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高宕観音(高宕山萬福寺)

2012年1月30日(月) 房総半島の中央部、富津市と君津市の境にある高宕山に登り(詳しくは姉妹編ブログDsc04202 の「自惚山人ノオト」の「487.石射太郎山・高宕山」を御覧ください)、中腹(といっても山頂近く)に建つ高宕観音にお参りする。岩窟に掛け作りされた観音堂の中にご本尊の十一面観音菩薩像が安置されている。存外小さい、金箔が施された7寸(21㎝)ほどの小像である。傍らに立つ環境庁・千葉県作成の高宕観音の由来なる説明板を読むと、「伝説によれば、奈良時代に行基菩薩が当山を訪れた際、多くの人々にご利益を施そうとし て彫刻した霊像といわれている。この観音像の利益を受けた者は数限りないが、源頼朝が石橋山の合戦に破れ安房の国にわたったとき、源家再興を懇祈し、黄金で一寸八分の尊像を写し刻んだ。そして常に肌身はなさず持ち、ついに鎌倉幕府を開くに至った。また、五穀豊穣、子育てや厄除など観音様の霊感のおかげであるといわれ、近郷あるいは遠方から参詣に訪れる人が絶えなかった。(高宕山縁起より)」とある。狛犬の台座の銘は元治元年甲子(1864)、三重石塔の銘は宝暦八年戊寅(1758)、堂前の地蔵菩薩像の銘は寛永四年(1627)、同じく石碑は明治十四年(1881)、これら石造物から確かに江戸時代から明治にかけて(恐らく昭和の前期まで)、人々から篤く信仰された観音様だったようである。堂内の賛額を見ると、峯上二十七番と小糸三十二番の御詠歌も記されており、今は廃れたのであろうがかつては地域の三十三所観音霊場の札所だったことが分る。

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定点観察・増尾城址公園(柏市)

Dsc041752012年1月27日(金) 今冬一番の寒気日本列島に居座る。柏も寒い。こんな日は炬燵にもぐりこんで乾し芋を齧りながら読書するのが一番だが・・、毎日それでは次第に女房の機嫌が悪くなる。という訳で午前中、増尾城址公園に出かけてきのこ観察。当然ながら園内に散策子等の人気はない。地上生のきのこは全くなし。何箇所かの切株でカチカチに凍ったエノキタケを見つけ、他にはカワラタケ、スエヒロタケ、ハチノスタケ、ヒメモグサタケ、ミイロアミタケ、ヤケイロタケなどの材上生硬質菌を認めて引き揚げる。(写真はミイロアミタケ)

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平成二十四年お年玉年賀切手

Dsc060672012年1月24日(火) 仙台の出張から帰柏し、お年玉付き年賀はがきの当選番号に照らして250枚ほどいただいた賀状をチェックする。その結果4等に9枚が当選している。確率から言えば5枚が相当であるが9枚とは・・、こいつぁ春から縁起が良い。早速郵便局でお年玉切手と交換し、うち5枚をお宝としてストックブックに納める。残る4枚はバラして手紙や葉書に使うつもり、当選はがきを送って下さった皆様ありがとうございました。

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定点観察・榴ヶ岡公園(仙台市)

Dsc041532012年1月22日(日) 仙台の居宅にしているマンションの臨時総会に出席するため今年一回目の帰仙。昨日無事終了し、築12年目の大規模修繕工事と震災破損箇所の修復工事を一括実施することと、依頼する建築業者とが決まりほっとする。今朝起きると辺り一面銀世界、夜のうちに10㎝ほど雪が積もったようである。登山靴を履き、目の前の公園できのこ観察をする。見つかったのは件の切株のエノキタケのみ、寒さが一入身に沁みる。

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ポルトガルのビール

Dsc04051今回のポルトガル旅行中に飲んだビールは僅かに2種類、ピルスナータイプのサグレス(SAGRES)とスーパーボック(SUPER BOCK)である。昼食と夕食時にほぼ毎回ビールを頼んだが、どのレストランでも置いてあるのはこの2種類の小瓶か生、他にあるのはハイネケンの小瓶ぐらい。価格は1.5~4ユーロ(1.5、2.0、2.2、2.4、3.0、4.0)であり、ワインやフレッシュジュースよりは安くミネラルウォーターと同程度。アルコール分は5%で風味はしっかり、真っ当なビールである。サグレスは首都リスボン近郊のVialongaに本社があるSCC(Sociedade Central de Cervejas)社(1934年設立)が製造するブランドで国内Dsc03408シェアは60%、2008年4月からハイネケンの子会社に組み込まれたようである。一方、スーパーボックは第二の都市ポルト市近郊のLecado Balioに本社があるUnicer Brewery(1927年創業)が製造するブランド、国内シェアは40%であり、両社で市場を二分している。ポルトガルといえばワイン王国であり、その生産量は75万キロリットルに達し世界第9位 (一人当たり消費量は48リットルで世界4位、日本の約20倍)を誇るが、意外やビールも結構飲まれており、2010年統計で一人当たり消費量は55リットル(世界第32位)と日本の45リットル(同38位)を上回る。ポルトガル料理はとにかく塩辛いので、お酒はワインよりもビールの方が断然合うと思う。

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帰国(リスボン→柏市)

2012年1月18日(水) 3:25起床、さあ日本へ帰ろう。先ず髭を剃る。4:20 SCを部屋の外へ出す。ロビーに降りてカードキーをレセプションに返却し、朝食の入った紙袋を受け取る。中味はサンドイッチの類が3個、リンゴ1個、COMPALのオレンジジュースとDANONEの飲むヨーグルトが各1本、それとチョコレートヌガーが1個、朝からこんなに食べるかよ。それに食べる場所も時間もない。 5:10マリオットホテルを出発、リスボン空港へ。5:20空港着。各自自動チェックイン機に並ばされる。言語選択に日本語もあるがなかなか言う事を聞かずやっかい。次にチェックインカウンターへ進みSCをDsc04144預けるが座席の選択権(通路側か窓側か)は無し。手荷物検査は厳しくベルトや時計まで外させられる。時間がなく免税店でポルトガル産チョコレートを3箱購入するのがやっとこ。15番ゲートに進みKL1692便アムステルダム行きに搭乗する。吾が33D席は通路側の最後尾でトイレの前。まだ外は真っ暗である。略満席、どういう訳か幼児を連れた中国人家族が多い。子供の泣き声が機内に満つる。7:23離陸、夜が明け日が昇る。7:50朝食、クロワッサンとコーヒーが出る。「日本沈没(下)」を読む。それにしても180人乗りの飛行機にトイレが2室しかないとは少な過ぎ。皆、食後次々にやって来るので実に落ち着かない。10:04アムステルダム空港に着陸、腕時計を1時間進める(→11:05)。14:30 KL861便東京行きに搭乗、42H席は通路側だが右隣のJ、Kの2席とも空いている。真に幸運!、3席占拠。朝日新聞1月18日版を読みながらハイネケンを飲む。250ミリリットルの容量がちょうど良い。16:00ストックホルム上空で一回目の食事、東京まで8,600㎞、あと9時間弱。三席を利して横になったりするも肘掛が完全に上りきらず思ったほど楽はできない。20:25アイスクリームのサービス、東京まで4,700㎞、あと5時間20分。24:10二回目の食事、腕時計を日本時間に合わせる(→1月19日8:10)。もうちょい。9:42成田空港に安着。12:30成田線経由で南柏駅に着き、妻に電話して迎えを頼む。(完)

