« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

もりのなめこ農園ブレーク!

Dsc089322012年4月30日(月) 自宅北側の廂の下に置いてある栽培キット「もりのなめこ農園」に湿り気を与えようとして覗いてみたら、なんとナメコがわんさか生えていました。数日前に見たときは気配もなかったので吃驚。早速収穫し、一部を味噌汁にして食べました。味はなかなか良く、原木栽培品と遜色ありません。しかも原木栽培に較べると手間と費用要らずでずっと楽、苦労して原木を調達する必要はなし、電動ドリルは買わずに済むし、種駒も不要、場所も採らないし、勝負は早いと良い事尽くめ。何よりベクレルの心配がありません(箱書きを信用すれば)。すっかり気に入りました。もっと出てくる可能性があるので、収穫後の培養ブロックを元に戻し栽培を継続します。

| | コメント (1)

定点観察・手賀の丘公園(柏市)

Dsc088912012年4月28日(土) きのこ道の大先輩、山口市にお住いのKさんのホームページ「きのこワールド」(の中の「吉敷川だより」)の昨日の記事に、ウメハルシメジの発生が報告されている。その記事に触発されて、手賀の丘公園へ行きウメハルシメジ探し。好晴のGW初日とあって園内は家族連れで大賑わい。30本ほどあるウメの樹、100本ほどあるサクラの樹の根際を隈なく丁寧にチェックする。それなのに結果は又も空振り、ハルシメジはウメ型どころかサクラ型さえ全く見つからない。6年越しで探しているが、手賀の丘公園も含め自宅近くの公園にはハルシメジは発生しないようである。これは越生とか筑波の梅園にでも遠出しなDsc08922ければ埒が明かないかも。
《観察種》
①アミガサタケ、②イタチタケ、③ウスベニイタチタケ、④カラムラサキハツ、⑤キララタケ、⑥コガネカレバタケ、⑦チャワンタケの仲間、⑧ナヨタケ属不明種
(写真はアミガサタケとコガネカレバタケ)

| | コメント (0)

定点観察・増尾城址公園(柏市)

Cimg03672012年4月25日(水) 一昨日のサクラ型ハルシメジとの出逢いに勢いを得て、今日はメインフィールドの増尾城址公園でウメ型ハルシメジ探し。そう甘くはないようで、ウメの樹下にもサクラの樹下にもハルシメジは1本も見つからない。やはりどこにでも出るという訳ではなさそう。その代わり、カラムラサキハツ、キシメジ科不明種、タマチョレイタケ、トガリアミガサタケ、ナヨタケ属不明種、フウセンタケ科不明種(写真)、ベニタケ属不明種(柄は赤味を帯びていないがクサイロアカネタケ似)の7種類を見つける。不明種が多くまだまだ勉強が足りない。

| | コメント (0)

定点観察・千葉県立船橋県民の森(船橋市)

Cimg02422012年4月23日(月) 千葉菌類談話会の大先輩であるAさんのホームページ「きのこ雑記」の記事に、 船橋県民の森にサクラ型ハルシメジが出ているとあったので、午前中の雨の止み間に出かけてみる。柏の自宅から17㎞、これまでも二、三度訪ねたことはあるが今の時期は初めて。第1駐車場に車を駐めて南口から入り、ガイドマップ片手に園内を巡る。天気の悪い月曜日とあって園内に人の姿はちらほら、最高の観察日和となる。園内は集いの広場と運動広場を除き殆どが林地、潅木や下草は適度に刈り払われ、しかも倒木や伐木は玉切りしたものをそのまま放置してあるので、色々なきのこが発生しそうである。普段定Cimg0265点観察している近隣の公園よりずっと自然度は高い。一角に立派なシイタケの原木栽培場が設けてあるので、管理事務所の係りの人に尋ねてみると、原発事故以来シイタケ採取は控えているとのこと。生りっ放し、ほったらかしの様である。また当該シイタケの放射性物質濃度も測定してはいないとのこと。さて目的のハルシメジはサクラの樹の下に群生しており感激の出逢い、初見なので非常に嬉しい。Aさん、貴重な情報をいつもありがとうございます。他にもアミガサタケ、イタチタケ?、エセオリミキ、カラムラサキハツ、キクラゲ、コガネカレバタケ(初見!)、ナヨタケ属(ナヨタケ?)を見つける。初見のきのこに2種類も出逢えたので、定点観察場所にし今後毎月通うつもり。(写真はコガネカレバタケとハルシメジ)

| | コメント (0)

ウワバミソウ(ミズ)

Cimg01572012年4月21日(土) プランター栽培している山菜のウワバミソウが今年も新芽を出し若葉を伸ばし始めました。一昨年の6月、大白森山・小白森山に登った帰りにJAしらかわ農産物直売所で買ってきたものです。葉茎部分を食べた残りの根っこを植えたものですが、時々散水して湿り気を十分与えてやれば家庭でも栽培できるようです。もう少し伸びたら刈り取って、お浸しや汁の実にして食べるつもりです。

| | コメント (0)

定点観察・五本松公園(我孫子市)

Cimg02252012年4月20日(金) 五本松公園の駐車場に車をとめ、手賀沼湖畔遊歩道に降りてフィッシングセンターまで散歩する。家人も一緒。手賀沼湖畔には釣り糸を垂れる太公望の姿が多い。今の時期、産卵のため浅場に乗っ込んでくる鮒を狙うらしく、時々大物が釣れている。見ていると皆キャッチ&リリース、手賀沼産のモツゴ、川エビ、フナ、コイから新規制値100ベクレルを超える放射性物質が検出されているので持ち帰っても仕方がないのであろう。手賀沼漁業協同組合が運営するフィッシングセンターも開店休業状態、名物の川魚が販売できなくなっては商売あがったり。帰路、五本松公園できのこ観察を行う。見つかったのはカラムラサキハツ(写真)とナヨタケ属のきのこ(イタチタケ?)のみ。

| | コメント (0)

ゼンマイ

Cimg02102012年4月19日(木) 昨日、きのこ観察の序に手賀沼周辺の土手で採取したゼンマイ。重曹をたっぷり入れて良く茹であげ、アクと一緒にセシウムも抜かねばならぬ。最近の報道によると千葉県産の新タケノコに新規制値の100ベクレルを超えるものが続々見つかっており、ホットスポットの柏市産山菜は当然その可能性がある。一昨日から柏市役所で市民の持ち込みによる食品・井戸水等の無料放射性物質検査が始まり、電話予約の上、市役所本庁舎1階ロビーに検体を持参すれば受け付けてもらえるそうな(1日あたり10件、ひとり1検体)。山菜や天然きのこも測ってもらえるなら喜んで持参するのだが・・。まあ当面食生活により密着したもの、家庭菜園でとれた野菜などが優先であろう。

| | コメント (0)

定点観察・手賀の丘公園(柏市)

Cimg02032012年4月18日(水) 午後、桜吹雪が舞う手賀の丘公園に出かけきのこ観察。今日は暖かい。結果、アシナガイタチタケ?、アミガサタケ、ウスベニイタチタケ(写真)、カラムラサキハツ、フクロシトネタケ?に出逢う。

| | コメント (0)

定点観察・増尾城址公園(柏市)

Cimg0179 2012年4月15日(日) ケーヨーD2名戸ヶ谷店へミニトマト苗とキュウリ苗を買いに行った序に増尾城址公園に寄りアミガサタケのチェック。いつも少なくとも数本は出るツツジ植え込みの下に今年はたったの1本だけ。まあ出逢えただけで良しとする。ここは知る限り最も早くアミガサタケが出る場所であるが、例年より10日ほどは遅れている。他にはアラゲキクラゲと終わりかけのエノキタケくらい。畑仕事が控えているので早々に引き揚げる。

| | コメント (0)

千葉菌類談話会通信 NO.28

2012cimg01762012年4月14日(土) 所属している千葉菌類談話会の事務局から会報(年報)第28号が届く。全85頁、しかも表紙はカラー多色刷り、立派なものである。年会費は僅かに1,000円というのに、年三回の定期観察会開催に加え年初のスライド勉強会まであり、その上このような素晴らしい会報を送付してもらえる。吹春先生はじめ事務局の皆さんの労苦に頭が下がるばかり、申し訳ない気持でいっぱいである。雨の一日、早速ひととおり目を通す。いつもながら会員諸兄姉の興味深い記事で溢れている。「糞生菌のはなし」(吹春俊光・寶田浩太郎氏)のような学術雑誌レベルのものから、「きのこの放射能測定値」(篠崎正一氏)、「行田公園のヤマドリタケモドキ」(須賀良行氏)のような身近な記事もある。中で一番共感を覚えたのは大西清二氏の「おいしいきのこ、毒きのこ? -きのこ採り二年生の悩み-」、最近の図鑑がキシメジとシモコシを毒きのことしていることに疑問を呈しておられる。一番ほほえましく読めたのは片山周子氏の「森の異色に」、ご主人に『安全な食卓を返せー』と言われたという下りは出色。(会報は千葉菌類談話会のホームページに公開されております。興味と関心がある方は是非ご一読を!)

| | コメント (0)

ギョウジャニンニク(行者大蒜)

Cimg01622012年4月12日(木) 去年は6株、今年も先月3株植えつけたギョウジヤニンニクが只今順調に若葉を伸ばしています。夏の終りに地上部が完全に姿を消してしまい、枯れてしまったかと心配しましたが、どうやら地下の球根部で冬越しするようです。杞憂に終わりました。そろそろ食べ頃、収穫してお浸しにしようと畑へ行きましたが、蕾を持って花が咲きそうな様子、どんな花か確かめたいし、種が飛べばもしかして株が増えるかもしれないし、今年は収穫を見送り、後の楽しみを待つことにしました。果たして吉と出ますか凶と出ますか。

| | コメント (0)

エストニア土産(4) ゼリー菓子  

Cimg0214エストニア産ではなく、ヘルシンキにある老舗菓子メーカーFAZER(SE Fazer konfektyr AB)製のゼリー菓子“VIHREITA KUULIA GRONA KULOR”。イギリス国王エドワード7世の戴冠式(1900年)の時に贈呈された由緒正しい菓子であるため、包装箱にSt. Edward's Crownのロゴが表示されている。見た目は高級和菓子、宗家源吉兆庵の“陸乃宝珠”に似ている。原料表示欄には、砂糖、グルコースシロップ、水、グルコース・フルクトースシロップ、ゼリー剤(E440)、酸味料(E337、E330)、香料、着色料(E141)とあり、果汁等は使われていない。500グラム入り箱が4.3ユーロ(約450円)、タリン市のショッピングセンター、ヴィルケスクスの地階食料品売り場で3箱購入する。試食するとまあまあ。

| | コメント (0)

エストニア土産(3) チョコレート

Cimg0172 エストニアの老舗菓子メーカー、カレブ社(AS KALEV)のアーモンドナッツ入り板チョコレートです。タリン市で宿泊したホテル近くの大型ショッピングセンター、ヴィル・ケスクス(Viru Keskus)の地階食料品売り場で購入しました。300グラム入りひと箱が3.5ユーロ(約400円)、帰国後食べてみたら味もまあまあです。3箱買ってきたので娘夫婦と息子夫婦にもバルト三国土産として渡すつもり、これだけって言われそうですが・・。

| | コメント (0)

