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国指定史跡 小田城址

2012年1月3日(火) 今日は今年の初山行、柏から最も近い筑波山系の宝篋山(通称小田山)に登る。小田城コースからDsc03122登り極楽寺コースを下ったが(詳しくは姉妹ブログの自惚山人ノオトの「486.宝篋山(小田城コース)」をご覧ください)、登る前に国指定史跡の小田城址(昭和十年六月七日指定)に立ち寄り見学する。現地に着くと何も無い広原、つくば市による発掘調査が終り、歴史公園として整備している途上であり、一面に芝生を養生するためのブルーシートが掛けられている。小田城址碑と忠魂碑が建つ小丘に登り、つわものどもが夢の跡を確かめる。そこからの筑波山と宝鏡山の眺めは格別、城跡の一隅には鎌倉時代のものと思われる立派な五輪塔も建つ。つくば市教育委員会が作成した説明板には、「小田城は、十二世紀末に八田知家によって築かれた。知家は常陸国のDsc03125守護となり、建久四年(1193)には多気義幹を亡ぼし、常陸国南部に勢力を広めた。四代時知に至り小田氏を名乗るようになる。鎌倉幕府が亡びると、七代の治久は新政府に参加し、南朝に味方した。治久は延元三年(1338)に北畠親房を小田城に迎え、関東における南朝の中心となって活躍した。親房は城中で「神皇正統記」「職原抄」を執筆した。しかし高師冬に包囲され、翌年に治久は師冬に降り、親房は関城へ移った。戦国時代になると、小田氏は佐竹氏、結城氏に攻められ、小田城の激しい争奪戦が続いた。小田氏治は 永禄十二年(1569)の手這坂の合戦に敗れて土浦へ逃げた。佐竹氏は梶原政影を小田城代として守らせた。政影によって小田城Dsc03126は大規模に改修された。慶長七年(1602)に佐竹氏は秋田へ国替されて廃城になった。小田城は、本丸を中心に三重の堀と土塁に囲まれた平城で、約二十一ヘクタールに及ぶ。本丸部分の約二ヘクタールを八田氏の居館として出発し、次第に拡張強化された。南北朝に入ってから、居館から防御のための城郭へと転化した。戦国期の度重なる戦乱の中で戦闘用に強化された。更に梶原政影によって最終的に改修され、現在知り得る姿になって完成する。この城は平城として長所を十分発揮して巧妙に設計されている。本丸と各郭は深い堀と高い土塁で囲まれ、重要な出入り口には馬出しを設けて、直接進入ができないようにしてある。郭は堀によって隔てられ、橋で結ばれている。郭は外部になるにつれて広くなるが、その中に堀や土塁を設けて、郭内の自由な移動を妨げている。郭郡の外を北から東に囲む最外部は城下町をなし、その外も堀と土塁で囲まれている。」と記述されている。     

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