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伊那下神社(松崎町)

2011年11月20日(日) 伊豆の長八美術館駐車場に車を置いてなまこ壁通りへ歩いて行く途中でお参りする。Dsc02579 祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と住吉三柱大神(すみよしみはしらのおおかみ)、それぞれ産業守護と航海守護の神様である。同神社公式ホームページによると創建と由緒は、「神やどる山、牛原山の麓には人の生活に欠くことのできない神水が湧き出しています。ここは石火郷(いしびごう)と那賀郷(なかごう)との境界であり、二つの郷に出入りする関門であったため、西伊豆の要地として栄えました。かつては大山祇神(おおやまずみかみ)の系統である石火族が住んでいました。昔は山そのものを神をまつる場としたため社殿なく、牛原山の嶺三本松と呼ばれるところが、祭をする自然の祭場でした。年が移り土地の発展にともない此処に神社がもうけられ、産業の守護神でもある彦火火出見尊を石火宮と称えて尊崇してきました。Dsc02577またこの神社を俗に唐大明神(からだいみょうじん)と称する起源は、四世紀に新羅征討の時、この国の人が皇后の御船を守り、長門の豊浦に留まり後にこの松崎に来て、ここに唐(新羅)征討の神功皇后ゆかりの住吉三神を鎮座したためであるといわれています。原始の頃より、山の中の祭からはじまっているので鎮座の年代は不詳です。平安期の延喜式という朝廷の神社名簿に「いなしりの明神」とあり、この延喜の制度に基づいて、祈年祭には国からのお供物があり、以後何度か位があがり 、神階四位上といわれていました。また正月、五月、九月二十日祭は朝廷の神道祭祀の卜部家(うらべけ)より、累代のこの神社の森氏に本官の服装(有紋黒袍)を着用し祭祀を司ることを許されました。明治六年九月村社(むらこそ)に列し、Dsc02578昭和五年八月郷社となり、同年には公から例祭にお供えの出る神饌幣帛料(しんせんへいはくりょう)供進社に指定されました。また、この神社は古くから航海安全の目標とされ、漁業に携わる人は海の幸を願い、地元のみならず駿河路を行き来する旅人の信仰を集め、源頼朝を始め武家の崇敬も篤く、多くの寄進もありました。」と記述されている。源頼朝寄進と伝わる国宝の松藤双鶴鏡(まつふじそうかくきょう)や、金山奉行大久保石見守寄進の青銅金渡金製釣灯籠など貴重な社宝を蔵する由緒正しい神社である。拝殿にお参りし、御神木である県指定天然記念物の大いちょうを見物する。目通り8m・枝張り25m・樹高22mの堂々たる巨樹は樹齢約1000年と伝えられる。境内の他の2本と合せ古来親子いちょうと称せられ、秋の黄葉の季節には沖行く船が目標にしたと云われる。記念に千年公孫樹の銀杏の実を10個ばかり拾ってから引き揚げる。(因みに、伊那上神社も500mほど北東に鎮座している)

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