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シイタケの種駒打ち

Dsc075152011年1月28日(金) 二日がかりで電動ドリルでホダ木に種駒を埋め込むための穴を開ける。おととし、去年に続き三回目の作業であるが、ドリルの刃が鈍ったのか手間取るばかりで一向に捗らない。ホダ木は、増尾城址公園で昨春伐採され放置されていたシラカシと樹種不明の原木の2種類、昨年11月に現地で玉切りし調達してきたものである。従来のものに加え、敷地の北側フェンス際に並べると、どうやらきのこ栽培場らしくなる。

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原木栽培ナメコ(1)

Dsc075112011年1月25日(火) 昨年の11月24日に待望の初発生があってから、その後はぴたりと発生が止んでいたナメコが再び姿を現す。この1ヶ月、16日の降雪を除けば殆ど雨らしい雨が降らないので、ほだ木を地伏せし、時々散水はしてきたが・・・。何にしても嬉しい再会、それにしても大きい。最大のものは傘径7㎝、これ1本で市販品20個分はある。まあ、大きければよいというものでもないが・・。

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菜園の恵み(33) コマツナとブロッコリー

Dsc074942011年1月24日(月) 昨年10月27日に第二弾として蒔いたコマツナが収穫時を迎える。ブロッコリーは同8月3日に苗を植え付けたものであるが、その後の猛暑と旱魃により生育が悪く、年を越してようやく初収穫。どちらも小振りであるが味は良い。

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福来る

Dsc074922011年1月23日(日) 今日はお年玉付き年賀はがきの当選発表日、四等が6枚当たる。戴いた賀状は全部で250枚弱なので、確率よりはちょっぴり成績が良い。平成二十三年の年賀切手も目出度くストックブックに収まることに相成り、初春から誠に縁起が良い。大崎市のK.H様、仙台市のS.U.様、郡山市のY.T.様、柏市のM.F.様、杉並区のT.I.様、大和市のY様、誠にありがとうございました。

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帰国(アテネ→チューリヒ→成田)

2011年1月21日(金) 2:40起床。受話器が外れており3:00のMCが鳴らず、早めに目覚めたから良かったものの危ういところ。P1140799_2 3:45朝食の弁当を受け取りアテネ国際空港へ向かう。4:25アテネ国際空港着、 LXのカウンターにSCを預け搭乗券を受け取る。マイレージも加算してもらう。ロビーの椅子に腰掛け弁当の中味を確かめる。ハムサンド、スポンジケーキ、リンゴ、ジュース、MWなどいろいろ入っている。5:30手荷物検査を受けて出発ロビーに入る。格安ツアーなのでてっきり早朝便の空席埋めかと思ったが、さにあらずLX1843便チューリヒ行きは略満席の盛況。6:40離陸、時計の針を1時間遅らせる。先ずは1,640㎞・2時間20分の飛行、その間に「チベット旅行記(三)」を読了し、「おにぎり・オリーブ・赤いバラ」を読み始める。P1140800軽食の 内容はバニラマフィン、ヨーグルト、コーヒーでいずれも美味。8:10チューリヒ国際空港に着陸、外は真っ白、吹雪いている。日本を出てくるときも雪、帰るときも雪。来たときに乗り継ぎ待ちしたロビーに陣取り、ホテルで貰った弁当を食べる。家人はお土産探し、結局スイスチョコレートを購入したようである。待つこと3時間、漸く出国審査にこぎつけ手荷物検査とボディチェックを受ける。ボディチェックは厳重を極め別室に連れ込まれる始末。やーれやれ。出発ロビーに入ったところで耳太郎を返却する。13:15漸くLX160便に搭乗、時計の針を8時間進め日本時間(21:20)に合わせる。21:50離陸、成田まで9,604㎞・11時間40分の長い長い空の旅がまた始まる。
1月22日(土) 日本映画「はなみずき」(新垣結衣主演)を観終わると2:30、機はウラル山脈を越え西シベリア平原上空にさしかかる。あと7時間、5,660㎞。もう1本日本映画「必死剣鳥刺し」(豊川悦司主演)を観終わると5:45、機はバイカル湖北辺上空を飛ぶ。あと3時間50分、2,950㎞。8:05二回目の食事サービス、もう直ぐ、ちょいの間。9:40成田空港に無事着陸。(完)

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ギリシャ料理

P1140636今回の旅行中、名物料理のムサカやスブラキや焼きチーズなどを食べるには食べたが、どれもいまいち印象が薄い。冬が一番美味しいとされるエーゲ海の魚介類にしても、サバのトマトケッチャプ煮とカタクチイワシ料理しか出なかったし・・、美味しかったのはデザート類とジュースぐらい。まぁ、格安のパックツアーであれば致し方ない。(写真はレモンケーキ)  

