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定点観察・増尾城址公園(柏市)

Dsc093802012年5月30日(水) 午後、増尾城址公園できのこ観察。期待のハタケシメジは見当たらなかったが、①アセタケ属、②アラゲキクラゲ、③イタチタケ、④オオツルタケ、⑤キシメジ科、⑥キタマゴタケ、⑦キチャハツ、⑧クロトマヤタケモドキ?、⑨クロハナビラタケ、⑩シロキクラゲ、⑪スジウチワタケモドキ、⑫チチタケ属、⑬チチタケ属、⑭チャヒラタケ、⑮ヒビワレシロハツ、⑯フミヅキタケ属?の16種を見る。種類が大分増え始める。(写真はシロキクラゲ)

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菜園の恵み(63) 赤タマネギ

Dsc094102012年5月30日(水) 朝一、畑へ行って玉ネギを全て取り入れ。今日は63個、過去二回分と合せ全部で93個の収穫になる。植えつけた苗は130本だったので歩留まりは約7割、まずまずというところ。但し、赤玉ネギの歩留まりは5割程度で普通種より劣る。赤玉ネギ苗は同じく㈱サカタのタネ製、中晩成品種で玉重270グラム前後の甲高品種とある。とてもそこまではいかず皆小振り、それでもサラダに入れると彩りがよく、甘味もあって美味しい。

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菜園の恵み(62) 春ダイコン

Dsc093712012年5月28日(月) 3月20日に種蒔きした春大根が立派に育ち収穫時期を迎えています。今日はとりあえず8本採ってきました。青首ダイコンのようです。全部で40本近くあるので我が家だけではとても食べ切れません。柏市内でとれた農産物の放射性物質濃度検査結果をみると、これまでのところ市内全域で根菜類は検出限界以下となっているので安心です。友人、知人、ご近所にどしどしお裾分けするつもりです。

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菜園の恵み(61) イチゴ

Dsc093682012年5月27日(日) 家庭菜園で栽培しているイチゴが今年も熟し始めました。三日間に一度ぐらいのペースでザル一杯づつ取れます。ヘタを除いて水洗いしとりあえず冷凍庫に保存します。柏市が市民サービスの一環で実施している「持ち込みによる食品・井戸水等の無料放射性物質検査」を6月28日に予約したので、セシウム濃度を測定してもらう積りです。ジャムに加工してお裾分けするのはそれから、喜んで食べてもらうためにも心配りが欠かせません。なんとも面倒な世の中になったものです。もっともあとなしひとは怖いものも無し、畑から戻るや採りたてイチゴに牛乳と砂糖をたっぷりかけて美味しくいただきました。

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奈良ホテル

Dsc093612012年5月26日(土) 朝食後、奈良公園へ散策に行き、序に奈良ホテルのティーラウンジで一服する。プレミアムコーヒーを頼むと一杯が1,039円。年金暮らしではここに泊まるような経済的余裕はないので、貧乏父さん、せめてコーヒーぐらいはと思って立ち寄ったのだが・・、あえなく昼の弁当代が飛んでしまう。やれやれ、奈良ホテル恐るべし。

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西国六番札所 壺阪寺(真言宗)

2012年5月25日(金) 壺阪寺の正式名称は壺阪山南法華寺、大宝三年(703)元興寺の僧、弁基上人が壺阪山に庵を結んだのが始まりと伝えられる。上人はDsc09345所有する水晶の壺をこの上なく愛していたが、あるとき壺の中に観世音の御姿を感得し、その尊像を刻み、壺とともに坂の上の庵に納めた。以来人々は弁基上人を壺阪上人と呼ぶようになり、それを知った元正天皇は、養老元年(717)八角殿を建てて壺を納め、観音像を安置した。また礼堂、宝塔、鐘楼、経蔵なども建てて南法華寺の寺号を与えたと云う。その頃より眼の信仰が芽生え、眼病に悩む人を救う観音様として知られるようになり、平安時代の感霊録には、沙門長仁の悲願がかなって開眼した話など記録されているという。この観世音の霊験は現在、社会福祉事業として実践されており、境内に建つ我が国最初の養護盲老6image0001人ホーム・慈母園(1961年開設)や淡路島五色町の同・五色園(1973年開設)の運営、更にはインドにおけるハンセン病患者救済等の国際奉仕活動に生かされている。その縁によると思われるが、境内各所にはインドから寄贈された石材で建立された天竺渡来と称する大石堂(納骨堂)や大石像が安置されており、礼堂(重文)や三重塔(重文)など古来の歴史的建造物と不思議な調和を醸し出している。御詠歌は、「いわをたて みずをたたえて つぼさかの にわのいさごも じょうどなるらん」。礼堂と八角円堂に上がり、御本尊の千手千眼観音像にお参りする。納経所で御朱印をいただいた後、天竺渡来大石像(仏伝図レリーフ→大観音石像→大涅槃石像→大釈迦如来石像)を巡ると、今回の西国霊場巡拝は恙なく終了、ほっとして奈良市内へ引き返す。