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グルベンキアン美術館

昼食会場はロシオ広場の北の方にあるレストランCISTERNA。12:50~14:00の間昼食。魚のスープに続き、魚 介のカタプラーナ(蒸し煮料理)を食べる。どちらも同じような味である。最初のDsc04058皿はアラで取ったスープ若しくは後者カタプラーナの上澄では?、二番目の皿はその鍋底をさらったものか。店主に確かめたら全く別鍋で調理したものだと胸を張る。魚の種類を尋ねるとSea Bream(タイの一種)とのこと、輸入冷凍魚を使っているのかも。いずれにしろ同じ魚の料理を二皿続けるとは理解に苦しむ。口直しにサグレスの瓶ビールを飲む。再びバスでロシオ広場に移動し、そこでトラム乗車体験に行く皆と別れる。柏市在住のKさんも自由行動を選びデパートで土産物を探すとか、リスボンはヨーロッパの都市の中では治安が良い方なので大丈夫であろう。手始めにバイシャ地区のランドマーク、サンタ・ジュスタのエレベーターへ乗りに行く。外は気温が16℃もありポカポカ陽気、絶好の散策日和で心が浮き立つ。サンタ・ジュスタのエレベーターはロシオ広場の直ぐ近く、20世紀初頭にエッフェルの弟子のフランス人建築家によって造られたものである。高さは45m、上の展望台に上ってリスボンの街並を一望したかったがなかなか駕籠が降りて来ない。扉口で待つこと10分、自分の後にも数人並んだがとうとう待ちきれず、乗るのを諦めてグルベンキアン美術館へ向かう。最寄のバイシャ・シアード駅まで歩き地下鉄の切符を購入する。自販機もあったが小銭もないし、 ややこしそうなので窓口で購入する。 すると1.05ユーロの筈の1ゾーン切符が1.55ユーロ、発券手数料をしっかり0.5€取られる。終着駅がアマドーラ・エステ駅と表示してあるRubensホームに下り、地下鉄に乗って6駅目のプラサ・デ・エスパーニャ駅で降りる。そこから地上に出て徒歩3分とある美術館を探す。附近の地図がないので何人かに道を尋ねてみたが英語は通じない。仕方がないので傍らのホテルに飛び込みレセプションで案内を請う。向かう途中に再度インテリらしき女性にも確かめ、古代エジプトのホルス神像(ハヤブサ)とグルベンキアン像が並び立つ財団敷地にようやく辿り着く。やれやれ、 ガイドブックがあれば何とかなるが自由行動は骨が折れる。 グルベンキアン(Calouste Sarkis Gulbenkian:1869-1955)はイスタンブール生まれのアルメニア人、石油王として財をなし、晩年をリスボンで暮らしたという。彼の死後、莫大な遺産と美 術品のコレクションはポルトガルに寄付され、グルベンキアン財団として様々な文化事業に貢献している。美術館も財団敷地の一角にあり1969年の設立、東洋から西洋までの幅広いコレクションを所蔵している。入館料は4ユーロ、65歳以上は半額、窓口のうら若き女性に「シニアチケット、プリーズ」と言ったら、パスポ ートを提示することもなくあっ さり2ユーロの入館券を渡される。余りの安さに感激する一方、日本人は若く見える筈なのに・・とショックを受ける。気を取り直して早速順路に従い観賞を開始する。平屋建てのさほど大きい美術館ではないが一階が主たる展示室、地階には現代美術ギャラリーや図書室、事務室、カフェテリア、売店、トイレなどがある。第1~3室は古代美術に充てられ、第1室にはエジプトの彫刻、第2室にはギリシャ・ローマ時代のメダルやコインやカメオ、第3室にはメソポタミアのレリーフなどが展示される。第4室はイスラム美術の展示室で、陶器やタイル、ガラス、絨緞、細密画など質・量ともに極めて充実している。第5室はアルメニア美術、小室にアルメニアの陶器や聖書が展示される。第6室は東洋美術の部屋、中国清朝の陶磁器類に加えて日本の蒔絵印籠などもある。第7~9室はヨーロッパ美Dsc04122術。第7室には10~16世紀の象牙彫刻や彩色手書き本が、第8室には15~17世紀の絵画が展示される。第8室の絵画の中ではディーリック・ブーツの《THE ANNUNCIATION(受胎告知)》、レンブラントの《PORTRAIT OF AN OLD MAN(或る老人の肖像)》、ルーベンスの《PORTRAIT OF HELENA FOURMENT(エレーヌ・フールマンの肖像)》などが有名。第9室には15~17世紀の彫刻、タペストリー、絵皿、メダル、美麗本が並ぶ。第10室は18世紀フランスの装飾家具、第11室は18世紀フランスの絵画と彫刻、第12室は銀器コレクション。第13室は18~19世紀のヨーロッパの絵画と彫刻。中ではターナーの《THE WRECK OF A TRANSPORT SHIP(輸送船の難破)》と《QUILDsc04130LEBEUF, MOUTH OF THE SEINE(キュブフ、セーヌの河口)》が出色。第14室は18世紀のイタリアを代表する画家フランチェスコ・グアルディ(1712-1793)の絵画、《REGATTA ON THE GRAND CANAL(大運河のゴンドラレース)》をはじめ詩情溢れるヴェネツィアの風景画が並ぶ。第15室は19世紀フランスの絵画と彫刻、モネの《STILL LIFE WITH MELON(メロン)》と《THE BREAK-UP OF THE ICE(早春)》、コローの《THE BRIDGE AT MANTES(マンテの橋)》、 ロダンの《THE BLESSINGS(祝福)》、マネの《BOY BLOWING BUBBLES(しゃぼんだまを吹く少年)》、ルノアールの《モネ夫人》など名画が目白押し。第16、17室はアール・ヌーヴォーの芸術家ルネ・ラリック(RenRembrandtdsc04389e Lalique:1860-1945)の作品に充てられる。2009年に国立新美術館で開催さ れたルネ・ラリック展を見逃したので改めてじっくり観賞する。有名なトンボのコサージュをはじめ、髪飾り、ネックレス、ブレスレット、花瓶、ゴブレットなどのガラス装飾品は美し過ぎる。館内はフラッシュを焚かなければ写真取り放題、照明も割合明るく鑑賞者に優しい。この内容で入館料がたった400円(しかも日曜日は無料)とは信じられない。ヨーロッパの人々はいつでも気軽に第一級の美術品に親しむことができ羨ましい。最後に地階の売店で図録を求めると日本語版は無く英語版を購入する。立派な図録がたったの7ユーロに再び感激する。帰りは美術館前でタクシーを拾いホテルへ直帰。流しのタクシーが沢山通る。愛想の良くない運転手氏は無茶苦茶に飛ばし、あっという間にホテルに着く。料金メーターは4.1€、チップ込みで5ユーロ払う。18:15ロビーに全員が集合しバスで最後の晩餐へ向かう。ホテルから10分ほど走った大きな公園の中にあるレストラン、コロッケ付きサラダとタコのリゾットとエッグタルトを食べる。ビールはスーパーボックの瓶(3€)を飲む。20:00ホテルに戻り帰国の準備、風呂に入る前にSCを詰め直す。

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世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」

2012年1月17日(火) 6:20起床。7:00朝食。ハム、ソーセージ、ヨーグルトを食べジュースとコーヒーを飲む。五星ホテルといDsc03935っても内容はこれまでのホテルと変わらない。8:30リスボン市内観光に出発、 現地ガイドは日本人女性堀さんとアナベラさん。ホテルは市内の北部、堀さんの説明を聞きながら市西部の河畔にあるベレンの塔へ向かう。途中、ヨーロッパ一の高さ(65m)を持つ全長43㎞という水道橋を眺めたり、ジャカランダ(ノウゼンカズラ科)の街路樹に見入る。羽状複葉のちょうど鳳凰木のような木である。4月中旬になると一斉に花が咲き、紫雲木の名にふさわしく街を青紫に彩るとのこと、最近では日本でも宮崎県などに行けばジャガランダの花が見られるそうであDsc03940_2
る。そうするうちにベレンの塔が近づく。ベレンの塔はマヌエル1世の命により1515年に着工、1520年に完成したテージョ川の河口を守る要塞である。 後には船の通関手続きを行う税関や燈台としても利用されたが、要塞とは思えない優美な姿をしている。司馬遼太郎は、著作の「街道を行く 23 南蛮の道Ⅱ」の中で「テージョ川に佇む公女」と表現しているが、15世紀末のポルトガル独特の建築様式(マヌエル様式)の白い塔は、空の青と海(河)の青に映えて美しく佇む。次に汀線を少し上流に歩いた所に建つ「発見のモニュメント(海洋発見記念碑)」へ。巨大な帆船を模した形の記念碑がテージョ川に向かって船首を突き出ている。 1960年にエンリケ航海王子の没後500年を記念して造られたモニュメントであり、先頭にはカラベル船を手に持つエンリケ航海王子、2番目にはアフリカ・ポルトガル帝国を形成したアフォンソ5世、3番目にはインド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマ、4番目にはブラジルに到達したペドロ・アルヴァレス・カブラル、5番目には初の世界一周を達成したフェルナン・デ・マガリャインス(マゼラン)、しんがりから2Dsc03953番目にフランシスコ・ザビエル、大航海時代を切り開いた16人の偉人の像が並ぶ。反対側にも15人?、皆名のある英雄であろう。モニュメント前の広場には大理石のモザイクで世界地図と各地の発見年号が記されている。日本は1541年、ポルトガル船が豊後に漂着した年とされている。続いて広場 の向うのジェロニモス修道院の見学へ。ジェロニモス修道院は、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称え、また新天地開拓へと乗り出していく航海の安全を祈願して、1502年にマヌエル1世が着工したもの。東方交易で 得た潤沢な資金を惜しげもなくつぎ込んだDsc03985 建物は完成まで1世紀を要し、ポルトガル海洋王国の栄華を今に伝える記念碑となっている。修道院や聖堂の見学はもう腹一杯で、もはや根性がなくなり気力が続かない。そうは云っても入場料が7ユーロ、気力を振り絞ってひと通り見学する。教会に入り内陣とステンドグラス、サンタ・マリア聖堂、セバスティアン王の棺、ヴァスコ・ダ・ガマ(1468-1524)の棺、柱の浮彫り彫刻(胡椒の実、ザクロ、アーティチョーク等)を眺め、食堂(元共同室)、一階回廊、二階聖歌隊席、二階回廊と巡る。中ではマヌエル様式の最高傑作といわれる回廊アーチの装飾と天井部分を支えるリブの星型紋様が見事、一見の価値がある。Dsc04038 続いてリスボン旧市街に建つサン・ロケ教会へ。天正遣欧少年使節が1ヶ月ほど滞在したイエズス会の教会である。15分ほどで慌ただしく見学、午後から「選べる観光プラン」が控えているため午前中は忙しい。サン・ロケ教会は16世紀に建てられたイタリア・バロック様式の教会であるが、正面ファサードは1755年の大地震で破壊され、その後再建されたためかシンプル。教会奥にあるサン・ジョアン・パプティスタの礼拝堂は華麗である。最後に国立アズレージョ美術館に1時間弱立ち寄る。教会を改装した建物の中に、14世紀から現代までのアズレージョが所狭しと展示されている。何れも見ごたえがあるが、リスボン大震災(1755年)前の街並を描いたタイルは歴史的にも価値が高い。記念にタイル製の小物入れを購入する。12:25午前の観光終了、バスに乗り市中の昼食会場へ向かう。途中、車窓から「くちばしの家(1522年建造)」やロシオ駅を写真に収める。

