抜けると最後は皇帝の部屋、ハプスブルク皇帝のプライベートな生活空間である。エリーザベトの夫であるフランツ・ヨーゼフⅠ世の執務室や居室、エリーザベト皇后のサロンや居間など19室が続く。皇帝の居住空間には謁見の間、執務室、寝室などがあるが、いずれの部屋も調度品は意外なほど質素である。それと対照的に皇妃の居住空間は華やか、化粧室兼体操室で美貌とプロポーションを保つため連日運動に励んでいたとは、いやはやモデルや女優でもあるまいし、P1130226 自覚の足りない我が儘女としか見做せない。つまらないものに時間とお金を費やして損をしたような気分で見学を終える。帰路、カフェ・モーツァルトのオープンテラスでコーヒーブレーク、天気は良いし風は爽やかだし、今日のような日は外で過ごすに限る。メランジェと名物のモーツァルトトルテを注文する。デメールのザッハートルテよりも甘さが控えめで美味しいかも。コーヒーもケーキも4.4€、二人分で19€を置く。ホテルに戻ると14:20、皆既にロビーに集まっている。14:45迎えのバスに乗り三ツ星ホテルのゼナトール(H.SENATOR)へ都落ち、市の西部にあり、中心部まで電車で20分くらいかかる所である。 16:00着、エンジ色と灰色に塗り分けられた新しいホP1130227テルで、一階にスーパーマーケットが併設してある。302号室に入ると明るい内装の機能的なシティホテル、これならアナナスホテルやドゥ・フランスよりずっと使い勝手が良い。ミニバーや浴槽はないけれども、これで十分である。TVはサムスン(SAMSUNG)の薄型壁掛けタイプ、大型画面で映りが良い。17:00夕食の仕込を兼ねて近所の探索に行く。市電の駅ローゼンシュタインガッセ(Rosensteingasse)は目の前で、徒歩5分圏に別のスーパーマーケットやコールセンター、銀行、コインランドリー、教会(Marien Kirche)、それにアジアンレストランにピザ屋にハンバーガー屋まで一通り何でも揃っている。結構便利な所である。ホテル併設のスーパーで食料品とビールを購入する。500ミリリットルの缶ビールが50セント前後(約65円)と格安なのに感激し、つい3本も買ってしまう。ホテルに戻って部屋で簡素な夕食を済ませ、風呂に入って下着を洗濯する。風呂上りにビールを飲みながらガイドブック「地球の歩き方・ウイーンとオーストリア」を開き、明日以降の作戦を練る。ウィーンの街歩きにも飽きたので、明日はヴァッハウ渓谷へ足を延ばすことに決める。(続く)

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レオポルド美術館(ウィーン市)

Seated_woman2010年4月18日(日) ウィーン世紀末派を代表する画家、エゴン・シーレ(1890-1918)の作品収蔵数では世界一を誇る美術館。然しながら、エゴン・シーレ(Egon Schiele)の絵は暗く退廃的であり、個人的には余り好きになれない。

《Seated Woman with Left Leg Drawn Up》

(プラハ国立美術館蔵)

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レオポルド美術館とウィーンの森

2010年4月18日(日) 6:00起床、TVを点けると、ドイツの空港は少なくとも正午まで、イギリスの空港は午後6時まで閉鎖とのこと、今日も飛行機は飛ぶ気配なし。7:00-8:15朝食、ゆっくりそしてたっぷり食べる。 その上、昼食用のパンやバナナまで確保する。誰もが同じことを考える様子。添乗員のM氏に携帯電話を借用し、柏の自宅に電話する。義母と娘に暫らく帰れそうもない事を伝え留守番を頼む。日本でも欧州の空港閉鎖のニュースが大々的に流れており覚悟はP1130183_2していたらしい。連絡がついて一安心、こうなったらプラス思考に切り替え、ウィーンの休日を楽しむしかない。9:30ロビーに集合しM氏から最新情報を聞く。曰く「今日現在、空港閉鎖は欧州24カ国に拡大し全く見通しが立たない状態。但し、昨日、ルフトハンザが試験飛行した限りでは機体に異常なく、再開の方向には向かいつつある。 15時位から何か動きがあるかもしれないが、今日はここに連泊する。もしかすると、34名一緒に帰るのは難しいかもしれず、 三々五々分散帰国するようになるやも知れぬ」。という訳で本日も終日自由行動となり解散、明朝9時に再びロビーに集まることになる。9:45ウィーン散策に出発、地下鉄駅の自販機で5.7€の1日乗車券を購入し、U4線でカールスプラッツ駅(Karlsplatz)に出る。因みに、乗車券は路面電車、地下鉄、P1130205バスの全てに共通で乗り換えも自由、1回券が1.8€、24時間券5.7€、他に48時間券、72時間券などがあり、いずれも使い始めに入口の刻印機で日時を打刻せねばならない。無賃乗車や打刻忘れは検札で見つかると70€の罰金を取られる。改札がないので拍子抜けして地上に出ると、今日は偶々ウィーンマラソン開催日、目の前のリンクを大勢の市民ランナーが駆け抜ける。私設応援団の声援が轟き、音楽も鳴り響いて街はお祭り騒ぎ。 先ず、美術史博物館西側にあるミュージアム・クオーター(複合美術館施設)へ行き、レオポルド美術館に入る。大人11€(シニア8€)、クロークも1€かかる。地下2F、地上5Fの7階建て美術館でウィーン世紀末派の画家達、即ち、エゴン・シーレ、グスタフ・クリムト、オスカー・ココシュカ、リチャード・ゲルストルなどの作品を中心に展示してある。地下二階のアフリカ芸術、地下一階の水彩画と細密画、零階のエゴン・シーレ作品群、四階のクリムト、ココシュカ、ゲルストル、モーゼルの作品群、三階のポスター画と観賞して回り、一階のミュージアムショップでエゴン・シーレの図録を購入して見学を終える。ウィーン世紀末派の絵は退廃的であり、その毒気に当たったせいか非常に疲れる。P1130197美術館前の広場のベンチに坐り込み昼食、朝、食堂で確保したパンと果物を食べる。  午後はウィーンの森を散策することにし、U2線でカールスプラッツ駅に戻り、U4線に乗り換えてハイリゲンシュタット駅(Heiligenstadt)へ出る。駅前の38Aバス停からカーレンベルク(Kahlenberg)行きに乗る。高級住宅地を抜けると、バスはいろは坂の様な急な坂道を登りに登る。 山の斜面に広がる広葉樹の森は今が新緑の季節、木々の芽吹きが美しい。藪や下草が綺麗に刈り払われて手入れが行き届いた森は明るく、その中に遊歩道が縦横に通じている。ウォーキングにいそしむ家族やカップルの姿が数多く見られ、市民憩いの森なのであろう。13:55終点のカーレンベルク着、そこはウィーンの森の北端に位置する山上で、バス停の直ぐ先に展望台がある。少し霞んでいるもののウイーン市街やドナウ川の眺めが遠くパノラマ状に広がり素晴らしい。また、中腹に広がるブドウ畑、山麓を埋める高級住宅地の近景も味わいがある。風が冷たくなってきたのでに引き揚げる。 一旦バスでハイリゲンシュタットの駅に戻りトイレを済ませる。駅の公衆トイレは自動改札方式、1€投入すると50セントの釣銭が出てバーが開く。再度38Aのバスに乗りグリンツィンP1130200グ通りで下車、ハイリゲンシュタットの街を散策する。ハイリゲンシュタット教会、ベートーベンハウス(現在はマイヤーというホイリゲ)、ベートーベン遺書の家(1802年10月、弟に宛てて遺書を書いた家)、ベートーベンの小道の順に歩く。胸像が建つベートーベン・ルーエまで行って引き返す。一帯は高級住宅地、公園で遊ぶ子供達の身なりも上等である。スミレ、タンポポ、レンギョウなど日本と同じ春の花が洒落た屋敷に彩を添える。 帰路、マイヤー(MAYER)に入り、赤ワイン(Grinzinger Rot)と白ワイン(Nussberger Heuriger)を注文する。125ミリリットルで各々1.7€と1.5€、二杯飲んでも街中のコーヒー一杯より安い。どちらも美味しいが、白P1130201ワインは新酒ゆえに酸味が強い。空きっ腹にワインを飲み聊か酔う。17:30ホテルに戻ると部屋のカードキーが使えなくなっており、フロントで回復してもらう。部屋の中でパンや果物など手持ちの食糧を総動員し、侘しい夕食を済ませる。皆もホテル近くのマクドナルドの屋台で夕食のハンバーガーを調達するらしく列に並んでいる。19:30夜の街歩きに再び出かける。カールスプラッツから2番の市電に乗りウィーン旧市街を車窓から見物、ドナウ運河を越えて大観覧車近くのレプハングガッセ(Rebhannggasse)で下車、引き返す。2年前までは1番と2番の市電がリンクを周回していたらしいが、今は不便になり、周回するには途中で乗り換えないといけない。シュヴェーデンプラッツ(Schwedenplatz)に戻り1番に乗り換えてリンクを一回り、オペラ座前に戻る。ウィーンはビルのライトアップまでも芸術的で美しい。夜遊びを終えてホテルに戻ったのは21:00、早速風呂に入り下着の洗濯にとりかかる。(続く)