エストニア土産(2) VANA TALLINN

Cimg0235帰国日にタリンの空港で購入したエストニア産リキュール。500ミリリットル瓶入り6.8ユーロ。アルコール分40%。製造元はLIVIKO社。裏ラベルには、「Vana Tallinn is a unique liqueur with a glorious history, esteemed throughout generations, made from genuine rum and natural spices. The velvety character of Vana Tallinn is complemented by the fresh bitterness of citrus fruits, resulting in a delightfully rich bouquet of taste and aroma. Perfect for serving ice-cold or with tea or coffee, it also makes an excitinng ingredient for various cockails.」とある。甘ったるい薬草酒のような風味で、ストレートは勿論ロックで飲むのも しんどい。次は紅茶やコーヒーに垂らしてみよう。

| | コメント (0)

エストニア土産(1) 猫の置物

Cimg0138エストニアの首都タリン旧市街のヴィル門近くにある土産物店で購入したもの。1個12ユーロ、合せて24ユーロ。置物というより一輪挿しである。

| | コメント (0)

世界遺産「タリンの歴史地区」(その3)/ 帰国

2012年4月10日(火) いよいよ最終日、7:20 起床。7:55 から朝食。ベーコン、油鰯、焼きトマト、マッDsc05595シュルーム、生野菜(赤カブ、キュウリ、トマト、パプリカ)、パンを食べ、ジュースとコーヒーを飲む。 巨大なマッシュルームはひだが真っ黒、もうちょっと若い菌のほうが美味しい。8:50 お土産買いを兼ね最後の町歩きへ。普通なら朝早く帰国の途に着かねばならないが、北欧からだと飛行時間が短いので半日分余裕がある。ヴィル門から旧市街に入り、ラエコヤ広場、聖ニコラス教会の前を経由してトームペアの丘に上る。朝の街中は、レストランやカフェに野菜や肉などを納入する車や、ビールを納入し空瓶・空樽を引き取る車が行き交い慌ただしい。まずは昨日見落としたキーク・イン・デ・キョクとネイツィトルンの見物。キーク・イン・デ・キョクはトームペアの南端にそびえる高さ49mの塔。15世紀末に町の防御のために造られ、今に残っている。この名前は低地ドイツ語で「台所を覗け」という意味。かつてこの塔の上からは下町の家々の台所が手に取るように見えたという。現在は博物館として 使われている。隣の四角い塔がネイツィトルン、中世には売春婦の牢屋として使われたので“乙女の塔”という皮肉な名がつけられたと云う。そこからコマンダデDsc05596(Komandandi)通りを下り、エストニア独立戦争戦勝記念碑の前へ出る。そしてハルユ通りを北進し再びラエコヤ広場に出る。ヴィル通りに建ち並ぶ民芸品店の2箇所に立ち寄り土産物を物色。とりあえず猫の置物(一輪挿し)2個とガラス細工1個を買う。更にヴィル門を出てヴィル・ケスクスの地階スーパーマーケットに降り食料品を物色。サクランボのジャムとキイチゴのジャム(どちらも360g瓶入り1.45€)、Fazerのゼリー菓子3箱(1箱4.3€)、Kalevのアーモンド入り板チョコ3枚(1枚3.5€)、ドライフルーツのナツメ(2.55€)とイチジク(2.45€)を購入する。 領収証をみると、食料品も全て20%の消費税を取られており、特に軽減税率は適用されていない。10:45ホテルに戻り最終Dsc05610の荷造り、瓶物は割れないように衣類でくるむ。11:30カードキーをフロントに返し、ミニバーの清算をする。ローカルビール1本が4.5ユーロ。12:00バスで空港へ。12:30 タリン空港に到着しフィンランド航空のカウンターにチェックイン、スーツケースを預ける。重さは20.7㎏でセーフ(23㎏まで)。手荷物検査は結構厳しい。搭乗口は5番、免税店でエストニア産のリキュールVANA TALLINNを購入(6.8€)する。AY3926便ヘルシンキ行きは14:20離陸、ART72-500型というプロペラ機で72座席、3D席に座る。ヘルシンキは僅か60㎞先、機は最高高度に達するや直ぐに降下を開始する。フィンランド湾は多島海で砂洲がよく発達している。着陸態勢に入ったのになかなか高度が下がらない。15:15ふらふらしながら漸くヘルシンキDsc05613空港着陸。手荷物検査はなく出国審査のみ、搭乗口33番へ進む。ヘルシンキ空港はいつの間にか面目を一新、新しく大きく明るくなり快適。AY073便東京行きは17:25離陸。 機種はAIRBUS A330-300型、結構空席が目立つ。47C席の隣は若いフィンランド女性、どうも窮屈なので日本人スチュワーデスに断り、隣に空席のある28D席に移る。日経新聞4月10日版をもらう。18:10一回目の食事サービス。ビールは遠慮しホウレンソウのリゾットを食べる。税関申告カードと旅行会社のアンケートに記入してから、ジョージ・クルーニー主演の映画「ファミリー・ツリー(原題:The Descendants)」を観る。22:00 時計を東京時刻に合せる(→4月11日4:00)。あと4時間半くらいか。更にスピルバーグ監督作品「戦火の馬(原題:War Horse)」を観る。7:05二回目の食事サービス。8:13雨に煙る成田空港に無事着陸。(完)

| | コメント (0)

エストニアのビール

Dsc05553 エストニアのビールといっても飲んだのはホテルの部屋のミニバーに入っていたA .Le Coq PREMIUM唯一種類。製造元はタルトゥ(Tartu)市にあるAS A. Le Coq社、1997年からフィンランドのOlviの子会社になっている。A. Le Coq PREMIUMはエストニアで最もポピュラーなビールとのこと、苦味は弱いが滑らかで温和、Weitertrinken性がある。個人的評価は☆☆☆、なかなかいける。

| | コメント (0)

タリンの新市街散歩

13:00 レストランMaikrahvに於ける昼食終わる。午後はフリータイム、一旦ホテルに戻る。ラエコヤ広場からヴィル門経由で15分ほど、ラディソンBLUタリンは24階建てで市Dsc05384内ではスイスホテルの30階に次ぐ高さ、どこからでも目につき迷うことが無い。13:20部屋に戻るとまだ掃除が終わっていない。仕方が無いので直ぐ新市街探訪に出る。先ず近くの総合ショッピングセンター、ヴィル・ケスクスに入る。食料品から薬品、化粧品、衣類、雑貨、電化製品と何でも扱っておりジャスコやイオンより大きいかもしれない。ヴィル・ケスクスを出て北進しタリン港方面へぶらぶら。 春うらら、陽の光が強く眩しい。リトアニアに到着した日は吹雪で、この先どうなることやらと思ったが、存外天気に恵まれる。タリン港Dタ-ミナルにはバルト海クルーズの大型客船が並んでいる。タリン港は以前は不凍港であったがここ数年は毎年のように凍るとのこと、北Dsc05529極海の海氷面積は年々縮小している筈なのに?。タリン港からフィンランドのヘルシンキ港まで海路僅かに60㎞、丸一日フリータイムがあればフェリーで日帰りも出来る。但し、1994年9月28日に起きたカーフェリー・エストニア号の遭難事故(約900人死亡)の例もある。タリン港から旧市街へ引き返し、再びふとっちょマルガリータのスール・ランナ門から入る。ピック通りをラエコヤ広場まで歩き、ヴィル門から抜けてホテルに戻る。時刻は15:00、今度は部屋は綺麗に片付いている。喉が渇いたのでミニバーの中のエストニアのビールA.Le Coq PREMIUMを飲む。 酔いが回り疲れも出て一眠りしてから目覚めると17:00。少しDsc05563寝過ごしてしまったがまだまだ外は明るいので、クム美術館目指して再び散歩に出る。地図を見るとクム美術館はホテルから東の方向へ3㎞位、カドリオルク公園の中にある。カシオの腕時計の磁石を頼りに東へ東へと歩いて行く。途中、人に尋ねること三度、ようやくカドリオルク美術館に辿り着く。大北方戦争(1700~1721)後、バルト地域を手に入れたロシアのピョートル大帝が、妃エカテリーナのために離宮と公園を造らせたのがここカドリオルク、その後期バロック様式の宮殿が現在美術館として使われている。西欧やロシアの絵画・美術 品を集めた美術館は、10月~4月の間は月曜日に加え火曜日も休館、残念ながら見学はできない。美しさで評判のバロック様式Dsc05566の庭園も未だ冬枯れ状態。そこから少し先の丘の上にあるのは大統領官邸、衛兵は立っているものの敷地は開放系で結構無防備な感じ。更にその先で右折するとクム美術館に着く。7階建ての近代的な建物である。18世紀から現代に至るエストニア美術を一挙に展示してあり、いわば国立美術館にあたる存在。見学したかったがここも今日、明日と休館。帰りは公園の中を通り抜けていく。まだまだ明るいので散策する家族連れやジョギングする人の姿が多い。中には乳母車を押している若夫婦も。共働きの夫婦が子供と触れ合う貴重な時間なのであろう。但し、もう19:00過ぎ、夕食はこれからだろうかと他人事ながら心配になる。途中の自動車販売店の店頭に展示してあったプジョー508は19,900€(1€110円として220万円)、同じく3008が14,990€(同165万円)、日本なら各々374~414万円と339~385万円、約2倍もする。19:50ホテルに戻る。今日は丸一日歩き回ったせいで腰が痛くなる。夕食がないので電気ポットで湯を沸かしカップラーメン(サッポロ一番しょうゆ味)を食べる。これが一番うまい。序にホテル備え付けのココアも飲む。風呂上りに最後の試飲、Lacplesis GAISAISを飲み22時過ぎベッドに入る。

| | コメント (0)

世界遺産「タリンの歴史地区」(その2)