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ポルトガル土産(2) 雄鶏の置物

Dsc04368コインブラ大学から下って旧カテドラルの前を通りアルメディーナ門に至る道の途中にある陶器を扱う土産物屋で購入した雄鶏の置物。価格は20ユーロ(約2,000円)。ハンドメイドで絵付けされたものであり、恐らくコインブラ郊外のコンディシャという町で作られるコニンブリガ焼きと思われる。 バルセロスの雄鶏伝説にちなんだニワトリはポルトガルのシンボル的存在。幸せを呼ぶマスコットとして親しまれている。バルセロスはポルトの北にある町であるが、バルセロスに伝わる雄鶏伝説とは、「その昔、スペインのサンティアゴ・デ・コンポスデーラに詣でる途中で村を訪れた巡礼者が無実の罪をきせられ死刑を宣告された。刑に処せられる前、巡礼者は判決を下した裁判官のところに連れて行ってほしいと頼んだ。裁判官は友人達と宴会を開いているところだったが、そこで巡礼者はテーブルの上にある鶏の丸焼きを指して言った。『私が無実であると云う証拠に、刑が執行されるとき、その雄鶏が鳴くだろう』。裁判官達は一笑に付したが、巡礼者が絞首刑に処せられようとしたまさにそのとき、鶏の丸焼きが立ち上がり高々と鳴き叫んだのだった。ただちに巡礼者は釈放され、数年後再び村を訪れた彼は、聖母マリアと聖ヤコブ(サンティアゴ)に捧げる十字架を建てた。それが、バルセロスの考古学博物館に展示されている14世紀の十字架だといわれている」。(ダイアモンド社のガイドブック「地球の歩き方 A23 ポルトガル」に拠る)

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LISBON MARRIOTTとファドディナーショー

エヴォラからリスボンに引き返し、今宵の宿リスボン・マリオット(所在地:AVE.DOS.COMBATIENTESDsc03892 45, 1600-042 LISBON, PORTUGAL、℡:21-7235480)にチェックインしたのが18:55、1123号室に入る。今回初めての五ツ星ホテル、ロビーに並ぶ調度品は高級感に溢れ、ソファの座り心地は非常に良い。部屋もゆったりしたツインルーム、セミダブルベッドが据え付けられライティングデスクやスタンドなど家具は高級、白壁にボタニカルアートが5枚もかかる。申し分なし、このホテルに連泊は嬉しい。終わり良ければ全て良し、旅行会社も良く考えている。19:30ロビーに集合し夕食に出発。今晩はバイロアルト地区にあるファド・ハウスでポルトガルの民族歌謡ファドを聴きながらディナーを食べる。ファド・ハウスの店名はTIPICO、店 内はT字型の造りでDsc03926交点の位置に四角の舞台がある。三方のテーブル席から舞台が見える工夫がなされているが、意外とこじんまりしたもの。フルボトルの赤ワインと白ワインが1本づつ各テーブル(10人)に付く。JTB社か現地旅行会社のサービスか、まぁこれも旅行代金のうちである。料理は前菜が野菜サラダ、メインがチキン料理、デザートがアイスクリーム。飲んだり食べたりするうちに、舞台にはヴィオラ(クラシックギター)とギターラ(12弦を持つポルトガルギター)を奏でる2人の演奏者が登場し、椅子 に座るや哀愁のメロディを掻き鳴らし始める。すると、女性、女性、男性、女性の4人のファディスタ(ファドの歌い手)がDsc03918順に登壇し、ひとり3曲づつ、思い思いに情感を込めてファドを歌い上げる。人生の喜びや悲しみ、郷愁の思いなどが込められているそうな、時には絶叫調で激しく、時にはすすり泣くように・・、無論歌詞の内容は分らない。帰国したら、ファドの女王と呼ばれ、国民的英雄10人のひとりに数えられるアマリア・ロドリゲスのCDを手に入れて代表曲「暗いはしけ(BARCO NEGRO)」でも聴いてみよう。又、「暗いはしけ」が主題歌として歌われる映画「過去を持つ愛情」(1954年仏)のDVDも探してみよう。主演女優のフランソワーズ・アンヌールが魅力的だと云うし。館内は我々を含め日本人団体客が3組、他の2組はスペイン旅行の序に今日だけリスボン一泊とのこと。ショーは深夜2時頃まで続くそうであるが、明日もあるので22:00お開き、ホテルに戻る。風呂から上るとちょうど24:00。

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世界遺産「エヴォラ(Evora)の歴史地区」

12:00ファティマのホテル RECINTO到着、ホテル内のレストランSanta Luizaで昼食をとる。メニューDsc03854は、コーンスープに野菜サラダにメルルーサのフライ、それに焼きリンゴ。メルルーサのフライは美味しい。 13:20再びバスに乗りアレンテージョの古都エヴォラへ向かう。コインブラからエボラまでは270㎞、 今回の旅行中最長の移動距離。14:05テージョ川(タホ川)を渡る。テージョ川はイベリア半島最長の川であり、上流にはスペインのトレドなどがある。テージョ川以南の地域はアレンテージョ(テージョ川の彼方)と呼ばれる緩やかな平原地帯、乾燥地帯ゆえに溜め池を設け、コルク樫やオリーブ、麦、ブドウの栽培が盛んに行なわれている。沿道にコルク樫の林が次々に 現れる。植林地といっても日本の杉や檜のような薄暗い林ではなくて、まばらに植えられた明るい疎林である。コルク樫もブナ科の一種、林の中にはどんなきのこが出るのであろうか。コルク樫の寿命は150~200年、9年毎に樹皮を剥いでコルクを収穫するとのこと。又、実 のドングリは黒豚のご馳走になるらしい。豚は見当たらないが、その代わり?赤牛や羊が草を食んでいる。剥がさればかりの樹幹は焦茶色をしているので直ぐ分る。剥がしDsc03864た年の西暦年末尾の数字(2012年なら2)が樹幹にペンキで記してある。殆どがコルク樫の疎林と牧草地であるが、ユーカリやカサマツの林も時々現れる。それにしても高速道はガラガラ、走っている車は殆ど無い。人口密度が低いアレンテージョには大きい町もなし、高速道など不要では。やはりポルトガルでも道路建設には政治家や官僚やゼネコンの利権がからむのであろうか。16:00ようやくエヴォラの市内に入る。エヴォラはアレンテージョ地方の中心都市。ローマ時代からこの地方の中心として栄え、ルネッサンス期には大学も設置された学芸の都でもある。現地ガイドのオルガさんを市中でピックアップし、バスターミナルから閉館時刻(17:00)が迫る大聖堂へ急ぐ。2~3世紀にローマ人によって造られたコリント様式のディアナ神殿の写真を撮り、現在ポサーダとして利用されている15世紀に建造されたロイオス修道院を眺めてから大聖堂へ入場する。回廊と宝物館は有料だが聖堂だけなら入場は無料。大聖堂が建設されたのは12~13世紀。1584年9月に天正遣 欧少年使節がエヴォラを訪れ、この大聖堂で伊東マンショと千Dsc03872々石ミゲルはオルガンの腕前を披露したと云われる。そのパイプオルガンは今尚現役である。八角形の美しいドームは左右のバラ窓で荘厳される。左が明けの明星、右が神秘のバラと、それぞれ聖母マリアのシンボルを表しているとのこと。回廊や宝物館も見たかったが時間切れ、10月5日通りを歩いて市の中心のジラルド広場に出る。そこで20分間フリータイムになったがいかにも中途半端、ベンチに座り屋台で買った焼き栗を齧りながら時間を潰す。最後はサン・フランシスコ教会の人骨堂(礼拝室)、5000体以上の人骨が壁や柱をぎっしりと埋め尽くしている。入場料は2ユーロ、内部は撮影禁止。入口には「ここに集まりし我ら骨どもは、皆様のお越しをお待ちしております」という碑文が掲げられ、気持が悪くなって中に入れない人もいる。17:10バスに戻りリスボンへ大返し。

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コインブラ(COIMBRA)