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エーゲ海一日クルーズ

2011年1月20日(木) 6:00のモーニングコールで目が覚める。6:30朝食、ドライフルーツをかじりコーヒーを飲む。 ホットプレート(温かい料理)は7時からとのことで何にもない。いやはや。 7:20出発、名古屋発のクラブツーリズムグループと大型バス2台に分乗しピレウス港へ向かう。ピレウス港は海運王国ギリシャ第一の港、外国の大型客船やエーゲ海クルーズ船が多数碇泊している。7:50乗船、入口で民族衣装をまとったクルーズ船のスタッフが待ち受ける。単なる歓迎かと思いきや一緒に記念撮影し後で写真を売りつける算段、強制的に撮られるのは困ったP1140753ものである。定員200人ぐらいの中型クルーズ船であるが、船内にギリシャの有名ブランド、フォリフォリ(Folli Follie)のショップがある。また、日本人女性スタッフが2名もいるなどおもてなし?に抜かりはない。8:15出航、船客はクラブツーリズム2グループと旅物語1グループの日本人が中心、欧米人はちらほらで船内は空いている。天候は薄曇り、空の色も海の色もいまいち、夏期のぬけるような青さはない。それでもさすがに南欧、甲板に出ても寒くはなく、時々薄日が射して船内はぽかぽかと温かい。今日のエーゲ海一日ミニクルーズはサロニコス湾に浮ぶエギナ島、ポロス島、イドラ島の3島巡り、最初に一番遠いイドラ島へ行く。これがなかなか遠く結構退屈する。その上、写真屋がうるさく付きまとい、二人連れで座っていようP1140773ものなら直ぐにツーショットを撮りにくる。おちおち席に落ち着いてはいられない。又、缶ビールやコーヒー、紅茶などの御用聞きもしょっちゅうやって来る。 逃げ場はトイレくらいしかない。とうとう家人はフォリフォリの銀製ペンダントを買わされる羽目に。クルーズ料金はランチ込みで95ユーロとのことであるが、もっとお金を落としてもらおうとスタッフ総掛かり、ギリシャ人はなかなか商魂たくましい。10:30ようやくイドラ島着、下船の際に出航5分前には船に戻ってくるよう何度も念押しされる。自由時間が2時間あるのでとりあえず波止場周辺を散策する。エメラルドグリーンの海は透明度が高く沢山のウニや小魚が見える。雨上がりなのか石畳の道は濡れておりツルツル滑る。イドラ歴史博物館、見晴台、時計台、教会、風車小屋、 砲台などを見物P1140766する。高台に建つ城塞めざして脇道にも入り込む。狭い道の両側には赤瓦と白壁、青い扉や窓枠を持つ民家が建ち並ぶ。坂と石段が多い。イドラ島は自動車やバイクの乗り入れが禁止されており移動手段はロバと徒歩のみ、その浮世離れした雰囲気に惹きつけられ、世界中から芸術家(の卵)が集まって来るらしい。彼等は制作した作品を土産物店に並べて生計を立てている。そんな店のひとつ、カロリーナ(CAROLINA)でキーホルダーを購入し、別の店では銀細工のペンダントを買う。12:20船に戻る。出航と同時にテーブルに座らされ昼食が給仕される。 メニューはサラダ、サバのトマトケチャップ煮、レモンケーキの3皿、名物のキウィジュースを飲む。13:30ポロス島に着く。1時間のフリータイムに時計台と教会が建つ展望台に登り、対岸のペロポネソス半島の山並やガラタの町を眺める。どP1140779こもかしこも絵になる風景ではあるが、ここもイドラ島と同じような家並み、ホテルとレストランと土産物屋ばかりで飽きてくる。このミニクルーズ、ひとつの島に渡るだけで十分なのでは・・、そこでのんびり一日を過ごすほうが忙しなく島巡りするより余程旅情を味わえる。そういえば池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」の舞台はどこだったか?、確か録画したビデオがあるので帰ったらチェックしてみよう。登って来た道とは反対側に降り、素朴な島暮らしが感じられる静かな路地を抜けて船に戻る。14:30出船、エーゲ海は波静か、船内はぽかぽと暖かくつい居眠りが出る。15:45エギナ島のリマニ港に接岸、3島の中では一番大きい島で人口は1万4千人ほど、滞在時間も2時間ある。船会社が企画するエクスカーションの古代遺跡アフェア神殿ツアー(ひとり€25か3,000円)もあったがどうせ石がゴロゴロだろうと不参加、魚市場の近くにあるシーフードレストランへ名物の焼きタコを食べに行く。その前にエギナ島特産のピスタチオを購入することに。 船着場の正面にずらりと並ぶ屋台はどこも値段は同じ、250グラム入りの両割れ品が3ユーロ、片割れ品だと2.5ユーロ。剥きにくいかもしれないが片割れ品を6袋買う。それにしてもどうやって両割れ品と片割れ品を選別しているのだろう。波止場通りを南下し教会がある所までぶらぶら。そこから引き返し波止場通りの奥の路地に入り込む。パステルカラーの美しい家が建ち並ぶ通りをのんびり行くと魚市場に出る。魚市場といっても小規模なもの、一つ屋根の下の中央通路の両側に数軒の魚屋が並ぶ。時間が遅いので開いていたのは2軒だけ、並んでいる魚はタコ、イカ、クロダイ、マトウダイ、ヒメジ、エビなどで一昨年、ドゥヴロヴニクの魚市場で見たアドリア海の魚種に似ている。市場の隣にシーフードタベルナの店が軒を並べている。一軒の店先のテーブルに座り、タコの塩焼き(€7)とエビの唐揚げ(€7.5)を一皿づつ、それにアムステルビールの中壜を注文する。焼きタコはちょっと焼き過ぎ気味ではあるが噛みしめるほどに味が出る。エビの唐揚げは揚げたての熱々、塩加減も良く非常に美味い。P1140641どちらもビールに良く合う。他にもヒメジの唐揚げ(€8)、イカ焼き(€8)、イカのリング揚げ(€9)、焼きイワシ(€7)、焼き貝(€8.5)など一皿が7~9ユーロ、飲み物もビール中壜とグラスワインが2.5ユーロ、ウゾは5ユーロと全て良心的値段、懐具合を心配せずにエーゲ海の幸を存分に楽しめる。 支払いはチップ込みの17ユーロで済む。冬は魚介類が一番美味しい季節らしく、今日はこの後オプションでシーフード ディナー(ひとり8,000円)が計画されているが、それに参加するまでもない。隣のテーブルの地元の人もウゾを呷りながらヒメジの唐揚げをつついている。17:35船に戻る。帰りの船内では民族舞踏ショーを楽しむ。乗客も参加して大盛り上がり、いつの間にか外はすっかり暗くなる。19:25ピレウスに帰港、バスに乗りホテルに戻る。部屋に入るや早速お湯を沸かしカップラーメンを作る。日清麺職人の塩と醤油、これが一番美味い。食後は缶ビールのPROSTとAMSTELを試飲する。参加者によると、エギナ島におけるオプショナルツアーもアテネ市内のシーフードディナーも大したことはなかったらしい。これまでの経験からゆくと、現地旅行会社が主催するオプショナルツアー(OP)はコストパフォーマンスの低いものが多い。パックツアー本体で受け取る利益は極めて薄いため、どうしてもOPで稼がざるを得ないのであろう。(続く)