Dsc05479カフェで一服した後の10:30、再び旧市街散策を続行。ラエコヤ広場からハルユ通りを南進し、聖ニコラス教会へ。聖ニコラス教会は船乗りの守護聖人ニコラスに捧げられ、13世紀前半にドイツ商人の居住区の中心に建てられた教会。現在は博物館とパイプオルガンのコンサートホールとして使われている。リュヒケ・ヤルク(短い足)通りを抜けて山の手であるトームペアの丘に上る。まずトームペア城とのっぽのヘルマンの見物。トームペア城は13世紀初め、かつてエストニア人の砦があった場所に帯剣騎士団により建てられた。現在の建物は18世紀後半の再建。南側にある高さ50mDsc05472の塔の愛称は「のっぽのヘルマン」、頂きにエストニアの三色旗を掲げ国を象徴する存在となっている。現在、城内に政府の一部と国の議会が入っているので内部の見学は不可。トームペア城の向い側に建つアレクサンドル・ネフスキー教会に入場見学。1901年、帝政ロシアによって建立されたロシア正教の教会である。ちょうどミサの最中でイコノタスの正面扉とサイドの扉が開いており奥の祭壇を覗くことができる。真っ黒な顎鬚と頬髯とを生やし黒い袈裟をまとった司祭は重々しく威厳がある。その司祭の厳粛な祈りの声が堂内に朗々と流れ、言葉はまるDsc05510で分らないがちょうど仏教の声明を聞く様である。ロシア人信徒は皆、有り難さにひざまづく。歴史的経緯からタリンにはロシア人移民が数多く住んでおり、新聞もエストニア語版とロシア語版があるとのこと、なるほどと頷ける。堂内に入って直ぐの右側の壁には、1905年の日露戦争(日本海海戦)で亡くなった人々に捧げる鎮魂のプレートが掲げられている。大聖堂を左手に眺めながら第一展望台(Patkuli Vaateplats)へ。旧市街の眺めは抜群であるが足元が凍結していてつるつる、非常に危ない。冬期は転倒して怪我をする人が多く、その上屋根から落下する氷柱の直撃を受けてDsc05512亡くなる人まであると云う。上も下も危ないのではゆっくり街歩きを楽しめない。建物の氷柱を常に落としておかないと所有者は罰金を科されるとのこと、軒下を歩かないよう建物の壁に斜めに棒を立てかけて注意を促している箇所も多い。更に第二展望台(Kohtuotsa Vaateplats)へ。そこも又凍結していたが、旧市街の眺めは素晴らしく、何処を切り取っても絵になる。そこからピック・ヤルク(長い足)通りを下り、ラエコヤ広場に戻る。街角に佇む屋台は中世のアーモンド菓子を商い1袋が2ユーロ。売り子は伝統衣装(中世の衣装?)の赤いマントを身にまとう。タリンの風物詩、皆若く美人が多い。12:00ラエコヤ広場に面するレストランMaikrahvに入り昼食。煮凝りと温野菜とポークステーキとアイスクリームを食べる。味はまずまず。

| | コメント (0)

世界遺産「タリンの歴史地区」(その1)

2012年4月9日(月) 6:30起床、ちょうど朝日が目の前のSEBビルの右手に昇るところ。顔を洗うと手が痛くなるほど水Dsc05366道の水が冷たい。昨日、街を歩いた限りでは、エストニア出身の大関把瑠都の写真や銅像は見当たらない。 この国では大相撲人気も未だしの感。7:00から朝食。ベーコン、ソーセージ、ゆで卵、生野菜(キュウリ、トマト、パプリカ)、ヨーグルト、パンを食べ、グレープフルーツジュースとコーヒーを飲む。さすがは一流ホテル、美味しい。9:00ロビーに集合し、徒歩でタリン旧市街見学へ繰り出す。現地ガイドはタリン在住11年というNさん、30歳くらいの小柄で魅力的な女性である。タリンはバル ト海のフィンランド湾に臨む港町、嘗てはソ連の一地方都市に過ぎなかったが、現在は北欧に開Dsc05396かれたバルトの窓として多くの観光客が行き交う。タリンの歴史は、1219年デンマーク王がトームペアの丘に城を築いたことに始まる。エストニアの人々はその城をTaani Linn(デンマーク人の街、或は要塞)と呼び、現在のタリンの名の由来になったと云われる。その後はドイツ人の入植が進み、13世紀の半ばにはレファル(Reval)の名でハンザ同盟に加盟、ロシアとの貿易中継点として繁栄した。今尚、中世の姿をそのまま留める旧市街は、タリンが一番豊かだったその時代に負うところが大きい。タリン散歩の手始めはトラムの乗車体験、ホテルの最寄り駅から2番線の電車Dsc05399に2駅乗って、ふとっちょマルガレータの最寄り駅で降りる。1回券は0.8ユーロ、市電の運転手は女性が殆ど。ふとっちょマルガレータからスール・ランナ門をくぐって旧市街に入り、三人姉妹、聖オレフ教会、城壁、ブラックヘッドの会館、大ギルドの 会館、聖霊教会、ラエコヤ広場、市議会薬局、旧市庁舎、聖ニコラス教会、トームペア城、アレキサンドル・ネフスキー聖堂、展望台Patkuli Vaateplats、展望台Kohtuotsa Vaateplatsの順で案内してもらう。最初のふとっちょマルガレータは、町の最も重要な出入り口を守るため1529年に建てられた砲塔であり、直径が24m、壁の厚さは4.7mもある。まさにずんぐりむっくり。帝政ロ シア時代は監獄として使われ、囚人の世話で尊敬を集めた女性の名前に因んで名付けられたという。現在は海洋博物館として使用されている。スール・ランナ門をくぐりピック通りを進むと右手にあるのが三人姉妹、15世紀に建てられた商家集合体であり、現在は一泊4万円の五つ星最高級ホテルとして使われている。2007年5月24日に天皇皇后両陛下がお泊りになり、Dsc05410今でも予約すればその時のエンペラー・メ ニューが味わえるらしい。その先に聖オレフ教会、13世紀半ばの建立で1840年改築、ノルウエーの聖人王を祀る教会である。124mの塔は旧市街で最も高い。次はラボラトーリウミ通りにある城壁、最初に木造の城壁が造られたのは13世紀前半、その後14世紀から16世紀にかけて補強や増築が繰り返された。当時の城壁の長さは2.5㎞、そのうちの1.85㎞が今に残っている。9つの塔があるラボラトーリウミ通りの城壁は最も良くかつての姿をとどめているとされる。ピック通りに戻って先へ進むとブラックヘッドの会館が現れる。ブDsc05421ラックヘッドの会館は、守護聖人にエチオピア生れのマリティウスを戴いた友愛会の会館。ブラックヘッドの友愛会は1399年に組織されたギルドのような社交団体で、外国人や未婚の若い商人が大ギルドに加わるための準備期間としてこ こに籍を置いた。16世紀にオランダ・ルネッサンス様式に改築された建物の外壁は、騎士のレリーフやハンザ都市の紋章などで飾られている。その先の小広場右側には1410年に建てられた大ギルドの会館(現在はエストニア歴史博物館)が建ち、左側には14世紀初めに建立された聖霊教会が建つ。マジパンで有名な店Kalevの前を過ぎ、サイア・カンク通り(別名白パンの小道)を抜けてラエコヤ広場に至る。広場の北東角にある市議会薬局を覗いてから、30分間休憩を取ることになり一旦解散。市議会薬局はヨーロッパで最も古い薬局のひとつ。記録に現れるのは1422年、1580年から10世代主人を務めたブルヒャルト家は、ロシアのピョートル大帝の死の床にも呼ばれたという。現在も薬局として営業しており、通常の薬の他、ハーブティーや15世紀のレシピで作られたスパイス入りワイン“クラレット(Klarett)”なども売られている。トイレに行きたくても近くに公衆トイレはないので、広場に面するカフェ(Restoran Rae)に入りコーヒーを注文、序にトイレを借りる。街歩きも結構くたびれるので幕間の一服にちょうど良い。

| | コメント (0)

ラトヴィアのビール

Dsc05128今回の旅行中に飲んだラトヴィア産ビールは、ウジャヴァス(Uzavas)とLacplesis 3 IesaluとLacplesis Gaisaisの3種類。ウジャバスはクルゼメ地方のヴェンツピールス(Ventspils)市にあるUzavas Breweryの地ビール、アルコール分や原材料は分らないが文句なくうまい。評価は☆☆☆。Lacplesisの瓶ビール2種は、同じくクルゼメ地方のリュパヤ(Liepaja)市にあるLacplesis Breweryの製品、デンマーク第2の醸造グループRoyal Unibrewの子会社であり、販売はリーガにあるSIA Cidoグループが引き受けている様である。写真左の3 IESALUは濃色ビール、原料に淡色モルト、カラメルモルト、ブラックモルト(Munich malt)の3種類の麦芽を使う麦芽100%ビールでありアルコール分は5%、飲み応えがありうまい。評価は☆☆☆。写新右のGAISAISはピルスナータイプのビール、大麦麦芽と大麦を原料に使用しアルコール分は同じく5%、苦味が弱い割りに雑味がある。評価は☆☆★。

| | コメント (0)

ラディソン BLU タリン(Radisson BLU Tallinn)

13:20ルンダーレ宮殿を後にし、エストニアの首都タリンへ向け出発。雪はようやく小降りになる。ラトヴィアの主産業は林業とのこと、確かにヨーロッパアカマツの森は枝打ちが良く行き届き、真っ直ぐ天を突く美林が多い。伐開跡地にも整然とマツの苗木が植えてある。じめじめした低湿地の土地は 痩せており農業は余り振るわないとのこと、それでも根菜類(ジャガイモなど)、蔬菜類、麦Dsc05325類、牧草の4区分で輪作が行なわれ、麦類としては大麦、小麦、ライ麦、燕麦の4種類が作られる。15:00ガソリンスタンド(STATOIL)で15分間のトイレ休憩。一般道の制限速度は時速70㎞、動物注意の道路標識の絵は鹿ではなくトナカイの様である。季節が良くなると森で採れた野生きのこやベリー類を売る露店が国道沿いにずらりと並ぶ。バルト三国と北欧にはアカマツの樹が多いので当然マツタケも発生するが、現地の人に独特の香り(蒸れた靴下の匂い?)は好まれず、誰も採る人はいないとのこと、誠に勿体無い話である。それでも2008年頃からスウェーデン産やフィンランド産マツタケが日本に輸出されるようになったらしく、いずれ有望な産業に育つかも。DNADsc05330解析によると日本産マツタケに極めて近いらしい。中国の雲南省に行く日本人団体の松茸狩りツアーがある位なので、「バルト三国きのこ狩り8日間」などというツアーが売り出されれば案外人気を集めるかと思われる。時々左手に暗い色のバルト海(リーガ湾)が現れる。防風と防潮のために海岸にマツが植えられるのは日本と同じであるが、樹種は殆どが欧州アカマツ。欧州アカマツは日本のクロマツ同様塩分に強いのだろうか。16:20エストニア国境に着き20分間の休憩。ラトヴィア側の検問所は既に廃墟状態であるが、エストニア側には食堂、売店、両替所、トイレを備えた24時間営業の店KANTIINがDsc05335ある。結局、どこの国境でも海外旅行保険証のチェックは行われず仕舞い。エストニアに入ると民家の佇まいが垢抜けてくる。壁はパステルカラーで塗り分けられ、窓には清楚なレースのカーテンが下がり、窓辺は花や置物で美しく飾られる。エストニアはプロテスタントが多い。プロテスタントはオープン主義であり、積極的に窓から家の中を覗かせる風習があるとか。17:20タリンまであと134㎞、青空が出てくる。スタンドのガソリン価格を見ると、95(レギュラーガソリン?)が1.465ユーロ(161円/リットル)、D(軽油?)が1.415ユーロ(155円)。ガソリンと軽油の価格Dsc05342差は日本よりずっと小さい(但し油種の解釈が正しければ)。沿道にスプーンとナイフ(食事)やベッド(宿泊)の看板を掲げているドライブインがあるが、日本のようにトイレのみ借用することは難しいとのこと。19:00タリンの町に入り、旧市街の入口ヴィル門でバスを下り、旧市庁舎広場(ラエコヤ広場)近くのレストランPEPPERSACKへ行って夕食をとる。名物レストランは外国人の観光客も多く大賑わい、剣戟ショーまである。エストニア風スープ、牛挽肉のミートローフ、ベリーケーキを食べ生ビールを飲む。ビールの銘柄は分らなかったが(エストニアのビールメーカーSAKUの生かも)一杯3.4ユーロ(375円)、勘定書きをDsc05357見るとしっかり20%の消費税をとられている。21:00ラデ ィソン BLU タリンにチェックイン、1511号室に入る。15階なので眺めは良いがタリンの夜景は暗い。部屋の向きが悪いのかもしれないが灯りが少ない。ダブルベッドが中央にでんと据え付けられたシングルルームはさほど高級感はないが、壁にボッティチェルリの名作「ビーナスの誕生」(複製)が掛かり、パソコン用のLAN配線、ミニバー、電気ポット、コーヒー、紅茶、ドライヤー、アイロン、スリッパ、ティッシュボックス、シャンプー、コンディショナーとアメニティーも揃っている。まあ格安旅行なのでこれ以上は望めない。風呂から上がり爪を切ると22:45。ラトヴィアのビールLacplesis 3 IESALUの試飲を済ませてからベッドにもぐりこむ。因みに、ラディソン BLU タリンの所在地はRAVALA PUIESTEE 3、TALLINN、電話は372(682)3000。

| | コメント (0)