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帰国延期 / ウィーン市内散策

2010年4月17日(土) 6:30起床、TVをつけると火山灰の雲はアイスランドから南東方向へ一段と拡散し、欧州18ヶ国の飛行場 が閉鎖もしくは一部閉鎖とのこと、今日は帰れなくなるかもしP1130208れない。 じたばたしても仕方が無いのでとりあえずビール、冷蔵庫で冷やしておいたZIPFER URTYPを飲んで心を静める。7:30朝食、これからどうなるか分からないのでしっかり腹ごしらえをする。SCをドアの外へ出し、10:00のロビー集合まで街歩きに出る。ヴォティーフ教会(1879年建立)、ウィーン大学本館(1884年完成)、市庁舎(1883年完成)などの建物を眺めながら、リンクと呼ばれる環状道路を反時計周りに歩く。市庁舎公園ではマロニエ、モクレン、ヤマブキ、レンギョウの花が咲き春爛漫、とにかく西欧の都市は公園面積が広い。ギリシャ神殿風の国会議事堂(1883年建立)迄行き、その前に建つアテナの女神像を見物してから引き返す。途中、ヨーロッパの中でも超一流と言われる演劇の殿堂ブルク劇場(1888年完成)も忘れずチェック。ドゥ・フランスに戻ると部屋の前のSCは既に運び出された後、この先ウィーンに足止めされるにしても、五ツ星ホテルに長居できる筈はなく納得の所業。9:20添乗員のM氏より電話が入り今日の帰国便は飛ばなくなったとの事、ロビー集合は12:00に変更になる。部屋に籠っていても仕方が無いので再び散策に出る。今度はリンクを時計回りに歩き、フランツ・ヨーゼフ1世宮殿を眺めてからアウガルテン橋でドナウ運河を渡る。運河沿いの遊歩道を南下し、ウイーンを代表する建築物のひとつ、カイザーバート水門監視所(1906/07年建造、オットー・ヴァグナー作)を見物する。現在は使われていない様でP1130171扉は固く閉鎖されている。ウィーンにも不届きな輩が居るらしく外壁には落書が目立つ。それにしても今日の空は飛びぬけて青く飛行機が飛ばないのが不思議なほど、 暑くもなく寒くもなく最高の季節である。対岸のショッテンリンクの有名なのみの市は休みの模様。ザルツトーア橋で運河を渡り返してホテルに引き返す途中、街角のかばん屋に入り夏物バッグを買う。中国人らしき女店主に何処製か尋ねるとイタリア製とのこと、それでたったの12.9€?、後で内側のタグを見るとメイド・イン・チャイナ、やっぱりね。11:00ドゥ・フランスに戻る。12:10迎えのバスに乗りホテルを移る。欧州の空港閉鎖は拡大しつつあり、何時再開されるか今のところ全く見通しがたたないとのこと、相手が火山ではどうしようもない。ラディソンSAS・パレ・ホテルに分宿したメンバーをピックアップして中華レストラン“同大”へ行き昼食、 そこの勘定は阪急交通社持ちP1130209ということで遠慮なくご馳走になる。但し今晩の宿泊以降は全て個人持ち、自然災害なので海外旅行保険も下りず、今晩のホテルなど一泊一部屋150€(19,500円)は取られるらしい。とりあえず旅行会社の立替払いで帰国後トラピックスから請求書が届くとの事、皆目を白黒。今、トラピックスの旅行者だけでヨーロッパに400人ほど取り残されているらしく、日本人ツアー客全体では数千人にも上る。帰国便に乗る順序も、通常の航空券を持つ乗客が優先でパックツアー客は後の後回し、やれやれいつのことになるやら。仕事を持つ人、介護施設に高齢の親を預けてきた人などは帰国延期の事態に頭を抱え、美味しい中華料理も満足に喉を通らない。まあ、百年に一度の天災とあってみれば、じたばたしてもどうしようもなく、現況と与件を楽しむしかないのであるが・・。家族とメールを交わした人の情報によると、 今日の東京は時ならぬ4月の雪で非常に寒いらしい。新たなホテルは、地下鉄U4線のピルグラムガッセ駅の目の前にあるホテル・アナナス(H.ANANAS)、四ツ星の高級ホテルでリンクのカールスプラッツ駅までも二駅と至便。自腹ならこんなに立派なホテルじゃなくともと云う思いがよぎるが、この緊急事態に34名が一緒に泊まれるホテルが見つかっただけでも幸運なのであろう。15:15 P1130176割り当ての343号室に入る。部屋はコンパクトでビジネスツインといった感じ、ドゥ・フランスとは較べるべくも無いが、機能的で使い勝手はずっと良い。再び街歩きに出る。現地旅行会社(ミキ トラベル) からもらったウイーン市街詳細図と首っ引きでベルヴェデーレ宮殿を目指す。 地図には通りの名前が全て記載されているので、建物の角に表示されているそれらと地図とを照合すれば、現在地が直ちに把握でき迷うことがない。たっぷり1時間も歩いてベルヴェデーレ宮殿上宮に到着。オーストリア風バロック建築を代表する美しい宮殿は、トルコ軍からウイーンを救った英雄プリンツ・オイゲン公(1663-1736)の夏の離宮として建てられたものである。現在は19~20世紀のオーストリア絵画を展示する美術館(オーストリア・ギャラリー)として利用されている。入館料は大人9.5€(シニアは7.5€)、 ウィーン世紀末を代表する画家クリムトの「接吻」や、エゴン・シーレの「死と乙女」などを是非とも観賞したかったが、閉館(18時)まで余り時間が無いので諦める。P1130177ベンチで一休みしてから庭園をそぞろ歩き、シェーンブルン宮殿の庭園に負けず劣らず美しい。緩やかな斜面を下宮へと降りていけば、黄昏れるウイーン市街が一望の下に眺められ、まさに一幅の絵。下宮入口から街へ出て、ソビエト軍兵士の像を眺めたり、マルガレート通り(Margareten Str.)のスーパーで食料品を買い込んだりして、18:30ホテルに戻る。風呂に入り2日分の下着を洗う。やれやれ、こんな羽目になるとは夢にも思わず。ハイネケンを飲みながらの部屋食は侘しいが、この先どれだけ足止めされるか判らないので節約せねば。0:00過ぎ(日本時間4月18日7:00)、部屋から自宅へ国際電話を試みるも、「Diese Eingabe ist nicht erlaubt!」(その入力は禁止!=国際電話はかけられないの意味?)というドイツ語の音声が聞えるばかり、さあてなじょすっぺ、ほとほと弱りました。(続く)

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オーストリア土産(2)

Dsc02957オーストリア土産の定番であり値段も手頃なのがミラベル社のモーツァルトクーゲルン(チョコレート菓子)、個装もあり色々選べる。土産物店よりはスーパーマーケットほうが御得。他所で絶対手に入らないものといえばカフェ・デーメルの“すみれのソルベ ” 、皇妃エリザベトがお気に入りだったと云う菫の花の砂糖漬けである。小箱一個が16.8€(2,200円)もしており、費用対効果ははなはだ疑問、頼まれたとかで泣く泣く10箱も購入していた人も居たが・・。香料(スミレの匂い?)のような香りとガリガリした食感、確かに珍しいが値段ほど美味しいとは思えない。

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ウィーン美術史博物館

P1130160 2010年4月16日(金) リンク大通りを飾る最後の歴史的建築として1891年に完成した美術史博物館は王宮と見紛うばかりの豪壮な建物である。特に中央階段と、天蓋までの吹き抜けがあるカフェ・ゲルストナーの空間は豪華絢爛であり、芸術の都ウィーンを代表する美術館に相応しい。ハプスブルク家の歴代皇帝が収集した膨大なコレクションは、ベルヴェデーレ上宮(オーストリア・ギャラリー;19~20世紀のオーストリア絵画)、ベルヴェデーレ下宮(中世とバロック美術館;中世とバロック時代の絵画と彫刻)、アルベルティーナ宮殿(アルベルティーナ;素描画6万点と版画100万点を収蔵する世界最大のグラフィックアート・コレクション)、新王宮(甲冑・武器コレクション、古楽器コレクションなど)に分散展示されており、ここ美術史博物館には、上記以外の絵画や考古学的発掘品などが展示されている。三階建ての一階はエジプト=オリエント・コレクションと古典古代コレクション(古代ギリシャやローマの彫刻など)が、三階は美術工芸品コレクションと貨幣(古銭)コレクションが展示されているが、Die_malkunst 今回は二階の絵画コレクションを集中的に見学する。絵画コレクションの中で特に有名なのは世界最多の点数を誇るピーター・ブリューゲル(父)のコレクションであり、「雪中の狩人」、「農民の婚礼」、「季節の風景・暗い日(早春)」、「季節の風景・群れの帰還(秋)」、「バベルの塔」などの名作が展示室を埋める。そのほか、アンチンボルド、カラヴァッジョ、クラーナハ、コレッジョ、ティツィアーノ、デューラー、ベラスケス、ラファエロ、ルーベンスなどの傑作が目白押しで時間は幾らあっても足りないが、絶対に見逃せない1点となればヤン・フェルメール・ファン・デルフトの「絵画芸術」(カンヴァス、120×100㎝、1665/66年頃)ということになろう。館内で唯一、写真撮影が禁止されている作品である点からも、その重要性がうかがえる。 