2012年1月16日(月) 5:15起床。水質は気になるが背に腹は変えられず、電気ポットで水道水を沸かし紅茶を飲む。Dsc03801ポルトガル旅行は朝がゆっくり、国土面積が日本の4分の1なので都市間の移動距離が短かい。 髯を剃ってから冷蔵庫の中にあるサグレスのノンアルコールビール(2€)を試飲する。アルコール分が0.3%とあり微醗酵させているのかも、麦汁臭味はあるが爽快感が感じられる。日本の各社NABより美味しい。7時半から朝食、ベーコンと目玉焼き、ヨーグルトに干しブドウを食べエスプレッソコーヒーを飲む。9:00ホテルをチェックアウトしコインブラ市内観光に出る。コインブラは、リスボン、ポルトに次ぐポルトガル第三の都市、大学町で人口は15万人、大学関係者が多く住み、学生だけでも2万2千人に上る。コインブラDsc03803大学はヨーロッパでもフランスのパリ、イタリアのボローニャ、スペインのサラマンカと並ぶ古い大学で1290年の創設、最初はリスボンに置かれていたが、コインブ ラに移ったりリスボンに戻ったりしながら、1537年コインブラに落ち着いたとのこと。8学部を擁する総合大学である。モンテゴ川河畔のアストリアホテルの前で現地ガイドのクリスティーナさんをピックアップ、コインブラ大学(旧校舎)の見学へ。「無情の門」とも呼ばれる鉄柵の扉が付いたアーチをくぐり中庭に入る。中庭にはジョアン3世(1502-1557)の像が建ち、南側を除く三方をコの字型に古い建物が取り囲む。正Dsc03806面右角に見えるのは時計塔、18世紀に建造されたもので大学のシンボルになっている。まず、時計塔に向かって一番左端のジョアニア図書館(1724年創設)を見学する。料金は5ユーロでも内部の写真撮影 は禁止。三室に分かれた内部の壁は天井まで届く書架で隙間なく覆われ、16~18世紀の革表紙の本がびっしりと並ぶ。見える部分だけで3万冊、地下室収蔵分も合わせると蔵書は30万冊に及び、一番古い本は11世紀の聖書である。大学教授など研究者に限って貸し出しているとのこと、中世史を研究する者には宝の山であろう。天井はフレスコ画で覆われており、間仕切りや書架の上部などは王冠や紋章をDsc03830模る金泥細工の華麗な装飾が施されている。又、一番奥の部屋のジョアン3世の肖像画が架かる壁の下にピアノが置かれており、時々ミニコンサートの会場になるとのこと。防虫対策として館内にコウモリを飼っていたこともあったらしく、家具や調度品をコウモリの糞から護る カバーが展示されている。内部の撮影禁止は入口で絵葉書を売るための作戦らしく、大学人といえど商魂は逞しい。図書館を出て隣接する礼拝堂も見学。主祭壇は多段式(階段状)になっており、天井には国章等のフレスコ画が描かれる。カーペット・アズレージョと呼ばれる壁面全体を覆う装飾タイルが見事である。礼拝堂をDsc03832 出て建物奥にあるトイレを拝借した序に、地階にあるカフェ(学食?)を覗いて見る。女子学生が多く、さすがに皆賢そうである。旧大学の見学を終え坂道を下る。旧カテドラル(1162年建立)を眺めながら旧城壁入口に当たるアルメディーナ門に下り、門をくぐってメインストリートに出る。両側に店舗が建ち並ぶ通りを歩いてサンタ・クルス修道院前の小広場に至り、10:45の再集合まで自由時間になる。サンタ・クルス教会に入り祭壇とパイプオルガンを見学した後、アルメディーナ門に戻り、直ぐ上に何軒かある陶器を扱う土産物屋で雄鶏の置物を購入する。コインブラ近郊のコンディシャという町で作られるコニンブリガ焼きかと思うが定かでない。どの店も統一料金らしく、同じ型の焼き物は同じ値段が付けられ、値引きには頑として応じてくれぬ。10:45バスに戻り昼食会場のあるファティマへ向かう。

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ポルトガル土産(1) ワイン

Dsc04328今回のポルトガル旅行のお土産はワインが2本とチョコレート3箱。ワインのひとつはバターリャ修道院の前のミニスーパーマーケットで購入したガタン・ヴィーニョヴェルデ、ポルトガル北部を代表するヴィーニョヴェルデ地区産の辛口の白。750ミリリットル入り、アルコール分9%、価格は僅かに3.3€(330円)。もうひとつはポルトのドウロ川河畔に建つワインセラー・サンデマン社を見学した際に購入したサンデマン・ホワイトポルト、ドウロ川上流域で収穫されたブドウを原料とし、樽で3~5年熟成させたもの、醗酵の途中でブランデーを加えて酵母の働きを止めた、いわゆる酒精強化ワインである。750ミリリットル入り、アルコール分19.5%、価格は10€(1,000円)。もう1本、ポルトガル名物のマディラワインも購入したかったが、帰国時のリスボン空港では時間がなくて機会を逸す。チョコレートはポルトガルの大手メーカーの“ジュビロ”ブランドのナッツチョコ、180グラム入りで価格は7.2€(720円)、3箱で21.6€(2,160円)。尚、JTBに予約宅配を頼むと、ガタン・ヴィーニョヴェルデが1本1,680円、ジュビロブランドのナッツチョコは3箱で4,725円、楽をしようとすれば当然高くつく。

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BEST WESTERN HOTEL DOM LUIS

Dsc0378916:15コインブラへ向け出発。ポルトからコインブラへは約115㎞の道程、途中から猛烈な雨。17:45ベスト・ウェスタンホテル・ドン・ルイス(所在地:QUINTA DA VARZEA COIMBRA,PORTUGAL、℡:239-802120)到着、111号室に入る。部屋はコンパクトツイン、三ツ星の古いホテルであるがロビーも部屋も洒落ている。また、お茶請けのチョコボールが2個置いてあるし、電気ポットもあるし、インスタントコーヒーとティーバッグのサービスもある。18:40ロビーに集合し市内のレストランへ夕食に出る。レストラン・ドン・ペドロ(D.PEDRO)は鴨料理の専門店、野菜サラダと鴨肉の炊込ご飯、それにデDsc03766ザートのムースケーキを食べ、ポルトガルの2大ビールブランドの片割れ、スーパーボッ カの瓶(2€)を飲む。鴨肉の味は良いがやや塩辛い。ポルトガル料理は概して塩分が高く、高血圧の身としては少食にならざるを得ない。21:20ホテルに戻る。風呂に入るため浴槽に湯を張ると淡茶褐色、給水管から錆が出ている模様。これではせっかく電気ポットが置いてあってもお茶を飲む気にはなれない。せっかくISO9001を取得しているのだから、もっと水質管理が必要である。21:30ベッドにもぐりこむ。

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世界遺産「ポルトの歴史地区」

バスの車窓から眺める風景に絵になるものは少ない。高速道沿いの樹相は単調で、ユーカリかマツの林、 或は両者Dsc03681の混交林が殆ど。ユーカリは16世紀?にオーストラリアからもたらされたもので、今ではパルプ原料としてポルトガル全土に植えられている。生育は非常に早いが、土壌の栄養分をとことん吸収するために土が痩せてしまうとのこと。又、めくれ易い樹皮が林内に堆積し、乾期に起きる山火事を拡大増幅するとのこと、最近は政府も樹種転換に本腰を入れているらしい。11:45ポルトの市内に戻る。昼食前にサン・フランシスコ教会見学。入場料は3.5ユーロ。14世紀にゴシック様式で建造された教会は17世紀にバロック様式に改装されている。身廊とその両側に側廊を持つ三廊式の教会内部は、ターリャ・ドウラーダ(金泥細工)と呼ばれる金泥を塗った木彫りの彫刻で覆われる。それらの金泥細工に使われた大量の金は植民地ブラジルからもたらされたもの。堂内はきんきらきんに輝き、過剰な装飾の氾濫に目も眩むほど。ポルトガルが最も輝いていた時代に、贅の限りを尽くして築かれた建造物群のひとつである。内部の撮影は禁止、左側二番目の礼拝堂に飾られるキリストの家系図「ジェッセの樹」を拝観してから外へ出る。ドウロ川河畔、カイス・ダ・リベイ ラ地区に あるレDsc03714ストランCHEZ LAPINへ行き昼食。まるで吊るし雛のように天井から雑多な物がぶら下がる賑やかな店で、カルドベルデ(縮緬キャベツ)のスープ、真鱈のムニエル、カステラの原型となったお菓子パォン・デ・ローを食べ、サグレスの生(2.2€)を飲む。タラ料理は美味、バカリャウと呼ばれる干しタラを 水で戻してから調理したもので、干しタラの消費量はポルトガルの国民食といえるほど多いとのこと。そのため、漁民は既に16世紀からカナダのニューファンドランド島沖合までタラを獲りに行っていたらしく、大型船もない時代に命懸けで行ったタラ漁がポルトガルの遠洋航海技術にDsc03717磨きをかけ、その後の大航海時代を支えたと云われる。世の中、何が幸いするか分らない。食後は腹ごなしに附近の散歩、カイス・ダ・リベイラ地区の土産物店を冷やかしながらドン・ルイス1世橋の畔の展望台へ行き、行き交う船や対岸のヴィラ・ノバ・デ・ガイア地区を眺める。更にドン・ルイス1世橋を渡り、対岸の展望台へも上ってポルトの旧市街地を眺める。バスに戻り(再び橋を渡り返し)、ヴィラ・ノバ・デ・ガイア地区にある30を越すワイナリーのひとつ、サンデマン(SANDEMAN)社の見学へ。同社の試飲付き見学ツアー料金は4.5ユーロ。1790年スコットランド人のジョージ・サンデマンが創設したワイナリーのトレードマークは黒マントにソンブレロ、「ドン」の愛称で呼ばれる。ツアーガイドは、Dsc03721ロゴと同じ黒マントに身を包みソンブレロを被ったイケメン、7年間日本で暮らし最近帰国して同社で働き始めたとのこと。奥様は日本人、どうりで日本語はペラペラである。見学に先立ち接待所で企業紹介ビデオを見る。ビデオは10ヶ国の言語選択ができ、無論日本語もある。実に分りやすい。国際企業はこうでなくては・・。醗酵槽も貯蔵樽も木製であり、材質はオーク(樫)。見学コースの最後が試飲、樽熟成3年の後瓶詰めされ10年以上寝かされたヴィンテージポート(赤)と白ブドウを原料とし樽熟成3年のホワイトポート(白)の2種類が供される。どちらも馥郁として香りが高く、アルコール度数も20%と通常のワインより大分高い。甘いので飲みやすいが直ぐに酔いが回る。ヴィンテージポートDsc03757は750ミリリットル入り1瓶30ユ-ロ、ホワイトポートは同じく750ミリリットル入り1瓶10ユーロ、他人様の分も飲んでしまったので買わずに帰る訳にもいかず、よんどころなく後者を1本購入する。旧市街に戻って今度はカテドラルを見学。入場料は無料。もとは要塞として建てられ、17~18世紀に改修が加えられたもの。もはや聖堂見学は食傷気味でどこも同じに見える。銀細工の祭壇を眺めただけで外へ出る。リベルダーデ広場に戻りフリータイム。街角の屋台で焼き栗(1袋12個入りで2€)を買い、それを食べながら附近をぶらぶら。靴を買いたかったが日曜日なので店は閉まっている。サン・ベント駅へ行ってホールの壁を飾るアズレージョを見るべきであったが、手洗い借用の為マクドナルドに入りコーヒーを飲むうちにタイムアップ、16:45バスに戻り今宵の宿があるコインブラへ向かう。

