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最勝山真高寺(市原市)

2012年10月8日(月) 市原市民の森で開催される千葉菌類談話会の観察会へ向かう途中で飯給にある真高寺に立ち寄り、市指定文化財の山門を見学する。市原市教育委員会作成の説明板には、「最勝山真高寺は、室町時代の享徳二年(1453)、太厳存Dsc01474高禅師(だいげんそんこうぜんじ)によって建立されたと伝えられる曹洞宗の寺院です。存高禅師は、真里谷真如寺(まりやつしんにょじ)三世の昭応禅師の弟子に当ります。昭応禅師は、上総国望陀郡真地(木更津市真里谷)の城主であった武田三河守信興の孫に当りますので、真里谷武田氏ゆかりの人物による開山ということになります。寺名は、この真地の真と存高の高を取って真高寺と名付けたといわれています。江戸時代には、徳川幕府より朱印地十五石を受け、末寺七ヶ寺を有していました。明治元年(1868)七月、戊辰の役により伽藍を焼失しましたが、山門だけが奇跡的に難を逃れました。門の形式は、桁行柱間を三間に取り、出入口を一か所にした二階建ての建物で、しかも屋根を二重にした入母屋造りの立派なものです。一階中央間の鏡天井には竜、二階には飛Dsc01477天が描かれ、さらに一・二階の蟇股(かえるまた)には初代武士伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)の手による彫刻があります。初代伊八郎は長狭打墨(ながさうつみ:鴨川市)の彫師で、別名「波の伊八」と呼ばれ、波を彫ったら関東一とうたわれた人物です。県内の二重形式の門は、江戸時代中期以降に建てられるようになりますが、本県の代表的なものに鴨川市の誕生寺仁王門(宝暦年間建立)があります。真高寺山門は、これより約三十年ほど時代が下りますが、建築様式の上でひけを取るものではありません。軒の出が大きく、特に二階は、組物を三手先尾垂木(みてさきおだるき)とし、垂木を二軒扇垂木(ふたのきおおぎだるき)としています。江戸時代後期では、本県を代表する寺院山門ということができます。平成十五年から三か年をかけて、解体修理を行い、面目を一新しました。その際、瓦葺きに改装されていた屋根を改め、一階は柿葺形(こけらぶきがた)銅板葺きに、二階は茅葺形銅板葺きに変更し、創建時の偉観がよみがえりました」とある。

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