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ギリシャのビール

P1140604ワイン発祥の地といわれるギリシャに行ってまでわざわざビールを飲むこともないだろうと思うが・・、やっぱりビール!。殆ど病気、それも職業病?とあってはやむを得ぬ。今回試飲したビールは6種類。ALFAとAMSTELはギリシャ最大のビール会社アテネ・ブルワリー社(Athenian Brewery S.A.)の製品、AMSTEL及びHEINEKENをライセンス生産しているだけに醸造技術は確かであり、どちらも美味しい。MYTHOSはテッサロニキにあるギリシャ第二のメーカー、ミソス・ブルワリー社(Mythos Brewery S.A.)の製品、1997年発売と歴史は新しいが今ではギリシャを代表するブランドのひとつ、又、MYTHOS、FIX FEP1140618LLAS(Olympic Brewery S.A.)、VERGINA(Macedonian Thrace Brewery S.A.)は全て麦芽100%ビール、ホップ香と苦味が効いたドイツタイプのビールである。アテネ・メトロ社が(輸入?)販売するPROSTはドイツ産ビール、Brauerei Nemo Namenlos社の製品であり、しっかりした味わい。価格はと云うと、330ミリリットル缶がスーパーマーケットで€1.2、ドライブインで€2、レストランなら€3くらい、ギリシャの平均所得は日本の3分の1であることを思うと決して安くはない。もっとアルコールに強ければ、ギリシャで「男の飲み物」とされるウゾ(粕取り焼酎)でもグイとやるのだが・・・、如何せん、お酒、賭け事、女性の全てにからきし弱い。 P1140623

