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吉水神社

2012年5月24日(木) 吉水神社は元吉水院と称し今から凡そ千三百年前、白鳳年間に役行者の創立と伝える吉野修験宗の僧坊(金峯山寺の塔頭)であり、明Dsc09175治の初めまで修験道の勢力と共に発展してきたが、明治維新の神仏分離の際(明治八年)に神社と改まったものである。祭神は後醍醐天皇と、当時天皇の忠臣であった楠正成、吉水院宗信を合祀している。本社に参拝したのち拝観料を納めて書院を見学する。最初は「義経潜居の間」。文治元年(1185)源義経は兄頼朝の追手を逃れて静御前、弁慶らとともに吉野に潜入し、一時当院に身を隠していたとのこと、ここが悲運の英雄義経と愛妾静御前の別れの舞台となったところである。「吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」、義経は悄然として吉野から奥州へDsc09185落ち延びる。次に「後醍醐天皇玉座」。延元元年(1336)京の花山院より免れた後醍醐天皇が吉野に潜幸し、吉水院宗信の援護のもとに吉水院を南朝のかりそめの行宮と定められ、吉野朝四代五十七年の歴史の第一歩が記される。「花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音」、憂悶の数年を僻遠の地に過ごされた後醍醐天皇は京都に凱旋する夢を果たすことなく延元四年(1339)薨去。次は社宝を展示している部屋、百人一種「これやこの 行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関」で有名な歌人蝉丸所持の琵琶、桃山時代前期狩野永徳筆と伝わる豊太Dsc09196_2閤愛用の金屏風「櫻の図」などを見学する。文禄三年(1594)豊太閤が吉水院を本陣として盛大なる花見の宴を催し、満天下にその権勢を示したのは有名である。書院の見学を終えて境内に出て北闕門(ほくけつもん)へ回る。北闕門は、後醍醐天皇が朝夕この門に立ち、京都へ早期凱旋を祈願した場所、また、楠正行(くすのきまさつら)が出陣にあたり、「九字真法」の印を切り結んだ場所と伝えられる。現在は究極のパワースポット、邪気祓所として有名であり、門前の五芒星と九字切り印が刻まれた石の上に上がり、刀印を結んで「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」(りん・びょう・とう・じゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん)と九字真法を唱える人も見られる。弁慶力釘に触れてから如意輪寺へ向かう。

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