ルンダーレ宮殿

2012年4月8日(日) 6:00起床。柔らかベッドのせいもあるが、昨日の石畳長時間ウォークの影響もあり、どうも一晩寝ても疲労が抜けない。その上、デジカメの電池収納箇所のストッパー爪が壊れるおまけ付き。 普段酷使しているので無理もないが、何とかあと2日持たせねば。6:45から朝食、目玉焼き2個、ベーコンとハム、生野菜(キュウリ、トマト、パプリカ)、バナナを食べ、オレンジジュースとコーヒーを飲む。夜半に大雨が降った模様、一旦止んでいた空から今度は雪が落ちてくる。8:30二日間世話になったホテルを出発し、バスでバウスカ(Bauska)近郊のルンダーレ宮殿へ向かう。今日は前から2列目の指定席、天気が良ければ写真撮り放題の良席であるが、生憎外は吹雪模様、屋根も地面Dsc05154もたちまち白くなる。今日は立春ともいうべき復活祭であるがバルト三国の春はまだまだ遠い。バウスカへ近づくにつれて雪 はますますひどくなる。辺りは全くの平坦地で地吹雪が起き易そうな地形、民家は屋敷林に囲まれている。9:20バウスカの町に入る。路面は既にシャーベット状態、今更遅いが念のためシートベルトを締める。9:30ルンダーレ宮殿駐車場着、他に車は1台もない。積雪は10㎝くらい、マロニエの並木道を抜けて宮殿へ。受付係は全く融通が利かず、開門の10時ぴったりまでしっかり外のベランダで待たされる。先ず1階で1ラッツ(180円)の写真撮影料をDsc05186支払い、靴カバーを装着する。そうこうするうちに現地ガイドのイネスさんが息せき切ってやってくる。この大雪で車が遅れたらしい。ルンダーレ宮殿は「バルトのヴェルサイユ」ともいわれるバロック様式の豪華な宮殿。ロシアの女帝アンナ(1693-1740)に愛され、貧しい貴族からクールランド大公にまで昇格したビロン公の夏の宮殿として建てられた。建築家はサンクト・ペテルブルクの冬宮などを手がけたイタリア人のラストゥレリである。宮殿の建設は1736年に始まり、途中女帝が亡くなってビロン 公がシベリア流刑になるなど紆余曲折があったが、1768年に完成した。見学コースは長いルート(料金3.5ラッDsc05214ツ)と短いルート(同2.5ラッツ)があり、今日は長いルート。全部で138室ある宮殿のうち公開されているのは保存修復が完了した二階部分、まず黄金の広間から見学を始める。黄金の広間は公の戴冠式が行われた宮殿で最も豪華な広間。金箔張りの漆喰彫刻や天井のフレスコ画できらびやかに飾られる。壁は全室人工大理石らしく、見た目ほどお金はかかっていないのかも。控えの間などの 小部屋を間に挟みながら、白の広間、バラの間、公の寝室、公の謁見室、大理石の広間、公夫人のブドゥアール、公夫人のトイレなどを一通り見学する。白のDsc05268広間は舞踏会が行われた所、白一色の内装は女性の美しいドレスを引き立てる効果があったらしく、ロココ様式の漆喰彫刻が素晴らしい。また楕円形の磁器の間が奥に附属しており、そこには景徳鎮を含む中国磁器が所狭しと並べられている。バラの間は最も華やかで美しい部屋、ピンクの人工大理石の壁面に21の花飾りが 添えられ、天井フレスコ画には春の女神達が描かれる。公の寝室は宮殿の中心部に位置する最も重要な部屋で二対のタイルストーブは1740年の製造、左手の壁にはビロン公と妻ベニグナの肖像画も掛けられている。公の謁見室は赤いダマスク織りで壁面が覆われ別名「赤の書斎」Dsc05273と呼ばれる。ルイ16世スタイルの調度品が置かれ、天井画にはヴィーナスとアドニスの神話が描かれている。大理石の広間は食堂として使われた部屋で天井の美しい花模様が優しい雰囲気を醸し出す。公夫人のブドゥアールは漆喰彫刻が美しい化粧室、壁龕はヴィーナスの乗る貝殻を思わせる。最後は公夫人のトイレ、寝室から隠し扉で通じている。トイレといっても美しく飾られた広々した部屋で、日本の億ションのトイレといえども到底叶わない。全体の印象としては落ち着いており、ヴェルサイユよりもシェーンブルン宮殿の方に似ている感じ。地階に修復工事の経過写真を展示している部屋があったが、それを見ると第二次世界大戦直後は相当荒廃していた様子、調度品や肖像画を含めオリジナルは殆どないのかもしれぬ。12時から宮殿内にあるレストランで昼食。ジャガイモとニンジンのサラダに豚肉の煮込み料理、デザートにラズベリーソースをかけたケーキが出る。いずれも美味。13:20バスに戻り、今宵の宿があるタリンへ向け出発。

| | コメント (0)

世界遺産「リーガ歴史地区」(その3)

Dsc05061ユーゲントシュティール様式建築群の見物を終えて自由記念碑前に戻る。自由記念碑は1935年にラトヴィアの独立 を記念して建てられた高さ51mのモニュメント。塔の上に立つ女性ミルダは、ラトヴィアの3つの地域(クルゼメ、ヴィゼメ、ラトガル)の連合を表す3つの星を掲げている。自由記念碑は衛兵2人に常時守られている。そこから公園を抜け旧市街のトゥァルニャ通りへ進むと、右手にはスウェーデン統治時代に兵舎(旧ヤコブ兵舎)として使われた二階建ての細長い建物があり、左手には復元された城壁がある。旧ヤコブ兵舎は現在、ショッピングセンターやホテル、カフェとしてDsc05077使用されているが、その側壁にラトヴィアの全77都市 の紋章が飾られている。リーガに唯一残る嘗ての城門スウェーデン門(1698年造)をくぐり、聖ヤコブ教会の高さ80mの塔を仰ぎ見る。聖ヤコブ教会は1225年建立、現在の建物は15世紀に再建されたもの。よく見ると塔の屋根の中程に鐘が吊るされている。この鐘は傍らを不貞を働いている婦人が通ると自然に鳴り出すと云う。その為、女性に不評で一旦取り外されていたが、2001年のリーガ800年祭を機に再び取り付けられた。幸いなことに、今回のメンバーの中に鐘を鳴らすご婦人は誰もいない。その先、マザー・ピルス通りに突き当った所にあるのが三人兄弟と呼ばれる15~18世紀に建てられた中世の住宅。名前の通り肩を寄せ合うように建っている。兄弟の兄貴格は15世紀に建てられた17番地の建物(向かって右)、一般住宅としてはリーガで最も古い。建築当時は窓税があったため、左側2棟の弟分と較べると窓が極端に小さい。三人兄弟の前で路上ライブをしている二人の楽師は、我々が日本人とみるや「百万本のバラ」をDsc05090演奏してくれる。百万 本のバラは元々ラトヴィアの曲だそうな。人魚と孔雀で装飾され たユーゲントシュティール様式の建物を見ながらドゥアマ広場へ歩き、ビアハウスのアルス・セータ(Alus Seta)やベーカリーカフェのリゲンスィス(Rigensis)を覗きながら市庁舎広場へ。市庁舎広場にはリーガの守護神である聖ローランドの像が立ち、再建された市庁舎とブラックヘッドの会館が建つ。ブラックヘッドの会館はリーガの開都800年を記念して2000年に再建が完了した新名所。1941年のドイツ軍の空襲で破壊さ れたが、往時の姿がほぼ完全に復元されている。彫金細工と彫刻で飾らDsc05097れた外観で目立つのが月日、時間と月齢を刻む大時計、時計の下には4つのハンザ同盟都市、リーガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンの紋章が浮彫りにされ、ギリシャ神話の神々の像が置かれている。そこから東へ歩いて聖ヨハネ教会へ。聖ヨハネ教会は13世紀に創建され、16世紀に再建されたゴシック様式の美しい教会。手前にブレーメンの音楽隊のモニュメントが建つ。この教会の壁には、禍から建物を守るために志願した2人の修道士が生きたまま塗りこめられたという。今も外壁に見られる十字架型の穴は、後に彼等を記念して造られたものらしい。15:30市庁舎広場に戻り1時間のフリータイムになったので、旧市街で一番高い聖ペテロ教会の塔(123m)に登る。塔は有料で3Lt(約500円)、係員のいるエレベーターで72mの展望台に上ることができる。展望台には抱擁を交わすカップルが多く目のやり場に困る。また、次々と記念撮影を頼まれ出血大サービス。市街地の眺めは良 いが生憎の曇り空、遠くの景色は霞んでいる。塔から下り、時間Dsc05104があるので近くのスーパーマーケットMAXIMAの見物。ラトヴィアの瓶ビール2本を購入し集合場所に戻る。16:30バスに乗り、一旦ラディソン BLU ダウガヴァホテルに戻る。部屋でリトアニアの缶ビールBLINDOS EKSTRAとUTENOS AUKSINISの試飲。18:15ロビーに集まり市中のレストランKRISTAPAへ夕食に行く。メニューはホウレンソウのスープ、鱈のフィレ、リンゴのタルトの3皿、タラ料理は美味しい。19:50ホテルに戻る。水道水もそのまま飲めるが、もらったミネラルウォーターが沢山あるのでそれでお湯を沸かしコーヒーを飲む。風呂から上がり立原正秋著の「冬の旅」を読む。

| | コメント (0)

世界遺産「リーガ歴史地区」(その2)