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世界遺産「メテオラの修道院群」

2011年1月19日(水) 5:30起床。部屋の暖房が効き過ぎ、暑くて目が覚める。テラスに出て奇岩群を眺めると、 未だ暗い空に満天の星が輝き、下の村から鶏鳴が聞えてくる。お湯を沸かしてコーヒーを飲む。7:45朝食。このホテル我々の貸し切り、ほかに客はいない。固めのヨーグルト、ハム、チーズが美味、コーヒーは不味。朝食後ホテルの周辺散策、奇岩群の眺めこそ良いが町外れで何も無い。丘の上に登り奇岩と対峙する。ちょうど朝陽が岩峰の上に顔を出す。刺すように空気が冷たく足元からじんじん冷えてくる。海抜400m、こんな辺鄙な地に最初に住み着いた隠者達は満足な住居も十分な食糧もなく、幾ら信仰修道のためとはいえ苦労したことであろう。9:15ホテルを出発しメテオラの修道院群見学P1140723へ向かう。メテオラとは「中空に浮く」という意味、 最初にその天空に浮ぶ様を最も良く体現しているアギア・トリアダ修道院の撮影ポイントへ行き写真を撮る。なるほど天下の奇観、垂直に切り立った岩山の狭い頂に赤い瓦屋根と白壁の修道院が一杯一杯に建つ。1476年創建と伝わるが、最初にここに隠遁所を建てた時の資材や生活物資はどこからどうやって運び上げたのか、現在の登山技術をもってしてもその頂に立つのは容易でない。1925年に漸く麓から140段の階段が取り付けられ、物資運搬には動力のロープウェーが使われるようになったが、それでも世俗とは隔絶した暮らしP1140728であることに変わりない。この修道院は映画「007ユア・アイズ・オンリー」の撮影舞台にも使われたとのこと、帰国したらDVDを借りてチェックしてみよう。次はアギオス・ステファノス修道院の入場見学、1367年の創建で1961年からは女子修道院となっている。修道院が建つ岩山には駐車場の先から石橋が架かっているので容易にアプローチできる。聖堂内部の撮影は禁止、女性は体の線を隠すためロングコートか無料レンタルのロングスカートを着用しなければならぬ。受付の尼僧がひとり一人判定してくれるがなかなか厳しい。主聖堂はこじんまりしたものであるが、 円蓋に描かれた引き締まった表情P1140729のキリストや、堂内を埋めるイコンとフレスコ画は美しい。資料館には16~17世紀の古いイコン、聖書の写本、銀製の聖具などが所狭しと並べられている。又、テラスからのカランバカの町の眺めが素晴らしい。ピンドス山脈の雪嶺と青空を背景に、赤瓦白壁の家々がびっしりと並びまるで箱庭のような眺めである。拝観料は€2(各修道院同一)であるが、1988年の世界遺産登録以来特にオンシーズン(夏季)には観光客が大挙して押し寄せるようになり、財政事情も余程好転しているのであろう。隅々まで手入れが行き届き、すっかり観光寺院化して、 隠者にはほど遠い優雅な暮らしの様に見受けられる。再びパノラマスポットへ移動し写真タイム、駐車場P1140746からひと登りすると5箇所の修道院を一望出来る岩頭に出る。一番高い所に見えるのが14世紀に聖アトス山からやって来た修道士アタナシオス等が創建したというメタモルフォシス修道院(標高613m)、その直ぐ右手の略同じ高さの岩山の上に建つのがヴァルラーム修道院(595m)、左手ずっと下の岩峰上に小さく建つのがアギオス・ニコラオス修道院、その手前の岩山の上に建つのがルサヌウ修道院である。振り返ると逆光の中にアギア・トリアダ修道院(565m)が認められる。15~16世紀には修道院の数は24にも及び、王侯貴族の庇護を受け大いに栄えたメテオラも現在は大半が廃墟と化し、活動しているのは僅か6箇所にすぎない。厳しい修道生活を強いられる隠修士の後継者難は深刻であり、一方では俗化したメテオラを嫌い聖山アトスへ移り住む修道士が増えている。ギリシャ正教の聖地メテオラも風前の灯、全ての修道院が放棄されてしまうのも時間の問題か。入場見学の二箇所目は1517年創建のヴァルラーム修道院、メタモルフォシス修道院に次いで大きいが修道士はたったの5名しかいないとのこと。 駐車場から山門をくぐり、岩の間に付けられた150段ほどの石段を息を切らしながら登っていく。最も昔は梯子だったことを思えば大したことは無いが・・。生活物資の揚げ降ろしに使用していた巻き揚げ機(ヴリゾニ)の塔が断崖絶壁の上にせり出している。こじんまりした十字型構造の聖堂、クーポラに描かれた引き締まった表情のキリスト像、内陣と外陣を隔てるイコノタス、壁を埋めるフレスコ画など聖ステファノス修道院に良く似ている。ワイン貯蔵に用いられた木製大樽や巻き揚げ機の滑車なども見学する。最後にアギオス・ニコラオス修道院を見上げる撮影ポイントに行き写真を撮る。昼食は麓のカストラキ村のタベP1140749ルナ・ パノラマ、名前の通り奇岩の直下に位置し眺めが良い。ハーフボトルの赤ワインを飲みながら、ゲミスタ(味付けした米をピーマンやトマトに詰めオーブンで焼いたもの)とサラダと焼きリンゴを食べる。ワインを飲み過ぎて酔いが回り序に目も回る。13:10バスに乗りアテネへ向けまっしぐら、345㎞・5時間半の道程。15:25ラミアの町のドライブインで小休止、トイレチップ代りに缶ビールVERGINAを買う。17:20再びドライブインで小休止、そこでは乾しイチジクとロクムを買う。アテネ首都圏にさしかかると道路は大渋滞。パルテノン神殿のライトアップを写真に収めてから今宵の宿アテネ・インペリアルホテル(五つ星)に到着したのは20:10、部屋に入る前にレストランに直行し夕食を食べる。チーズパイ、グリークサラダ、ポーク料理が出たが五つ星ホテルにしてはいまいち。21:40ようやく412号室に入る。初めてお湯の出を心配することなくたっぷりと浴槽に湯張りしゆっくり湯に浸かる。極楽、極楽、バスローブもスリッパもCDプレーヤーも付いており、成る程今回の旅でベストのホテルかも。但し、ベッドは相変わらず狭く、カライスカキ広場に面しているので車の音がうるさい。明日のためにMWを沸かして日本茶を作りペットボトルに詰める。VERGINAを試飲してからベッドにもぐりこむ。(続く)

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デルフィ博物館(2011年1月18日)