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ウイーン旧市街とオペラ鑑賞

2010年4月16日(金) 6:00起床、夜のオペラ鑑賞に備えワイシャツ、ネクタイ、ジャケットを着用する。7:00から朝食、嬉しいことに味噌汁がある。食用ホP1130139オズキなどの珍果もありコーヒーもマイルド。8:15出発、午前中はウィーン市内観光、午後は自由行動でOPは美術史博物館見学、但し料金がひとり6,500円と高いのでパスし自力で入館することに決める。現地ガイドは日本人男性の倉永氏、話術が巧みな人である。 オーストリアの人口は823万人でウィーンのそれは170万人、日本人は1,300人くらい住んでおり、芸大を卒業してからここに来て音楽の勉強を続ける人もいるらしい。街路樹はボダイジュ、カエデ、プラタナスなど、いずれも芽吹いたばかり。最初はシェーンブルン宮殿の見学、8:45着、団体入場時間まで庭園を見物する。宮殿外壁のマリア・テレジア・イエローが緑の芝生に映えて美しい。総面積1.7平方キロメートルもある広大な庭園を30分かそこらで回るのは無理、ネプチューンの泉を往復しただけに終る。9:30から宮殿の入場見学、内部の写真撮影は禁止されており、見学時間も40分間に制限される。 そのせいか倉永氏は早足早口、ついていくのが精一杯の有様でメモどころではない。内装や調度品の豪華絢爛さではヴェルサイユ宮殿に及ばないが、花や唐草模様などをモチーフにしたロココ調で統一された各室は品が良く落着いている。後でガイドブックで復習すると、大ギャラリー(ウィーン会議の間)、青い中国のサP1130143ロン、漆の間、ナポレオンの部屋、マイセン磁器の間、百万の間(純金の間)、ベルクルの間(インド庭園の間)などを廻ったようである。旧市街に戻り、コールマルクト通りにあるカフェ・デーメルに入りコーヒーブレーク、アインシュペナー(ウィンナコーヒー)と ザッハートルテ(チョコレートケーキ)を賞味する。これもツアー・プログラムの内とは有り難い。倉永氏の話に拠ると、デーメルは超一流のカフェ、料金も目が飛び出るほど(めーでる!)高く、一般市民は気軽に入れないとのこと、なにせ1786年創業の宮廷御用達の老舗である。皆の真似をしアインシュペナーに生クリームを足して飲んでみたが、格別美味しいとは思えない。ザッハートルテも甘味が強くややくどい。店内で皇妃エリザベートがお気に入りだったというスミレのソルベ(スミレの花の砂糖漬け)を買うと小缶が16.P11301468€(2,200円)もする。たかがスミレの花、幾らなんでも高過ぎる。来春、日本のスミレの花を用いて自分で作ってみようと固く心に決める。その後、オペラ座近くのケルントナー通りにある土産物店ワルツ(WALTS WIEN)へ行きショッピング、家人に虫入り琥珀のペンダントトップ(150€)をプレゼントする(よう強要される)。 昼食はカフェ・モーツァルト近くのレストランLUBELLAに入り、名物のウィンナーシュニッツェル(Wiener Schnitzel)を食べる。本来は仔牛肉のカツレツの筈であるが出てきたのはポークの薄いトンカツ、味はまずまず。食後は自由行動、改めて市内の散策子。ケルントナー通りを北上し、シュテファン大聖堂を眺めてから、市立公園へ行く。公園にはヨハン・シュトラウス(JOHANN STRAUSS)像やフランツ・シューベルト(FRANZ SCHUBERT)像など有名音楽家の像の他にも数多くの功労者の像が建つ。像の前の花壇にはパンジーが芸術的に植えられて美しい。 さすP1130149がは芸術の都ウィーンである。リンク通り(環状道路)をぶらぶら歩き、ベートーベン像に寄り道したり、オペラ座を再び眺めたりしながら美術史博物館へ。入館料は大人12€、60歳以上のシニアなら9€、15:00から2時間半かけて有名な絵を一通りチェックする。即ち、フェルメールの「絵画芸術」、ブリューゲルの「子供の遊び」、「バベルの塔」、「雪中の狩人」、「農民の婚礼」、ティツィアーノの「ヴィオランテ」、アンチンホルドの「夏」、ラファエロの「草原の聖母」、 ベラスケスの「青いドレスのマルガリータ王女」、デューラー 「ヴェネチアの若い婦人」など。フェルメール作品だけは写真撮影禁止であったが、それ以外はフラッシュ撮影が禁止されるだけ、西欧の美術館はどこもおおらかである。柏市立図書館から借用したガイドブック(「地球の歩き方’06~07、ウイーンとオーストリア」)を頼りに廻ったが、展示室が変わるなど配置換えされている作品が多く、探し出すのに意外に手間取る。駆け足の鑑賞で疲れたので二階のカフェ・ゲルストナーに入り一服、ミルク入りコーヒーのメランジェ(Melange)を飲む。嘗てのハプスブルク家御用達のケーキ店だけに味は確かである。それにしても西欧の美術館は、収蔵品もさることながら建物自体の内外装や調度品が素晴P1130153らしい。最後に、ミュージアムショップで日本語の図録(18.9€)を購入する。再集合場所の国立オペラ座へ向かう途中、王宮庭園に建つモーツアルト像も見物する。18:15オペラ座入場、席は皆ばらばら、 抽選で我々はBALKON SEITE LINKSの2列目、16番と17番の席を割り当てられ料金は各31€、舞台は何とか見えるものの良い席とはお世辞にも言えない。今日の演目はオペラ「リゴレット」(ジュゼッペ・ヴェルディ作曲)、全3幕である。クロークに荷物を預けて指定席に座る。天井桟敷に近い末席でも地元の人は皆ドレスアップ、紳士はタキシードかスーツ、淑女はイブニングドレス姿が多く、なるほどオペラ鑑賞は眼一杯お洒落を楽しむ場でもあるらしい。BALKONとGALERIEの後には立ち見スペースまであり、P1130167 そこも又盛況である。第一幕(19:00-20:00)、第二幕(20:25-21:00)、第三幕(21:25-22:00)と進行し、幕間にはトイレへ立ったり、ロビーに行ってジュースを飲んだりする。ウィーンの国立オペラ座はヨーロッパ三大オペラ劇場のひとつに数えられるだけあって内外装ともゴージャスそのもの、オーケストラの紡ぎ出す音色、オペラ歌手の歌唱力も声量も全てが素晴らしい。唯一つ残念なのは舞台の左側が死角になること、リゴレットのあらすじを日本語の解説書で予習しておいたので、どんな場面を演じているかは分かるものの・・、舞台の全体が見えないでは興味も楽しさも半減する。終演後、再び全員集合し、カフェ・モーツァルトの前でバスに乗りホテルに戻る。22:45ホテル着、早速湯を沸かし夕食代わりのカップ麺を食べる。TV(BBC)をつけると、アイスランドの火山爆発の影響でパリとロンドンの空港が本日閉鎖されたとのこと、明日帰れるかどうか微妙になる。(続く)

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オーストリア土産(1)

Dsc03864_2ザルツブルク旧市街にあるモーツァルトの生家内売店で売られていた純銀製しおり、モーツァルトの横顔を模ったものでずっしり重い。栞としての実用性には疑問符が付くけれども旅の記念品、80€(10,000円)と値段も張るが止むを得ない。

