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正中山法華経寺

Dsc073962011年1月5日(水) 初詣は元日に近所の富士浅間神社で済ませたので、今日は初詣という訳ではないが、市川市にある日蓮宗大本山の正中山(しょうちゅうざん)法華経寺にお参りに行く。去年の初詣に行った柴又帝釈天が、法華経寺第十九世禅那院日忠の開山と知ったときから一度訪ねてみたいと思っていたお寺、一年がかりで漸く実現する。新松戸、西船橋で乗り換えてJR下総中山駅下車、駅前から北へ真っ直ぐ表参道が延びる。少し行くと、市川市指定有形文化財の黒門(江戸時代初期)があり、 扁額には掛川城主太田資順の筆で「如来滅後  閻浮堤内 本化菩薩 初転法Dsc07398輪 法華道場」とある。黒門をくぐり、その先で「正中山」の扁額が懸かる広壮な仁王門をくぐって境内に入る。先ずもって祖師堂(国指定重要文化財)にお参りする。元禄十五(1702)年創建の比翼入母屋形式、杮(こけら)葺きの堂々たる大堂である。日蓮聖人像は残念ながら拝めない。その後は、元和八(1622)年建立の五重塔(重文)、中山大仏、初代貫主の日常聖人像、本院・大客殿、鬼子母神堂などを見学する。更に飛び地の若宮にある奥之院へも足を延ばす。現在、奥之院が建つ地は、下総国の守護千葉氏の被官である富木常忍(ときじょうにん)の若宮館跡であり、度重なる迫害を受けた日蓮が難を逃るべく常忍を頼って身を寄せた場所である。常忍により若宮館内に建てられた法華堂で開かれた日蓮の説法は、実に百回に及んだといわれ、その故事からこの地は日蓮の「初転法輪の旧蹟」として尊ばれている。弘安五(1282)年の日蓮入滅後、常忍は出家して日常と号し、法華堂を改めて法華寺と称する。この法華寺が後に中山の本妙寺と合体して法華経寺となり、日Dsc07397常を第一世とし、 法華寺は奥之院と称されるようになったと云う・・、成る程。奥之院傍らの墓地にある日常聖人の霊廟を見学してから引き返し、再び法華経寺の境内で、日蓮聖人の百日百座説法の霊蹟とされる重文の法華堂(文応元(1260)年創建、若宮館から移設したものか?)、その正門であり鎌倉愛染堂から約七百年前に移築したという四足門(重文)、刹堂、八大龍王社、龍王池などを拝観。日蓮聖人自筆の「立正安国論」と「観心本尊抄」(いずれも国宝)が保管されている境内最奥の聖教殿はパス、近くにある市川市東山魁夷記念館へ向かう。

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