P1140686デルフィ博物館の至宝、私のお気に入り、「2体のクーロス(青年像)」。

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世界遺産「デルフィの考古遺跡」

2011年1月18日(火) 5:30起床。お湯を沸かして日本茶を飲む。7:00朝食、桃ジュースがでらうま。 部屋のテラスから朝明けのイテア湾(コリンティアコス湾の一部)を眺める。湾を取り囲む山々の頂は雪で真っ白、下界にはオリーブ畑の柔らかな緑の絨緞が広がる。腹ごなしP1140679に30分ほどデルフィのメインストリートをぶらつく。ホテル、レストラン、土産物屋がびっしりと並ぶがオフシーズンの早朝とあって閑散としている。上下2本のメインストリートを結ぶのは急な石段道、その両側にもペンションや喫茶店が並ぶ。今日も天気が良さそう、山の端から朝陽が昇る。この町には猫(野良?)が多くこれまたのんびり、人に慣れており逃げる気配は全くない。8:50デルフィ遺跡観光に出発、先ず遺跡入口に建つデルフィ 博物館を見学する。 全11室の展示室は、青銅器時代からローマ時代まで時代順にデルフィ遺跡の出土品を並べている。青銅製の人物像、動物像、器物、装飾品、アルカイックスマイルを湛えるスフィンクス像(前6世紀)と女人像、神殿の梁の上部を飾っていたメトーブ(浮彫り板)やフリーズ(帯状装飾)、黄金製副葬品、純銀製牡牛像、2体のクーロス(青年像)、アポロン神殿前の柱の柱頭を飾っていた三人の踊り子像、竪琴を弾くアポロンを描P1140690いた盃(前5世紀)、世界最古の楽譜が刻まれた壁石、「大地のへそ」と呼ばれる大理石、青銅の御者の像(前478)など見ごたえある文化財が次々に現れる。中でも「大地のへそ(オンファロス)」は、古代ギリシャでデルフィが全世界の中心と考えられていた事を象徴する品であり、アポロン神殿の地下聖堂に安置されていたという代物、縄目紋様が付いた帽子のような形をしており、世界の中心を表すと云うほどの重々しさは感じられないが、へそと言うなら出臍の様である。また、「青銅の御者の像」は紀元前474年にシチリア島の僭主ポリュザロスが奉納したものと伝わり、ギリシャ彫刻の最高傑作のひとつである。美男像、イケメン像である点でもナンバーワンであろう。さすがはギリシャの考古学博物館、展示品は質量ともに充実している。1時間ほどで博物館の見学を終えいよいよ遺跡見学へ。デルフィの最盛期は紀元前8~6世紀頃、予言の神アポロンの神託を受けるためにギリシャ全土は無論、エジプトや小アジアからも、上はアレキサンドロス大王から下は一般市民に至るまで、多くの巡礼者が訪れたという。又、4年ごとにオリンピック同様の競技大会ピューティア祭(デルフィ祭)が行われ、全ギリシャから若者達が集まり速さと力を競っている。アポロンによる神託は、381年ビザンティン帝国のテオドシウス帝によりデルフィが閉鎖されるまで続けられた。 チケット売り場から石畳の聖道を登っていく。パルナッソス山から派生する峨々たP1140702る岩山を背負い、遺跡は崖のような急傾斜地に作られている。やはり苦労して辿り着くような場所でないと神秘性や有難味は感じられなかったのかも。聖道の両側には、都市国家が献上した宝庫跡が数多く並ぶ。シュキオン市の宝庫、シフノス市の宝庫、△△の宝庫など、いずれも礎石だけで石がごろごろ、ここでもまた想像力が試される。但し、アテネ人の宝庫のみフランス考古学会により復元されているので往時の様子を僅かに偲ぶことができる。各宝庫は意外に小さい。アテネ人の宝庫の傍らにシンプルな臍の石が置いてある。これも奉納物であろうか。陽射しが出てきてぽかぽかと暖かくなり青空が眩しい。厚手のコートが邪魔になる。間もなくアポロン神殿(前P1140705650年建立、現在残るものは前330年再建)の前に出る。今はドリア式柱が6本と土台しか残っていないが、38本の列柱に囲まれ中央の神室に黄金のアポロン像を安置した往時の神殿(長さ60m・幅23m)は、さぞかし巡礼者の目に神々しく映ったことであろう。空地にはキク科の黄色い小花が咲き乱れ遺跡を彩る。他に観光客の姿はなく日本人の2グループのみ(他は名古屋発のクラツー21名)、貸しきり 状態である。アポロン神殿の右側を抜けもう一段高いテラスに上ると古代劇場(前4世紀)がある。5000人の観客を収容し演劇祭が行われた所である。下界の眺めが広がり、国道下の平地に分布するアテナの聖域やその下方に続く谷を見渡すことができる。更に道なりに登りつめると最上部にピュティア競技場がある。トラックは長さ178m、幅26m、現代の競技場より大分細長い。帰りは、アーモンドの花の匂い(石鹸臭?、余り良い香りとはいえない)を嗅いだり、糸杉のざらざらする幹に触ったり、花の写真を撮ったりしてのんびり下る。昼食はデルフィの町中に戻り三ツ星ホテル INIOHOSのレストランで、地元アラホバ名物の焼きチーズ、ホウレンソウのパイ、鰯料理を食べる。デザートのゴマケーキがなかなか旨い。そこでも生ビール(ALFA)の小を飲む。レストラン向側のスーパーマーケットで缶ビールを2本買うと各€1.2。13:30バスに戻りカランバカへ向けて出発。峠を幾つか越えてギリシャ中部のP1140716内陸へ入り込む。沿道の景色はオリーブ園、オリーブ園、オリーブ園、糸杉、糸杉、糸杉。峠道は皆大曲で勾配も緩くゆったりしている。15:00ドライブインで小休止。ギリシャの人口は1100万人(日本の10分の1)、国土面積は13万平方キロメートル(日本の3分の1)、 しかも人口の3分の1はアテネ首都圏に集中しているので地方は人口密度がよほど希薄、 町中でも人の姿が少ない。テッサリア平原にさしかかると広々と穀倉地帯が広がる。小麦、ヒマワリ、綿花の栽培が盛んなところであるが、今は一面枯れ野が覆う。17:00頃日没、ピンドス山脈の東麓に近づくと、西上州の立岩を連ねた様なメテオラの奇岩群が現れる。17:25メテオラホテル着、303号室に入る。山の斜面を利用した4階建てホテルで全室山側、奇岩群が間近に眺められる。次第に暮れなずみ奇岩群は闇に溶け込む。満月が昇ると奇岩群が再び顕わになる。なんたる幻想的な景色であることか。部屋は非常に清潔で今までで一番ゆったりしている。ベッドはシングル2台で相変わらず狭いが、広い浴槽がある。19:00から夕食、トマトスープにグリークサラダ、牛肉の煮込みを食べ、ビール(MYTHOS)を飲む。部屋に戻り風呂の湯が熱くなるまでの時間調整に、先ほどドライブインで購入した缶ビールFIX HELLASを試飲、妻は風邪気味でプレコールを飲む。(続く)