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ザルツブルク旧市街とハルシュタット

2010年4月15日(木) 5:00起床、冷蔵庫で冷やしておいた缶ビールのピルスナー・ウルクエルを飲む。6:30朝食、料理の種類が豊富で果物も充実。8:00世界文化遺産のザルツブルク旧市街見学へ出発、天候は曇り。車窓から眺めるパステルカラーの家々が何とも美しく、木々の芽出しも愛らしい。 ザルツブルクは「塩の城」という意味、紀元前から岩塩の採掘が始まり、その交易によって栄えた町である。モーツァルトを育んだ音楽の都としても名高い。現地ガイドの阿部さん(女性)とミラベル宮殿附属庭園で待合わせ、早速そこから案内してもらう。ミラベル(美しい眺めの意味)の名の通りの美しい庭園で、噴水や石像が多数配置され、その間を今はチューリップやパンジーが埋める。見事なまでに刈り込まれP1130097た並木はボダイジュで、腕と握りこぶしを思わせる枝が鉛色の空に黒々と伸びる。サウンド・オブ・ミュージックでは「ドレミの歌」の舞台として登場する場所であり、メンヒスベルクの丘に建つホーエンザルツブルク城の眺めもまた素晴らしい。ミラベル庭園を出て、 肌色の壁のモーツァルトの住居(一家が1773年から87年まで暮らした家、現在は楽器博物館)を左手に眺め、ザルツァッハ川に架かるマカルト橋を渡って旧市街に入る。5階建てアパートの4階、黄色い壁のモーツァルトの生家を眺めてから、目抜き通りのゲトライデガッセを東進し、ザルツブルク最古のカフェ、1703年創業のトマッセリ(CAFE TOMASELLI)の前を通る。モーツァルトやカラヤンも訪れたことがあると いうトマッセリ名物はふわふわオムレツ、試食したいと思っても敢え無く素通り。歴代大司教の宮殿レジデンツの角を曲がりレジデンツ広場に出る。中央の大噴水(1661年完成)を取り囲むように、東側に新レジデンンツ、西側にレジデンツ(1619年完成)、南側には大聖堂(774年創建、1181~1200年改築)が建つ。新レジデンツは現在ザルツブルク博物館として利用されており、鐘楼の組鐘(Glockenspiel)が毎日3回(7:00、11:00、18:00)モーツァルトやハイドンのメロディを奏でるらしいが、それも聴けず仕舞い。大聖堂は1万人収容の規模P1130104を誇り、ヨーロッパ最大級のパイプオルガンを持つ。モーツァルトが洗礼を受け、オルガン奏者を勤めた所である。大聖堂広場に建つマリア像を見物し、2つの塔が立つ西側正面から大聖堂を眺める。フランツィスカーナー教会の壁沿いの小道を抜け、ザルツブルク音楽祭の中心会場である祝祭劇場の前へ出る。淡黄色の壁を持つ横長の建物で、内部には2,400人収容の大ホールと小ホール、それにフェルゼンライトシューレ(メンヒスベルクの岩壁を削って造られたホール)の3つの会場がある。建物の外観だけをなぞ る観光は印象が薄く、時間と費用の制約があることは解るが、もう少し入場見学を増やしてもらいたいもの。大学広場の野菜市を覗くと、アミガサタケやエリンギ、シイタケ、ヒラタケ等のきのこも並んでいる。広場からモーツァルトの生家の裏側を眺め、抜け道を通って表側へ回る。モーツァルトの生家は今日初めての入場見学、内部の写真撮影は禁止されている。モーツァルトの使用した楽器、自筆の楽譜や手紙、一家の肖像画などが展示されている。3階のミュゼアムショップで、新たに発見されたという未発表の楽譜一冊(12€)と、モーツアルトの肖像を模った純銀製の栞(80€)を購入する。バスに戻り、次の予定地ザルツカンマーグート(Salzkammergut)へ向かう。ザルツカンマーグートはザルツブルクの東、標高500~800mにある山岳湖沼地帯である。山峡の湖畔にはお伽の国のような可愛らしい町が点在し、 P1130108背後には2000m級のアルプスの山々が聳える。車窓から眺めるとリゾートホテルや別荘のような建物が多く、木材の集積場も認められる。10:55ヴォルフガング湖畔の町、ザンクト・ギルゲン(St.Gilgen)に到着、背後のツヴェルファーホルン(1,522m)に架かるロープウエイ駅の前を通り船着場へと下りて行く。途中、市庁舎前広場に建つ幼い姿のモーツァルト像(Mozart Brunnen)を眺め、その先でモーツァルトの母親の生家(Mozarthaus Sankt Gilgen)を見る。壁には母と姉ナンネル(Nannel)のレリーフや肖像画が飾られている。この町に嫁いだ姉のナンネルが、1784から1801年の間この家に住んでいたらしい。 船着場に着くと、湖の対岸に雪嶺が峨々と連なる。前衛は1500m級、奥は2500m級の峰々である。オフシーズンなので未だ定期船は就航していないとのこと、暫らくするとWolfgangsee Schifffahrt社の船がやってくる。11:25乗船、200人乗り位の大きな船が我々34名の貸切、阪急交通社は太っ腹である。周囲の景色は寒々としており早春の明るさはまだ感じられないが、穏やかな湖面に逆さに映る周囲の山々は美しい。水色はどこまでも澄んでいる。12:00ザンクト・ヴォルフガング(St.Wolfgang)の船着場着、正午を知らせる教会の鐘の音が湖上を流れてゆく。背後 に聳える山はシャーフベルク(1,783m)、「サウンド・オブ・ミュージック」にも蒸気機関車で上る場面が出てくるが、山頂までシャーフベルク登山鉄道が通じている。どこを切り取っても絵になる景色ばかり。シーズンオフ故ホテルや土産物屋は閉まっている所が多い。オペレッタ「白馬亭にて」で有名なホテル・イム・ヴァイセン・レッスル(Hotel im Weissen Roessl)のレストランKEISER TERRESEで昼食をとる。P1130127料理はザルツカンマーグート名物のマスのグリル(Saiblingとあるので英語ではchar、マスというよりはイワナの一種)、これはこれで十分美味しいが、ザルツブルク名物の岩塩でもまぶして塩焼きにしてくれたらもっと絶品になるが・・。食後、腹ごなしにホテル附近を散策、教区教会を眺めたり、土産物店をひやかしたりする。記念に食用岩塩を購入したが(500グラムで11.8€)、只の塩が1キログラム3,000円とは幾らなんでも高過ぎるのでは。14:00バスに戻り、世界で一番美しい湖岸の町と云われるハルシュタットへ向かう。 道中惚れ惚れする山岳風景が続く。氷河がかかるのはダッハシュタイン連峰(主峰は2,995mのホーエル・ダッハシュタイン(Hocher Dachstein))であろう。モーツァルトを聴きながら絶景を眺める気分は最高、申し分ない。14:40ハルシュタット(Hallstatt)に到着、今では人口1000人の小さな町であるが、中世には町の裏山(ザルツベルク;塩山)の豊富な岩塩の採掘で大いに栄えたとのこと、事実、ザルツベルク山上には世界最古の紀元前6世紀頃の塩鉱跡が残っている。又、当時採掘に従事していた塩坑夫の墓地が発見され、そこから紀元前1000~前500年頃の青銅器や鉄器、P1130130 土器が遺骨とともに出土している。これらの人々はケルト人と考えられ、「ハル」はケルト語で「塩」を意味するとのこと、驚くべきことに同じ塩坑が数千年を経た現在でも操業を続けている。湖岸に沿うゼー通りをマルクト広場までじゃらんじゃらん(ぶらぶら散策)、世界一と謳うだけあって周囲の山々を映す湖面と、狭い湖岸にへばりつくように建つカラフルでこじんまりした家々の眺めは確かに美しい。先史時代の出土品を展示する博物館に入場する時間はなし、プロテスタント教会の内部を見学しただけで引き揚げる。15:30バスに戻りウィーンへ出発。約300㎞・4時間の道程。車内で再び「サウンド・オブ・ミュージック」の続きを観る。エーデルワイスの歌と車窓を流れる景色は完璧に調和、なるほど来て見なければこの感じは分らない。こごしい岩山とU字谷と湖が織り成す景色は氷河によって形成されたもの、 日本では見られない奥行きと深みがある。17:00 SAのAutogrillで休憩、トイレ空間に無料シャワールームまであり長距離ドライバーには有り難い施設、日本よりサービスが良い。18:30頃メルク修道院の傍を通過する。また、雨が降り出す。それも大雨。ウイーン市内に入ると渋滞に巻き込まれる。20:35ホテル・ドゥ・フランスに到着、大きなパーティーがあったらしくロビーは着飾った男女で溢れている。漸く割り当ての101号室に入る。ドウ・フランスの客室中最も広い部屋は五つ星ホテルに恥じず豪華であり、ガウンや電気ポットはもとより、体重計まで備えてある。しかもサービス期間中とあってミニバーに入っている飲み物は全て無料とのこと、何とも有り難い。21:00からホテルのレストランで遅い夕食をとる。ひき肉の団子入りスープとローストビーフとアップルパイ、容器がお洒落で味も良い。部屋に戻り風呂から上がると23:30、バドワイザー・ブドヴァルを1缶空ける。それにしても部屋が広過ぎる。洗面所やトイレがやたらに遠く感じる。(続く)

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チェコのビール

P1120014今回の中欧旅行で飲んだチェコのビールは8種類、その中で銘柄の分るものを列挙すると、ヴェルコボボヴィツキー・コゼル(VELKOPOPOVICKY KOZEL)の生とエッゲンベルク(EGGENBERG)の生、そしてピルスナー・ウルクエル(PILSNER URQUELL)の缶、ブジェヨヴィッキー・ブドヴァル(BUDWEISER BUDVAR)の缶、ガンブリヌス(GAMBRINUS)の缶、スタロプラメン(STAROPRAMEN)の缶である。チェコはピルスナービール発祥の地であり、国民一人当たりのビール消費量も断トツの世界一、そんなビールの本場だけに美味しくない訳はなく、特に生ビールは非常に美味しい。缶ビールはP1120121豊醇であるが、ホップの使用量が多く且つ醗酵度が低いせいか、苦味が粗くだれるものが多い。価格は、レストランの生ビール(300ミリリットル)が40~50コルナ(200~250円)、ドライブインの缶ビール(350ミリリットル)が22コルナ(110円)と、日本の第3のビールなみである。但し、ブドヴァル缶は30コルナ(150円)、ウルクエル缶は34コルナ(170円)と、輸出ビールは価格設定を高めにしている。    