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世界遺産「ギマランイスの歴史地区」

2012年1月15日(日) 3時頃目が覚めてしまう。仕方なしに起き出しベッドの中で「日本沈没(下)」を読む。 Dsc03640漸く眠 くなりひと寝して目覚めると6時半。7:00から朝食、ハム、クロワッサン、ヨーグルト、チーズタルトを食べコーヒーを飲む。今日の外は初めての雨、雨のせいか暖かい。8:30バスでホテルを出発、50km離れたギマランイス(Guimaraes)へ。ギマランイスは、初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス生誕の地、旧市街地は「ギマランイスの歴史地区」として世界文化遺産に登録されている。9:20バスターミナル到着。町の入口にあるビルの壁には、国家発祥の地ということで、「AQUI NASCEU PORTUGAL(ここにポルトガル誕生す)」と書かれている。バスターミナルから歩きオリベイラ広場に入る。ノッサ・セニョーラ・オリDsc03651ベイラ教会、ムーア軍との戦いに勝利した記念のアーチ(1342年建造)、旧市庁 舎などが建ち中世の面影が色濃く残る。サンティアゴ広場に抜けると雰囲気は一変し庶民的な家が建ち並ぶ。市庁舎を右手に眺めながらサンタ・マリア通りをゆるく上って行くと、ブラガンサ公爵館の前に出る。ジョアン1世の息子で、初代ブラガンサ公爵となったドン・アフォンソによって15世紀始めに建てられた館は、レンガの煙突が何本も突き立ちユニークな外観を見せる。今は政府の公館として国賓などの接待に使われている。そこからは芝草の小道を辿り、アフォンソ1世が洗礼を受けたと伝わるDsc03662サン・ミゲル教会(12世紀建造)へ。ロマネスク様式の石造りの小さな教会であり内部はがらんどう、何も無い。小道を上り詰めた処がアフォンソ1世生誕の地とされるギマランイス城、10世紀の建造で7つの塔を持つ。10時の開門を待つ間、芝地できのこを探してみたが何も見つからず。雨模様のために他の観光客の姿はなくギマランイス城をグループで独占、普段は有料(1.5€)の主塔に今日は日曜日ということで無料で昇らせてくれる。有り難い。主塔に入るには城壁から架かる橋を渡るしかなく、これを落とせば防御は完璧なことが見てとれる。主塔の屋上に出る最後の階段は傾斜角70度もある急階段、出口の扉口も非常に狭い。屋上はフラットではなく瓦の屋根を掛けてある。雨も上がりギマランイスの町並が一望できる。10:50バスに戻りポルトへ引き返す。

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ポルトガル(ナザレ)で出逢ったきのこ

Dsc034252012年1月14日(土) 朝食後、ホテルの道向うの松林できのこ観察。ナザレの海岸に近く、マツの種類はヨーロッパクロマツかイタリアカサマツと思われるが、とにかく松毬が巨大で長径10~15㎝もある。30分ほどしか時間がなかったが、それでもササタケ(そのものかその近縁種)、チチアワタケ(そのものかその近縁種)、ホコリタケ、チチタケ属の4種類が見つかる。ユーラシア大陸の東西の端に同じきのこが生育しているとは奇遇である。但し、対岸のモロッコに出るマツタケがどういう訳かポルトガルには出ないらしく、立派なマツ林がかくも多いのに不思議なことである。現地ガイドの堀さんの話では、秋になるとDsc03426ロカ岬にカラカサタケが出るとのこと、ポルトガル人もきのこ狩りが好きらしい。又、ネットで調べると春の松林にシレルカなる美味なきのこが出るらしい。そして、リスボンはプリンシア・レアル広場の青空市の屋台には、エノキタケ、シイタケ、タモギタケ、トキイロヒラタケ、ヒラタケなどの栽培きのこが並ぶとのこと、1パックが6~7ユーロと高価にもかかわらず売れ行きは上々らしい。再訪する機会があれば、シレルカ料理を是非食べてみたいものである。(写真はチチタケ属不明種の傘面と裏面)  

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HOTEL TRYP PORTO EXPO

アヴェイロからポルトまで70㎞、18:30ポルトの市内に入る。ポルトは坂の町、結構なアップダウンがある。 Dsc03609夕食のレストランへ直行するとのことで旧市街のドウロ川河畔でバスを下り歩いて行く。レストランは河畔より一本奥まった路地にあるPOSTIGO DO CARVAO。メニューは野菜サラダ、ハマグリとムール貝入り海鮮リゾット、それにチョコレートムース。味はまずまず。1時間余りで食事は終り、再びバスに乗って宿へ。三泊目の宿はトリップ・ポルト・エキスポ(所在地:ROTUNDA DE EXPONOR P4450-811 PORTO PORTUGAL、℡:229-990000)、 三ツ星ホテルでエクスポ会場の近くだが回りに何にも無いところ。20:30チェックイン、325号室に入る。コンパクトツインでちょっと見は良さそうに見えたが安普請、今回の旅ではワーストワン。風呂に湯張りしようとしたら切替え栓がシャワー側に倒れてしまい湯が溜められない。おまけに湯もぬる目。壁も薄い。TV(CNN)をつけると、イタリアのGIGLIO島で大型クルーズ船が座礁し、死者3名、行方不明数十名を告げている。何でもそうだが、海外旅行も命懸けである。

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アヴェイロ(Aveiro)

Dsc03592ファティマからポルトへ向かう途中に立ち寄ったアヴェイロはポルトガルの水の都と呼ばれる。入り組んだ潟が内陸に大きく食い込んでおり、自然の良港として繁栄してきた町である。16:30アヴェイロ駅前広場到着。左に旧駅舎、右に新駅舎が並ぶ。旧駅舎の外壁はアヴェイロの昔の風景を描いた見事なアズレージョで飾られている。新駅舎のお手洗いを借用した後、バスに乗って中央運河へ行く。運河にはヴェネチアのゴンドラに似た観光船モリセイロが繋留されている。今はシーズンオフで開店休業状態のようである。良く見ると、カラフルなモリセイロの舳には、キリストの姿を描いた真面目なものがあるかと思えば、思わず笑ってしまうエロチックな絵を描いたものもある。ポルトガル人はなかなかユーモラスな人種である。17:20ポルトへ向け出発。

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ポルトガルのトイレ事情

Dsc03577ポルトガルの観光地には公衆トイレが完備しており、ごく一部のトルコ式を除いてほぼ洋式、いずれも清潔であり快適である。又、無料でチップの心配もない。一例としてファティマの公衆トイレの写真を掲載するが、巡礼地だけに規模が大きく、手洗い5口、大5室、小10口もある。メンテナンスシートを見ると清掃も毎日午前8時半と午後4時半の2回きっちり実施されている。但し、ここだけでなく公衆トイレの大の便器には殆ど蓋と便座が付いていない(外してある)。清掃し易くするための工夫かと思われるが、座り心地はよろしくないだろうし、冬期はさぞかし冷たかろうし、出るものも出なくなるのでは。それにしても、何処へ行ってもトイレばかり 熱心に撮影しているものだから、同行者やトイレ利用の人から不審者や変質者に見られるのは困ったもの、ブログのネタを確保するのもひと苦労である。  

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ファティマ(Fatima)

14:05ファティマのバスターミナル着。ファティマはキリスト教の聖地。第一次世界大戦中の1917年5Dsc03559月13日、 この地で3人の子供たちの前に聖母マリアが出現するという奇跡が起こった。それが機縁となり、何もなかった荒蕪地に荘厳な教会が建てられ、今ではポルトガル内外から数多の巡礼者が訪れるカトリックの聖地となっている。バスターミナルから教会の建つ大広場へ歩いて行く。収容人数30万人とも云われる大広場に面して、北東側に高さ65mの塔をもつネオクラシック様式の堂々たるバジリカが聳え、南西側には2007年に完成した近代的な聖三位一体教会が建つ。何とも広大な空間である。この広場が5月13日と10月13日の例大祭には巡礼者 で埋め尽くされる。宗教の力は凄まじい。バジリカの左手前に「出現の礼拝堂」と呼Dsc03573ばれる、聖母マリアが祀られている小さな白いチャペルがある。そここそ聖母マリアが3人の子供たちの前に現れた場所であり、今日も沢山の巡礼者が集まってミサがあげられ、讃美歌が流れている。聖三位一体教会から出現の礼拝堂まで一条の大理石が敷き詰められており、その敷石を膝行する巡礼者の姿がある。出現の礼拝堂に辿り着いても、更に礼拝堂の回りを膝行のまま何周もする。チベット仏教の五体投地でカイラス山を巡るほどではないにしてもまさに難行苦行、どんな宗教にも荒行は付き物のようである。バジリカに入場し内部を見学する。聖母マリアが描かれた大きな絵が架かる主祭壇の両袖には奇跡を目撃した3人の墓がある。祭壇に向かって左側に女の子ジャシンタとルシア、右側に男の子フランシスコが眠っている。15:05バスに戻り次の目的地アヴェイロへ向かう。