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ギリシャのトイレ事情

P1140673ホテルは勿論のこと、空港、博物館、レストラン、ドライブインなどにあるギリシャのトイレはどこも清潔。但し、ホテルを除けば水洗トイレであってもトイレットペーパーを便器に流せないところが殆ど、使用済みのペーパーは備え付けの籠か箱の中に入れるようになっている。紙質が厚く溶けにくいので、排水管が目詰まりしやすいのと、排水処理場の負荷軽減のためであるらしい。なるほどペーパーを水に流さずに、前段で回収し、まとめて焼却する方が環境には優しそう、一般家庭でも同じ方式なのであろうか?。 (写真:アテネからデルフィへ向かう途中のドライブインのお手洗い)

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アテネ市内観光

2011年1月17日(月) 6:20起床、外は真っ暗で風が強い。7:00朝食に降りる頃やっと薄明るくなる。コンチネンタルブレクファストは簡素、生野菜がない。ヨーグルトとパンとハム・ベーコンを食べジュースを飲む。コーヒーは不味。 食後ホテルの周囲を20分ほど散策する。オスカーホテルはラリッサ駅の近くP1140648であるが、各建物の壁に落書が目立ち道路にはゴミが散乱する。街に活気が感じられないのは、観光のオフシーズンに加えて経済危機のせいであろう。8:30バスに乗りアテネ市内観光に出発、現地ガイドはギリシャに40年以上住んでいるという日本人女性のノリコさん、非常に歯切れが良く、簡潔明瞭な説明が有り難い。一箇所目は古代アゴラ、市内ではアクロポリスと並ぶ重要な遺跡であり、当時の政治・宗教・文化施設が集中していた場所である。哲学者ソクラテス(前470頃~前399)やプラトン(前427~前347)、歴史家のヘロドトス(前485?~前425?)が活躍していた場所に居るかと思うと感慨もひとしお。丘の上にヘファイトス(又はテセウス)神殿が建つ。 P1140649柱だけでなく屋根も破風も残っており、建設当時の原型を最も良く留めている神殿である。但し修復工事中の今は、内部に立ち入ることは勿論傍にも近づけない。他にアグリッパの音楽堂、円形の建物跡であるトロス、公文書館のメトロン等を案内してもらったが、全て礎石が残るだけで、傍らに崩れた石材がゴロゴロ横たわる。かなりの想像力がないと遺跡見学は楽しめない。せめて復元想像図でも各建物跡に掲示してくれるとよいのだが・・・。遺跡内にはオリーブやドングリの木が沢山あり、実が辺り一面に落ちている。チケット売り場附近にはおっとりした性格の大型犬がたむろしており、誰にでも尻尾を振りながら近づいてくる。飼い主のない野良犬であるが、市当局が予防注射を打つなどきちんと管理しており、狂犬病の危険はないらしい。観光客から餌をもらっているのか実に人懐っこく、ギリシャは野良犬天国の様である。二箇所目はアクロポリス、ギリシャ古代遺跡のハイライトである。チケット売り場からアクロポリスの丘へ登っていくと、右下にオディオン(ヘロデス・アッティコス音楽堂)が見えてくる。アッティカの大富豪にして政治家のヘロデス・アッティコスが161年に建築しアテネ市民に寄贈したもの、今でも夏になると演劇やコンサートが上演され6,000ほどある階段席が観客で埋まる。音響効果はP1140661抜群らしい。プロピレア(前門)にさしかかると、左にアグリッパの台座があり、 右上に小さなアテナ・ニケ神殿(前424完成)が建つ。プロピレアの北翼はピナコテク(絵画館)と呼ばれ、奉納品や絵画などが納められていた部屋である。プロピレアをくぐるといよいよパルテノン神殿(前432完成)にご対面、46本のドリア式石柱に支えられた巨大神殿(31mx70m)は神殿建築の最高傑作と謳われる。現在は柱と梁、破風の一部しか見ることができないが、高さ12mのアテナ女神像が神室に安置され、全体が彫刻や浮彫りで荘厳された完成当時の姿はさぞかし神々しく美しいものであったろう。ノリコさんが薦める対角線から神殿を眺める位置で記念P1140657写真を撮り、 東端のギリシャ国旗が翻る展望台からリカヴィトスの丘と市街地を一望する。そこから引き返し、6体の少女像の柱廊を持つ繊細優美なエレクティオン神殿(前408完成)を見学、再びプロピレアをくぐって古代アゴラを眼下に眺めながら出口に戻る。ギリシャ政府は2009年6月、丘の麓に新アクロポリス博物館を完成させ、国外に持ち去られた神殿装飾品(例えば大英博物館所蔵のエルギン・マーブル)の返還交渉を始めているとのこと、近い将来オリジナル品がギリシャ国内に戻る日が果たしてくるかどうか。三箇所目はパナティナイコ・スタジアム、1896年、この競技場で第一回近代オリンピックが開催されている。2004年アテネオリンピックの女子マラソンで、野口みずき選手が優勝のゴールテープを切った瞬間は未だ記憶に新しいが、 競技場に続く道路にはマラソンコースを示す青いラインが未だに残っている。スタジアム前の広場から望むアクロポリスの丘とパルテノン神殿の景色は絵になる。四箇所目はゼウス神殿(2世紀)、コリント式の柱が15本残っている。元は104本の柱があったとのこと、柱と柱の間にアクロポリスの丘とパルテノン神殿が納まる角度があり、これまた絵になる景色。又、境内にはコリント式柱の柱頭飾りのモチーフとなったアカンサス(ハアザミ)が植えられている。観光を終えバスに乗って昼食へ。日本から移植したという桑の木の街路樹は独特の景観、オレンジの並木もあり実はとり放題と羨ましい。ギリシャの平均所得は日本の3分の1位、それでもたいていの家がヨットやセカンドハウスを持ち人生を目一杯楽しんでいるらしい。全てにのんびりした気質なのでいらいらしないことがギリシャ観光のコツとのこと、ノリコさんのギリシャ生活40年の記録「おにぎり オリーブ 赤いバラ」(幻冬舎ルネッサンス)の紹介があり、著者サイン入りなので早速1冊注文する。 途中、土産物屋に寄り、粕取り焼酎のウゾ(トルコのラクと同じもの)を試飲したり、P1140671石彫りのカメオを品定めしたりする。昼食会場はプラカ地区の旧市街にあるタベルナ、名物料理のムサカを食べる。サラダとプリン付き、生ビール(ALFA)を飲む。食後、バスが待つ地点へ歩く途中で、アドリアヌス門(ローマ時代の2世紀)とメルナ・メルクーリ像を見る。彼女がカンヌ映画祭主演女優賞を受賞した映画「日曜はダメよ」を帰国したらチェックしてみよう。14:00バスに戻りデルフィへ向かう。今回のツアーメンバーは36名、大型バスでもやや窮屈。添乗員はU嬢、スリムだが元気溌剌、博識で頭の回転が速く、綾小路きみまろのような話術が楽しい。始めは高速を走り、途中から一般国道に下りる。道路は快適、舗装状態が良く信号は殆どない。沿道には緑野(小麦畑?)が広がりオリーブ畑が広がる。山は石灰岩が露出し雪を被ったように白い。15:55ドライブインで小休止、ギリシャのトイレはどこも清潔なのが嬉しい。トイレチップ代りに缶ビール2本とロクムなどのお菓子を買う。パルナッソス山(標高2457m)の中腹にあるスキーリゾート地、アラホバの町の全景が見渡せる場所で写真タイム、 今年は雪が少なく開店休業状態らしい。それが証拠に早くも咲いているアーモンドの花を所々で見かける。17:10デルフィ・パレスホテル着、47号室に入る。山小屋風で床は板張り、SCの置き場にも困るほどの狭い部屋。それでもテラスからイテア湾とイテアの町が見え眺望は良い。夕陽が沈み湾沿いの町に灯りが点り始める。夕食前に先ほどドライブインで購入した缶ビールのミソス(MYTHOS)を試飲、ギリシャを代表するビールだけに味が良い。19:15から夕食、サラダとズッキーニの煮物とポークの煮込みが出る。味付けはいまいち。それでもピアノの生演奏付きなので贅沢はいえぬ。映画「その男ゾルバ」の曲が演奏されるとU嬢はダンサーに早変わり、いやはや達者なものである。部屋に戻り風呂に入ろうとしたが湯が出ない。皆が一斉に風呂を使い出した為らしくやっと出たのが1時間後、これもギリシャである。22:00過ぎ漸く布団に入る。(続く)

