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奥州観音霊場第九番&奥の細道三十三霊場第七番 箟峯寺(涌谷町)

2012年9月27日(木) 県北の古刹巡りの一ヶ所目、涌谷町にある無夷山箟峯寺(むいざんこんぽうじ)は奥州観音霊場第九番札所として知られ、芭蕉の陸奥路の足跡をDsc01054訪ねる奥の細道みちのく路三十三霊場の第七番札所にも選定されている。由緒には、「大同二年(807)、坂上田村麻呂が京都清水寺の十一面観音を勧請して山頂に一宇を建立したのが始まりと伝えられる。この山は非常に霧が深いところから、当初は法相宗・霧岳山正福寺(むがくさんしょうふくじ)と称したが、その後、嘉祥二年(849)、慈覚大師円仁が布教にこの地を訪れたとき堂宇を増建、天台宗・無夷山箟峯寺に改称した。以来、奥州鎮護の祈願所として、南北朝時代には葛西・大崎の両氏、江戸時代には仙台伊達藩の外護を受けた。観音堂は二度焼失し、現在のものは嘉永四年(1851)に再建されたものである。通称は箟岳観音(ののだけかんのん)、奥州三観音のひとつとさDsc01057れる」とある。
裏参道を車で広い駐車場まで上がり、横手から本堂前に出る。東日本大震災によるダメージの修復工事中なのか、本堂正面には足場が組まれている。お参りを済ませてから内部を覗くと、御堂の中は真っ暗で御本尊は拝めない。他に参詣する人もなく、絵馬が風に揺れてカラカラと鳴る音だけが響き渡る。境内には他に、大晦日のNHK番組「ゆく年くる年」に除夜の鐘として三度(昭和45年、昭和58年、平成5年)登場したという名鐘「寛文の鐘」(寛文十一年(1671)鋳造)が下がる鐘撞堂があり、白山社が建つ。そして、「秋の山唄発祥之地碑」が建つ。民謡「秋の山唄」は元来この地域の山林原野で労作唄として唄われてきたもの、霊峰箟岳山を五穀豊穣の守り神として崇めた唄である。

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