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西国七番札所 岡寺(真言宗豊山派)

Dsc093312012年5月25日(金) 岡寺の正式な名称は東光山龍蓋寺、天智二年(663)草壁皇子が住んでいた岡ノ宮を仏教道場に改め、当時の仏教の指導者であった義淵僧正に下賜したのが始まりと伝わる。義淵僧正は優れた法力の持ち主であり、その頃寺の近くにいて農地を荒らす悪龍を、その法力によって小池に封じ込め、大石で蓋をした。この伝説が岡寺の正式名称の原点になっており、今も本堂前に龍蓋池(りゅうがいいけ)がある。そして従来の観音信仰に、この「災いを取り除く」厄除け信仰が加わり、日本最初の厄除け霊場とも言われる。御本尊は如意輪観音坐像(重要文化Image0002財)、弘法大師がインド、中国、日本の三国の土で造ったと伝えられる高さ約4.5mの巨大な塑像であり、塑像としては我が国最大且つ最古の観音像といわれる。御詠歌は、「けさみれば つゆおかでらの にわのこけ さながらるりの ひかりなりけり」。本堂に上がり、御本尊の前で合掌しつつ般若心経を唱える。そのあと、納経所で御朱印をいただき、今回の西国霊場巡拝の最後、第六番札所の壺阪寺へ向かう。

 

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番外 豊山法起院(真言宗豊山派)

2012年5月25日(金)Dsc09325 法起院は西国巡拝開基の徳道上人(656-735)が晩年隠棲したところ、境内に上人御廟の十三重石塔があり、本堂には本尊の徳道上人座像が祀られる。西国三十三所霊場巡拝の風習は、養老二年(718)徳道上人によって始められた。養老二年の春、上人は突然の病のために仮死状態にあったが、夢の中で閻魔大王に会い、三十三ヶ所の観音霊場を広め悩める人々を救うようにと委嘱され、三十三の宝印を与えられて娑婆へ返された。上人は早速三十三ヶ所の霊場を設け巡拝に努めたが、当時は上人の言動を理解するものが少なく、やむなく宝印を摂津中山寺に埋めてしまう。二百七十年後の永延二年(988)、花Image0004山法皇がこの宝院を掘り出し今日の三十三所を復興した結果、霊場巡拝が盛んになったと伝えられる。
御詠歌は、「ごくらくは よそにはあらじ わがこころ おなじはちすの へだてやはある」。本堂と御廟にお参りし、天竺招来の仏足石を見学、納経所でご朱印を戴いてから明日香村の岡寺へ向かう。 

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西国八番札所 豊山長谷寺(真言宗豊山派総本山)

2012年5月25日(金) 拝観料を納めて頂いた小冊子に、「長谷寺は、山号を豊山(ぶざん)と号し、朱鳥元年(686)、道明上人が天武天皇のために千躰釈迦板仏(銅Dsc09295板法華説相図)を初瀬山西の岡に安置したことに始まり、のち神亀四年(727)、徳道上人が聖武天皇の勅願によって御本尊十一面観世音菩薩を東の岡にお祀りしました。徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場を開かれた大徳として知られ、長谷寺はその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、初瀬詣、長谷信仰は全国に広がりました。下って天正十六年(1588)の頃、専誉僧正がご入山されてより、長谷寺は関係寺院三千ケ寺を有する真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三所第八番札所として、檀信徒は約二百万人、四季を通じて花の御寺として多くの人々の信仰をあつめています」と縁起が記される。
後陽成天皇宸筆の額が掲Image0003げられた仁王門をくぐり、登廊の399段の石段を上り切ると、慶安三年(1650)徳川家光の発願によって再建された舞台づくりの本堂(国宝)に出る。本堂に上がり、2.7mの自然石の台座に立つ像高8mの巨大な御本尊十一面観音立像(重文)にお参りする。御詠歌は、「いくたびも まゐるこゝろは はつせでら やまもちかひも ふかきたにがは」。ちょうど正午を告げる法螺貝の音が初瀬の山峡に響き渡る。枕草子の124段の中頃に、「日ごろこもりたるに、昼はすこしのどかにぞ早うはありし。法師の坊に男ども童などゆきてつれずれなるに、ただ傍に貝をいと高く、俄に吹き出したるこそおどろかるれ」とあるのは、この時を告げる法螺貝の音であろう。清少納言が参詣した千年の昔から絶えることなく今に続く床しい音色である。