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煌きのギリシャ・ハイライト周遊7日間の旅

2011年1月16日(日) 5:15起床、コーヒーを飲み戸締りをして6:20車で出発。朝、新聞を取った時は気付かなかったが出発時は激しい雪降り、早くも屋根や道路に積もり始める。成田へ向かう途中の坂や橋上はつるつる、登れなくなって後から押したり、横を向いたりしている車がある。 常時30㎞/H以下ののろのろ運転、P1140644ここで事故でも起せば今回もギリシャに行けなくなる(昨年3月にもギリシャ旅行を計画したが、同地で大規模公務員ストが発生したために成田空港まで行きながら催行中止、ドタキャンの憂き目に遭う)。急ハンドル、急ブレーキを避け慎重に慎重に運転、昔、仙台で習得した雪道運転術で何とか切り抜ける。8:15辛うじて件のパーキングに辿り着き、車を預けて空港第一ターミナルビルへ送ってもらう。8:40の集合時間にぎりぎりセーフ、クラブツーリズムのカウンターで受付を済ませ、スイスインターナショナルエアラインズ(LX)のカウンターでスーツケース(SC)を預ける。LXはスターアライアンスグループなのでANAマイレージカードに加算してもらう。椅子に坐りやっと一息、P1140645朝食のパンをかじる。LX161便(NH6751便)は略満席の盛況、11:25離陸、乗り継ぎ地のチューリヒまで9,605㎞、11時間40分の空の旅が始まる。機種はエアバス A340型、機体は新しく個人端末も付いている。ハイネケンを飲みながら河口慧海著「チベット旅行記」を読む。 それに飽きると、個人端末でドキュメントの「スイス鉄道の旅」や日本映画「悪人」(妻夫木聡、深津絵里主演)を観る。再び、「チベット旅行記」を読む。LXのサービスはなかなか良く、二回の食事の他に飲み物サービスは勿論、アイスクリーム やお握りサービスまである。 23:30(現地15:30)チューリヒ国際空港に着陸、ここに降り立つのは1987年7月の出張仕事以来二度目、P114064724年も経ち空港はすっかり新しくなっている。時計の針を8時間遅らせる。免税店の並ぶトランスファーロビーでアテネ行きの出発まで5時間待ち、これが長い。ローシーズンゆえにシャッターを下ろしている店が多くウィンドゥショッピングもままならず。19:15の再集合まで中二階の長椅子に横になったり、読書したりして過ごす。20:20(日本時間1月17日4:20)ようやくLX1842便に搭乗、エアバスA320型はこれまた満席、21:00離陸、眠い。時計の針を1時間進める。日付が変わった0:10(日本時間7:10)、ようやくアテネ国際空港に到着、自宅を出発してから25時間、ギリシャは遠い。迎えのバスに乗り市中にあるオスカーホテルの112号室に入ったのは1:30、ビジネスホテルのようで狭いし薄汚れている。数時間滞在するだけの寝るだけホテルなので止むを得ない。風呂から上ると3:00、早く寝なければ・・。(続く)