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世界遺産「バターリャの修道院」

ナザレからバターリャまでは約30㎞、バターリャはポルトガル語で「戦い」という意味。1385年、 バDsc03558ターリャ近郊のアルジュバロータでカスティーリャ軍との戦いがあり、ジョアン1世率いるポルトガル軍が奇跡的勝利を収めている。バターリャの修道院は正式名を「勝利の聖母マリア修道院」と云い、戦勝を祈願した聖母マリアに感謝を捧げるために、ジョアン1世の命により1388年に建設開始、1533年に主要部分が完成したもの。ポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築のひとつとされる。10:40バターリャ修道院到着、前の広場には地元の英雄アルヴァレスの騎馬像が建つ。入場料は6ユーロ、聖堂、 創設者の礼拝堂、ジョアン1世の回廊、参事会堂、博物館、 未完の礼拝堂の順に見学する。聖堂の中央扉口上部は緻密な彫刻で埋め尽くされる。奥Dsc03519行き80m、高さ32m、ポルトガルでも一、二を争う規模の聖堂の内陣はステンドグラスで華やかに彩られる。建設当初は簡素なアルコバサの修道院を手本にしたと云われるが、ポルトガルの黄金期の建造物だけに装飾の手はずっと込んでいる。創設者の礼拝堂は15世紀に造られたジョアン1世の家族の墓所、中央にはジョアン1世と王妃フィリパ・デ・ランカスターの棺が置かれ、周囲にはエンリケ航海王子をは じめ4人の王子が眠る。16世紀に完成したジョア ン1世の回廊は、14世紀のゴシック様式の簡素な回廊にマヌエル様式の装飾を施したもの、レース細工のように繊細な狭間飾りが見事である。参事会堂には、第一次世界大戦とアフ リカの植民地争いで命を落とした無Dsc03525名戦士の墓が置かれている。衛兵2名が常時墓所を警護しており、偶々11時の交代式を見物する。また、一辺19mの参事会堂には柱が1本もなく、建設当初は天井が落ちるのではないかと騒がれたそうだが、設計者のアフォンソ・ドミンゲスは安全性を証明するために三日三晩この部屋に座り続けたとのこと、彼の小像が今尚部屋の隅から天井を見守り続けているのはユーモアか。博物館は嘗ての 食堂、武器や無名戦士に捧げられた品々が展示されている。未完の礼拝堂は扉口や柱に施されたマヌエル様式の装飾が美しいが、財政上の理由からか完成を待たずに建設が中止されたもの。見学を終えてから近くのレストランTorrieで昼食をとる。野菜スープにポークソテーにプリンのメニュー、SAGRESの生ビール(1.5€)を飲む。13:30バスに戻り、ファティマへ向かう。

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ナザレの市場に並ぶ魚

Dsc03450ナザレは元来が漁師村、市場に並ぶ魚は目の前の大西洋で獲れた新鮮なものが多い。日本では見かけない魚もあり余り自信は無いが、魚種を判別できたものを挙げると、(アカ)エイ、アジ、イカ、イワシ、(オオ)ウナギ、オマールエビ、カニ、カレイ、クロダイ?、サバ、サメ、タイ、タコ、チゴダラ?、ヒメジ、マトウダイ、メダイ?、ユメカサゴ?など。ざっと30種類ぐらいは並んでいる。タコは叩いて徹底的に軟らかくするらしく、くたくたの姿になっていたり、鰻がぶつ切りで売られているのが日本とは違う。(写真はオオウナギ)  

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ナザレ(Nazare)

2012年1月14日(土) 夜中にDsc03459何回か目が覚める。5:20起床。モーニングコールが7時半なので時間が有り 余る。煎餅やほしいもを齧りながらガイドブックで復習と予習。7:30朝食、4階に上る。ベーコンとソーセージ、ダノンヨーグルトと黄桃のシロップ煮を食べコーヒーを飲む。出発まで時間があるので、ホテルの道向の松林できのこ観察。マツの種類はイタリアカサマツかヨーロッパクロマツ、松毬の長径が10㎝以上ある。30分ほどでササタケ、チチアワタケ、チチタケ属、ホコリタケを見つける。朝は2℃とさすがに冷え込んでいるが、冬期でもこれなら季節の良い時期には色々なきのこが出るのでは。観光よりずっと楽しい。9:00ホテル出発、ナザレ観光へ。先ずはビエイラ・ギマランイス通りにある市場見学、野菜や果物、肉類と何でも揃うが、魚介類部門を集中的に見学する。生魚が殆どで目の前の大西洋で獲れた地魚かも。種類は、判別できたもので、アカエイ、アジ、イカ、イワシ、ウナギ、オマールエビ、カニ、カレイ、クロダイ、サバ、サメ、タイ、タコ、チゴダラ?、ヒメジ、マトウダイ、メダイ?、ユメカサゴ?など。どれも新鮮で美味そうである。ま た、Dsc03482 売り手も買い手も殆どが女性で、お年寄りの女性はナザレの伝統衣装を身に着けている。7枚重ねの短いスカートにエプロン、頭に巻いたスカーフとスリッパという独特のスタイル、未亡人はこれが黒づくめになるらしい。バスに戻ってシティオ地区の展望台へ上る。まず展望台の脇に建つメモリア礼拝堂を見学する。外観は何の変哲も無い小さな礼拝堂であるが、生母マリアの奇跡が起こった場所として知られ、御堂の中にはキリスト像が安置され、内壁・天井とも美しいアズレージョで覆われている。展望台からオレンジ色の甍を連ねたプライア地区の街並と長い海岸線とを眺める。まさに絶景である。その後、広場に面して建つノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会(聖母マリア教会)にも入り、ナザレの守護聖人像やバロック様式の主祭壇を見学する。10:15次の観光地バターリャへ向け出発。

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HOTEL MIRAMAR SUL(ミラマル・スル)

Dsc0340117:15四ツ星のホテル・ミラマル・スル(所在地:RUA CAMINHO REAL NAZARE,PORTUGAL、℡:(262)590000)に到着、新棟の202号室に入る。海側の部屋で眺めは良い。色使いは感心しないが、コンパクトツインの部屋は機能的にまとめられ、冷蔵庫も金庫も付いている。デジカメ電池の充電を仕掛けた後、再びバスに乗ってナザレの町中にあるレストランへ夕食をとりに行く。レストランは海岸通りのS.MIGUEL、前菜はサラダ、メインディッシュは炭火焼のイワシ3尾、デザートはフルーツポンチ。味はまずまずだが内容が貧しい。幾ら名物とはいえ鰯三尾とは・・、シトー会派の修道士になった気分である。ホテルに戻り、風呂に入ってさっぱりすると20:40。

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世界遺産「アルコバサのサンタ・マリア修道院」

15:30アルコバサ着。バスターミナルで現地ガイドのマヌエラさんと合流し、サンタ・マリア修道院の左側から正面のDsc03344ある4月25日広場に回り込む。隣国カスティーリャとの和平が成立し、独立王国となったポルトガルの始祖アフォンソ1世が、キリスト教国としての地位を高めるため、アルコバサに修道院を建設し、当時のヨーロッパ諸国やローマ教皇に大きな影響力を持っていたシトー会に寄進することを宣言したのが始まり。1153年に建設が開始され、主要部分は1222年に完成、その後も歴代の王によって増改築が行われた。最盛期には約1,000人の修道士が暮らした修道院は敷地も建物も広大、バロック様式のファサードの両翼がとてつもなく長い。ヨーロッパに限らず世界遺産には教会や修道院が多いが、その見学はどうも苦手。キ リスト教徒でもなし、何をどう見たらよいのかが未だに分らない。それはさておき、聖堂の身廊・翼廊・王室パンテオン、王の広間、Dsc03354食堂、厨房、沈黙の回廊、参事会堂の順にひと通り見て回る。シトー会というのは禁欲的会派で華美な装飾を徹底的に排するらしく、聖堂も食堂も参事会堂も規模こそ大きいが簡素な造り、余りに簡潔すぎて悪く言えばガランドウの建物である。聖堂の身廊は幅23m、高さ20m、奥行き106m、南北の翼廊には悲恋物語で知られるペドロ1世とイネス・デ・カストロの石棺が向かい合うように安置されている。石棺はポルトガル・ゴシック芸術の最高傑作、美しいレリーフで全面覆われる。王の広間にはアフォンソ1世からジョゼ1世に至る歴代国王の塑像が飾られ、又、修道院創設の物語を描いたアズレージョで飾られる。他には、修道士のメタボをチェックするため食堂に設けられた狭い扉口、厨房の巨大煙突が覆う調理釜(7頭の牛を一度に丸焼きできたという)、同じく厨房の川の流れを引き込んだ水場、沈黙の回廊二階部分の柱やアーチの繊細な装飾(マヌエル様式)などが見所か。16:40見学を終えて今宵の宿があるナザレへ向かう。

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オビドス(Obidos)