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室生寺

2012年5月25日(金) 真言宗室生寺派大本山室生寺は、8世紀末に興福寺の高僧賢璟(けんきょう)が建Dsc09271立したとも、天武天皇の勅願により役行者が開き、のちに空海が再興したともいわれている。高野山と並ぶ密教の道場として栄え、女人禁制の高野山に対して、女人の参拝を認めていたため「女人高野」と呼ばれる。最大の見どころは珠玉の仏像が並ぶ金堂内陣、一木づくりの御本尊、釈迦如来立像(平安時代・国宝)を中心に、向かって右側に薬師如来立像(同・重文)、地蔵菩薩立像(同・重文)、左側に文殊菩薩立像(同・重文)、十一面観音菩薩立像(同・国宝)が並び、その前に十二神将立像(向かって右側から卯神(ぼうしん)の安底羅大将(あんてらたいしょう)、丑神(ちゅうしん)の伐折羅大将(ばさらたいしょう)、子神(ししん)の宮毘羅大将(くびらたいしょう)、寅神(いんしん)の迷企羅大将(めきらたいしょう)、巳神(ししん)の珊底羅大将(さんてらたいしょう)、午神(ごしん)の因達羅大将(いんだらたいしょう)、申神(しんしん)の摩虎羅大将(まこらたいしょう)、酉神(ゆうしん)の真達羅大将(しんだらたいしょう)、戌神(じゅつしん)の招杜羅大将(しょうとらたいしょう)、亥神(がいしん)の毘羯Dsc09289羅大将(びからたいしょう)の順)が横に列をなして五尊像を守る。なお、十二神将像のうち辰神(しんしん)の頞儞羅(あにら)大将像と未神(びしん)の波夷羅(はいら)大将像は奈良国立博物館に寄託中とのこと、いずれも鎌倉時代13世紀の作で国の重要文化財である。十二神将の筆頭は子神であるが、必ずしも十二支の順番(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)に並んではいない様である。何か意味があるのかもしれないが・・。釈迦如来立像背後の檜板の壁に描かれている国宝の帝釈天曼荼羅図は暗いし陰になってよく見えなかったが、魅力あふれる仏像群に出逢えたことで大満足。

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西国三十三観音霊場巡り

2012年5月25日(金) 朝起きると本曇り、天気はいまいちだが今回Dsc09259の旅の目的、西国観音霊場巡りに7:30出発。近鉄奈良駅の向い側のトヨタレンタカーで1300㏄のポルテを借りる。閉店の20:00まで返却することにし前金として7,035円支払う。三十三観音霊場の前に先ずは女人高野の室生寺へ向かう。名阪国道(国道25号線)を走り、途中道の駅針で休憩し、9:10室生寺到着。門前の回転焼き店の無料駐車場に車を駐めさせてもらう。太鼓橋を渡って受付で拝観料600円を納め山内へ。弥勒堂、金堂、本堂(灌頂堂)、五重塔、奥之院の順番で見学する。境内の3,000株のシャクナゲは花期をとうに過ぎており僅かに咲き残りが一、二輪。金堂内陣の仏像群は見事であり、本尊の釈迦如来立像(国宝)を中心に、向かって右側に薬師Dsc09293如来立像(重文)と地蔵菩薩立像(重文)、左側に文殊菩薩立像(重文)と十一面観音菩薩立像(国宝)が並び、その前に運慶作と伝えられる十二神将像(重文)が一列に居並ぶ。立体曼荼羅の世界である。国宝の五重塔は小ぶりであるがなんとも景色が良い。最上部の奥之院までは胸突き八丁の急な石段登り、奥之院のステップには御影堂、位牌堂、七重石塔が建つ。苦労して上る割には下界の眺めは木立に邪魔されいまいち。三宝杉を写真に収めてから車に戻る。駐車料金代わりにヨモギ入り回転焼き5個を購入し食べながら運転して桜井市の長谷寺へ向かう。11:40西国観音霊場第八番豊山長谷寺到着。専用駐車場は500円、拝観料も500円。仁王門をくぐり登廊の石段を鍵型に登り本堂に上がって御本尊にお参りする。御本尊は身の丈三丈三尺(10m余)の木造十一面観音菩薩立像(重文)、御真言「おんまかきゃろにきやそわか」を三度唱えたのち般若心経も唱える。現在特別拝観期間中(3月4日~5月31日)で、別途500円を納めれば御本尊の御足(おみあし)に触れてご縁を結べるとのこと、それは遠慮する。御影Dsc09298堂、本長谷寺、五重塔、納骨堂と順に見学し、更に奥之院があるのかと上に登ってみたがそこは墓地、引き返す。本堂の舞台から初瀬の景色を眺め、納経所で御朱印を頂戴する。帰りも登廊を下る。登廊に沿う園地には7,000株のボタンが植えられている。ボタンまつりは5月上旬に終わり、花数はまだ多いが盛りは過ぎている。もっともボタンまつりの期間中の登楼は押すな押すなの大盛況で階段規制や入場制限があるとのこと、今のほうがゆったり見学できる。長谷寺を出て門前町を下り、右に折れたところにある番外の豊山法起院(ほっきいDsc09328ん)へ。法起院は西国三十三所巡礼開基の徳道上人の御廟所である。小さいお寺さんで境内も狭いが清潔で掃除が行き届いている。本堂の徳道上人像にお参りし、境内にある天竺招来の仏足石を見学してから納経所で300円を納めて御朱印を戴く。次は明日香村の岡寺へ。13:30第七番霊場東光山岡寺到着、麓の有料駐車場(500円)に車をいれる。2004年3月に飛鳥路を歩いた時にも岡寺を訪れているので二度目。受付で拝観料300円を納め入山する。鐘楼の厄除け鐘を一撞きしてから本堂に上がり、日本最大・最古の塑像である御本尊・如意輪観音像(重文)にお参りすDsc09351る。奥之院石窟は前回お参りしているので今回はパス、納経所で御朱印を戴いただけで岡寺を後にする。次は高取町の壺阪寺。14:30第六番霊場壺阪寺到着。境内の一番上の駐車場(500円)に車を着ける。壺阪寺は眼病に悩む人を救う観音さまとして知られており、境内の入り口には養護盲老人ホーム慈母園が建つ。受付で拝観料600円を納め、先ず天竺渡来の石造大釈迦如来座像にお参りする。そして本堂の八角円堂に上がり、御本尊の千手千眼観世音菩薩にお参りする。納経所で御朱印を戴くと今回の西国観音霊場巡りは無事終了する。更に境内の三重塔(重文)、釈迦一代記の石造大レリーフ、天竺渡来の石造大観音立像、同じく石造大涅槃像を見て回る。車に戻ると15:25、奈良市に直帰しガソリンを満タンにしてからトヨタレンタカーにポルテを返却する。時刻は17:00、借り受けてから9時間経つが走った距離は100㎞ほど、ガソリン消費量は7.7リットルに過ぎない。JR奈良駅の駅ビル内のマックスバリューで夕食用の握り寿司とビールと果物を買ってホテルに戻る。部屋で寿司をつまみながらキリンの一番搾りを飲み、デザートにNZ産ミカンとアメリカンチェリーを食べる。6階の大浴場に行き脚を伸ばしてゆったりと湯に浸かる。そのあと眠くなるまで読書、北欧の推理小説、ヨハン・テオリン著「黄昏に眠る秋」を読む。