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チェスキー・クルムロフの歴史地区

2010年4月14日(水) 5:00起床。今日も朝からビール、缶ビール・スタロプラメン(STAROPRAMEN)をシンクで水道水に浸ける。11日にプラハからウイーンへ向かった日本人ツアー客を乗せたバスが、高速道で追突事故を起こし4人負傷したとのこと、日本では大騒ぎになっているらしい。また、CNNによると、中国青海省でM6.9の大地震が発生し多数の死傷者が出ているとのこと(続報ではM7.1、死亡者数2,000人超の大災害)、芳しくないニュースが届く。P1130080又、この時点では分らなかったが、今日アイスランドで火山が爆発、その火山灰の影響で18日から欧州各国の空港が閉鎖されて帰国できなくなり、結局ウイーンで6日間足止めされる羽目に、まさに厄日。6:30朝食、昨日と同じ料理が並ぶ。8:00プラハの南方、オーストリア国境近くのチェスキー・クルムロフへ向け出発、180㎞・3時間の道程である。9:10ターボル市のGSでトイレ休憩、軽油がリッター29.8Kc(150円)、レギュラーガソリンが同30.9Kc(155円)と日本より高め。陽射しが出てくる。バスはボヘミアの青い平原を淡々と進む。 10:15チェスケー・ブジェヨヴィツェの町を通る。そこは米国バドワイザーの本家、ブジェヨヴィッキー・ブドヴァル醸造所(ドイツ名:Budweiser Budvar)があることで有名な町であり、醸造所に立ち寄りたかったが団体旅行とあっては是非も無し。市中には大型アウトレットモールやスーパーが建ち並び、カラフルな高層マンション群も林立する。民主国家となり20年余、地方都市にもその恩恵が十分に行き渡ったようである。10:50チェスキー・クルムロフのバス待機場着、 少し先の高台にチェスキー・クルムロフ城が聳える。P1130084プラーシュティー橋をくぐり黒い門(裏門)から城内に入る 。城壁の狭間から見下ろすと、大きく湾曲するヴルタヴァ川に囲まれる旧市街は中世の面影を色濃くとどめている。1992年ユネスコの世界文化遺産に登録され、世界で最も美しい町のひとつと謳われるだけのことはある。プラハ城に次ぐチェコ第二の規模を誇る城は13世紀の創建、その後何回か増築を重ねており、西側の建物ほど新しい。中庭に面する建物の壁面はまるでギャラリーのようにフレスコ画で装飾され、中には騙し絵のような窓まで描かれている。 城のシンボルである塔はルネッサンス様式、円筒形で赤や緑に彩色され、すっくりと青空に映える。外観だけでも十分に美しい城であるが、内部にも“P1130089仮面舞踏会の間”を始め幾つもの見所がある。それなのに城内ツアーは無し、町の眺めが言葉を失うほど美しいという塔の展望所にも登らずじまい、ぎりぎりツアーは本当に情けない。素気なく赤い門(正門)をくぐり旧市街へ出てしまう。旧市街の建物内部は土産物店やカフェやレストランに改装されており、中世の面影がそのまま残るのは石畳だけであるが、幾つかの建物の壁には古いフレスコ画が見られる。門外漢には良く分らないが、 何でもルネッサンス様式の装飾が各建物に施されているとのこと、それは別にしてもパステルカラーで塗り分けられた家々は美しく、まるでお伽の国に迷い込んだような感じを受ける。散策するだけでも十分楽しい町である。P1130085旧市街の中心にあるスヴォルノスティ広場に出てから、聖ヴィート教会近くの見晴台に上がり、先ほど城壁から眺めた旧市街の景色を反対側から眺める。こちらの方がチェスキー・クルムロフ城が視界に入る分、勝れているかもしれぬ。そこで一旦解散し昼食まで自由になったので、聖ヴィート教会に入り内部を見学する。聖ヴィート(ルカニアの聖ヴィトゥス)はカトリック教会と正教会の聖人、ローマ皇帝ディオクレティアヌスとマクシミアヌスの共同統治時代の303年、迫害にあって殉教したとされる。スラヴ諸国の信仰が篤く、同名を冠した教会が多い(因みに、クロアチアには123箇所)。中央広場に戻り、そこに面したレストランKRUMLOVSKA FONTANAで昼食をとる。地ビールのエッゲンベルク(Eggenberg:この地を支配した封建P1130086貴族と同名)の生を飲む。チキン料理はまずまず。13:45バスに戻りザルツブルクへ向け出発、230㎞・4時間の道程、今日もバスに乗る時間が長い。雨がぱらつき始める。15:30高速道のSA(LANDZEIT)でトイレ休憩、既にオーストリアに入りMARKTの品々が急に豊富になる。ショーケースには美味しそうなケーキが幾種類も並ぶ。雨は本降り、ついているのかいないのか幸いバスの中。車内TVに白黒の「サウンド・オブ・ミュージック」が映し出される。これから向かうザルツブルクが舞台の名画、確か我が家にDVDがあるので帰国したらゆっくり観てみよう。景色は山勝ちになり左手に大きな湖ヴォルフガング湖が現れる。後背の山も怪異、恐らく氷河に削り取られて出来た地形なのであろう。雪を戴く高山も見えてくる。どうやらアルプス山脈の山懐に入ってきたようである。17:00アレナシティホテルに到着、130号室に入る。四ツ星ホテルのマークはあるがスタンダードクラス、シンプルで質素な部屋である。街までタクシーで20分かかるというので出かけるのを諦め、近所のスーパーへ行きミラベル社のチョコレートなどを買う。夕食はホテルのレストラン、地元のビール、STIEGL社のWEIZEN GOLDの生を飲む。これが美味い。メニューはフリタッテンズッペ(細切りクレープ入りコンソメスープ)とポークステーキ、それにフルーツポンチのデザート。部屋に戻り風呂から上がると21:00、SCの荷造りを行う。(続く)

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1988年当時のチェコスロバキア風景

02プラハでもっとも古く有名なビアホール、ウ・フレク(U Fleku)。1499年創業、昔は修道院だったところで、当時のままの製法で作られる黒ビールが人気。

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ミュシャ美術館(プラハ市)

2010年4月13日(火) Panska通り7番地に建つ1998年開館のこじんまりした美術館に、アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)の作品が展示されている。P1130073 ミュシャは南モラビアのイヴァンチツェ出身、ミュンヘン美術アカデミーとパリのアカデミー・ジュリアンで学んだ後、パリやアメリカで華々しく活躍し、1910年、絵画の代表作となる「スラヴ叙事詩」制作のため帰国している。以降、1911年プラハ市民会館内の市長サロンの装飾を完成し、1918年新しく誕生したチェコスロヴァキア共和国の切手と紙幣のデザインを引き受け、1928年には「スラヴ叙事詩」全シリーズをチェコ国民とプラハ市に正式に寄贈し、1931年には聖ヴィート大聖堂のステンドグラスをデ ザインして、民族の精神昂揚を図るべく祖国に奉仕している。館内は七部構成よりなり、P1130060 各部の主な展示品は以下の通りである。第一部「装飾パネル」:『芸術』シリーズの「詩」、「舞踏」、「音楽」、「絵画」の4部作、『一日の時』シリーズの「朝の目覚め」、「昼の輝き」、「夕べの夢想」、「夜の安らぎ」の4部作、『花』シリーズの「カーネーション」、「ユリ」、「バラ」、「アイリス」の4部作、「ミュージカルポスターのためのデザイン画」、「花」、「果実」などのカラーリトグラフ。第二部「パリ時代のポスター」 :「ジョブ」、 「ロレンザッチオ」、「ハムレット」、「カッサン・フィス」、「ジスモンダ・試し刷りNo.1」、「同No.2」、「ジスモンダ」、「メディア」、「サマリアの女」、「黄道十二宮」など。 P1130077_2第三部「装飾資料集」:1902年出版の『装飾資料集』(美術工芸分野におけるデッサンのための解説書)の原図や下絵など。第四部「チェコ時代のポスター」:「モラヴィア教員合唱団」、「第6回全国ソコル大会」、「第8回ソコル大会」、「全国統一宝くじ」、「「イヴァンチツェ郷土展」、「プラハ春の音楽歌唱祭」、「ヒヤシンス姫」、「砂浜に咲くアザミ」、「岸壁に咲くエリカ」、「スラヴ叙事詩展ポスター」などのカラーリトグラフ。第五部「絵画」:「女預言者」、「運命」、「星」(又は「荒野の女」)。第六部「素描画とパステル画」:「祈る人」、 「陶器とガラスのデザイン画」、「『通り過ぎる風が若さP1130076を奪い去る』のためのスケッチ」、「窓のデザイン画」、「宝飾品のデザイン画」、「三つの習作」、「装飾枠のスケッチ」、「室内の三人の人物」、「二つの習作」、「手の習作」、「プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスのデザイン 画」など。第七部「アトリエ」: ミュシャが実際に使用していた肘掛椅子、ライティングデスク、イーゼルが置かれ、壁には「芸術家の子供達」と「赤いコート」の油彩画。3台のショーケースには、「チェコスロヴァキア共和国50コルナ紙幣のデザイン画」、「同10コルナ札」、「同50コルナ札」、「プラハ市民会館の市長サロンの壁画のためのスケッチ」、「岩に座る裸婦」のブロンズ像、「絵皿」(1900年パリ万博の記念品?、縁をフランス王家の紋章である百合の花紋が飾る)、「水差し」など。後がつかえているので1時間余で見学を切り上げ、ショップで図録を購入して引き揚げる。