昼食後、リーガ城(北側部分は海外美術館と歴史博物館、他の部分は大統領官邸)を眺めDsc05041てからバスに乗り新市街へ。アルベルタ通りの角で降り、ユーゲントシュティール様式の建築群を巡る。 ユーゲントシュティール(Jugendstil)はドイツ語圏に於けるアールヌーヴォーの呼称、19世紀後半にヨーロッパ各地を席巻した新芸術様式(世紀末芸術)であり、特に建築の分野に強い影響を及ぼした。その特徴は過度に装飾的なデザインで、曲線や植物模様を多用し、デフォルメされた人体像なども使われた。ユーゲントシュティールの到来はちょうどリーガの大建築ブームと重なり、1900年頃から始まって十数年の短期間に膨大な数の多様な建築を残した。当時のブルジョア階級が先を競うように富を注ぎ込んだ結果、市内中心部の建物の4割はユーゲントシュティール様式で建てられたという。これらの建築群はある意味、旧市街以上にリーガをリーガ足らしめている要素である。それらの中で最も装飾的傾向が強い初期ユーゲントシュティールを代表する建築家がミハイル・エイゼンシュティン、映画「戦艦ポチョムキン」の監督セルゲイ・エイゼンシュティンの父である。今回は彼が手がけた建物を主体に見て回る。 最初はストレールニエク通り4番地の建物(1Dsc05047905年完成)、花輪を捧げる女性像で飾られており誠に優美。次はアルベルタ通りの角に ある13番地の建物(1904年)、動物、植物、喜怒哀楽を表す人面、女性など多数の彫刻で飾られる。続いてアルベルタ通り8番地の建物(1903年)、中心部のライオンと人面を含む装飾が見事で、珍しい青レンガが使われている。そして、同4番地の建物(1904年)、最も完成度が高いユーゲントシュティール建築のひとつと云われ、シンメトリーのファサード中央の窓は美しい曲線で縁取られ、最上部は建物を守護する2頭のライオンと3つのメドゥーサの頭で装飾されている。更に、同2a番地の建物(1906年)、赤タイルつきの柵のようなファサードが印象的で、これまた女性やスフィンクDsc05045ス、人面などさまざまな彫像で装飾されている(写真上)。次はエリザベテス通りに進み、33番地の建物(1901年)は、エイゼンシュテイン最初期のユーゲントシュティール建築で、ファサードを飾るポセイドン?などの力強い彫像群に圧倒される(写真中)。最後は同10b番地の建物(1903年)、青いレンガの壁面と最上部を飾るデフォルメされた人面が目を引く(写真下)。殆どの建物は現在集合住宅として使用されている様子であるが、互いの修復競争も盛んな様子、今では往時の輝きを取り戻したものが多い。上ばかり眺めて歩くので首が痛くなり肩も凝る。これだけごてごて飾り立てた建物を見せられると、コンクリート打ちっ放しのようなシンプルな建物が恋しくなる。1時間ほどの見学で再び旧市街へ。

| | コメント (0)

世界遺産「リーガ歴史地区」(その1)

Dsc04980リーガの町が歴史に登場するのは1201年、ブレーメンの僧正アルベルトがここに上陸し、要塞を 築いたことに始まる。彼等は帯剣騎士団を組織し、リーガはドイツ人によるバルト地方征服の根拠地となる。1282年、ハンザ同盟に加盟、15世紀にはハンザ同盟都市として莫大な富と繁栄を謳歌した。旧市街を彩る教会や商家などはその頃に建てられたものである。国立オペラ座を出て公園を抜け、ブリーヴィーバス大通りに建つライマの時計や自由記念碑を眺めながら旧市街に入る。最初に目に入るのは 火薬塔、高さ25.5m、壁の厚さ3mの円塔は14世紀に建てられ1650年に建て直されDsc04986て火薬の保管に使われた。現在は軍事博物館となっている。次はリーヴ広場の北の角に建つ猫の家。屋根の先端に伸びをする猫が見える。この猫は以前は反対の方向を向いていたという。嘗てこの家に住んでいた裕福なラトヴィア商人は、ドイツ人が支配的なギルドへの加入を拒否されたことに腹を立て、大ギルド会館に尻を向けた猫を屋根に取り付けて鬱憤を晴らしたといわれる。その後、大ギルドの会館はコンサートホールに変わり、猫は音楽に誘われて向きを変えたという逸話が残る。そこからズィルグ通りを進みリーガ大聖堂前に出る。リーガ大聖堂Dsc04995は、1211年に僧正アルベルトが建設を初め、その後何 度も増改築がなされて18世紀の後半に現在のような姿になった。一昨年(2010/2011)の大雪でダメージを受けたとかで現在大規模修理中、屋根の銅板葺き替え等の作業が進行中である。天を突くように聳える高さ90mの塔は1776年に建て直されたものだが、それ以前の塔はさらに50mも高かったとのこと。大聖堂に入る。見所のひとつとされるステンドグラスは正面主祭壇を除き修復のため取り外されている。もう一つの見所、パイプオルガンは1883年に造られたものだが、木彫で装飾されたフレームは16世紀以来のものが使われており、重厚な雰囲気を醸し出す。パイプは6,718本を数え、最長のものは10m、造られた当時は世界最大であったと云う(現在は4番目)。12時から行われるこのパイプオルガンを使ったショートコンサート(夏期は日曜日以外毎日)を聴くために、大聖堂南側の嘗ての修道院の回廊を見学して時間待ちする。回廊には大砲、鐘、松の木(旧い基礎材?)、土管(給排水管?)など、種々雑多なものが置いてある。展示Dsc05011品というよりは物置き状態、中には1985年に塔先端から取り外された雄鶏もある。世界遺産を構成する中核建造物としては少し侘しい感じ。12:00から30分間、大聖堂内の信徒席に座りコンサートを聴く。厳粛なパイプオルガンの音色が堂内に響き渡り、聞き惚れるうちにうとうと。曲目はJohann Sebastian Bachの「Choral Prelude Herzlich tut mich verlangen(BWV727)」、Johann Gottfried Waltherの「Concert H-minor(after A.Vivaldi)」、James F.Konkelの「Adagio」、Johann Pachelbelの「Chiaconna F-minor」の4曲。オルガン奏者は1978 年生れDsc05003のInese PAICA氏(女性)、ラトヴィア音楽アカデミーのピアノ科とオルガン科の卒業生で、在学中にパリで開催された第4回ニコライ・ルービンシュタイン国際ピアノコンクール(若手ピアニストの登竜門)で2位、同年ヴィリニュスで開催されたM.K.Ciurlionisオルガンコンクールで3位になるなど腕は確かである。昼食はリーガ城近くのビアハウス、アルス・アルセナールス(Alus Arsenals)、チーズを溶かしたスープとロールキャベツとチョコレートケーキを食べ、ラトヴィアのビールUZAVASを飲む。バルト海沿岸の町ヴェンツピールス(Ventspils)にあるUzavas Brewery製の生ビールは300ミリリットル1杯が1ラッツ(180円)、今回の旅行中飲んだビールの中ではベスト。

| | コメント (0)

国立オペラ座

Dsc0495010:05国立オペラ座着。国立オペラ座の建造は19世紀後半、983席(立見席を入れると1,234席)の大ホールと300席の新ホールを備える。オペラ団の創設は1912年(バレエ団は1919年)、現在は年に(9月~5月)約200の公演があり、毎年6月上旬にはオペラフェスティバルが開かれる。定評ある演目は「アイーダ」や「スペードの女王」など。またリーガと縁が深いワグナーの「ニーベルングの指輪」、「さまよえるオランダ人」などの斬新な演出も評価が高い。リーガは13世紀末にハンザ同盟に加盟してから急速に発展した都市であるが、その土地柄 を反映してワグナーやモーツァルトなどのドイツオペラの上演が多Dsc04972いようである。今日はガイド付きで建物の見学ツアー(料金ひとり2,000円)、最初は上演もされていないオペラ座に入って何とすると思ったが、舞台に上って舞台裏を覗いたり、大統領席や貴賓席の座り心地を確かめたり、天井桟敷の立見席から舞台を眺めたり、最後は最上階にあるバレエ団の練習場を見学したりと結構楽しめる。階段の昇り降りがあって草臥れたけれども。因みに最も高い席が120ドル(約10,000円)、安い席が5ドル(400円)とのこと、ウイーンのオペラ座よりは大分安い。現地ガイドのエヴァさんに年に何回ぐらいオペラを観るかと尋ねたら「not so many」とのこと、庶民の娯楽という訳ではなさそうである。11:10オペラ座建物見学を終了し旧市街散策へ。

| | コメント (0)

リーガ中央市場

Dsc049182012年4月7日(土) 6:10起床。ベッドも枕もぐにゃぐにゃ、軟らか すぎる。このベッドにもう一晩寝るかと思うとうんざり。それに室内はどこに触っても静電気バチバチ。6:50食堂に降りる。ベーコンと目玉焼き、マッシュルーム、ヨーグルト、果物を食べグレープフルーツジュースを飲む。味はまずまず。食後の腹ごなしにホテル前の河畔遊歩道を20分ほど散歩する。9:00バスでホテルを出発、今日は終日リーガ市内を観光する。手始めは飛行船工場跡地に建てられた中央市場の見学。カマボコ屋根の屋内棟が5棟ずらりと並び、棟毎に魚介類、野菜・果物、肉Dsc04933類、乳製品などを扱う。リーガ市民88万人の胃袋を支える台所である。魚市場に並ぶのは、鮭・鱒、カレイ、チョウザメ、カワカマス、コイ、フナ(?)など、結構淡水魚が多い。またウナギやチョ ウザメを丸のまま燻製にしたもの、バルト海名物というKepta Zuvisの開きなど燻製品も多い。野菜や果実は実に豊富、殆どが1キログラム単位の販売である。大きさによって異なるが、価格の一例をあげると、ジャガイモ27円、玉ネギ45円、ネギ36円、トマト90円、キュウリ70~144円、ダイコン90~110円、パプリカ108~144円、ナス180円、カリフラワー108円、赤リンゴ36~90円、青リンゴ108円、洋梨36~90円、ミカン108円、オレンジ63~Dsc04936 135円、レモン72円、グレープフルーツ72円、ウリ72円、メロン90円、マンゴー72円、キウイ90円、ブドウ220円、イチゴ360円など。クルミ288円やドングリ450円もある。ドングリはクヌギの実くらいの大きさ、渋味のない種類と思われるが、どうやって食べるのだろう。ブルーベリーやリンゴンベリーなどベリー類は本場だけに山盛り。野菜の値段をメモ帳に書き留めていると、現地の人が珍しそうに覗き込んでくる。今の時期なので、野菜や果物は殆どが輸入品と思われるが日本と較べると格安。肉類、チーズ、ハチミツ売り場も種類が豊富で充実している。市場見学は一番の楽しみであるが、40分ほどの駆け足だったことは心残り、バスに戻り、次の目的地国立オペラ座へ向かう。

| | コメント (0)