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橿原神宮

Dsc092472012年5月24日(木) 手持ちの平凡社国民百科事典によると、橿原神宮は、日本書紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、明治二十三年(1890)旧官幣大社として創建されたもの。比較的新しい神社である。祭神は神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)の二柱。京都御所の春興殿(内侍所)と神嘉殿を移設してそれぞれ本殿、拝殿とし、昭和十五年(1940)の皇紀二千六百年に際し、神殿、境域を整備拡充したとある。境内南部の奈良時代に造成された深田池を含め、現在約50万Dsc09256㎡の広大な神域を持つ。初めてお参りしたが、社殿も敷地もとにかく大きい。皇紀二千六百年の年の参拝者数は1000万人にも達したという話も、奈良県内では春日大社と並んで正月の初詣客が多い神社というのも素直に肯ける。静かな深田池の夕景を眺めてから橿原神宮駅へ戻る。

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竹林院

Dsc092332012年5月24日(木) 吉野散歩の最後は竹林院。聖徳太子が吉野山へ来られた時一宇の精舎を建て椿山寺と称したのが始まりと伝えられる。源義経が逃れてきたとき、頼朝より追討の書が当院に送られてきた事実もあり、南北朝の対立後、後小松天皇の勅命により竹林院と改称された。庭園は群芳園と云い豊太閤吉野観桜の際千利休が築造したもので、桃山中期の名園として大和三庭園の一と言われている。特徴は武家書院好みで二重集団二重護岸の石組は室町時代の作風を伝え、奥庭の池中には七五三の作庭手法により島が配置されている。拝観料を納めて庭を眺め、頂上の東屋で一服して四周の展望を楽しむ。今日は上千Dsc09230本の吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)まで上がる予定であったが草臥れてしまい、吉野散歩はここで打ち切り、又、桜の季節にでも出直すこととし、近鉄吉野駅へ下る。

