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奥州須賀川総鎮守・神炊館神社

2010年4月1日(木) 仙台から柏に戻る途次、須賀川市にある神炊館(おたきや)Dsc02380神社に立ち寄る。宮司のSさんとは2年半前のイラン旅行以来のメル友、大学の先輩でもあり表敬訪問である。須賀川市の中心部に広大な境内と立派な社殿を構える神炊館神社は、俗称諏訪神社、氏子の皆さんからは「お諏訪さま」と呼ばれ親しまれている。由緒書きには、「当神社はそのはじめ、須賀川城初代城主二階堂為氏が文安元年(1444)に、現在の須賀川市街地に築城した時に、城内に守護神として建美名方命(たけみなかたのみこと)を勧請し諏訪社として 建立されました。天正十七年(1589)須賀川城は伊達政宗の攻撃によって落城し、その後、当地は会津領となり、慶長三年(1598)に領主として移封された上杉景勝公は、Dsc02381戦後の町づくりをした時に、新たに社殿を再建し石の鳥居を寄進しました。この鳥居は現在北門に残されています。正徳二年(1712)、正一位の神階を授けられ、岩瀬総社諏訪大明神と称し、仙道筋注連頭として岩瀬郡内の神社八十社を統括していました。松尾芭蕉が奥の細道行脚の途次、参詣したのはこの社名の時でした。明治十一年(1878)に、社名が神炊館神社と改められました。これは、初代の石背国造となった建美依米命(たけみよりめのみこと)等が合祀されているためであります。社名の由来は、同命がこの土地の統治の成功を、新穀を炊いて天神地祇に捧げて祈願した、その事績に基づいています。それ以後、須賀川町の総鎮守となり現在にいたっています」とある。まさに由緒正しい御社である。長い参道の両側には石灯籠が建ち並び、神域の厳かな雰囲気が漂う。ひと際目を引く奥の細道歌碑は、氏子総代の渡邉清一郎氏の篤志寄付により平成十九年に建立されたもの、 碑面には、諏訪明神に奉納されていた芭蕉真筆の句「うらみせて涼しき瀧の心哉」(出典は、宝暦四年、白河の俳人和知風光がDsc02400編集した俳句の本「宗祇戻(そうぎもどし)」と、奥の細道行脚に随行した河合曾良が記した「曾良日記」の、元禄二年(1689)四月二十八日諏訪明神に参詣した時の一節「二十八日 発足の筈定ル。矢内彦三良来而(きたりて)延引ス。昼過ヨリ彼宅へ行而(ゆきて)及暮(くれにおよぶ)。十念寺・諏訪明神へ参詣。朝之内、曇」とが刻まれている。有栖川宮熾仁親王書の社号額がかかる社殿にお参りしてから境内をひと巡りする。境内には他にも、市神(三八)稲荷神社、三八稲荷奥宮、天満神社、松尾神社が祭られ、須賀川城外濠跡の旧蹟もある。更に、須賀川の桜の名所、樹齢二百年を越すエドヒガンザクラが群生するお諏訪の森は圧巻。社務所でSさんと久し振りの再会、一時間ばかりお話し、近い将来旅行をご一緒することを約して神炊館神社を後にする。

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