リトアニアのビール

Dsc04903 十字架の丘へ向かう途中、手洗いを借用したガソリンスタンドの売店で購入したリトアニア産缶ビール6本、左からSVYTURYS SVYTURIO 、SVYTURYS EXSTRA、UTENOS、UTENOS PILSNER、UTENOS AUKSINIS、BLINDOS EXSTRA。いずれも500ミリリットル入り、価格は3.09Lt(105円)、3.29Lt(112円)、3.59Lt(122円)、3.69Lt(125円)、3.79Lt(129円)、3.99Lt(136円)、平均122円。銘柄と価格はメモが曖昧なため対応がとれていませんが、いずれにしても日本の第3のビールより安い。メーカーはウテナ(Utena)市に本社を置くUAB Svyturys-Utenos alus社、ネットで調べると、1784年創業のSvyturys Breweryと1977年創業のUtenos Alus Breweryが2001年に合併した合資会社であり、同社を含む19のビール企業を傘下に収めるBaltic Beverages Holdingを通じて親会社のCarlsberg Breweriesのコントロール下にあるようです。全て加熱処理ビール、アルコール分は順に、6.0%、5.2%、5.0%、4.6%、5.0%、5.0%。2000年にSVYTURYS EXSTRAが世界的ビール品評会ワールト・ビア・カップ2000のEuropean Export 部門で銀賞を受賞するなど品質は確かですが、個人的嗜好は並び順に、☆☆★、☆☆、☆☆、☆☆★、☆☆★、☆☆☆となりました。

| | コメント (0)

ラディソン BLU ダウガヴァ(RADISSON BLU DAUGAVA)

Dsc0489419:00ダウガヴァ川沿いに建つラディソンBLUダウガヴァにチェックイン、605号室に入る。部屋は狭くダブルベッドが1台真ん中を占領している。これでデラックスホテル?、これで五ツ星?。設備は全般に古く、NOKIA製のTVも旧い。まあ、それでもミニバーがあるし、電気ポット、コーヒー、紅茶も付いている。早速買ってきた缶ビールを冷蔵庫に入れる。19:30ロビーに集合しホテルのレストランで夕食。生ビールの小(300ミリリットル)が2.5ラッツ(450円)、大(500ミリリットル)が3.5ラッツ(630円)は日本のレストラン並みの値段。ビュッフェ方式でサーモンやタラ料理、マカロニサラダなどを取り分けて食べてみたがDsc04906味は凡庸。部屋に戻っってから缶ビールを試飲する。リトアニアのウテナ(Utena)市にあるUAB Svyturys-Utenos Alus社のビールでSVYTURYS SVYTURIO とSVYTURYS EXSTRAの2種類。取り立てて癖はないが、苦味が弱く、パストリゼーション(加熱殺菌処理)されたビールのせいかやや粗い。風呂に入ってさっぱりすると22:30。

| | コメント (0)

十字架の丘

Dsc0486513:00ラトヴィア国境近くにある十字架の丘へ向け出発。陽射しが出てきて青空が覗く。最高速度110㎞/h表示がある高速道を北へまっしぐら。車窓に流れる景色は単調そのもの、黒土の畑地と青い牧草地が広がる。時々シラカバ林とアカマツ林が現れ、農家もぽつりぽつりと現れる。 カントリーエレベータ ーも見える。大麦や小麦、ライ麦などが作られているのだろう。14:20ガソリンスタンドで15分のトイレ休憩、売店で缶ビールを6本購入しリトアニアの通貨リタスをほぼ使い切る。再び出発、沢山のカラフルな箱を敷地周り に設置してあるのは養蜂農家、家畜Dsc04867は殆ど見られない。たてがみが長くがっしりした体躯の馬(北海道の輓系種の如し)を1頭見かけただけ。15:50シャウレイ(Siauliai)近郊の十字架の丘に到着。入口広場から十字架の丘へ至る道が一本通じている。小丘を覆い尽くすように大小無数の十字架が建てられている。但し、ここは墓地と云う訳ではない。1831年の帝政ロシアに対する民衆の蜂起が失敗に終わった後、処刑されたり流刑されたりした人々のために十字架が立て始められたと伝えられる。ソ連占領時代この丘一帯は立入禁止とされ、ソ連軍とKGBによって丘はブルドーザーで撤去され十字架は焼き払われたりしたが、そのDsc04869都度人々は土を盛り新たな十字架を立て直したという。1993年9月7日、現ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がこの地でミサをあげてから世界的に有名になり、2000年後背地にフランシスコ会の修道院も建てられた。以来、リトアニナの観光名所として定着し、国内外から訪れる人の数は大幅に増加、十字架の丘は日々膨張を続けている。入口広場の売店で大きさも意匠もさまざまなロザリオが販売されており、願い事を書き込み十字架の丘に立ててくることができる。ちょうど神社に絵馬を奉納するような感覚なのであろう。帰り道、別の日本人グループと出逢う。ユーラシア旅行社の「バルDsc04878ト三国古都巡りとクルシュ砂洲8日間」に参加した人々で、バス2台を連ねて来た様子。駐車場に戻りインフォメーション センターのトイレを使うと有料(2リタス=70円)、売店の女性が集金人を兼ねている。その女性の服装はブラウスもスカートもタイツも靴も全て黄色、日本人には考えられないセンスである。16:20バスに戻り、今宵の宿があるリーガへ向け出発。17:10リトアニア・ラトヴィア国境に着く。国境監視所の建物は廃墟となり、検問も無し、誰もいない。国境に建つ両替所小屋でユーロをラトヴィ アの通貨(Lats)に替える。15ユーロで9ラッツ、即ち1ラッツは約180円。結局レートはホテDsc04890ルより悪く、焦って両替する必要は全くなかったことになる。又、ラトヴィアとリトアニアを旅行する外国人は、滞在期間の治療費用を保証する海外旅行保険の加入を義務付けられている(前者は一人最低15,000ラッツ(約270万円)、後者は20,000リタス(約70万円))。今回は事前に旅行会社で加入し、しっかり証明書を持参してきたが、結局両国の入国時にチェックはなく、誠に拍子抜け。ラトヴィアに入ると道は悪くなる。インフラ整備はバルト三国の中で一番遅れているかも。18:30リーガ(Riga)市内に入る。メイン道路が石畳、バスは前後左右にガタゴトよく揺れる。トロリー電車も旧式で街中にゴミが目立つ。19:00今宵の宿ラディソンBLUダウガヴァに到着。

| | コメント (0)

ツェペリナイ

Dsc04829昼食会場のレストラン・ポンペイヤで出されたメインディッシュはツェペリナイ(Cepelinai)、リトアニアの代表的郷土料理のひとつ。名前の由来は飛行船、まさしくそんな形をしている。挽き肉餡をマッシュポテトでくるんで茹でたもの。ジャガイモのつなぎに片栗粉か小麦粉でも混ぜてあるのかモチモチした食感が面白い。但しソースも含めて味は平凡。リトアニアはジャガイモ料理がやたらに多く、他にもジャガイモのパンケーキ、ブルヴィニェイ・ブリーナイ(Bulviniai Blynai)とかジャガイモのソーセージ、ブルヴィニェイ・ヴェダライ(Bulviniai Vedarai)などがある。

| | コメント (0)

杉原記念館(旧日本領事館)

Dsc04826杉原記念館前に11:10到着。一帯はグリーンヒルと呼ばれる高級住宅地、喬木が生える緑地も多い。平坦地ばかりのリトアニアでは丘の上は眺めが良いし一等地なのであろう。最も坂の登り口には旧KGBの灰色のビルとか廃墟のような建物もあるが。旧日本領事館といってもそんなに大きな建物ではない。一般の住宅に毛が生えた程度。館内に入ってまずビデオ鑑賞20分、「葦のようにしなやかに」というタイトルで制作は岐阜県八百津町有志、杉原千畝の故郷である。ビデオによると、千畝は1900年1月1日八百津町の生まれ、早稲田大学在学中の1919年に日本国外務省の試験にDsc04820_2合格し、留学してハルビン学院に学び、その後外交官となった。駐リトアニア共和国領事代理時代の1940年7月、突然カウナスの日本領事館前に人垣ができた。彼等はナチスに追われ、ポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人だった。その要求するところは日本の通過ビザ。すでにヨーロッパにユダヤ人が安住できる場所はなく、シベリアを経由して米大陸に逃れるのが唯一生き残る道だった。ビザ発給の許可を求める杉原の電報に対する日本政府の回答は“否”、ドイツと同名を結んでいる日本としては当然であった。救いを求めるユダヤ人たちを無視することができなかった杉原は独断でビザを発行する。領事館退去の期日までの約一ヶ月間、昼夜を分かたず、ペンが折れ腕が動かなくなるまでビザを書き続け、Dsc04827 その数は千六百通にも及んだ。これによって実際にシベリア、日本を経由して第三国に渡ることができたユダヤ人は六千人を超えると伝えられている。云々。日本に帰ったら早速、反町隆史主演の映画「日本のシンドラー杉原千畝物語/六千人の命のビザ」のDVDを見てみよう。序に「シンドラーのリスト」も。その後館内見学、執務室や資料展示室を回る。杉原記念館の入館料は志納であるが、維持費は早稲田大学も負担しているらしい。11:45バスに戻り、市内のレストラン・ポンペイヤ(POMPEJA)へ行き昼食。レストランの隣に建つモニュメントはユダヤ人の宗教建造物とのこと、鳥居そっくり、インドのサーンチー仏教遺跡に建つトラーナ(塔門)も同じような形をしていたが何か相互関連があるのかも。スープ、ツェペリナイ、アイスクリームを食べる。ツェペリナイはリトアニアのジャガイモを使った郷土料理、名前の通り飛行船のような形をしている。13:00リガへ向け出発。

| | コメント (0)