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吉野山如意輪寺

2012年4月24日(木) 宝物殿拝観料を納めて戴いた小冊子に如意輪寺沿革として、「大和国吉野山如意輪寺は、塔尾山椿花院(とうのうざんちんかいん)と言う。中千本のDsc09209桜樹のあいだ、緑の松柏峰に連なる山腹にある当山を、陽春四月櫻花咲き乱れ香雲靉靆たる中に、あるいは、秋の紅葉錦布くとき、あるいはまた、枯れ木をおおう白雪の中に望見すると、大小の伽藍甍を配して連なり、けだし、天下の絶景これに勝ぐるものはない。現在、如意輪堂(本堂)、多宝塔、御霊殿、幽香楼、報国殿、宝蔵、鐘楼、茶所、庫裡等の建造物がある。そもそも当山は、延喜年間(901-923)文章博士三好善行の弟で、醍醐天皇の御帰依を被った日蔵道賢上人の草創にかかり、後醍醐天皇吉野に行宮を定め給うや勅願所となった。正平二年(1347)楠木正行公一族郎党143人とともに参詣の事があった。正中Dsc09216以来寺運衰退したが、のち、慶安三年(1650)文誉鉄牛上人きたり、本堂を再興し、真言宗を改めて浄土宗とし、念仏を弘通し、ひたすら御陵の守護に任じた。」とある。
宝物殿には、鎌倉時代、源慶(運慶の高弟)作の重要文化財金剛蔵王権現木像、正行公辞世之扉などが展示されており、天井には御本尊如意輪観世音をモデルに描いた日本最大の油絵像、ねおがみの観音が描かれている。金剛蔵王権現像は桜の一木造りで蔵王権現の木像としては日本一と称されるもの、右手右足を挙げ天地の悪魔を降伏せんとする形相は眼光炯炯として辺りを威圧している。正行公辞世之扉は当時の如意輪堂の扉であり、「かゑらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」と刻まれている。後醍醐天皇の次帝後村上天皇の正平二年十二月二十七日、四条畷の決戦に向かうに当たり、正行公は吉野の皇居に天皇と今生の別れを告げ、先帝の御陵に参拝の後、如意輪堂に詣で、髷を切って佛前に奉納、過去帳に姓名を残し、最後に鏃(やじり)をもって御堂の扉に上述の歌を書き残したものである。多宝塔まで登って中千本の緑の山々を眺めた後、近畿36不動尊の第30番霊場・難切不動尊にお参りしてから如意輪寺を後にする。
 

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吉水神社

2012年5月24日(木) 吉水神社は元吉水院と称し今から凡そ千三百年前、白鳳年間に役行者の創立と伝える吉野修験宗の僧坊(金峯山寺の塔頭)であり、明Dsc09175治の初めまで修験道の勢力と共に発展してきたが、明治維新の神仏分離の際(明治八年)に神社と改まったものである。祭神は後醍醐天皇と、当時天皇の忠臣であった楠正成、吉水院宗信を合祀している。本社に参拝したのち拝観料を納めて書院を見学する。最初は「義経潜居の間」。文治元年(1185)源義経は兄頼朝の追手を逃れて静御前、弁慶らとともに吉野に潜入し、一時当院に身を隠していたとのこと、ここが悲運の英雄義経と愛妾静御前の別れの舞台となったところである。「吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」、義経は悄然として吉野から奥州へDsc09185落ち延びる。次に「後醍醐天皇玉座」。延元元年(1336)京の花山院より免れた後醍醐天皇が吉野に潜幸し、吉水院宗信の援護のもとに吉水院を南朝のかりそめの行宮と定められ、吉野朝四代五十七年の歴史の第一歩が記される。「花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音」、憂悶の数年を僻遠の地に過ごされた後醍醐天皇は京都に凱旋する夢を果たすことなく延元四年(1339)薨去。次は社宝を展示している部屋、百人一種「これやこの 行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関」で有名な歌人蝉丸所持の琵琶、桃山時代前期狩野永徳筆と伝わる豊太Dsc09196_2閤愛用の金屏風「櫻の図」などを見学する。文禄三年(1594)豊太閤が吉水院を本陣として盛大なる花見の宴を催し、満天下にその権勢を示したのは有名である。書院の見学を終えて境内に出て北闕門(ほくけつもん)へ回る。北闕門は、後醍醐天皇が朝夕この門に立ち、京都へ早期凱旋を祈願した場所、また、楠正行(くすのきまさつら)が出陣にあたり、「九字真法」の印を切り結んだ場所と伝えられる。現在は究極のパワースポット、邪気祓所として有名であり、門前の五芒星と九字切り印が刻まれた石の上に上がり、刀印を結んで「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」(りん・びょう・とう・じゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん)と九字真法を唱える人も見られる。弁慶力釘に触れてから如意輪寺へ向かう。

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金峯山寺(きんぷせんじ)