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プラハ旧市街

2010年4月13日(火) 5:30起床。朝からビール、水道水で冷やしておいたGambrinusの缶を試飲する。6:45朝食、チェコは豚肉の生産が盛んな割りにハムやソーセージの味はいまいち、コーヒーも不味い。 フロントで30ユーロ(€)を両替すると678コルナ(Kc)になる。1€が22.6Kc(1Kcが6円)とは手数料が高い。部屋からの眺めは確かP1130048にパノラマではあるが平凡、旧市街から遠く離れておりプラハ城やヴルタヴァ川は見えない。9:00バスで旧市街観光へ出発。現地ガイドはプラハ在住8年目のSさん、ご主人がチェコ人である。先ずはプラハ城見学、衛兵の立つ側門から入場する。プラハ城といっても城館だけではなく、城内に大聖堂や教会、修道院なども建つ。第3の中庭に建つ聖ヴィート大聖堂の内部を見学する。身廊の幅60m、奥行き124mもある堂々たる空間に圧倒されながら、アルフォンス・ミュシャがデザインしたステンドグラス、聖ヤン・ネポムツキーの純銀製の墓、金銀宝石とフレスコ画で荘厳された聖ヴァーツラフ礼拝堂、ゴシック・リヴァイバル様式の巨大なバラ窓などを見学する。ゴシック様式の大聖堂の建築は、カレル1世の命により1344年に始まり、1929年に完成するまで実に600年の歳月を要したとのこと、高さ97mの2本の尖塔を持つ大聖堂は、プラハ城のシンボルでありプラハのランドマークでもある。 フランツ・カフカの住居が残る黄金小路、旧王宮、聖イジー教会なども見学したかったが、 それらは全て有料らしく、午後の自由行動の時間にどうぞとのつれない返事。ぎりぎりツアーは悲しい。戦う巨人像が据えられた正門から退場し、フラッチャニ広場に面する大司教宮殿やシュヴァルツェンベルク宮殿を眺めた後、P1130052新登城道を下ってカレル橋へ向かう。カレル橋はプラハ城と並ぶ2大シンボル、現在の石橋は1357年の着工、15世紀初頭の完成で、ヴルタヴァ川に架かる石橋ではプラハ最古、両端に厳めしい防衛塔が聳え立つ。橋上に並ぶ30体の聖人像は17世紀後半から20世紀初頭にかけて造られたもの、1683年に制作された聖ヤン・ネポムツキー像が最も古く、プラハ城側(左岸)から見て左の8番目(真ん中)に当る。触れると幸運が訪れるとのことで、観光客も地元の人も皆触っていく。記念写真を撮るのも順番待ち。また、プラハ城側から見て右の11番目には聖フランシスコ・ザビエル像が立つが、ガイドブックがなければ見分けることは難しい。橋を渡り旧市街広場まで歩き、広場に面する土産物店エルペット(ERPET)に入る。日本人スタッフがおり、午後の自由行動時いつでも手洗いの使用OKとは心強い。娘からお餞別を沢山貰ったので、お土産に名産の柘榴石ペンダントを購入する。棚に並ぶボヘミアングラスの高級品は眩いばかり、いつの間にかクリスタルグラス以外にも江戸切子のような色付きカットグラスが製品化されている。火薬塔の隣の市民会館2階のレストランへ行き昼食をとる。市民会館といっても日本でイメージするような実用一点張りの建物ではなく、プラハを代表するアールヌーヴォー建築である。 内部には「プラハの春」音楽祭の会場となるスメタナ・ホールがあり、ミュシャらチェコを代表する芸術家 による華麗な装飾P1130061が施されている。そう思うせいかプラハ風ロールキャベツは芸術的盛り付けで美味しい。昼食後、約4時間のフリータイム。OPは市民会館内のスメタナ・ホールや市長の間を見学した後、貸切のトラムで市内を巡る内容で一人12,000円也、今回は見送り自由行動の方を選ぶ。プラハには1988年に出張で来たことがあるが、その時は旧市街広場にちょっと立ち寄っただけなので、今日はゆっくりプラハ歴史地区を見学しようと思う。先ずは賑やかなナ・プシーコピェ大通りを歩き、途中から左折してミュシャ美術館へ行く。入館料は大人160Kc(≒800円)、小さな美術館で街角にひっそり佇む。展示は、「装飾パネル」、「パリ時代のポスター」、「装飾資料集(下絵)」、「チェコ時代のポスター」、「絵画作品」、「素描画とパステル画」、「アトリエ」の七部構成、入館者はまばらでお陰でゆっくりミュシャの世界に浸り、アールヌーヴォーを堪能する。プラハ随一の繁華街ヴァーツラフ広場を眺めてから、旧市街広場へ戻る途中の両替所で20€を両替すると498Kc(1€=24.9Kc)。ホテルより大分レートが良い。それにしても22年前(共産党支配時代)にはセピア色にくすんでいた中世そのものの街並が、今ではすっかり垢抜けてカラフルで華やかに変わっている。その上、旧市街の背後には高層ビル群が林立し、キャッチフレーズ“百塔都市”の肝心の尖塔群すら目P1130064立たなくなっている。時の流れをしみじみ感じる。旧市庁舎前で天文時計(1490年頃の製作)が3時を打つのを待ち、窓に仕掛け人形が現れるのを見物する。その後、旧市庁舎の塔に登り、展望台から旧市街を眺める。 360度の眺望、オレンジ色の甍の波が美しい。旧市街広場に戻り、周囲の建物ウオッチング。高さ80mの尖塔を2本擁するゴシック式の聖堂はティーン教会(1365年完成)、その左に石の鐘の家(14世紀建造)とゴルツ・キンスキー宮殿(1765年完成)が並ぶ。 ティーン教会と対角に当る広場の角に建つ白壁の建物は聖ミクラーシュ教会(18世紀初頭の完成)、中世の面影を色濃く残す旧市庁舎のスグラフィット装飾の壁など。ゴシック様式やルネッサンス様式、バロック様式など時代の異なる建築物が広場を取り囲み美しく彩る。そして、広場中央に立つ宗教改革の先駆者ヤン・フス像、P1130071もう二度と来ることはあるまいとしっかり心に焼き付ける。最後に、カレル橋の畔のスメタナ博物館へ行ってみたが、今日は18:00からコンサートがあるとかでクローズド、スメタナ像の前でヴルタヴァ川とカレル橋をバックに記念撮影しただけで引き揚げる。歩き疲れたので旧市街広場にあるスターバクスに入りコーヒーブレーク、17:45のエルペット前再集合を待つ。18:00から旧市街にあるレストランSTARE CASYで夕食、生ビール(VELKOPOPOVICKY KOZEL)と赤ワインを飲む。メインは名物のクネドリーキ付きポーク料理、味はううむ。生ビールは美味しい。食後、旧市街を通り抜け、国民劇場を眺めながら、カレル橋の1本上流の橋(チェコ軍団橋)を渡り、左岸で待つバスへと向かう。20:00ホテルに戻る。(続く)

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ブラチスラヴァ旧市街

2010年4月12日(月) 5:30起床、曇り。夜中に又雨が降ったようである。6:30から朝食、並んでいる料理は昨日と同じ。 8:00雨を突いてスロヴァキアの首都ブラチスラヴァへ向け出発、200㎞・3時間の道程。雨の高速道路はがらがら、バスはハンガリー平原をひた走る。今回のツアーメンバー34名の内訳は夫婦7組、母娘5組、女友達3組、一人参加4名(男性1名、女性3名)である。女性が26人と圧倒的に多いので華があり賑やか。10:00スロヴァキア国境近くのGSで休憩、外気温P1130032は11.5℃と肌寒い。トイレは有料であり一回100Ft(50円)、コインを投入すると利用券が出てきて入口遮断機のバーが開く仕組。後にその券を売店やレストラン利用時に提示すれば100Ft値引きしてくれる。 なかなか合理的である。11:00ブラチスラヴァ市内に入り、街角で現地ガイドのコヴァチョバさんをピックアップする。先ず丘の上に建つブラチスラヴァ城へ。ブラチスラヴァ城は四角い建物の四隅に小塔が建つ独特の外観から“ひっくり返したテーブル”と呼ばれているそうな。18世紀には女帝マリア・テレジアの居城になったこともあり、現在は歴史博物館と音楽博物館として利用されている。城内見学はせず手洗いのみ借用する。高台から雨に煙るドナウ川と対岸の新市街ビル群を眺める。旧市街と新市街を結ぶ3本の橋は、新橋(Novy most)、旧橋(Stary most)、新新橋という嘘のような本当の名前、分かりやすくてP1130033良いけれど旅情をかきたてるには力不足。城の右手へ回りこむと聖マルティン教会の塔頂部分と旧市街の一部が見える。聖マルティン教会は14世紀初頭の建立、 1563年から1830年の間に11人のハンガリー王と7人の女王の戴冠式が行われている。次は旧市街見学、バスでミハエル門近くまで移動する。旧市街を取り囲んでいた城壁の門で現在まで唯一残るミハエル門(14世紀建造)は、ブラチスラヴァ市のランドマークである。ミハエル門をくぐると敷石に方位盤が埋設されており、東京は東方9,142㎞の表示がある。遥遥と遠くへ来たものである。ミハルスカー通りを中央広場へと歩いて行く。通りには大学図書館、フランツ・リスト滞在時の居館、オーストリア大使館(?)などが建ち並ぶ。広告看板等が最小限に抑えられた街並は、建物の高さも面も揃い整然としている。パステルカラーに彩られた壁も美しい。中央広場(フラヴネー広場)に出ると、塔を持つ旧市庁舎や日の丸の国旗を掲げる日本大使館が建つ。ブラチスラヴァ一 賑やかな筈の場所も、雨の月曜日とあって 人出は僅か、閑散としている。それでもユーモラスなブロンズ像がさりげなく設置してあるなど心P1130043憎い演出で結構楽しめる。国民劇場(オペラ座)、ラディソンSASカールトンホテル等を眺めながら昼食会場へ向かう。もっとじっくり見物したいところであるが雨は本降り、コヴァチョバ女史が早口・早足に成るのも理解できる。昼食は国立自然史博物館の先のドナウ川の畔、オソブニー桟橋ターミナルビルにあるレストランでとる。そこはウィーンやブダペストからの国際定期船が到着する河港である。なんと現地ガイドのコヴァチョバさんはそのビルの土産物店主、何のことは無い、店に寄ってもらう時間を稼ぐための早口・早足だったようである。白身魚のムニエルとデザートのケーキは美味。14:00プラハへ向P1130038け出発、今度は330㎞・4時間半の道程。今日は移動が8時間、観光は1時間。車内にスメタナの「わが祖国」とドヴォジャークの「新世界より」が流れる。国境を越えてチェコのモラヴィア地方に入ると辺りは白樺と針葉樹の森林地帯、対向車線の交通事故を目撃する。当方のバスもシートベルト着用の指示もなく大丈夫であるか。16:15GSに入る。手洗い無料が嬉しく、感激の余り缶ビールを2本購入してしまう。ガンブリヌス(Gambrinus)とスタロプラメン(Staropramen)はどちらも22コルナ(Kc)(≒110円)と日本の第三のビール並みの値段。但し、 有名なピルスナー・ウルクエルとブジェヨビッキー・ブドヴァルは39Kc(≒200円)と高め。結局終日雨、P1130041 18:00プラハの新市街に入った途端に渋滞に巻き込まれる。街路樹の芽吹きはブダペストより幼く、プラハの春は浅い。18:30スタロモフスカ修道院(?)附属のビアレストラン(VELKA KLASTERNI RESTAURACE)に到着、クネドリーキ(蒸しパン)がたっぷり浮ぶオニオンスープとソーセージ大盛り合わせの夕食をとる。クネドリーキ入りスープは盛岡のセンベイ汁を思わせる。ソーセージは塩辛いがハウスビールとの相性は悪くない。グラス一杯が無料とくれば余計美味しい。アコーディオンの生演奏付きとあって皆大いに盛り上がり、ビールとワインを次々に追加注文する。20:45コリンシアパノラマホテル着、1916号室に入る。24階建ての四星ホテルの部屋は昨日までのイビスホテルより上等、ゆったりしている。酔いを醒ましてから風呂に入り23:00頃就寝。(続く)