カウナス市内観光

2012年4月6日(金) 6:00起床。外はDsc04758まだ暗く僅かに白み始めたところ。このホテル、ベッドが軟らかすぎる。 6:40朝食に下りる。リンゴジュースを飲み、キュウリとトマトの生野菜にベーコン、ハム、ソーセージ、オイルサーディンを食べる。デザートはミカンと洋梨にコーヒー。7:30腹ごなしに再びホテル周辺を散歩。聖ミカエル教会の前からGedimino通りをショッピングセンター・アクロポリスの先まで歩く。廃教会や崩れかけた建物がある。衛兵が立つ軍関係施設?も2箇所あり、新市街というのに何となく暗い感じがする。街路樹(ボダイジュ?)の芽はまだ固く、道路には薄氷が張っている。マフラーを巻きダウンコートを着Dsc04765ていてもなお寒い。アクロポリスの前には朝市が立ち、露店や移動販売車が並ぶ。近所の主婦がパンや果物を購入したり、勤め人がサンドイッチの弁当を買ったりしている。おそらくアクロポリス店内より割安なのであろう。9:00ホテルをチェックアウト、バスに乗りカウナス市内観光へ出発。バスは大型で44席あるが、誰でもひとり一席を占めたがり座席が足りなくなるのは困ったもの。現地ガイドは又もダリアさん、昨日とは当然別人であるが、リトアニアではダリアという女性名はポピュラーとのこと。まず旧市街を一望できるネムナス川対岸の丘へ上る。丘上の展望台には雷神Dsc04785ペルクーナスのモニュメントが建ち、アレクント橋の向うに旧市街が望める。カウナスはリトアニア第二の都市、15世紀半ばにハンザ同盟の代表部が設けられ、旧市街にはその頃のゴシック建築が数多く残る。第一次と第二次の両大戦間の22年間(1920-1941)、ポーランドに占領されたヴィリニュスに代ってリトアニアの首都となったこともある。再びバスに乗り旧市街へ。 9:30カウナス城の近くでバスを下りる。カウナス城は13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐために造られた城。現在は復元工事中で内部はがらんどう、昨日のトゥラカイ城の如く将来は博物館にする計画とのこと。次の聖ゲオルギ教会も廃墟、ソ連占領時代は倉庫として使用され、窓のステンドグラスは全て取り外されてレンガの嵌め殺しにしてある。これも修復予定というが、予算の関係で相当時間はかかりそうである。庭に立つ独特の装飾十字架(ハイクロス)を眺め、ベルナルディン修道院の前を通り、旧市庁舎広場に出る。旧市庁舎は“白鳥”に例えられるバロック様式の美しい建物、リスボンのベレンの塔Dsc04791が“テージョ川の貴婦人”なら、この旧市庁舎はさしずめ“ネムナス川の貴婦人”といったところ。1542年に最初の礎石が置かれ、18世紀半ばに現在の姿に改築されている。リトアニアが帝政ロシア領になってからは政治犯収容所として使われたり、皇帝の別宅として使われたと 云う。現在は地下室が陶器博物館、地上階は結婚登記所として利用されている。創建以来今が最も幸せな使われ方かもしれない。同じく旧市庁舎広場に面したイエズス会教会の角を曲がり、ペルクーナスの家を眺め、ヴィスタウス大公教会まで歩く。ペルクーナスの家は15世紀に建てられたゴシック様式の傑作、現在は公立図書館としてDsc04804利用されている。言い伝えによると、この場所に雷神ペルクーナスを祀る神殿が あったとのこと。建物の正面を飾る数本のぎざぎざの小尖塔(稲妻のつもり?)が印象的である。旧市庁舎広場に引き返し、聖ペテロ&パウロ大聖堂に入場する。15世紀に建てられた大聖堂内部はたくさんの聖画や彫刻で美しく飾られている。特に主祭壇は、磔刑のキリスト像を中心として上部と周囲に13体の聖像(十二使徒+パウロ?)が祀られており、天窓から差し込む光にそれらが照らされる様は神々しい。中世の面影が色濃く残る旧市街は500m四方に収まるほどの広さしかなく、見学は1時間余りであっさり終了。その後大聖堂の傍らの土産物店に入りトイレを借用する。10:45バスに乗り杉原記念館(旧日本領事館)へ向かう。

| | コメント (0)

パーク・イン・カウナス(PARK INN KAUNAS)

16:50カウナスへ向け出発。リトアニアの大地は緩い起伏を持つほぼ平坦地、なにせ最高峰がユーオザビネス山?29Dsc047424mである。雪が消えた牧草地には緑も覗く。ガソリンスタンドの価格表示を見ると1リットル5Lt(170円)、他の物価を考えると非常に高い。カウナスの街に入ると、若い娘が歩きタバコをしている姿が目立つ。リトアニア(バルト三国はどこの国も)はタバコには寛容とみえる。18:05パーク・イン・カウナス着、街中のドネライチオ通りに建つスタンダードクラスのホテルである。トロリーバスの停留所も目の前にある。205号室に入る。コンパクトツインの部屋はシングルベッドが2つ並び非常に狭い。ビジネスホテル並み。その代わり電気ポット があり、インスタントコーヒーとティーバッグが置いてある。ミニバーもある。風呂もユニットバスで狭いが、シャンプーはLUXで手洗い用洗剤はDOVE、ドライヤーも付いており機能的。TVはDsc04753PHILIPS製でCNNとBBCが入る。19:00からホテルのレストランで夕食。メニューは生ハム入り野菜サラダと牛肉の煮込み、デザートにケーキとコーヒー。料理の味はまずまず、昼食時と同じ生ビールのVOLFAS ENGELMANを飲む。食後、腹ごなしにホテルの周りを散歩。夜の8時を過ぎても尚明るい。夏時間のせいであり、 白夜の走りと思われる。ブランド店が並ぶメインストリート、ライスヴェス通りをぶらぶらし30分ほどでホテルに戻る。浴槽に湯を張ってゆっくり風呂に浸かる。湯上りに冷蔵庫の中の缶ビールHORN DISELを試飲する。ラトヴィアのシェシス(Cesis)市にあるAS Cesu Alus社のビールであるが、容量が568ミリリットルとなんとも中途半端、一体どんな意味があるのだろう。一杯やりながら小説「神々の山嶺(下)」を読み終える。因みに、パーク・イン・カウナスの所在地はDonelaicio Street 27, Kaunas LT-44240 Lithuania、電話番号は370-37-306100 。

| | コメント (0)

トゥラカイ城

ヴィリニュス(Vilnius)からトゥラカイ(Trakai)まで約30㎞の道程、舗装状Dsc04705態は悪く振動がありメモが取りにくい。シラカバやアカマツの林と湖沼が次々に現れる。湖はどれも未だ白く凍結している。リトアニアには3,000以上の湖があると云う。フィンランド同様バルト三国も森と湖の国である。 川は護岸工事をしておらず自然のまま、河畔林(ハンノキやドロノキ?)も良く発達している。15:20トゥラカイ城の駐車場着。トゥラカイ城は14世紀後半にチュートン騎士団の侵略を防ぎ、また祭事などを行うため、キェストゥティス公とヴィタウタス大公によって築かれたもの。ヴィタウタス大公の死後、権力がポーランド側に移ると城は廃墟となってしまったが、1961年から本格的復元が始められ、1987年にほぼ15世紀当時Dsc04712の姿を取り戻している。湖上の島に築かれたトゥラカイ城へ行くため2つの木橋を渡る。湖(ルコス湖)では天然ウナギが獲れるらしい。白く結氷した湖上に赤レンガの古城が美しく映える。未だシーズンオフで観光船や手漕ぎボートは湖畔に引き揚げられているが、ヴィリニュス近郊では有名な観光地らしく、平日というのに家族連れや若いカップルが多い。城は現在博物館として使用されており、館内の撮影は禁止。入場料は12Lt(400円)。館内を順路に従い見学、歴代城主のレリーフ、甲冑、武器(石斧、鉄斧、剣)、大砲(弾は丸石)、コイン(小さくて薄い)、銀器(17~18世紀)などが並ぶ。トゥラカイ城復元の歴史を示す部屋には、第一期(1902-1905)、第二期(1926-1939)、第Dsc04728三期(1940-1943)、第四期(1951-1968)、第五期(1973-1987)に亘る復元工事の写真が展示されている。また少数民族カライメ(カライテとも呼ばれる)の民族衣装をまとった人形や生活用品を展示する部屋があり、そこだけは5Lt払えば写真撮影OKであったが結局写さず仕舞い。カライメは15世紀初めにヴィタウタス大公によってクリミアから傭兵として連れてこられたトルコ語系の人々で、ここトゥラカイを中心に200人ほどが伝統的暮らしを続けている。皆より少し早めに城の見物を切り上げ、通りに面して三つ窓が並ぶカラフルな伝統的住居を写真に収める。傍らのカフェ・キビニネに入り民族料理のキビナイ(窯で焼いたパイ料理)を食べたかったがここでも又時間切れ、16:50バスに乗り今宵の宿があるカウナス(Kaunas)へ向かう。

| | コメント (0)

ヴィリニュス大学

昼食後、再びDsc04682バスに乗り旧市街の大聖堂広場に移動、1時間のフリータイムになる。車窓から街行く人を観察すると男性も女性も黒っぽい服装が多い。帽子、ダウンジャケット、コート、ズボン、スカート、ブーツ、ことごとく黒か灰色か焦げ茶色で暗い。まだまだ寒いせいもあろうが、 共産主義国家時代の名残りかと思われる。若い女性は小顔で背が高く八頭身、皆スタイルが良く、中には美人もいる。添乗員S氏の提案に全員が賛成し、フリータイムはヴィリニュス大学の見学に充てることに。大学通りを進み、大統領官邸を眺め、大学入口で入場券(5Lt≒170円)を購入する。ヴィリニュス大学の創立は1579年、前身は1570年にイエズス会がDsc04685 設けた高等学校であり、この地方ではクラコフ、ケーニヒベルグに次ぐ由緒ある大学とのこと。 現在は2万3千人が学ぶ総合大学である。最初の中庭(ザルビエヴィユスの中庭)に入ると、左側建物の壁にリトアニア人唯一のノーベル賞受賞者(1980年文学賞)チェスワフ・ミウォシュ(CESLAVAS MILOSAS:1911-2004)を顕彰するプレートがかかる。正面建物の一階右側に大学の書店(生協?)があり、内部に入ると天井はフレスコ画で覆われる。さすがに歴史がある大学は一味違う。アーチをくぐり13ある中庭の中で最大の中庭(Grand Courtyard)に進む。左側に後期バロック様式の聖ヨハネ教会とDsc04696ヴィリニュス旧市街で一番高い63mの鐘楼が建つ。聖ヨハネ教会はヴィリニュス大学の原点であり、ここで学位授与式も行われるそうな。背後の建物の壁面には18世紀のフレスコ画も残る。聖ヨハネ教会に入場して内部の見学、本堂や6つの礼拝堂には多くの記念碑や彫像が飾られているが、一時科学思想博物館になっていたこともあり、大学に属していた著名学者の肖像画が幾つも飾られている。最後は天文観測所がある中庭(Observatory Courtyard)に入る。18世紀当時はグリニッジ天文台と双璧をなすほどの性能だったという。外壁には12宮のレリーフが彫り込まれている。豪華な内装の「古書室」や自然崇拝時代の生活を描いた「四季のフレスコ画」などを是非とも見学したかったが時間切れ、14:40バスに戻りトゥラカイへ向かう。

| | コメント (0)

聖ペテロ&パウロ教会

Dsc04598バロックの街ヴィリニュスを代表する記念碑的建造物。建物そのものは1668年から7年間かけて造られたが、内装にはその後30年余りの時間がかけられている。内部を飾る2000以上の漆喰彫刻群は圧巻、聖人、天使、動物、植物、ひとつとして同じものがないといわれる。また、聖ウルスラのチャペルに飾られる聖女像は、S.APOLONIA V.M.、S.MARIA MAGDALENA、S.BARBARA V.M.、S.CATHARINA V.M.の4体であるが、その中で薬瓶を持つ聖マリア・マグダレナだけは現代風(といっても17世紀当時の)の衣装を身に着けている。これは彫刻家のひとりベレッティのリトアニア人の奥さんがモデルになったためだという逸話が残る。

| | コメント (0)