2012年5月24日(木) 金峯山寺は金峯山修験本宗の総本山である。奈良時代(710-784)に役行者小角(えんのぎょうじゃおずぬ)により開山された修験道の中心Dsc09166寺院であり、平安から鎌倉時代にかけて隆盛を極め、白河上皇なども参詣したと伝えられる。金峯山とは吉野山から山上ヶ岳(大峯山)に至る一帯を指し、この山で修行した役行者が金剛蔵王権現像を山桜の木に彫刻し、山上ヶ岳(1719m)と吉野山にお堂を建てて祀ったのが始まりとされる。現在も多くの僧侶、修験者が日々厳しい修行を続けており、これまで「金峯山千日回峰行」を2名の修験者が成満しているとのこと、役行者の教えが脈々と今に受け継がれているようである。因みに、千日回峰行とは、山上ヶ岳の開山期間(5月3日~9月22日)中、9年間、一千日をかけて、吉野山蔵王堂から山上ヶ岳の蔵王堂Dsc09168(現大峯山寺)まで片道24㎞、標高差1300mの山道を往復するという荒行である。登山地図で標準コースタイムを調べると、往路が8時間40分、復路が7時間30分、往復16時間と、とても常人の為せる業ではない。
本堂にあたる蔵王堂は室町時代の再建であるが、高さ約28mの巨大な建造物、木造古建築では東大寺大仏殿に次ぐ大きさで、国宝に指定されている。その蔵王堂では、現在(3月31日~6月7日)、国宝仁王門大修理勧進と銘打ち、日本最大の秘仏であり御本尊の金剛蔵王大権現三体(重要文化財)の特別開帳が行われている。拝観料を納めて蔵王堂に上がると、衝立で仕切られた内陣の小間に招じ入れられ、三体のご本尊の迫力ある巨躯をまじかに拝むことができる。その後堂内を一回りし、梨の木の太い柱など珍しいものを見学する。境内のベンチに座り一服してから吉水神社へ。

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吉野山散歩

2012年5月24日(木) JTB旅物語の「奈良のんびりステイ3泊4日」(個人旅行)を利用して昨日からJR奈良駅前のホテル日航奈良に滞在、今日は吉野山へ。7:00レストラン・セリーナに下りてバイキング形式の朝食を食べる。近鉄奈良駅まで歩きDsc091508:35発の快速急行に乗る。大和西大寺と橿原神宮で乗り換え、橿原神宮から吉野までは特急電車に乗る。10:30近鉄吉野駅着、吉野大峯ケーブルの千本口駅まで歩いてケーブルに乗り吉野山駅に上る。そこからは歩き、黒門、銅の鳥居をくぐり、金峯山寺(きんぷせんじ)の仁王門をくぐって蔵王堂の前に出る。現在(3月31日~6月7日)、仁王門大修理勧進のため秘仏ご本尊の特別開帳が行われており蔵王堂の拝観料は1,000円(通常は400円)に上っている。堂内に入ると右手で護摩供が修されており、一心に般若心経を唱える修験者の声が響き渡る。秘仏である三体の 蔵王大権現像は巨躯、内陣に招じ入れられ間近に迫力あるお姿を拝む。入れ物の蔵王堂も巨大な建造物、高さ28mはDsc09197木造古建築では東大寺大仏殿に次ぐ大きさである。次は吉水神社、土産物店や食堂が並ぶ参道をゆるゆると登り左に折れて10分ほど。吉水神社は南朝後醍醐天皇の行在所になった場所、また源義経が静御前や弁慶らと一時身を隠した場所としても知られている。拝観料400円を納め、日本最古の書院建築といわれる書院に上がり、義経潜居の間や後醍醐天皇玉座などを見学する。境内に出てパワースポット・北闕門の前に立ち刀印を結び、「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の九字真法を唱える。更に、弁慶の力釘に触れてパワーをもらう。一目千本から青々とした若葉に覆われた中千本、上千本一帯の山々を眺めてから次の如意輪寺へ向かう。如意輪寺へは一旦、谷まで下って急坂を登り返す。なかなかハードである。如意輪寺は後醍醐天皇の勅願寺、桜のDsc09204季節には中千本の名所として賑わう。本堂にお参りしてから拝観料4 00円を納め宝物殿を見学する。宝物殿では、楠木正行(くすのきまさつら)公が辞世の句を記した扉と重文の金剛蔵王権現木像、それと天井に描かれた如意輪観世音菩薩画像を見る。最後に難切不動尊にお参りして退出、来た道を戻る。疲れたのと蒸し暑いのとで、予定していた上千本の吉野水分神社へ上る気力はなくなり、今回は中千本の竹林院までとする。竹林院の境内には大和三庭園のひとつとされる群芳園がある。拝観料300円を納め庭園を見学してから頂上の四阿で一服する。竹林院から退出し、桜本坊、喜蔵院の前を通り、近鉄吉野駅へ下る。店先に3本脚のカエルを並べているのは腹痛薬の陀羅尼助(たらにすけ)を売る本家藤井利三郎商店、古の修験行者から脈々と今に伝わる秘伝薬である。近鉄吉野駅発15:37の急行に乗る。橿原神宮駅で途中下車し、橿原神宮にお参りする。初めて来たが境内は広々としており、社殿はみな巨大である。近鉄奈良駅に戻り、駅ビル8階の北京料理レストラン百楽に入り夕食、青島ビールを飲み餡かけ五目焼きソバを食べる。ホテルに戻ると19:30。