シントラを出発したバスは高速道路を淡々と走る。時々丘の上Dsc03292に風車を目にするが殆ど現役のものはなく、代り に風力発電機が林立して幅を利かせている。どちらも自然エネルギーではあるが風車のある風景は牧歌的であり、風力発電機が並ぶ景色は猛々しく無粋である。 12:30オビドスの町に到着。「谷間の真珠」と呼ばれるオビドスは城壁に囲まれた人口800人ほどの小さな町、その歴史はローマ時代に遡ると云う。1282年から1834年の間、代々の王妃の直轄地だった所である。バスを下りて町の入口の西門ポルタ・ダ・ヴィラをくぐる。イスラム時代に造られた門は、敵の進入を防ぐ為の鍵型構造を持ち、内側が18世紀の見事なアズレージョで覆われている。両側にDsc03296みやげ物屋やレストランが並ぶディレイタ通りをぶらぶら歩き、名物のジンジーニャ(GINJA:サクランボを漬け込んだリキュール)はチョコレートで出来ている盃に一杯が1ユーロ。食堂の店先に大きなニワトリ(雄鶏)の置物が置いてあったり、小型のものが土産物屋で売られているのを見かけるが、ニワトリはポルトガルでは幸せを呼ぶマスコット、日本で言えばフクロウに当たるもののようである(バルセロスの雄鶏伝説なるものがある)。石壁に見事にツタを這わせた家も多い。突き当たりまで歩くとポザーダ・ド・カステロの前に出る。ポザーダは古城や修道院などを改装した国営ホテルDsc03330のことであり、ド・カステロは国内のポザーダ第一号、15世紀の城をリニューアルしたものである。そこのレストランで昼食をとる。評判の高いレストランというので楽しみだったが、前菜が卵サラダ、メインディッシュがイカ料理、デザートが超甘い卵ケーキと卵攻め、味もいまいち。参りました。ポルトガル人はとにかく卵が大好物らしい。昔、修道院で衣服を貼り付ける糊として卵白の需要が高く、余る黄身を活用するために卵を使う料理やお菓子が発達したものらしい。食後の腹ごなしに、ポサーダ脇の階段から城壁に登りポルタ・ダ・ヴィラまで歩いて戻る。アドリア海に突き出したドブロヴニクの城壁歩きに較べると著しく情趣に欠けるが展望は悪くない。門を出たところの露店で乾しイチジクを2袋購入しバスに戻る。14:55アルコバサへ向け出発。

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世界遺産「シントラの王宮」

ロカ岬からシントラ(Sintra)までは約10㎞、バスの車内で小倉氏からポルトガル事情を伺う。所得はドイツの三Dsc03282分の一くらいで平均月収は勤務医で3,000ユーロ(30万円)、教師が1,500ユーロ、一般の人は1,200ユーロ程度。その割りに物価は高く、付加価値税を23%も取られる。但し食料品は6%でワインやレストランも13%に抑えられている。 ガソリンは1リットル1ユーロ50~60セント(150~160円)。車は全て輸入なので値段は非常に高く、ベンツの中古車が多いタクシーの走行距離は60~70万㎞にも上る。逆に一次産品は安く、米1キログラムが50セント(50円)。ブドウ、オリーブ、オレンジ、ナシなど果物も豊富に産し安い。ワイン栓に加工されるコルクの生産量は世界一、靴の生産量はイタリアに次いで欧州2位。。観光業 のGDPに占める比率は7%。治安は良く国民はのんびりしているなどなど。そDsc03248うこうしているうちに10:05シントラ市街のバスターミナルに到着、少し歩いて王宮の見学へ。シントラはリスボンから西へ28㎞、歴代のポルトガル王家が避暑地として利用した緑濃い町である。又、天正遣欧少年使節が訪れた縁で長崎県大村市と姉妹都市の関係にある。高さ33mの巨大な2本の煙突を持つ白亜の王宮はレプブリカ広場に面して建っており、広場を挟んだ対面の山上にはムーアの砦跡の城壁が望める。早速王宮内を一巡り、白鳥の間、カササギの間、肖像の間、紋章の間、イン ドの間、中国の間、礼拝堂、アラブの間、台所の順番で見学する。夏の離宮だけにこじんまりしているが、各部屋とも意匠が凝らされている。様々なポーズをとる27羽Dsc03260の白鳥が天井に描かれた白鳥の間。白鳥の間は、1584年、天正遣欧少年使節がもてなされた部屋と伝わる。天井一面にユーモラスなカササギの絵が描かれたカササギの間。船底のような天井を持つ肖像の間。ドーム天井一面に16世紀のポルトガル貴族の紋章が牡鹿とともに描かれた紋章の間。又、壁面を飾るアズレージョ(装飾タイル)は、質、量ともに国内随一といわれる。紋章の間の壁を飾る18世紀の狩猟の場面、14世紀のものと云われる礼拝堂の天井装飾と床のアズレージョ、アラブの間のアズレージョはポルトガルに現存する最も古いものらしい。まあ、豪華絢爛というほどの感じは受けないが、大航海時代の魁をなし、胡椒等の香辛料貿易で財を成した時代の片鱗を窺うことはできる。一時間ほどで王宮見学は終了、自由時間になったので、菓子店PIRIQUITAで名物のケイジャーダ(チーズタルト)を求め試食する。晴れて陽射しも出て暖かくなる。小倉さんとアンディさんは此処まで、二人と別れてバスに乗り、次の目的地オビドスへ向かう。

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ロカ岬

2012年1月13日(金) 5:35起床、6:15から朝食。 ハム、チーズ、ヨーグルト、リンゴジュース、オレンDsc03224 ジジュースなど美味しい。昨日機内食を殆ど食べなかったので空腹のせいかも。7:30漸く外が薄明るくなる。冬は雨が多い季節らしく、空には雲が立ち込めている。8:15バスに乗り出発、35km離れたロカ岬へ向かう。外は東京より大分暖かい(今日の最高気温の予測15℃)。現地ガイドは日本人男性の小倉さんとポルトガル人女性のアンディさん、小倉さんは1997年からリスボンに住んでいる。ポルトガル在住の日本人は530人、訪れる日本人観光客は年間6万人位。ベンツ製の大型バスは快適そのもの、ツアーメンバーは20名なのでゆったりと一人2席 を占めることができる。高速道路は最高速度120㎞/h、料Dsc03222 金所には遮断機なしのV(ETC)レーンがあり、各車ノンストップで通過する。カメラで通過全車輌を撮影しており、ETCを付けていない車は48時間以内に自己申告し料金を支払わないと高額の罰金ものらしい。高速道を出てカスカイスの町並や海岸線を見下ろしながら走るようになると、カタバミ(黄花)やミモザ、アロエの花が咲き始めている。9:00ユーラシア大陸の最西端ロカ岬到着。北緯38度47分、西経9度30分、記念に最西端到達証明書をもらう。岬には燈台とインフォメーションセンターと一軒の土産物屋兼レストランがあるだけで、断崖絶壁の先は鉛色の大西洋がどこまでも広がる。岬の露岩の隙間を埋めている多肉植物はセイヨウマツバボタン?、咲き残りの花が幾つか見られる。岬の最先端に十字架を乗せた石碑がぽつんと立っており、そこにはポルトガルの詩人カモンイスが詠んだ詩の一節が刻まれている。「AQUI.....ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA.....」(ここに地果て、海始まる)。昨年11月に訪れた竜飛埼にも佐藤佐太郎の歌碑(「陸(くが)はつる海の光に草山は黄菅(きすげ)の花の輝くあはれ」)が建っていたが、人は誰も最果ての岬に立つと同じような感慨を抱くようである。ともあれ、帰国したら宮本輝の同名の小説「ここに地終わり海始まる」を読んでみよう。30分ほどの滞在で次の観光地シントラへ向かう。

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HOLIDAY INN EXPRESS LISBON AEROPUERTO

Dsc032062012年1月12日(木) ポルトガル初日の宿、所在地はRUA DA GUIN NR 10 PRIOR VELHO LISBON, PORTUGALでリスボン空港の近く、電話番号は(21)0080800。三ツ星であるが米系ホテルだけあって機能的で快適、コンパクトツインで電気ポットやコーヒー・紅茶が付く。BBCは24ch、日本のTV放送は入らない(この後のホテルも同様)。 

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8つの世界遺産を訪ねるポルトガル周遊8日間

2012年1月12日(木) 昨年3月の大震災以来自粛していた海外旅行を再開、ポルトガルへ出かける。6:00起床、コーヒーを一杯飲んで目を覚まし妻に車で南柏駅へ送ってもらう。いつものように成田線経由、Dsc031869:00成田空港第一ターミナルビル4階出発ロビー着。JTB旅物語カウンターで受付を済ませ、KLMオランダ航空カウンターにチェックイン、スーツケース(SC)を預ける。 序にスカイチームのマイレージサービスに登録。時間があるのでJTBからもらったクーポン券を使い、マクドナルドで100円コーヒーを飲む。出国審査を済ませてから自販機で三井住友海上の海外旅行保険に入る。KL862便アムステルダム行きに11:15搭乗、43C席(通路側)に座る。ほぼ満席。12:05離陸、アムステルダムまで9,693㎞、11時間30分の旅が始まる。退屈しのぎに小松左京著「日本沈没(上)」を読み、 サービスのハイネケンビールを飲む。以前は350ミリリットル缶だったものが、いつの間にか細身の250ミリリットル缶に変わっている。それでもKLMはDsc03190サービスが良い方、13:30と21:45に二回の食事が出た他アイスクリームやお菓子の差し入れもある。読書にも飽きたので2011年米映画、ライアン・ゴズリングとキャリー・マリガン主演の「DRIVE」(日本未公開?)を観る。23:15(現地15:15)アムステルダム・スキポール空港着、この空港に来るのは1997年の欧州出張以来であるが、15年も経てばすっかり様変わりしている。次のリスボン行き飛行機は29:00(現地21:00)発の予定、待ち時間が6時間近くあるので嫌になる。時間の潰しようとてないが、とりあえずターミナルビル内にあるアムステルダム国立美術館の出先の空港美術館(RIJIKSMUSEUM in SCHIPHOL)を見学、土産物屋の二階にあり入場無料である。細長い一室にアムステルダム国立美術館の模型と油絵16点を展示するだけの小ギャラリイーDsc03200であるが、一方の壁にオランダの冬景色の絵画8点が飾られ、中にはバレント・コルネリス・クッククック(Koekkoek,Barend Cornelis)の「冬景色」(1838年)など名品として美術館図録に収載されている作品もある。反対側の壁にはゴールデンエイジと呼ばれるオランダ17世紀の画家の作品が8点飾られておりなかなか見ごたえがある。そこを出てバイオリンとピアノのミニコンサートを聴いたり、野菜の種や切花を売っているオランダらしい店を見学したりする。あとは椅子にもたれてうとうと。29:00漸くKL1697便リスボン行きに搭乗、20D席(通路側)に座る。満席の乗客を乗せ29:20離陸、腕時計をワールドタイムモードを用いてグリニッジ標準時(GMT)に合せる。「日本沈没(上)」を読了し、31:50(つまり日本時間1月13日7:50、現地22:50)リスボン空港に無事着陸、もう家を出てから25時間以上経つ。いやはやポルトガルは遠い。迎えのバスに乗り込むとホテルは空港の近く、23:35ホリディ・イン・エクスプレスに到着。割り当ての307号室に入り、コーヒーを沸かし機内食のパンを食べる。風呂に入ってさっぱりすると0:45。(続く)

