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ブラン城

2013年4月13日(土) 6:40起床。さあいよいよ観光最終日、今日も天気はなんとか持ちそう。朝食にベーコン、目玉焼き、スモークチーズ、オレンジを食べ、コーヒーをDsc00018飲む。オーストリアと中国から来た団体も加わり食堂はごった返す。9:30 出発、ブランへ向かう。ブランはブラショフの南西30㎞にある人口5,500人の村。山上に吸血鬼ドラキュラの居城モデルとなったブラン城が聳え建つ。10:00 ラスノフ村(RASNOV)通過、ブラン城より古い13世紀の城砦が山上に聳えるが、観光資源としては未だ発展途上の由。後背にトランシルヴァニア・アルプスの2000m級の雪山が連なる。道路が悪く揺れがひどい。メモがとれないほど。ブラン村に入ると一見して裕福な家が建ち並ぶ。庭のテーブルでお茶を楽しむ家族の姿もある。ルーマニア最大の観光名所であるブラDsc00045ン城を抱え、国内外から押し寄せる大勢の観光客が落とすお金でよほど潤うのであろう。10:15ブラン城着、標高は670mほど。駐車場は大型観光バスや自家用車でぎっしり埋まっている。入場門に至る通りには、チーズ、肉製品、ソーセージ、羊皮製帽子やスリッパ、民族衣装、民芸品、Tシャツ、ファストフード、その他もろもろの品物を商う露店がひしめく。ドラキュラが主役のお化け屋敷まである。
ブラン城の歴史の始まりは、1377年11月19日付のハンガリー王ルイス1世の「ブランの山上に要塞を築く特権をブラショフのザクセン人(ドイツ商人)に与える」という通達書。要塞は1438-1442年、オスマDsc00051ン朝軍との攻防戦に使われた後、ワラキアとトランシルヴァニアを結ぶ街道の税関として使われたが、ドラキュラ伯爵のモデル、ワラキア領主の串刺し公ヴラド3世(1448-1476)との直截的関係を示す事実はないとの由。1533年にマジャール王からブラショフ市に所有権が移り、18世紀中頃まで軍事戦略拠点として機能した。1919年にトランシルヴァニアがルーマニア領に組み込まれると、翌1920年ルーマニア王国の所有となり、夏の離宮として使用された。1948年、共産党独裁政権が誕生し、王族は国外に追放され、ブラン城は没収される。民主政権確立後の2005年、政Dsc00049府から財産継承者であるルーマニア国王の子孫に返還され、2009年6月から私設博物館として一般に公開されている。
坂を上り城の入口へ。最初の部屋には、歴代城主6名と現在の所有者3名(ルーマニア国王フェルディナンド1世の孫であるDominic Habsburg-Lothringenと彼の二人の姉妹Maria-Magdalena Holzhausen、Elisabet Sandhofer)の写真が掲げてある。持ち主3人とも現在米国在住とのこと。小さな部屋が多くこじんまりした城である。さざえ堂のように一方通行で上り下りして見学できるように工夫されている。置かれている家具などの調度品は西洋Dsc00016アンティークをどこからか掻き集めて並べただけのような感じであるが、この城が気に入り、しばしば長期間滞在したというマリー王妃の生活を偲ばせる装飾が主調である。他には、武具や鎧兜、家紋、衣裳などを展示した部屋もあるが、まぁテーマパークのようなもの、中身は何てことはない。塔の最上階のテラスに出てブラン村の眺望を楽しむ。城の見学を終えてから通りの土産物屋を冷やかし、ドラキュラ伯爵の壁掛けを2枚買う。Made in Chinaかと聞いたら即座に100% made in Romaniaとの答。名物の松の樹皮に包まれた羊乳チーズも1個購入。12時から近くのレストランPOPASUL REGINEI(女王御用達?)でお昼、野菜スープ、パプリカサラダ、ルーマニア風シュニッツェル(とんかつ)、アイスクリームを食べる。味はまずまず。13:20 バスに戻りシナイアへ向かう。雨が落ちてくる。

 

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