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雁戸山で出逢ったきのこ

Dsc091362012年5月20日(日) 今日は北蔵王の雁戸山に登り、東北の春山を楽しんできました(詳しくはブログ「自惚山人ノオト」の「491.北雁戸山・南雁戸山」を御覧ください)。山中はブナの新緑が美しく、雪が消えたばかりの林床には、エンレイソウ、キクザキイチゲ、ショウジョウバカマ、ヒメイチゲ?、ミヤマツボスミレ?などが咲き競い、またトリアシショウマ、ネマガリタケ、マイヅルソウ、ユキザサなどが新芽を伸ばしておりました。きのこは、前山の雪渓をトラバースする箇所で倒木に束生していた1種類のみ、モエギタケ科のカオリツムタケのようですが、自信はありません。

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定点観察・榴ヶ岡公園(仙台市)

Dsc090582012年5月19日(土) 今日は宮城きのこの会のSさんと榴ヶ岡公園で待合わせ一緒にきのこ観察。本ブログの読者の方で初対面であったが、そこは仙台人同士、きのこの話題を交換するうち旧知のように打ち解ける。生憎きのこの姿は殆どなかったが、梅林の中の草陰に奇跡的に1本だけ、ハルシメジ(写真)が残っている。虫に喰われておりぼろぼろだったが、久しく出逢いたいと思っていたきのこだけに大感激、非常に嬉しい。早速「私のきのこ図鑑(1)」に登録する。S様、楽しいひと時とヌケオチ(エゾハリタケ)の味噌漬け、誠にありがとうございました。

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南湖神社(白河市)

2012年5月18日(金) 国道4号線を使って仙台へ帰省する道すがらDsc09038白河市の南湖公園に立ち寄り、湖畔に建つ南湖神社にお参りする。南湖神社の建立は大正十一年(1922)六月十一日、祭神に陸奥白河藩第三代藩主松平定信公(白河楽翁公)を祀る比較的新しい神社である。定信公を崇敬する地元市民や渋沢栄一らの尽力により竣工されたもの。境内に福島県指定重要文化財の茶室、松風亭蘿月庵(しょうふうていらげつあん:1795年頃建造、内部の拝観は有料で300円)と、樹齢200年の楽翁櫻がある。また「楽翁渉世十法」の看板が掲げてあり、「一、寧静是養心第一法。二、謹謙是保身第一法。三、読書是広智第一法。四、勤倹是治生第一法。五、含容是待人第一法。六、慎交Dsc09045是遠害第一法。七、安詳是応事第一法。八、知足是享楽第一法。九、存厚是招福第一法。十、寡欲是延寿第一法」とある。老中首座、将軍補佐として寛政の改革を取り仕切り、名君と慕われた人物はさすがに言う事や心掛けが違う。青い湖をアカマツの並木が取り囲む南湖公園は、定信の命により造成され、享和元年(1801)に庶民に開放された日本最古の公園。たまたま車を駐めた所は南湖十六勝十七景のひとつ「千世の堤(ちよのつつみ)」、傍らに下野藩主堀田正敦の歌碑「雨風にゆるかぬ千世の堤こそ くにを守りのすかたなりけれ」が建つ。実に風光明媚なところである。アカマツ林に今はきのこの姿は見当たらないが、秋にでも又訪れてみよう。 

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菜園の恵み(60) 新玉ネギ

Dsc09030 2012年5月14日(月) 昨年10月31日に植えつけた130本の玉ネギ苗のうち、凍上などの試練を乗り越えて活着したのは80本ほど。その一部の茎が倒れ始めたので収穫することにしました。今日はとりあえず15個、玉重は50~150グラムの範囲にあります。小粒なので家人から「ベビーオニオン?」と又嫌味を言われました。苗は㈱サカタのタネの“極早生”なる良血、パンフレットには玉重250~320gになり、玉揃いが良いとあります。どこでどう間違えたものやら。今、スーパーでは1個300グラム位の大きな新玉ネギが3個200円で売られているというのに・・、これでは苗代の1,000円の回収すら難しそうです。まあ趣味と云われればそれまでですが。

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筑波山で出逢ったきのこ

Dsc09014 2012年5月13日(日) 二ヶ月ぶりの山歩きは又も筑波山。薬王院コースを往復する(詳しくはブログ「自惚山人ノオト」の「490.筑波山」参照)。春山なので花は多彩、エンレイソウ(花期は終り)、チゴユリ、ツクバキンモンソウ、トウゴクミツバツツジ、ニリンソウ、ミミガタテンナンショウ、ミヤマスミレ?、ヤマツツジ、ヤマブキ、ヤマブキソウ、ユキザサなどを見る。きのこの方はさっぱり、終わりかけのアクニオイタケとアミガサタケ、出始めのフサヒメホウキタケ(写真)とマメホコリの4種に出逢っただけ。