世界遺産「ヴィリニュス歴史地区」

2012年4月5日(木) 6:05起床。外は薄明るくなり雪は止んでいる。7:15から朝食。スモークサーモンとライ麦パンの他にもベーコン、ハム、生野菜(トマトとパプリカ)、ヨーグルトを食べジュースとコーヒーを飲む。Dsc04568食後、外へ写真を撮りに行くと足元はカチンコチン、しばれる寒さ。9:00世界遺産・ヴィリニュス歴史地区の観光へ出発。ポルトガルもそうだったが小さな国は朝ゆっくりできるので楽。 今にも雪が落ちてきそうな空模様、毛糸の帽子に襟巻き、ダウンのオーバーコートで完全防寒、左右のポケットにホカロンも忍ばせる。バスは観光用大型コーチ、窓が大きく天井が高い。新しく快適である。最終日までこのバスを通し運転してくれるのは、頭を刈り上げたリトアニア人男性のネリスさん。現地ガイドは中年女性のダリアさん。旧市街へ向かう途中、ネリス川河畔に建つ杉原千畝のモニュメントに立ち寄る。杉原千畝(1900-1986)は早稲田大学在学中に外務省の留学生試験に合格してハルビン学院に学び、その後外交官となり、1940年駐リトアニア共和国領事代理の時代に亡命ユダヤ人約6,000名に対し一ヶ月に渡り査証を発給し続け、彼等の生命を救っている。碑は氏の生誕百年を記念し、2001年10月2日早稲田大学により建立されたもの、周りにサクラも100本寄贈・植樹されている。二箇所目は1668年建立の聖ペテロ&パウロ教会、バロックの街ヴィリニュスを代表する記念碑的建築である。教会内部は漆喰彫刻の氾濫、伊豆のDsc04609長八美術館など足元にも及ばない。イタリアから招かれた職人が30年余りの時間を 費やして身廊や礼拝堂に2,000以上の彫刻を施している。白一色の夥しい彫刻群に荘厳される教会は“バロックの凍れる音楽”と呼ばれると云う。門外漢にも一見の価値がある。添乗員のS氏はクリスチャンとのこと、聖書や教会史、西洋建築に造詣が深く、ヨーロッパの案内人に適任である。解説が少し詳し過ぎるにしても。三箇所目はゲディミナス城、かつての城塞の塔が建つ丘へリフトで登りヴィリニュス市街のパノラマを楽しむ。城といっても大部分は19世紀始めにロシアによって破壊されており、丘の上には展望台として利用Dsc04633されているゲディミナスの塔しかない。塔に登らずとも四囲の眺めは良く、 この頃から陽射しが出て気温も上昇する。再びリフトで考古学史料展示館の中庭に下り、旧市街の散策を開始。まずは大聖堂へ回り込む。大聖堂(アルキカテドゥラ)はヴィリニュスの中心に建ち、ヴィリニュスのシンボルともされる主教座教会である。13世紀にミンダウガス王によって建立されて以来、様々な歴史の変遷を経て今日に至る。現在のクラシック様式の建築は18世紀の大改築による。大聖堂の手前にある鐘楼は高さ53m、基礎の部分は13世紀の城壁の塔が使われている。中ではミサが厳粛にDsc04630 行われている最中で立ち入ることは躊躇われたが、せっかくなので最大の見所と云う、17世紀バロック様式の聖カジミエルの礼拝所のみ見学させてもらう。主祭壇に近く向かって右奥にあるが鉄格子の扉を介しての拝観、正面に置かれた聖カジミエルの聖画にはレースのカーテンがかけられており残念ながら拝めない。聖カジミエル礼拝所にはリトアニアの守護聖人となったカジミエラス王子(1458-1484)が安置されている。大聖堂を出てカテドゥロス広場からピリエス通りに進み、左折してアンバー・ミュージアム・ギャラリーに立ち寄る。琥珀の専門店であり本物とニセモノの見分け方を教授してくれる。次いで、聖ミカエル教会、聖アンナ教会を外から眺める。Dsc04653 それからバスで夜明けの門(曙の門)へ移動。夜明けの門を内外から見学する。夜明けの門は嘗て都城を囲む城壁に設けられた10(9つ説も)の城門のうちのひとつであり、唯一現存する。上部を飾るルネサンス様式の装飾は16世紀末につけられたもの、中央にはリトアニアの紋章である白い騎馬像が施されている。内側の上部は小さな礼拝所になっておりブラックマリアのイコンが安置されている。イコンは1363年にアルギルダス公がクリミア半島(ベラルーシ)に遠征した際持ち帰ったものといわれ、階段を上って見学したかったが信者に限られるとのこと。確かに祈りを妨げては申し訳ない。再びバスに乗り、新市街のレストランNERINGAに移動し昼食をとる。メニューはヒマワリの種をふりかけた野菜サラダ、リトアニア風ギョウザ、アイスクリームの3皿。ピアノの生演奏付きである。生ビールVOLFAS ENGELMANを飲む。

| | コメント (0)

フィンランド産のビール2種

成田・ヘルシンキ間を飛ぶフィンランド航空AY0074便機内で飲んだビールは、フィンランドのイーサルミ(Iisalmi)市に本社・工場があるOLVI PLC社製のOLVI EXPORTとSandelsの2種類。OLVI PLCはフィンランドのビール大手の中では唯一、独立資本の会社である。原材料表示の欄には麦芽、ホップ、大麦澱粉とあり、麦芽100%ビールではなく副原料使用ビールである。アルコール分は5.2%と4.7%、両者とも苦味が弱い。他にこれといった特徴はなく、評価はOLVI EXPORTが☆☆★、Sandelsが☆☆といったところ。
Dsc04534Dsc04542

| | コメント (0)

ホテル・メリディアン・ヴィリニュス(MERIDIEN VILNIUS)

Dsc04561 2012年4月4日(水) 19:20 125号室に入る。窓から直ぐ近くに湖が見える。つまりレークサイドホテル、内装に色気は無いがゴルフコースとスパも併設する大型リゾートホテルの様である。部屋は広々、ベッドも特大でひとり寝には大き過ぎる。何とも無駄に広い。アメニティーはテレビとドライヤーとシャンプーしかない。シンプルそのもの、一応グレードはスーペリアクラスだが四ツ星まではいかない感じ。今回はひとり参加が17名(男性5名、女性12名)もいるが、女性は殆どが相部屋希望、今回初めて出逢うのに全く物怖じすることなく、女性は逞しい。機内でビールを飲みすぎたせDsc04555いか未だに頭が痛い。バ ッファリンを飲むために、そして腹ごしらえのためにカップラーメン(日清麺職人)を作って食べる。水道水は手が切れるほど冷たい。硬水であるが飲んでも大丈夫とのこと。風呂に入ってさっぱりし22:00頃ベッドにもぐりこむ。それにしても普通のウォーキングシューズを履いてきたのは大失敗、雪靴が要る。
ホテルの住所は、GREITKELIS A2 19TH KM VILNIUS LT-03005 LITHUANIA 、電話は370(52)739700。

| | コメント (0)

中世の面影残すバルト三国 街並めぐり8日間

2012年4月4日(水) 4:30起床、昨夜の強風収まる。電車も正常に動いている様子、TVをつけても運転見合わせのニュースは流れない。5:30妻に南柏駅へ送ってもらう。我孫子、成田経由で7:40成田空港第2ターミナルビル到着。㈱グリーンDsc04531ポートエージェンシーで10,000円をユーロ(€)に両替する。 今日のレートは1€=112.71円、85€と420円戻る。クラブツーリズムの受付カウンターでeチケット控えをもらい、フィンランド航空(AY)のカウンターにチェックイン。スーツケース(SC)を預け成田~ヘルシンキとヘルシンキ~ヴィリニュスの2枚の搭乗券を受け取る。フィンランド航空を利用するのは1990年の北欧旅行以来22年ぶり。再びクラブツーリズムのカウンターに戻り正式受付、添乗員のS氏に現地空港利用税の差額490円を支払い、イヤホンガイドと海外旅行保険契約証を受け取る。9:40再集合、S氏よりバルト三国旅行心得を聴く。手荷物検査と出国審査を済ませ94番ゲートへ。10:25 AY0074便ヘルシンキ 行きに搭乗。横2Dsc04535-4-2席のAIRBUS A330-300型、新しい。9割くらいの搭乗率、通路側43D席に座る。4席のうちEとFの中2席は空席、これは楽。11:15離陸、ヘルシンキまで9時間40分、7835㎞の空の旅始まる。12:10一回目の食事、焼きソバを選びフィンランドビールのOLVI EXPORTを飲む。夢枕獏の小説「神々の山嶺」を読んだり、日経新聞を読んだりする。映画は「My Super Ex-Girlfriend(邦題:Gガール 破壊的な彼女)」と「Mission Impossible - Ghost Protocol」の2本を観る。どちらもいまいち。空気が悪いのか映画の見過ぎなのか少し頭が痛くなる。 19:10二回目の食事、焼き豚炒飯のみで選択の余地なし。今度はフィンランドビールのSandelsを飲む。あと1300㎞、1時間40分。21:00(現地時間15:00)ヘルシンキ空港に着陸、腕時計を6時間遅らせる。外気温1℃、滑走路以外は真っ白で大地は一面雪Dsc04553に覆われている。手荷物検査と入国検査を済ませ慌ただしく30番ゲートへ移動。乗り継ぎ時間が1時間しかない。15:50ヴィリニュス行きAY133便に搭乗、中央通路を挟んで2-2の横4席、機種はEMBRAER190で100人乗りくらい。ほぼ満席、24B席に座る。隣は若いリトアニア美人、これは幸先良い。16:35離陸、水平飛行に入る間もなく降下を始め、17:35ヴィリニュス空港着陸。自宅を出てから18時間、北欧は近くて良い。外は吹雪でとんでもない所に来てしまった感じ。小さな暗く侘しい空港である。空港ロビーのメデシノス銀行(Medicinos Bankas)出張所で15€をリトアニア通貨リタス(Litas、Lt)に両替する。手数料を3Lt取られ48.45Lt戻る。迎えのバスに乗り込みホテルへ向かう。外はどこもかしこも真っ白、寒々とした真冬の光景広がる。明日からどうなるのだろう。18:55今宵の宿メリディアン・ヴィリニュス着。周りに何にも無いところである。

| | コメント (0)

Reitaku Student Plaza はなみずき

Dsc045142012年4月1日(日) 近所の廣池学園へ散歩に行き、いつもトガリアミガサタケが出る植え込みの下やイチョウの周りを丹念に探したがまだ影も形もない。厳冬に加え3月も寒かったために発生が遅れているようである。ソメイヨシノの開花も遅れており、サクラで咲いているのはカワヅザクラ?と淡墨桜(日本三大桜樹のひとつで国の天然記念物、岐阜県根尾谷の淡墨桜の血脈をひくもの)のみ、ウメ、モクレン、レンギョウ、アセビなどは花盛りである。園内を一巡りしてから、東側通用門の先にあるReitaku Student Plaza はなみずきに立ち寄る。柏市光ヶ丘支所の隣に位置し、昨日グランドオープンしたばかりである。コンビニのDaily YAMAZAKI麗澤大学店とブックセンター、軽食堂Reitaku Cafe、多目的ホールから成る複合施設は全て平屋建てという豪勢さ、廣池学園はお金持ちである。Reitaku Cafeに入りアイスコーヒーを飲む。今日はまだ春休みで店内に学生の姿はなく、近所から出てきた家族や奥さんたちで賑わっている。カフェは株式会社れいたくサービスが運営しており、ランチの単品はいずれも600円、サラダセットは700円、各種Dsc04520ドリンクは250円と良心的価格設定がなされている。夜は23:00まで営業しており、夕方からお酒が飲めるカフェラウンジに変わる。学園内を散歩してカフェで一服が今後の生活スタイルになりそうな予感。 

| | コメント (0)

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »