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春光山円覚寺(西津軽郡深浦町)

2011年11月5日(土) 深浦町の民宿汐ヶ島を出発し竜飛埼へ向かう途中で参詣。案内板の「澗口観音Dsc02169(まぐちかんのん)円覚寺略記」には、「津軽一統志に、次のように書かれています。大同二年(807)、征夷大将軍・坂上田村麿、観音堂をこの地に建立し、厩戸皇子の妙巧なる十一面観音像を安置す。今の本尊これなり、と。その後貞観十年(868)、泰澄大徳の弟子・浄定行者の末弟の円覚法印が、修験道(山伏)を奉じ、諸国の霊山を遍歴して、この地に来て観音堂を再興しました。円覚法印は、大和国(奈良県)の人で、寺号の円覚寺は開山の円覚法印の名前から付けられたのです。当寺は、当山派修験(真言系の山伏)の寺院で、お葬式をする寺ではありませんでしたので、江戸時代、幕府の檀家制Dsc02181度の発布後も、 檀家はありませんでした。それで、江戸時代以前は、各時代時代の豪族の帰依をうけ、江戸時代には、津軽藩主の庇護によって続いていたのです。深浦は、上方(京大阪)と蝦夷地(北海道)を結ぶ経済文化の大動脈北前航路の蝦夷地へ渡る最重要港でした。そのため、ここの観音様は澗口観音と称されて信仰されました。澗口観音と云うのは、澗(港)の入口にあって、海上安全・商売繁盛のご利益のある観音様と云うことです。事実、数々の船絵馬・髷額(国重要有形民族文化財)や奉納品がその事柄を物語っ ています。明治五年(1872)新Dsc02193政府による修験道禁止令の法難によって全国の多くの修験寺院は消えて行きましたが、当寺は生き残り、真言宗醍醐派末寺の祈祷寺として現在に至って居ります。本堂の後ろに寺宝館(篤学館)があります。国指定の文化財『船絵馬』、『髷額』(106点)や県指定の文化財、また当寺二十六世・義観僧正の仏道修業の遺品の数々が展示されて居ります。中でも圧巻は、僧正が日露戦没の両国殉難者供養のために、五ヵ年を費やして、全国有心男女八万四千人の毛髪を以て刺繍した『八相釈尊涅槃図』でしょう。」と記されている。早速本堂にお参りする。ご本尊の御真言「おんろけいじんばらきりく」を三度唱える。より丁寧には七度唱えると良いそうである。御詠歌は、「ただ頼めほとけの恵み深浦の心(うら)安かれとこの世後の世」と「ただ頼め行く末祈る深浦の明日の命のほどは白浪」の2首。その後境内を一回り、県重宝の宝篋印塔(江戸時代初期)、町の巨樹・古木に指定されている“円覚寺のイチョウ”、国指定重要文化財の厨子(室町時代初期、青森県内最古の建造物)を納める薬師堂を見学する。最後に、町指定天然記念物の“円覚寺の竜灯杉”の樹幹に結ばれた竜灯光明九字の綱を額に押し当て、家内安全を祈ってから退出する。

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