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再び乾し芋作り    

Dsc031732012年1月8日(日) 暮れに作ったほしいもの評判が良く、殆ど食べ尽くしてしまったので再び作ることに。なにしろ家庭菜園で取れたサツマイモがまだまだどっさりある。大きな蒸し器でイモを蒸かすこと三度、アツアツのうちに皮を剥く。縦に切ったり、横に切ったり、5ミリメートル前後の厚さに切ったイモをザルに並べて天日に乾す。あとは待つだけ、今の時期関東地方は乾燥注意報がでるほどのカラカラ天気が続くので乾し芋造りには最適である。

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ふかひれがゆ

Dsc031682012年1月7日(土)丁卯(ひのとう)・先勝 七草かゆを食べる日であるが、その代わりに戴き物のふかひれがゆを食べる。帝国ホテル大阪の中国料理レストラン「ジャスミンガーデン」監修という逸品、お粥といっても高級である。レトルトパウチ食品であるがさすがに上品で美味しい。内容量はかゆ200グラム、あん50グラム、あんの中味は、野菜(たけのこ・しょうが)、コンソメパウダー、きくらげ、ふかひれ、食塩、鶏油、中華風調味料、植物油、蛋白加水分解物、しょうゆ、砂糖、香辛料、増粘剤(加工デンプン)、調味料(アミノ酸等)とあり、原材料の一部に小麦、豚肉を含むそうな。因みに、あん中ふかひれの配合割合は仕込時で1.7%、どうもご馳走さまでした。 

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西新井大師

Dsc031622012年1月5日(木) 家人と足立区の西新井大師にお参りに行く。初詣は近所の神社で元日に済ませたが、改めて厄除祈願に関東三大師のひとつ西新井大師に参詣する。正式な寺名を五智山遍照院總持寺と言い 、真言宗豊山派のお寺である。天長の昔、弘法大師が関東巡錫の途中、此の地で観音菩薩の霊託を聞き、ご本尊の十一面観音菩薩像を自刻し、寺院を建立したことに始まるとされる。正月も五日というのに参拝客は引きもきらず、境内は人で一杯である。参道の両側には露天がずらりと並び、威勢の良い掛け声が飛び交う。 本殿にお参りし今年一年の家内安全と平穏無事とを祈願する。とても境内をゆっくり見学するような雰囲気ではないので、名物の草団子とくず餅を購入しただけで早々に引き揚げる。

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国指定史跡 小田城址

2012年1月3日(火) 今日は今年の初山行、柏から最も近い筑波山系の宝篋山(通称小田山)に登る。小田城コースからDsc03122登り極楽寺コースを下ったが(詳しくは姉妹ブログの自惚山人ノオトの「486.宝篋山(小田城コース)」をご覧ください)、登る前に国指定史跡の小田城址(昭和十年六月七日指定)に立ち寄り見学する。現地に着くと何も無い広原、つくば市による発掘調査が終り、歴史公園として整備している途上であり、一面に芝生を養生するためのブルーシートが掛けられている。小田城址碑と忠魂碑が建つ小丘に登り、つわものどもが夢の跡を確かめる。そこからの筑波山と宝鏡山の眺めは格別、城跡の一隅には鎌倉時代のものと思われる立派な五輪塔も建つ。つくば市教育委員会が作成した説明板には、「小田城は、十二世紀末に八田知家によって築かれた。知家は常陸国のDsc03125守護となり、建久四年(1193)には多気義幹を亡ぼし、常陸国南部に勢力を広めた。四代時知に至り小田氏を名乗るようになる。鎌倉幕府が亡びると、七代の治久は新政府に参加し、南朝に味方した。治久は延元三年(1338)に北畠親房を小田城に迎え、関東における南朝の中心となって活躍した。親房は城中で「神皇正統記」「職原抄」を執筆した。しかし高師冬に包囲され、翌年に治久は師冬に降り、親房は関城へ移った。戦国時代になると、小田氏は佐竹氏、結城氏に攻められ、小田城の激しい争奪戦が続いた。小田氏治は 永禄十二年(1569)の手這坂の合戦に敗れて土浦へ逃げた。佐竹氏は梶原政影を小田城代として守らせた。政影によって小田城Dsc03126は大規模に改修された。慶長七年(1602)に佐竹氏は秋田へ国替されて廃城になった。小田城は、本丸を中心に三重の堀と土塁に囲まれた平城で、約二十一ヘクタールに及ぶ。本丸部分の約二ヘクタールを八田氏の居館として出発し、次第に拡張強化された。南北朝に入ってから、居館から防御のための城郭へと転化した。戦国期の度重なる戦乱の中で戦闘用に強化された。更に梶原政影によって最終的に改修され、現在知り得る姿になって完成する。この城は平城として長所を十分発揮して巧妙に設計されている。本丸と各郭は深い堀と高い土塁で囲まれ、重要な出入り口には馬出しを設けて、直接進入ができないようにしてある。郭は堀によって隔てられ、橋で結ばれている。郭は外部になるにつれて広くなるが、その中に堀や土塁を設けて、郭内の自由な移動を妨げている。郭郡の外を北から東に囲む最外部は城下町をなし、その外も堀と土塁で囲まれている。」と記述されている。     

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純米大吟醸 播州久米産山田錦100%

Dsc031562012年1月2日(月) 玉乃光酒造株式会社の純米大吟醸酒、息子のお嫁さん実家からお年賀に頂戴しました。アルコールに弱いせいもあり、普段日本酒は余り飲まないのですが、そこはお正月、青磁のお猪口で吟醸酒をちびりちびりやるのもよいものです。ラベルには、「播州久米産山田錦(兵庫県加東市 山田錦特A地区産)のみを使用し、35%まで自社精米し、醸した純米大吟醸です。果実のような吟醸香を特徴とします」とある。確かに酢酸エステル類の良い香りがします。すっきりした飲み口、まろやかな味わい、良いお酒です。いつもありがとうございます。どうもご馳走さまでした。

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富士浅間神社(柏市)

Dsc031162012年1月1日(日)辛酉(かのととり)・先勝(せんしょう) 平成二十四壬辰(みずのえたつ)閏年が明ける。お雑煮を食べてから近所の浅間神社に初詣、今年一年の家内安全と平穏無事を祈願する。浅間神社の由来書によると、「当社は中新宿字浅間前二三四ノ一、二三四の二番地に在り、御祭神として木花開耶姫命を祀る。鎮座の年記不詳なるも五百有余年の歴史を有する霊験あらたかな神と景仰される神社である。里伝えに言われることはこの地において大杉朽株発掘して金像を得たという地形が富士に似ているので社殿を設け金像を御神体に奉祀し富士浅間神社と名称したといわれる。今なお掘出の池と号する池があり往時この池からの湧水を御神水として遠近の人々に愛用されたるも戦後荒廃したままであったが平成二年六月環境保全の一環として厳島神社再建とともに整備された。石段及び敷石は同年十二月竣工、石の鳥居は御大典記念に大正五年十月建立、現在の神社は昭和四十八年十月再々建にして氏子戸数二十三戸あり。云々」とある。全国に1,300社あるという富士山本宮浅間神社の末社のひとつであろう。  

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ハレの日仙人

Dsc031072011年12月31日(土)庚申(かのえさる)・赤口(しゃっく) 災厄続きの平成二十三年も今日が大晦日、さいたま市に住んでいる娘夫婦と仙台市で暮らしている息子夫婦が集まり家族7人が勢揃い、賑やかにお年取り料理が並ぶ食卓を囲む。メインディッシュは娘夫婦が北海道から取り寄せたズワイガニのカニしゃぶ、それと仙台の風習である子持ちナメタ(ババガレイ)の煮付けの二品。飲み物は息子夫婦持参の「ハレの日仙人」ビールと、小宅で準備したキリンの一番搾り。前者のハレの日仙人は、㈱ヤッホーブルーイングが超々長期熟成を謳う特醸ビール、ラベルには「ハレの日仙人は、人生の折り目、節目のお祝いごとの席でお飲み頂くために誕生したビールです。とてつもなく長い間タンクの中で熟成し続け、その特別な時を迎えます。お祝いの席に華を添えるのに相応しく手間と時をかけたこのビールは、深い琥珀の色合い、キャラメルやコーヒーを思わせる香ばしさ、ふくよかな旨みとデリケートな苦み、ゆっくりとかみしめたくなるような芳醇さが感じられます。熟成にかけた時間だけが生む余韻をお楽しみください」と書いてある。アルコール分9.5%のバーレーワインスタイルの濃醇なビールは、純米大吟醸酒同様お年取りに飲むお酒にぴったり、コップ一杯をちびちびやるうちにすっかり酔いが回る。ネットでこっそり調べると750ミリリットル入り1瓶が3,150円もする。恐らく日本一高い、と云うことは世界一高価なビールである。1ミリリットルが4円20銭、通常ビールの10倍近く、いやはや、ご馳走さまでした。

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