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定点観察・増尾城址公園(柏市)

Dsc089782012年5月12日(土) 午後から増尾城址公園できのこ観察。ナラタケもハタケシメジもムジナタケも見当たらず、ヒロハシデチチタケのみひとり?気を吐いている。他にはオツネンタケモドキとフミズキタケくらいで、端境期なのか種類、量とも極めて少ない。

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「吉里吉里人」

Dsc089672012年5月12日(土) 私の愛読書、東北弁の教科書であり、仙台弁のバイブルでもある井上ひさし著の「吉里吉里人」を読了する。今回で三度目、初めは昭和57年(1982)9月25日、二回目は平成10年(1998)1月19日。株式会社新潮社第二十七刷版は834頁の大部であるが、内容は次の130文字に要約される様に思われる。即ち、「きりきりづんは まんなごはァ すんずがで はんなすづとこんごろはァ まっつぐで おとげえとこんごろざすはァ  かんだくて くんづびるとれんぎはァ あつえんだちゃ。きりきりづんは まんなごはァ すんでえで ほぺたとゆんめはァ ふぐれでで だんべとのんぞみはァ おつきくて べちょことすりょはァ ねれでえんだちゃ」。漢字かな交じりの標準的日本語に翻訳すると、前段は「吉里吉里人は 眼は静か 鼻筋と心は真っ直ぐ 顎(おとがい)と志は堅く 唇と礼儀は厚いぞ」。後段は、「吉里吉里人は 眼は澄んでいて 頬と夢は脹れてて ★★★と望みは大きくて ☆☆☆と思慮は練れてるぞ」(★や☆は放送禁止用語)。まあ吉里吉里人でなくとも、人間こうありたいものである。  

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定点観察・千葉県立船橋県民の森(船橋市)

Dsc089482012年5月7日(月) 午後、家人を誘い船橋県民の森へ。森は今、キンラン、ギンランの花盛り、例のサクラの樹の下のアミガサタケとハルシメジの姿はすっかり消え失せ、4つの目で探してもきのこの姿は非常に少ない。僅かにアシブトアミガサタケ?、キクラゲ(前回と同じ木)、ナラタケの3種を見つけたのみ。園に隣接する畑の傍らに建つ野菜直売所でダイコンとウドを購入し引き揚げる。(写真はナラタケ)

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菜園の恵み(59) サヤエンドウ

Dsc089382012年5月5日(土) 久し振りの菜園の収穫物は絹莢(きぬさや)、夕食の味噌汁に入れて頂きました。このところ雨が多く気温も上ってきたので雑草(オオバコ、カタバミ、スギナ、シソ、ドクダミ、ハコベ、ホトケノザなど)の伸びが著しく早く、幾ら抜いても追いつきません。今日も午前、午後と二回草取りをしましたが、汗びっしょりになっただけでまだまだ、次回は家人の応援を仰ごうと思っております。

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大正新版画展(2012.05.02)

Shirahonespa笠松紫浪

《 信州白骨温泉 》

昭和10年(1935)

白骨温泉は過去に一度、湯元齋藤別館に泊まっただけであるが、この画を見ると又行きたくなる。

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浮世絵ルネッサンス 大正新版画展

Bathlady2012年5月2日(水) GWは何処へ行っても人と車で混雑するので家に引き籠り、「吉里吉里人」を読んで過ごそうと考えていたが、高島屋の何とか会員になっている家人から標記展覧会の無料招待券をもらったので出かけてみる。会場は柏高島屋ステーションモールS館8階柏市民ギャラリーとT館地下二階催会場、柏高島屋ステーションモール開業20周年を記念し、柏市と市民団体アート・ウォークかしわの主催で開催されたもの、開運!なんでも鑑定団に鑑定士として出てくる㈱渡邊木版美術画舗代表取締役の渡邊章一郎氏も協力している。正規の入場料は大人1,000円。伊東深水、橋口五葉、平野白峰、川瀬巴水、小原祥邨、名取春仙、山村耕花、笠松紫浪、C・バートレット、F・カペラリらの作品約300点(初期摺り200点、後摺り100点)がずらりと並び、大正ロマンを満喫・堪能することができる。復刻版(?)の即売も行われており、笠松紫浪の「信州白骨温泉」、川瀬巴水の「平泉金色堂」、高橋松亭の「甲州猿橋」など気に入った作品が何点かあったけれども、額装品で三万五千円、額無しでも二万一千円もするので諦め図録のみ購入する。(写真は橋口五葉作「浴場の女」)

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