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ブダペスト市内とドナウベント沿いの古都

2010年4月11日(日) 4:10起床、早々に目が醒める。仕方が無いのでガイドブックに目通しし本日の予習。6:30から朝食、 もちもちパンとコーヒーが旨い。パプリカのピクルスもなかなか。食後、ホテル附近を散策する。日本より少し肌寒いがマロニエの芽吹きが始まり、サクラに似たバラ科の街路樹(恐らくサクランボかスモモ)の花が咲いている。ホテルに戻りフロントで20ユーP1130006ロをフォリント(Ft)に両替すると4,920Ftになる。1Ftが0.5円の勘定。9:00ブダペスト市内観光に出発、現地ガイドのスチーブン氏は日本語ぺらぺら。ブダペストはドナウ川を挟んで西側のブダ地区と東側のペスト地区に分れるが、先ずブダ地区の王宮の丘にある歴史的建造物を見に行く。バスはドナウ川に架かる最古の橋“くさり橋”(1849年完成)を渡り王宮の丘へと上る。 バス・プールから階段をひと登りして“漁夫の砦”の門をくぐり、マーチャーシュ教会前の広場に出ると、ハンガリー建国の父、初代国王のイシュトバーン1世(在位997-1038)の騎馬像が建つ。目の前に聳えるマーチャーシュ教会はブダペストのランドマーク、高さ80mの尖塔とカラフルなモザイク模様の屋根が青空に映える。歴代ハンガリー王の戴冠式が行われたため「戴冠教会」とも呼ばれる。1867年6月8日にはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と后妃エリザベートが、この教会において、ハンガリー国王、王妃P1130008として戴冠している。所謂オーストリア=ハンガリー二重帝国の誕生である。 マーチャーシュ教会前の広場を取り囲むドナウ川に面した城壁は漁夫の砦と呼ばれ、二段回廊と7つの小尖塔よりなる。上部回廊に上るのは有料で500Ft、2002年には天皇、皇后両陛下もご登臨されている。我々ぎりぎりツアー組は教会内部(拝観料700Ft)にも入らず、砦の上部回廊にも登らない。下部回廊からドナウ川とペスト市街地を眺め、三位一体広場のペスト終焉記念像を見物する。その後、マーチャーシュ教会北隣のヒルトン・ブダペストの前を通り、土産物店“赤いハリネズミ”へ行く。トイレ休憩を兼ねたショッピングであるが、なにせ公衆トイレが少ないので有り難い。名物のヘレンドの磁器やカロチャ刺繍は1点数万円もするものが多く手が出ない。パーリンカ(アンズや洋梨から造ったスピリッツ)入りボンボンチョコやフォアグラを試食し、P1130011 世界三大貴腐ワイン(あとの二つはフランスのソーテルヌとドイツのトロッケンベーレナウスレーゼ)のひとつ、トカイ・アスーの6番を試飲する。これで何も買わないでは体裁が悪いので、値段の安いパプリカ粉末を購入する。見学の二箇所目は同じくブダ側のゲッレールトの丘、王宮の丘の南に位置する。ゲッレールトの丘にあるパノラマポイントからはドナウ川を中心に両側に広がるブタとペストの市街地を一望することが出来る。なるほどブダベスト随一の展望台と云うのも肯ける。丘上は新緑が美しくサクランボやスモモの花盛り、暑くも寒くもなく、今が観光には最適の季節ではと思われる。三箇所目はペスト側にある英雄広場。北側に西洋美術館、南側に現代美術館が建つ広場には、柱頭に大天使ガブリエルを戴く高さ35mの建国1000年記念碑(1896年建立)が建つ。記念碑両脇の柱廊に並ぶ14体の彫像は歴代国王や独立戦争の指導者などハンガリー史に名を残す偉人達らしい。 日曜日のせいか広場は空いていてハンガリー美人は見当たらない。KALTENBERGという名のレストランで昼食をとる。名物料理のグヤーシュ(牛肉のパプリカ煮込み)の味はまずまず。P1130014午後は一人12,000円のオプショナルツアー(OP)に参加し、 ドナウベント(ブダペストの北方でドナウ川が東から南にほぼ直角に流れを変える箇所)に点在する古都を訪ねる。 13:00出発、俄かに雨が降り出す。此の地も春先の天気は不安定のようである。郊外の早緑の山野は美しいが、路傍にゴミが目立つのが興醒め。14:15エステルゴム(Esztergom)に到着し大聖堂を見学する。エステルゴムはイシュトバーン1世が王宮と大聖堂を築いたハンガリーの古都、今でこそ小さな田舎町にすぎないが、ハンガリーカトリックの総本山である大聖堂は、高さ100m、直径53.5mの大ドームを擁し威容を誇る。祭壇に飾られた「聖母マリアの昇天」画はイタリア人グレゴッティの作で、1枚のカンヴァスに描かれた絵画としては世界最大級とのこと、床の大理石には大小様々のアンモナイトの化石が認められる。大聖堂のテラスからドナウ川の流れとマリア・ヴァレリア橋、対岸のスロヴァキアを眺める。ドナウ川の水質は一時より改善されて、ウナギやカワスズキ、コイ、ナマズなどの魚が良く獲れるようになったと云うが、それでも「美しき青きドナウ」と謳われた水色には程遠い。エステルゴム郊外には年産20万台のスズキの組立工場があるらしく、失業率11%に上るハンガリー経済を幾分なりとも支えている。ハンガリーの平均月給は10万円、年金受給は62歳からで少なくとも20年間の勤続実績を要するとの事、どこの国も厳しい。バスに戻りセンテンドレ(Szentendre)へ向かう。バスはドナウ川沿いに走る。車窓から眺める農家の庭には必ずといっていいほど果樹が植えてある。ハンガリー人が最も好むというクルミを始め、アンズ、サクランボ、プラム、リンゴなど。収穫する果実は地下室に貯蔵し冬の間の貴重なビタミン源、また、自家製パーリンカ(アルコール分40度前後)の原料になる。 農業国ハンガリーの主な作物は大麦、小麦、ライ麦、トウモロコシ、ジャガイモ、ヒマワリ、タバコなど、又、豚肉の生産も盛んとのこと。センテンドレへ向かう途中の古都ヴィシュグラードにも立ち寄り、高台にある要塞からドナウの曲がり角を眺めるものと思い込んでいたのに・・、無情にも素通り、これではOPに参加した意義も半減。こんなことなら自由行動を選択しブダペスト市内でゆっくりしたほうが良かったと思ったものの後の祭り。P1130021電柱の上に大きな巣をかけたコウノトリを見るとやがてセンテンドレの町に入る。16:00中央広場まで歩いたところで1時間半のフリータイムになる。センテンドレは美術館や博物館がひしめく芸術の町であるが、中途半端な時間では美術館に入る気にもなれない。 町で最も旧いカトリック教会のプレバーニア教会が建つ丘に登り、家々の赤い甍の重なりとドナウ川を眺める。ドナウ河畔にも降りてみたが何ということもなし。中央広場の一角に建つセルビア正教のブラゴヴェシュテンスカ教会にも入ってみたが、昨年ロシア正教の大聖堂やイコノタスをたっぷり見てしまった眼には驚きもなし。疲れたので広場に面するカフェ・エリザベスに入りコーヒーブレーク。ブダペストへ戻るバス の車内に流れる音楽はリストのハンガリー狂詩曲。19:00ホテルロビーに全員が集合し、夕食にホテル・ブダペスト近くのレストランCSARDAへP1130029行く。BECK'Sの小瓶を飲み、名物のパプリカチキンとパラチンタ(チョコレートソースをかけたクレープ)を食べる。味はいまいちであったが、居合わせたJTBグループが頼んだ民族舞踏を相乗りして只見したのでお釣りは充分。食後の21:00から1時間のドナウ川イルミネーションクルーズを楽しむ。マルギット橋の上手から出発した貸切のクルーズ船は、ライトアップされた国会議事堂やマーチャーシュ教会、王宮などを左右に眺めつつゆっくりと川を下って行く。マルギット橋、くさり橋、エルジェーベト橋、自由橋、ペトゥーフィ橋、ラージュマーニョシュ橋と6本の橋をくぐり、そこから元の桟橋に引き返す。セーヌ川クルーズほどではないにしろ、くさり橋や自由橋のライトアップはなかなか美しい。22:00 イビスホテルに戻る。(続く)

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美しき中欧4カ国夢周遊9日間

2010年4月10日(土) 5:00起床、曇り。先月ドタキャンになったギリシャ旅行の仕切り直し、今日から家人と中欧の旅に出る。6:30車にスーツケース(SC)2個を摘んで出発、成田空港手前のPARK500に車を預けるP1130002 。9日間で4,200円也。成田空港第一ターミナルに着いたのは8:00、集合まで大分間がある。前回両替したユーロはたっぷりあるし、今回海外旅行保険には加入しないしで手持ち無沙汰である。阪急交通社の受付を済ませ、オーストリア航空(OS)のカウンターでSCを預ける。OSはANAと同じスターアライアンスグループとのことでマイレージを加算して貰う。再集合までEXCELSIOR CAFFEでコーヒーを飲み時間潰し、高野悦子著「黒龍江への旅」を読む。添乗員は40歳前後の男性M氏、同行メンバーは34名である。10:50 OS52便に搭乗する。席は一番奥のどん詰まり、それでも通路側なのでまずまず、個人端末も付いており新聞もある。 11:45離陸、初っ端からすごく揺れる。水平飛行に移って直ぐに飲み物サービスがあり、オーストリアビールのGoesser MaerzenとP1110555Ottakringer Hellesを飲む。持参の亀田の柿の種をリュックから取り出し完璧態勢。13:20第一回目の食事、シーフード焼きソバ等の味はなかなか良く機内食としては美味しい部類に入る。氷雪の大地シベリア上空を飛ぶ。揺れるのと飲みすぎたのとで気持ちが悪くなりトイレに駆け込むが、一番後ろの席はこんな時便利(?)。17:15ノリリスク南方の上空にさしかかる。下界は凍てついた大河エニセイ川が蛇行する白い大地、あとウィーンまで丁度半分の5時間半。カップヌードルやお握りのサービスまであり、OSのおもてなしは及第点がつく。時計の針を7時間進めてから、ビデオモードで映画「HACHI 約束の犬」(リチャード・ギア主演)を観る。ミンスク上空で二回目の軽めの食事が出る。15:30(日本時間22:30)ウィーン国際空港に安着、入国審査をクリアし迎えのバスに乗り込む。P1130003 そこからブダペストまで245㎞・3時間30分のドライブ、運転手はハンガリー人のラスロー氏、50歳前後の紳士である。沿道の樹木は芽吹いたばかりでシラカバが花序を垂らし、モクレンやレンギョウの花が咲く。麦畑は青々と、畑土は黒々と、ハンガリー盆地は豊かに肥えている。左右の丘上には風力発電機が林立し、風がなさそうなのに良く回っている。高速道は快適、殆ど揺れや振動を感じない。制限速度は乗用車が時速130㎞、貨物自動車は80㎞。17:50ガソリンスタンド(GS、売店や食堂を併設しており日本のSAかPAに当る)でトイレ休憩、ガソリンはリッター170円ほどで日本より高い。19:30(日本時間11日2:30)ブダペストの市中にあるイビス・バーチ・ウートホテル(ibis Hotel)に到着、421号室に入る。二ツ星ホテルで設備と内装は新しいが部屋が狭い。夕食はないので早速持参の電気ポットでカップラーメンを作る。風呂から上がり、夕方GSで購入したハンガリービールのSOPRONIを飲み終えると22:00(同5:00)、猛烈に眠くなる。(続く)

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ハリギリの新芽摘み

Dsc024572010年4月9日(金) 手賀沼湖畔のとある秘密の場所へハリギリの新芽を採りに行く。そこには人間の背の高さ位の若木が数十本まとまって生えている。ハリギリの実を食べた小鳥によって集中的に種が運ばれる場所らしく、幼木も非常に多い。効率が良いので直ぐにレジ袋が一杯になる。タラノメと違い競争相手が少ないのが嬉しい。明日から出かけるので美味な天麩羅は暫らくお預け、とりあえず冷蔵庫に保存する。先月、土壇場で催行中止になったギリシャ旅行の仕切り直し、明日から中欧9日間の旅に出る。

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定点観察・増尾城址公園(柏市)

Dsc024592010年4月9日(金) 手賀沼湖畔にハリギリの若芽を摘みに行った帰り、増尾城址公園に立ち寄りきのこ観察。ここにもハリギリ(別名センノキ)の大木があり、摘み頃の若芽がどっさり出ているが、高くて高くて手が届かない。肝心のきのこはアミガサタケ、カラムラサキハツ、ヒラタケの3種類を観察したに止まる。ここのアミガサタケは頭部が類球形であり、小型且つ発生時期が幾分早い点から、M.esculenta.var.esculentaではなく、チャアミガサタケと云われるものかもしれない。(写真はアミガサタケ)

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ミツバのおひたし

Dsc024242010年4月5日(月) 終日氷雨。20年以上も前に丹沢の林道脇で採取したヤマミツバの子孫が今なお庭で繁殖している。そのままでは繊維が強く硬いし、香りもきついので、秋に培養土を入れたプランターに数株移植して冬越しさせる。春先になるとそこから軟らかい新芽がどんどん出てきて茎葉が展開する。爽やかな香りと歯ざわりを楽しむには、さっと茹でておひたしが一番、汁の実、あえもの、浅漬け、天麩羅も旨い。

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廣池学園のトガリアミガサタケ

Dsc024092010年4月3日(土) 今日は柏市の桜の名所、近所の廣池学園のお花見。大勢の市民が押しかけるせいか、入園時の守衛所に於ける氏名と用件の記帳は特別に省略しても良いとのこと、有り難い。花見の前に件のイチョウの大樹の下でトガリアミガサタケを観察する。発生してから大分時間が経ったとみえ倒れているものが多い。肝心のソメイヨシノは五分咲きくらい、いつ見ても見事ではあるが樹齢50年を越える老木揃い、そろそろ若木を補植し世代交代を図るべき時期と思われる。余計なお世話かもしれないが・・。

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奥州須賀川総鎮守・神炊館神社

2010年4月1日(木) 仙台から柏に戻る途次、須賀川市にある神炊館(おたきや)Dsc02380神社に立ち寄る。宮司のSさんとは2年半前のイラン旅行以来のメル友、大学の先輩でもあり表敬訪問である。須賀川市の中心部に広大な境内と立派な社殿を構える神炊館神社は、俗称諏訪神社、氏子の皆さんからは「お諏訪さま」と呼ばれ親しまれている。由緒書きには、「当神社はそのはじめ、須賀川城初代城主二階堂為氏が文安元年(1444)に、現在の須賀川市街地に築城した時に、城内に守護神として建美名方命(たけみなかたのみこと)を勧請し諏訪社として 建立されました。天正十七年(1589)須賀川城は伊達政宗の攻撃によって落城し、その後、当地は会津領となり、慶長三年(1598)に領主として移封された上杉景勝公は、Dsc02381戦後の町づくりをした時に、新たに社殿を再建し石の鳥居を寄進しました。この鳥居は現在北門に残されています。正徳二年(1712)、正一位の神階を授けられ、岩瀬総社諏訪大明神と称し、仙道筋注連頭として岩瀬郡内の神社八十社を統括していました。松尾芭蕉が奥の細道行脚の途次、参詣したのはこの社名の時でした。明治十一年(1878)に、社名が神炊館神社と改められました。これは、初代の石背国造となった建美依米命(たけみよりめのみこと)等が合祀されているためであります。社名の由来は、同命がこの土地の統治の成功を、新穀を炊いて天神地祇に捧げて祈願した、その事績に基づいています。それ以後、須賀川町の総鎮守となり現在にいたっています」とある。まさに由緒正しい御社である。長い参道の両側には石灯籠が建ち並び、神域の厳かな雰囲気が漂う。ひと際目を引く奥の細道歌碑は、氏子総代の渡邉清一郎氏の篤志寄付により平成十九年に建立されたもの、 碑面には、諏訪明神に奉納されていた芭蕉真筆の句「うらみせて涼しき瀧の心哉」(出典は、宝暦四年、白河の俳人和知風光がDsc02400編集した俳句の本「宗祇戻(そうぎもどし)」と、奥の細道行脚に随行した河合曾良が記した「曾良日記」の、元禄二年(1689)四月二十八日諏訪明神に参詣した時の一節「二十八日 発足の筈定ル。矢内彦三良来而(きたりて)延引ス。昼過ヨリ彼宅へ行而(ゆきて)及暮(くれにおよぶ)。十念寺・諏訪明神へ参詣。朝之内、曇」とが刻まれている。有栖川宮熾仁親王書の社号額がかかる社殿にお参りしてから境内をひと巡りする。境内には他にも、市神(三八)稲荷神社、三八稲荷奥宮、天満神社、松尾神社が祭られ、須賀川城外濠跡の旧蹟もある。更に、須賀川の桜の名所、樹齢二百年を越すエドヒガンザクラが群生するお諏訪の森は圧巻。社務所でSさんと久し振りの再会、一時間ばかりお話し、近い将来旅行をご一緒することを約して神炊館神社を後にする。

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茨城県天心記念五浦美術館

2010年3月30日(火) 所用があり仙台に帰省する途次、北茨城市にある茨城県立五浦美術館に立ち寄る。Dsc02374入館料が180円と格安、県立とはいえ何と良心的な値決めであることか。常設の岡倉天心記念室が充実しており、そこには近代日本美術の発展に大きな功績を残した天心の生涯年表とともに、著作、書簡、愛用品などの関連資料が豊富に展示されている。なかでも、インドの女流詩人プリヤンバダ・デーヴィ・ヴァネルジーとの往復書簡(淡い恋文?)や、亡くなる一年余り前に認められたと云う、家族への財産分与を記した遺言状は興味深い。日本美術院の五浦時代に天心の指導を受けた画家、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山の作品も、1点づつではあるが同室に展示されている。「現代日本画家の情熱」と題する所蔵品展は、茨城県が再興日本美術院展覧会(再興院展)に提供している天心記念茨城賞を受賞した画家の作品を中心に展示したもの、又、「開窯40周年 ゲルト・クナッパー・オブジェ展」と題するギャラリー展は、大子町に35年前から登り窯とアトリエを構えるドイツ人陶芸家GERD KNAEPPER氏の作品を展示したもの、どちらも一通り観賞してから美術館を後にする。

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