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花貫渓谷(茨城県高萩市)

Dsc07453 2011年1月9日(日) ひたちなか市に切り干し芋を買いに行った序に、多賀山地の土岳山(つちだけやま)に登り、その又序に、花貫渓谷(はなぬきけいこく)を歩いてきました。写真は渓谷の名所のひとつ、名馬里ヶ淵(なめりがふち)、大蛇伝説を秘めた滝壷は静かに淀み水色はコバルトブルー、十分に神秘的なものでした。(詳しくは、自惚山人ノオト「464.土岳山と花貫渓谷」をご覧ください)

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市川市東山魁夷記念館

Dsc07407 2011年1月5日(水) 中山法華経寺から歩いて5分の木下街道沿いに2005年11月に開館した比較的新しい設備。一階に上野精養軒直営のカフェレストラン白馬亭があったので、名物のハヤシライスを食べる。展示室一階には経歴パネルや資料が並べられており、二階には作品が展示されている。但し、原画は「夏に入る」の一作のみで、残りの27点は木版画、リトグラフ、シルクスクリーンの印刷画である。これでは図録や画集を観るのと変わらない。まあ、入館料が500円ではこの程度かも。東山魁夷は1999年に亡くなるまでの50年間、この記念館近くの自宅に住み、常々「私の戦後の代表作は、すべて市川の水で描かれています」と語っていたと云う。そうであれば、市川市は画業の原点の地であり一丁目一番地、長野県に寄贈された多数の作品群(現在、長野市の信濃美術館・東山魁夷館所蔵)の半分くらいはこの記念館に並んでいても何の不思議も無いのだが・・・、惜しい、全く惜しい。

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正中山法華経寺

Dsc073962011年1月5日(水) 初詣は元日に近所の富士浅間神社で済ませたので、今日は初詣という訳ではないが、市川市にある日蓮宗大本山の正中山(しょうちゅうざん)法華経寺にお参りに行く。去年の初詣に行った柴又帝釈天が、法華経寺第十九世禅那院日忠の開山と知ったときから一度訪ねてみたいと思っていたお寺、一年がかりで漸く実現する。新松戸、西船橋で乗り換えてJR下総中山駅下車、駅前から北へ真っ直ぐ表参道が延びる。少し行くと、市川市指定有形文化財の黒門(江戸時代初期)があり、 扁額には掛川城主太田資順の筆で「如来滅後  閻浮堤内 本化菩薩 初転法Dsc07398輪 法華道場」とある。黒門をくぐり、その先で「正中山」の扁額が懸かる広壮な仁王門をくぐって境内に入る。先ずもって祖師堂(国指定重要文化財)にお参りする。元禄十五(1702)年創建の比翼入母屋形式、杮(こけら)葺きの堂々たる大堂である。日蓮聖人像は残念ながら拝めない。その後は、元和八(1622)年建立の五重塔(重文)、中山大仏、初代貫主の日常聖人像、本院・大客殿、鬼子母神堂などを見学する。更に飛び地の若宮にある奥之院へも足を延ばす。現在、奥之院が建つ地は、下総国の守護千葉氏の被官である富木常忍(ときじょうにん)の若宮館跡であり、度重なる迫害を受けた日蓮が難を逃るべく常忍を頼って身を寄せた場所である。常忍により若宮館内に建てられた法華堂で開かれた日蓮の説法は、実に百回に及んだといわれ、その故事からこの地は日蓮の「初転法輪の旧蹟」として尊ばれている。弘安五(1282)年の日蓮入滅後、常忍は出家して日常と号し、法華堂を改めて法華寺と称する。この法華寺が後に中山の本妙寺と合体して法華経寺となり、日Dsc07397常を第一世とし、 法華寺は奥之院と称されるようになったと云う・・、成る程。奥之院傍らの墓地にある日常聖人の霊廟を見学してから引き返し、再び法華経寺の境内で、日蓮聖人の百日百座説法の霊蹟とされる重文の法華堂(文応元(1260)年創建、若宮館から移設したものか?)、その正門であり鎌倉愛染堂から約七百年前に移築したという四足門(重文)、刹堂、八大龍王社、龍王池などを拝観。日蓮聖人自筆の「立正安国論」と「観心本尊抄」(いずれも国宝)が保管されている境内最奥の聖教殿はパス、近くにある市川市東山魁夷記念館へ向かう。

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