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世界遺産「五箇山の合掌造り集落」

2012年10月21日(日) 6:00起床。朝一、温泉に入る。7:00朝食。五箇山豆腐(堅豆腐)の味噌汁と地鶏の温泉たまごが美味い。コーヒーもついてはいたが薄すぎ。7:45五箇山荘がある田向地区の見どころ見物に出る。山荘は霊峰人形山(ひとがたやま;標高1726m)の山麓、庄川の深い渓谷を見下ろす左岸の高み(標高250mほど)に建つ。人形山は岩崎元郎氏選定の新日本百名山のひとつ。富山県指定文化財の「流刑小屋」、国指定重要文化財の「村上家」、同じく重文の「白山宮」、同じく重文の「羽馬家住宅」の順に見学し、羽場家の近くにある住吉神社にもお参りする。集落内の道端には茣蓙を広げて大豆や小豆が干してあり早や冬支度。この辺り11月中旬には初雪が降り、真冬には4mも積もる日本有数の豪雪地帯である。各案内Dsc01879板の説明は以下の通り。
流刑小屋、「富山県文化財指定 昭和四十年十月一日 有形民俗文化財 流刑小屋 間口2.77m、奥行3.63m 加賀藩の流刑地として罪人が五箇山へ送られてきたのは、寛文七年(1667)が最初とされている。以来明治維新までの約200年間に150余人が流されてきた。流刑地は、庄川右岸の七集落(猪谷・小原・田向・大島・篭度・大崩島・祖山)に限られている。藩は、流刑人の逃亡を防ぐため庄川に橋をかけさせず一人では往来できない篭の渡しを使わせた。流刑小屋には集落内に限って出歩ける平小屋、一歩も外へ出られないお縮小屋、小屋の中に更に狭い檻を作って閉じ込める禁錮の三種類がある。お縮小屋と禁錮は牢番が食事を柱の穴から差し入れるだけであった。このお縮小屋は明治以降は、物置に利用されていたが昭和三十八年の豪雪で倒壊したため、古文書を参考にして復元したものである。全国的にも流刑小屋の遺構はなく貴重な民族資料である。 平成十四年十一月 富山県教育委員会・南砺市教育委員会」。
羽馬(はば)家住宅、「国指定重要文化財 建造物 羽馬家住宅 指定年月日 昭和三十三年五月十四日 所在地 富山県南砺市田向二五四 所有者 羽馬利一 この住宅の建築年代はつまびらかではないが、調査の結果では江戸中期以前のものとされている。明和六年(1769)に、この田向集落Dsc01915は大半が焼失し4㎞下流の大島集落にあった古い合掌造りを買い求めて移築したと伝えられている。この家は、オエ、デイ、ネマ、オマエの四室からなるが、ネマおよびオマエの部分の桁行が、わずか一間(1.8m)で非常に小規模な建築である。これは五箇山地方民家の平面としては、もっとも初期的な合掌造りの段階を示しているもので、全体的に木割が細く、ネマはほとんど周囲を閉鎖された空間というべく、唯一の出入口として帳台構(ちょうだいがまえ)を設けてあること、内法寸法が、五尺六寸五分であることも古い様式で、部材は釿(ちょうな)・槍鉋(やりがんな)仕上げであるなど建設された年代のかなり古いことを示す。五箇山の民家のもっとも古い遺構の一つとして、かつ、後世の改造も少なく当初の姿を最もよく残していることで、標本的価値が高いとして重要文化財に指定された。他の古い合掌造りの部分的な資料などに比較して大体江戸初期の寛文中頃の建築とされている。昭和三十八年解体修理を行っている」。
9:00五箇山山荘をチェックアウト、料金は一人11,700円也。9:20相倉合掌造り集落到着、集落保存協力金として駐車場料金500円を納める。五箇山とは、庄川上流と支流利賀川の深い谷間に点在する七十の集落(旧・平村、上平村、利賀村)のDsc01949総称であり、相倉はその典型的な集落のひとつである。相倉には23棟の合掌造りが現存するが、約100~200年前のものが多く、古いもので400年前の建造と云われる。合掌造りは豪雪に耐えるために六十度正三角形に造られた急傾斜の屋根を持つ。アマ(屋根裏)で蚕を飼ったため、切妻として明り取りを設け、床下で塩硝(鉄砲火薬の原料)の土を培養したため床が高い。養蚕・塩硝・紙漉きが江戸時代の五箇山の人々の暮らしを支えた三大産業である。集落内をぶらぶら歩き、まず地主神社と相念寺にお参りする。地主神社の由緒については説明がないので分からないが、境内の右手高みに皇太子殿下の歌碑が建つ。「五箇山をおとづれし日の夕餉時 森に響かふこきりこの唄」。平成三年宮中歌会始のお題「森」で詠まれた歌であり、学習院高等科ご在籍時、地理研究会の研修で来村された時のご感懐とある。相念寺の方は由緒書きがあり、「真宗大谷派 倉壁山相念寺 本寺創始Dsc01925は判然としないが古文書によれば天文二十一年(1552)に図書了観が五箇山十日講員として念佛道場を構えて蓮如上人真筆の御名号を奉拝し爾来その子孫が継承護持し今日に至る 正徳元年(1711)道場坊受慶が夢告により聖徳太子御自作阿弥陀像を神通川上流角川(岐阜県河合村)より奉迎したるも手次寺本敬寺(福光町)へと納め本寺尊像阿弥陀如来は延享二年(1745)本山下付安置せしものである 本寺建物は安政六年(1859)建築完成せしものでそれまでは家屋併設の内道場であった 昭和二十四年に本山より寺号付与を受け相念寺を称す」と記されている。相倉民俗館1号館(旧尾崎家)、同2号館(旧中谷家)を見学。共通入館券は200円。内部には生活用具と養蚕、塩硝造り、和紙づくりに用いられた道具類が展示され、麦屋節やこきりこの唄がビデオから長閑に流れる。梯子でアマ(屋根裏)に登ると、合掌の屋根は、釘や鎹(かすがい)などを一切使わず、荒縄とDsc01936ネソと呼ばれるマンサクの木で丸太を結わえつけた工法である。屋根裏のカヤ、丸太、ネソや荒縄は長年の囲炉裏の煙で真っ黒に煤けている。この防腐・防虫の効果により耐久性が高いのであろう。公衆トイレの裏手にある墓地を見ると、墓石の碑面は一様に「南無阿弥陀仏」、一向一揆の盛んだった土地柄、今でも殆どが浄土真宗の熱心な信徒なのであろう。但し、苗字はまちまちであり、同じ平家落人の里といっても桧枝岐(星と平野姓のみ)とは違う様である。最後に集落全景が見渡せる地点に登り写真を撮る。駐車場に戻ると10:55。次は菅沼合掌造り集落へ向かう。相倉で合掌造りを堪能したので菅沼は絶景ポイントから俯瞰するに止め、今宵の宿がある乗鞍高原へ向かう。五箇山ICから東海北陸自動車道に乗り、高山ICで158号線に下りて旧丹生川村(現高山市)の千光寺に立ち寄る。千光寺にお参りするのは二度目、前回は1981年9月なので実に31年ぶりである。再び158号線を走り、平湯から安房トンネル(有料700円→休日割引400円)を抜け、15:15乗鞍観光ホテル山百合にチェックイン。標高は1500mほど、周囲のシラカバ、ナナカマド、モミジの紅葉が美しい。ひよどりの間に案内される。時間が早いので近くの一ノ瀬園地へ行き白樺林を1時間ほど散策する。 
 

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